句またがりの来歴
吉岡生夫(「短歌人」平成18年9月号)
  一、はじめに

 大阪歌人クラブの春の大会で行われたシンポジウムのテーマは「塚本邦雄が遺したもの」だった。パネラーの一人として参加した私の関心は句またがりにあった。過去に石川啄木の『一握の砂』(一九一二年)の五五一首中一二六首、出現率にして約二三%といった例がないわけではない。だが塚本邦雄の登場以前と以後では大きな差がある。たとえば村木道彦の『天唇』(一九七四年)の二二七首中五五首、約二四%。俵万智の『サラダ記念日』(一九八七年)の四三七首中二一七首、約五〇%ほか枚挙に遑もないが、いわば句またがり隆盛の時代が続くからである。
 もちろん源流は塚本邦雄、一九五一年の『水葬物語』に端を発する。二四五首中一七六首、比率にして約七二%である。
 しかしそれ以前がはっきりとしない。気になるのは『韻律から短歌の本質を問う』に収められている高野公彦の「句またがりは、俳句では古くから用いられた手法だが、短歌ではなかなか用いられず、塚本邦雄の出現以降ようやく盛んになった」(「定型があってこそ面白い」)であったり、来嶋靖生の「句またがりは、好ましくないとされる時代が久しく続いたのですが、(略)、近年ますます増加傾向にあり、短歌に新しい感覚を導く貴重な導火線となっています」(『短歌の技法 韻律・リズム』)の前半部分であったりする。
 句またがりの定義として小池光が「句の溶接技術」(現代短歌文庫『小池光集』)で提唱する説がある。すなわち「文節のおわりと句の切れ目が合致しない時、これを『句またがり』という」であり、分類としては「合成語切断」「付属語分離」「単語解体」がある。例歌は塚本邦雄の『緑色研究』、一例づつ紹介する。

 ミキサーの底の莓の緋の涯のあざやかに無血/革命とほき
 欲望をみなもととして変電所/までむらさきの電線けぶる
 世界の黄/昏をわがたそ/がれとしてカルズーの絵の針の帆柱

 これに従うと塚本邦雄以前に溯るのは容易でない気もするが、しかし狂歌を視野に入れると事情は違ってくる。
 こうして私の関心は「塚本邦雄の遺したもの」から五句三十一音の定型詩史における句またがりの来歴へと拡がっていった。

   二、塚本邦雄

 とりあえず辞典の類を調べてみることにした。新しいものから古いものへと辿っていくのである。直近では二〇〇〇年の『現代短歌大事典』(三省堂)である。「句またがり」の項目がある。執筆は安田純生、「句またぎ」という呼び方のあること、参考文献として川本皓司『日本詩歌の伝統』を挙げているのが特色、例歌は塚本邦雄(以下、斜体は筆者)。

 あたらしき墓立つは家建つよりもはれやかにわがこころの夏至

 一九九九年の『現代短歌辞典』(岩波書店)は「句またがりと句割れ」の項目、執筆は小塩卓哉、例歌は上田三四二である。次の第四句が句割れ、小池説に言及している。

 ねこじやらしなど野の草は穂をたれてあらんあかるき秋津辺の道

 一九七八年の『現代短歌辞典』(角川書店)は「句またがり」の項目、執筆は中野菊夫、例歌は土岐善麿晩年の作と思われる。

 ひようびようとして 月面を踏みし影遠く 人間は地上に帰るほかなし

 一九五〇年の『近代短歌辞典』(新興出版社)に「句またがり」の項目はない。そしてここで足跡は途絶えるのである。一九四一年に『短歌文学辞典』(三笠書房)が出ているが、これは詠歌辞典である。一九三六年の『作歌辞典』(改造社)も同様、一九〇七年の『新派和歌辞典』は入門書兼歳時記の類である。
こうしてみると角川の『現代短歌辞典』に項目として「句またがり」が採用されたのは塚本邦雄の功績と思われる。大岡信との論争で有名な「僕は朗詠の対象になる短歌をつくりたくない。結果的には語割れ、句跨りの濫用になっても些も構うことはない」を含む「ガリヴァーへの献詞」の発表が一九五六年、『定型幻視論』に収録されるのが一九七二年、それでも「句またがり」の例歌に塚本作品が登場するのは二〇〇〇年だった。『水葬物語』が出て約半世紀経っている。

   三、用語

 では用語としての句またがりの初出はどこにあるのか。短歌で途絶えたので和歌そして同じ定型詩である俳句と川柳を辞典で調べてみた。まず一九八六年の『和歌大辞典』(明治書院)には項目として「句跨り」がある。歌学用語、「句またぎ」ともある。例歌は『後拾遺和歌集』より藤原通雅である。

 今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな

 一九八二年の『和歌文学辞典』(桜楓社)は項目として「句またがり」。歌学用語、「またぎ」ともあって、例歌は『新古今和歌集』より藤原雅経の一首を引く。

 うつり行く雲に嵐の声すなり散るかまさきの葛城の山

 一九八二年の『和歌文学大辞典』(明治書院)は項目「句またがり」、作歌用語、例歌は『新古今和歌集』より西行の作品を引く。

 きりぎりす夜寒に秋のなるままによわるか声のとほざかりゆく

 一九〇九年の『和歌新辞典』は歳時記風、ここより「跡なき山の峰の白雲」である。
 俳句を見てみよう。二〇〇五年の『現代俳句大事典』(三省堂)は「句またがり」の項目なし。ただし「俳句の構成」の中の実例「破調と句またがり」で取り上げられている。例句は芭蕉と能村登四郎である。

 海暮れて鴨の声ほのかに白し
 子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま

 一九九五年の『俳文学大辞典』(角川書店)は項目「句またがり」、俳句用語として右の芭蕉の句と山口誓子の作品を例示する。

 虹のぼりゆき中天をくだりゆき

 一九五七年の『俳諧大辞典』(明治書院)になると「句またがり」の項目はない。
 次に川柳を調べてみた。一九八四年の『川柳総合事典』(雄山閣出版)しかないが「句跨ぎ」がある。「句渡り」がある。「胴切り」がある。説明があるのは「胴切り」だが相当に盛んであった様子が窺える。内容は形式用語として柳足留と蛙生の作品を例示する。

 蝿は逃げたのにしずかに手をひらき
 もう焼けたのかと父の骨を拾う

 想像だが過去に句またがりを忌避する風潮があったとすれば、それは句またがりという実態よりも、偏見から出発していたのではないか。句跨ぎであれ、句渡りであれ、歌人は川柳人と繋がりたくなかったのである。

   四、斎藤茂吉

 項目として「句またがり」はないが、一九五〇年の『近代文学辞典』(新興出版社)に「声調」の項目があり、この中に「句割」が出てくる。執筆者は鹿児島寿蔵、参考文献に斎藤茂吉の『短歌声調論』がある。これを捲ると字余りの例の中に次の二首があった。

 阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣に冥加あらせたまへ        伝教大師
 物いはぬ四方の獣すらだにもあはれなるかな親の子を思ふ           源実朝

 一首目の初二句は句またがりと思うのだが二句と結句を字余りとして説明しているだけである。同様に二首目は二句から三句にかけてが句またがりと思うのだが、これも四句と結句を字余りの例として説明するだけである。そして「字不足、字余の音の増減の限界は数学的に行かないこと無論であるから、歌人はただ句単位五個の声調といふことを自覚し」云々と注意を促している。
 反対に句割れの例については厳しい。橘守部に拠るとして『類題草野集』の作品を引く(あとで触れるが橘守部は近世の国学者、歌挌研究で知られる。『類題草野集』は一八一九年刊、初学者の座右の書であっらしい)。

 植ゑてこの春きて梅のはつ花に初音たぐへよそののうぐひす
 咲くやこの花はなにはのえもいはず霞にこめてかをる明ぼの

 いわく「句単位は独立せずして、割れて居り、手爾遠波(てにをは)が乱用され、声調から看れば非常に軽薄下賤に響くのであるが、その原因は正しく句割と手爾遠波の乱用に基づく」。なるほど二首とも初句が割れている。しかしそれに続く「この春」「この花は」は句またがりと思うのだが言及していない。なお同じ句割れでも『古今和歌集』の場合は「不自然に響かない。やはり詞の順直なのであるといふのは守部の説である」としている。
 もうひとつ。全集に「羽衣駁撃」がある。こともあろうに斎藤茂吉の作品を批評するのみならず添削してしまった人物がいるのだ。昭和十三年、茂吉五十六歳、芸術院会員、押しも押されもせぬすでに大家であろう。

 しづかなる峠をのぼり来し時に月のひかりは八谷を照らす

 二句から三句が句またがりである。添削されて「静かなる夜みちの峠のぼりくれば月はくまなく八谷をてらす」となる。句またがりは解消されているが、添削した側からも「武島羽衣先生の歌評を駁撃す」る茂吉の口からも句またがりの語は出てこない。
 同じ全集の十九巻に「感心せざる歌五首」というのがある。昭和七年の文章で柳原 子すなわち白蓮の作品が対象となっている。その中に次の一首があって興味を引いた。

 あつくるしく向日葵の花のまはるよりいつかの夏の思ひ出かしら

 ゆるいが四句から五句にかけて句またがりの感じである。茂吉いわく、結句の「思ひ出かしら」「これは、『思ひ出か知ら』で、『思ひ出か知らん』といふ口語と同じものだが、その口吻が暇つぶしの豪奢夫人の甘つたれる口吻である。一体何の思出か。沈痛な人生経験の思出ではなくして、有閑婦人の恋愛ままごとの思出か、否か」。これだけである。
 どうやら句またがりそのものは声調の阻害要因ではなかったらしい。

   五、例歌

 次に和歌の時代はどうか。『新古今和歌集』に現れた句またがりを集計すると一九七九首中三四一首、出現率にして約一七%、入集歌の多い作者では定家の約二六%が目立つ。

 わくらばに訪はれし人も昔にてそれより庭の跡は絶えにき        藤原定家
 荻の葉に吹けば嵐の秋なるを待ちける夜半のさ牡鹿の声        藤原良経
 桐の葉も踏み分けがたくなりにけりかならず人を待つとなけれど    式子内親王

同様に『古今和歌集』が一一〇六首中十五首、出現率は約一・四%であった。

 人知れず思ふ心は春霞たちいでて君が目にも見えなむ         藤原勝臣

 『万葉集』は四二〇七首中三二首。ないと思ったがあるものだ。出現率は〇・七%。

 楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ           柿本人麻呂
 一二の目のみにはあらず五六三四さへありけり双六の頭        長忌寸意吉麻呂
 うぐひすの鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか      大伴家持

 なお句またがりの定義は従来説に拠ったが、それだけに迷うことが多い。唯一の物差しは句またがり感の有無であり、そうした個人差を含む集計値であることを承知されたい。  次に狂歌は天明狂歌を選んだ。一七八五年の『徳和歌後万載集』八六四首中一四一首、出現率は約一六%。ついでに一八一八年の『蜀山人自筆百首狂歌』は一〇〇首中一九首、出現率は一九%となる。しかし例歌は天明狂歌より古い『近世上方狂歌叢書』『狂歌大観』から、時代にして一七五十年から安土桃山期、しかも小池説を意識しつつ選んだ。

 さむき夜に独は寝ずに居られじと炉の火もせせりおこし社すれ   『狂歌手なれの鏡』
 もしも雨ふらばさしあげ申さんと今日の御幸や松たけの笠      『雅筵酔狂集・腹藁』
 今日よりは算用いらず人間の八く七十二にて皆済           『古今夷曲集』
 池におとす経とりあぐる跡に猶残る妙法蓮 華いくもと         『詠百首誹諧』

 枕詞、序詞、掛詞、縁語など和歌特有の修辞が後退すると句またがりが露出する。もちろんこれは和歌の場合も同様であろう。

   六、結語

橘守部は『短歌撰挌』(『橘守部全集』第十一巻)で「古き歌の詞づかひは凡て正順なりき」として『万葉集』を第一とした。その基本は「句中に他物を混へず、一句の詞の中間わかれて二句に跨らず、五句たしかに居て、句末に助辞をおく」で、たとえ「句の中間に助辞をくはへても詞の順直なるは、句中の割れ破るる事なし」という。助辞とは先に茂吉が書いていた「手爾遠波」もしくは助詞と助動詞を含めた総称であるらしい。初出云々は別として、このあたりから句またがりが表面化したのであろう。一九四八年に出版された五十嵐力の『国歌の胎生及び発達』を読むと「俗に謂ふ句割れ及び句またがり」とある。これが実態であったらしい。そして否定的に用いられる用語は辞書に載らない。その辺の事情は「言いさし」と似ていなくもない。
 さて久松潜一は『日本文学評論史 総論・歌論・形態論篇』の「歌挌研究史」で「五七調が正しき形式であつて七五調が堕落であつたと見る事は殆ど形式研究家の一致するところである」と述べる。突如として正岡子規が登場したわけではないのである。
 順風の和歌、順風の狂歌、それに対して逆風の短歌であることがわかった。それを順風に押し返したのが塚本邦雄であったろう。
 程度の差はあれ、五句三十一音の定型詩は句またがりと句割れ、また字余りや字足らずとともに長い歴史を歩んできた。いわば定型にとっては古くて新しい修辞なのである。
参考
 狂歌を五句三十一音詩史に回収する 狂歌逍遙録 
私の五句三十一音詩史  短冊短歌と応募原稿  歌の未来図〜文語と口語〜 
歌の未来図〜あるいは歌の円寂するとき〜  字余りからの鳥瞰図〜土屋文明『山谷集』〜  夫木和歌抄と狂歌 
文語体と口語体  近代短歌と機知  狂歌とは何か〜上方狂歌を中心として〜 
狂歌と歌謡〜鯛屋貞柳とその前後の時代〜  談林俳諧と近代語〜もしくは古代語からの離脱一覧〜  用語論〜鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない〜  
 用語論〜矮小化された近世狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について〜 一本亭芙蓉花〜人と作品〜  一本亭芙蓉花〜その失われた風景〜 
仙人掌上玉芙蓉  近世の狂歌〜ターミナルとしての鯛屋貞柳〜  インタビュー「短歌人」  
用語論〜文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ〜 口語歌、口語短歌は近代の用語。今は現代語短歌なのだ    仮名遣いと五句三十一音詩 



 「狂歌大観」33人集  「近世上方狂歌叢書」50人集   夫木和歌抄の歌人たち 
狂歌年表 YouTube講座「吉岡生夫と巡る五句三十一音詩の世界」 兵庫県高等学校文芸部の皆さん 熱いエールを送ります 

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