現代語短歌と古典語短歌
吉岡生夫(「短歌人」令和4年1月号)

  1 はじめに

   A 五七五七七の名称

『万葉集』の五七五七七は和歌ではない。短歌である。短歌は長歌に対応した用語であった。和歌が登場するのは『古今和歌集』である。和歌に対応するのは漢詩である。狂歌という言葉が最初に確認できるのは『明月記』という。その狂歌は『万葉集』の戯笑歌の系統とされるが、言い捨てが不文律であったという取扱いを含めて、和歌が否定した、あるいはカバーしなかった、いわば幻の短歌史であった。
 近世以前の歌の歴史は「和歌」一語で説明できるほど単純なものではない。短歌と和歌と狂歌の歴史なのだ。

   B 日本語の変化
 江戸時代になると市民権を得た狂歌の様相は一変する。日本語の変化である。古代語から中世語の時代を経て近代語の時代がやってくる。政治的区分でいえば、歌壇史もこれにしたがっているが、近代とは明治以後である。しかし日本語の歴史でいう近代語の時代は江戸時代をいう。その近代語の時代も古代語から一歩も出なかった和歌に対して狂歌は近代語に対応した。換言すれば古代語の時代にあっては和歌も言文一致、日常語だった。しかし近代語の時代にあって和歌は非日常語、逆に狂歌は日常語だった。歌壇の用語にしたがうなら和歌は往時の「文語体」であり、狂歌は往時の「口語体」ということになる。そして近代、現代へと話は続く。
 但し、ここでいう狂歌には大田南畝らは含めない。戯作文学が出自の狂歌師群、天明狂歌は別物だからである。

   C 近代の短歌
 近代に入って散文の世界では言文一致運動が成果をあげるが、五句三十一音詩の世界は遅れをとった。たしかに前代の和歌も狂歌も衰退消滅し、新派和歌は短歌として花開く。しかし王政復古による揺り戻しは『国歌大観』を生み、「文語体」のスタンダード化が推し進められた。非日常語派が主流を占めたのである。日常語派にとっては逆境の時代であった。それでも新しい時代には新しい言文一致体が点っていた。先駆者として『池塘集』の青山霞村の名を挙げておこう。

  2 口語短歌と文語短歌

 現代短歌における「口語短歌」を「現代語短歌」、「文語短歌」を「古典語短歌」と呼ぶことにしよう。これが私の主張である。タイトルに掲げる「『現代語短歌』と『古典語短歌』」の由来でもある。しかし現実はなかなか厳しい。
 たとえば『現代短歌大事典』(三省堂)で引いても「現代語短歌」も「古典語短歌」も出てこない。それはわかっている。だがそれだけではない。具体的にいえば「口語短歌」はある。「口語歌運動」もある。しかし「口語短歌」に見合う「文語短歌」がない。短歌は和歌を土台にしているから非日常語は当然のこと、「文語短歌」は言わずもがなであり、項目にする必要はないということらしい。そう読める。
 『現代短歌大事典』は二○○○年刊、その前年に発行された『岩波現代短歌辞典』(岩波書店)を開いてみた。「口語短歌」はある。「口語歌運動」はないが、「口語と文語」がある。内容は混交短歌に市民権を与えるものである。私が「口語短歌」と「文語短歌」の呼称を嫌うのも、一つには、この点がある。共時態と通時態が交錯しているのだ。で、こちらも「口語短歌」に見合う「文語短歌」は出てこない。

  3 口語と文語

 そも口語と文語、その意味するところは何なのか。
 松村明編『日本文法大辞典』(明治書院)で「口語」を引くと大略、次のとおりである。①話し言葉。音声言語。書かれた言葉に対して、話される言葉の意。②現代語。明治以降の日常生活に用いられる言葉。以上の二つの意味があるが①の意味が本来のもので、文章語・文語に対して、「当時の口語では」のように用いる。ところが、明治以降、古典にみられる書記言語・雅語や、明治普通文・雅文などに用いられる語体系を「文語」と呼ぶのに対して、当代の話し言葉およびその語体系に基づく書記言語を「口語」とよび、その文法を「口語文法」といったことなどから、②の意味に用いるようになった。同じく「文語」を引くと①書き言葉。文字言語。話される言葉に対して、書かれた言葉の意。②古典語。平安時代中期の文章(当時としては話し言葉を写したもの)が一種の完成を示し、鎌倉時代以後、話し言葉の変化にかかわらず、文章には平安時代中期の語法を基礎とした表現をとるようになって、明治中期にまで及んだ。この、平安時代中期の語法に、その後の若干の語法の変化をとり入れ、さらに若干の奈良語法をも含めた語体系を、明治以後の現代語を「口語」というのに対して、「文語」という。その文法を「文語文法」という。現代では短歌・俳句の創作などに残っている。
 ②の立場に立てば口語文法・口語短歌であり、また文語文法・文語短歌となる。明治以後がキーワードであろう。
 しかし私は①の立場に立つ。『万葉集』の短歌、『古今和歌集』の和歌、やがて五七五七七を席巻する狂歌、すなわち五句三十一音詩史からすれば、①しか考えられない。

  4 現代語文法と古典語文法

 ①に見合う文法を考えると現代語文法と古典語文法になる。しかし会員制のインターネット百科事典「ジャパンナレッジ」の全文検索で現代語文法は〇件、古典語文法は三件(内、日本の古典語文法は一件)、古典文法だと十三件(内、日本の古典文法は三件)がヒットするのみで道は険しい。

   A 現代語文法
 今野真二の『戦国の日本語ー五百年前の読む・書く・話す』(河出ブックス)に「高等学校では、おもに『古代語』の文法体系を『古典文法』として学習する。そして、現代日本語は『近代語』の『仲間』だ。だから『古代語』の文法体系である『古典文法』と、『近代語』の文法体系である『現代語文法』とは体系そのものが異なる」(序章)とある。
 井島正博編著『現代語文法概説』(朝倉書店)が出ている。
 インターネットの「CiNii Articlesー日本の論文をさがす」で現代語文法を検索すると十七件がヒットする。
 参考に現代語短歌の登場する例である。
 安田純生の「文語体と口語体」(「白珠」平成二十二年七月号)に「古代には、いちおう言文一致歌でありましたのに、中世になりますと、だんだん言文不一致歌になっていきました。そして和歌の世界では、明治時代になって、ふたたび言文一致の口語短歌、つまり現代語短歌が(略)現れてくるのです」とある(なお同文には「言文一致歌の伝統を狂歌は保持し続けていたともいえます」というくだりもある)。
 ちなみにインターネットの「CiNii Articlesー日本の論文をさがす」で現代語短歌を検索すると二件がヒットする。

   B 古典語文法
 『日本文法大辞典』の編者、松村明に「文語文法から古典文法へー文法上許容すべき事項をめぐって」(「国文学 解釈と教材の研究」昭和五十四年九月臨時増刊号)がある。
先の今野真二の『戦国の日本語ー五百年前の読む・書く・話す』には現代語文法の対として古典文法がある。
 大野晋に『古典文法質問箱』(角川ソフィア文庫)がある。
 沖森卓也編著『古典文法の基礎』(朝倉書店)が出ている。
 インターネットの「CiNii Articlesー日本の論文をさがす」で古典文法を検索すると二百十七件(内、日本の古典文法は二〇八件)、また古典語文法を検索すると五十件(内、日本の古典語文法は三十四件)がヒットする。
 参考に「CiNii Articlesー日本の論文をさがす」で古典語短歌を検索すると〇件だが古典短歌で検索すると三件がヒットする。うち二件は読むことができる。一件は西尾武雄の「古典の文章に親しませる指導ー古典短歌を中心に (家森長治郎教授退官記念号)」(『奈良教育大学国文』一九八一年)で『万葉集』の短歌を指していた。もう一件は坂本元太郎の「古典短歌における敬語の実態とその特質 短詩型文学としての短歌における敬語をどう考えるか」(『北海道武蔵女子短期大学紀要』一九八一年)で近代短歌を指していた。

  5 口語歌人と現代語歌人

   A 俵万智(ライトバース)
 『岩波現代短歌辞典』の編集委員である。先に取り上げた「口語と文語」(『岩波現代短歌辞典』)の筆者でもある。しかし『短歌の作り方、教えてください』(角川ソフィア文庫)では「私は、今は今の時代の書き言葉でいいっていうのがひとつの基本方針です」とも発言している。

   B 加藤治郎(ニューウェーブ)
 『岩波現代短歌辞典』の編集委員でもある。『岡井隆と現代短歌』(短歌研究社)の「ニューウェーブの中心と周縁」によると「ニューウェーブ」の立項の際、上の世代から反対されたが、最後は岡井隆の裁定だったという。その加藤治郎も、今や上の世代である。私は期待したいと思う。『岩波現代短歌辞典』も『現代短歌大事典』もそうだった。「口語短歌」はあるが、それに見合う「文語短歌」がない。両者は対語なのである。もしまた辞典の編集委員になることがあったら、この格差の解消に尽力してもらいたいものである。

   C 荻原裕幸&穂村弘(ニューウェーブ)
 『岩波現代短歌辞典』の編集委員でもある荻原の公式サイト「デジタル・ビスケット」で二人の対談「口語短歌の現在、未来」(「歌壇」一九九九年十二月号掲載)を読むことができる。標題もそうだが、発言も「口語で短歌を書く」「文語で短歌を書く」といった具合である。口語歌人なのだ。
 なお脱線になるが記号短歌の史的な元祖は正親町公通(おおぎまちきんみち )(一六五三~一七三三)であろう。『雅筵酔狂集・腹藁』(『狂歌大観 第一巻』明治書院)で読むことができる。

   D 枡野浩一
 『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)』(筑摩書房)に「日常の『しゃべり言葉』」でなく「私が自分で短歌をつくる場合は、『現代の書き言葉』を基本にするようにしています」、「古典文法まちがってるのでは?」や「〈文語と口語はどちらを使うか統一すべきでしょうか。〉」という質問への「文語(古文)で書かれた短歌を教祖は認めません」「つかい慣れた口語(日常語)でさえ」云々からも、唯一、現代語歌人と呼ぶのがふさわしいようである。
 また混交短歌(「『口語』と『文語』」)を歌壇的だすれば「いつもの言葉づかい以外、絶対につかわないでください。短歌だからといって『~なり』とかいう古文調の語尾をつかうのは馬鹿げています」の潔さは非歌壇的といえる。

  6 結語

 松村明の「文語文法から古典文法へー文法上許容すべき事項をめぐって」で時代を分けるのは一九四五年であろう。
 戦前が口語文法と文語文法であり、戦後が現代語文法と古典文法(「古典語文法」の使用例もあった)である。短歌にもどすと戦前が口語短歌と文語短歌であり、戦後が現代語短歌と古典語短歌となる。近代短歌と現代短歌の境界と同じである。その現代を生きる歌人から口語短歌と発せられると(たしかに「ジャパンナレッジ」には「口語歌」がある。また「文語歌」はない)、世の中の大勢とはいえ、前時代の亡霊が闊歩するのを見ているような気がしてならないのである。
 「明治は遠くなりにけり」(草田男)では決してない。

参                考 
狂歌を五句三十一音詩史に回収する 狂歌逍遙録 
句またがりの来歴  私の五句三十一音詩史  短冊短歌と応募原稿  
歌の未来図~文語と口語~  歌の未来図~あるいは歌の円寂するとき~   字余りからの鳥瞰図~土屋文明『山谷集』~  
夫木和歌抄と狂歌  文語体と口語体   近代短歌と機知  
 狂歌とは何か~上方狂歌を中心として~   狂歌と歌謡~鯛屋貞柳とその前後の時代~    談林俳諧と近代語~もしくは古代語からの離脱一覧~ 
 用語論~鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない~   用語論~矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について~     一本亭芙蓉花~人と作品~  
一本亭芙蓉花~その失われた風景~  仙人掌上玉芙蓉   近世の狂歌~ターミナルとしての鯛屋貞柳~ 
インタビュー「短歌人」      用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~  口語歌、口語短歌は近代の用語。今は現代語短歌なのだ  
仮名遣いと五句三十一音詩  近代の歌語「おほちち」と「おほはは」の来歴を問う   
  
「狂歌大観」33人集  狂歌大観(参考篇)作品抄   「近世上方狂歌叢書」50人集  
 YouTube講座「吉岡生夫と巡る五句三十一音詩の世界 狂歌史年表   日本語と五句三十一音詩 


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