パキスタン地震 長期支援活動記録(2006年07月〜09月)
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<2006年09月28日の記録>
村では、テントに宿泊 一緒にローティー作り! 薬の袋詰め作業を実施
『被災者支援プログラム』では、9月17日、18日の2日間、ヌーリー村のテントに宿泊しました。

村では、被災者のテントや家(といっても、あり合わせの材料で作った隙間だらけの小屋ですが)を訪問。一緒にローティー(主食のパン)を作ったり、刺繍を見せてもらったり…。
また、プログラム参加者には、被災者へ配布予定の薬(ビタミン剤と鉄剤)の袋詰め作業もお手伝いいただきました。


<2006年09月25日の記録>
絵本の翻訳作業中 子どもたちに絵本を紹介! 先生に絵本を手渡しました
9月15日から1週間の予定で、『パキスタン地震 被災者支援プログラム』が実施されました。
プログラムでは、子どもたちに楽しんでもらえたらいいな!と参加者の方が絵本を用意してくださいました。日本語をウルドゥー語に訳し、絵本の日本語の文字の部分を隠すように翻訳文を貼りました。
絵本は、「三びきのやぎのがらがらどん」や「おおきなかぶ」、「はらぺこあおむし」など、日本でもおなじみの絵本です。

<追>
パキスタンは、今日から聖なる月ラマダン(断食月)に入りました。


<2006年09月23日の記録>

写真ではわかりにくいですが…、コミュニティーセンター建設予定地の壁枠が完成しました。

地盤が緩いので、土砂の流れをせき止めるためにも、この石壁が重要な役目を果たします。この石壁、高さは2m以上あります。

子どもたちのためにも、雪が降る前に建物を完成させたい!と思っています。
センター建設予定地の壁枠です…


<2006年09月20日の記録>
ラワルピンディのトタン屋さん ファリダバードにトタン到着! 建設が始まりました
被災者は現在、今冬を村で過ごすための準備に入っています。
まずは、家の再建です。地震で崩壊し、土砂に埋まった材木を掘り出し、崩れた土地を整地することが毎日の仕事です。被災者からは、屋根を作るための「トタン」を支援して欲しいとの要請がありました。特に、イスラマバードのNWA被災民救援テント村にいた被災者は、国際機関や政府などからの「トタン」配布支援を受けていません。

イスラマバードのNWA被災民救援テント村にいた被災者を対象に、「トタン」を配布しました。
被災者は家の建設を始めていて、村のあちこちに木槌の音がこだましています。


<2006年09月18日の記録>

コミュニティーセンター建設予定地を整地中の皆さんです。

1本のスコップに2本のロープが付いていて、スコップを動かすと同時に、2人がそれぞれのロープを引っ張ります。1本のスコップを3人が使うのです!

スコップを動かす人は、ロープで「ひょい!」と引っ張ってくれる人のお陰で、作業が楽なんだとか。ちなみに、スコップを動かす人とロープを引っ張る人は、途中で交代していました。
コミュニティーセンター建設予定地


<2006年09月16日の記録>
子どもたちが砂糖を量るお手伝い 2kg入りの砂糖の袋が並びます 砂糖を取りに来るのは子どもの仕事
被災者の希望に沿って、砂糖、油、米、粉ミルクや紅茶の葉など、生活必需品ともいえる物資の配布支援を実施することになりました。

現在の配布対象者は、NWAに登録されているヌーリー村6集落に暮らす被災者で、約250家族です。登録もれがないよう、何度も何度も登録者名簿を確認、作り直しし、登録者全員に平等に配布されるよう、配給券の配布や、砂糖や米の計量や小分け作業など、被災者たちにも手伝ってもらって、支援物資(今回は砂糖)の配布が行われました。

来週から始まるラマダン(断食月)に向けて、そしてもう目前まで迫っている冬に向けて、必要最低限の食糧を確保することは、被災者にとってとても大切なことなのです。


<2006年09月13日の記録>

「はるかのひまわり」が大きくきれいに咲き誇りました!

NWAテント小学校に通う3年生の少女グルタージュと一緒に記念撮影しました。

ひまわりの種をちゃんと収穫して、来年は更にたくさんの花を咲かせたい!と思います。
「はるかのひまわり」と記念撮影


<2006年09月10日の記録>

ヌーリー村に建設することになったコミュニティセンター。

イスラマバードのNWA被災民救援テント村のトイレやシャワールーム建設でもお世話になった、エンジニアのファカルさんに、一度、ヌーリー村の建設現場を見ていただきました。

やはり、少し地盤が緩い…とのこと。建設前の地盤固め?が重要になってきます。
コミュニティーセンター建設の打ち合わせ


<2006年09月09日の記録>
ドキドキの質問タイム みんな真剣です! 笑い声が聞こえそう…
ヌーリー村の『NWAテント小学校』では、毎朝、朝礼が行われますが、学校が終わって帰るときには、「下校集会?」が行われます。ひとりずつ、先生に名前を呼ばれ、その日習ったことを質問されるのです。

「りんごは、英語で何て言うの?」
聞かれた子どもは、答えを黒板に書きます。
答えが合っていると、「○○ちゃん、ジンダバード(バンザイという意味)!」とみんなで拍手します。
そうして、49人全員の質問タイムが終了すると、今日の学校は終わり!
子どもたちは、元気に帰っていきます。


<2006年09月06日の記録>

朝晩すっかり冷え込むようになったヌーリー村。
夜は急激に気温が下がり、テントの中にいないと寒いくらいなんだそうです。

そんな中、村からの夕焼けがほんのり輝いて見えました。
明日は、晴れるかな?

遠くの山には、今年、初めての雪が降りました。
ヌーリー村から見た夕焼け


<2006年09月04日の記録>

ヌーリー村の『NWA小学校』では、毎朝、30分くらいの朝礼があります。国旗掲揚、国歌斉唱、朝のお祈り、先生のお話、そして、その後に「行進」があります。

「行進」といっても、広い運動場があるわけでもないので、ネコの額ほどの場所をグルグルと回るだけです。いち、に、いち、に…と歩いていると、緊張するのか、右手と右足、左手と左足が、一緒に前に出たりします。これで、なかなか「行進」は難しいのです…。

男の子たち、行進中


<2006年09月03日の記録>
石運びの手伝いをする子どもたち 石を並べる人たち 石垣をセメントで固めます
切り出した石を運び、センター予定地の整地が進んでいます。…といっても、雨が降ると作業は中断、「急ピッチ」とはいかないのが現状です。
石を並べて石垣を作り、セメントで固めて壁を作るのが、この土地のやり方だそうです。この石壁が平らに整地された土地の枠になります。石壁の厚さは70cmもあります。そうして石は8段にも積むので、高さは2m以上になります。

NWAテント小学校の上級生たちが、石運びを手伝ってくれました。


<2006年09月01日の記録>
8月29日 朝 8月29日 夕 8月30日 朝
「はるかのひまわり」が咲きました!
子どもたちにとっては、初めて見る「ひまわり」の花です。

6月23日に、日本青年会議所の皆さまと一緒に蒔いた「はるかのひまわり」が、8月30日の朝、かわいい花を咲かせました。気温が低いせいか、小さな小さなひまわりです。Rihoちゃんは、「絶対に種も取る!」と頑張っていますが、どうでしょうか。

ヌーリー村の夜の気温は、既に10℃…。村人は急ピッチで冬支度を始めています。


<2006年08月29日の記録>
ダイナマイトのため穴を開ける ダイナマイト職人です ダイナマイト、爆発!
石の切り出しは、もちろん重機などありません。ハンマーやつるはしなどコツコツと切り出すほか、大胆にダイナマイトも使用されます。村には、昔から「ダイナマイト職人」と呼ばれる人がいて、手際よく、石に穴を開け、ダイナマイトを仕掛けて爆破します。

切り出した石は、大人が4〜5人で担いでジープ道まで運びます。とにかく、大変な作業です。


<2006年08月26日の記録>
道路脇に切り出した石 石を切り出すために、崖を降りる… 崖の石を切り出す人
ヌーリー村に建設することになった、子どもたちのための小学校は、学校として使用するだけではもったいない…ということで、午前中は学校、午後は女性たちや村人が使用できる多目的施設…、「コミュニティーセンター」として建設することになりました。

さて、土地の整地が始まりましたが、とにかく平らな場所がない村なので、その作業はなかなか進みません。それでも、センター建設に必要な「石の切り出し」など、村の男性が働きに来ています。


<2006年08月22日の記録>

バラコットからファリダバード(ヌーリー村の麓)までの幹線道路は、大雨・長雨の影響で崩壊しています。地震のため、地盤が緩んでしまっている…というのも原因かもしれません。
道路は、軍の技師たちが作業をしていますが、なかなか修復されません。

バラコットから上の村へ行く人は、この崩壊した道路の手前で乗ってきたジープやバスを乗り捨て、崩れた崖下の迂回路を歩いて対岸へ渡ります。40分も掛かる山道です。
幹線道路(橋)、崩壊中…
崖下には、荷運びの人夫がいますが、何でもかんでも…と荷物をお願いすることはできません。もちろん、無料ではないので、荷物は最低限になります。そうして、対岸のジープやバスを乗り継いで、先の村へと向かうことになります。


<2006年08月19日の記録>

ヌーリー村の草かげにひっそりと止まる「蝶」を発見!
Rihoちゃんは、「蝶」だと言いますが、羽を開いて止まっているところを見ると、「蛾」だと思うのです…。

これ、「蝶」ですか?それとも、「蛾」ですか?
知っている方がいらっしゃったら、教えてください〜!

ちなみに、ヌーリー村には「マムシ(蛇)」も出るそうです。
蝶ですか?蛾ですか?


<2006年08月17日の記録>

日本青年会議所の方々と一緒に種を蒔いた「はるかのひまわり」。
そのひまわりが、芽を出し、そして少〜し大きくなりました。(雑草にまぎれて、ちょっとわかりにくいですが…。)

花が咲くのかどうか、(既に山の上は寒くなってきているので)不安ですが、無事に育つように、子どもたちみんなで見守っています。
はるかのひまわり 8月2日撮影


<2006年08月14日の記録>
床を土で固め…、 セメントをこね…、 そして、セメントで固めました
子どもたちが学ぶ、ヌーリー村の『NWA小学校』は、現在、登録人数が49名になりました。
ゴツゴツとした地面に、ゴザをひいたテント学校でしたが、このほど、地面をセメントで整地しました。土できれいに固めて、その後にセメントを流し込み…。上級生の男の子たちが、整地のお手伝いをしてくれました。ありがとう!

座り心地の良くなった学校で、みんな元気に学んでください!


<2006年08月10日の記録>

今年のパキスタンは、あまりお天気が良くありません。

7月初めごろからモンスーン(雨季)に入ったのか、毎日のように雨が降ります。時には、一日中、雨の降り続くことも…。

結果…。
地震で地盤の緩んでしまった被災地の道路はズタズタ。
幹線道路も、山のジープ道も、あちこちで寸断しています。

ヌーリー村へと続くジープ道
ヌーリー村で活動中のRihoちゃんからの連絡では、村は陸の孤島状態で、野菜や果物などの生鮮食品は手に入らなくなって既に2週間、砂糖もあと3日ほどでなくなる…とのこと。
毎日、降り続く雨のため気温も低下していて、標高1800mにある山の村は寒い!とのことでした。

現在、食糧を村に届けるべく検討中です。が、道路が寸断されてしまっているため、思うように動けないでいます。また、学校建設のための土地の整地も、雨で思うように作業が進みません…。


<2006年08月03日の記録>

NWAが支援を進めるヌーリー村は、今回の地震でほとんどの家屋が全壊し、75名が死亡しました。地震により生活道路も崩壊しましたが、ようやく5月下旬に開通しました。けれども、雨が降るたびにがけ崩れが起こり、たびたび寸断されるのが現状です。

ヌーリー村までは、イスラマバードからバラコット(最大の被災地)経由で、約6時間半かかります。
今も、地滑りの跡がそのまま残る


<2006年07月29日の記録>
学校建設予定地 学校の模型 中は、こんな感じです
村人からの要請もあり、子どもたちの教育のために小・中学校を建設することになりました。
土地は、村人から提供されることになりましたが、整地の必要があります。現在、既に整地を開始し、学校は寒い冬が来る前に完成させる予定です。

学校は、村人たちと話し合った結果、5教室・約200平方メートル規模のものになりそうです。
また、学校内には診療室を併設し、地域の巡回医療の拠点とする予定です。
(現在も、NWAテント学校を拠点として、薬の配布は行っています。)


<2006年07月24日の記録>
ヌーリー村には地震前、小学校が2校ありました。が、全壊し再建設の目処は全くたっていません。村人からの聞き取りでは、5年間で約数万円の再建費しか交付されないといいます。これでは、学校のの再建は不可能です。

子どもたちは、テント学校でも楽しく勉強していますが、次の冬が来る前には、ちゃんとした環境を整えてあげたいと思います。
子どもたちの制服ができました!


<2006年07月19日の記録>
朝礼風景 今日のお当番さん? 一日の始まりは“祈り”から
ヌーリー村の『NWA小学校』の朝は、7時半の朝礼とともに開始します。
国旗掲揚、国歌斉唱、行進、先生のお話、そしてお祈り…と朝礼は30分くらい続きます。

子どもたちは夏休みもなしで、地震で遅れた分を取り戻すべく勉強に励んでいます。
既に夏休みに入った、公立小学校の子どもたちも、夏休みの間だけNWA小学校に通うことになり、現在、生徒数は大幅に増えて48名です。


<2006年07月14日の記録>
心にひまわりが咲きました みなさん、ありがとう! 彩のきれいなひまわり
ヌーリー村にある『NWA小学校』の子どもたちから、日本青年会議所の方々へ、「お礼の手紙」が届きました。「日本とパキスタンの友好、バンザイ!」「ありがとう!」と書かれた手紙には、色とりどりの「ひまわりの花」が描かれています。

「はるかのひまわり」の種が、マンセラやヌーリー村で育って花を咲かせるのは、もう少し先かもしれませんが、子どもたちの心には、ちゃんと花が咲いたみたいです…。


<2006年07月12日の記録>
リュックを背負って 学校までは40分も… こんな山道も平気です!
JR東労組東京地本の方々から、NWA小学校の子どもたちに…と、リュックをご寄付いただきました。今までは、ビニールの袋などに学用品を入れて、片手に提げて通学していた子どもたち…。背中に背負ったリュックのおかげで、山道も安心です!

JR東労組東京地本の皆さま、ご支援いただき、ありがとうございました。