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一家に一人

 一般の方は、自分の家族に医者が一人いるとどれだけ便利か、と思われるかもしれない。これが、そうでもないのだ。
 総合内科や小児科の医師ならば、たしかに頼りになるだろう。しかし、麻酔科医が家にいて、役に立つのかどうか、きわめて疑わしい。
 麻酔科医といっても、その能力は人によるだろうが、少なくとも私は、軽症患者の診療は全くできない。そのような教育を受けたことも、経験もないのだ。したがって発熱、腹イタを訴える人を目の前にして、私は全く無力である。(今の若い医師は最初の2年間でいろんな科を研修するから、みんな私よりはるかに有能である。)

 私の子どもが小さい頃、熱を出したり、腹をくだしたりすると、「ねえ、どーしたらいいの?」と聞かれるのであったが、私の返事は常に、
 「放っておけば?そのうち治るやろ。」
であった。それはしばしば誤診と判明し、「あんた、医者やろ」とか、「あーあ、お父ちゃん、病院の先生なのに」などと非難される時代もあった。しかし今はそれも終わり、誰も私に意見を求めなくなったため、私の家庭にもついに平安が訪れた。

 私とて、麻酔科医のはしくれとして、心停止、窒息、重大外傷などに対しては適切に対処できる自信はある。しかし、家庭内でそのような機会に巡りあいたくはないのである。家にあっては麻酔科医は無用の長物でいるほうがよい。そこのところを忠実に実践する私に対して、家族からの感謝の言葉はいまだない。

 しかし、あなどられているのは私だけではなかった。
 ある整形外科の医師が病院で当直中、知り合いの小児科医の妻が、熱を出した子どもをつれて救急受診してきたそうである。解熱薬だか抗生剤だかを出しながら、整形外科医が、
 「お父さんに診てもらったほうがよかったんじゃないですか。」
と尋ねたところ、
 「あんなの、全然あてになりません。」
という返事が帰ってきたそうである。
 断っておくが、いかにぼんやりした小児科医であったとしても、子どもの内科的疾患への対応で、整形外科医より劣る部分がちょっとでもあるなど、絶対にありえないことである。そこはやはり、医師の専門性というのはばかにできないのである。
 にもかかわらず、その妻は夫よりも、病院にいる整形外科医を選んだ。この小児科医は、ただ夫であるという理由で、妻から信頼され損なっているのだ。
 小児科医ですらこれだ。家でごろごろしている麻酔科医が尊敬されないのも、無理はなかった。

2017.4.23, T.E@Kobe

 
偶然短歌

 このところ、偶然短歌なるものを、ネット、新聞記事で見かける。これはウィキペディアのようなサイトの中の文章をコンピュータで分析し、偶然五七五七七の言葉の並びになっている部分を抽出して面白がる、というものである。
 たとえば同サイトの「盆踊り」の記事のなかには、次のような歌が潜んでいるそうである。

念仏で救済される喜びに衣服もはだけ激しく踊り

 意味深な短歌に見えて、書く人に、そんな意図などあろうはずなく、これは単なる偶然なのである。
 さらにまた、固有名詞を羅列しただけのものにも味わいがある。

アルメニア、アゼルバイジャン、ウクライナ、中央アジア、およびシベリア (ウィキペディアによると、「モロカン派」というロシア農民の一派は、これらの地域に追いやられたそうである )
郡山(こおりやま)、大和小泉、法隆寺、王寺、三郷(さんごう)、河内堅上(かわちかたかみ) (JR関西本線下り列車に乗ると、奈良駅のあとはこう続く)

 こんなのが、三十一文字(みそひともじ)になるように、狙ってできるはずがないから、偶然中の偶然、まさに奇跡である。そう思えば、断然ありがたみが増すのである。
 地名の羅列で思い出すのが、明治生まれの大歌人、斎藤茂吉(さいとう・もきち)である。飛行機で東京上空遊覧後、茂吉が詠んだ歌がこれです。

電信隊浄水池女子大学刑務所射撃場塹壕赤羽の鉄橋隅田川品川湾

 どこで切って読んだらいいのかわからない。あえて七五調を避けて、ごつごつと並べたところがプロとしての狙いということであろう。斎藤茂吉が作った歌だから値打ちがあるが、普通の人がこれをどこかに投稿したら、たぶん怒られる。少なくとも、言葉の海の中から短歌を探すコンピュータからは、拾ってもらえないだろう。

 やはり、偶然短歌はきっちり五七五七七のほうがよい。もちろん芸術でも何でもなく、ただの言葉の遊びなのだが、普通の文章の中に、日本古来の文芸が姿を隠しているところが、何か、とぼけていて面白いのだ。これからは、多分、文書に歌を混ぜ、一人で悦に入るのがはやる。
 最後のはちょっとバレバレか。

2017.4.16, T.E@Kobe

 
手術室一斉放送

 「今は昔」コーナーで書いたように、私がいたころの大学病院(2001年まで)では、各医師はPHSもポケットベルも持っていなかった。したがって研修医が麻酔中、部屋を離れている指導医を呼ぶ時は、手術室内一斉放送をかけるしかなかった。何しろ大学病院の手術室は広いから、個々の医師の局在を探すのは容易ではないのである。

 手術室内の電話をとり、一斉放送用の番号を打つと、「ピンポン、ピンポン」とチャイムが鳴る。引き続き、「〇〇先生、〇〇先生、3番までご連絡ください。」と受話器に話しかける。手術室全館で自分の声が鳴り響くと思うと、あまり乗り気のするものではなかった。

 ただ、全館放送だからこそのメリットもあった。緊急事態に強いのである。
 「麻酔科の〇〇先生、至急3番までおねがいします。」
 「至急」という言葉がつき、また、連絡ではなく部屋までやって来いというニュアンスが入るから、ちょっと急ぐ状況だということがわかる。関係ない麻酔科医も、おや、何かあったのかな、ちょっと部屋を覗いてみようか、という気になる。
 これがさらに危ない事態になると、ナースの声で、
 「麻酔科の先生、至急3番におねがいします。」
となる。「麻酔科の先生」から始まるのがミソで、麻酔科なら誰でもいいから来てくれ、つまり超緊急事態だよ、ということである。ナースの声だということは、その部屋の麻酔科医はその事態に当たって手が離せないことを意味し、緊迫感がいっそう高まる。
 「ますいかのせん」あたりまでコールされたところで、持ち場を離れることのできる麻酔科医は全員、腰をのばし、ダッシュの準備である。挿管困難か、大量出血か、はたまたアナフィラキシー・ショックか。

 一斉放送というのはそれほどに、緊急事態の匂いを含まずにいられないものであったが、そういうのが全然気にならない者もいた。ある研修医は、手術が始まってそれなりに軌道に乗ったころ、時刻で言えば午前10時、必ずや自分の指導医を一斉放送で呼び、トイレに行くのであった。その指導医が教授であろうが何であろうが、おかまいなしであった。
 医療の世界に身分というものがあるとすれば、その最底辺の人が、同じくその頂点の人を、自分のトイレ交代のために一斉放送で呼びつける。何かこう、凄まじくほのぼのとした光景ではなかっただろうか。

2017.4.9, T.E@Kobe

 
スパゲティ症候群

 麻酔中の患者さん、あるいはICUで集中治療を受けている患者さんには、たくさんのライン(点滴などの管や電線)がつながっている。麻酔中であれば患者さんがまったく動かないはずなのに、それでもなぜか、油断するとラインはどんどんもつれていく。
 もつれたラインは災いしかもたらさない。点滴ラインから薬を投与しなくてはならないのに、注入口がどこにも見つからないとか、体位変換したらいろいろからまりすぎて、気管チューブが抜けてしまったとか、そんな惨事を招きよせる。これがスパゲティ症候群という、恐ろしい病である。

 この世のヒモ状のものは、なぜこれほど例外なく、互いにからみあい、めんどくさくもつれあう習性を持っているのか。スパゲティも、釣り糸も、イヤホンのコードも、こちらは何もしていないのに勝手にどんどんもつれていくではないか。
 人間も2人以上集まると、かならず関係がもつれるところを見ると、ヒモやスパゲティの仲間なのかもしれない。
 聞くところによると、四次元の世界では、ヒモはけっしてもつれることがないらしい。その理屈は私にはよく理解できていないが、ひっぱるだけでヒモがするするとほどける、まことにけっこうな世界のようである。「君子の交わり、淡きこと水のごとし」というけれども、おそらく、四次元界に住む人もみんな、さらさら系の君子ばかりで、ささいなことでからみついてくるような者はいないのであろう。
 しかし、あいにくここは三次元だ。麻酔科医はラインがもつれないよう、常に目を光らせていなければならない。

 研修医には、私は次のように教えている。
 「ええか、ラインにも身分の上下というものがある。ダントツの序列第一位が、人工呼吸器から気管チューブに至る、気道ラインや。北朝鮮で言うと、キム・ジョンウンに当たるな。これの上に別のラインが乗るということはありえない。寝てるキム・ジョンウンをまたいで通るようなもんで、銃殺されるおそれがある。で、序列第二位は何や?」
 「胃管、ですかね。」
 「何でやねん。点滴ラインに決まっとるやろ。ほらこうして、体温計の電線が、点滴の上を通っとるな、これがいわゆる下克上や。天下大乱のきざしやぞ。」
 「はあ」

 三次元界の麻酔科医は、意外に封建的思想の持ち主のようである。

2017.4.2, T.E@Kobe

 
漢方

 先日、久しぶりに会った麻酔科の後輩U先生が、漢方薬の専門家に転向していたと聞いて驚いた。
 もともと、麻酔と漢方は、意外に接点のあるジャンルである。麻酔の一分野であるペインクリニックではときに、漢方薬のお世話になるからである。だが、そっくり漢方のほうに乗り移ってしまうというのは珍しい。

 漢方薬については、以前から気になっていたことがあるので、聞いてみた。
 「漢方って、効くの?なんか根拠あるの?」
 自分で予想していたよりも露骨な質問になってしまった。するとU先生は待ってましたとばかりに、質問で返してきた。
 「モルヒネやアスピリンの有用性に、根拠あるんですか?ないですよね。でもみんな使ってるでしょ。漢方も一緒です。そういうことなんですよ。」
 モルヒネやアスピリンに有用性の根拠くらいありそうなものだが、具体的にデータを示して反論できるわけでもなかったので、私は「ふーん、そうなの。」と答えるしかなかった。

 あとでペインクリニックに詳しい他の先生に聞いてみたところ、
 「ああ、漢方はね、やっぱり効く人には効きますからね。必要なんですよ。」
 とのことであった。
 しかしどうも、こういう言い方をされると、漢方の部外者からすれば、はぐらかされたような気がする。私などよりもっと口うるさい先生方をも納得させるような説明が欲しいところだ。

 ネットで眺めてみれば、個々の疾患に対する個々の漢方薬の効果は、比較対照試験で調べられているし、有効性が示されているものも多い。そうやって、標準医学の中に漢方を取り込んでいくという地道な作業が、漢方に興味を持つ医師たちの主な仕事になるだろう。しかしウン千年の歴史を誇る漢方が、そんな標準医学のスキマを埋めるような立場に我慢できるのだろうか。
 そもそも、漢方は患者の状態に合わせて、細かく薬を選択したり、変えていったりするらしいから、標準医学の王道である比較対照試験になじまない面がある。これまでの医学にはなかった、何かあっと驚かせる論法はないものだろうか。
 たとえば数学の「背理法」のように、裏から攻めるのはどうか。

 それは、漢方なんて効きません、と断言するところから出発する。もしそれが本当なら、いまごろはゴジラとガメラは結婚していたはず、とか何とかいうありえない結論が誘導できたならば、「漢方は効かない」という最初の命題が間違っていたことになる。
 しかし、どうやって漢方の話からゴジラやガメラを持ち出すか、そこがむずかしいところだ。

 あるいは今ふうに、Youtube で勝負する。「有名どころの漢方、全部まとめて、のんで見た」というのをやってみるのだ。そして逆に、一つひとつ、薬を止めていくと、あるところで意外なことが… ただし、それで何がわかるのか、言い出した私にも想像ができない。一つ間違えると、漢方医学に壊滅的な打撃を与える可能性もある。

 とにかくそうやって、漢方が表舞台に戻ってきたら、医学も一歩進んだということになるだろう。たとえば華岡青洲みたいに、漢方のみによる全身麻酔が実現したら、と思うと、なかなか興味深い。

2017.3.26, T.E@Kobe

 
ほめる

 私が麻酔科医として駆け出しだったころ、叱られた思い出はたくさんあるが、ほめられてうれしかったこともちょっとはある。それらのおほめの言葉は、へこたれがちな新米麻酔科医への最高の気力回復剤となり、その後も心の支えになってきたと思う。
 それゆえ、歳を取り、指導する立場になった今、若い人をほめて伸ばすことを心がけている、と言いたいところだが、それがなかなか簡単ではない。

 研修医などが自己紹介で、「自分はほめられて伸びるタイプです」などと言うことがあるが、こういう調子のいいやつは実際、ほめるのに苦労はいらない。ためしに、
 「気管挿管、だいぶうまくなってきたやん」、などと持ち上げてみると、
 「これもすべて、先生方の指導のおかげです」と芝居っ気たっぷりに頭を下げたりするのである。そう来るとわかっていても、ついまたホメてみたくなる。

 問題はほめにくい人である。具体的にいうと、反応の薄い人である。
 「おい、今日の手術は長いから、麻酔導入を急ぐよ。点滴取るのも、気管挿管も、走りながらやってくれ。」
 「…」
 「あ、そうやって麻酔薬が指についちゃった人は、必ず死ぬと言われてるよ。100年以内にね。」
 「…」
 といった具合に、私のさびついたギャグでは動じない人に関しては、思い切ってほめてみても、まず確実にスルーされる。

 「動脈ライン、失敗しかけたのに、よう入ったな。天才ちがうか?」
 「あー、はい」
 ここは照れて見せるところだろうと思うが、「はい」と返事されてはもう後が続かない。まあ、ほめて逆ギレされるよりはましかと思いつつも、再びほめる勇気はなかなか出てこない。
 そういう、ほめにくい人をほめて伸ばしてこそ、有能な指導者と言えるのだろうが、わたしはそこまで気前のよい人間ではないのが残念だ。

 Aさんという私の知り合いのナースが、 昔、 「ほめにくきをほめた」人なので、紹介する。
 ある病棟に、一緒に気持よく働くのがきわめて難しいナースがいたという。どうむずかしいのかよく知らないが、失敗が多く目が離せないとか、性格が悪いとか、そういうことだろう。あるとき病棟の婦長さん(当時はまだそう呼ばれていた)が、当人抜きでナースたちを集め、話し合いを持ったという。
 「みんなそう言うけどね、誰にだってひとつくらいいいところはあるはずよ。誰か思いつかないの?」
 しかし、誰も声を上げようとしない。そのひとつが思いつかないし、その人をかばってみても、自分にはなんの得もないのだ。
 こういうとき、勝手に責任を感じ、何とかしなくてはとあせってしまうのがAさんだ。やむをえず、小さく手を挙げた。
 「あのう、〇〇さんは夜勤のとき、持ち寄ってくれるお菓子の量が、他の人より多いです。」
 面と向かってほめたわけではないが、どんな人でもほめてみせる、この無理やり感がすばらしい。

 そんなAさんも、なりたくてなったわけではないだろうが、今では看護師長さんだ。ほめ上手な彼女のことだから、私と違って、いい上司になっていることだろう。今度彼女に会った時、私も無理やりほめてもらいたいものだ。

2017.3.20, T.E@Kobe

 
宝くじの買い方

 私は宝くじで千一円以上当てたことが一度もない。その私が、宝くじのかしこい買い方を提案するのであるから、今回の話でも誰も得をしないことは、胸を張って約束できる。
 私がときどき買うミニロトを例に挙げたい。

 ミニロトでは、1から31までの数字のなかから5つ選び、それが当選番号と一致したら1,000万円くらいの当選金をもらえる。数字の組み合わせは約17万通りあるから、ひと口の当選確率は17万分の一である。ジャンボ宝くじの1,000万分の一に比べたら、ずいぶん当たりやすいように見えるが、だまされてはいけない。
 ミニロトの1枚200円のくじを17万枚買うことを想像してみたらよい。売り場で3,400万円をドンと出して、5つの数字のすべての組み合わせで1枚ずつ、くじを買うのだ。白目をむき、泡を吹く売り場のお姉さんをしり目に、買ったくじをトラックで家に運び、当選番号発表の日をじっと待つ。この山の中に、一等がたった1枚、二等が数枚埋もれているのだ。
 これはもう、普通に10枚や20枚買って、当たると思うほうがどうかしている。

 これを踏まえると、正しい宝くじの買い方は次のようになる。

 まず心構えである。
 間違っても、当選金を当てにしてはならない。店の開業資金に、とか借金返済のために、とか、目的を持って買ったところでどうせ当たらないから、人生を狂わせることになる。
 割り切るべきである。くじを買うというのは淡い、ほのぼのとした期待感を買う行為なのである。何かの間違いでくじが当たったら、お金は何に使おうか、妻に分けてやってもよいが、今の態度ではだめだな、とか、いや、バレる前に全部渡してしまったほうが安全かもしれない、そしたらちょっとはほめてもらえるだろうか、20年ぶりだな、とか、そんな妄想を楽しむために、お金を払うわけである。

 次に、くじは何枚買うべきか。
 これもう、1回につき1枚(ひと口)でなくてはならない。2枚買うと、当たる確率が2倍になるのは確かだが、どちらにしても絶望的に低いことには変わりない。一方期待感のほうは、2枚買っても2倍にはならない。したがって、1枚だけ買うのが、もっとも費用対効果比が高いのだ。

 数字はどのように選ぶべきか。
 もちろんのことだが、相手はランダムに数字を決めてくるのだから、考えるだけ無駄である。 頭の中に飛び込んでくる神の声に従おうが、彼女の誕生日から数字を取ろうが、1、2、3、4、5を選ぼうが、確率はまったく同じである。しかし、さすがの私も、毎回 1、2、3、4、5と記入するほどキモのすわった人間ではないので、「クイックピック」といって、コンピュータにランダムに選んでもらっている。

 こうしてたまに気が向いた時だけ、せこくひと口ずつくじを買っていくと、なんとなくわかってくる。人生は目先の小さな楽しみでできているのだと。

2017.3.11, T.E@Kobe

 
宗教欄消滅

 紙カルテから電子カルテに移行した時、患者基本情報のページから宗教欄が消滅していたことに、最近になって気がついた。どうしてこんなことになったのか、システムを作った業者に聞かなくてはわからないが、まあ想像はつく。昔に比べて空欄のままにされていることが増えていたからだろう。日本人の宗教離れが進んでいるように思える。

 以前、宗教学者の島田裕巳(しまだ・ひろみ)氏の「宗教消滅」という本を、その過激なタイトルに驚いて思わず買った。これによると、日本では仏教だけでなく、いわゆる新興宗教も信者数を減らし続けているという。日本だけではない。ヨーロッパでもアメリカでも、日曜日に教会に行く人がどんどん減って、教会ががらがらになってきている。イスラム教はまだ元気だが、いずれは世界の無宗教化の波に飲み込まれるだろうというのが、この著者の予想である。

 宗教衰退の理由として、島田氏は経済成長鈍化との関わりなどを挙げているけれども、結局のところよくわからない。もしかしたら、医療も多少は関係しているかもしれない。
 医学が進歩して多くの病気が治るようになり、人びとはイエスの奇跡や、延暦寺の僧の祈祷や、お百度参りに頼らなくてもよくなった。
 からだは治せても、心は診てくれないんだろ、と言われれば確かにそうだが、今どきの病院にはリエゾンナースとかいう人がいて、精神的に困っている人の話を聞いてくれる。その手法は医学に基づくものであり、必要なら薬なんかも使う。
 がんの末期の患者には緩和医療チームというのもあって、がんの痛みを取るだけでなく、穏やかな死を迎えられるよう、心のケアも含めて患者さんに協力する。
 いずれも、昔は宗教の出番だったところである。

 もし本当に、このまま宗教が衰退し、宗教なき世界が出現するとしたら、一体なにが始まるだろうか。
 宗教のからんだ戦争やテロがなくなるといいのだが、たぶんそうはならないだろう。1991年にソビエト連邦が崩壊した時も、これで世界が平和になるとみんな喜んだのだ。
 宗教が消滅したら、人類も消滅してしまった、という結末が待っている可能性もある。
 そうやって、懸念を表明するのが知識人的態度であろうが、宗教が消えても何も変わったことは起こらなかった、というオチも十分ありうると思う。そんなこと言って、バチが当たりませんように。

2017.3.6, T.E@Kobe

 
宗教欄

 昔の紙カルテ(電子カルテになる前)の2ページ目には、患者さんの基本情報が書き込まれていた。職業、過去の病気、家族構成などである。その中に「宗教」の欄もあった。
 たしかに、病院というところは患者さんにとって生活する場であり、自分の人生を見つめなおす場であり、場合によっては人生の最期を迎える場である。患者さんが何を信じているかということは、病院としては、ぜひ知っておきたい部分のはずである。
 術前診察の前、これからどんな人と会うかを知りたいから、麻酔科医は宗教欄にも目を通すのであった。

 最も多いのがもちろん仏教である。あるいはもっと細かく、浄土真宗、曹洞宗などでもいいが、そういうのが書いてあれば、正直ほっとする。医療や病院での生活に関連して、患者さんに特別な配慮が必要となることはまずない。患者さんからも、いやそれは仏の道に反する、とか、それでは極楽浄土に行けない、などと主張されたことはない。
 だが、そんなに存在感が薄くていいのだろうか、とも思う。本来はむしろ、まだ人が生きている病院でこそ、仏教の活躍の場があるのではないか。お坊さんはたまにはお寺を出て、病院の中で各種仏教サービスを提供したらどうだろう。
 病気をきっかけに人生を振り返る「仏さまに聞く人生相談」、護摩を焚いて病気平癒を祈る「プチ加持祈祷」、いざという時、道に迷わないための「死後の世界、体験ツアー」、今日のテーマは「中陰(四十九日)の過ごし方」、などなど。もちろん支払いは、金額を聞くに聞けない、聞くと怒られる「お布施」方式ではなく、消費税込みの料金表でお願いしたい。
 現実には、病院の中でお坊さんが袈裟を着て歩いていたら、ちょっとした騒ぎになるだろう。お坊さんすなわち葬式、この等式がもう日本人には染み付いており、「縁起でもない」と敬遠されるのだから、気の毒なことである。

 キリスト教に関しても、普通は気にならないが、「エホバの証人」という宗派に関しては特別な配慮が必要だ。彼らは最新の医療は進んで受け入れるが、輸血だけは明確に拒否するからである。
 これは麻酔科医にとってははなはだストレスのかかる状況だ。手術中に思わぬ出血をした場合、本人の意に反して輸血をすれば、民事で訴えられる可能性がある。一方、無輸血を貫いて、万一亡くなったときに、信者でない親族から刑事告訴、民事での賠償請求などの可能性がある。前門の虎、後門の狼とはこのことだ。
 とは言っても、麻酔科医は虎と狼の板ばさみになるのが仕事のようなもので、エホバの証人の症例に限ったことではないから、細心かつ小心に業務を遂行するのみである。

 宗教はイスラム教、と書かれていると、「う」、あるいは「お」、となる。主に生活習慣の部分で、日本の常識が通用しない面があり、配慮を要するのだ。
 具体的には食事のタブー、祈りの時間とそのためのスペース、などであろうが、麻酔で問題になるのは、女性患者の場合である。女性患者がとくに産科領域において、男性医師に肌を見せたり、触れられたりするのを忌避することがあるのだ。そうでない人も多いのだが、手術直前にそういうことを言いだされたらお手上げになるので、私はイスラム教徒の女性患者が来たら、できるだけ女性麻酔科医に担当してもらうことにしている。その日一日をとにかく無事に終わることだけを祈る、小市民麻酔科医の知恵である。

 ヒンドゥー教に関しては、私自身はとくにエピソードを持っていないが、以前勤めていた病院でのことを話に聞いたことはある。ある時、インド人が一人、入院していたそうである。そこにもう一人、インド人が入院してきたので、インド人同士、話が合うだろうと思い、同じ大部屋のベッドを割り当てたところ、先客のほうのインド人が怒ったのだそうだ。あいつとはカーストが違う、あんなやつと同じ部屋にはいられない、というのであった。その一方で、日本人との同室は問題ないのだから、分からないものである。
 カースト制度と切っても切れないと言われるヒンドゥー教恐るべし、でも本当にそうなるのか見てみたい気もする、などと思っているが、なかなかインド人が二人そろう機会には巡り合わないでいる。

 私は幸い、宗教に関することで深刻なトラブルにまきこまれた経験はない。エホバの証人の信者さんの麻酔も、輸血なしで何とか乗り切ってきた。強いて言えば、聞いたことのない宗教の信者さんが、手術中にかけて欲しいと持ち込んできたCDが、妖しい雰囲気の瞑想音楽を発し、私まで頭がくらくらしたことくらいである。
 そうこうするうちに紙カルテが消えて電子カルテになり、気がつくと宗教欄がなくなっていた。なんとなく、寂しい感じがする。

2017.2.26, T.E@Kobe

 
五線の肩ツキ

 去年2016年は囲碁ファンにとって、つらい年であった。世界トップレベルの棋士、韓国のイ・セドル氏がアルファ碁とかいう人工知能に負けたのである。
 これまでチェス、将棋の順番で、プロがコンピュータに負け始めた時も、囲碁はまだまだ大丈夫と言われていた。囲碁は他のゲームより段違いに複雑で、一手の価値を計算することがむずかしいからであると。実際、新聞の囲碁欄を見ると、気合い、反発、我慢くらべなどの感情表現が飛びかい、いかにも計算よりも創造性、知力より精神力、みたいな雰囲気が出ている。そのような、人間の魂の一手も、人工知能には歯が立たなくなっていたとは、だまされたような気分である。結局は囲碁も計算の世界だったのか。

 アルファ碁が打った手のなかで一番衝撃的だったのが、第2局の37手目の「五線の肩ツキ」であった。これは、盤面中央に自分の勢力圏を築くための手であったが、それを五線という高い場所に打つとなると、相手にも相当広い陣地を与えてしまうので、プロだろうが素人だろうが、人間には絶対に打てない手なのである。
 ところが高尾紳路(たかお・しんじ)名人によると、この手はアルファ碁による勝利宣言であったという。つまり、わずか37手目という序盤でありながら、すでに形勢はアルファ碁側に傾いており、その肩ツキで相手にそれだけの陣地を渡しても勝てると計算したというのである。
 何と言う強さだろう。トッププロを相手にこれでは、推定棋力5級の私などは、3手目あたりで投了に追い込まれそうだ。

 さらに恐ろしいのは、どうしてその手を打ったかという理由については完全なブラックボックスであり、人間が知る方法がないことである。人工知能が急速に強くなったのは、過去の棋譜を大量に読み込んで勝手に学習する「ディープラーニング」を取り入れたからであるが、その結果、人工知能の選択したことについて、人間もコンピュータ自身も説明できなくなったのだそうである。アルファ碁の対局中、解説者たちはしばしばその手の狙いが分からず、大変苦しんだようである。
 五線の肩ツキも、最初は「馬鹿げた手」としか思われなかったのが、局後の入念な検討により、「勝利宣言」に格上げされたのだ。

 このことから、来るべき時代のことが簡単に予見できる。

 そこでは人工知能が世界を統治している。これは、最近言われているように人類が人工知能に敗れたのではなく、人類のほうから人工知能に頼んで、世界を支配していただいているのである。なぜならそのほうが、人間が治めるよりもはるかに安全で、住みよく、持続可能な世の中になることが証明されたからである。地球上のあらゆる情報を取り込み、世の中はこうすればああなるという経験則をディープラーニングしまくり、あいつやあの国が気に入らないなどのつまらない感情を排除した人工知能だから、人間よりよい統治を行えるのは当然だろう。

 ところがこの人工知能の施策が、どうしてもみょうちくりんで、人間には理解できない。つまり、五線の肩ツキ的なのである。
 全人類に卓球を学ぶことが義務づけられたのは、まあわかる。合理的な施策だ。しかし、マイナンバーの末尾が7の人に、3日間の外出禁止が命じられたり、誕生日に9がつく人だけ毎日37回の 腕立て伏せが課せられたりするのは、一体どうしたことか。
 たぶんそれは、風が吹けば桶屋が儲かる式の、人間には思い及ばぬような複雑な未来予測に基づくのであろうが、妙な指令のために生活を滅茶苦茶にされた人にとっては、とうてい納得できるものではない。

 西暦○○○○年、ついに腕立て伏せに嫌気がさしたある男が、反旗をひるがえした。人工知能を倒す秘密組織「ウチコミ隊」を結成したのだ。囲碁で言うウチコミとは、相手の勢力範囲内に単騎突入し、死中に活を求める手のことである。また、この男のコードネーム「ワリコミ」は、イ・セドル選手が唯一アルファ碁に勝った第4局の78手目の妙手にちなんでいる。アルファ碁はこのワリコミを打たれた後、なぜかメロメロに崩れ、素人でも打たないような悪手を連発して自滅したのだった。
 さあ、この蜂起の結末はいかに。そして仮に反乱が成功してしまったら、人工知能に頼りきった世の中はどうなるのか。私にもわからない。
 でも、人工知能には全部わかっていたりして。

2017.2.19, T.E@Kobe

 
ガウン・テクニック

 病院の中でももっとも清潔でなければならない手術室という空間にも、非常に不潔なものが存在する。医師と看護師である。この要素は他の手術器材のように、120℃の蒸気やエチレンオキサイドガスで滅菌できない。かわりに滅菌した手袋とガウンを着用することにより、清潔とみなすのである。これをガウンテクニックと呼ぶ。

 ガウンは一人では着られない。すでに手を消毒して清潔になっており、不潔な背中側に手を回せないからだ。ガウンのひもを背中で結ぶところは、ナースに介助してもらわなくてはならないのだ。まるで温泉旅館に泊まって、まだ自分でゆかたを着られない幼児が、母親に着せてもらっているみたいだ。
 麻酔科医もたまに、カテーテルを挿入するときなどにガウンを着せてもらうことがあるが、私はどうもこれが照れくさくて苦手だ。最後にナースがガウンの裾をうしろからピッと引っ張って、シワを伸ばしてくれる。ああ、妻にもこんなこと、してもらってないのにと、どきどきする。

 このガウンテクニックにも、人によっては流儀がある。

 たいていの外科医は、着せてもらった後に「ありがと」、と低く言うくらいであるが、サービス精神の旺盛な医師もいて、「もっとキツく縛って!」と叫ぶ。あれは一種の照れ隠しだったかもしれない。

 アメリカの病院を見学してきたある麻酔科医は、からだの大きな黒人女性ナースが踊りながらガウンを着せてもらうのを目撃したそうだ。ウキウキとした様子が目に浮かぶようで、いいなあと思うが、日本ではちょっと無理だろう。先輩ナースから、「じっとしてろ!」と怒られそうだ。

 私が尊敬するある麻酔科部長は、着せる側であった。ただ、外科医がガウンを着る時は見向きもしないのである。ナースがガウンを着せてもらおうと介助してくれる人を待っていると、この部長がすっと後ろに回る。ナースは断るに断れない。ひもを結ぶ以外のことはもちろんしないのだけれども、どうしてもちょっと不気味だったろう。部長が部屋を去ったあと、外科医がありもしないことを言ったりする。
 「おい、今、〇〇先生がお前のガウンのひもを結ぶとき、におい嗅いでたで」
 「いーやーっ!」

 やはり、ガウンテクニックは危険な香りがするのだ。

2017.2.12, T.E@Kobe

 
探偵ナイトスクープ

 「探偵ナイトスクープ」という関西のテレビ番組がある。視聴者から寄せられた依頼を、芸人迷探偵が解決するという趣旨の人気番組である。この中で多い依頼が、自分の特技を取材してほしい、〇〇に挑戦させてほしい、といった、自分アピールものである。
 長年に渡りたった一人で格闘技の研究に没頭してきた会社員が、プロの格闘家に挑戦してぼこぼこにされたり、まったく新しい野球の変化球を開発したどこかのおっさんが、あろうことかカープのマエケンや野村祐輔(のむら・ゆうすけ)に本気で伝授しようとする。そういうのを見て笑うのが番組の趣向であるが、金にも仕事にもならないことなのに、よくぞここまでこだわりぬいたものだという賛嘆と羨望の笑いでもある。

 当ブログのようなものではここ数回、「才能は大部分、生まれつきで決まっているらしい」という話題で一人で盛り上がってきたが、反ユートピアものが得意な小説家なら、ここから悪い世の中を創造することは容易である。生まれつきの才能で人間を分類し、管理する社会である。君は音楽の才能しかないから、この仕事ね、ほかのはダメよ、というわけである。これがもっと行くと、遺伝子で人間を管理する、最凶の社会になる。

 ところが、幸か不幸か現実には、どう見ても才能がない分野に、全身全霊のスピードで突っ込んでしまう人たちがいる。そして「探偵ナイトスクープ」を見る限り、それは「無駄」ではあっても、かならずしも「無意味」とは思えないのである。現にそれを見て面白がり、なんと生きる勇気までもらってしまう視聴者(私だ)がいるのである。
 願わくばこの日本が、情熱の無駄遣いをする人も余裕で生きていける、ゆるい社会でありつづけてほしいものである。

 蛇足だが(もともと当サイトはすべて蛇足だが)、この「麻酔科パラダイス」のパラダイスは、実は探偵ナイトスクープから、断りなくいただいたものである。かつての迷探偵、桂小枝(かつら・こえだ)が全国のおかしなテーマパークを訪れては「パラダイスですなあ」を連発していた、そのパラダイスである。そのテーマパークでは変な管理者が変なものを展示しているが、管理がいい加減で、その結果かならずにん気もひと気もなく、閑散としている。要するに、自己満足が空回りする不思議な空間、それがパラダイスである。
 何の気なしにつけたが、今から思えばこのサイトには絶妙にぴったりの名前だった。これまで、「麻酔科パラダイス」の由来についてどこからも問い合わせがなかったが、久しぶりに思い出したので、忘れる前に書いておく。

2017.2.5, T.E@Kobe

 
双子あれこれ

 先に取り上げた「行動遺伝学」では、双子をたくさん集め、一卵性と二卵性とを統計学的に比べることによって、遺伝子の力を数字で評価しようというのであった。
 双子というのはこのように、心理学、医学方面では非常に重宝される研究対象である。麻酔科領域では、たとえば、双子のうち一方だけが手術を受けた、というペアを集め、手術や麻酔のせいで認知機能が低下したりはしない、とする研究などがある (1)。

 私が若い頃読んだ心理学の本では、双子研究はもっとのどかなものであった。たとえば、双子でありながら違う環境で育てられると、それぞれどんな大人になるか、という研究が昔から行われていた。双子の生まれた家から一方の赤ちゃんをさらって育てるわけにはいかないから、たまたま何らかの事情で離ればなれになり、別々に育てられた人たちについて、調べたわけである。
 どういう結論だったかは忘れたが、極端な例として、一方は泥棒、一方は神父さんになったという双子の話が印象に残っている。職業は対照的だが、反面、どちらも性格が同じで、とんでもなく人を信じやすく、だまされやすいお人好しだったという。これをもって、環境が人を育てると見るか、血は争えないと見るか、どうにでも解釈できるところが、何ともたよりなかった。
 やはりこのような散文的な研究に比べると、各才能の遺伝因子と環境因子をパーセントで示すという最近の成果は、はるかに強いインパクトを持っている。

 双子はまた、昔から、大衆向け小説(運命峠とか)、サスペンスドラマでも大活躍だった。死んだ(もしかして殺した?)はずの夫が目の前に現れ、腰を抜かして謝ったところ、実は双子の弟でしたとか、何とか。昔はよく目にした構図であるが、ネタとしてあまりに安直だということか、最近あまり見かけなくなった。崖から落ちて記憶喪失、と同じくらい使われなくなっている。
 逆に言えば、現在、そういうトリックに慣れていない若い人が増えているはずなので、作家の先生方はホコリを払って双子オチを使ってみたらどうだろう。新鮮味が心配なら、実は三つ子だった、ということにしてもいいかもしれない。

 私が若い頃は、双子でも通常の分娩(経膣分娩)が普通であったが、やはりリスクがあるのだろう、今は基本的には帝王切開である。自然な出産を望むお母さんはさぞかし無念であろうが、ほぼ選択の余地はない。
 双胎の帝王切開は当院の手術室にもときどきやってくる。日本の人口が一挙に2人も増えるし、産声もふだんの2倍でにぎやかだし、麻酔科医としてもうれしい仕事である。ただし、子育ての大変さを知るものとしては、手放しでお母さん、おめでとうとは言えないものがある。数カ月は続く夜泣きだけでも、あれが交互に来るとすれば親の労苦は想像を絶する。かと言って、「これからが大変やで」などと本当のことを言っても仕方がない。
 あえて言葉をかけるとすれば、一人で頑張りすぎず、夫をこき使おうね、ということになるだろうか。

 ちなみに、双子を妊娠すると「双胎」とよばれるが、三つ子の場合は「品胎」となる。なかなか面白い漢字の当て方だ。知っておくと、三つ子を妊娠した時などに便利かもしれない。

(1) Cognitive Functioning after Surgery in Middle-aged and Elderly Danish Twins. Dokkedal U, et al. Anesthesiology. 2016 Feb;124(2):312-21.

2017.1.29, T.E@Kobe

 
音楽と素質

 私は小さい頃、ピアノを習っていたことがあるが、非常にできの悪い生徒だった。先生のお宅に行っては、本棚から勝手にマンガや本を引っ張りだして読んでいた記憶しかない。素質の欠如というものは、まずそういう形で姿をあらわすのであろう。とにかく、白と黒の鍵盤をたたくことに、何の面白さも見いだせなかったのだ。長続きしなかったのは、関係者すべてにとって幸いであった。
 中学生のとき、私はなぜかハーモニカに興味を持ち、一人で練習したりしていたが、まったく上達の兆しが現れないことに愕然とした。リズムからして、うまく取れないのだ。フォークソングの歌手が、歌の合間にでたらめに吹いているようなハーモニカのほうが、ずっとうまいのであった。当然だが。
 成人して、どこかの哲学者の、次のような言葉に出会った。
 「才能のないものが音楽に時間を費やすことほど、むだなことはない。」
 全くそのとおりである。この人も、さぞ音痴だったのだろう。

 先に紹介した「日本人の9割が知らない遺伝の真実」では、双生児法を用い、人間のさまざまな資質について分析しているが、遺伝の影響が特に強いのが、音楽の才能である。なんと遺伝因子が90%以上を占め、指紋や身長と同じくらい、「生まれつきの才能」に依存しているというのだ。
 哲学者は正しかった。私が音楽の演奏をさっさとあきらめたのも、正解だった。
 しかし私のような者でも、上手な人が演奏するのを聞いて楽しむことができる。そこに音楽というもののフトコロの深さがあるのだろう。

 私はクラシックが好きなので、手術室では時々、看護師の隙を狙ってクラシックのCDをかける。若い看護師がかけたがるJPOPだけでは飽きるし、「生まれ変わっても君を守る」みたいな歌詞はまるでホラー(またはお笑い)だし、クラシックを合間に流すくらいなら迷惑はかけないだろうと思っていたのだ。あるとき若い麻酔科医が他院に転勤することになり、最後のあいさつでこのように述べた。
 「先生のお好きなクラシック、とくにバイオリンが、自分には苦痛でした。今はじめて言います。」
 なぜなら彼は、高校までずっと、好きでもないバイオリンを無理やり習わされていたのだ。その先生もすごい人で、ちょっと練習が少ないと、必ず見抜いてしまうのだそうだ。今では彼は、バイオリンを触るどころか、音色を聞くだけで最悪の気分に陥るまでになった。
 彼は麻酔中、部長のかけたクラシックを切るわけにも行かず、悶々と過ごしていたのだった。たかが手術室のBGMで、そんな不幸なドラマが起きていたとは知らなかった。悪いことをしたものだ。

 子どもは、自分の才能を勝手に見出すものである。生まれてしまったが最後、親にも子の素質は変えられない。親は力を抜いて、子どもと遊んでおけばよいのだ。子育てをほぼ終えた私が、「行動遺伝学」の成果をつまみ食いして、勝手に引き出した結論である。

2017.1.21, T.E@Kobe

 
知能と素質

 人の頭のよしあしは、生まれつきの素質で決まっている、などと大声で言ったりしたら、危ない人だと思われるかもしれない。からだは親からもらったものだが、頭脳に関しては本人の努力次第でどこまでも上昇できる、というのが世の中のタテマエというものだ。しかし今、「行動遺伝学」という耳慣れない学問が、「生まれつき」理論を主張して話題になっているらしい。そこで、専門家である安藤寿康 (あんどう・じゅこう)という人の本を読んでみた。(日本人の9割が知らない遺伝の真実、SB新書)

 この本によると、一卵性双生児と二卵性双生児をたくさん集め、その類似性を比較することにより、人間のさまざまな資質がどれくらい遺伝で決まっているのかを、数字で出せるらしい。それが行動遺伝学の主な手法だそうな。その結果、体格、スポーツや音楽の才能だけでなく、知能もかなりの部分(少なくとも50%以上)、遺伝で決まっていることがわかったというのである。環境(家庭や学校での教育など)の影響も多少はあるけれども、おどろくべきことにそれらの環境因子の影響はだんだんはがれ落ちてきて、年を取るほどかえって遺伝因子が濃くなってくるのだそうだ。
 これが本当なら、学校の先生は頭をかきむしるのではなかろうか。

 ちなみに、「遺伝」という言葉は誤解を生みやすいので注意が必要だ。研究が示すのは「知能が大部分、遺伝子で決まる」ということなのだが、「親の知能が高いと、子も高い」とは言っていない。親は子に遺伝子を渡すとき、その半分を捨てるのである(減数分裂)が、どこを捨てるかは選べないから、たとえ両親の知能が高くても、子に引き継がれるかどうかはわからない。逆にとんびが鷹をうむ、ということもあるのだ。

 世の中の至るところで、とんでも学者、とんでも学説が出没しているけれども、この行動遺伝学は正しそうだと私には思える。その手法は科学的で、先入観や妙な主義主張が混入する余地がない。
 取り扱いに困る話が出てきたものだと思う。しかし、スポーツや音楽と同様、学力にも素質というものがあって、努力の限界がある、というのは皆、うすうす気がついていたことではないだろうか。そうでなかったら、東大に入れないのはお前の努力が足りないからだ、というお母さんの無謀な攻撃が成り立ってしまう。
 もとより学力は、人の才能の一部に過ぎず、人の値打ちとは関係がないのであるから、ここを出発点にして、世の中をかえっていろいろ住みやすくできるのではないかと、私は楽観的である。たとえば、「努力不足」を攻撃する母に対し、これまでは、「俺の頭が弱いのは親譲りじゃあ」と叫ぶしかなかったのに対し、これからは、「知ってる?知能の50%以上は遺伝子で決まるらしいよ」という科学的根拠を持った反撃が可能になるということなのだ。
 ただし、この親子ゲンカで母に勝てるかどうかについては、悲観的にならざるをえない。

2017.1.15, T.E@Kobe

 
笑う業務日誌

 おととしの手術室忘年会で私は、あるナースから、今年一番面白かったことは何でしたかと聞かれて思い出せず、窮地に追い込まれたのであった。そこで私は心に誓った。毎日つけている業務日誌には、何よりも、その日おもしろいと思ったエピソードを書きとめようと。
 あれから一年。業務日誌を眺めかえしてみると、確かに、クスクス笑えるネタが結構たまっていた。内輪ネタだからここで紹介するほどでもないのだが、新人の研修医や看護師が見せたういういしい勘違い、ベテラン外科医による天然なのか狙っているのか判別できないボケ、女性外科医の天才的な言葉のチョイス、などなど、楽しめる話が集まった。
 どうやら楽しい話は、腹の立つ話に比べて蒸発しやすいようである。気をつけないと、その日の終わりには忘れてしまい、恨みごとだらけの業務日誌になる。これまで、どれだけ多くの傑作を忘却の彼方に置き去りにしてきたかと思うと、ああ、もったいないことをした、と痛恨の極みである。
 これからも笑う業務日誌をつけていこうと思う。老後の楽しみのために。

2017.1.14, T.E@Kobe

 
新年のあいさつ

 新年、初出勤すると、職場でいろんな人から、「あけましておめでとうございます、本年もよろしくおねがいします。」と言われる。もちろんこちらもあいさつを返すが、「おめでとう」と「おねがいします」のところで2回お辞儀をしなければならないのがストレスだ。
 こういうのは日本の美しい伝統であると思わないでもないが、どうも芝居がかった虚礼のような気がして、自分からやる気は起きない。もっとさらっと、「おめでとうございます。」だけで済ませることはできないものだろうか。

 以下は、現実にはとても言えない本音である。
 「本年もよろしくお願いします」と言う人は、相手にものを頼んでいるわけだから、もうちょっと言うべきことがあるだろうと思うのだ。「今年はこういう方向で頑張るから、よろしく」と言うのが筋ではないか。
 「今年は、手術の時間を10%短くします。」
 「人の悪口を言うのは、一日5回までに減らします。」
といった要領でやってくれると、聞いているこちらにも楽しみが発生する。

 これに対して、麻酔科医としては何と返事をすべきか。
 「今年はウチも、のるかそるかの勝負の年にしますよ」とか、「今年こそ、打って出ます」、などと言おうものなら、相手はぎょっとするであろう。バスの運転手や、日本の防衛大臣がこんなことを言わないほうがいいのと同じで、麻酔科医も言うべきでない。「めちゃめちゃな麻酔をしてやる」、あるいは、「こんな病院辞めてやる」と受けとられるはずである。
 「今年もせいぜい死なないように(自分が)、何とか1年持たせる所存です。」
 あたりがベストアンサーになるだろう。

 こんなやりとりを、初日から緊急手術が5つも入る当院の手術室で繰り返すのはいやだから、やはり新年のあいさつは「おめでとうございます。」だけで勘弁してほしいと思う。

2017.1.9, T.E@Kobe

 
麻酔と遅刻

 麻酔科医がいないと、手術が始まらない。にもかかわらず、寝坊して、遅刻する者がいる。 さすがに本物の麻酔科医はそういうことをしないが、麻酔科にローテートしている研修医が、ときどきやる。
 麻酔のほうは周りの者で何とかカバーするけれども、深刻な事態だ。研修医が頭をかきながら入室すると、もう自分の担当の手術が始まってしまっているのだ。取りかえしのつかない大失態である。
 寝坊して、自分が乗るはずの電車に取り残された車掌さんのようなものだ。プラットホームに立ち尽くす車掌さんの心境を味わうがよい、と思う。

 以前勤めていた病院では、研修医が朝来ないとき、 麻酔科の部長がひどく心配するのであった。決まってこう言うのだ。
 「あいつ、今ごろベッドの中で冷たくなってるんじゃねえか。」
 部長の理論によると、俺たち中年はこれまで死んでないわけだから、いくらひどい目にあっても死なないことが証明されている。(それもひどい話だが。)しかし社会人1年目の若いもんは、ストレスや長時間労働に慣れておらず、いつ倒れてオダブツになるか分からない、ということである。それというのも、その部長が前にいた病院で、研修医の過労死が発生し(他部署だけど)、大変なことになったのだそうだ。
 それにしても、研修医が遅刻するたびに 部長が騒ぎたてるのだ。
 「おい、昨日は変わった様子はなかったか。落ち込んでいたとか」
 「同期の研修医に電話させろ」
 「ナニ、電話に出ない?やっぱり冷たくなってるんじゃねえのか」
 私もまさかとは思いつつ、彼 (必ず男だ) のはかなくなった姿がまぶたに浮かんできて、心配になってきたものだ。
 まあどうせ寝坊なので、そのうち本人が寝癖つけたまま現れるという落ちが必ずつくのだ。今はもう、研修医が遅刻しても電話はしない。電話代がもったいないだけだ。

 しかし、部長の理論にももっともなところがある。彼ら若者は体力のペース配分というものを知らないし、また仕事の断り方も、さぼり方も知らない。若いから無理がきくはず、という従来の思考法は、まったく逆なのだ。上司の配慮が必要だ。
 私の若いころは、若手が一番長く働くのが当然であった。たとえば私が最初に赴任した病院では、深夜に及ぶような手術はかならず私が最後まで担当したし、緊急手術の呼び出しも365.25日全部私が受けていた。
 今や時代は変わった。私の病院では、長くなった手術に対しての居残りも、呼び出し待機当番も、老いも若きもまったく同じ割合で担当する。当直明けはなるべく早めに帰す。かえって部長のほうが、会議とかいろいろあって、なかなか帰れない。こうなると、自分が一番損をした世代かなと思うが、誰かが損をしないと変わらないのだ。
 ブラック企業大賞電通さんには勝っている、と思いたい。目くそ、鼻くそを笑う、のたぐいかもしれないけれど。

 以上の議論を踏まえると、遅刻してきた研修医を迎える麻酔科医の言葉は必然的に、次のようになるであろう。
 「ああ、よほど疲れが溜まってるんやなあ。ご苦労さま。どうせならもっと、ゆっくり寝てくればよかったのに。」

2016.12.31, T.E@Kobe

 
「この世界の片隅に」

 「この世界の片隅に」という映画が大好評を博しているというので、見に行った。何しろ私の故郷の呉(くれ)が舞台なのであるから、見に行かないわけには行かなかった。
 昭和初期から終戦直後までの広島、呉での庶民の生活を、徹底的な調査を元に忠実に再現し、それでいて淡々と描いており、たいへん興味深かった。
 私は明治、大正、昭和に関する書物を好んで読むのだが、文字の上には決して載ってこない当時の生活風景が、映像では浮かび上がってくる。たとえば、学校で鉛筆の削りかすを、教室の床に空いた穴から捨てているところなどは、さりげないながら何かハッとするシーンだった。
 のんさんの柔らかい広島弁も、すばらしく耳に心地よかった。
 上映館はちょっと少ないが、まだつづくようなので、よろしかったらご鑑賞ください。

 きっと誰の役にも立たないが、 地元民の一人として、この映画の背景についての豆知識を提供する。

 主人公の出身地、広島市の江波(えば)。広島電鉄の路面電車6番線の終着駅である。私が修道中学のころだったか、「エマニエル夫人」という映画がブームになった時、学校の文化祭のために「江波にいる夫人」という映画を作った先輩がいた。私は見そびれたけれども、何の映画だったのだろう。

 呉の発音は、「ク」と後ろにアクセントが来るのが正しい。標準語的には「レ」だが、地元の呼び方が正しいに決まっている。
 昔、国鉄(今のJR)呉駅に電車が到着した時には、駅員が「クレ~、 クレ~」と放送していたのであるが、ある日これが何の前触れもなく女声の録音放送に切り替わった。駅のスピーカーから「レ、レ」とコールされた瞬間、電車の中で一斉に怒号が沸き起こったのを思い出す。「クじゃろうが!」、「ものをくれ、ゆうとるんと違うんど!」
 アクセントをなめてはいけない。

 戦時、海軍工廠と鎮守府を擁する呉の人口は30万人を超え、広島市に匹敵する大都市であった。しかし、呉の語源が「九嶺」であるとされるように、三方を山に囲まれた小さな町であるから、映画の主人公のように山の中腹に家を構える人も多かっただろう。今でも、何でこんなところに、と思えるような坂の上の家が多い街である。

 呉は何せ戦艦大和を作った海軍の町であるから、映画で描かれるように、戦争の末期には徹底的な空襲爆撃にさらされた。私が小学生のころ、遠足で山に登ると、至るところに入り口を石で塞がれた防空壕があった。戦争当時、ある防空壕の入り口に着弾し、中の人が全滅したとか言う話を聞かされていたから、子どもたちからすれば防空壕は気味悪い場所だった。
 私の父も爆弾の破片が当たったとかで、片目を失明していた。私は危うく生まれそこなうところだったようだ。詳しいことは訊かずじまいで、今はもうすっかりぼけてしまっている。

 広島の原爆のキノコ雲は、20キロ離れた呉からも見えたと母から聞いた。ただ、映画のように広島の物が空から降ってきたという話は、私は聞かなかった。考証がしっかりした映画なので、そういう事実はあったのだろう。
 私の伯母(父の妹)は戦後、ハンサムな教師と恋をしたが、この男性が被爆者だったので、私の祖父から猛反対され、結婚するまでが大変だったそうである。呉の人から見ても、広島の被爆者は差別の対象だったのだ。祖父はまさか、この娘婿がその後長生きし、被爆者代表の一人として、広島平和記念公園でアメリカ大統領と握手をするようになるとは思わなかっただろう。今年の夏のことだった。

 以上、どうでもいい豆知識でした。

2016.12.23, T.E@Kobe

 
「戦犯」について

 戦犯、という言葉が、スポーツ新聞、低俗週刊誌などで使われているのを見ると、私は実に腹立たしく感じる。
 「監督がセンター〇〇を戦犯指名。9回2アウトでフライをポロリ」
 「経済低迷の戦犯はこいつだ」
といった具合である。つまり、「試合で負けた時など、その原因となった人物」を「戦犯」と呼んでいるようなのだ。これはひどい誤用である。

 戦犯とは戦争犯罪人の略語である。つまり、戦争時に悪いこと(国際法に違反する行為)をした人である。負けた原因を作った人では、全然ない。悪いことをした人なら、まあ敗因を作った人と似たようなもんだ、と思う人もいるかもしれない。だが戦争の歴史を知ったうえで、同じように思えるだろうか。

 第二次世界大戦終了後、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)をはじめとして、世界各地で戦争犯罪人に対する裁判が行われ、多くの日本人が処刑された。確かに日本はアジア各地で犯罪的行為(捕虜虐待、民間人殺害など)を働いたのは事実だが、それらは本当に公正な裁判だったのだろうか。
 たとえば東京裁判で死刑判決を受けた唯一の文官、広田弘毅(ひろた・こうき)元首相。軍部に引きずられて日中戦争の拡大を許した非はあるが、東条英機(とうじょう・ひでき)のように積極的に戦争を指導した人ではない。それが死刑に値する犯罪だったのか。彼は一切の弁明を拒み、それがまた不利な判決を引き出したと言われるが、黙々と刑に服した。
 あるいは大岡昇平(おおおか・しょうへい)の小説「ながい旅」に描かれた東海軍司令官の岡田資(おかだ・たすく)中将。名古屋空襲のときに撃墜され、捕虜となった米国人を処刑したため、捕虜虐待の罪に問われた。彼は広田と違い、裁判で全面的に争った。米軍の搭乗員こそ、空襲で民間人無差別殺傷を行った戦争犯罪人であると。法廷で米軍の行為が問われることはなく、彼は死刑に処された。
 他にもモンテンルパの指差し裁判、フィリピンを奪われたマッカーサーの報復とも言われる本間雅晴(ほんま・まさはる)陸軍中将の処刑など、残念な判決はいろいろある。

 彼らがまったく罪のない人たちだったとは言わないし、まして英雄視したり、神さまとして拝む気もしないが、戦勝国からその立場を利用して納得のいかない扱いを受けた人々だったという思いは消すことができない。しかも日本は、1951年に独立するための条件として、これらの軍事法廷の結果をすべて受け入れること(サンフランシスコ講和条約)に同意しているのである。
 その後の日本の繁栄を考えると、戦犯として刑死された人々に対し、私は日本人として後ろめたいような、こまごまと複雑な思いを抱かざるを得ない。

 私のような底辺歴史愛好家が偉そうなことを言うのも何だが、公共の場でものを書く人が、「戦犯」という言葉が必ず伴う痛みをまったく無視してその意味をゆがめるのであれば、まあ「低俗メディア」と言われても仕方がないだろう。

2016.12.21, T.E@Kobe

 
食わない殺生

 日本の民話の中に女マタギの話があって、印象に残っている。このすご腕の狩人は、山の中の沼に君臨する大ガマと出会い、死闘の末にみごと撃ち止める。だが彼女は「食わない殺生(せっしょう)をすると、罰が当たる」と言って、あえてこのガマを煮て食い、あっけなく死んだのだ。
 罰は当たらなかったが、ガマの毒にあたったという、いかにも民話らしい、不条理な結末である。

 わたしは研究者時代、実験にラット、マウス、ウサギを使った。詳細は省くが、その都度やはりその命は犠牲にするのである。まさに「食わない殺生」である。
 動物実験に関して、研究者側は、「医学の進歩のために」とか、「人の命を救うために尊い犠牲を」とか言うのだけれども、そこまで開き直るのは、私には難しい。やはり自分の業績のために、というのがもっとも直接の動機なのだから。その業績にしても、動物たちの命に見合うほどのものなのかどうか、自信は持てない。
 今も別に後悔しているわけではないが、やはり、後ろめたさはある。

 では、「食う殺生」なら許されるのか。世の中には、動物の肉を決して口にしない人たちがいるわけだから、そういう人たちから見たら、食う殺生も罪深い行為だろう。しかしそこまで言うなら、植物だって生きものだから、菜食主義者もその命を奪っているわけである。
 われわれが食事前にいただきます、と手を合わせる時、「食べてごめんね」というニュアンスも少しはいっているのではなかろうか。

 もちろん、「ごめんね」では許してもらえないだろう。われわれは死ぬと、閻魔さま(キリスト教徒なら神さま)の前に引き出され、お裁きを受けるらしいが、証言台には牛、豚、鯖、大根などが立ち並ぶだろう。私の場合これに、ラット、マウス、ウサギが加わる。さぞ辛口の証言が行われるものと思われる。しかし、「命を奪ったからには、ヤバイと知りつつ食って死ぬ」ところまでやり遂げた女マタギに文句を言えるものは、被害者のガマを含めて、なかなかいないのではなかろうか。

2016.12.16, T.E@Kobe

 
自転車外傷

 自転車に乗るのは楽しい。両足は地から離れ、からだは風に浮く。ちょうど空を飛んでいるような気分である。ペダルを漕いで加速するのが離陸の喜びならば、そのあとの慣性運行は滑空の爽快さである。
 しかし空を飛ぶのがはたして、無条件で喜ばしいことなのか。ギリシャ神話のイカロスは、翼をつけて空を飛んだとき、調子に乗って太陽に近づきすぎ、そのために翼を失って落ちたのではなかったか。ユング心理学でも、たしか、空を飛ぶ夢は不安、墜落を意味する不吉な夢だったはずだ。
 現代のイカロスたちは自転車に乗り、信号無視、交差点の斜め横切り、反対車線逆走、スマホ走行、歩道内縦横無尽と、調子こきまくっている。これは彼らだけが悪いのではない。なかばは自転車という翼の魔力のせいであろう。そして、運の悪い者が空から墜落し、私の病院の手術室に来るのだ。
 お年よりは、自転車がふらついて足をついたときに、足関節などを骨折する。横転すると、若い人でも鎖骨などを折る。自動車とぶつかったり、突然現れた階段に突っ込んでさか落としとかになると、もう、何が折れるかわからない。
 ただしもっと運が悪い人もいて、それはそんな暴走自転車に衝突されて骨折した歩行者である。

 私もかつて、気が向いた日には、自転車で通勤していたことがある。だが、スピードを出すことにはとんと興味のない私でも、自転車に乗ると、信号や車線をきちんと守るのは極めて困難であった。そこが魔力なのである。ヒヤッとすることも一度や二度ではなかった。
 ある時、私が自転車通勤していることに感づいた家族の一人が、私に、それをやめるようにと要求した。もしそこで、「あなたのからだが心配よ」などと言ってきたら、「大丈夫、気をつけるから」と意地を張れたかもしれないが、敵はそんなに甘くなかった。
 「勤め先には、地下鉄通勤で届けを出してるよね。自転車で事故っても、労災保険が出ないやん。」
 え、カネの問題なのか、と意表を突かれた私は、「へえ」という力の抜けた返事しかできなかった。そしてもう何もかもアホらしくなって、自転車に乗ること自体をやめた。
 今はどこに行くのも、公共交通機関と徒歩である。

2016.12.3, T.E@Kobe

 
スポーツ外傷

 私などのように一日のほとんどを手術室で過ごしていると、世の中のスポーツや遊びを、「外傷のリスク」という色眼鏡で見るようになる。健康的とか、かっこいいとか、そういうイメージとは裏腹に、スポーツは意外に危険なのだ。
 「そういえば危ないよね」と私が思うものを、順不同で挙げていく。 各分野の愛好家には怒られるかもしれないが、麻酔科医としての実体験にもとづく感想を、世の中にまったく影響力のない場で発表するのであるから、許してもらえるだろう。

  • フットサル。ぶつかったり、急にひねったりするためか、じん帯損傷、鎖骨や下肢の骨折が意外に多い。サッカーで骨折するのはたいがい中高生であり、名誉の負傷として扱われるだろうが、フットサルで負傷するのはまず会社員だから、その立場は微妙だろうと想像する。
  • 柔道、ボクシングなどの格闘技全般。ラグビー、アメフトも、ケガの内容、発生機転から見て同類と言える。 まあ本人も、多少のケガは覚悟の上かもしれないが、頚椎の骨折だけは、試合に敗けてもいいから全力で回避してほしい。
  • スキー、スノーボード。命に関わるほどではなくても、脚の骨が真ん中(骨幹部)で折れるなどの長期入院コースものの重傷が多い。競技人口減少に悩むスキー場関係者には申しわけないが、受験とか就職とか、人生の節目を控えた人があえてやるべきスポーツではないと、私は思う。
  • 小学校の組み体操。とくに、ピラミッドの一番上に登る子が落ちて、腕の骨を折る。昔から危ないと思っていたが、このごろやっと世の中に認識されてきた。こんなことなら私も、もっと前から警鐘を鳴らしておけば、組み体操問題評論家としてテレビに出られたかもしれない。
  • クライミング。高いところに登ると、誰でもたまには落ちる。猿も木から落ちるらしいし、仕事中に落ちたトビ職人の麻酔も、私は何度か経験した。いわんや趣味で絶壁に登る人においておや。高所恐怖症の私から見ると、まことに不思議な趣味である。
  • 自転車。これはスポーツというよりも、交通手段の一つであるが、これもけっこう危ない。これはまた、回を改めて書いてみたい。
 他にもスケートボード、野球、腕相撲など、いろんなものを見てきたが、飽きてきたのでこれくらいにしておく。
 そういうことなら、安全なスポーツというものがあってもいいのではなかろうか。それはある。たとえば、卓球だ。卓球がもとで死んだ人というのは、聞いたことがない。けがするとしてもせいぜい、アキレス腱を切るくらいだろうが、意外にまれであり、私も試合会場や病院で見たことはない。その安全性はおそらく、ゲートボール、おはじき、ケンケンパと同じくらいの高みにあるのではないかと思っている。しかも、おはじきなどと異なり、努力して神のレベル程度に上達すれば、オリンピックにも出られるのだ。
 遊びたいけれど寿命を縮めてまでは、と思われる方々においては、卓球をしない手はないと思われる。

2016.11.27, T.E@Kobe

 
事故報道

 私たちはニュースなどで毎日、事故の報道に接している。「心肺停止状態」とか「意識不明の重体」などと聞くと、見知らぬ人とは言え、何とか生きのびて欲しいと祈らずにはいられない。

 「心肺停止状態」と発表されたということは、現場に来た救急隊が心停止であると認識したが、なお蘇生の可能性がゼロではないとして、蘇生処置を行いながら病院に搬送した、ということである。しかし、とくに外傷などの事故による心停止については、生き返る可能性はかなり低い。もし「心肺停止」が誤報でないとしたら、正直言って、奇跡を期待するしかない。
 ただ、病院の外での心肺停止にもいろいろある。心筋梗塞や不整脈による心停止は、ただちに心マッサージをほどこせば、蘇生の可能性は高い。まだからだの温かい心肺停止の人を見つけてしまった場合、その原因などわからないことが多いから、救急車が到着するまで、発見者にはぜひとも心肺蘇生を行っていただきたいと思う。

 「意識不明の重体」となると、心臓は動いているということだから、チャンスはある。ただ、「意識不明」というのがクセモノで、さまざまな病態を含むから、どれくらい見込みがあるのか、報道だけではなんとも判断できない。
 たとえば胸部の外傷で、ICUで人工呼吸を行っているとすると、たいてい鎮静剤も投与するからこれも「意識不明」といえないこともない。昔のことだが、そのような症例で、警察に問われて「鎮静中である」と説明したところ、「意識不明の重体」と報道されたので驚いたことがある。十中八九、助かりそうな人だったからである。

 頭部外傷が原因で意識不明だとすると、これは助からない可能性や、あるいは重い後遺症を残す可能性など、厳しい状態を含む。だがこれもピンからキリまであって、ICUを運営する麻酔科医ではやはりわからない。ここは脳外科医の出番である。
 これは聞いた話だが、頭部外傷で何日も意識が回復しない患者について、脳外科の主治医が、「厳しそうだが、1年くらいしたら意識が戻るかもしれない。そんな気がする。」と言ったところ、ほんとうに1年後に目が覚めたそうである。専門家がときどき見せる超能力であろう。
 ただ、専門家の読みがはずれることもある。交通外傷で頭を強く打ち、かなり脳が腫れてしまった患者について、脳外科医が「かなりむずかしい。助かっても重い障害が出る」と判断した症例があった。そこで麻酔科の方から「低体温療法」を提案し、ダメでもともとでやらせてもらったところ、翌日には腫れがほとんど引いたのであった。患者さんは歩いて退院され、脳外科医も驚いていた。
 頭部外傷に対する低体温療法は、効果があるかどうか、今では疑問視されている。この患者さんについても、この治療のおかげで助かったのかどうか、誰にも証明できないことである。ただ、この奇跡の回復について麻酔科医が、「ワシのおかげやな」とひそかに喜ぶことくらいは、どうか許して欲しいものである。

 というわけで、皆さんが「意識不明の重体」の報道に接した際は、一応やっておくか、くらいの気持ちでいいから、「助かれ」の念を送っていただきたいと思う。それが日本全国から集まれば、何かが起こるかもしれない。医療の現場では、ときどき、信じられないようなことが起こるのだ。

2016.11.20, T.E@Kobe

 
山の辺の道

 10月のある平日、私は今年はじめての夏休みをいち日だけ取り、ひとりで奈良を訪れた。かねてから、「 山の辺(やまのべ)の道」を歩いてみたかったのだ。 その歴史的意義はよく知らないが、とにかくとても古い街道であり、歩いていくだけでいろんな神社や史跡を巡ることができるらしい。
 歩く、神社、史跡、その共通点は「お金がかからない」ということである。

 桜井市側から山の辺の道に入り、天理市に向かって歩き始める。民家に面したひなびた路地やのどかな山道を行くと突然、ただならぬ威厳をたたえる大神(おおみわ)神社が現れたりする。想像以上に雰囲気たっぷりの道であった。 このように神秘的な観光地は、京都などにありはしない(たぶん)。しかも、神社でお賽銭を入れずに済ませられる人ならば、財布はまったく傷まない。
 檜原(ひばら)神社とかいうところで、思いがけずも大津皇子(おおつのみこ)で有名な二上山(ふたかみやま)の眺望に出会った。ここで私ははじめて、そのあたり一帯がかつて日本の都であり、万葉集のもっとも主要な舞台であったことを知った。こういうサプライズがあるのは、ろくに下調べをしないおかげである。

 この直後、これほど整備された観光用の散策ルートを見失い、私は道を間違えた。
 気になる分岐点もなかったはずなのに、私はふと、登り坂の車道を1時間以上も歩きつづけている自分を発見した(英語風表現)。史跡どころか民家も途絶え、あきらかにこれは山の辺の道ではない、山の中の道だ。
 腹は減ってくるし、スマートホンを持っていないから、自分がどこにいるのかもわからない。今来た道を、トボトボと引き返すのが一番確実だが、そんな味気ないことは死んでもやりたくない。私の頭のなかで、「神戸の麻酔科医、山の辺の道で遭難か」という新聞の見出しがちらつき、ショパンのピアノ・ソナタ「葬送」のメロディーまで鳴りはじめた。
 結局その後、偶然見つけた地図の看板をたよりに、私はなんとか自力で天理駅にたどり着くことができた。

 敗因はいろいろ考えられる。大神神社でのお賽銭がたった100円だったとか、他の神社(ほんとにたくさんあった)は素通りしたとか、そういうのもあるだろう。下調べが足りないと言われればその通りだ。だが一番の原因は、単純に、私が道に迷うのを好んでいることであろう。
 考えてみれば、山歩きをしたり、知らない町を歩いたりすると、私はたいてい道を間違えている。自分の位置を見失った時の焦りと不安、それが解決した時の安堵感。このささやかな迷子体験の喜びを、基本料金(ゼロ)で割り算すると、その費用対効果比(コストパフォーマンス)は無限大だ。たぶん私はこの計算式にもとづき、無意識的に違う道を選んでいるのだ。
 ただ、この自明に正しい計算式は、女性には絶対に理解できないから要注意だ。私の妻にしても、私のことをただの方向音痴だと信じこんでおり、一緒に出かけることを拒み続けているほどだ。

 飛鳥時代という古代のロマンと、迷子になるという男のロマンを満喫できた、思い出深い夏休みだった。



私を破局から救った、山の上の蕎麦屋さんの大雑把な地図看板。実際はこのように、登り切ったところには人気(ひとけ)があった。

2016.11.13, T.E@Kobe

 
シンゴジラ、その2

 映画「シンゴジラ」でもう少し遊ばせてもらう。もし、シンゴジラの運命をまだ知りたくない人がおられたら、この先は読まないで、DVDの発売をお待ちいただきたい。

 初代ゴジラは「オキシジェンデストロイヤー」というおそろしい新兵器で倒された。そのあまりの威力に、発明者の芹沢(せりざわ)博士は兵器としての拡散を恐れ、みずから命を断ったほどだ。しかし、「酸素を破壊する」というその発想はあまりに科学の常識から遊離しすぎており、ちょっとついていけないものも感じる。

 シンゴジラを制圧したのは、血液を凝固させるという「のみぐすり」だった。オキシジェンデストロイヤーよりは少し、リアル感が高そうだが、はたしてどうか。
 この薬が消化管吸収されて効くものなのかという疑問はあるが、それはまあいい。麻酔科医として気になるのは、この液状のお薬をゴジラにどうやって飲ませるか、という部分である。適切な投与経路の選択、これは薬物治療学(治療ではないが)の基本中の基本である。
 映画では、集中的な物理攻撃により、さすがのゴジラが目をまわし、倒れたところにタンクローリーが群がり、その口の中に例の薬を大量に流しこむのである。しかし普通の動物ならば、口の中のものが胃に入るには、「嚥下(えんげ)」という、関連器官群の一連の協調運動が必要である。意識のない人にはこれができないが、映画の中で意識を失ったゴジラも、口に流しこまれた液体をごくごく飲んでいるという気配はない。
 ゴジラの食道は土管のようにがらんどうで、口に入ったものはさらさらと胃まで流してしまう構造だったのだろう。口から少しもこぼれることがなかったところを見ると、軽く吸引力すらかかっていたかもしれない。ゴジラが普通の動物でなかったのは、幸運だった。

 ゴジラ打倒チーム、「巨災対」に麻酔科医が加わっていたら、どうなっていただろう。彼または彼女は、毎日胃管を患者さんに挿入している立場上、胃管の必要性を主張していただろう。だが、誰がその胃管をゴジラに入れるか、という段になると議論は紛糾し、計画自体がつぶれていたかもしれない。万一、一寸法師の生まれ変わりを名乗る変な人(変にちがいない)が現れ、特注ゴジラ用胃管をからだに結びつけ、ゴジラの口から胃の中に飛び込むようなストーリーになっていたら…新幹線や在来線の列車たちの捨て身の攻撃に胸を熱くした観客たちは一気に興ざめしたことだろう。
 映画、および映画製作者に麻酔科医がいなくて、本当によかった。

2016.11.6, T.E@Kobe

 
シンゴジラ

 「君の名は」と来たら、つぎはゴジラである。
 返すがえすもため息が出るほど、「シンゴジラ」はすごい映画だった。今の時代を生きる日本人の心を、ぎゅっと汁が出るほどワシづかみにする映画が、こういう形で出てくるとは、想像もできなかった。私の心の中ではすでに、伝説の名画となって、にぶい光を放っている。
 何がどうすごいかは、いろんな人がいろんな角度から分析を加えている(たとえば、「日経ビジネスオンライン」の特集)ので、私などがつけ加える余地はない。ただ、「いきもの」の専門家の末端にある者としては、どうしても気になる点もいくつかある。なかでもこれはどうしたものか、と思うのが、「進化」という言葉の使い方である。
 今回のゴジラはどんどん形態を変えていくところが大きな特徴なのだが、映画の中ではこれを「進化」という言葉で表現するシーンがある。進化とは、世代交代の中で生物の形や機能が変化していくことなのであって、ひとつの個体の中では絶対におこらない現象である。「日経ビジネスオンライン」の中である人が指摘しているように、ゴジラの形態変化は生物学的に言うと、「変態」なのである。

 もともと、「進化」という言葉は今の日本では間違った使い方をされすぎている。ポケモンとやらがいとも簡単に「進化」するようになってから、いやな感じはしていた。近年では、スポーツ選手などもみだりに「進化」するようになった。卓球の水谷隼(みずたに・じゅん)がバックハンド強打を身につけ、さらに進化を遂げました、といった具合である。
 ダーウィンが聞いたら泣くだろう。ポケモンも水谷もゴジラと同じく、こう言っては何だがあれも「変態」である。

 進化という言葉はもうちょっと重い。生物の形質の変化は「世代交代」により実現される。普通の親から、少し変わった形質を持った個体が生まれ、「適者生存」に失敗すれば「自然淘汰」を受ける。親はもちろん死ななければならないし、環境に適応できない個体も死にやすくなる。死者の山の上に築かれるわずかな変化が、気の遠くなるような時間をかけて積み重ねられたものなのである。

 悪いことのはずの「こだわる」、「やばい」がいつの間にか肯定的な意味合いになるなど、話し言葉が変わっていくのは、世の常であるが、変わってはいけない言葉もある。「進化」のような学術用語やお金に関すること(借金がいつのまにか貯金に変わったりしない)などである。
 ゴジラもポケモンもスポーツ選手も、進化するためには子をのこした上で死なねばならぬ。それなので、各個体におかれましてはあまり進化を急ぐことなく、変態くらいにとどめておいたほうがよろしいのではないかと思う。
 念のため調べてみると、私もこのブログのようなものの中で、進化を不適切に使っている箇所があるので、ちょっと控えめに進言してみた。

2016.10.30, T.E@Kobe

 
君の名は…

 患者さんが手術室に入室するとき、必ず行うのが氏名の確認である。病棟の看護師と、手術室の看護師がともに患者さんに向き合い、氏名を尋ねる。看護師から「○○さんですね」と問うのではだめである。ぼんやりした人だと別人の名前でもうんと言ってしまうからである。患者さん自身に名乗ってもらうのが基本である。
 このときごくたまに、わざと違う人の名前を出す人がいる。私の経験では、ほとんどが中高年の男性である。そしてその多くが、自分は高倉健(たかくら・けん)であると言う。ちょっとでも似たところがあるのならまだわかるが、全員、高倉健には似ても似つかぬオヤジたちである。そもそも、本物の高倉健だったらこんな場面で、名前で遊んだりはしないだろう。

 先日、手術室に来たあるオヤジさんが、芸能人の名を名乗った。すると患者を送る側の病棟ナースの表情がさっと変わり、低い声でこう言った。
 「○○さん、ここ、大事なところですよ。もう一度ちゃんと言ってください。」
 怒られるとは思っていなかったであろうオヤジさんが、ちょっと気の毒だった。患者サービスの観点からは、そのナースはこう言ったほうがよかったと思う。
 「あれ、それ芸名でしょ。本名のほうは何とおっしゃいますか。」
 自称有名人は悪びれることなく、とっておきの本名を教えてくれただろうに、と思うのだ。

2016.10.23, T.E@Kobe

 
スーパープレー、その3

 昔のことである。外科の手術中、外科部長が清潔介助のナースに、骨ろう(コツロウ。骨の断面に塗りつける、粘土のようなもの)を丸めて渡すよう要求した。
 そのナースはSさんといって、まだ就職して半年くらいの新卒さんだが、フレッシュな感じがまるでなく、なんだかいつもだるそうに見える女性だった。彼女は持ち前の、やる気のなさそうな棒読み口調で尋ねた。「どれくらいの大きさに丸めたらいいですか?」
 すると外科部長、「乳首の大きさくらい。」
 別の人が別の口調でこれを言ったら、セクハラと呼ばれても仕方がないかもしれないが、このカラッとした先生がサラッと言えばなんとかセーフ。これも人徳である。それにしても、これに対するSさんの切り返しがよかった。
 「乳首の大きさは人によって違いますっ!」
 ちゃんとわかるように言え、あと、エッチなことを言ってもこっちはびびらないぞ、というのである。

 1年目の新卒ナースは、仕事を覚えるのに精一杯で、誰にどんなことを言われても、ひたすら言われっぱなしである。はたから見ていて気の毒なくらいである。彼女ら/彼らに自我が芽生え、先輩や医師に口ごたえするようになるには、通常1年半を要する。卒後半年のナースが外科部長に対してこれを言えただけでも、スーパープレーと言ってよかった。ただ意外だったのは、このうまい切り返しをしたのがこのパッとしないSさんだったことだった。

 なんぞ知らんや、Sさんが後に、手術室をしょって立つ看板ナースに化けようとは。判断力、リーダーシップ、妥協する力、そして何よりも歯に衣きせぬ毒舌など、手術室ナースに必要なさまざまな資質に恵まれ、彼女は2年目以降、頼れるナースとしてたちまち頭角をあらわしたのである。
 私は長年の病院づとめの中で、やる気なさそうに仕事するナースも、有能なナースもたくさん見てきた。しかし、両者を同時に兼ね備えてしまうナースは、他には見たことがない。唯一無二の個性であった。
 Sさんは私のようなおじさんの話し相手もよく買って出てくれて、私はずいぶん助けられた。たとえば、ある女性医師の機嫌が悪くなり、一日がちょっと残念な感じで終わってしまった時、Sさんはこう言ってくれたのだ。
 「ときどき機嫌が悪くなるのは女の宿命なんです、特に理由なんかないんです、気にしないほうがいいですよ。」
 このだるそうな棒読み口調は、彼女が電撃的寿退職する最後の日まで変わらなかった。

 Sさんのおかげで、私は自分が人を見る能力に、完全にあきらめをつけることができた。そして、若い人が「化ける」のを見るほど素敵な体験はないことも、彼女に教えてもらったのだ。

2016.6.19, T.E@Kobe

 
スーパープレー、その2

 以前、スーパープレーについて書いた後、自分にも仕事上のかっこいいプレーの一つや二つ、あるはずだと考え、懸命に思い出そうとした。そして、何も思い出せなかった。
 謙虚な性格も考えものである。
 そこで、私が仕事の中で見てきた、他の人のスーパープレーを取り上げてみたい。

 昔、ある病院でのこと、患者さんが手術台に乗ってこれから麻酔を受けようとしているとき、麻酔科の指導医が、部下をがみがみと叱り始めた。(私はたまたまそこにいた傍観者。)準備が足りないとか、そういったことだっただろうか。患者さんはまだ起きておられるのに、そのような不穏な空気をかもすのはご法度だが、指導医は仕事熱心のあまり、うっかりしたのであろう。
 するとその患者さん、70代くらいのおじいさんだっただろうか、こうおっしゃったのだ。
 「ほほう、今日はえらい低気圧ですなあ。」
 一同思わず笑い、低気圧は去った、というか黙った。おかげで手術室の陽気は高気圧とまでは行かないが、中気圧くらいにはなった。

 手術台に乗って、平静でいられる患者さんは、多くはない。こちらが声をかけても、硬くなって返事もできない人がいる。そういう中で、手術室の気圧を笑いで変えてしまうこの余裕。こういう大人に、私はなりたい、と思った。いまだになれていないが。

2016.6.12, T.E@Kobe

 
切腹

 歴史書、映画、小説などで見る限り、日本の武士は、しばしば切腹したようである。ただし、一人一回までである。
 「平家物語」では、たしか切腹シーンは多くはなかった気がする。この物語では何せ大量に人が死ぬので、誰かのことかは覚えていないが、「これが日本の男の死に方の手本」と大見得を切った武士は、短刀を口にくわえて馬から飛び降りて死んだのである。切腹が一番名誉ある死に方、という観念はなかったようである。
 鎌倉時代から室町時代にかけての戦乱を描いた「太平記」になると、切腹が増えてくる。といっても、江戸時代のように様式にのっとったものではない。いくさの中で敵に追い詰められて、生け捕られるくらいならいさぎよく死のうというときに、腹を切るのである。

 死ぬ手段にいいも悪いもないとしたものだが、それにしても、切腹はあまりに不合理な死に方である。痛くて苦しいけれどもすぐには死ねないからである。腹を開けたり、腸を切ったりしただけでは人間は死なない。そんなことで死ぬようなら、胃や腸の手術などできないのである。したがって、腹を切った上で、別の方法でとどめをさす必要がでてくる。
 このように、苦しいことを承知であえてやりとげることで、勇気を見せたいということなのだろうが、ばかばかしいことだと思う。鉄道自殺のような人の迷惑をかえりみない死に方もみっともないが、かっこつけるために腹を切る、つまり人の目を気にしながら死ぬという文化も、決して世界に誇れるものではないと思う。
 サムライ・ジャパンとか、ラスト・サムライとか、侍という言葉は今も肯定的に使われているけれども、武士などというものは何かの狂気に取りつかれた暴力集団に過ぎなかったのではないか。

 日本がアメリカに負けて、軍人などが切腹したそのあとは、切腹はきわめてまれになった。戦後で有名なのは三島由紀夫の切腹であるが、これも人に見せるための死に方であった。
 私は、自分で腹部を刺した人の麻酔を、何度か担当したことがあるが、たいがい、傷はきわめて浅かった。傷が腹壁を貫通して腹膜に達することすら、めったにない。刺した本人も、「カッターをいじっていたら、たまたま腹に刺さってしまった。」などとおかしな言いわけをすることが多いが、まあその程度の傷なのである。
 日本のハラキリ文化はほぼ絶えたと言っていいだろう。喜ばしいことである。

2016.6.4, T.E@Kobe

 
子育て麻酔科医

 麻酔科医の中には子どもを持つ女性も多い。大学医局の人材派遣機能が低下し、麻酔科業界の人手不足がつづく中、子育て中の女性麻酔科医にはぜひとも働いてもらわなくてはならない。多くの病院ではそういう医師を対象に、時短、週3日の出勤などの軽減勤務制度を提供している。
 私自身も長年、そんな女性麻酔科医たちと一緒に働かせてもらっている。彼女たちは結婚、出産を経て、貫禄、落ち着き、相手に有無を言わせぬ威厳、そこはかとなき強引さなど、麻酔科医として必要な資質をほぼ完備しており、もはやつけ入る隙もなく人類最強である。麻酔科部長としてはたいへん頼もしい存在である(味方につけている限り)。
 しかし、問題もある。日本という国では、子どもが熱を出すと、母親が欠勤を余儀なくされるのである。それは女性麻酔科医でも例外ではない。しかも、それは当日の朝に判明するから大変だ。
 麻酔科医が一人休んだからと言って、手術をドタキャンするわけにも行かない。結局さまざまな手段を用いて、その日一日をしのぐのだが、私はこれを運動会と称している。愛用の卓球シューズが活躍する瞬間である。

 もちろん、悪いのは女性麻酔科医ではない。私は声を大にして言いたい。子どもたちのお父さんは何をしているのだ。彼らが何の仕事をしているのか知らないが、手術中の患者さんの命を守る麻酔科医の仕事より大事な仕事があるわけがない。男だてらに「子どもが熱を出したので休みますが、何か」と平気で言えるくらいの勇気がなくて、どうしてあの、美しくてやさしくて怖い女性麻酔科医にプロポーズしようという身のほど知らずのことができたのか。
 毎回とは言わない。10回に9回でいいからお父さんが、仕事を休んで子どもを介抱したり、熱を出した子どもを迎えに、保育園に行ってもらえないだろうか。

 正直言うと、それが難しい注文なのはわかっている。私も子どもの発熱のために仕事を急に休んだことはない。男女同権、夫婦別姓、男の産休、育休、そういう社会の仕組みが整ってきても、「女性は家庭や子どもを守るもの」という日本の文化は、先祖代々受け継がれてきたものであり、変わっていくためには相当時間がかかると思われる。
 私は、自分が女性麻酔科医といっしょに子育てしているのだ、と思うことにしている。そう思えば初めて、「運動会」の後の足のしびれが報われるように思う。何ならその子たちに、パパと呼んでもらってもいい。(私の配偶者の前では控えてほしいが。)
 定年後は仮想パパとしてのこの経験を活かし、麻酔科医専門病児保育所みたいなのを作って経営してみたい気がする。もうかるだろうか。 

2016.5.29, T.E@Kobe

 
スーパープレー

 今はどんなマイナーなスポーツでも、インターネットの動画サイトに行けば、いつでもその映像を観ることができる。いい時代になったものだ。
 卓球に関してもいろんな動画がそろっている。ひとつの試合をじっくり観て、くわしい分析を加えていくのが本当の見方であろうとは思うが、手っ取り早く楽しめる「スーパープレー集」も捨てがたい。すごいラリーや、目の覚めるような神業プレーを観ては、のけぞる、これもスポーツ観戦の醍醐味である。
 剣道五段の研修医に聞くと、剣道にもそれがあって、「一本集」というのだそうである。うらやましいことに、彼は自分の試合のビデオも持っていて、自分を励ましたいときは、自分の「一本集」を見ては元気を出すのだそうである。

 もっとも、ビデオで試合を記録する習慣のなかった時代から卓球をしてきた私も、自分の「脳内スーパープレー集」ならば持っている。いくつかの試合に関しては自分のスーパープレー(しか残っていない)を自由に脳内再生することができる。
 「脳内スーパープレー集」は時と場所を選ばずに再生でき、コンセントもいらず、日本代表選手クラス(に、いつの間に進化している)の自分のプレーに酔うことができるのであるから、むしろビデオ世代よりは得をしているのかもしれない。

 これが仕事だとどうだろうか。職種にもよると思うが、電車の運転手さんや飛行機の整備士さんが、一日に何度もスーパープレーを披露するとしたら、あまり関わりたくない気がする。麻酔科も似たようなものではないだろうか。麻酔の中でスーパープレーが発生したとすると、それはまず先に好ましくない事態が起こったのに相違なく、それを切り抜けた後に残るのは達成感ではなく、かならずねっとりとした冷や汗のはずである。
 実際、業務日誌を見ても、学会の症例報告を見ても、それは「冷や汗集」になっている。そして、それを見る者は、その冷や汗を追体験するのだ。
 まあ、自分を励ましたいときに見るものではないだろう。

2016.5.22, T.E@Kobe

 
息づまる戦い

 私は先ごろサンダーバード(国際救助隊ではなく、JRの特急の方)に乗り、久しぶりに金沢を訪れた。日本医師卓球大会に出場するためである。
 これは年一回、全国から好きものの医師が集まって卓球の腕を競う大会であるが、かなりレベルが高い。学生時代から鳴らしていた人たちが、医師になっても精進を重ねるのである。開業医の中にはカネにモノを言わせて、自宅だか診療所だかに卓球台を備え付けている人も結構いるらしい。相手がいなければロボットマシン(いろんな球種のボールを打ち出してくれるマシン)を使うのだ。
 そういう本気の人たちが理由のよくわからない気迫をみなぎらせて、この大会に乗り込んでくるのである。私のような中途半端な者がこんなのに勝てるわけがない。技術面でもそうだが、まず気合で負けている。おいおい、みなさん本業はちゃんとやっているんですか、と聞きたくなるが、跳んだりはねたりしている人たちの中には、れっきとした大学教授も数人いるのである。
 私は予定通り早々に負けて、勝ち残った人たちの試合を観る。息づまるようなすばらしいラリーの連続で、賞賛半分、やっかみ半分の複雑な気分であった。

 しかし、息づまるようなプレーといえば、最近地元の草の根レベルの大会で観た試合も、負けてはいなかった。
 新スポーツ連盟の大会で、私は自分の試合の合間に、チームメイトである内科の開業医の試合を応援しに行ったところ、その相手は80歳くらいと思われる総白髪のおじいさんであった。このおじいさんが、どう見てもCOPD(慢性閉塞性肺疾患、タバコを吸い続けた人などがかかる病気)をわずらっており、ひとつのラリーが終わるたびに卓球台に手をついて、はあはあ、ぜいぜいと呼吸を整えるのであった。
 医師という立場からは、止めてあげたほうがいいのではないか、とすら思ったが、ラリーになると蘇生したかのようにビシッとなり、けっこういいスマッシュを打つのである。ちょっと声はかけづらかった。
 結局、開業医の先生の方は簡単に負けてしまった。勝ったおじいさんのほうは肩で息をしながら、精根つきはてた様子でよろよろとコートを去っていった。一方負けた先生は開口一番、「おじいさん、いつ息を詰まらせて、ばったり倒れるかと思ってひやひやしたわ。お迎えが来なくて、ほんまよかった。」と笑っていた。
 それはE級リーグ(下から2番目)で繰り広げられた、まさに命がけの、息づまる戦いであった。

2016.5.15, T.E@Kobe

 
さかあがり

 緊急手術に呼ばれて休日出勤したあと、まっすぐ家に帰るのもアレだから、公園で缶コーヒーを飲むことにした。本に飽きて遠くを眺めていると、中学生くらいの子たちが跳ねるようにして公園に入ってくるのが目に入った。彼らはそのうち鉄棒に目をつけ、さかあがりをし始めたようだ。

 さかあがりと言えば、私は生まれてこのかた、これに成功したことが一度もない。小学校の頃、いくら努力しても、人に教わっても、どうしてもできなかった。私の両足は前方の空間を力なく掻いては、むなしく地面に落ちるのであった。
 子どもというものは、こういうささいなことで、ひどく傷つくものである。そしてそういったことが、重苦しい不安となって、楽しいはずの小学校生活に覆いかぶさってくるのである。
 小学校を卒業したら、もうさかあがりからは逃げきったと思ったら、そういうわけでもなかった。数十年の歳月が流れ、驚いたことに自分の子どももまた、さかあがりができないのであった。あんた、教えてやってよと妻に命令され、小学校に行って自分もやってみたが、相変わらずできなかったので、また驚いた。

 私は子どもに向かい、おごそかに宣言した。
 「見たか。あんたの運動神経が悪いのは、親譲りということだ。これを難しい言葉で、遺伝という。だが心配ない。こうやっておっさんになるまで生きてきて、さかあがりができなくて困ったことは一度もない。早くおとなになってしまえばいい。」

 さかあがりができないと、体操選手や小学校の先生にはなれないかもしれないが、その他の職業にはつくことができる。医師国家試験にもさかあがりはなかった。全世界のさかあがりのできない子どもたちに、心配無用と伝えたくなり、ここに記す。

2016.5.7, T.E@Kobe

 
痛みの定義

 痛みとは何か、定義を述べよ、と研修医に言うと、目を白黒させる者が多い。彼らは医師国家試験をパスしたばかりであるから、ベーチェット病の診断基準とか、肺がんのステージ分類とかはたぶんすらすら答えられるのだろうが、われわれ人間にとってもっともなじみ深い「痛み」という生理現象を、言葉にするとなるとみな四苦八苦である。
 「えーと、神経が興奮して、脊髄を通って脳に行くと、痛みとして感じられます。」
 「痛覚をつかさどる神経、というのが抜けとるね。でも慢性疼痛と言って、傷がとっくに治っているのに痛みだけが残る病気もあるよ。そもそも何の原因もなく、痛みだけが発生して患者さんを苦しめることもある。そういう痛みには末梢の知覚神経は関係してないけど、それも治療しなくちゃいけないでしょ?」
 「困ったな。じゃあ、本人が痛いと言ったら、それが痛みです、なんちゃって。」
 「ま、おおむね正しい。」
 「え、ほんとですか。簡単すぎませんか。」
 そこで、これを難しく言うと、国際疼痛学会の痛みの定義になる。

 「痛みとは、組織損傷に伴う感覚、あるいはそれと同じような言葉で表現される感覚であり、不快感を伴う感情的体験である」(ちょっとわかりやすく変えてある。原文は下記。*)
 つまり研修医が苦しまぎれで答えたように、原因はどうあれ、本人が痛いというのなら、痛いんだろう、ということだ。
 何だか頼りない話だが、痛みの診療を行う立場からすると、この疼痛学会の定義はよくできている。何しろ痛みを客観的に評価する方法はほとんどないから、痛いかどうかは自己申告に頼るしかない。本人が痛いというならば、その原因にかかわらず治療の対象になる。(もちろん、その原因や状況によって、治療法は変わってくる。)
 この定義で興味深いのは、痛みをただの「感覚」ではなく、「体験」であるとしているところである。痛みは視覚、聴覚、触覚などの感覚を超えた何かである、ということだろう。分かるような気はするが、哲学的な分析は私の能力を超えるのでやめておく。
 何はともあれ、この定義が痛みの治療の出発点である。

 こうして見ると、仕事とか人生の中でも急所と言える部分は、言葉ではっきり説明できるようにしておくと、何かと便利であると思う。
 私はふだん、あまり深い考えもなく惰性で生きているが、なぜ麻酔科を選んだのか、なぜこの人と結婚したのか、などについてはすぐに答える用意がある。そういうことは誰もめったに尋ねてはくれないが、自問自答する必要性は、ときどき生じるのだ。

* "An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage."

2016.5.1, T.E@Kobe

 
座右の銘

 転勤した時に新しい職場で、自己紹介の文を書かされることがある。その中に「好きな言葉」の欄があったりすると、私はたいてい、「人畜無害」、「犬も歩けば棒に当たる」などの、人畜無害意味不明な言葉を記入するのだが、あるとき奮発して、「圧力と時間」と記入したことがある。あとでそれを見た人から、これはどういう意味か、と聞かれた。

 これは、「ショーシャンクの空に」(1994年、アメリカ)という映画のラストで語られた言葉をそのまんまパクったものだ。
 この映画では、無実の罪で服役している主人公が長年の歳月をかけて地道に牢屋の壁に穴を掘り続け、ついに脱獄に成功するのだが、その成功の秘訣が「圧力と時間」だったというのだ。それは主人公が愛する学問、地質学の本質であり、例えば海がいつの間にか山になるように、たとえ小さい力でも時間をかけて一点に加えつづければ、不可能が可能になる(牢屋に穴があくとか)ということだ。

 この思想の具合がいいのは、何かを成し遂げたいという時に、爆発力や才能や人の助けによってではなく、「しつこく願い続けること」によっても実現できると主張しているところである。時間をかけてもいいのであるから、単位時間あたりのエネルギーは小さくていい。しかるべき時が来るまで動かないで、じっとしていることも可能だ。(その間のエネルギー出力は、力学的にはゼロでよい。)うまく立ちまわるのが苦手な自分でも、これならできそうな気がしてくる。
 同じような意味を持つ言葉としては、「継続は力なり」、「小さなことからコツコツと」などがあるが、どうも説教くさいし、ちょっとでもサボると坂道を転げ落ちそうなニュアンスが怖い。
 脱獄成功の秘訣を座右の銘にするのもどうかとは思うが、災難に遭った時や調子の悪い時などに(私は人生の大半がそうであるが)、「圧力と時間」と唱えると、私はすこし励まされる。

 余談だが、私は昔から、透明人間になりたいと思いつづけてきた(理由はまあいい)。すると近年、自分のからだがすこしずつ透けてきているのに気づいた。現時点ではそれはまだ、頭頂部に限られるが、この調子なら100年以内に完全に透明になれそうな気がする。「圧力と時間」の効果かもしれない。

2016.4.23, T.E@Kobe

 
基礎医学

 4月14日に熊本地震が発生した。私はこのふざけたブログのようなものを書いている場合ではないな、と思ったものの、サッカーの本田圭佑(ほんだ・けいすけ)選手が「自粛すべきではない」と言っているようなので(何のことを言っているのかは読んでないが、このサイトのことかもしれない)、今週も地震に負けないで書くことにした。

 薬理学教室で4年間、大学院生活を送った私は、そこではじめて基礎医学の世界を知ったのであるが、やはり驚かされることが多かった。とりあえず感じたのは、研究の世界で生きることの厳しさであった。
 病院の仕事であれば、外来なり、手術なり、ルーチンワークというものがあり、最低限日々の診療を無難にこなしていればある程度は評価されるし、食べていくのに困ることはない。ところが基礎医学の研究者となると、今まで世の中で知られていないことを発見するのが仕事であるから、ただ決まった作業をやっているだけではだめなのである。とにかく新しい発見をし続けていかなくては、生きていけないのだ。
 生きていけないというのは比喩でも何でもなく、教授になる前に業績が止まると職を失う可能性が高いということである。これは厳しい。寝ても醒めても研究のことを考えているような人でなくては、現状維持すら難しいのである。自分に厳しいだけでなく、人にも容赦しない人が多かったから、人間関係もなかなか厳しい。病院なんかより、よほど怖い人が多かった。
 幸い自分が目の当たりにすることはなかったが、揉めごとだっていろいろ起こるようだ。ここにはとても書けないが、我が耳を疑うような、テレビドラマも顔負けの話も聞いたことがある。かのSTAP 細胞の事件も、何が本当かは知らないが、業績の一つひとつに生活がかかっていることの恐ろしさが背景にあるのは間違いない。そんななかでアンパンマンでいられる人がいるというのは、すごいことなのである。

 私は大学院修了後、大学病院の麻酔科で、半分臨床、半分研究の生活に戻ったが、それだけでだいぶ気が楽になったのは確かである。さらに一般病院に移ってからは、とにかくたくさん麻酔をかけていれば褒めてもらえるのであるから、夢のような気分である。

 とはいえ、大学院で研究に没頭した経験は、私にとってすばらしい財産である。いくつか挙げてみよう。
 一つは、たとえささやかな発見でも、世界でまだ誰も知らないことを自分が知っていることの快感を味わえたこと。あの利己的な快感は、臨床では絶対に味わうことのないものだ。
 二つ目は、日々の診療にどっぷり漬かっていても、それを基礎医学という、ちょっと別の視点からも眺められるようになったこと。おかげで私は麻酔中の血圧の変動に手を焼きながらも、血管平滑筋の非選択性陽イオンチャネルに思いを馳せることのできる、世界でただ一人の麻酔科医になった。ただし、そこには何のメリットもない。
 三つ目は、ほどほどにサボることが許される、人生最後の日々を送ることができたこと。だからこっそり新婚旅行に出かけている間、教授からはトイレに行っていると思われていたわけである。

 若い医師の参考になればと思い、自分の経験を書いてみた。

2016.4.18, T.E@Kobe

 
アンパンマン

 私は、大学院での研究を薬理学教室でやらせていただいた。こちらの教授は、麻酔科のM教授と正反対の人柄であったが、やはり偉大な人物であった。
 まず何と言っても、そのあだ名がアンパンマンであった。小柄で顔が丸く、頬が赤く、おそらく現生人類の中でアンパンマンにもっとも似る人であっただろう。この人も姓がMから始まるので、以後、アンパンマン教授と呼ぶことにする。
 その温厚さもアンパンマンの名に恥じぬものだった。とくかくいつもにこにこしていた。「にこにこしているけど、その目は笑っていない人」というのは、この業界では掃いて捨てるほどいるが、アンパンマン教授のにこにこは本物だった。その証拠に、私を含め、誰かが叱られているところを見たことがない。廊下で我々下っ端の大学院生とすれ違う時も、自分が先に、さっと壁ぎわによけるような人だった。
 もちろん部下の仕事ぶりを見極める眼には厳しいものがあり、ある大学院生を評して「あいつは口ばっかりだからな」とか、研究経過の報告に対して、「何だ、大したことねえじゃん」とか、江戸っ子口調で切ってすてるのだが、それをにこにこしながら言うので、全然怖くなかった。そして、仕事の中身に口出しをするということはほとんどなかった。
 あるとき、アンパンマン教授が外部のお客さんを研究室に迎えて、案内しながら、こう言われた。
 「うちは放し飼いですから。」
 研究員には好きなようにをやらせているというのだ。まさに、アンパンマン研の真髄を表した言葉と言える。

  アンパンマン教授は京都に来られる前、前任地の関東の大学で、ある生理活性物質を発見したことで世界的に有名な人だった。だがこれは、教授の号令をうけてシモベたちが掘り当てたものではなく、アンパンマン教室の自由な雰囲気を慕って集まった研究員たちが、協力しあって勝手に見つけてしまったものらしい。教授の貢献は、彼らの邪魔をしなかったことと、いつもの口癖で、「やったらいいじゃん」と言って後押ししたことだけだった、というのが真相だそうである。
 まさに、私が以前ここで述べた、「中空型のリーダー」の極致である。

 わたしはマイペースな人間なので、この「放し飼い」の恩恵をたっぷり味わうことができた。1年目でさっそく、与えられた研究が行き詰まり、2年目の時に新しい研究テーマを勝手に見つけ、運よくささやかな結果を出すことができたが、その間教授から励まされることはあっても、けなされたり、せかされたりしたことはない。幸せな4年間であった。
 また、私は4年目の時にどういうわけか結婚をして、無断で1週間新婚旅行に出かけたのだが、あとで教授に報告すると怒られることもなく、「なんだ、しばらく見かけないから、トイレにでも行ってたのかと思ってた」と言われた。

 おそらく、自由な研究室からよい業績が生まれる、というのは教授の信念であったろうと思う。しかし、そういうやり方は実際にはなかなかうまく行かないものだ。まず怠け者が増える。そしてまた、ボスに代わってグループを仕切り、いいようにしてやろうとする者が現れる。周囲の基礎医学の研究室を見てみても、業績を挙げるのはやはりガミガミ屋のワンマン教授だったように思う。
 われわれのボスは、いい人のままで世界的な業績を挙げたのだから、ただのアンパンマンではなかった。筋金入りのアンパンマンだったのだ。

2016.4.9, T.E@Kobe

 
博士号

 私のこのブログのようなものの入り口のページに、アクセスカウンターが置いてある。年々、一日あたりのアクセス数が増えてきていたが、去年後半から減り始めた。
 もともとこのブログのようなものの当初の目的は、麻酔科のことを世間に広く知っていただきたいということであったが、その使命感はもう燃え尽きようとしている。今では、自分の「筆記欲」を満たすことと、認知症予防(読者のではなく、自分の)が最大の目的になっている。何かの間違いでここを訪れてしまった方々はそんなものを読まされるのであるから、申し訳なく思ってきたが、アクセスが減ったということで、少しホッとした面もある。
 これからはさらに、今回の話のような、老人にありがちな、オチのないただの思い出話が増えていくかもしれない。アクセス数が順調に減り、一日一個になるまで、続けられたらよいが、先のことはわからない。

 昔は、医師も博士号を持っていないと将来、病院の部長になるときなどに不利と言われていた。私はべつに出世するつもりもなかったが、取れるものは取っておけという大学医局の方針もあり、博士号を取ることにした。そのため、卒後3年間の病院づとめの後、大学院に進んで4年間、薬理学教室にお邪魔して研究生活を送った。
 大学院で4年間研究すれば、自動的に博士がもらえるわけではなく、その成果を論文にして、それなりに名の通った雑誌に掲載させなくてはならない。ここがなかなか難しいところだった。
 研究テーマは、最初は教官から与えてもらうのだが、研究の成果まで与えてもらえるわけではない。まじめに努力したからと言って、論文になるほどの成果が出るとは限らない。壁にぶつかってもそれを破るか、別の道を見つけるか、といったところは自力でやらなくてはならない。どう転んでも、博士号は苦労しないでは取れないようになっている。

 麻酔科のM教授がこんなことを言われたことがある。
 「博士号というのはね、足の裏についたごはんつぶと同じなんですよ。取らないといつまでも気持ち悪いし、取ったからと言って食えるわけじゃない。(生計の足しにはならない)」
 なんという絶妙な比喩だろう、やはりM教授は天才だ、と驚嘆したが、あとで分かってみると、これは昔から世間でよく言われている警句であった。まあそれだけみんな、悩んできたということである。

 私は運よく院の卒業前に論文を出し、学位審査を受けることができた。M教授を含む二人の教授の前で自分の研究を説明し、博士号を与えるにふさわしいかどうかを判定してもらうのだが、ふつう、ここで落とされることはない。審査会で大事故でも起こさないかぎり、大丈夫である。私もこのとき、瞑想、カラオケ、暴力といった行為を何とか自制した。
 学位審査が無事に終わったので、私は握りずしをとりよせて医局員にふるまった。これは本学麻酔科に長年続くならわしである。

 他の科や大学では、医学部で博士号を取ると、学位審査に立ち会った教授に謝礼を渡す習慣があったようである。それも結構な額だったと聞く。ところがM教授はそういう筋の通らないことが大嫌いで、そんな金があったらみんなにスシでも振舞え、と号令をかけたため、それが麻酔科の伝統として定着したのである。もちろん、スシならば松を三、四桶頼んでも、数十分の一の出費ですむ。
 M先生らしいクリーンなやり方であったが、学位審査にはもう一人、他部署の教授が立ち会われるわけで、そちらの先生にとってはあてが外れる結果になりかねない。角が立つのを避けたい人にはとてもできない芸当であっただろう。
 10年位前だったか、どこかの大学で、この博士号授与に対する謝礼に関する報道があり、けっこう騒がれた。たぶん、もう、どこでもあまり行われていないのではないだろうか。

 あれから20年以上経ったが、博士号が役に立ったことは一度もない。博士号がないと、さすがに教授にはなれないが、病院の部長だろうが、病院長だろうが、昇進するための特別の支障にはならない時代になってきた。学位審査で謝礼など献上していたら、大赤字になるところだったので、M教授には大変感謝している。ただし、もしよみがえられて目の前に現れたら、もちろん逃げる。

2016.4.3, T.E@Kobe

 
合理主義、その2

 前回私は、今は亡きM教授の合理主義について語ったけれども、人間も、人間社会もそもそも合理的でないから、そんな中で合理主義をまっすぐに貫くと大変なことになる。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。(中略)とかくにこの世は住みにくい。」との夏目漱石(なつめ・そうせき)の言葉は、まことに名言である。M教授はまさにその、角が立つ人の代表選手であった。

 カンファレンスなどで発表や発言をする者に対し、教授の質問や指摘は常に的確であったが、どこがどうカンにさわるのか、ときに厳しい口調になることがあった。しかもそれが、理詰めで来られるのでなかなか反論できない。理詰めだから正しいとも限らないのだが、教授本人が論理的に正しいと信じているので、反論不能である。やりこめられた相手はしばしば、弁慶さながらの立ち往生を遂げるのであった。
 研究や臨床業務に関することで怒られるならこちらにも心の準備があるが、地雷はどこに潜んでいるかわからない。私は、休暇届けに記入した文の言葉づかいがおかしいと、教授室に呼び出され、絞り上げられたこともある。
 合理主義を突きつめるとそこは、不条理の世界なのである。

 私がもっとも苦しんだのは、教授の思いついたアイデアを実験で証明しろと言われたときである。あるとき、教授室に呼ばれて出頭すると、次のような言葉をいただいたのである。
 「僕ね、夜寝る前に、すばらしいことを思いついたんですよ。各臓器の動脈は…(中略)…でしょ。ところが静脈系に関しては交感神経支配の臓器特異性はない、あるはずがないですよね。違いますか。それを実験でしめすだけで、ネイチャーでも何でも載りますよ。どう、大発見でしょう。さっそくやってください。」
 たしかにそれは、すばらしい着想であった。しかし詳細は省くが、そのような実験系を一から組み立てるだけでも一大事業であり、また、「ないことを証明する」という原理的にむずかしい仕事であり、実際には達成困難なミッションであることは明白だった。そもそも、まず結論を示して、これが正しいはずだから証明しろというのは、定理を証明するのを仕事とする数学者の発想である。生命科学では、めったに理屈通りにはいかないのであり、あらかじめ結論を指定されてしまうとたいへんつらいのである。
 恐懼低頭して教授室から下がった私であるが、これは無理だと判断し、ひたすら首をすくめて教授がこの件を忘れてくれるのを待つ作戦を取ることにした。ところが敵はそんなに甘くはなかった。数週間後、「進んでいるか」と聞かれて私はしどろもどろになり、大目玉をくらった。
 やむを得ず予備実験を行い、文献を集め、実現困難であることを説明したところ、「そうか」と分かっていただけた。どうやらその説明に一応筋が通っていると判断され、かつ教授の機嫌がよかったのだった。(もちろん、よさそうな時を狙って報告したのである。)

 要するに、姿を見るだけで反射的に逃げたくなるような、煙たい先生であった。ただM教授が偉大なのは、誰に対しても公平に煙を吹いていたことで、おかげで教授会でも学会でも角が立ち、いろんな人から煙たがられていたと聞く。
 今思えば、そういう煙たい人、叱ってくれる人こそが本当にいい上司なのだろう。

 と、きれいにまとめたいところだったが、そうはいかなくなった。
 先日、術前診察のためある手術患者に面会したところ、一目見ただけで激しい胸騒ぎに襲われた。気がつくと、その中年男性がM教授にそっくりなのだった。しゃべりながらときどき目を剥くような表情を見せるところがまた瓜二つで、息がつまるかと思った。手術室での麻酔のときも、地に足がつかないような思いであった。
 苦手なものは苦手である、と思い知った。もし本物のM教授が生き返られて目の前に現れたら、やはりまず逃げ出す算段を立てることになるだろう。

2016.3.27, T.E@Kobe

 
合理主義

 その昔、医師は祈祷師、呪術師の仲間であったと思われるが、現在は科学者の仲間だと、自分たちでは思っている。(科学者の方でそう思ってくれているかどうかは不明である。)だから、根拠に基づく合理的なものの考え方を重んじているつもりである。

 以前、卓球仲間の新年会で、ある中年女性がこんなことを言った。
 「私の知り合いが昔、乳ガンやって、今度は脳腫瘍が見つかったけど、それがどっちも左側なの。何で左側ばっかりなん?これは絶対何かあるんちがう?」
 私は次のように答えざるをえなかった。
 「愛想のないことを言わしてもらうけどね、腫瘍が2回続けて左側にできる可能性は四分の一だから、別に珍しいことではあらへんね。もう一回左に何かできたとしても、八分の一になるだけのことで。」
 「えー、でも左側だけですよー。」
 すると、となりに座る外科医も応援してくれた。
 「脳とからだは、左右反対になってるからね。からだが左で、脳も左なら、全然つながってへんわな。」
 酒の席なのだから、一緒になって「それはおかしい。左側に何か取りついている。」と騒いだ方が盛り上がるのは分かっているが、医師免許を持つ者がからだと病気に関することで無責任な発言をして、何かトラブルの元にならないかと心配なのだ。

 ここで思い出すのが、前教授の故M先生である。この人の合理主義は筋金入りだった。
 ある時、女性研修医が整形外科の手術の麻酔につくのはイヤだと言い出して、大学医局でちょっと問題になった。整形外科の手術ではエックス線を出して骨を透視画像で見ながら操作を行うことが多いのだが、その研修医は自分の場合、散乱したエックス線を浴びると熱が出るからイヤだ、と主張するのであった。
 これは医学的にはありえないことである。われわれが急性症状で発熱するほどの大量の放射線を浴びているのだとしたら、数年後にはがんでばたばた死んでいるはずだ。手術室で散乱する放射線の量は、急性でも慢性でも、影響の出ない程度であることは、当然確認済みである。
 その研修医はもともとちょっと変わった人だったから、何か変な思い込みをしているのだろうと、みなは思っていた。研修医の根拠のない思い込みで、麻酔症例の選り好みを許していては示しがつかない。どう説得するかの問題だったのである。

 ところがその報告を聞いたM教授、報告者にこう尋ねたのだ。
 「それで、その先生の熱は何度だったの?」
 「いえ、聞いてません」
 「どうして聞かないの?本人が言わないのなら、測れば済むことでしょ?」
 「どうせ言いわけだと思ってましたから…すみません。」
 教授以外の全員が、客観的なデータを取って確かめることの重要性を見逃していたのである。根拠なく思い込んでいたのはこちらも同罪だった。

 さすが、ことあるごとに、「麻酔はサイエンスです。」と口ばしるほどの人は違う、と思ったものである。

2016.3.20, T.E@Kobe

 
脳ブーム

 テレビでよく見かけるようになった「脳科学者」、あれは一体いかなる人たちなのだろうか。そもそも「脳科学」という言葉自体が耳慣れないものである。
 脳の研究といえば神経生理学、神経解剖学などの分野があり、臨床医学なら神経内科、脳外科などもまあ、その仲間だろう。それぞれの研究を見てみるとたとえば、脳のどことどこがつながっていて、その回路が痛みの記憶に関係しているらしいとか、専門外の人が聞いたらチンプンカンプンな、細かくて地味な仕事である。
 近年では放射線科の分野から生まれた新しい研究法(MRI、PETなど)により、生きている人の脳の活動を外から観察できるようになった。
 しかし、それらを統合して「脳科学」という新しい科学が生まれたという話は聞かない。したがってテレビに出てくる「脳科学者」たちが、何者なのかがわからない。

 先日、朝のワイドショーに出てきた自称「脳科学者」は、次のようなことを述べていた。

  • 通勤中はかわいいものを見つけるようにするとよい
  • 右脳を鍛えるには、利き手でないほうで歯を磨くとよい
  • マンネリを避けて、いつもとちがうことをしよう
 たしかにこれは、まじめな神経生理学者がいくら電極や顕微鏡を駆使しても、ぜったいにたどり着けない結論だ。なぜならこれは、心理学の知見だからである。彼らが自信ありげに、上から目線で言い散らかしているその内容は、錯覚、行動様式、性格といった心理学の話を持ちだして焼き直したものだ。(でなければ、口から出まかせだろう。)それに「脳」という何やら位の高そうな言葉をつけるところがずるがしこい。

 また、「脳を鍛えるドリル」、「脳トレ」といったものが流行っているようだが、この手のものも昔からある。私が子供の頃、多湖輝(たご・あきら)という人の「頭の体操」というクイズ本のシリーズがあってベストセラーになっていたが、これはたしかに人間の常識のウラをかく面白い問題ばかりで、頭がくらくらし、心がわくわくさせられる素晴らしい本だった。この多湖輝という人は心理学者であり、当然ながらどうどうと、心理学者を名乗っていたのだ。
 現在では他にも、「脳に効く」、「脳に悪い」などの変な言葉が世の中にあふれ、脳ブーム真っ最中といっていい。
 要するに脳ビジネスの人たちは、「心理学」を「脳科学」と言い換え、「頭」を「脳」と言い換えて、使い古された知識やアイデアでお金をもうけているのである。ちなみに集中治療における脳保護法で有名だったある教授も、定年退官後、「勝負脳の鍛え方」などといった本を出しておられる。それまで脳出血や頭部外傷における脳細胞の死活問題に取り組んでいた人が、定年になると急に「勝負どころで勝つ脳」の専門家になっちゃうというのも、脳ブームの悲しい副作用だろうか。

 「脳」は偉い、という今の風潮はどうかしている。麻酔科医に言わせてもらえば、脳はただの臓器である。しかも異様に燃料を食うやっかい者だ。
 「脳がいい」と言われるより「頭がいい」、「性格がいい」と言われたいし、「脳がきれい」ではなく「心がきれい」と言われたいものである。

2016.3.12, T.E@Kobe

 
小関越え、その2

 前回述べたように、私は真夜中の小関越えを繰り返す中で、一度も怪異現象に遭遇することがなかった。怨霊のたぐいはめんどくさそうなので遠慮したいが、害のない妖怪のようなものであれば、出会ってみたかった気もしないではない。
 妖怪というとどうしても、民話に出てくる空想の産物、という思い込みが先に立ってしまうが、その実在性について真剣に論じた文化人がいる。「日本沈没」を書いたSF作家、小松左京(こまつ・さきょう)である。彼は、司馬遼太郎(しば・りょうたろう)という有名作家本人から聞いた体験談を紹介している(出典下記)。司馬氏が昭和23年、「もののけ」が出るというので有名な京都の山奥の寺に泊まったところ、何者もいないのに障子がはげしくガタガタと鳴り、屋根の上を目に見えない何かが走りまわる音がしたそうである。すると寺の和尚も起きてきて、「出たでしょう」と叫んだのだそうだ。
 ところが、時代が下ってその寺に電気が通るようになると、その怪異現象はぱったりと止まってしまったという。和尚は「さびしくてたまらない」と嘆いていたとか。

 この話で興味深いのは2点あり、ひとつは怪異現象はしばしば「目に見えないもの」であるということ。そういえば、姿かたちを備えた「妖怪」のイメージは、「百鬼夜行絵巻」などの作品の中で作られたものであり、それが水木しげる(みずき・しげる)の妖怪図鑑などに引き継がれてきたのだと聞いたことがある。水木氏の妖怪図鑑などは悪ノリして、妖怪のからだの内部まで描いているが、昔の妖怪はあんなに生々しい肉体を持つものではなかったであろう。小松氏は、不思議な存在は現場では、もっぱら音や触覚によって人を驚かせていたのではないか、というのである。それが「あずき洗い」、「天狗だおし」、「そでひき小僧」、「すねこすり」などの妖怪たちである。
 そしてもうひとつは、そうした怪異現象は電気や電灯を嫌うらしい、ということである。その理由はわからないが、そうだとすれば現代に生きる我々がそうそう簡単に怪異現象に出会うことがないこと、そうした現象が科学的な検証から逃げ続けることの説明にはなる。
 こうして小松氏は、妖怪、精霊民話のすべてを空想の産物であると片づけるべきではない、科学者はかつて古代にあった彼らとのコミュニケーションの方法を発掘すべきである、と結論するのである。

 しかし、これを小松氏から理系研究者に託された課題とすると、かなりの難物である。プロの研究者であればそのテーマで研究費を取ってこなければ生活していけないから、とにかくなんらかの成果を出していく必要がある。ところがその相手が電気が嫌いとなると、録音も録画もできない。まず「コミュニケーションの方法」を見つけるところで何十年かかるかわからない、きわめてリスキーな(まんまの食い上げ必至の)研究テーマである。
 ここは一つ、定年後の麻酔科医が取り組むべき仕事かとも思う。ではその肩書きはというと、「心霊研究者」、「妖怪連絡協議会会長」、「超常現象分析所所長」、「もののけジジイ」あたりか。こりゃ、誰からも相手にされないな。

出典: 小松左京「私の民話論」。角川文庫、日本の民話第7巻「妖怪と人間」(絶版)、松谷みよ子(まつたに・みよこ)他。

2016.3.5, T.E@Kobe

 
小関越え

 私は京都の大学院で研究していた頃、大津から通っていた。京都府と滋賀県のともに県庁所在地であるが、隣り合った市であり、通勤にはまったく不自由しない距離である。
 ところが私の場合、その仕事の内容が不自由だった。菌に遺伝子を打ち込んで8時間培養し、DNAを回収したら電気泳動を3時間ほど流し、うまく行っているのを確認したら次は…、という具合である。こうして培養細胞、菌、ウイルスの生活サイクルに合わせて生きようとすると、普通の人間生活が送れない。要するに、終電を気にしていたら実験にならないのである。
 終電を逃したら実験室で寝泊まりする、という手段もあったが、私は意地でもなるべく帰るようにしていた。自転車に乗るのであるが、山科から大津までの国道1号線は真夜中でも交通量が多く、自転車で走ると命の危険を感じた。そこでよく使ったのが「小関越え(おぜきごえ、あるいは、こぜきごえ)」という抜け道である。

 小関越えは、山科の田園地帯から山道に入り、峠を越えるとひたすら下って大津の三井寺の近くに抜け、最終的には琵琶湖にあたたかく迎えられるという、ちょっとしたハイキングにはなかなか楽しいルートである。しかし、深夜2時に通るとなると全く意味合いが違ってくる。それはまさに肝だめしコースと言ってよい。
 山に入ると街灯はなく真っ暗で、自転車のライトだけが頼りである。聞こえる音といえば風に揺さぶられる木の葉の音くらい。真夜中にこんな道を通りたいという、頭のおかしな人も見当たらない。交通事故のリスクは回避できるが、さすがに怨霊や妖怪のたぐいと出会ってしまうリスクについて、考えざるをえなかった。
 思えば京都や大津は、壬申の乱(じんしんのらん、7世紀)の昔から、源平合戦、明治維新(戊辰戦争、ぼしんせんそう)に至るまで、天下をかけた戦乱の舞台となりつづけてきた。この両都市間の抜け道である小関越えでも、さぞ多くの将兵が傷つき、命を落としたであろう。その中の一部でも、成仏しきれずに亡霊となってこの地をさまよい続け、真夜中に自転車をこぐ男に襲いかかってきたとしてもおかしくないのではないだろうか。
 いやまて、もし人が死んで、霊が残るという仮説を受け入れるとして、その霊が物理的法則に縛られるという可能性は少ないだろう。現に昔の物語やオカルト番組によれば、霊は出たり消えたり、宙を飛んだり、三千里を一気に越えたり、やりたい放題ではないか。しかしもし、霊が物理的制約を超越してしまったら、困ったことが起こる。地球は自転し、公転しているのだ。この峠の位置も、宇宙空間から見たら時速千キロ以上のスピードで移動し続けているのである。霊が重力の影響を受けないとすると、地縛霊としてこの位置をキープするためには、地球の運動に合わせて自分の力でじょうずに移動し続けなくてはならないのだ。
 霊はそんなに勤勉か。そこまでして人に祟りたいか。ないない、それはない。

 そうやって屁理屈をこねているうちに、ようやく三井寺近くの民家の灯りが見えてくる。人里に降りてきたのだ。見る見る緊張がとれてくるのが、自分でもわかった。おばけに遭遇しなくてよかった。
 もっとも今にして思えば、あの時刻あの峠で、生きている人間に遭遇したらもっと怖かったかもしれない。

2016.2.27, T.E@Kobe

 
手術室の窓、その2

 外科医のからだの仕組みが、私にはいまだによくわからない。
 彼らはいったん手術に入ると、まず休憩をとらない。8時間くらいの手術であれば、楽勝で先発完投する。手術が10時間目、12時間目を迎え、夜に突入すると、外科医同士で順番に手を降ろそうか(休憩しようか)、という話も出てくるが、主治医意地を張って続けたがる傾向がある。18時間かかった胆嚢がんの手術で、主治医だった外科部長だけは飲まず、食わず、トイレすら行かず(私の記憶では)でやりきったことがあり、若かった私の印象に残っている。
 外科医たちは手術という特殊な業務を続けた結果、光合成でみづから栄養を作ったりするような、特殊なからだになってしまったのか、とも思うが、そういうわけではないようだ。若手外科医が麻酔科研修に回ってくることがあるが、彼らは麻酔中だとわれわれ以上にトイレ休憩を要求することが多いのだ。

 ”Fight-or-flight response” (意訳すると「闘争/逃走反応」)と言って、動物はストレスのかかる状況に陥ると交感神経が圧倒的優位となる。その結果、血糖が上がるので腹が減らなくなり、排泄もその必要がなくなる。手術中の外科医も、この「闘争モード」にはいっているものと思われる。(「逃走モード」入ることのないよう、祈りたい。)
 麻酔科医もそれくらい頑張れよ、と言われそうな気がするが、麻酔科医が最初から最後まで闘争モードや逃走モードに入らねばならない手術があったとしたら、それは患者さんにとっては相当まずい事態である。麻酔科医はあくまでも、日常感覚での平常運転を目指すものである。この外科医と麻酔科医のギャップが、時に問題になる。

 外科医は例外なく、患者さんや麻酔科医にとって低すぎる室温を要求するが、たぶんこれも交感神経のしわざだろう。また、外科医の体内時計はあきらかに進行がおかしく、われわれの1時間を10分位にしか感じていないと思われるフシがある。予定時間を大幅に超過して手術終了した時の外科医の、あの充実感あふれる表情がその証拠だ。その瞬間、麻酔科医は心の中で、「まず謝れや!」と叫んでいる。

 私の思うに、手術室に窓がないのは、外科医が外界の時間を気にせずに、手術に集中できるように、という配慮からではないだろうか。だが今は、チーム医療の重要性が認識され、横暴なジコチュー外科医も減ってきている。そろそろ手術室に、外が見える窓がほしい。
 「風が強くなってきた、はやく終わろう」
 「お、日が暮れてる。あれ、この手術、お昼に終わる予定じゃなかったっけ」
 「ゲ、夜が明けてしまった。朝焼けが目に染みる」
 このように手術中の外科医たちもたまには窓を見て、日常との接点を少し増やしたらどうだろう。あと、私はときどき外を眺めたい。

2016.2.20, T.E@Kobe

 
手術室の窓

 手術室は閉ざされた空間であり、外界と接する窓はない。雨が降るのを見てもの思うとか、道を行く人の生活を想像するとか、そういうことは手術室ではできない構造になっている。

 手術室にある窓といえば、出入り口の扉についている小窓くらいである。これは手術室の進行を管理しているリーダー看護師が、廊下から中を覗くためにある。そこからでは術野は見えないが、ベテランナースになると術者の持っている道具や、その場の雰囲気から、だいたいの進行状況を把握することはできる。

 外科医たちは手術に夢中だから、覗かれても気にしないだろう。しかし、看護師や麻酔科医は必ずしもつねに、わき目も振らずに作業に没頭しているわけではない。状況が安定していると手持ちぶさたで、手術が早く終わることを祈る作業がメインになっていることも多い。そんな時に、あの小窓から覗かれると、ちょっとムッとするものである。
 心なしか、覗きこんでくるリーダー看護師の目がニンマリと笑っているようにも見える。覗かれた側としてはすがりつくような目で訴えかけるか、しかめ面をしてにらみかえすか、まあそんなところまでが一つのお作法である。声は届かないし、互いにマスクをしているので、目つきで会話するのである。

 覗かれると言えば、医療ドラマによく出てくるのが、手術室の高いところに窓があって、のんきな院長や、意地悪な事務長が別室から手術の様子を眺めているシーンである。一般の方は、自分も手術を受けるとしたら、あんなふうに、自分でも見たことのない腹のうちを見せたくもない他人に見られるのではないかと不安になるかもしれない。だが心配はいらない。
 あのような構造の手術室は、確かに私の出身の大学病院には一つだけ存在した。しかし、実際にその観覧席が使われているのを見たことがない。その手術室はずっと昔に建て替えられて存在していないし、その後そのようなものはどこでも見たことがない。
 現代の病院の手術室に、あんな無駄な設備を作る必要性もスペースもないだろう。第三者に手術を見せたければ、カメラをつければいいだけのことである。そのほうがよほどよく見える。手術観覧用の窓はドラマの中でしか使われていないだろうと思う。

 つまるところ、手術室の窓は常に外から覗かれるためにあるというのが、悲しい現実である。外科医、看護師、麻酔科医は外界のことなどに気を散らすことなく、思う存分手術に専念せよ、という親切心かもしれないが、それは正しいのだろうか。手術室に外が見える窓を作ってはいけないのだろうか、また次回考えてみたい。(もし次回があるならば。)
 もちろん私が考えても、何も解決しないであろうことは保証できる。


  覗かれ窓

2016.2.13, T.E@Kobe

 
アミノグリコシド・トリック

 10年ほど前までのテレビ界では、2時間ドラマなるものがやたらはやっていて、毎晩どこかのチャンネルでこれをやっていた。そのほとんどがサスペンスもので、まず冒頭で人が死亡し、途中いろいろあって、最後は探偵が犯人を断崖絶壁に追いつめる。動かぬ証拠をつきつけられた犯人は、がっくりと膝を折るのであった。
 当時たまたま見てしまったドラマの中で、麻酔にかかわるおどろくべきトリックが披露されたことがある。

 犯人はまず、被害者にある種の抗生剤をのませる。かぜ薬とでも言いくるめたのだろう。次に犯人は被害者を中途半端に高いところから突き落とす。被害者は一命を取りとめたものの骨折し、病院で手術を受けるが、麻酔中に使った筋弛緩剤の作用が強すぎて、術後に呼吸が止まってしまうのであった。最初にのませた抗生剤は、「麻酔で使う筋弛緩剤の作用を増強させる」とされるアミノグリコシド系のもので、消化管吸収だから遅れて効いてきたのであった。犯人はそこまで計算していたのである。ドラマでは、ナースが容態の変化に気づき、間一髪で助かったから、麻酔科医としては胸をなでおろした。

 ご苦労なことである。何ごとを達成するにしても、これだけの不確実なステップを何段も重ねて、うまくいくと思うほうが不思議だ。被害者が素直に薬を飲むか、崖から突き飛ばして死なない程度のケガをさせられるかなど、各ステップの成功率はよくて50%だろう。50%を4ステップ重ねると、成功率は6%になる。そして、最後のステップ、アミノグリコシドのために呼吸が止まるほど筋弛緩剤の作用がぶり返すか、となると、私の経験上はほぼ考えられない。教科書には書いてあるものの、そのような効果を実感したことがないのだ。ゆえに本件の成功率はゼロに近いだろう。
 麻酔科医として犯人に助言するとすれば、もっと高いところから突き落としたほうが確実だった。

 あの頃、脚本家の先生方はサスペンスドラマばかり作っていて、並たいていのトリックでは満足できなくなってしまったのだろう。いつもいつも人のアヤめ方ばかり考えていたのでは、ちょっと頭がおかしくなったとしてもおかしくない。

2016.2.6, T.E@Kobe

 
孫の手

 本日とうとう、当直明けの帰り道で百円ショップに寄り、「孫の手」を買った。
 歳と共に背中に手が回りにくくなるのは感じていた。背中が痒くなった時、どうしても手が届かないエリアが発生したことには、うすうす気づいていた。しかしそこは手元のボールペンで掻くことができたので、あまり深刻には考えないようにしていた。
 致命的だったのは近年、五十肩を右と左とで相次いでやらかしたことだった。その結果、痛みがおさまった後も肩関節の可動域が激しく制限され、いくら身をよじってもボールペンを使っても、とても届かない領域が一気に拡がった。チンギス・ハンの破竹の快進撃を見る思いである。私の背中のモンゴル帝国はしばしば、私の風呂あがりや就寝時を狙ってトキの声を上げるのであった。
 自分の背中にひづめも尻尾も届かないウシの苦労を初めて知った。だが待て、私はウシではなく、サルの仲間ではなかったか。サルならば棒を使ってバナナを引き寄せるなど、道具を使うことができるはずだ。背中のかゆい人類にも文明の利器がある。その名も「孫の手」だ。
 それにしてもそのものズバリを避けた、何という優雅なネーミングセンスだろう。これが「前期高齢者用背中掻き器」という名前だったら買わなかった。(もっとも、「妻の手」でも買わなかった。)日本語のこの現実直視回避能力はすばらしい。中国製だが。
 孫の手を手に入れてまた一つ、大人に近づいたような気がして、少し照れくさい53歳。



2016.1.31, T.E@Kobe

 
ジギタリス

 昔読んだミステリーやショートショートなどに、ジギタリスなる不思議なくすりが出てきて、医学生になる前の私の好奇心を刺激した記憶がある。何でも心臓の悪い人がのめば薬になるが、健康人がのめば毒になるというのである。これほど見事に逆説的な性質を持つ薬が実在するのなら、ネタに困った小説家の心をくすぐるであろうことは、想像に難くない。

 「君、顔色が悪いぞ。この薬をのみたまえ。私がいつものんでいる薬だ。心配なら、同じものを私がのんで見せよう。ほら、大丈夫だろう。」
 「ありがとうございます、社長。いただきます。うっ、苦しいっ!」
 「君が社長のいすを狙っていることは分かっていたのだ。これはジギタリスと言う劇薬でな、私のような病人には命の薬だが、普通の者がのむとこうなるのじゃ。かっかっかっ。おや、どうした、息を吹き返したぞ。」
 「今のは芝居です。こういうこともあろうかと、前もって薬を小麦粉にすりかえておいたのですよ。それより社長、そろそろ薬が切れるころでは?」
 「まさか、さっき私がのんだのも小麦粉だったのか。し、心臓がっ!がく。」

 私でもこういう話が5分で作れてしまうのだから、便利な薬である。しかし、現実はどうかというと、もちろんこんなおかしなことにはならない。
 ジギタリスは心不全の患者さんに対して使われる強心剤であるが、副作用が強いのが難点である。その主な副作用は不整脈であるが、「ありとあらゆる種類の不整脈」を起こしうるのだから厄介である。そして、投与量が多すぎるとその副作用が出やすくなる点では、のみなれた患者さんでも健康人でも変わりはない。
 量は適切なのに、副作用がでることもある。かつてICUの患者さんでわけのわからない不整脈が頻発し、みんなで首をひねったことがあるが、主治医が1回だけ投与したジギタリスが原因だったことがわかった。投与後に急速に腎機能が低下したために尿中に排泄されず、血中濃度が上がりすぎたのであった。
 健康人だろうが病者だろうが、使いにくい薬なのである。

 このように投与量の治療域と中毒域が近く、しかもその副作用が重い薬というのは、やがて淘汰される運命にある。喘息に対する第一選択薬だったアミノフィリンが、同じ理由ですでにその一生をほぼ終えている。最近、ジギタリスをのんでいる人が減ったな、と思って文献を調べてみると、ジギタリスは心不全患者の寿命をちっとも延ばしていないことが最近わかってきたようだ。これは多分、他にいい薬が出てきて、ジギタリスはその活躍の場をなくしたということだろう。
 かつては主役を張っていたスターが、新しく出てきた実力派の新人に押され、そういえばあの人、扱いにくい所があるよな、と気づかれてしまい、だんだんお呼びがかからなくなってきた、そういう状況に立たされているように思う。
 薬にも栄光の日々と没落の物語がある。ミステリー作家のみなさんはもう、この薬では遊ばないほうがよさそうだ。

2016.1.30, T.E@Kobe

 
走者の下痢

 公園には1級と2級の別がある。トイレがついているのが1級、ついていないのが2級である。知らない人が多いのも無理はない。私が決めた基準だからである。日頃から、自分の行動範囲内の公園については、1級か、2級か、よく把握しておくことが重要である。いつトイレのお世話になるかわからないからである。

 私以外の人にとってはどうでもいいことだが、私はここ2年ほど、ランニング中に腹が痛くなり、トイレに駆け込むことが多くなった。医学文献で調べてみると Runner's diarrhea (走者の下痢)という名前が付けられているから、同じ悩みを抱えている人はいるのだろう。その原因ははっきりしないが、脱水で腸への血流が減るから、とか、腸がさんざん揺さぶられるからなどの理由が考えられているようだ。
 自分に関していえば、前半で汗をかきすぎた時、水分補給が不十分な時に腹痛を起こしやすいので、脱水説が当てはまっていると思っている。一般にからだの血液量が減った時、真っ先に犠牲になるのが腸なのである。そのように自律神経が判定を下すのである。「腸君、今はのんびり消化なんかしてる場合じゃないんだ、血液供給は絞るからね。」(念のために言っておくが、自律神経は実際にはしゃべらない。)
 血流が減ると腸が下痢を起こす、という医学的根拠はあまりないのだが、マラソン中の市民ランナーが血便を出し、虚血性腸炎と診断された症例報告があるから、そういうこともあるかも、と思う。虚血状態になって、腸が調子を崩す、と考えているが、じゃまもの扱いされて怒った腸が、私にいやがらせを働いている可能性もある。
 この仮説に基づき、走りながら早めに水を飲むこと、無理なスピードを出さないことを心がけるようになってからは、下痢はある程度減ったけれども、ときどき予防に失敗することはある。おなかが痛くなり始めた時、それが収まるかどうかはもはや問題ではない。いつどこで出すか、それだけである。「今でしょ」というわけには行かない。そんなとき、役に立つのが1級公園の知識である。
 最寄りの公衆トイレはあそこの公園だ。最初は腸を油断させるため、そしらぬ顔で公園に足を向けるが、不思議なもので、トイレに近づくほど腸の蠕動が激しくなり、おなかの痛みが増す。おとうさん、おかあさん、ごめんなさい、もう無理ですと、何度もあきらめかけるが、人間の意志の力に一縷の望みをかけて耐える。そしてトイレに駆け込み、奇跡的に間に合うのであった。(いつも「間一髪」になってしまうのはどうしてだろう。)

 何という開放感だろうか。腸の蠕動という、人間の意志が及ばないダークサイドの力に勝利したのだ。先ほどの苦しみは嘘のように消えた。花咲き、小鳥歌う世界に突然連れてこられたかのようだ。公園のトイレは、中島らも(なかじまらも)の言う「地獄極楽変換装置」の一種であると言えよう。人類の発明したものの中で、これほど価値のあるものがあるだろうか。
 1級公園のトイレを維持してくださっている方々に、この場を借りて感謝したい。そして、このブログのようなものを読んでおられる世界中の人たち(推定3人ほど)に呼びかけたい。公園のトイレはきれいに使いましょう。

2016.1.23, T.E@Kobe

 
デジタル・ゾンビ

 歩くことが人類の最大の娯楽の一つであることは言うまでもないが、その楽しみに水をさすものがある。タバコ、スマホ、歩道を我が物顔で走りぬける自転車である。驚いたことに、この3つを同時にやる人もいる。
 今回は歩きスマホの悪口である。

 アメリカの整形外科学会(AAOS)は最近、歩きスマホはケガのもと、という警鐘を鳴らし始めており、Youtube に啓蒙ビデオも発表している。当院の看護師に聞くとやはり、「スマホをやってたら、顔面から地面に突っ込んだ」といったような人が救急外来にちらほら来るらしい。
 同学会では歩きスマホをする人を、”Digital Dead Walkers" と呼んでいるところが面白い。直訳すると「電子機器的死亡歩行者」、これをちょっと戻してカタカナに意訳すると「デジタル・ゾンビ」ということになるだろう。(ゾンビ映画でよく使う "Walking Dead" という表現にしないのは、商標とかの関係か。)歩きスマホをする人は「ゾンビ」と同等なのである。



 歩きスマホの人たちは、ふらふら歩いているところがまずゾンビっぽいが、まわりを何も気にしないで歩くあつかましさが何よりもゾンビ的である。
 以前テレビでやっていたのだが、1、2歳の子どもでも、一緒に遊んでいる大人の目をチラチラ見ている。その大人が何をしようとしているかを、その視線を探ってチェックしているのだ。我々も無意識にそれをやっているはずだ。どんなに混雑している横断歩道でも、人と人がめったにぶつからないのは、実に感動的なシーンであるが、これも互いの視線のやり取りがあるからだろう。
 それに対して歩きスマホの人は、この視線のやり取りを基本的に拒否している。本人は周囲の状況を把握しているつもりかもしれないが、視線がスマホに固定されている以上、何をしでかすかわからないという不気味さを発散しているのだ。ほら現に、無意味にこちらに寄ってきて、私の動線を侵してくるではないか。

 こうして彼らは、自分では迷惑をかけていないつもりかもしれないが、人をよけさせるという立派な迷惑をかけている。これが江戸時代だったら無礼討ちするところだが、現行法体系の中で私ができるのは、冷たい視線を送ることくらいだ。むろん、デジタル・ゾンビがそんな視線にも気づくわけがない。
 まあせいぜい、マンホールに落ちたり車にひかれたりして、本物のゾンビにならないよう、気をつけてもらいたいものだ。
 取ってつけたような結びになったが、自分が医師であったことを思い出して、取ってつけたのだ。

2016.1.17, T.E@Kobe

 
初ランニング

 今年の元旦、気がつくと家の者がみんな外出してしまい、一人取り残されていた。仕方がないので、走ることにした。私にとって、もっとも安上がりな暇つぶしの手段である。性懲りもなく3月のフルマラソンを申し込んでしまったので、そろそろ距離に慣れる必要もあり、20キロコースを走ることにした。灘の酒蔵一帯を通り抜けるルートだ。
 私のような底辺ランナーが長距離を走るコツはただひとつ、これ以上遅く走るのは苦痛、もはや限界といえるほどゆっくり走ることである。人から見ると歩いているのか、走っているのか、分からないほどにトボトボと走るのである。これが守れなくて前半飛ばしすぎ、途中で力尽きる失敗を何度繰り返したことか。
 フルマラソン完走を目指す人には参考にしてほしい。ただし、日本代表を目指す人が参考にするのはやめてほしい。

 しかしながら、ゆっくり走るのは意外に難しい。どうせ走るなら、すれ違う人が振り返るほど美しく、さっそうと走りたいのが人間の心理である。不格好を承知でゆっくり走るには、かなりの忍耐力を要する。ポイントは気持ちの持ち方である。走る喜びを捨て、いやいや走っている雰囲気にひたりきって走るのだ。一体何のために走るのか、自分でもわからなくなってくる。
 そうやってトボトボと走っていると、おもちゃの電車に乗った3歳くらいの男の子が話しかけてきたことがある。「何しとん?」(神戸弁)
 この子から見ると、この中年男が走っているのか、クラゲ踊りをしているのか、宇宙遊泳をしているのか、それすら判別できなかったのだ。私は自分の修行が一つの到達点に達したと思ったものだ。

 だが上には上があるものだ。元旦のジョギングで、私はいつもの老人とすれ違った。ジョギングするとよく出会う近所の老人で、あきらかに脳梗塞によると思われる左半身麻痺を抱えつつ、右足と右手にもつ杖だけでにじり寄るように進んでいる。左足はまったく動かないから、おそろしく遅い。たぶん、1メートル進むのに10秒くらいかかっているだろう。だがこれは仕方なく歩いているのではない。私が1時間から2時間後に帰ってくると、たいがいまたこの老人とすれ違うのである。しかも、その進行方向は同じこともあれば、反対のこともある。この人は間違いなく、自分の持つ障害を乗り越えるために、何時間もかけて同じ所を行ったり来たりしているのだ。
 これはもう、リハビリでもスポーツでもなく、まして私のジョギングのような暇つぶしでもなく、格闘技に近い。ここまでゆっくり進み続ける根気は私にはない。遅く走る能力という点では、自分はマラソンの日本代表選手にも負けないと思ってきたが、この老人には完敗だ。
 新年早々敗北感を味わいながら、2時間以上かけて家に戻ったが、まだ誰も帰ってきていなかった。

2016.1.9, T.E@Kobe

 

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