パキスタン地震 緊急支援・中期支援活動記録(2005年11月)
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<2005年11月30日の記録>
山々には雪が… (AFP) テント張りの作業中 テント張り終了!
イスラマバードは、日曜日の明け方3時ごろ、激しい雷雨に見舞われました。
被災地では、それが雪になったそうで、イスラマバードのテント村まで下りて来るのは、もう少し先…と考えていた村人を、一気に冬への準備に駆り立てたようです。イスラマバードへ来るのを渋っていた村人の方から、テント村へ入れて欲しいと連絡がありました。

今朝は5時から、スタッフ・ボランティアの人たちが、またバラコットへ出かけました。何度も、何度も、往復10時間も掛かる道のりを、被災した人たちにとって何が一番良いのか、本当に困っている人たちに支援の手を差し伸べたい…と考えながらのバラコット訪問です。山々は既に寒く、お年寄りや子どもたちの肺炎が目に見えて増えるだろう…と言われています。

イスラマバードのテント村は、トイレもできあがり、ナーン焼き釜もでき、取りあえず30張りのテントも張り終わりました。後は、被災者を受け入れつつ、足りないところを補いながらの活動となりそうです。


<2005年11月27日の記録>
瓦礫の撤去作業が進むバラコット 瓦礫の下から掘り出された車 ぬいぐるみを手にした子どもたち
再び、バラコットを訪問しました。
バラコットのバザールには重機が入り、瓦礫の撤去作業が進んでいました。一部、電気も復旧し、学校も再開していることもあって、多くの人々は山を下りずに、このままバラコットで冬を越す覚悟でいるようでした。

バラコット近辺の被災者に、イスラマバードにあるNWAテント村の説明をし、寒さが厳しくなる前にイスラマバードへ移らないかと移住希望者を募ってみましたが、あまり良い反応は得られませんでした。前回アンケートを配布して移住を希望した人たちのところも回ってみましたが、彼らもすぐに移動したいというわけではないらしく、結局移動希望日を決めるところまでは進みませんでした。
初めの一家族が決断すれば、ゾロゾロと追従してきそうな感じはありますが、いつ最初の連絡が来るのかは「神のみぞ知る!」です。結局、移住希望者を確定させるという目的は果たせずに連絡待ちということになってしまいました。
それでも、テント村は完成に近づきつつあるので、いつでも受け入れられるよう準備をしながら、2〜3日中に連絡がない場合には、再度バラコットを訪問する予定です。


<2005年11月22日の記録>
トタン屋根がちょっと心配? わかりにくいですが、タンドールです ナーンを焼く職人さん
イスラマバードテント村のタンドール(ナーン焼き釜)が完成しました。
なんと、タンドールとなる壺の部分は、そのまま売られていました。
その壺を買ってきて、ナーン職人さんが土を固めて、かまどを築きあげました。これで、被災者へ暖かいナーンを配布することができます。

それにしても…。
被災者の受け入れは、必要に応じて徐々に増やして行く予定ですが、職人さんが1日に焼くナーンは、いったい何枚になるのでしょうか?1日の小麦消費量は、テントの入居人数が1000人になると、350kg(9000円)。粉をこねて、伸ばして、焼いて…。相当な重労働です。


<2005年11月20日の記録>
立派なトイレができました ペンキ塗りの少年 トイレに隣接する手洗い場
イスラマバードテント村のトイレがようやく完成しました。
被災者の受け入れは、3月末か、4月上旬くらいまでを想定しているので、仮設トイレで良いと思いきや、立派すぎるくらいのトイレができあがりました。村人に清潔なトイレやシャワー室を使ってもらいたいと思っています。

いよいよ、来週には被災者の受け入れが開始です。
既に、「テント村開催!」の噂を聞きつけた被災者が、「今は、親戚の家で厄介になっているけれど、そんなにも長くはいられない。ぜひ、このテント村で生活したい!」と。ハングライ村(バラコットから更に18km上の村)の出身で、16人家族なんだそうです。
被災後1ヵ月は、親戚や知り合いの家に滞在させてもらっていた人たちも、そろそろ身の置き所がなくなってきているのかもしれません。大変なのは、これからなのに!


<2005年11月16日の記録>
40日のお食事中 生後2日目の赤ちゃん&お母さん フリース配布の列に並んだ子どもたち
またまた、朝の5時から被災地バラコットへと出かけて来ました。
村では、街から来た親戚も交えて、犠牲者を悼む40日(日本の49日みたいなもの)が予定より5日早く行われていました。私たちも、村人と一緒に青空の下、亡くなった方々への祈りを捧げ、簡易ベッドに腰掛けて炊き込みご飯のお相伴に与りました。
また、新しい命にも出会いました。
生後2日目のまだ名前もない赤ちゃんで、男の子だそうです。出産後、体の具合が優れない、食事もなかなか思う通りにできない…というお母さんは、少々、脱水症状気味…。早速、点滴の処置を行いました。

村での朝晩は既に寒く、気温は氷点下にもなっているとのこと。
今回は、子どもたちを中心にフリース・ジャケット約300着も配布しました。


<2005年11月13日の記録>
トイレの設置工事開始! ブロックを積み上げ… トイレの扉だけ並んでます!
テント村予定地でトイレの設置作業が始まりました。はじめに敷地の計測をして設置場所を決め、図面通りに石灰で地面にマーキングをします。そして、地元の人たちを数人雇って、穴掘り開始です。ブロックを積んで、扉をつけて…、建物部分はあと3日もすればできあがるそうです。その後、汚水処理などに更に5日程度が必要だそうですが、来週中には完成するでしょうか。

山には冬が迫っているので、1日も早く受け入れ体制を整えて、住むところをなくした人たちに来てもらいたいと思います。イスラマバードも日増しに寒くなり、被災地の人たちはどうしているのだろう…と心配になります。
ナシィーマ、ナビール、リヤーカット…顔見知りになった子どもたちは、元気かな…?


<2005年11月09日の記録>
テント村予定地の整備が始まりました! テントが到着 テントを張ってみました
テント村予定地の整備が始まりました。
被災者の受け入れまでには、土地の整地、トイレの設置、キッチンやかまど、学校テント、モスクテントなどの配置などなど、やることが山積みです。被災者用のテントを張るのさえも、数が多くてとにかく大変!

頼んでいたテントがラホールから届いたので、一張だけ実際に張ってみました。パキスタンでは一般的な大型テントで、作りもしっかりとしていて、10人くらいは寝ることができそうです。1000人規模のテント村、11月半ばから3月末までの4ヵ月半で、かかる費用はなんと3000万円!1人当たりで計算すると、3万円…と大した額ではないのですが。

テント村にかかる費用は、テント1張り15000円、パキスタン製の毛布1枚600円、輸入品の毛布1枚2000円、10人家族の1日の食費1000円などなど。他にも医療費や子どもたちの学用品費など…。いよいよ長期支援開始です!


<2005年11月06日の記録>
イードの晴れ着を着た子どもたち イードのお菓子を配布 新しいお墓には花が添えられて…
11月4日、パキスタンはイード(断食明けの大祭)を迎え、朝6時から各地でイードの祈りがささげられました。
「イード・ムバーラク!(イードおめでとう!)」とアチコチで挨拶が交わされますが、まだまだたくさんの人が食べるものもなく、寒い思いをしているのかと思うと、あまり「めでたい」とも思えません。
今年のイスラマバードは、街中にお祝いの電飾もなく、ひっそりとしていました。

NWAでは、被災地バラコットでテント生活をしている村人へ、イードの甘いお菓子を配って一緒にイードを迎えました。


<2005年11月03日の記録>
イスラマバード郊外にできたテント村 テント生活をする少女 NWAテント村予定地
イスラマバードにも、次々とテント村ができ始めましたが、その多くがカシミールからの被災者へ住居を提供しています。NWAでは、医療支援を行ってきたバラコットを中心に、周辺の村々へも声を掛けて、イスラマバード郊外にテント村を設置することになりました。

テントは、某社がご寄付くださる…ということでしたが、到着が12月半ばではとうてい間に合わず、到着までの間は支援金の中から購入した、当地のテントで済ませることになりました。テント村には、学校や礼拝所、診療所も必要になります。また、テントの中での煮炊きはできないために、その人たちの食べるお世話…。主食のナーンだけでも、1日3食、何万枚必要になるのか、見当も付きません。

現在、テント村の管理補助、清掃、被災者のお世話など、ボランティアの方々を募集中です。