パキスタン地震 緊急支援・中期支援活動記録(2006年03月)
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<2006年03月31日の記録>
おかげさまで、大きな事故や問題もなく、被災民救援テント村を閉村することができました。みなさま、ご支援いただき、本当にありがとうございました!
1000人規模のテント村…が当初の予定でしたが、実際には、約200人の支援に当たりました。山を下りなくても冬を越すことができた自然条件、また様々な支援による結果だったと思います。
私たちが接したのは、被災者の本当に一部です。まだまだ多くの被災民が存在しています。

私たちは、「できることを背伸びせずにやる!」ことを今後も目指します。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
主をなくしたテント村のかまど


<2006年03月28日の記録>
別れの挨拶 体に気をつけて! 元気に手を振りながら…
本日は、カシミール出身者を中心に、12家族が帰村しました。
それぞれ、トラックに皆さまからの支援物資(マットレスや布団、生活用品一式)やテントを山積みにし、元気に手を振りながら、テント村を後にしました。
村へ帰る人たちにとっては、これからもまだまだ大変な試練が続くと思いますが、今後は、山へ帰った村人の自立のための支援を続けていきたいと思います。

テントは、残りあと1つ…。
今、言葉にならない寂しさでいます。


<2006年03月27日の記録>
荷物の積み込み また、会おうね! 笑顔で手を振ってくれました
皆さまからの支援物資(今まで使用していたマットレスや布団、生活用品一式)やテントを山積みにした、大きなトラック2台を連ねて、ヌーリィー村の被災者が帰村しました。

思えば…。
テント村に住民が入居し始めた12月当初は、皆、顔色も悪く、子どもたちの栄養状態も酷く、食欲がない…、夜も眠れない…と不安げな表情をしていた人たち…。安心して「暮らす」「暮らせる」環境整備が本当に大切だということを実感させられました。

村へ帰っても、まだまだテント暮らしは続きます。家をなくしただけではく、生活の糧であった畑や家畜もなくした被災者たちにとっては、まだまだこれからが大変な日々…。
私たちは、彼らが村へ戻っても、追っかけ支援を続ける予定です。


<2006年03月26日の記録>
テント村終了まで、あと5日となりました。
今日は、ヌーリィー村出身の16家族が、帰村する日です。
これからから歯が抜けるようにして、被災者たちは、徐々に村へと戻り、再建に取り組みます。テント村は少しづつ寂しくなってきました。
テント村が開始した12月初めまでは、会ったこともなかった被災者たち…。この4ヶ月の間に、素晴らしい人間関係ができました。

私たちは、この素晴らしい出会いを、ずっと、ずっと大切にしていきたいと思います。
別れの日


<2006年03月25日の記録>
テント村の終了に伴い、テント村内の小学校も閉校になります。今日は、その最後の日。ボランティアのじょーじさんが、子どもたちに「お別れの挨拶」をしました。
テント村開始時は、反発する子がいたり、情緒不安定だった子どもたちですが、いつの間にか、じょーじ先生と、とっても、とっても仲良くなりました。
絵を描いたり、粘土遊びをしたり、けん玉、コマ回し、ヨーヨー、糸電話、風船遊び、シャボン玉…と、数え切れないくらい、たくさん、たくさん、じょーじ先生と遊びました。

じょーじ先生!
楽しい思い出をありがとうございました!
テント村の最後の授業


<2006年03月24日の記録>
24日の夜、テント番号7番のヌールさん一家が帰村しました。
4男2女8人家族のヌールさん一家。
15歳の息子さんは、テント村近所の日雇いに、毎日、出かけていました。
14歳の娘さんは、お母さんに代わって、毎日の食事の支度、掃除、洗濯…と、本当に働きものでした。

村へ戻っても、暫くは大変な日々だけれど、でも、応援しているからね!シャクール、ナヴィーダ、ワカール、タヒル!頑張れ〜!
ヌールさん一家の帰村


<2006年03月23日の記録>
テント村の終了まで、あと8日…。
テント村ではカウントダウンが始まっています。また、一部の村人は、25日に帰村予定で、テント村内は一気に寂しくなりそうな気配です。
先日は、テント村で「お別れ会」を催しました。お別れ会は、とびっきり美味しいパキスタン料理をご馳走しよう!と思うボランティア全員の意向で、本職コック3名が腕をふるってスパイスの香りがいっぱいの炭焼きティッカや、炊き込みご飯、サラダなどを用意…。
みんなの喜びようは半端ではなく、ご馳走した甲斐のあった「お別れ会」となりました。
テント村での思い出


<2006年03月20日の記録>
いち、に、いち、に! せいれーつ! 上級生は算数中…
外で体を動かすテント村の小学生たち。
「せいれーつ!」の号令の後は、行進の練習です。
「いち、に、いち、に!」
まっすぐ歩いているつもりが、何故かウネウネ〜。何で?

その間、上級生たちは、増田先生と一緒に100マス計算などに挑戦していました。
集中力、計算力…伸びたかな?

全〜部、テント村の子どもたちの思い出になります。


<2006年03月17日の記録>
えいっ! やーっ! とーっ!
見事な前転だと思いませんか?
テント村の小学校低学年が、生まれて初めてのマット運動に挑戦しました。
(パキスタンの学校には、体育の授業がありません。)

勉強も大切だけれど、体を動かすことも大切だ!…ということで、お天気の良い暖かな日は、行進の練習をしたり、マット運動をしたり…と、遊びの要素を取り入れながら、テント村のグランドで楽しく学ぶ子どもたちです。


<2006年03月16日の記録>
「Teacher!」と慕われていた近江兄弟社高校の増田先生と、「イクラちゃん」というパキスタン名を貰って、女の子たちと仲良くなったボランティアの中村さんが、日本へ帰ることになりました。

テント村の子どもたちが勢ぞろいで、ボランティアさんに感謝!みんな一緒に記念撮影をしました。

増田先生、ありがとうございました!
中村さん、ありがとうございました!

テント村終了まで、あと15日…。
りほちゃん、じょーじさんは、最後まで頑張ってください!
記念の1枚


<2006年03月15日の記録>
糸電話って何? 「うわっ!聞こえたよ…」 「はろ〜はろ〜」
テント村の終了期限まで、あと半月となりました。
テント村では、今日も子どもたちと一緒に思い出作り…?です。ボランティアのじょーじさんと一緒に、「糸電話」に挑戦しました。日本の今の子どもたちは、「糸電話」でなんて遊ぶのでしょうか?

紙コップに、糸をつけて、ピーンと引っ張って…。
「はろ〜はろ〜」
「ふふふ…」
おともだちの声が聞こえて、不思議そうに笑う子どもたちでした。


<2006年03月12日の記録>

ドシャ降りに近い寒い雨の中、被災地(マンセラ方面)の学校を訪問しました。皆さまからのご支援金を少しでも有効に使うための、調査の一環というわけで、6校のコミニュティ・スクールを廻りました。

いずれもが、月約400円の学費が払えず、公立小学校へさえも行けない貧しい子どもを対象に開かれている寺子屋式の学校で、揃いも揃って壊れた家の1-2間、あるいは壊れた学校のベランダで寒そうに勉強中でした。
そして、その10-15%くらいの子どもが地震で親を亡くしたとのことでした。
震源地からは50-70kmほど離れている地区でしたが、地震後5ヶ月にもなろうというのに瓦礫の始末もほとんど済んでおらず、不便な生活をそのまま続けいました。

壊れた建物の片隅で
子どもたちは、初めて見る外国人に大騒ぎ。みんな人懐っこく礼儀正しい子たちでした。子どもたちへは、エンピツを…とお土産に持って行ったのですが、ノートどころか教科書もないような学校が半分。誰一人としてノートを持っていないところへエンピツを持って行った自分たちのバカさ加減というか感覚麻痺を久々に思い知って反省しました。

衣食住足りて礼節を知る…。勉強も大切ですが、まだ家もなく充分に食べられない子どもたちがイッパイいることを忘れてはなりません…。


<2006年03月08日の記録>
テント番号42番のご主人ズルフィカールさんが亡くなりました。家族をイスラマバードのテント村に残し、故郷へ自宅の復興にと戻っていた矢先の事故だったそうです。

ズルフィカールさんご夫婦は、結婚して12年目にして、ようやく子宝を授かった…ということで、娘さんはまだ、2歳です。

奥さんは、急遽、お子さんを連れてカシミールへと向かいました。
ズルフィカールさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
ズルフィカールさん一家


<2006年03月05日の記録>
いつも最高の笑顔をくれた姉妹 お別れは、涙が流れました… これからが本当の試練かもしれません
テント番号20番のイクバールさん一家が、故郷へ帰ることになりました。

イクバールさん家族は、カシミール出身。地震で家の下敷きになり、頚椎を損傷したお母さんが、イスラマバードの病院に入院しました。テント村へは、お母さんが退院するまでという条件で入ってきたのですが、この度、お母さんが退院して、村へ帰ることになりました。
お母さんは、車椅子です。リハビリ期間中は、テント村で生活しては?と勧めてみたのですが、やはり故郷の方が良い…とのこと。皆さまからの支援物資やテント2張をトラックの荷台に山積みにし、ボランティアたちの手を、しっかりと握り締めて、真っ赤な目をしながら帰って行きました。
私たちも、「体に気をつけて!」と手を振るしかできませんでした。

自分たちの村へと帰る家族たちに、幸あれ!


<2006年03月02日の記録>
増田先生、さすが! もしもしカメよ… けん玉大会やりますか?
学校が終わったら、けん玉に一生懸命な子どもたち…。

増田克彦先生に、持ち方、立ち方から指導していただき、挑戦です。
大皿、中皿、小皿、そして「とめけん」へと…。あっという間に、大皿へ玉を乗せるタイミングをマスターした子どもたち。中には、「もしもしカメよ…」の歌の合わせ、大皿と中皿の間をトントンとリズム良く玉を移動させる子も。
でも、増田先生の繰り出す大技?「ふりけん」や「灯台」、「飛行機」にちょっとビックリ!
みんなで頑張って練習しています。

…けん玉大会、やりますか?


<2006年03月01日の記録>
ミシンの使い方練習中 ゆっくり、ゆっくり… 縫えるようになってきました
しばらくの間、刺繍に夢中になっていた女性たちですが、また縫製教室で裁縫を始めました。

まずは、ハギレや、いらない布を使って運針の練習から。ミシンは、右側に手回しのハンドルがついている手動式です。右手でハンドルを回し、左手で布を送りながら縫うのは、慣れない人には結構、難しいのです…。
中には、子どもにハンドル回しを手伝ってもらいながら布を縫う人も。

それでも、裁断から縫製まで、一通りシャルワール・カミーズ(パキスタンの民族服)が縫えるようになりました。そして、一度、縫えるようになると楽しいらしく、次から次へと縫う練習をしています。子どもたちも、お母さんが縫ってくれた新しい服に大喜び!

…ということで、縫製教室用の布を追加購入しました。
現在、10台のミシンはフル稼働しています。