HP管理者日記1

9/3 ニューアカって何やったのか?ってを考えるときに、フランスの政治状況もあるけど、精神病院って結構大きなテーマちゃうかなぁー‐と思う。フーコー&ラカン&フェリックス=ガタリが精神科医で、アルチュセールが精神病患者(笑)!日本だと香山リカが・・・バンドマンって・・別に良いとして。アメリカで精神科ってぇーと、ヤク中患者が集まる場所ってイメージだけど、フランスだとさ、フーコーがかつての刑務所がいまでは精神病錬になったって言い方するし、アルチュセールが精神病錬で講義をしていたって話とかから、お洒落なカルチャーセンター・・じゃなくて思想犯の集う場所で、そこで思想犯・政治犯のボス:フェリックス=ガタリと哲学者ジル=ドゥルーズが出会うってカッコイイじゃん。てな高度な話題を低いレベルでしゃべるのがお洒落だと思ってたんだけどなぁ俺は。

ペルソナ2(TVゲーム)のCM観て爆笑したあと、なぜ笑ったのか分らんかって。なんかオカシイんやけど何がオカシイのか分からない。CMの中身を書くとまず、制服着た女子高生の女の子にカメラ=視聴者が「あんた、悪い噂流れてるよ」って言うわけ。すると女の子が「それ噂じゃないよ」っつって背中から羽が生えて、頭からツノが出て悪魔に変身する。で、CM終わって、俺爆笑。これ、よく考えると、カメラ=視聴者が「あんた悪い噂流れてるよ」と言った時、制服着た女の子に好意的に忠告してるわけやん。こんな噂流されてるから、きぃーをつけた方が良いよって。なんなら、噂流してる犯人捕まえてとっちめたろかって話しヤン?それをその女の子は「それ噂じゃないよ」って言うわけやん。嘘だと思っていたら、ホントにその子は悪い奴だった。これって怖いやん。ホラー系RPGのCMとしてはよく出来てるやん。問題はその後で、その女の子がそう言いながら、背中から羽出して悪魔に変身するんだけど、そこで笑ってしまうのはさ、噂が本当だとして、「どんな噂流れててん!」ってことやね。「あの子、ああみえてさ、学校では真面目そうにとりつくろってるけど、本当は援助交際してるんだぜ」とか「暴走族と付き合ってるんだぜ」なら、話としてはよくある言い方で、噂としても機能するし広まると思う。でも、そういう噂だと、背中から羽生えないと思うねん。やっぱりさ、「あいつ、学校では真面目そうに振る舞ってるけどさ、本当は背中に羽生えてんだぜ」とか「本当は悪魔なんだよ」って噂が学校中に広まってるってことなんだけど。絶対にあり得ない!そんな噂広まらないし、背中から羽を出して、頭にツノはやして、体が青黒い悪魔に変身するのはもはや噂として、悪い噂ですらない。こんな噂誰が信じる?しかも高校生にもなって。四歳、五歳の話ちゃうよ、高校生で、「あいつ悪魔やねん」って噂、広まりようが無い。(こんな文章を書く俺って竹内義和?ってちょっとうぬぼれてみる)

9/1 広末涼子は国民的アイドルか?って話題で、国民的アイドルって何?ってこと考える時に、取りあえず後藤久美子が浮かぶじゃん?ゴクミって、寅さんとかに出ててゴクミの親の世代に支持された「子供に持ちたいタレントNo1」だったわけで。

8/19 こないだ喫茶店で向かいに座った女性3人の会話、
「ジャニーズのイベントでジュニアのファンが少年隊観て結構みんなそっち流れんじゃん」
「良い傾向だ」
「でもそういうイベントって、SMAP、参加しないんだよね」
「やっぱスケージュールとかギャラとかさ」
「そういえば森光子の誕生会にジャニーズ、総結集してたよね」
「けれどSMAPだけは来て無かった」
「でも中居くんだけは来てんじゃん」
「中居君はSMAPじゃないから(笑)」
「気配りの人だし」
「くさなぎぐらいは来ると思ったんだけど」
「あれ、スケージュールじゃないよね」
「SMAPが来ると、少年隊のファンも騒ぐんだよ」
「おまえらどっちのファンだ!って」
「少年隊のファンがSMAPに取られんじゃん」
「少年隊怒ってたよね」
「それがあるからSMAPも来にくい」
「中居早くそれに気付け(笑)!」
「うたばんでもさぁ、先輩に突っ込むじゃん?中居」
「頼む!止めてくれ!中居ぃーーー!それ以上言うなぁー‐!って本気で思ったもん」
「カックンをいじられキャラだと思ってる」
「カックンもさぁ、TVだから怒んないけど、あとでヤバイと思うよ」
「もう二度とSMAPとは出ないでしょう」
「でもそれすると余計、出る媒体狭めて、苦しくなるんだよね」
って感じの会話だったんだけど、オモロイ視点だなってね。盗み聞きが趣味化してる自分が悲しいけどね。

7/18 フジの27時間TVの「やっぱりさんま大先生」観たけど、生で子供ってすごいよ。子供の一人のA君が「ちんぽって陰茎があるんだよ」って言ったらすごい事になっちゃって、さんまさんが「プロデューサー、A君捕まえる準備しないで下さいよ。(プロデューサーのアップ)A君、アレがプロデューサー、一緒にどっか飛ばそうな」次の話題行ったときの別の子供が「うちのお父さん糖尿なんですけど・・・・・(すごく心配そうに)糖尿って言って良いんですか?」生放送って禁止用語にブザー入れるために3秒遅れて放送してるって話嘘やったんかなぁ。

6/24 昨日とても面白い夢を見てこれを書きとめなければと思いあわてておきてメモを残しそのまま続けて寝た。次の日、自分の手元にはこのように書かれた一枚のメモが残った。「いっけん新潟ナンバーっぽい車の女を殺したのはG・Hと名乗る男の可能性がある」確か夢の中では夜の波止場だった。黒い車に乗った黒い帽子の女・・その車は誰がどう見ても新潟ナンバーっぽくみえるのだ。何故新潟ナンバーなのかと聞かれて答えられないが、いかにも新潟ナンバーっぽい・・たぶん側面に稲穂のイラストが透かしとして薄く入っている・・こんな車に乗るのは新潟人しかいない。ただ、乗ってる女は新潟人ではない。事情があって新潟ナンバーっぽい車に乗っているだけで、新潟人かと聞けば新潟人だと答える、そして新潟弁が非常に上手だと言うだけの女だ。そして彼女は既に殺されている。もちろん車の中で内側からロックがかけられ、完全密室だが、実は車というものは外側からロックがかけられる。けれど誰もその事に気が付かない。現場検証に来た刑事達はその事を知らないわけではない。車が外側からロックできる事を知ってはいるが気がつかない。車から降りる時は常に強くドアを閉め、半ドアにならないようにしている。さらに離れた位置からドアを触らずにリモコンを使って車のロックをはずしたりする。ただ、その行為に慣れすぎていて、その行動が無意識の行動のため、その時たまたま気がつかなかった。そのクルーの刑事達は昨晩から別の現場で仕事をしており非常に疲れていて、車を密室だと思って密室殺人の謎を解こうとしている。その状況を馬鹿笑いしている別のクルーの新米刑事が一人、彼は昨晩非常にぐっすり眠って頭も冴えているのだが、先輩刑事達に意見を言っても聞き入れてもらえない。何故ならこの夢のどこが面白いのか目がさめてみるとさっぱり分からないからだ。

6/19 「日本一醜い父から送る娘への手紙」より抜粋。まあ、「学校で習ったけど社会に出たら役に立たない事」ってのは多いよな。特にお父さんの場合、「小さく前にならえ」が得意やったんやけど、社会に出たら、なんの役にも立たんもんな。小さくどころか、大きく前にならおうにも、前にいて全体を引っ張っていたはずの官僚がもうダメになってるから、前にならう対象がない。「小さく前にならえ」とか「トントンまーえ。」とか社会に出たらやらんもんな。でもな、君みたいな女の子の場合、特に顔が藤田朋子・和久井映見系のロリロリした顔の場合、「三角座り」これは社会に出て役に立つね。進学のときも、就職のときも、特技を聞かれたら、迷わず「三角座り」と答えて、三角ずわろう。スカートに良し、ブルマに良し、体操服、水着、制服、最高やね。ロリ好きの試験監督やったら一発採用や。見えそうで見えない三角座り、これは学校の体育の授業できちんと勉強しとかなあかんよ。それと「小さく前にならえ」これもロリ系巨乳の場合、マスターしときたいね。体操着のまま、胸を左右から寄せて小さく前に習う。お父さんはどうしてもこれが出来んかった、今みたいな良い時代じゃなかったし、社会的にも小さく前に習う事が許されないぐらいに学園紛争が吹き荒れた時代やった。だから、せめて自分の娘ぐらいは小さく前に習えるような人間になって欲しい。お父さんには出来なかった夢を自分の娘に託してるわけや。

宇多田ヒカルに対してなんか納得できないものがあってんよ。最初、オートマチックのビデオ見たときすげーイカしたクラブ系のファッションしてたのが、ヒットしたらいきなりアイドルアイドルしたカッコになって、ミーシャとかと同じカウンターカルチャー側の人間だと思ってたのに下手するとBOMBに出ててもおかしくないようなファッションしてて、ミーシャが後頭部がでかくなるラスタカラーの毛糸の帽子かぶってて、それがもろR&B系黒人女性ミュージシャンのコスプレで、なんかこう、TVとかグラビア雑誌で扱い難い映像であり続けてるねんな。それはもう、本人の意志とは無関係にミーシャはルックス自体は良くないからそういう映像でしか売れないってのがハッキリしてて、そのファッションがミーシャの出る媒体を限定しててすごくこうカウンターカルチャーの匂いしてるんやけど、なまじっかルックスの良い宇多田ヒカルが女性アイドル雑誌にノースリープにホットパンツとかミニスカートで写ってるの見ると写真だけでは鈴木あみと区別つかなくて、ほんとは音で売れたのにルックスで売れたかのような印象を読者=俺に与えてしまうわけで、しかもその辺本人無自覚で。でも、そういう事をしないと常に少数派気取りのカウンター側の内輪受けで終わるわけで、やっぱもっと広げて行こうとしたら、ああゆう感じになるわけで。ただ、最初にカウンター側の人間やと思って飛びついた人はもう宇多田から離れるだろうなという感じはするわけで。自分達の内部だけで独占できたはずの文化が外に広がって行く事で最初のコアなファンは離れていくという古くからのパターンで。もちろん俺はそういう特権意識持ったカウンターカルチャー気取りの人は嫌いやねんけど自分もそういう感情を持ってる事に気が付いて、そういう自分に腹が立ったりやね。宇多田ヒカルのファッションは嫌いやけど、宇多田パパのファッションは好きって感情も、カウンターっぽい匂いのするラスタカラーの毛糸帽かぶってるとか、昔の写真見てもラッツ&スターなファッションセンスしてたり、いまでもバブルガムブラザーズなカッコだったりするからなわけで、毛糸の帽子一個にこだわっていた自分の器の小ささっていうかね、一時ラスタカラーの毛糸の帽子かぶってる集団とかよく見かけたよなとか思いつつ・・一昔前の流行やね。こんな事考えながら授業受けてるから、「起きてる?」とかよく言われるんやけどね。

6/6 「愛はコンビニでも売ってるけど、も少し探そう」とスピッツは歌っていた。「最近は便利になってしまって」となげくお年寄りを尻目に、近頃の自分はコンビニで買った愛を電子レンジで「チン」する毎日。電子レンジで暖めた愛っておいしくないんだよねって人も多いだろうが、ただまあ、最近の愛は冷凍物でも直火焼き風で網の目に焦げ目が初めから付いていて、その焦げ目がわざとらしくてまた嫌だとか・・。まあ、そういう安っぽいチープな愛が出まわると、その逆に高級化する愛もあって、ナイキのマークが入った愛なんてのもね、すげースポーティーで軽くて丈夫、中にエアーが入ってて衝撃に強いから、過酷な条件の中でもこの愛は壊れない。CMではナイキ製の愛は象が踏んでも壊れなかったもんな。すげーのはシェル石油の開発した愛で、マイナス30度の中で周りは寒くて凍り付いてるのに、凍りつかずにしなやかに動き続ける愛とかね。

「バッファロー吾郎」って最近どうしてるんだろう?フリッパーズギターが載ってる92年のID−Japanでも「バッファロー吾郎が突っ込みの概念を変えた!」とか絶賛されてるんだけど、そういや最近見ないよね?俺、初めてテレビで見たのは新人のお笑い大賞かなんかの決勝リーグで、他のグループは普通に漫才やコントをやって審査員から98〜86点ぐらいの点数をもらってるのにバッファロー吾郎のときだけ、客席の女の子のキャーキャーゆう声がでかくてネタが聞えない、客の反応がすごくて爆笑入ってるのに点数は60点そこそこで審査員はなぜかバッファローに激怒。バッファロー本人はものすごく元気!ゲストに招かれていたオール阪神巨人の巨人さん(若手お笑い芸人に対して厳しいというイメージが定着してる)が照れながら、「僕は君等みたいなんも評価するよ」と握手を求めた。審査員が、何故怒ってるのかが最後まで分からずじまいだったのですが、これと似た状況で、NHKのBSヤングバトルの大阪予選にアマチュア時代の「シャ乱Q」が出て客がキャーキャー言ってて審査員長の上田正樹がものすごく不機嫌そうにしてたってのがあって、このとき会場にシャ乱Qが自分等のファンを50名ほど入れていて、公開オーディションなのに一部のバンドのサクラが大量に入っちゃうと審査員としては公平な判断がしづらくてうっとしいという気になるのもムリはないと思うのですが、バッファローのときも実際に客席にサクラを入れてたかどうかは知らんけどそれと似たような現象が起きてて、ただ、バッファローのときはTVのこっち側でうちの妹もキャーキャー言ってたからなぁ、なんやすごいんやなこいつ等とか思って。ネタ的には何言ってるかさっぱり聞こえないんやけど、なんかボケかましたら、もう一人の方が舞台のそでに向かって走り出す(この辺が既にかなり意味不明)で、再び現れたと思ったら、舞台のそでから助走してジャンプして相方にドロップキックかましながら、「何でやねん!」と叫ぶと言う・・そういうおまえこそ「なんでやねん」やねんけど、その時のドロップキックの高さが相手の肩ぐらいまで両足とも届いていて、ものすごくきれいに飛ぶわけ、他にも、ローリングソバットで突っ込む「何でやねん」のローリングソバット(これもジャンプして相手の後頭部に入れる)や、二人とも舞台のわきから同時にダッシュしてきて同時に飛び相方のドロップキックの足の裏に自分のドロップキックの足の裏を合わせて飛ぶパターンや、両脇から走ってきて片方が高く飛んでドロップキックもう片方がすべり込みぐらいの高さで飛んで上下にすれ違うパターンなど非常に多彩なツッコミを披露し、新手のドツキ漫才を生み出した・・当時バッファロー以外にもこのジャンルに手を出してるコンビが何名かいた・・にも関わらず最近見ない。また、別の回に見たバッファローは山の中で遭難したという設定の演劇で「私は朝から卵2個分の白身しか食べてないんです」というボケに対し、「おまえはパンクラスの研修生か!」というツッコミ。ネタが面白い面白くないはともかく、TVを見てる人の何パーセントがパンクラスを知ってるか?って辺りを考えると、マニア向けに狭く深くの感が否めない。ジャンプ力が落ちていないことを祈りつつ。

5/22 宇多田ヒカルが初めてレコーディングしたバンド「U3」は宇多田パパ&ママ&ヒカルの三人の宇多田が居るということで「U3」になったらしい。(パパ談)したら、「U2」からクレームが来て(まあ、普通想像通りだよな)、「US3」というレゲーバンドからもクレームが来たらしい。で、Uの三乗と言うことで「Cubic U」というバンド名に改名したらしいのだが、「ルービックキューブ」関係者からのクレームは無かったのか?ってのが最近の関心事。映画関係だと「キューブリック」からクレームが来たとかねぇーかな。

5/17 江藤淳のサブカル/メインカルチャーの分け方はたぶん、アカデミックなものがメインで、大衆的なものがサブなんだろうけど、俺にとってサブとメインっつうと数の問題だからさ、TVがメインカルチャーでそれ以外、雑誌&CD&ラジオ&映画がサブで、視聴率が全然取れてない5%そこそこのTV番組でも日本全国一億二千万人だとして、六百万人ぐらい見てて、雑誌やCDの超大ヒットで六百万人そこそこだから、その辺がサブとメインの境界なのかなという。・・で。サブカルの中でも最もサブい文芸誌というジャンルがあって、その中の群像いう雑誌を見てたら、柄谷行人さんが新人賞の選考委員から外れるという哀しいニュース。「三人称で書け」とのアドバイス。小説部門の受賞はなしで、選考に残ったのが二十代の一人称小説ばかりで甘さが目立ったということです。具体的には、PHS・メールなんて単語が頻繁に出てくるが、ただの若者のおしゃべりの域を出てないとか・・そう言えば、昔ダウンダウンの漫才も横山さすしさんに「チンピラの立ち話や」と言われてましたが、そこんとこ、いろんな意味でのギャップみたいなのは感じるわけで。

海燕だかなんかが休刊だかになるとき載った新人の小説がひどくて、家庭用RPGみたいなタイトルで、

ママゴンが現れた
「ガガン!」
勉強をしなさい攻撃
「ダァーーン!」
痛恨の一撃!36ポイントのダメージを受ける。
ボクの攻撃。
「ダァーーン!」
改心の一撃!
ママゴンに84ポイントのダメージを・・・ってな感じのどうしようもない奴で(笑)同人誌の即売会に行くとこういうの山ほど売ってるし、そこそこ需要があるし、こういうの書いてる人が角川ファンタジーノベルやスニーカー文庫・電撃hp辺りを読者として支えてるわけで、どうしようもないんだけど、こっからスタートしなきゃしょうがねぇーなって感じが在って、それと柄谷行人・江藤淳系のアカデミックな選考委員とのギャップってのは激しくて、文芸誌の読者層ってのが見えないのが一番問題なのだろうけど、小説=テーブルトークRPGと思ってる人が、こんなつまんねぇ文芸誌の世界を変えてやるぜ!って意気込みで勝負なのは分かるんだけど、俺も文芸誌嫌いだから嫌がらせでコバルトっぽいノリの送ったりして「ザマぁー見ろ」とか思ってたんだけど、埋めがたいジャンルの溝ってのが・・だって、江藤淳からすれば村上春樹や村上龍さえ「サブカルだ。読めたもんじゃない」って話でしょ?例えば、「黒のコートとブーツでキメた女子高生が・・」なんて文章書くと「コートってのは一般的に定着してない外来語ですね。これは外套とした方が適切でしょう。それとブーツ。これも半長靴にしないと一般の人には伝わらないでしょう。ちなみに女子高生と言うのは女学生の誤りで・・」みたいなこと言われる世界じゃん文芸誌って?主要な読者層を五・六十代に設定してるんだろうから、まあ、コートなんて単語はわかんぇーよなとか思うけど、じゃあ柄谷の「ベルグソン的」は一般に流通してる言葉なのか?とか。

ただ「文芸誌の編集者にパソコンのマニュアル書いて欲しいよね」とは思う。ウインドーズは窓、ネットワークは網、OSは土台、WindowsNTは網戸、メールはフミ、ワープロは筆、ハードディスクは記憶、CPUは思考、クロック数は波長。以前、パソコンのマニュアルってカタカナとアルファベット抜きで書くべきだよねって話してたとき、パソコンを私的電算機とか書いて、マニュアルを手引書とか取扱説明書と言っても良いんだけど、長いんだよ、パソコンのマニュアルで済むものが、私的電算機の取扱説明書ってSEしてて急いでるときに言えないんだよね、ってことだったので、パソコンはいっそのこと「そろばん」と言っちゃいましょう。「そろばん直して」「土台は何ですか?」「網戸だよ」なんて会話良いじゃん。

小説にどのような機能が求められてるかって辺りを考えると、ストーリー・ムード・情報ぐらいだと思うんですね。ストーリーってのは恋愛小説だとハーレクインの型とかコバルトの型とか在って、ある種の枠の中でバリエーションを書いてく奴で、大衆小説というか、シナリオ・ストーリーテーリングですね。たぶん文芸誌はこれではない。ムードってのは、ファッキングアンドショッピングって言われるような・・大金持ちの主人公が出てきて、読んでる間は自分も金持ち気分に浸れるとか、宇宙旅行の話で読んでる間は自分も宇宙パイロットの気分に浸れるとか。情報ってのは文字通り情報なんだけどTVや活字からの二次情報じゃなくて、大事なのは一次情報で、自分の足で稼いだ情報とか、直接経験とかで、一番純文学的なのはこれかなと思うんだけど二十代の奴の直接経験をそのまま書くとPHSとか電子メールとか出てきて、五・六十代の人には若者のただのおしゃべりにしか見えない。もっと言うと彼らの小説には自分しか出てこなくて他者が出てこない。ここで言う自分は二十代の書き手自身で、他者は文芸誌の想定してる主な読者層や選考委員自身の年代の人達。俺達と同年代の人間を取材して書いてるのか君たちは!俺達読者を無視しすぎてないかい?ってことなんでしょうきっと。三人称で書けってのは、自分以外の登場人物を書けってことだからさ。だから文章的には擬古典調のものとか受けるわけで。内容的には大正教養主義時代に作られた世界文学全集・世界の名著全集(哲学とか社会学とかですね)を完読して、それらを踏まえた上で新しい物を書かないとって辺りで、全集を当然知っておくべき教養としてる選考委員と、鳥人戦隊ジェットマンとかの戦隊物やアニメ、ナツメロじゃない音楽、パソコン、TVゲーム、TTRPG辺りを当然知っておくべき教養にしてる二十代の書き手ってのは、すさまじいほど接点がなくて、グリムやアンデルセンの時代からいままで、優れた文学ってのは年寄りの口承文学(噂話や思い出話)を活字に起こしたものであって、書き手がてめぇーの頭で書いたものなんてのはダメな文学なんだよね・・ってでも、それをやると、文学って言うより民俗学・文化人類学になってしまうような気が。

4/17 ある男とアダルトビデオを見てた女がさぁ、「こんな女居ないって。こんなのを観てるって子供よね、現実を分かってないんだから。」とか言うわけ。それに対して男が「スターウォーズやETだって実際には居ない生き物が出てくるフィクションで、けどそれを楽しむ人がいっぱい居るわけで、そういう現実を分かっていないのは君の方だ。」と言う。「こういうアダルトビデオの市場が存在するという現実を知った上で、でも、そんなのをちゃんとした男の人は観ないはずだというフィクションを楽しむ女性が居るという現実を知らないのはあんたの方だ。」ってな具合に何が現実か分からなくなるような入れ子構造の議論を繰り返すことをポストモダンと呼ぶのも一つのフィクションなわけで。っうか、妖精好きの男とか居るわけで、それを現実的と取るか、そういう男は現実的じゃないけど、そのような男の存在は現実的だとか・・面倒だけどさ。

4/1 小室哲哉総決算って感じの文章書こかいな。

4年連続作詞作曲部門印税収入日本一だった小室氏が去年ついに一位の座から落ちるという話が・・結果はまだ出てないけど小室自身の口から出てて、いつまでも今のポジションには居れないとか、同世代で現役バリバリのプロデューサーはベビーフェイスぐらいしか居なくてその彼も休業宣言に入ったとか悲観的な言葉が小室自身の口からたくさん聞かれてですね、その中で一番笑ったのがいまの若い歌手に「何を聴いて育ったの?」ってきいたら、「TLC、ローリン・ヒル、ミニー・リパートン、アレサ・フランクリン」って答えが返ってきて、「じゃあ、プロデューサーはみんな黒人なんだね」って言ったら「はい」って言われて、「じゃあ僕に手伝えることは何もないね」って言ったらまた、「はい」って言われたという小室談話で、話としては面白いけど、そんなに追い詰められてるのか?小室哲哉!って感じで。

普通に考えると、4年連続一位だった小室氏がフランスに半年ほど行ってる間に色んなバンドがベスト版を出して一位の座を取りに行ったと、年に四枚のオリジナルアルバムを出して、オリジナルだけで合計四百万枚は売り上げちゃう小室に対して、B'zが十年分のオリジナルアルバムの中からベスト版を2枚出して2枚合計で一千万行ったと、で、次の年もB'z十一年分の曲の中からベスト版を出して一位を取りに行くかってぇーと、オリジナルアルバムと同じ数のベスト版出してるのってサザンぐらいのもので、しかもB'zだって十年分のベストだから迫力があったわけで。しかもB'zは二人で一千万枚、小室は一人で四百万枚、結構良い勝負なんですよね。ってこと考えると小室氏が海外進出止めて本気で作詞作曲部門日本一を取りに行ったら行けると思うのが普通なわけで。

普通に考えるとさ、業界トップの悪口って言い易いジャン?映画だとスピルバーグ、アニメだとジブリ、ゲームだとプレステやスクウェア、政党だと自民党とか悪口言い易いでしょ。叩けばつぶれる二院クラブのような人の悪口って言っちゃ悪いなって気になるけど、業界トップの人達の悪口はさ、ジョークとして面白ければ、それだけで言えちゃうんだよね。スピルバーグなんか興行収入一位=市場・客に支持されてるんだから、それが最大の勲章ジャンって思うけど、でも、アカデミー賞ねらいで「シンドラーのリスト」とか「プライベートライアン」撮るわけで、アカデミー賞欲しいわけで、評論家ウケも欲しいわけで、悪口言われると傷つくわけで。小室なんかでもレコ大とか紅白出たいわけで、出たら出たでいつもより濃い目の化粧でがんばるわけで、小室系とかいう単語を悪口的に使われると傷つくわけで、なんか意外とデリケートなんだなと。

海外にも進出したいし、いつまでも日本一にいてもしょうがないしカッコ悪いってな言葉が本人の口からで出して、「小室の時代は終わった」「小室哲哉の音楽って一体なんだったのか」みたいな文章が雑誌に出たりとかするわけで、ここでもそういった感じのニュアンスでちょこちょこ書いてみよかなと。小室氏は自分のことをプロデューサーと言うけど、タッチというアニメのサントラ作ってた芹沢さんって人は売れてなかった頃のチェッカーズに一年間楽器演奏を一から教えたって言うし、あるプロデューサーはアーチストが気持ち良く音楽に没頭できる様にレコーディング室に百本のキャンドルを持ち込んでレコーディング室の電気を消したって言うし、あるプロデューサーは5・60年代の機材関係に詳しくて真空管サウンドを作り出すならこの人しかいないって言われてたりと、人によって役割やポジションがかなり違うわけですね。作詞も作曲も演奏も出来ない人に、キャンドル持って行ってもしょうがないし、シンセさえあれば音楽は作れるって人に、真空管に強いプロデューサーがついてもしょうがないし。で、小室哲哉さんの場合、作詞作曲編曲演奏をやってしまう。作詞作曲部門で一位に成るには基本的には(甲斐よしひろさん等の例外も在るけど)作詞作曲の出来ない人に曲を提供するのが主な仕事なわけです。じゃあ、作詞家や作曲家とどこが違うのって事になるわけですが、小室さんの場合、プロモーションやイメージ戦略まで請け負うってとこが違う。(観たんかいってツッコミは、個人的にメールでくれ)

具体的に、篠原涼子さんの例なんかは小室マジックの典型だと思うのですが、東京パフォーマンスドール=TPDという落ち目のアイドルを小室氏の力でトップアイドルまで押し上げたと。新人のアイドルってのは組織の後押しさえあれば雑誌やTVのゲストとして顔見せができる。ところが一度デビューして、CDが売れていない、曲がつまらない、B級・落ち目というレッテルが張られると、そのイメージからなかなか離れられない。マイナスイメージのあるタレントさんよりも、色の付いてない新人の方が売りやすいってのがある。小室氏はそこを上手く利用して、売れなくなって解散した東京パフォーマンスドールというイメージを払拭して、篠原涼子with Tとして、売り出したわけです。「元東京パフォーマンスドールの篠原涼子です」と言うと、「ああ、知ってるけど興味ない」となるところを「今度新しく出た新人の篠原涼子with Tです」と売り出すと、新人の場合取りあえずどんなものか見てみよかと、そこに小室哲哉という後押しがあれば小室氏のパイプで色々な媒体に新人としての顔見せができる。これ以後、小室氏のプロデュースするミュージシャンはたびたび名前が変わるわけです。浜田雅俊はH jungle with Tに、遠峯ありさは華原朋美に、観月ありさはコンバーチブルに。安室の名前が変わらなかったのはスーパーモンキーズからソロになって名前がまだ新しい鮮度を保っていたし、小室氏がプロデュースする前から小室っぽい色に染まっていたので、イメチェンする必要がなかったからだと思われる。

グラビアやCMやドラマで火が付いたアイドルの人ってのは何をやっても売れてしまう。そういう時期の人に近づいてって曲を提供するのが普通の作詞家・作曲家だとすると、一度底辺を味わった人にもう一度トップに立つチャンスを与える。一度色が付いてイメージが出来ちゃって、そのイメージがあまり芳しくない人をトップに押し上げるという比較的困難な作業に成功することで小室氏のプロデュース業がマジックと呼ばれるようになるわけで。

一つ目の小室マジックが篠原涼子(その延長線での華原なんかも含む)だとすると二つ目のマジックは「Wow War Tonight」でしょう。小室嫌いの人でもこの曲の悪口を言う人は意外と少なくて、今の若い子達の曲はわからんし、小室の曲もわからんと言う吉田拓郎でもこの曲だけは良いとほめてたし、若い子に高い声出させてる小室の曲なんてどれも同じだと言ってるアン・ルイスも、この曲だけは認めていた。ただその時、ダウンタウンを前にして言ったアン・ルイスの言い方が面白くて、「浜ちゃんTVでカラオケ歌ってるから、みんな(浜ちゃんの歌が)下手なの知ってるし、悔しいとは思わないんだけど・・・・すごいよね、この曲。上から下まで5音しかないんだよ。ドから始まったとしてソまでしか使えないの、一オクターブないんだよ。よくこんなので曲作れたよね。」歌が下手だとみんなが知ってる人をボーカルに添えてちゃんとした音楽を作ってしまった。これはれっきとした小室マジックでしょう。その評価の高い曲に対して小室本人はどう言ったかと言うと「実はこんなの誰でも作れるんだよ。これで吉本も音楽ビジネスのノウハウをつかんだでしょう。」ところが実際には奥田民夫が浜ちゃんをプロデュースしても、ティ・トワが今田耕治をプロデュースしても、浅倉大介がフェイレイをプロデュースしても、この曲ほどのヒットにはならないわけです。もっと言うと、同じくダウンタウンをプロデュースした坂本龍一、小室哲哉がアマチュア時代にYMOのコンサートに行って、自分達とのあまりのギャップに愕然として一生追いつけないのじゃないかと思ったというあのYMOの坂本龍一にも勝ってるわけです。誰にでも出来ると言った割には大成功してるのが小室氏しかいないのはどういうことかってことなのですが。

「それまで吉本のヒット曲といえば間寛平の「ひらけひらけチューリップ」とかそんなんばっかりだったんですよ」と言う松っちゃんのセリフに対して「これで吉本も音楽ビジネスのノウハウをつかんだでしょう。」という言い方だったんで、今話題の人を使って真面目な曲を作ればヒットする、こんなのは誰にでも出来るってなニュアンスだと思うんですね。そのとき小室氏の頭にあったのは猿岩石の「白い雲のように」なんじゃないかなと。そういう意味ではゲイシャガールズなんかは「ひらけひらけチューリップ」的なコミックソングだし、今田耕治の「ナウ・ロマンチック」なんてのも半分ギャグ入ってるし、フェイレイに到ってはTVでレギュラーがあるわけでなし、これといった話題性もないし。と。個別に見るとどれもヒットの条件から外れてるんですね。とはいえ「誰にでも出来る」は謙遜兼自信の裏返しであって、額面通りに受け取ると出来なかった人達に対して失礼ですよね。

「Wow War Tonight」ってカラオケで聴くと、すごく平坦でのんびりして変化のない退屈な曲なんですね。よくこんなのがヒットしたなと思いますが、この曲のCMがすごかった。スローテンポのバラードが「Hey!Hey!Hey!ときには起こせよムーブメント」の叫び声と共に急にリズムが狂い出してアップテンポになり早口で何を言ってるのか聞き取れない浜ちゃんが何かガナって叫んでいるし、静かだった観客がいっせいに暴れ出すし、何かが起こってるけどそれが何なのか分からないという映像&音声で、ロックの初期衝動を見事に客観的に映像化したCMだったのです(ニルバーナのプロモのパクリだという話もあるが)。ちなみに静かな場面から急に訳がわからなくなるきっかけとなる叫び声「Hey!Hey!Hey!」はダウンタウンの司会する音楽番組の名前でもあり、その番組のCMや番組内で何度となくこの映像が流される。この辺りはCMとのタイアップソングでヒットを生み出す織田哲郎・小室哲哉系の独壇場で、15秒や30秒の音で勝負したら圧倒的に強いですね。人によってはシングル曲の3分で勝負する人やアルバムトータルの60分で勝負する人、2時間のライブで勝負する人などミュージシャンごとに得意な音楽の長さが違うわけですが、小室哲哉という人は圧倒的に15秒から30秒のCM中心の音作りの人ですね。カラオケで一曲全部を聞くと変化に乏しく平坦でだらだらと間延びした感のある曲が、15秒のCMでは圧倒的な輝きを放ってるわけです。一曲丸ごと聴いたとき、平坦でのんびりしたスローテンポの曲なのは、もう単純に歌い易くするためでしょう。と、同時に、曲のどこかにインパクトのある見せ場を15秒分作らなければならない。その見せ場って奴をどうやって作るかですが、歌うのはプロの歌手ではない。でも、早口でガナったり、叫んだりは出来るだろうから、後はその叫んでる部分とのんびり歌ってる部分をどうつなぐかだろうなってな感じで作っていったのだと思います。あくまで想像ね。その様にしてできた浜ちゃんにも歌える曲ですが、浜ちゃんにも歌えるようにした結果が、カラオケでおっちゃん連中にも歌いやすい曲に仕上がることに成ったわけで。今の音楽をまったく聴いてないおっちゃんでもこの曲だけは歌える。歌詞の意味も他の小室系の曲と違って、H jungle with Tだけは分かる。例えば「温泉にでも行こうなんていつも話してる(省略)・・なんてでも/全然ひまにならずに 時代が追いかけてくる/走ることから逃げたくなってる」なんて詞は、浜ちゃんのイメージで作られた詞に見えて、実は小室の実体験にも見えて、その上30〜40代の中年男性及び働く女性のリアルな生活なのではないでしょうか。これは浜ちゃん=ボーカルという拘束が小室哲哉に名曲を作らした例です。2種類のミュージシャン、拘束のないところで自由に表現した方が名曲が出来る自己表現タイプと、クライアントの突きつける様々な拘束の中で音を作ったほうが名曲が出来る職人タイプに分けちゃうと、小室哲哉さんは明らかに拘束の中で名曲が出来るタイプですね。globeやTMNを聴けば分かるのですが、拘束がなくなると自分の好きな曲に似た音しか作れないんですね。良い例が、We are the worldそっくりのYou are the oneという曲ですが、オリジナリティーのかけらもないんですね。もちろんWow war tonightにもカルチャークラブの曲で元ネタがある(from女性週刊誌)のですが、ボーカルが浜ちゃんという拘束のおかげで色々と変更点が出てきてしまう。結果元ネタとは違う曲に仕上がるわけで。これは単にオリジナリティーだけでなくて、元ネタより良い曲を作るには必要な作業なんです。例えば、浜ちゃんが歌いやすいようなカルチャークラブを作ったら、浜ちゃんと同年代の人にも歌いやすい曲に仕上がってしまった。CMタイアップのクライアントのOKが出るような曲を作ったら、そのクライアントと似たようなタイプの人達もその曲を良いと思うような曲に仕上がる。ところが小室さんがプロデューサーでなくミュージシャンとして参加して自分の耳だけを頼りに音を作ると、特定のターゲットとか、特定の顔のみえる個人でなく、すべての人に受け入れられたいと思ってしまう。結果、誰からも拒否されないけど誰からも熱狂されないような無難な音になってしまうんですね。だから、作詞も作曲も編曲も演奏も一人で出来るミュージシャン小室哲哉に必要な外部の手助けがあるとしたら、レコーディング室で発生している音に対して何らかの反応を返せる人でしょう、それはミキサーさんだったり、CMのクライアントさんだったり、ド素人のボーカリストだったりするわけで。CMソングを見てても、先に曲があってそれを使ってくれるようなクライアントを探すというタイプになるとダメですね。コーヒーのCMでありますよね、音と映像が全然合ってなくて映像が音に合わせる努力してる奴。「自由」という歌詞に反応して人の背中から羽が生えて窓の外に飛び立つ奴。CMの主役であるコーヒーとどう関係あるのかよく分からない映像・・ああゆーのより、Being=織田哲郎的に商品イメージから商品のメインターゲットからCMに使用されるタレントさんのイメージ(調査元電通or木村総研)からデーターとして受け取った上で、15秒バージョン25秒バージョン30秒バージョンと数種類出して、仕上がりの映像を見てさらに直して、3分半の音を作るのはさらにその後・・・・みたいなのの方が面白かったりね。車のCMとかだとさ、グローブのシンボルマーク自体が車のタイヤみたいだしさ、グローブの割には洋楽っぽい音を外車の映像に載せる辺りも映像と音と商品のイメージが合ってるしカッコ良いんだけどさ。

ここまでが、小室マジックの中身、これからがその終焉って辺りで。はじめ、小室がバンドを解散してYOSHIKIとV2やってた頃、小室哲哉は今後十年は音楽の表舞台に立てないって雑誌に書かれてて。その理由ってのは借金で、TM解散直前に買った三千万円のシーケンサー、当時の小室氏の収入では払いきれるかどうか怪しいって額で、さらにレコード会社や音楽出版社やアニメ会社を作ってそこの社長に小室の愛人と言われている女性を添えて会社を通じて月五十万をその女性に払ってるけど、どの会社も開店休業状態だってなことが書かれてたわけ。別れた奥さんへの慰謝料もあるしって事になると、それほど売れていたわけでもないバンドの人間がソロで本当に稼げるの?って話題が今で言う羽賀研二や岸辺シロー、昔だと地獄の黙示録の頃のコッポラみたいに書かれてて、TRFや篠原涼子で稼いでるときも「借金多いと大変だよね」ぐらいにしか私は思わなかったわけで。はじめは何がなんでも金を稼がなきゃいけない状況があってそこから始まった商業的拡大路線が作詞作曲部門印税収入日本一にまでなったと。そしてその高収入状態を維持して行く中でエイベックスってのが関わってくるわけですね。小室氏への接待費を使って小室氏の銀座での飲み代から始まり、NYでレコーディングだといえばファーストクラスの航空チケットからグランドピアノ付きの一流ホテルのスィートルームから移動用のリムジンバスと運転手まで全部手配したと。プライベートでの小室氏の生活費から遊興費から全部面倒みたと・・・・まあ、雑誌には書いてあるわけで。これが出来るのもエイベックスが株式会社じゃないからで、株を店頭公開して株主が別個に発生すれば経営の中身を全部公開せねばならず、そうすると小室氏個人への膨大な接待費は維持できない。・・てなわけらしいんですね。もち、俺はこれを事実だと断言できん、雑誌にそう書いてあった。そのエイベックスが株を店頭公開し、小室哲哉がエイベックスを離れた。極端な高額所得者でしかも扶養家族がない場合、所得税だけで五割プラス住民税十五%やなんやかんやで、収入の九割が税金になるらしい。そういう人には税金のつく一千万より、税金のつかないニ百万の方がありがたかったりするわけで、エイベックスから収入を現金で取引されるより、エイベックス内での小室が自由に使える必要経費枠が増える方が小室にとっておいしいわけです。が、エイベックスの株式会社化と共にそういう税金の隠れミノもなくなってしまった。さらに海外進出しようとしたときに日本での販売実績を表やグラフにして分かりやすくまとめて自分を売り込んだが、思ったほど良い反応はなかった。まあ、個別には色々マイケルジャクソンと仲良くなれたとかあるらしいのですが、日本での販売実績だけではなかなかアメリカの会社は乗ってくれないみたいで・・等の事例から作詞作曲部門印税収入日本一のうまみが小室氏にとって無くなってきてる。この辺がね、冒頭のような悲観的な発言につながっているのではないでしょうか。って、前半コムテツをほめてた割に結構けなしてねぇーかこの文章?しかもネタが噂の真相ノリだし。

以上、今日だから書ける日記でした。

3/8 今度カジヒデキのシークレットライブが都内某所で開かれるんだって?なんでもそこでは客がカジヒデキと喧嘩し放題ってぇー話じゃねぇか。加地くんも粋だねぇー、加地と喧嘩は江戸の華と来たもんだ。30を過ぎて人間的にも音楽的にも自信に裏打ちされた円熟味を出してきたカジヒデキ。いま音楽業界が一番恐れているのは「自信みなぎるカジヒデキ」ってぇー言うじゃねぇーか。分かるかなぁー、わかんぇーだろうーなぁー。PS「地震・雷・火事・おやじ」

2/14 「華原朋美自殺未遂!」ラジオつけると今田&東野のWコウジが「ヒューヒュー。朋チャンはガスの元栓がなんだかヒューヒューです。ヒューヒュー」ってハガキ読んでるし、なんか現代の童話って感じがしてすごく良いかんじ。「朋ちゃんは魔法使いの小室さんの言い付けを破ったのでネズミにされてしまいました。おしまい」みたいなさ、童話の原型って子供に規則を教える子供のしつけ用というか教育用というかそういうものだったから、規則を破った人がバッドエンドになって終わるという怪談型の気持ち悪い終わり方が普通なんで、針の道(裁縫)と安全ピンの道(裁縫をしない楽な生き方)と二つ分かれてるところで楽な方を選んだ赤頭巾は狼に食べられて死んじゃうし、親の言い付けを守れなくてお菓子の家に逃げ込んだ兄弟は魔女に食べられるし、魔法使いのおばあさんとの約束が守れないと必ず最後はカエルにされたり石にされたりするわけで、小室さんって小室マジックの名の通り、もろ現代の魔法使いじゃん。「ボイストレーニングをやらない理由を小室さんにちゃんと説明したら、納得してもらえた」とか音楽雑誌で嬉々として語って、小室以外に男つくっては報じられ、TKから引き継いだTVのレギュラーからも消え、SPEEDのようにライブツアーをすることもなく、自分からぜひ立ち会って作業を見たいと言った華原のバックトラックを作るレコーディング作業でも小室を残して途中で寝てしまい・・って、見たんかおまえは!って思うけどそう記事には書いてあって・・でもたぶん力が試される時ってのはこういうときなわけで、周囲からあいつはもうダメだって思われたときにその人の本当の力が試される・・と がラジオで言ってました?!でもまあ、小室さんの力なしでどこまで出来るのかを見たいような気もする。

2/7 「回転寿司のすしって冷たいんだ!」って思った。今までずっとコンビニのお弁当は電子レンジでチンして食べていたから、ちゃんとした寿司屋に行けば暖かい焼き立てほやほやのお寿司が食べれると思って行ったんだけど、なんだかとっても冷たく冷めてました。

2/1 今日、バイトの最中、気がついたら「いい加減明日のこと考えた方が良い」なんてRCの「雨上がりの夜空に」歌ってて、今までただの言葉遊びだと思ってたあの曲がこんなシチュエーションで流れるなんて思ってもみなくてびっくりして。「AH!いつまで続くのか見せてもらうサー」なんてフレーズもそうだけど日雇いのその日暮しな生活してて、自分でもそろそろ就職なのかなぁっとか思いつつ、でもいろんな物を手放して一度空っぽになってみる経験は欲しいものと欲しくないもの、なきゃ生きてけないものと無くても生きていけるものとを分けるにはちょうど良い作業で、エアコンは要らないけど、パソコンは要るとか、家族は要らないけど友達は要るとか、その程度なんだけど、そういう作業は在る程度必要で、音楽じゃ食えなかったときのRCもこんな感じだったのかなぁとか、日雇いやりながら、いつまでもロックなんてやってらんねぇーよなぁー、いい加減もう年だしよぉーとか思いつつ、いつまで続くのかなぁーこーゆー生活とか言って雨でエンジンがかからなくなった400ccを押して歩くロックミュージシャンの姿がリアルに映って、でも自分はロックなんて少しもやってなくって、つって就職しても収入も労働時間もあんま変わらんし今と同じような生活がたぶん続くわけで、アパート借りて単身赴任してる三十代後半から四十代のオヤジみても、年功序列分だけ収入は俺らより高いとして、コンビニ弁当とキリンビールで巨人戦観て寝る生活なんつぅーのも、今の俺より良い生活してるようには見えんわけで、かといって日雇いバイトしてる四十から五十代のおやっさんが「下手するとパート出てるかみさんの方が収入多い月あるからのぉ」なんて言ってるの聞くと、一生やる仕事でも無さそうだし、「家賃五万も払うんならローン組んだ方が得やろ、ワシは18のときローン組んで30で払い終わったからそっから引っ越すときも売った金でまた家が買える。同じ歳で同じ収入でワシのローンと同じ家賃払ってた同僚は借家から出るとき手元になんも残らんかった」とかいう話を年配の方として「それは転勤がない前提で言えるんで、転勤したら住まない家のローンにプラス借家の家賃、誰がローン払ってくれるの?」なんてどこまでも暗いトークかましつつ、まぁええんでないかい。

1/24 さんまさんがコーヒーのCMで「ブラック!」と言ってるのをなんか変だなと思っていたのですが、あれって、コーヒーのブラックとブラックデビルをかけてたんですね。

話変わりますがもののけ姫のTV放映時に流れた高畑さんの新作「となりの山田君」、おじゃまんが山田君が原作らしいのですが、「木を植えた男」っぽいヘタウマな手書き感覚あふれる不安定な線と不安定な色使い。コメディのはずなのに、ほんの数秒のカットだけで哀しい雰囲気になってしまうのは高畑さんの人間性か?哀しいと思ったのは自分だけなのか?高畑さん特有の精巧な人間観察、エンターテイメントに成り切れない芸術性がものすごく出てました。「制作は順調に・・・遅れています」のテロップなんて唯一笑うシーンだったんだろけど笑った後哀しくなるような絵と音だし。別に火垂るの墓のイメージで見てるわけじゃないんだけど、ポンポコやハイジなんかにしても、なんかさ。芸術家として宮崎駿を超えることがあっても、集客力やエンターテイナーとしては超えられないってのが、高畑さん特有の人間に対しての緻密で論理的な洞察力・・たぶん持って生まれた人間性で努力してどうこうなるものじゃないと思うのですが・・から来てるような気が。

なんであれを哀しいと感じるのか、たった数秒のカットなのにってことですが、内容的にはごくごく普通の日常生活だと思うのです。ただ、色も線も不安定だし、BGMも不安定で物悲しい。ボケ老人が見る幻覚とか、老衰で徐々に死んで行くときに観る走馬灯とかのイメージですよね。すごく美しくて、こういうなにげない日常が幸せだったんだなぁ、でももう終わりなんだなぁって感じの、終わってしまった美しいイメージって映像じゃないですか。宮崎さんが作るとどんな絶望的な状況を描いても、その状況を変える主体=主人公がいるのですが、今回見たほんの短いアニメなんですけど、ものすごくささやかな幸せと、もうすぐ消えてしまう意識=主体=主人公って感じがして、あんな映像が見えるようになったら俺ももう長くないなって感じの、美しくて朦朧とした意識=認識ですよね。だからどんなに幸せな状況描いても、どんなコミカルなものを描いても、それらが終わってしまった美しい過去みたいな輪郭と色で描かれててすごく哀しい。もっと言葉知ってる人だと「哀しい」じゃなくて「メランコリック」「ペーソス」「アンニュイ」「切なさ」「悲哀」「枯淡」なんて語を駆使できるのだろうけど、この辺がてめぇの限界か。

1/19 日雇いのバイトで暮らしてるのですが、年末年始派遣会社が休暇で仕事をもらえず、さらに年始、仕事があまりないらしく半月ほど仕事がないまま、その間百円のレトルトカレーと卵ご飯で一日2合米食って二百円ほどで食いつないでいたのですが、やっと佐川の仕事をもらって働き始めたと思ったら四日働いた地点で風邪でダウンして三日も休んでしまう。仕事が無いから食費を削る、金が無いから仕事を入れる、して風邪でダウン・・・だっせぇーーー。国民健康保険とか払ってねぇーし、どーなんだろって思って、一万五千とか取られる覚悟で医者行ったら、三割負担で千二百六十円、一割が四百二十円として、全額負担でも四千二百円、ヨユーだったじゃん!金も時間もねぇーのに、免許の更新にも行かなきゃなんねぇーし、プロバイダーもHI-HOから定額制のとこへ移んないと今月のプロバイダー料が二万超えてたからさぁ、電話代加えると五万ほど使ってる計算?恐るべし、インターネット。

1/8 おいらカジヒデキさんにインタビューしたぜぇー―。そのHPへ飛ぶにはここをクリック。つっても直接会ったわけじゃなくってインタビューシートを作っただけだけど。で、その質問表を採用してくださった古本さんにも感謝。

1/4 ビジュアルバムvol.2「親切」遅ればせながら観ました。「はじめからダイヤモンド」のコントを見ていると、関西で「4時ですよーだ」をダウンタウンとやっていたときの今田耕司さんはダウンタウンから貪欲に芸を盗み、松っちゃんのボケも浜ちゃんのツッコミも完璧にコピーし、さらに自分のアレンジの加えるまでに到った一流の芸人に見えたのに、関東でさんまさんと番組に出ると基本が全然なっていない様に見えてしまう理由ってのが自分の中でつかめました。

「4時です」の頃の今田さんは、浜ちゃん並みの強烈なツッコミを松っちゃんにいれ、松っちゃん並みのシュールなボケをかますことが出来、さらに今ちゃん独自のほほえましいふんわかした笑い・・欽ちゃん・サザエさん系のボケもできるオールマイティーなキャラクターで正直ダウンタウン(当時からTV向きで無かった一人ごっつな松っちゃんとツッコミオンリーの浜ちゃん)よりも面白く見えました。その今田さんがたまたま相方に恵まれなかった、たまたま「渋谷系裏りんご」が失敗した、たまたまナインティーナインの売り出し時期とダブってしまった、気が付けば「4時です」の頃のキレが無くなってしまっている。そういう状況の中たまたまさんまさんと今田さんがいっしょの特番で司会をするようになると、後輩のつたない司会に対して、さんまさんが懇切丁寧にダメ出しをして「ここはこうする、ああする」と訂正すると、今田さんのとき「しん」としてた会場がさんまさんのコメントや仕切りでドカドカ笑いが起きる。その理由を「今田さん東京に来て腕落ちてるんだ」ぐらいに思ってたんですが、ビジュアルバム観ると違いましたね。

ビジュアルバムで松っちゃんはツッコミの速度、いかに速く突っ込むかといかに小さなボケを拾うかを説いてるんですが、ネタがきちんとできててボケとツッコミがはっきり分かれてる二人組みだから出きるんで、ピンの芸人で自分のボケに対していかに早く突っ込むとか、自分の小さなボケにも早く気付いて拾ってあげるとかって、たぶんないんですね。それに対してさんまさんのツッコミって「ひょうきん族」の頃から一貫してノリツッコミだったわけで、相手の小さなボケをいかに大きく膨らましてアレンジして演じるか、ノリツッコミのノリの部分に命かけてる訳で、ピンの芸人さんが、歌手だったり女優だったりといった芸能人のゲストや子供や女子大生といった笑いの素人に対して突っ込むときすごく重要なポイントになりますよね。素人さんの小さな、それ自体面白くも何とも無い天然ボケをいちいち拾って速攻ツッコミしてるとすごく殺伐とした空気になるじゃないですか、欽ちゃんの場合それを拾うと、その小さな天然ボケを何度も本人に再現させて味が出てくるまでリピートさせまくるのですが、さんまさんの場合拾ったらアレンジして大きく膨らませて自演する訳で、そのノリツッコミのノリの芸に対して、特番中今田さんはしきりに感心していて必死になってコピーしていたわけで、それはボケ自体が一つの確立したジャンルになってるダウンタウンさんといくらやってても盗めなかった芸の一つなんだなという気がしました。(マジカル頭脳パワーの今田さんを見て一言「ガンバ!」)

1/3 古畑任三朗×SMAP観ました。その前の「キンキキッズLOVE×2愛してる」から観てるんだから、俺もかなり暇人だ。中居君のネックレスの玉が六個在ったのに、一個なくして五個になったって話、大爆笑!これ事務所的にOKなの?実は昨年、六人で映ってるSMAPの下敷きを某所で観つけ、レアだという理由で買ってきました。男闘呼組のブロマイドと一緒に(笑)。その店は、光GENJI全盛期にイーグルス(光GENJIの母体)の写真を店頭に並べ、BOOWY解散十周年の去年に暴威(メンバーが六・七人いたファーストアルバム頃のBOOWY)のカレンダーを扱うなど怖いものしらずの店なのですが、特にレアだと感じたのが六人そろってるSMAPで、大体ジャニーズってたのきんトリオの頃に原宿のブロマイド屋とケンカ(裁判)をして原宿からブロマイド屋を一掃して以来、ブロマイド屋さんからは別格に恐れられてる事務所で、他の事務所のタレントさんの写真は本人や事務所に無許可でブロマイドを売れても、ジャニーズだけは事務所の許可が必要と言われてるんですね。にもかかわらず、六人組みのSMAP・・明らかに無許可販売。店の話だと在庫あるだけしか売れないから・・って、もろ裏物扱い。

ジャニーズ事務所の圧力でTVに出られなくなったタレントリストってのが雑誌に載ってて、その情報によると吉川晃司・チェッカーズ・DA PUNP・筋肉少女帯がそうらしいのですが、一個だけ明らかになぜリストに載っているのか分からないグループが。ダ・パンプやチェッカーズに圧力かけるのは分かるとして、なんで筋少に・・。そりゃ日本インド化計画の頃TVで深夜番組持ってたけど大槻ケンジさんとジャニーズって芸風がダブりようがない。香取君が格闘技好きでオーケンと格闘番組でキャラがかぶるってんなら、ウッチャンナンチャンのナンチャンや長島一茂・関根勤さん辺りにも圧力をかけないと!いっこだけ考えられるとしたら、少年隊を売り出していた頃、別の事務所が少女隊を売り出したことにジャニーさんが激怒したという話が在るのですが、筋肉少女帯もその流れでトバッチリでしょうか?

1999年1/1セバスチャンって大人になってもセバスちゃんなんだよね。

12/28ぷろぴのーるのたけさんからCD発売を無期限延期するとメールが入る。何枚か買ってレンタルCD店を回って置いてもらい広告するのが夢だったのに。

12/18 ぷろぴのーるのクリスマスライブ行って来ました。ライブの出来は予想通り悪く、当然のようにシンセという機械は録音に強くライブに向かないわけで、エレキギターで生演奏するグランジバンドの方が当然良い音が出てるわけで。でも妙に楽しめてしまったのは、半年ぶりに女の子としゃべったからとか、生ギターを聴けたとかライブやってる変なサラリーマンの人に会えて、リーマンも悪くネぇーなと思えたからとか、やっぱりぷろぴが面白かったとか色々あるのですが、まあ、そういう感じです。

12/13 「『絶望』の『望』を信じる」と中村一義は言った。これは橋本治が「貧乏は正しい」の中で言ってたこととダブるんだけど手元から何かが消えたとき、手に入らなくなったときに初めてその物に対しての欲望を感じる事が出来る。手に入らない絶望の後にしか、手に入れる希望がない。始めから手元にある幸せは退屈だ!って意味で、最近の自分はすごく絶望的に貧困だ。20日までに家賃を入れなきゃいけないのに、働きもしなければ預貯金も一万三千円しかない。普通のバイトだと給料は一ヶ月後なので、日雇いのバイトで十四時間労働で一万円もらうのが精一杯。会社に居た頃と比べて、すごく幸せな絶望を手に入れている。ラッキー。

12/8 冷蔵庫の扉は二秒開けとくと五度も温度が上がるそうです。ということは四秒で十度、六秒で十五度、何秒で冷蔵庫は発火するのだろう。

12/2 Nothing to doToo discoverable To do anything! Add Nothing to me Now! Kill me 'GATUN'!

11/25 22日にまた嘘をついてしまった。本屋で「40過ぎてからのロック」を買った。本屋で三時間ほど立ち読みして爆笑していた渋松対談だが、いい加減店の人が寄ってきて、買わざるを得ない雰囲気になってしまった。一度立ち読みで最後まで読んでるのに、まだ笑える。Buzzのコラムもそうなのだが、何故ロッキンオン系の人達はギャグが面白いんだろう。

11/22 最近アニメのサザエさんを観て爆笑している自分に気が付く。サザエさんのギャグをほほえましいでなく、本気で笑えてしまうのだ・・・トシだ。ダウンタウンのガキの使いを見ても笑えない、まして爆笑問題や他の若手芸人の笑いでは、何をやっているのか、何故周りの人間が笑っているのかがわからない・・・お笑い番組を見ていると年齢を感じる。

11/19 女性の社会進出の背景には「永遠に対する恐怖」がある。昨日と同じ今日、今日と同じ明日、新興住宅地の専業主婦なぞになってしまえば、変わり栄えのしない狭い地域社会の中でおばちゃん達との井戸端会議。今日誰が何時に洗濯物を干したとかどこのお宅は最近亭主の帰りが遅いとかどこの奥さんの夕食は最近手抜きだとか、どうでもいい話を一日何時間も繰り返す日々。もっと大きな社会に出れば、自分の力が認められて社会的に大きな視野が持て、給料ももらえ経済力もつく。

彼女達の社会進出に対する過剰な期待は「主婦感覚」「生活者の視点」を説く男性サラリーマンのそれと似ている。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。(BGM:「昨日と今日」by小沢健二)一介のサラリーマンにでも成ってしまえば、会社の同僚と取引先の担当者の変わり栄えしない営業トーク、誰がこないだパチンコでいくら勝ったとか、ゴルフのハンデがいくつだとか、仕入原価をあとグラム七銭低く押さえられないかとか永遠に繰り返される日常。けれど、その向こう側に、こことは違う世界が広がっているはずだ。ある種の期待を込めてジョン=レノンも吉本隆明も主夫業の世界に入っていった。ほとんどの宗教が天国を死後の世界に設定するように、永遠から逃げる最も有効な手段は死になる。が、本当にニヒルな人間は自殺の中にさえ希望を見出さないらしい。死んだ後も、死という日常がただ永遠に続くだけだと彼らは言う。

1998 11/11 パパ、怖いよ、小鳥さんが、小鳥さんが死んでるよ・・・などと最近の子は死体を怖がる。我々が小さかった頃は、まだ敗戦直後の空気の中で兵隊さんの死なんてのは、ごくごく身近にみていたし、どこの家にも祭壇やお骨が在って、人が死ぬのは当然のことだと思っていた。医療やホームなどもまだなくて、自宅や近所の老人の死もごくごく普通に畳の上で行われていた。祖父が死んだときはまだ幼い私はその死というものが実感できず、何で寝たままなのか理解できなかった。祖父の葬式のときお饅頭や羊かんをたらふく食べた私は、人が死ねば甘いお菓子を腹いっぱい食べれるものだと思って、祖母に死んでくれと泣きじゃくったらしい。いま思うとひどいことをしたと思う。実際に自分がこの年になってみると、医療やホームが発達して、家族に看取られながら畳の上では死ねないらしい。孤独な老人の死というのは身寄りのないお年寄りだけでなく、家族と共に住んでる老人の上にもやってくるのがいまの豊かな社会だ。

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