文語体と口語体
𠮷岡生夫
     一 宮地伸一と安田純生

 歌言葉の専門家として著名な歌人に宮地伸一と安田純生がいる。宮地には『歌言葉雑記』(短歌新聞社)と『歌言葉考現学』(本阿弥書店)の二冊の著書があり、安田は『現代短歌のことば』『現代短歌用語考』『歌ことば事情』の三冊を邑書林から出している。この二人の本を読み比べると、その違いがはっきりして面白い。
 たとえば形容詞のカリ活用について二人の意見を聞き比べてみよう。周知のように用例が「多し」に限られるため文法の本では活用表の終止形の欄は空白になっている。つまり終止形はないのである。ところが近現代短歌において連用形「かり」を終止形とする歌は珍しくない。この現実を背景として宮地は活用表が「カリ活用の終止形を空欄にして認めないというのはあまりに不自然である」(『歌言葉考言学』所収「遠かり――カリ活用につき」)と主張する。逆に終止形が空欄であるのは打ち消しの助動詞「ず」の場合も同様で、やはり連用形「ざり」を終止形とする歌も珍しくない。ところがこちらについて宮地は「何か収まりが悪い」(『歌言葉考言学』所収「『楽にならざり』」)と否定的なのだ。では安田純生はどうかといえば「『悲しかり』も『在らざり』も、近代の文語体短歌における非文語的な要素を示している。現代短歌には、一見、文語ふうの表現でありながら、実際にはそうでないものがある。逆の見方をすれば、それらの非文語的要素を、現代の文語体を特色づけるものとして捉えることもできよう」(『現代短歌のことば』所収「悲しかり・あらざり」)と客観的である。
 おそらく宮地伸一も、その一人あることを免れないだろう。安田純生の「歌人の気まぐれ」(『歌ことば事情』)から引用する。

  文語の体系のなかになかった言い方が、すべてうるさく指摘されているかというと、そう  ではない。(略)。文語の体系になかった言い方=誤りのなかにも、大いに問題にされる  ものと、あまり問題にされないものとがある。何か確固とした基準があって、問題にした  り問題にしなかったりしているとも思えない。歌人は、文法に対して気まぐれであるとも  いえよう。

 もう一つ「ひそけし」の場合を見てみよう。宮地は釈迢空と斎藤茂吉の用例を引きながら「古典に例がなくても、近代現代の短歌に普通に用いられているのであるから、広辞苑などで採用しないのは、編集者の怠慢であると言ってもいいのではあるまいか」(『歌言葉考言学』所収「ひそけし、かそけし」)と強気である。対する安田は「ひそけし・さはやけし」(『現代短歌のことば』)の中で近代詩歌語という概念を導入し、その一環として「終止形の語尾が『…けし』のかたちをとる形容詞」について言及する。ちなみに近代詩歌語とは「明治以後、詩人や歌人によって数多くの古語風新語(一見、古い時代の語彙にあるようで、実際にはなかった新語)がつくられた(略)。そのような語」(「ひそけし・さはやけし」)で「祖父(おほちち)」「祖母(おほはは)」ほか枚挙に遑がない。
 ここまでくると安田純生の文語に対する基準についても紹介しておく必要があろう。「文語と〈文語〉」(『現代短歌のことば』)から引用する。まず「貫之の生きていた時代では、書きことばと話しことばとの間に、まったく同じとまではいえないにしても、それほど大きな違いはなかった」と述べて「文語には二つの種類がある。一つは、貫之の生きていた時代すなわち平安時代の言語体系を意味する文語であり、もう一つは、その言語体系を志向した言語を意味する文語である。二種ともに文語と呼んでいたのでは、どうもややこしい。前者の文語と区別して後者を文語体と呼んでもいいが、さしあたり、後者をヤマカッコ付きの〈文語〉とし、前者を単に文語として」扱う。ここからである。

  〈文語〉が成立したのは、日常生活のなかの言語がどんどん変化して文語の体系が崩れて  いくにもかかわらず、和歌を詠んだり文章を書くときには、古い時代の言語体系にのっと  っていこうとしたためである。〈文語〉は、本来、文語に一致しているのが理想であった。  しかし文語と日常語との差が大きくなればなるほど、文語と一致した〈文語〉を書くのは  困難になる。文語と日常語との差が大きくなれば、文語についての正しい知識を得るのが  難しいうえ、文語を使っているつもりでも、日常語が折々に顔を出して似て非なることば  になりがちである。その結果、〈文語〉は、時代がたつにつれて変化していく。

 さらに、

  室町時代や江戸時代の〈文語〉には、誤用が頻出する。平安時代の文語と室町・江戸時代  の〈文語〉を同一視し、〈文語〉を証拠にして正しい文語であると主張したりするのは、  いささか問題がある。〈文語〉が文語であることが、〈文語〉によって証明されたりはし  ない。

というのである。まして現代短歌の〈文語〉に於いてをや。しかし安田純生は原理主義者ではない。宮地伸一が読者を誘導するとすれば安田は覚醒させる。そこが違うのだ。

     二、歌人の気まぐれ

 宝暦八(一七五八)年に刊行された栗柯亭木端撰『狂歌かかみやま』(『近世上方狂歌叢書一』)を見ていたら次のような作品があった。

  いぬかひと男星をいへはかのえ申はわるい出合とおもほへらるる

 題は「七夕ノ庚申」、作者は木端である。男星(おぼし)は彦星のこと、彦星は犬飼星とも云う。牽牛星と織女星の出会う七夕の月が庚申だったので四句「わるい出合」(犬猿の仲)と云ったのだろう。私が目を留めたのは結句の「おもほへらるる」であった。
 宮地伸一が『歌言葉雑記』の前半で「思ほえば」を取り上げ、後半で「思ほへば」を取り上げ、『歌言葉考言学』の前半の「『思ほへば』など」で言及し、中頃の「目をあきて」で態度に変化が現れ、後半の「星のしたび」で再び取り上げるが、それだけではない。余白が出たといっては用例で埋めるこだわりの「思ほえば」(思ほへば)であり、しかも五度目の「星のしたび」では私の「おもほへば」も登場する、因縁の「おもほへば」でもある。
 一回目。茂吉の用例を示して「『思ほえば』(つまり、『思ほゆ』の未然形『思ほえ』に『ば』がついた形。)」は「これから先のことを仮定しているのに、茂吉のは『思われるので』と既定の条件に使っている」。しかし先例を開いたのは土井晩翠の「おもほへば」であり、「茂吉はこの誤用に気づいたらしく、その後使用しなくなった。ところが現代でも平気で使う御仁がいる。しかも『思ほへば』などと仮名違いまで加えて。」さらに「『おもほふ』などという動詞はもともと存在しない」と展開する。ともあれ木端の「おもほへらるる」は「おもほふ」の未然形に助動詞「らる」が接続した形になる。当然のことながら土井晩翠より古い。
 二回目。馬場あき子ほかの「思ほへば」の用例を示して、一回目の繰り返し、そして「要するに『思ほへば』は、無理な言葉である。これに市民権を与えるのは、古典に対する冒涜であるとさえ私には思われる」とヒートアップする。
 三回目。「思ほえば」「思ほへば」引っくるめて「また繰り返すのもどうかと思うが、相変らず誤用がまかり通っているとも言えるようなので、またここに記してみることとした」。うち「思ほへば」については「そういう言い方が成立するには元来『思ほふ』というハ行に活用する動詞が存在しなければならないのに、そういう動詞は今も昔も日本語にはない」。
 四回目。武川忠一と坂井修一の用例を示し、「無理が通ると道理は引っ込む。これはやむを得ない特例としてもう認めるほかないであろうか」とトーンダウンする。
 五回目。私の「おもほへば」も登場するが問題はそのあとである。「なお『思ほえば』と書いても、語法的には誤であることは、私がしばしば指摘した通りである」に続けて、

  秋水に石榴一顆(せきりゆういつくわ) おもほえば歌ひて喪ふ言(こと)かず知らず

「塚本邦雄氏のこの一首を『献身』に発見してやんぬる哉と私は長大息した。もう一つの言語現象として認めなければいけないものなのかも知れない」とは何事か。
 私は笑ってしまった。
 ちょうど前登志夫の『大空の干瀬』を読んでいたときで、そこにも「思ほえば」の用例を見つけたからである。

  おもほえば三輪山神話の神々の人戀ほしめりかなしかりけり

 定見を持たない歌人のミス・リード、滅びの笛に踊らされてはならないのである。

     三 異端の人、土屋文明

 宮地伸一の『歌言葉雑記』に斎藤茂吉は「茂吉」として登場するが土屋文明はしばしば「土屋先生」として登場する。その土屋文明が安田純生の「歌人の気まぐれ」(『歌ことば事情』)に登場する場面があるので引用する。

  五十年前に土屋文明は、「現在の短歌が使つてをる文語といふものは、これは厳格な意味  においての文語ではない。(中略)さういつた批評が文法学者なんかからはしばしばされ  るのでありますが、それは私はその通りだと思ふ」という認識を示し、「それが全く日本  語として通じないものといふ風になればとに角、まあとにかく日本語として通じてをる」  (『新編短歌入門』所収「短歌の現在及び将来に就て」)といっている。しかし、現在で  も広く「日本語として通じ」、作者と読者を繋いでいるかどうか、あるいは、今「通じて」  いるとしても、これからも「通じて」いくかどうか、ちょっと、いや相当に気がかりであ  る。

 また宮地伸一は「居れり・死にぬ」(『歌言葉雑記』)で、

  「居れり」の茂吉の例は「やまみづのたぎつ峡間(はざま)に光さし大き石ただにむらがり居れり」  (あらたま)その他がある。この「むらがり居れり」につき土屋文明先生は「『居れり』  という語法は標準文語文法では違法ということになっているが、吾々の使う文法は、そん  なことはかまわないのだ。」(「斎藤茂吉短歌合評」)と明快である。茂吉、文明の間に考  え方の多少の差がある。

と書いている。これは茂吉が「居れり」「死にぬ」は間違いだから「こういうのはアララギの選歌にあったら直してくれたまえ」と云ったという『童馬山房随聞』(佐藤佐太郎)の記事から始まっている。茂吉は間違いを承知で使っているのである。しかし文明との間が「多少の差」とは考えられない。「『食(を)す』と茂吉」(『歌言葉考言学』)に茂吉の「食(を)す」という用例に対して「国語学者の金田一京助が、自分の『飯を食ふ』ことを『飯を食(を)す』と言うのは、『食(を)す』は『召し上がる』『食し給ふ』ということだから、田舎出の女がうっかり『私がおつしゃった』とまちがうようなものと批判した」という記事がある。茂吉は「何もびくびくする必要はないと宣言した。そして用語に対する作家の態度は自主的たるべく、極端にいうなら用語は作家の自由勝手たるべきものとまで息まいてしまった」。しかし「結局金田一の批判が常に頭にあり、それ以後は『自主的な用語』の使用を中止してしまった」というのであるが、時の「標準文語文法」に拠るか、「吾々の使う文法」に拠るかは、正統と異端の分岐点でもある。
 土屋文明の著書に『万葉集私注』全二十巻がある。『万葉集』の専門家であるが、不思議なことに本居宣長が発見した字余りの法則に触れるところがない。それが「吾々は五七五七七の五句三十一音から成立して居る詩的形式を短歌と呼んで居る。勿論これは中心形式を示すだけで、実際の作品では音数にも数音の増減があり、各句の区分も必ずしも五七五七七と典型になって居らない場合もあるのであるが、それ等を引きくるめて短歌と呼ぶことは、昔も今も変りはない」(『短歌入門』所収「短歌概論」中「一 短歌の形式」。傍点筆者)や「短歌は一首を一息によみ下すのが本体であつて、ただ句間にたまたま小休止の出来ることがあるに過ぎない」(『短歌入門』所収「短歌概論」中「四 歌の調子」)また「短歌に破調の存することは決して短歌の形式を軽んずることからは生ぜず、又破調の存することが無形式の自由律への移行の根拠とならない」(『短歌入門』所収「短歌概論」中「五 再び短歌の形式」)という発言を可能にしたとも云える。対する茂吉は「短歌声調論」(岩波書店『斎藤茂吉全集』第十三巻)で字余りの法則について触れ「この字余(じあまり)、字不足(じたらず)は、おのおの句単位のそれぞれが破れるのである」と述べ、総括して「字不足、字余の音の増減の限界は数学的に行かないこと無論であるから、歌人はただ句単位五個の声調といふことを自覚し、念中に有つて製作することが緊要」と説く。このような経過もあって用語としての「破調」のプライオリティーは文明にあることが明白である。その後の『近代短歌辞典』(昭和二十五年)と『現代短歌辞典』(昭和五十三年)も文明説に基づいている。しかし近年の『現代短歌辞典』(平成十一年)と『現代短歌大事典』(平成十二年)になると茂吉説にシフトしている。この変化の背景には定型律を守ろうとする無意識の歌壇的要請が働いているだろう。
 土屋文明は異端の人なのだ。

     四 文語体と口語体

 安田純生のいう文語と〈文語〉の距離は広がりこそすれ縮まることはない。また縮めようとする努力がされているとも思えない。近代詩歌語がそれに輪をかけ、文明の「吾々の使う文法」は深く歌壇を浸食していることであろう。宮地の言にしたがえば「言葉は伝染するので」(『歌言葉雑記』所収「濃ゆし・酸ゆし」)あり、大家や人気歌人の破格表現となればなおさらで抵抗も少ない。加えて文語表現の前提として「現代短歌は、文語を一応の立てまえにしても、口語で発想するので」(宮地伸一『歌言葉雑記』所収「たとふれば」)あり、さらに拾うと「我々は、作歌する際にまず口語で発想して文語に転換する」(宮地伸一『歌言葉考言学』所収「『いづくより来りしものぞ』」)のである。同様の指摘は安田純生にも「現代短歌の文語体は、大まかにいって、日常語の一語一語を文語的な語に置き換えたものである」(『現代短歌のことば』所収「合はす」)、また「現代短歌の文語は、文語といいましても、実は口語の置き換えから成り立っていますので、純粋の文語ではありません。文語めかしといってもいいような気がします」(『歌ことば事情』所収「現代短歌のことば」)ほか多くあり、総括すれば「現代においては、オーソドックスな文語表現が、かえって読者に違和感を与えるという場合があるようです」(『歌ことば事情』所収「歌ことば事情」)、また同じ『歌ことば事情』の「夜の更け・生きの身・黄葉」には、

  近現代の文語体短歌の用語には、一般の人には耳慣れないことばが少なくない。古語ゆえ  に耳慣れないばかりではなく、一種の業界語のようなことばが用いられているのである。  歌人になるというのは、そのような耳慣れない語に親しみ、さらには、それらを自在に使  って短歌が作れるようになることでもある。

ともある。文語といい、一般の人といい、つまり通時的に見ても、共時的に見ても、文語体短歌は土屋文明の頃よりも、さらに異形の度合を強めているのであろう。
 その安田純生が「大阪歌人クラブ会報」(第一〇八号)に講演録「文語体と口語体」を載せている。『日本文法大辞典』(明治書院)から林巨樹(言語学者)の定義を紹介して「文語は『平安時代中期の文章』とあって、そこに『話しことばを写したもの』とあります」とし、「文語という言葉が使われ始めたときは、その当時、書き言葉、つまり文章語の文体だからというので、その名称が文語になってしまったのです」と述べる。また「私は、平安時代中期の日本語の体系に、その前後の時代の要素を加えた形の言葉は文語と呼びます。そして、それを志向し、それを規範として書かれた文章は、文語体と呼んだらどうかと思います」と述べ、口語については「現代語の体系が口語なのです。話し言葉という意味じゃありません。だから、われわれが書く文章は口語文、書き言葉でも口語なのです」とある。ただ口語体の説明がない。図書館で『日本文法大辞典』を開くと「①ある時代の話しことばのスタイル。話しことば体」「②現代の話しことばの語法(文語・口調・言い回し)を基にして書く文章様式。口語による文章」とある。書いているのは林巨樹。②は明治の言文一致運動の成果である。これらを五句三十一音詩の歴史に適用するとどうなるか。万葉集の時代には固有の文字がなかった、したがって①の口語体である。平仮名の誕生した平安時代は言文一致の時代であった。したがって②の口語体の時代である。言文が二途に分かれて文語体の時代が始まる。文語体の時代は同時に①の口語体と並存の時代でもある。

  いかのぼりしあげてみれば吹く風に細工はりうりうりうりうとなる   栗柯亭木端
  ちかづきにちよつとあふむの挨拶やようふるといへばようふるといふ  山果亭紫笛
  ゆふ立の雲助かごが杖のやうな雨に暑さのいきつぎをした       燕果亭千樹

 明治以後は文語体と②の口語体の並存時代である。
 ところで『現代短歌大事典』(三省堂)を開くと「文語」も「文語体」も項目にない。文語で作るのは当然というわけか。では「口語体」はどうか。「口語歌運動」と「口語短歌」はあるが「口語体」はない。五句三十一音詩の歴史に日本語の歴史を重ねれば口語体と文語体が見えてくる。「口語短歌」も「口語歌運動」も口語体の一部でしかない。念のために昭和五十三年に出た『現代短歌辞典』(角川書店)を見たが同様であった。これから出す短歌辞典には是非とも口語体と文語体を項目に加えてもらいたいものである。
 歌のスタンダードは口語体なのだ。

     五 蛇足あるいは短歌の現在及び将来について

 私の短歌教室では、レジメの終わりに土屋文明の「自ら恃む処ある者は詠む可からず」(『新編短歌入門』所収「短歌手ほどき」)と橋本義夫の『だれもが書ける文章』から「競争しない」「人それぞれに真実を書く」「だれもけなさない」「学歴、身分など関係なし」「お互いにはげます文友をもとう」を引用し、扁額よろしく掲げている。受講生の皆さんを励まし、また私の意に添わない受講生を暗黙裏にお断りする護符の役割を兼ね備えたものだ。
 土屋文明の言葉は昭和七年に書かれた「短歌手ほどき」の「五 歌を作るに適せざる人々」の一つである。すなわち「一、嫌ひな人は詠むべからず」「二、多芸多能の人は詠むべからず」「三、自ら恃む処ある者は詠む可からず」で、次のように続く。

   良寛の歌に
     やまかげの石間をつたふ苔水のかすかにわれは住み渡るかも
  といふのがあるが、歌の道は凡そ斯の如きものである。
   故に社会的の地位でも或はまた精神的の能力でも、その他あらゆる点に於て自らたのみ、  自ら負ふ処のある者は大体歌の道に入るには適しない。ただ謙虚の心を以て人の世に処し、  自然に対し得る辛抱づよい少数の者だけがこの道に入る可きであらう。

 プライドが邪魔するということでもあろうが、それよりも自己表現と自己顕示の違いと解したい。有名な生活即短歌(「短歌の吾々に歴史的にも教へること、また現在でもさうであることは、それが生活の文学であり、生活即文学である」)を含む講演「短歌の現在及び将来に就て」(『新編短歌入門』)は、これより十五年後の昭和二十二年である。
 「ふだん記運動」で知られる橋本義夫(一九〇二~一九八五)の『だれもが書ける文章』(昭和五十三年)は魅力的な言葉で一杯である。レジメで挙げた以外に「私でも書ける、書けないものなし」「アマチュアは、書くとき骨を折り、終わって劣等感をもち、時と共に書かなくなってしまう。(略)。プロが下手を恥じるのは当然だが、アマチュアが下手でも、稚拙でも、そんなことは恥じることはない。アマチュアがプロを標準にして、劣等感をもつのは馬鹿気た話だ」等、数多い。自分史という言葉は、この本に「ある常民の足跡――橋本義夫論」を寄せている色川大吉に始まるが、すでにその「自分史」を橋本義夫は「ふだん記運動」で実銭していたのである。その元祖、色川は『ある昭和史 自分史の試み』(昭和五十年)中「わが個人史の試み」を「個人史は、当人にとってはかけがえのない〝生きた証(あか)し〟であり、無限の想い出を秘めた喜怒哀楽の足跡なのである」「人間にとって真に歴史をふりかえるとはなにを意味するのか。その人にとってのもっとも劇的だった生を、全体史のなかで自覚することではないのか」「こう記す私は、その全体像を描くべき職人としての歴史家である」と記すが、この一冊には同名の橋本義夫論「ある常民の足跡」(一七五頁~二五八頁)が収録されている。
 さて、

  歌のスタンダードは口語体なのだ。

こう宣言して、にわかに開けてきた眺望がある。
 繰り返すが『万葉集』の時代は当代の口語体であった。『古今和歌集』の時代も『新古今和歌集』の時代も当代の口語体であった。それを現代の人間が真似る必要はどこにもない。真似ていけないというのではない。真似るのであれば徹底して真似てもらいたい。それは「オーソドックスな文語表現が、かえって読者に違和感を与えるという」(『歌ことば事情』所収「歌ことば事情」)覚悟を問われることでもある。
 それこそ限られた少数者の道である。私は、私たちはといおうか、私たちは今の言葉を使って文語文法に悩まされることなく、小さな生の自己表現に励みたい。
 私たちは自由を得たのである。
 いきいきとした現代の口語体で五句三十一音詩に命を吹き込むこと、そうすることによって短歌は最も有効な自分史のツールとして蘇るのである。
参考
 狂歌を五句三十一音詩史に回収する 狂歌逍遙録
句またがりの来歴  私の五句三十一音詩史  短冊短歌と応募原稿 
歌の未来図~文語と口語~  歌の未来図~あるいは歌の円寂するとき~  字余りからの鳥瞰図~土屋文明『山谷集』~ 
 夫木和歌抄と狂歌 近代短歌と機知  狂歌とは何か~上方狂歌を中心として~ 
狂歌と歌謡~鯛屋貞柳とその前後の時代~   談林俳諧と近代語~もしくは古代語からの離脱一覧~ 用語論~鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない~ 
 用語論~矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について~ 一本亭芙蓉花~人と作品~  一本亭芙蓉花~その失われた風景~
仙人掌上玉芙蓉 近世の狂歌~ターミナルとしての鯛屋貞柳~  インタビュー「短歌人」 
用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~ 口語歌、口語短歌は近代の用語。今は現代語短歌なのだ   仮名遣いと五句三十一音詩
近代の歌語「おほちち」と「おほはは」の来歴を問う  現代語短歌と古典語短歌   



狂歌年表  YouTube講座「𠮷岡生夫と巡る五句三十一音詩の世界」   日本語と五句三十一音詩
 夫木和歌抄の歌人たち 「狂歌大観」33人集  「近世上方狂歌叢書」50人集 



五句三十一音詩のツールとしての言葉について~内容もさることなから~ 



少し長いので、YouTubeでは3分26秒、全体を見渡すには便利です。 

 
 用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~



現代語短歌のすすめ、YouTubeなら3分15秒、見え方が少し異なります。


 

用語論~鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない~


 
狂歌とは何か、youtubeなら3分35秒、見え方が少し異なります

  
用語論~矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について~

  
近世の狂歌、YouTubeなら3分35秒、見え方が少し異なります
 

  
短歌変質論
 
私は尋ねたい
いわゆる「文語体歌人」のあなたに
なぜ古典文法なのか?

口語歌の万葉集から
平仮名が生まれ
言文一致の古今和歌集へ

やがて時代は
古代語から近代語へ
その過程である中世語の時代において
言文は二途に開かれ

明治大正昭和を経て
再び原点に回帰した
-読み書き話す-

ところで
あなたの短歌は
その変質した時代の五七五七七を良しとするのか?
いわゆる「文語体歌人」のあなたに

私は尋ねたいのだ

  
甦れ! 五句三十一音詩 
 
① 古今和歌集(10世紀)の五七五七七=日常語
② 古典語歌人(21世紀)の五七五七七=非日常語
③ 現代語歌人(21世紀)の五七五七七=日常語

∴ ① ≠ ②
   ①=③  

歌の原初から江戸時代の近代語さらには明治の言文一致運動を顧みるとき、甦れ!五七五七七、歌を滅亡から救うものがあるとするならは、日常語以外に何があるというのか。 


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