字余りからの鳥瞰図〜土屋文明『山谷集』〜
吉岡生夫(「短歌人」平成21年4月号)
     一、『山谷集』と時代背景
 木俣修は『近代短歌の史的展開』(明治書院)の「昭和期」の第四章「伝統短歌の動向」の第二節「散文化の傾向」(小見出し「満州事変を中心とする伝統歌壇の動揺」)の中で次のように書いている。

 土屋文明もまたこの時期に歴史的な現実を歌って、極端なまでの破 調歌を大量になしている。そのことは次の節で詳記するが、このよ うな傾向を当時「散文化」という名で呼んだ。『アララギ』の代表 作家のこの散文化傾向について尾山篤二郎が当時「子規以来のレア リズムを根幹とするのだから当然の帰結であるが、此処に方途を求 むるまでは相当な期間の悩みがあったやうである。(中略)そして この代表者は現『アララギ』のリーダー土屋文明氏だが、一本調子 で、ひた押しに押し切るといふ歌風で、そこには繊細なもの、巧緻 なもの、幽寂なもの香しいもの甘美なもの等々の一切を棄揚して、 唯一意頑張るのである。」「短歌の散文化と云ふ問題のうちにはこ の定型律の裡に現代人の気息を移し得ないと考へる者に対する面責 を実行に依って見せると云ふ所もある。古雅なもの優婉なものに関 つてゐるのではないと云ふことを顕かに示しつつ定形の自在を行う て見せるのである。散文そのものを見せるのでは無論無い。」とい っているのであるが、このような散文化傾向は『アララギ』におい てだけ見られた現象でなく、広く歌壇全般に一種の流行をみるよう になったのである。

 そして「この傾向をめぐる短歌定型の可能性が、プロレタリア短歌派・自由律近代短歌派ならぬ伝統定型派のなかにおいてもやかましく論じられるようになった」と結ぶ。次の第三節「土屋文明」(小見出しは「『山谷集』の特質」)では昭和五年の第二歌集『往還集』において、それまでの主情的な作風から現実的作風に転じ、「昭和七年ごろから現実的傾向を極度に発展させて、彼一流の現実把握と新しいリズムとを示すことになった。いうところの散文化傾向があらわに示されるのである」また「このいわゆる文明調は『アララギ』だけではなく広く伝統歌壇に影響を与えることになるのである」と述べる。
 引用が長くなったが以上のとおり昭和十(一九三五)年、土屋文明が四十五歳のときに刊行された第三歌集『山谷集』は時代を覆った現実主義、散文化傾向の中心にあったことがわかる。これを万葉以来の字余りに沿って鳥瞰してみようというのが本稿の目的である。
     二、字余りの資料と方法論
 そのための資料として『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』、文明の第一歌集『ふゆくさ』から『往還集』『山谷集』に占める字余り及び字足らず(以下「字余り」という)の比較調査を行った(別表第一及び別表第二)。前記三歌集については小学館の日本古典文学全集に拠った。文明については『土屋文明全歌集』(石川書房)を用いた。ちなみに『万葉集』は短歌四一九二首のうち難訓歌十九首を除く四一七三首(連歌を含む)を対象とした。また『古今和歌集』と『新古今和歌集』に字足らずはなかった。ちなみに山本啓介の「平安和歌における字余り歌―『古今集』時代から『千載集』時代まで―」(朋文出版『国文学年次別論文集』中古T、平成十四年)によると「勅撰集を見渡してみる限り、この三十一文字を下回る、いわゆる字足らずの歌は一首として見当たらない」のだそうだ。結果は『万葉集』の三十六%、『古今和歌集』の二十六%、『新古今和歌集』の十九%、『山谷集』の六十七%であった。この数字は句またがりにおける『新古今和歌集』の十七%、『古今和歌集』の一・四%、『万葉集』の〇・七%、『水葬物語』の七十二%と好対照であると思われる(「短歌人」平成十八年九月号「句またがりの来歴」参照)。句またがりの塚本邦雄に対して字余りの土屋文明である。ただ句またがりほどは極端でない、そのあたりの事情については後半で触れることになろう。
 次に坂野信彦の「『短歌形式』とは、四・四・四・四・四の打柏を基本とし、五・七・五・七・七の音数を標準とする詩型である」(大修館書店『七五調の謎を解く――日本語リズム原論』)を物差しにして、この数字を絞り込むことにした。つまり「各句とも、基本的には八音ぶんの音量をもつものです。そして各句とも、八音に満たないぶんの音量が休止枠となります。すなわち、三・一・三・一・一というのが休止の配分です」とあるその休止枠を超えた九音以上を字余りとし、字足らずと一緒に拾い出したのが別表第一、初句から結句の上段括弧内の数字である。別宮貞則が『日本語のリズム 四拍子文化論』(ちくま学芸文庫)で「字数が九字以上の、ほんとうの意味の破格」と呼んだ歌と字足らずである。『万葉集』なら五十三例、字余りでは二句九音が四例、四句九音が二例、結句九音が十二例、字足らずでは初句四音が二十八例、二句六音が四例、三句四音が三例である。
     三、文明の字余り観を探る
 文明は字余りをどのように考えていたのだろう。それを知る手がかりとして『万葉集私注』(筑摩書房)で該当歌に当たってみた。何か出てくるだろうと思ったが字余りの「字」さえ出てこない。

  針袋/取り上げ前に置き/返さへば/おのともおのや/裏も継ぎ  たり(四一二九)
  針袋/取りあげ前に/置き返さへば/おのともおのや/裏もつぎ  たり(四一二九)
  黒牛の海/紅にほふ/ももしきの/大宮人し/あさりすらしも   (一二一八)

 訓読の違いによって五十三例が四十例に減っているが、その中で唯一の面白い発見であった。一首目が小学館、二首目が文明、五九五七七と五七七七七、ふと文明式の句切れを見たような気がしたからである(それは同時に『山谷集』の句切れの難しさでもあった)。三首目は対象外であるが小学館の頭注に初句「五音句でありながら七音も続くのは母音ウが二つあるため」とある。こうした記述でなくとも何かしら触れてもらいたいところであるが『万葉集私注』は「クロウシノウミ」の語釈として「今の海南市黒江の海であるといふ」とするのみ、これ以上に言及する必要性を感じなかったと見えるのだ。
 目先を変えてみよう。文明の『短歌入門』(角川文庫)に「短歌の味ひ方作り方」という一文が収録されている。末尾に括弧書きで「昭和十一年七月一日乃至十日東京中央放送局より放送手記」とある。『山谷集』刊行の翌年であるが、そこに次のようなくだりがある。

 短歌には何も特別の約束や作法はない。正しい分りよい日本語で三 十一文字にさへ作ればよい。しかもその三十一文字さへ例外、即ち 字余り字足らずを許される極めて自由のものである。

 これは『万葉集』の字余りの統計を取る作業の中で強く蘇ってくる箇所であった。なにしろその比率は三十六%、〈外(よそ)に居て恋ひつつあらずは君が家(いへ)の池に住むといふ鴨にあらましを〉(七二六)に至っては五句中四句が字余りである。単なる字余りなどは例外どころか日常茶半の風景なのだ。文明にとっては自明の理、むしろこの前段の部分の方が大切であったかも知れない。少し長いが引用する。

 短歌は一定の形式を持つた韻文ではあるが、日本語の韻文としては 最も自然のものであるから、作らうといふ志さへある人ならば何の 準備もなしに極めて容易に作ることが出来る筈である。三十一文字 を竝べることなどは決して窮屈を感じさせるものではない。(略)。 それだのに短歌を作るのが億劫になるのは、短歌に特別の言葉づか ひがあつたり、特別の内容があつたり、特別の修辞法や作法があつ たりするが如く考へるためである。若しかするとさういふ特別のも のが存在するやうに教へる人があるかも知れないが、それは教へる 人の誤であると私は思ふ。

 また昭和十二年に刊行された『短歌入門』(古今書院)の「短歌概論」中「一 短歌の形式」では次のように述べている。

 吾々は五七五七七の五句三十一音から成立して居る詩的形式を短歌 と呼んで居る。勿論これは中心形式を示すだけで、実際の作品では 音数にも数音の増減があり、各句の区分も必ずしも五七五七七と典 型になって居らない場合もあるのであるが、それ等を引きくるめて 短歌と呼ぶことは、昔も今も変りはない。ただどの点までの出入り を短歌として許すべきかの議論は起るであろうが、それは決して本 質の問題ではない。

 ここでも「本質の問題」が気になるが、今は先の「字余り字足らずを許される極めて自由のもの」という定型観に併せて「実際の作品では音数にも数音の増減があり、各句の区分も必ずしも五七五七七と典型になって居らない場合もある」云々に注意しておきたい。
     四、『山谷集』の句切れを試みる
 では実際に『山谷集』を眺めてみよう。字余りの集計にあたっては五七五七七の音数を前提に句を切った。しかしその中の不安定要素に身を任せると一首は思いがけない姿を現すのであった。

  本所/四つ目をすぎ町の/きたなさは/在りしその頃に/余りか  はらず
  しほ気だつ/荒磯の上に/眼鏡はづして/天てらす/日はさやか  なり
  秋になりて/いちじるき労れは/胃腸より/来るならむ去年も/  かくの如くなりき
  無産派の/理論より感情表白より/現前の/機械力専制は/恐怖  せしむ
  和琴(わこと)の岬(さき)に/湖を/見て居るに/長き蛇いでて/石にかくりぬ

 一首目は三九五八七と切った。初句を「本所」で切らなければ次は「四つ目をすぎ」まで止まらない。すると二句は三音で四音減となる。基準句として三句「きたなさは」は動かせないという意識が働いて初句三音で調整したが、それがなければ「本所四つ目をすぎ/町のきたなさは」である。三句が消滅する格好となる。二首目は五七七五七と読んだ。「荒磯」を「あらいそ」と読むと五八七五七であるが、定型に収めたいという意識が「ありそ」を選択した。下二句は五七もあるし、七五も考えられるが結句七音の意識が先行した。しかし四句と五句が緩やかに結合した四句構成も不自然でない。三首目は六九五九九と読んだ。五句中四句が字余り、うち三句が破格である。これも二句から三句は続けて読みたい衝動に駆られる。四句は句割れである。四首目は六、十五、五、十、六と切った。しかし三句五音は二句のエネルギーに吸収される勢いである。五首目は七五五八七と読んだ。初句を四音にして外観を優先させると四八五八七となる。しかしそれならば「湖を見て居るに」で七十八七の三句欠落の四句構成が浮かぶ。
 つまるところ各句が不安定で流動的、置き換え可能な語に満ちている。どのように読めばよいのか不安であるが「短歌概論」中「四 歌の調子」によれば「短歌は一首を一息によみ下すのが本体であつて、ただ句間にたまたま小休止の出来ることがあるに過ぎない」云々とある。これは茂吉の句単位や声調と随分と違う印象である(後述)。
     五、字余りと破調
 『日本古典文学大辞典』(岩波書店)で「字余り」を引くと佐竹昭広が「伝統的歌学の印象批評に対して、従来とは全く異なる角度から、『字余り』を貫く語学的法則の存在を指摘したのは本居宣長であった」と述べ「『字余り』の句中には必ず単独の母音音節『あ』『い』『う』『お』のいずれかが含まれているという画期的な宣長の発見」について解説している(ちなみに「『字余り』は、歌学の方では和歌八病の一つ、『中飽病』または『中鈍病』として戒められて来た」)。実は日本語の性質に由来する字余りは音余りではなかった。「すなわち、萬葉の歌人といえども、五七五七七の定型という大原則からは決して自由ではありえなかったのである」(佐竹昭広『萬葉集抜書』岩波現代文庫)というのだ。佐竹の「万葉集短歌字余考」(昭和二十一年)とのタイム・ラグは措くとして子規と茂吉の発言を追ってみた。
 まず子規は「和歌の字余りには古来遵奉し来れる法則あり。即はち『ア』『イ』『ウ』『オ』の四母音ある句に限り字余りを許したるなり。是れ三十一字を標準としたる考へよりすれば至当の事なれども前に述べし如く字余りを姑息なる例外物となさずして一種の新調と為す上は母音子音の区別はあながちに之れを言ふを要せざるなり」(明治二十七年「字余りの和歌俳句」。講談社『子規全集』第七巻)と云う。但し増音のみ、減音すなわち字足らずについての言及は見られない。
 茂吉は「字余の歌に就き、本居宣長は古歌を調べて、母音で字余にするのが原則とし、村田春海は、必ずしもさうでなく、作者のその時の心の状態にあると論じた如く、この字余歌に就ては先進も時々論じてゐるが、これはやはり母音子音に関係なく字余にしていいのである」(昭和七年「短歌声調論」。岩波書店『斎藤茂吉全集』第十三巻)と述べる。先の山本論文は「平安末期に近づくと、音韻の変化や、それに伴う前時代の和歌に対する誤認などにより、第二種の字余り歌が次第に詠まれ始めるようになる」と云う。第二種字余り歌とは単独母音文字を含まない字余り歌のことだ。子規も茂吉も、タイム・ラグは致し方ないとして、これを含めた字余り論者である。また茂吉は字足らずにも言及している。曰く「この字余(じあまり)、字不足(じたらず)は、おのおの句単位のそれぞれが破れるのであるから」「字不足、字余は右の如く、各句単位が破れるのであるけれども」であるが一度も破調という語は登場しない。また総括して「字不足、字余の音の増減の限界は数学的に行かないこと無論であるから、歌人はただ句単位五個の声調といふことを自覚し、念中に有つて制作することが緊要なのである」と云う。
 ところで『和歌大辞典』(明治書院)は「字余り歌」の項目のほかに「破調」の項目を設けて「短歌声調論」を参考文献に挙げる。私は参考文献に異存はないが「破調」が和歌の辞典に載ることには違和感を覚えるものだ。まして「字余り歌」の項目を設けずに「破調」一本で説明する『和歌文学辞典』(桜楓社)になるとなおさらである。
 用語としての「破調」の初出は辞典類への登場にも鑑みて蓋然的には茂吉の「短歌声調論」以後であろう。再び土屋文明にもどる。

 時に表現上の複雑な要求から短歌形式を離れることがあつても、真 の抒情詩の製作に衝迫を感ずる者であるならば、必ず中心に形式を 有して居つて、一時的破調はこの純一なる形式の本然に帰着せんこ とを希ふのであるのに、又それが唯一の抒情詩的衝迫を満足せしめ るものであるのに、内に抒情詩的衝迫のないために形式を離れたも のはその帰着する所なく、情緒表出の形式に帰らうといふ念もない のである。破調の短歌と所謂自由律短歌とは形は時に似たものがあ つても其の立場の根本に於ては如斯相違があり、更にその源を尋ね れば、製作者の天稟、性向の問題に迄及ぶのである。短歌に破調の 存することは決して短歌の形式を軽んずることからは生ぜず、又破 調の存することが無形式の自由律への移行の根拠とはならない。

 「短歌概論」中「五 再び短歌の形式」から引用した。「一 短歌の形式」で気になっていた「本質の問題」とはこれだったのだ。重複するが茂吉との違いを確認しておこう。「短歌声調論」が「句単位」を云えば文明は「五七五七七と典型になって居らない場合」を云う。茂吉が「音の増減の限界」を云えば、文明は「どの点までの出入りを短歌として許すべきか」とニュアンスの違いを見せる。また茂吉が「歌人はただ句単位五個の声調といふことを自覚し、念中に有つて制作することが緊要なのである」と結論したのに対して文明は答えられない(「それは決して本質の問題ではない」)。つまるところ従来の用語「字余り」で散文化の時代を説明できた茂吉に対して、文明は「破調」という用語を得て初めて「本質の問題」を語り始めたのであった。
     六、用語としての「破調」その後
 散文化の時代を経て「字余り」は質的な変化を遂げる。それが用語としての「破調」であり、その中心にいたのが土屋文明であった。歌集で云えば『山谷集』であり、その製作過程で直面した問題であったろう。昭和二十五年に出た『近代短歌辞典』(新興出版社)に「破調」の項目があるので抄出したい。書いているのは近藤芳美である。

 短歌に於ける破調の傾向は時代的にも流行の波のようなものがあ  り、現代短歌史においても明治末期から大正初期にかけてたとえば 若山牧水の『みなかみ』島木赤彦の『切火』等の著しい例があり、 昭和初期斎藤茂吉・土屋文明らのしきりにこれによつた時代があつ た。破調が短歌の定型の否定であり、自由律への移行のコースであ ると見る見方もあるが、むしろ定型を意識した上に立つての表現効 果の計算である場合の方が現代の短歌においては多いのではあるま いか。

 前段の若山牧水と島木赤彦については新しく生まれた用語を過去に適用した例であろう。後段からは「破調」が「字余り」に代わる用語でないこと、「字余り」で説明できない文体ないし主張から誕生した用語であるとの理解が伝わる。文明の「再び短歌の形式」がベースになった解説である。昭和五十三年に出た『現代短歌辞典』(角川書店)は「音数律と句数律の整斉を破った表現が破調」とし、『山谷集』を挙げている。『近代短歌辞典』と共通するのは「破調」の淵源を『万葉集』に見ていることだ。平成十一年に出た『現代短歌辞典』(岩波書店)は「甚だしい字余りや字足らず、あるいは句またがりや句割れによって定型の本来的な諧調を壊すことをいう」として茂吉の作品を挙げる。平成十二年に出た『現代短歌大事典』(三省堂)は句割れや句またがりで各句ごとの音数が合わない場合を広義の破調として『現代短歌辞典』とのニュアンスの違いを見せる。参考文献に「短歌声調論」を挙げる。流れとしては文明から茂吉にシフトした感である。
 さいごに私が連想する破調の作品を挙げておきたい。

  墓石は何の中心 雪はだらなるひるにおもへる
                       葛原妙子『原牛』
  秋雨の地にしみゆけばいまだも土に還らぬ骨の夫がいたまし
                       森岡貞香『白蛾』
  熱き飯に眼鏡くもらんとするにふと見えてくる人生もあり
                       瀬一誌『喝采』
  ふいの稲妻木の幹下る蟻の列 ち り み だ れ
                   橋みずほ『しろうるり』

 いずれも近代短歌以前の字余りでも句またがりでも説明できない、定型への負荷の高い、定型にとっては受難の作家たちである。そして新しい用語は新しい歌人の登場を準備する。その発端に散文化の時代があり、土屋文明がいて、水源『山谷集』を残したのであった。
参考
 狂歌を五句三十一音詩史に回収する 狂歌逍遙録 
句またがりの来歴   私の五句三十一音詩史 短冊短歌と応募原稿 
歌の未来図〜文語と口語〜  歌の未来図〜あるいは歌の円寂するとき〜  夫木和歌抄と狂歌 
 文語体と口語体 近代短歌と機知  狂歌とは何か〜上方狂歌を中心として〜 
 狂歌と歌謡〜鯛屋貞柳とその前後の時代〜 談林俳諧と近代語〜もしくは古代語からの離脱一覧〜  用語論〜鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない〜 
 用語論〜矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について〜  一本亭芙蓉花〜人と作品〜 一本亭芙蓉花〜その失われた風景〜 
仙人掌上玉芙蓉   近世の狂歌〜ターミナルとしての鯛屋貞柳〜 インタビュー「短歌人」  
 用語論〜文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ〜    



 別表第1.字余り(字足らず)の各句出現歌一覧         
区 分 初句出現歌 二句出現歌 三句出現歌 四句出現歌 結句出現歌 字余り歌の計/総歌数  比 率  字余り歌の内数計/総歌数 比 率
 万葉集 326(28)  237(8)  261(3)  217(2) 709(12)  1502/4173  36.0%  52/4173  1.2%
19(52) 14(15) 15(6) 12(4) 40(23)
 古今和歌集  77(0)  48(0)  51(0)  41(0)  108(0)  283/1102  25.7%  0/1102  −−
23(−) 15(−) 16(−) 13(−) 33(−)
 新古今和歌集  132(0)  46(1)  117(0)   51(1)   67(1)  378/1979  19.1%  2/1979  0.1%
32(−) 11(33) 29(−) 12(33) 16(34)
 ふゆくさ  67(0)  34(3)  33(0)  41(4)  18(0) 154/380   40.5%  7/380  1.8%
35(−) 18(43) 17(−) 21(57) 9(−)
 往還集 129(13)  94(21)  52(2) 146(29)  67(8)  351/649 54.1%  69/649  10.6%
26(18) 19(29) 11(3) 30(39) 14(11)
 山谷集 190(17) 174(47)  142(5) 244(93) 195(58)  572/852  67.1%  185/852  21.7%
20(8) 18(21) 15(2) 26(42) 21(27)
註1.初句から結句までの上段は作品数、()内は九音以上と字足らずを再掲した。下段は比率(%)、分母は各の「字余り句の計」(別表第2の※欄)である。
註2.各の「字余り歌の計」と、これに見合う上段の初句から結句の合計数は一致しない。詳しくは別表第2の合計欄を参照されたい。         



別表第2.一首中における字余り(字足らず)の出現度一覧
区  分 五句中1句出現歌 五句中2句出現歌 五句中3句出現歌 五句中4句出現歌 五句中5句出現歌 字余り歌の計 ※字余り句の計
万葉集 1267(84.4%) 223(14.8%) 11(0.7%) 1(0.1) 0(−) 1502(52) 1750(53)
古今和歌集 241(85.2%) 42(14.8%) 0(−) 0(−) 0(−) 283(0) 325(−)
新古今和歌集 347(91.8%) 27(7.1%) 4(1.1%) 0 (−) 0(−) 378(2) 413(3)
ふゆくさ 120(77.9%) 30(19.5%) 3(1.9%) 1(0.7%) 0(−) 154(7) 193(7)
往還集 246(70.1%) 78(22.2%) 22(6.3%) 5(1.4%) 0(−) 351(69) 488(73)
山谷集 312(54.6%) 176(30.8%) 58(10.1%) 23(4.0%) 3(0.5%) 572(185) 945(220)
註1.五句中1句出現歌とは初句から結句の何れか一カ所に字余り(字足らず)が出現すること、以下同様、()内は比率で分母は「字余り歌の計」である。
註2.「字余り句の計」は「1句×1+2句×2+3句×3+4句×4+5句×5」で別表第1の初句から結句の上段の数字の計と一致する。



  狂歌大観33人集 狂歌大観(参考篇)作品抄  「近世上方狂歌叢書」50人集 
狂歌史年表 YouTube講座「吉岡生夫と巡る五句三十一音詩の世界」  兵庫県高等学校文芸部の皆さん 熱いエールを送ります 



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