歌の未来図〜文語と口語〜
吉岡生夫(「半どん」150号)
     一

 平凡社ライブラリーの『日本語の歴史3 言語芸術の花ひらく』の第三章「表記体の成立をみる」によると平安女流文学は言文一致であったらしい。同じく『日本語の歴史4 移りゆく古代語』の第三章「古典語の周辺」は「平安時代は言文一致の時代」の見出しで「平安時代の散文を考えるなら、いまだ言文二途にわかれていなかった時代の様相をみることができる。いいかえれば、平安時代の散文ことに和文は、言文一致であったということである」とし、言文二途の契機を『徒然草』に見ている。最新の山口伸美著『日本語の歴史』(岩波新書)ではどうか。そのU「文章をこころみる―平安時代」には「ひらがな文は、自分たちの日常使っている話し言葉を基盤にする文章です。日常使っている話し言葉で文章が書ける、こんなすばらしいことが到来したのです」また「韻文である和歌も、平安時代にはひらがな文で記され、繊細な文学的感性と表現技術を磨きあげました」とある。
 以上を前提として歌の話に入りたい。

     二

 安田純生は『現代短歌のことば』(邑書林)の「文語と〈文語〉」で「貫之の生きていた時代では、書きことばと話しことばの間に、まったく同じとまではいえないにしても、それほど大きな違いはなかった」として文語を二種類に分けている。「貫之の生きていた時代すなわち平安時代の言語体系を意味する文語」と「その言語体系を志向した言語を意味する文語」である。そして前者を文語、後者を〈文語〉として区別する。文語は変わらないが、〈文語〉は時代とともに変化する。したがって明治時代の〈文語〉が文語であることを江戸時代の〈文語〉でもって証明することはできない。文語とは閉ざされた体系なのだ。その文語との対照を通して現代の〈文語〉ないし文語体について述べたものが同書であり、ほかに『現代短歌用語考』(邑書林)と『歌ことば事情』(邑書林)があるが、私たちの立ち位置を知る上で、また歌の未来図を描くならばなおさらのこと必携の羅針盤なのだ。
 では口語ないし口語体とは何か。既述のとおり言文一致の時代から、話し言葉と書き言葉は乖離していく、すなわち言文二途である。そのときに出発点である平安時代の言語体系を志向するのが〈文語〉であるならば、保守的な書き言葉に対して変化する話し言葉に依拠するという選択肢もあった。それが私たちの目にもはっきりと見えてくるのは狂歌である(古今伝授や制の詞でがんじがらめになった和歌でないことは容易に想像がつく)。日本語の歴史でいえば近代語の時代、政治を中心にした歴史でいえば江戸時代である。

   たむほほの花のちちつと咲く比の野山はやしはおもしろひなふ         行順(『古今夷曲集』)
   片脇へつとそびけろうみたくないに邪魔入れ申す月の村雲       よみ人しらず(『古今夷曲集』)
   君が顔うつしてほしや水桶のわがおもふその心いつぱい            嘉隆(『古今夷曲集』)
   わたくしも難波にすめばすすの酒よしやあしとてたべませいでは    読み人しらず(『古今夷曲集』)
   神々の旅立ちたまふ道筋をきよめにふつてきた時雨かな            満永(『後撰夷曲集』)

 刊行年は『古今夷曲集』が寛文六(一六六六)年、『後撰夷曲集』が寛文十二(一六七二)年、両歌集とも編者は生白庵行風である。一首目の題は「春草」、タンポポは別名「鼓草」で二句は鼓のオノマトペ、四句の「はやし」は林に囃子を掛ける。二首目は題詞に「月を奴子詞にてよめる」、奴子詞とは六方詞である。意訳「月を隠している群雲よ。お前は見たくないので邪魔を申す。脇へさっさと棚引いていけ」。三首目は題詞に「職人恋歌合に桶工によせて」。解説はいらないだろう。四首目は題詞に「親しき方にて酒すすめられけるに是は味なし彼はよしなといひけれはとかくいひて盃の数重なる事よと笑はれけるによめる」とある。「あし(よし)」は「難波」の名物、「すす」は『万葉集』に〈難波人葦火焚く屋のすしてあれど己が妻こそ常めづらしき〉(二六五一)とあり、動詞「煤す」に「勧める」の「すす」を込めたのだろう。結句は意訳ながら「いただかないことがありましょうか(難波に住めば)」。四首目の題は「初冬時雨」。すなわち陰暦の十月、神々は出雲大社に集まって神無月、これを背景とする。文語と口語の混用例であるが、先の口語ないし口語体を含めて、狂歌にあっては珍しくないのである。

     三

 木俣修の『近代短歌の史的展開』(明治書院)を開くと第一章「短歌革新の始動とその展開」の第三節「短歌改良論の興隆」に言文一致歌という項目が出てくる。明治十八年に「言文一致会」を発会させた林甕臣(みかおみ)が「『歌ハ、折リニ触レ事ニ臨ンデ情ノ感ジウゴキ思ヒ切ニセマツタトキノ呻吟(ウメキ)ノコエニ過ギナイモノデアル。』から、『歌ハ殊ニ言文一致デナケレバナラヌハズ』だとして言文一致歌(口語歌)を唱え、みずからその試作を発表した」というのである。例として「『待鶯』と題する『竹の林梅の園にも鶯のなかぬ時にはなかぬなりけり』という歌を口語訳にして『ウメニキテミ。藪ニマドヘド。鶯ノ。ナカナイトキハ。サテナカヌワイ。』」を挙げ「この表現の拙劣さは、とても文学作品として考えることができないものである。しかし、口語歌の試作としての歴史的な意味だけはもっているものである」と総括する。もしもこのとき林甕臣(みかおみ)が狂歌に着目することができればどうであったろうか。坪内逍遥は円朝の落語のとおりに書けばと二葉亭四迷にアドバイスしたという。近代短歌は逆で狂歌に封印をした。見えなかったのではない。見なかったのである。
 そして時計の針は零にもどされたのだった。

     四

 歌の未来図を描く上で文語が占める比重は重い。安田純生は先の続きだが「『一般化している誤用といっても誤用である以上、正しいかたちに改めるべきだ』とまでいえるかどうかは別問題」として、その違いを知ることは「実作者として無駄なことではあるまい」としている。知れば迷うことにもなるわけだが、私はこの問題を二つに分けて考えたい。
 一つは非短歌界をも巻き込んだ誤用である。米口實は『現代短歌の文法』(短歌新聞社)の中で「せし」と「しし」について「『す』で終わるサ行の四段活用動詞の場合にこれとサ変とを混同して『せし』とする例が非常に多い(専門歌人でも例は多い)」と書く。但し、これは明治三十八年に出た文部省の「文法上許容すべき事項」(本邦書籍『新聞集成明治編年史』第十二巻)で「妨なし」とされるのだが、誤用が本来の用法を凌駕したケースである。歌人として「せし」か「しし」は選択の問題となろう(語呂の問題ではない)。
 今一つは独り短歌界においてのみ顕著になった特殊な言葉や破格表現である。安田純生は『歌ことば事情』で「まなした(眼下)」を例に挙げて「ありふれた語であるのに、『広辞苑』や『大辞林』『日本国語大辞典』などには収録されていません。なぜ収録されていないのかといえば、現代の日常語でもないし、古語でもないからでしょう」(「歌ことば事情」)と述べる。また破格表現の来歴について、現代の歌人が中世や近世の文学に親しんだ結果というよりも、近代歌人を介した影響を指摘する。たとえば「来(こ)し」を「来(き)し」の例、形容詞のカリ活用の終止形「かなしかり」の例などを挙げて、とりわけ読者の多い啄木が落としている影の大きさについて述べていた(同「啄木の歌ことば」)。
 万葉集の短歌時代、勅撰和歌集の和歌時代、和歌と狂歌の並立時代、近現代の短歌時代と時代区分するならば近現代は僅々百年とちょっと、見直すに如くはない歳月である。

     五

 もう一つ挿入しておきたい話がある。兵庫県歌人クラブの幹事として養父市で行われた「ふれあいの祭典・短歌祭」に参加したときのことだった。応募数三八六首のうち一二六首が変形二行(私はこれを短冊短歌と呼んでいる)で書かれていたことである。比率にして三十三パーセント、このことを講評で指摘するつもりで出かけたところ入口で迎えてくれたのは入選作を短冊に墨書した展示だった。また高知県香美市の吉井勇記念館を訪れたときのこと、そこで吉井勇の短冊と対面した。二行に折り返してほぼ同じ高さである。ところが来館者の便宜を図ってのことか、活字の短冊が添えてあって、こちらは二行目が四、五字分は落とされていた。この先駆けなのだろう。大正六年に出た歌道普及会編『新派和歌入門』(東盛堂)では近代歌人の作品が軒並み短冊短歌になっている(伝統的な短冊の書式は「三つ折り半字がかり」、題が消えたあとの空白処理として非短歌界を中心に広まったものであろうか)。つまるところ「見る短冊」が文芸の領域を侵犯していること、また短冊を通して現代短歌がイメージされている。一方、短歌界はどうか。本来ならルビなしでは読めない「娘(こ)」、「湖(うみ)」「掌(て)」ほかイレギュラーが横行している。この溝は深いといわなければならない。

     六

 さて歌には文語と口語がある。文語が時間に対して通時的だすれば、口語(言文一致後は話し言葉と書き言葉)は共時的な色彩を帯びる。私たちはそのいずれかに身を置きながら、ときに越境を楽しんでいる。しかし文語も口語も同じ言葉であれば、言葉を容れる器があって初めて歌となる。そこで坂野信彦の『七五調の謎をとく――日本語リズム原論』(大修館書店)を買ってきた。韻律ではなくて音律だという「はじめに」から目が覚める思いだった。また未来図というからには読んでおかなければならない本がある。枡野浩一の『かんたん短歌の作り方(マスノ短歌教を信じますの?)』(筑摩書房)と穂村弘の『短歌の友人』(河出書房新社)を買ってきた。枡野の「言葉の音数がぴったり五/七/五/七/七になっている文章」の「ぴったり」の部分が坂野を読んだ目には致命的な欠陥に思えた。だからこそ「マスノ短歌教」なのだろう。穂村の「短歌の友人」たちの作品はその逆で句の溶解する現場を見せつけられているような気がした。
 歌の未来図を描くならば五句三十一音の定型詩が悠久として流れていなければならない。本流あって初めて「かんたん短歌」も穂村の「短歌の友人」たちも光を纏うのだ。
 歌は律読するものである。そのことを忘れたくない。
参考 
狂歌を五句三十一音詩史に回収する 狂歌逍遙録   
 句またがりの来歴 私の五句三十一音詩史 短冊短歌と応募原稿 
歌の未来図〜あるいは歌の円寂するとき〜  字余りからの鳥瞰図〜土屋文明『山谷集』〜  夫木和歌抄と狂歌 
 文語体と口語体 近代短歌と機知  狂歌とは何か〜上方狂歌を中心として〜 
 狂歌と歌謡〜鯛屋貞柳とその前後の時代〜 談林俳諧と近代語〜もしくは古代語からの離脱一覧〜  用語論〜鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない〜 
用語論〜矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について〜  一本亭芙蓉花〜人と作品〜   一本亭芙蓉花〜その失われた風景〜 
 仙人掌上玉芙蓉 近世の狂歌〜ターミナルとしての鯛屋貞柳〜  インタビュー「短歌人」   
 用語論〜文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ〜 口語歌、口語短歌は近代の用語。今は現代語短歌なのだ    仮名遣いと五句三十一音詩 
 近代の歌語「おほちち」と「おほはは」の来歴を問う    



  狂歌大観33人集 狂歌大観(参考篇)作品抄  「近世上方狂歌叢書」50人集 
狂歌年表 YouTube講座「吉岡生夫と巡る五句三十一音詩の世界」  兵庫県高等学校文芸部の皆さん 熱いエールを送ります 
   ス  ラ  イ  ド  シ  ョ  ー
 用語論〜鯛屋貞柳を狂歌師とは言わない〜



狂歌とは何か、youtubeなら3分35秒、見え方が少し異なります

 
用語論〜矮小化された近世の狂歌すなわち「上方狂歌」の名称について〜


近世の狂歌、YouTubeなら3分35秒、見え方が少し異なります

  
用語論〜文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ〜

  

現代語短歌のすすめ、YouTubeなら3分15秒、見え方が少し異なります。


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