歴史的仮名遣いとは何か? 「仮名遣いと五句三十一音詩」で実を結ぶとは思いもしなかった、小さな一歩!!


日本語と五句三十一音詩
𠮷岡生夫(「半どん」第149号、2007年12月)
     一

 平成十八年に出版した小著『あっ、螢 歌と水辺の風景』(六花書林)の「後記」に私は「引用歌・引用文については、その都度、出典を明らかにした。引用箇所には濁点を付け、句点を設けるなどしたが必ずしも徹底していない。特に仮名遣いの誤用は直すことによって失うものがあるような気がしてならなかった」と書いた。あのときのためらい、逡巡、それらが綯い交ぜになった思いとは何だったのだろう。
 具体的には狂歌と良寬だった。狂歌は『狂歌大観』(明治書院)・『近世上方狂歌叢書』(和泉書院)・『江戸狂歌本選集』(東京堂出版)に拠った。まず『狂歌大観』の凡例を見てみる。「文字」は「①漢字・仮名ともに、現行通用の字体に従うことを原則とした」「②ふり仮名は、底本に従った」「③ふり仮名・送り仮名の中に、片仮名・平仮名が混用される場合は、適宜その一方に統一した」「④特殊な略体・合字・草体・連字体は、すべてそのよみに従って現行の字体によって表記した」とある。しかしこれだけではよくわからない。『近世上方狂歌叢書』になると「原本の表記については、できるかぎり原本のおもかげを残すことに努めた」という一節があってわかりやすい。『狂歌大観』も、実はこの方向なのだ。『江戸狂歌本撰集』も同様で「凡例」に「翻字に当たっては、できる限り底本に忠実にするよう心がけたが、活字化の都合上およそ次のような方針を取った」とある。つまり「漢字」の扱いとして反復記号は三種とする旨、「仮名文字」の扱いについても「清濁は原本のままとした」「ルビは底本通りとした」、さらに仮名の反復記号は四種とする旨などが挙げられている。良寬の場合はどうか。『良寬全集』(創元社)下巻より引用する。塩入れをもらったが、その蓋がない。

  世の中にこふしきものははまべなるさざいのからのふたにぞありける

 弟の由之に宛てた書簡である。蓋の代用品を依頼したのであった。「こふしき」は「こひしき」、同書簡では「そそふ」(「粗相」で正しくは「そさう」)・「やふやく」(「漸く」で正しくは「やうやく」)・「いりよふ」(「入り用」で正しくは「いりよう」)と誤りが少なくない。「こふしき」は「和歌」の方では「こひしき」に改められている。こちらに従う方法もあったが、考えた末に原文のままとした。谷川敏朗が『良寬の書簡集』(恒文社)の「ことわりがき」で「良寬の書簡には、ほとんど濁点や振り仮名がついていない。しかし、便宜上これに濁点をつけ、読みにくい漢字には仮名を補った。原文には仮名遣いの誤用もあるが、特別な場合を除いてそのままにした」と書く。谷川の姿勢に倣ったのであった。

     二

 では『万葉集』や『古今和歌集』を引用する場合はどうなのか。前者の場合は考えなくてもいいだろう。なにしろ万葉仮名すなわち漢字だけで書かれているのだ。素人がどうのこうのという世界ではない。『古今和歌集』の場合はどうなのか。小学館の『日本古典文学全集』の第七巻を開くと「凡例」に「濁音と推定される語には濁点を加え」といった箇所があったりする。また「仮名づかいは歴史的仮名づかい」に拠ったとある。念のために和歌の集大成ともいえる『国歌大観』(角川書店)の凡例を見てみよう。「表記は底本のそれをできるだけ尊重したが、よみやすさへの配慮から、次のような処置をとった」として「仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一した」「反復記号は用いなかった」「清濁は区別して示したが、清濁をこえた掛詞として用いられるものについては、原則として清音とした」などを見ることができる。
 この方針は『狂歌大観』『近世上方狂歌叢書』『江戸狂歌本撰集』と対照的だ。読みやすさに配慮するのか、おもかげを残すのか。その差は歴史的仮名遣いで統一するのかどうか、清濁は区別するのかどうか、反復記号をどのように扱うのか、おおむねこの三点に絞られる。『あっ、螢 歌と水辺の風景』で私が迷ったのも、これだった。おもかげを残す。あるいはおもかげを辿りたい、『良寬の書簡集』が選んだのは後者である。あるいは敬うという気持ちだったかも知れない。

     三

 そんなことを改めて思い出した。むしろ強く反省させられるきっかけとなったのはメールマガジン「狂歌徒然草」を発行してまもなくであった。キャッチフレーズは「五句三十一音の定型詩は名称を変えつつ時代の波をくぐり抜けてきた。そこには先行する五句三十一音詩の衰退があり、それを受けた復活劇があった。このような視点から『狂歌大観』『近世上方狂歌叢書』『江戸狂歌本選集』の世界を歌人の目で探訪します」。予定では『狂歌大観』の本篇と参考篇から百回、『近世上方狂歌叢書』と『江戸狂歌本撰集』から百回、併せて上下二巻本にするつもりで現在も進行中である。

  さぎのゑに身はならはなれおもひかわ一たひあふてうかぶせもかな

 初めは歴史的仮名遣いで統一するつもりだった。清濁も示すつもりだった。繰り返し記号は用いないつもりだった。しかし訂正が予想以上に多かった。右は第九回『四生の歌合』で取り上げた一首である。作者は「どぢやうのぬらりの助」、判者は「くぢらのだんざへもん」、この「うをのうた合」を含む「四生の歌合」の作者としては木下長嘯子が擬されている。豊臣秀吉の妻、北の政所の甥、当時では第一級の文化人である。ところが、その人に対して、

  掲出歌は十二番「はいかいうた」、判に「思ひ川に身を沈め、苦しみに心を腐さんより一  たび逢ふて浮かぶ瀬侍らば、たとへ鷺の餌に身はなるとも悔い悲しまじといへるにや」と  ある。原文では「悔い」は「くい」、アバウトな表記も念頭にあるが「食ひ」と同音であ  る。

と、やってしまった。いくら何でも「アバウト」はないだろう。ともあれ三句の「かわ」は「かは」、「あふて」はウ音便「あうて」で「鷺の餌に身はならばなれ思ひ川ひとたび逢うて浮かぶ瀬もがな」となる。判者も「弾左衛門」なら「だんざゑもん」であろう。訂正の蓄積が長嘯子に至って爆発したのであった。そして爆発したあとで真相が見えてきた。

    鹿の毛は筆になりても苦はやまずつゐにれうしの上で果てけり

  作者は雄長老。狂歌集によっては別人作となる。もし『新撰狂歌集』の編者が雄長老なら  詮議も不要であろう。「れうし」は料紙、これに猟師を掛けている。但し「料紙」は「れ  うし」だが猟師は「れふし」で完全一致しない。現代仮名遣いなら百点だが歴史的仮名遣  いならどうだろう。「つゐに」も本来なら「つひに」であり、先にアバウトとも書いた。  しかし最近になって原因は発音と表記のズレという日本語の問題だと気がついて修正を放  棄した。

 第十四回の抄出である。つまり『新撰狂歌集』に至って、伝家の宝刀のように振り回していた歴史的仮名遣いが雄長老や木下長嘯子の知るところではなかったということに気がついたのであった。不遜な態度が思い遣られて恥ずかしい。

     四

 おさらいをするならば平仮名が生まれた平安時代は発音と書写が対応していた時代であった。加えて言文一致の時代でもあった。時代が下がると話し言葉と書き言葉は乖離していく、言文二途である。そのときに出発点である平安時代の言語体系を志向するのが文語体短歌であるならば、保守的な書き言葉に対して変化する話し言葉に依拠するという選択肢もあった。言葉の歴史の上では近代語の形成期である。

  ほとときす鳴たあとしやとあきらめて只有明の月をみていの       芥川貞佐
  むさしのの末広がりにはるかすみたてた烏帽子と見るふじの山     黒田月洞軒

 さて発音と書写の関係であるが昭和六十一年七月一日付内閣訓令第一号「『現代仮名遣い』の実施について」を覗くと「九世紀に至って,草体及び略体の仮名が行われるようになり、やがて十一世紀ごろ、いろは歌という形での仮名表が成立したが、その後の音韻の変化によって、『いろは』四十七字の中に同音の仮名を生じ、十二世紀末にはその使い分けが問題になり、きまりを立てる考え方が出てきた。藤原定家を中心としてかたちづくられていった使い分けのきまりが、いわゆる定家仮名遣いである。定家仮名遣いは、ときに、その原理について疑いを持たれることもあったが、後世長く歌道の世界を支配した。次に、一七〇〇年ごろになって、契仲が万葉仮名の文献に定家仮名遣いとは異なる仮名の使い分けがあることを明らかにし、それ以後、古代における先例が国学者を中心とする文筆家の表記のよりどころとなった。一方、字音については、その後、中国の韻書に基づいて仮名表記を定める研究が進んだ。この字音仮名遣いと契沖以来の仮名遺いとを合わせて、今日普通に歴史的仮名遺いと呼んでいる」(「仮名遣いの沿革」)とあった。物差しが違うのである。しかも波間に揺れる笹船、混乱を抜けきっていない。

     五

 その結果、私のメールマガジン「狂歌徒然草」では基本的に歴史的仮名遣いを放棄した。『狂歌大観』『上方狂歌叢書』『江戸狂歌本撰集』のおもかげを残す方向に加担することにしたのである。清濁もそのままである。但し、反復記号と送り仮名は今日風に改めた。読者にとっては読み辛い、見辛い面もあるが、それを犠牲にしてでも、ありのままの日本語に向き合う機会を大切にしたいと思った。とりわけ清音に濁点が付されていく過程を観察できるのはありがたい。逆にいえば清音表記が真骨頂であったと思われる和歌の方は、現代の読者にとっては非の打ち所のない、どこまでも続く舗装道路である。それが当たり前と思っていたところに突如として姿を現した地道、それが狂歌の世界であった。おもかげを辿る、その懐かしさは、この地道を歩く楽しさのようでもある。


参考
私の五句三十一音詩史 初出は「短歌人」平成19年3月号。『狂歌逍遙』第1巻所収。  
用語論~鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない~ 初出はホームベジ(2016.2.12) 
用語論~矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について~ 初出はホームベジ(2016.2.19) 
用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~  初出はホームベジ(2017.3.10) 
仮名遣いと五句三十一音詩  初出はホームベジ(2018.5.25) 
狂歌徒然草  メールマガジンを経て、平成19年2月1日より発信を続けています。 
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五句三十一音詩のツールとしての言葉について~内容もさることなから~ 



少し長いので、YouTubeでは3分26秒、全体を見渡すには便利です。

 

  用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~



現代語短歌のすすめ、YouTubeなら3分15秒、見え方が少し異なります。

  
 

用語論~鯛屋貞柳を狂歌師と言わない~


 
狂歌とは何か、youtubeなら3分35秒、見え方が少し異なります

用語論~矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について~

  
近世の狂歌、YouTubeなら3分35秒、見え方が少し異なります
 

 
短歌変質論
 
私は尋ねたい
いわゆる「文語体歌人」のあなたに
なぜ古典文法なのか?

口語歌の万葉集から
平仮名が生まれ
言文一致の古今和歌集へ

やがて時代は
古代語から近代語へ
その過程である中世語の時代において
言文は二途に開かれ

明治大正昭和を経て
再び原点に回帰した
-読み書き話す-

ところで
あなたの短歌は
その変質した時代の五七五七七を良しとするのか?
いわゆる「文語体歌人」のあなたに

私は尋ねたいのだ


  
甦れ! 五句三十一音詩 
 
① 古今和歌集(10世紀)の五七五七七=日常語
② 古典語歌人(21世紀)の五七五七七=非日常語
③ 現代語歌人(21世紀)の五七五七七=日常語

∴ ① ≠ ②
   ①=③  

歌の原初から江戸時代の近代語さらには明治の言文一致運動を顧みるとき、甦れ!五七五七七、歌を滅亡から救うものがあるとするならは、日常語以外に何があるというのか。