パキスタン地震 緊急支援・中期支援活動記録(2006年01月)
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<2006年01月29日の記録−その3>
アスレチックも初めて! つり橋、怖いよ〜 お昼はピクニック気分!
最後は、動物園の隣にある「子ども公園」へと向かいました。ここは、20年ほど前に「日本の子どもたちから、パキスタンの子どもたちへ」と贈られたアスレチック公園です。

テント村の子どもたちは、ブランコもシーソーも滑り台も初めて!もちろんアスレチックも初めてです。
こわごわ上った滑り台の上で、ずーっと座ったままで滑り降りられず、結局、後ろの階段をゆっくりと下りていく子や、滑り台の縁を握り締めながら滑る子たち…。でも、それもあっという間に慣れて、何度も何度も滑り落ち、お尻は真っ黒けになりました。

お昼はブルーシートを広げて、カバーブとチキンティッカ、ナーンにジュースをいただきました。テント村の外、みんなで一緒に食べるお昼は、また格別の味でした。


<2006年01月29日の記録−その2>
ライオンの檻の前 オオカミの檻の前 孔雀の檻の前
次に向かった先は、イスラマバードの動物園。子どもたちが、とっても楽しみにしていた場所です。動物園へ入る前に、子どもたち全員に「おやつ」の袋を配りました。動物園は、「おやつ」を食べながらの見学です。

ライオン、ゾウ、ヒョウ、オオカミ、シカなど、いろいろな動物に出会いました。初めて出会う動物たちに、「これ、何て言うの?」と言いながら、大きい子に立て看板を読んでもらう子、サルを見て、「ボクの村にもいるよ!」と教えてくれる子、またダチョウを見てビックリ!「これ、本当に鳥??」と興味深かげに立て看板を読み、「へぇ〜、世界で一番大きな鳥なんだって!」と。

マルガラの丘の麓に広がる動物園で、裏山へと続く木立を見ながら「ヌーリィーの村の山みたい…」と、女の子がつぶやきました。自分の村を思い出したようです。


<2006年01月29日の記録−その1>
ファイサル・モスクで記念撮影 ファイサル・モスクを散策中 バスの中の子どもたち
今日は、『遠足の日』…。
出発時間は9時と決めていましたが、2台のハイエースは8時15分にテント村へと到着しました。
子どもたちは、「夜、寝られなかった〜!」と、前日に配った「遠足チケット」を握り締めて、既に準備万端で待っていました。

まず向かった先はファイサル・モスク。モスク内部だけで1万5000人が、敷地全体では10万人が一度に礼拝できるという、世界でも3番目に大きいモスクです。
最初は、おっかなビックリで神妙にしていた子どもたちでしたが、慣れて来ると周りをキョロキョロと。
「こんな大きなモスク、初めて!」
「真っ白で、すっごくきれいだね!」

朝9時半ということで、少し寒い時間でしたが(裸足の足が冷たかった〜)人も少なくて、ファイサル・モスクをゆっくりと見学することができました。


<2006年01月28日の記録>
遠足チケット 顔写真入り 大泣きしました…
明日は、待ちに待った『遠足』の日です。
5日も前から予定を聞いた子どもたちは、そわそわ…。「ぼくは、行っていいの?」と少し不安な表情の子も。
「行けるのは、お利口さんだけだよ!」と伝えると、「ぼくは良い子じゃないも〜ん…。」と泣きじゃくる子までいたほどです。

混乱を避けるために「招待状」ならぬ「遠足チケット」は作成しました。参加者の顔写真入りです。バスに乗るためには、このチケットが必要なのです。現在、参加予定者は小中学生36名。2班に別れ、ハイエース2台でファイサル・モスク、小動物園、そして子ども公園へと向かう予定です。

さてさて、明日はどうなりますか?
引率者さんたち、頑張ってください!


<2006年01月26日の記録>
外に座って絵を描きました 仲良し女の子たち 絵を描く姿は真剣です
絵を描くことが大好きになった子どもたち…。今日は、学校テントの「外」で、絵を描きました。

じょーじさんに連れられて出かけた先は、学校テントから100歩ほど離れたグランドでした。テント村の敷地内ですが、男の子たち(だけでなく、大人の男性も)がいつもクリケットをして遊んでいるところです。

さて…。
外で絵を描くことも初めてなら、「動く被写体」も初めての子どもたち。
「きゃー、むずかしい〜」「動かないで〜!描けないよぉ〜!」
…と言いながらも、「クリケットの試合」の絵を描きあげました。

次の日曜日は、みんなで小動物園に出かける予定です。辛い体験をたくさんした子どもたちですが、このテント村での生活に、少しでも「楽しい思い出」が加わればいいな…と思います。


<2006年01月23日の記録>
ロゴ用の型紙 ロゴを乾かし中 ロゴが入ると、こんな感じ
昨年12月の半ば過ぎに届いた、コールマン・ジャパン社のテント796張は、NWAのイスラマバードテント村で使用されているほか、被災地でテントもなく生活をしている人たちに配布されています。

テントには、配布前に、不正売買防止用のロゴ(NWAとRelief Goodsの文字)を入れました。
テントを1枚1枚広げ、スプレーで文字を入れ、乾くのを待って畳んで収納…。テント約800張ともなると、大変な重労働です。が、これも、テントを確実に被災者へ届けるために必要な作業です。

ボランティア・スタッフが何日も、何日も作業を続け、既に何張ものテントが、被災地に送り出されました。


<2006年01月21日の記録>
支援物資を分配中 支援物資を取りに来た子 一人暮らしの女性へ配布
テント村の住民に、支援物資の衣類を配布しました。
家族の人数や構成に合わせて、各テントごとに衣類を整理し、無駄のないよう、また確実に役立ててもらえるように考えながらダンボールの空き箱に分けました。

分類後、各テントに声を掛け、住民に支援物資を取りに来てもらいました。
お父さんが取りに来たり、お兄ちゃんが取りに来たり、おじいさんが取りに来たり…と、支援物資を取りに来るのは、「男性」の役目です。テント村内でも、男性が仕事に出かけていたり、男の子がいなかったりすると、たった15mほどの距離なのにも関わらず、そのテントの女性は支援物資を取りに出て来られません。

一人暮らしの女性へは、山下代表が支援物資を届けました。
「たったこれだけの距離なのに、表へ出てこられない女性がいるなんてショックです。被災地に暮らす未亡人など、本当に支援を必要としている人を支援したいですね!」と、山下代表が言っていました。


<2006年01月20日の記録>
荷物を降ろす山下代表 ビスケットの袋を手渡す ビスケットの袋を手にして
16日、日パ・ウェルフェアー・アソシエーション(NWA)の山下代表が現地入りし、早速、18日は朝6時にイスラマバードを出発、バラコットへと向かいました。バラコット、パトラング、そしてハングライと訪問予定でしたが、前々日に降った雪のせいで道路が遮断され、ハングライへは行けませんでした。

バラコットのベースキャンプ地(NWAが緊急支援のテントを張っていた所)では、テントを配布しました。また、昨年11月半ばに訪問した際に、点滴をしたお母さん(出産後2日目だった)にも会うことができました。お母さんは、現在は顔色も良く、調子もいいとのことで安心しました。
パトラングでは、持って行ったビスケットを袋詰めにし、子どもたちへ手渡しました。子どもたちは靴下もはかず、素足にゾウリでしたが、それでもみんな、元気に駆け寄って来ました。

帰りは、震源地ガリ・ハビーブッラを通り、ムザッファラバード経由でイスラマバードへと戻ってきました。


<2006年01月19日の記録>
まくらカバーができました テーブルクロス作成中 編みこんで、刺繍して…
テント村の女性たちの楽しみのひとつに、刺繍があります。
女性たちに、布、糸、刺繍用フレームを提供しました。

テント村の女性たちの刺繍は、刺して、編みこんで、また刺して…と、村独特の刺繍法なのだと、女性たちは言います。糸も、日本のような刺繍糸は使わず、極細の毛糸を使用しています。

年頃になるとお母さんや、お姉さんから刺繍を習い始め、ベッドカバーやまくらカバー、テーブルクロスなどお嫁入り道具を作るのだそうです。自分で刺したベッドカバーや、お姉さんがお祝いに作ってくれたテーブルクロスなどを持って、お嫁に行きます。


<2006年01月18日の記録>
17日夕方の空 不安そうに空を見つめる子 水溜り対策で土を運びました
イスラマバードは、15・16・17日と雨が降り続き、テント生活をする人たちにとっては、あまりありがたくない空模様となりました。テント村の地面は水はけが良いのですが、それでもアチコチに水溜りができ、みんなで土を運んで水の溜まった窪みを埋めました。

17日の夕方には、黒雲が徐々に湧き上がり、雷もゴロゴロ…。そうして、あっという間に大粒の雨となりました。その後、雹までも降り出す始末…。あまりにも変なお天気に、「雷、怖くない?」と女の子たちに聞いてみると、「あの地震を体験しちゃったら、他に怖いものなんてないよ!」との返事。反対に、こちらの胸が詰まってしまいました。

…今日は、朝から雲ひとつない青空となりました。
濡れたテントを乾かしたり、洗濯をしたり…。
暖かくなるまで、もう少しの辛抱のようです。


<2006年01月16日の記録>
犠牲になった牡牛 牛を解体するのは、男性の仕事 早速、肉カレーになりました
イード2日目に、2頭の牡牛が犠牲となりました。

黒い方の牛は元気いっぱいで、大の男が5人がかりで紐を掛け、足を縛って引き倒しました。白い方の牛は、悟ったように、大人しくしていました。両方の牛から270kgもの肉が取れ、テント村の住民27家族150人に分けられました。

犠牲になった家畜の肉は、3分の1を自分たち家族で、3分の1を親類や友人に、そして3分の1は犠牲にするための家畜を買う事のできなかった貧しい人と分け合うという風習があるため、近隣の住民へもお裾分けし、一緒にイードのお祝いしました。

犠牲祭の由来は、こちらから


<2006年01月14日の記録>
家族一緒に記念撮影 お姉さんのピンクのショールが色鮮やか! 従姉弟同士、仲良しです
報告が遅くなりましたが、11日&12日はイード(犠牲祭)でした。

テント村の住民も、何となく華やいだ気持ちでお祝いムードだったようです。男の子は爆竹を鳴らしたり、女の子もガラスのブレスレットをしておしゃれをしたり…。子どもたちも、新しい服を着て、イード気分を味わいました。

でも中には、雪のために村から両親が来られなかった…とかで、新しい服もなく沈んでいる子も…。その子たちは、「イード・ムバーラク(イードおめでとう)!」と言って、しっかりと抱きしめてあげました。


<2006年01月11日の記録>
こっちが優しい牛 この牛、元気が良すぎて大変でした イードを待ちわびる子どもたち
今日は、待ちに待ったイード(犠牲祭)です!

キャンプ村にも、8日、犠牲祭を祝うための「牛」が到着しました
夜7時過ぎ、2頭の牛がトラックに乗せられてハリプールの町から、イスラマバードへと到着しました。
1頭は優しい牛でしたが、もう1頭はトラックに揺られて、気が立ってしまったのか、手が付けられない状態になっていて、大変でした。現在、テント村近所の牛舎で預かっていただいています。

明日12日、この2頭の牛を犠牲にし、テント村で暮らすみんなと一緒に、お祝いしたいと思います。
テント村の子どもたちの様子は後日、お届けいたします。お楽しみに〜。


<2006年01月10日の記録>
真剣な表情で絵を描く子 絵の批評会となりました 絵を貼り終わりました
テント村では、午前中が学校の時間です。
一通りの勉強が終わると、次は絵の時間が始まります。

ボランティアのじょーじくんの絵のクラスが大好きな子どもたち。
中には、勉強の時間には来ないけれど、絵の時間だけは出る!!という子までいるのです。

今日はみんなで、「おともだち」の似顔絵を描きました。
大きな目、長いまつげ、かわいい口元…。
なかなか特徴をつかんでいます。

教室に、子どもたちの力作を貼り出しました。
今まで、自分たちの絵を壁に貼って「じっくり観る」という機会のなかった子どもたち。お互いの絵を批評しながらの見学会となりました。

→子どもたちの絵はこちらから


<2006年01月08日の記録>
子どもの服を縫うお母さん 子どものズボンです こんなのができました!
イード(イスラームの大祭−犠牲祭)に向けて、テント村では晴れ着の準備が進んでいます。

テント暮らしなので、イードを祝う気持ちにもなれない…と嘆く村の女性たちですが、それでも子どもたちには新しい服の一つも着せてやりたい!と思うのが親ごころ。
小さな服は、あっという間に仕上がりました。

お姉さんに習いながら、自分の服を縫っていた女の子が、縫い直しをしていました。
「どうしたの?」と聞くと、「間違えて、違うところを縫っちゃった!!」とのこと。でも、こうやって、裁縫を覚えていくのかも。

イードは、もうすぐです。


<2006年01月06日の記録>
お兄さんの話を聞く子どもたち うがいコップを頭に乗せて… うがいの練習!
風邪の予防は「手洗い」&「うがい」から…ということで、子どもたちと一緒に「うがい」の練習をしました。
「自分のコップ」を持って集まった子どもたち。
コップに水を入れて、塩を一つまみ…。

まずは、口に水を含んで、グチュグチュ…。
どんな味?
次に、ガラガラ〜〜。
上手にできなくて、水を飲んでしまう子や、服を濡らしてしまう子などが続出でした!

でも、夕方、ご飯前にうがいをしている兄弟を見かけました。まだ、うまくガラガラ〜とできなくて、服がビショビショになっていましたが、それでもうがいをしよう!と頑張っていたことが嬉しくて、思わず「おりこうさん!」と声を掛けました。

いつも、元気な子どもたちでいて欲しい!と願っています。


<2006年01月04日の記録>
水捌けのための溝堀り 水を掃き出す女性たち テント入り口のひさし
31日の夜から降り出した雨が、止まないままに2006年を迎えたイスラマバードテント村。
山の方の被災地では、またまた冷たい雪・みぞれとなりました。

テント村でも、雨・風のため気温が一気に下がり、夜間の気温は0℃になりました。昼間も雨に降られて風が吹き、調理用のガスコンロがテントの外にあるため、テントの入り口にひさし用のグリーンのシートを張りました。それでも、風が強くて、シートがめくれあがります。シートをレンガの重石で抑えて、固定しました。

テント村のあちこちに水溜りもできました。子どもたちは外で遊ぶこともできません。
水がちゃんと捌けるように、みんなで溝を彫りました。

雨の中でのテント生活は大変です。が、これからは、この一雨毎に暖かくなっていくので、もう少しの辛抱のようです…。早く、春が来るといいね!


<2006年01月01日の記録>
野菜を分けます いろいろな種類があるので大変! 野菜を取りに来た子ども
テント村では、熱々の焼きたてローティ(主食)を1日3回配布していますが、カレー(主菜)は各テント前のガスコンロで調理することになっています。今日は、その材料となる野菜1週間分の配布日でした。

朝からボランティアスタッフが野菜を市場まで買いに出かけます。
じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、トマト、ほうれん草、かぶ、カリフラワー、キャベツ…などなど、各家庭の野菜量は8〜10kgと、とにかく大量です。(じゃがいと玉ねぎは、カレーの主役となるため、必要に応じて追加供給しています。)
それを、各テントの人数に合わせて分け、配布します。
今日は、オレンジも配布しました。

週1回の野菜配布のほか、紅茶、砂糖、ミルク、調理用油、米、豆類などの配布日もあります。