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スーパープレー、その3

 昔のことである。外科の手術中、外科部長が清潔介助のナースに、骨ろう(コツロウ。骨の断面に塗りつける、粘土のようなもの)を丸めて渡すよう要求した。
 そのナースはSさんといって、まだ就職して半年くらいの新卒さんだが、フレッシュな感じがまるでなく、なんだかいつもだるそうに見える女性だった。彼女は持ち前の、やる気のなさそうな棒読み口調で尋ねた。「どれくらいの大きさに丸めたらいいですか?」
 すると外科部長、「乳首の大きさくらい。」
 別の人が別の口調でこれを言ったら、セクハラと呼ばれても仕方がないかもしれないが、このカラッとした先生がサラッと言えばなんとかセーフ。これも人徳である。それにしても、これに対するSさんの切り返しがよかった。
 「乳首の大きさは人によって違いますっ!」
 ちゃんとわかるように言え、あと、エッチなことを言ってもこっちはびびらないぞ、というのである。

 1年目の新卒ナースは、仕事を覚えるのに精一杯で、誰にどんなことを言われても、ひたすら言われっぱなしである。はたから見ていて気の毒なくらいである。彼女ら/彼らに自我が芽生え、先輩や医師に口ごたえするようになるには、通常1年半を要する。卒後半年のナースが外科部長に対してこれを言えただけでも、スーパープレーと言ってよかった。ただ意外だったのは、このうまい切り返しをしたのがこのパッとしないSさんだったことだった。

 なんぞ知らんや、Sさんが後に、手術室をしょって立つ看板ナースに化けようとは。判断力、リーダーシップ、妥協する力、そして何よりも歯に衣きせぬ毒舌など、手術室ナースに必要なさまざまな資質に恵まれ、彼女は2年目以降、頼れるナースとしてたちまち頭角をあらわしたのである。
 私は長年の病院づとめの中で、やる気なさそうに仕事するナースも、有能なナースもたくさん見てきた。しかし、両者を同時に兼ね備えてしまうナースは、他には見たことがない。唯一無二の個性であった。
 Sさんは私のようなおじさんの話し相手もよく買って出てくれて、私はずいぶん助けられた。たとえば、ある女性医師の機嫌が悪くなり、一日がちょっと残念な感じで終わってしまった時、Sさんはこう言ってくれたのだ。
 「ときどき機嫌が悪くなるのは女の宿命なんです、特に理由なんかないんです、気にしないほうがいいですよ。」
 このだるそうな棒読み口調は、彼女が電撃的寿退職する最後の日まで変わらなかった。

 Sさんのおかげで、私は自分が人を見る能力に、完全にあきらめをつけることができた。そして、若い人が「化ける」のを見るほど素敵な体験はないことも、彼女に教えてもらったのだ。

2016.6.19, T.E@Kobe

 
スーパープレー、その2

 以前、スーパープレーについて書いた後、自分にも仕事上のかっこいいプレーの一つや二つ、あるはずだと考え、懸命に思い出そうとした。そして、何も思い出せなかった。
 謙虚な性格も考えものである。
 そこで、私が仕事の中で見てきた、他の人のスーパープレーを取り上げてみたい。

 昔、ある病院でのこと、患者さんが手術台に乗ってこれから麻酔を受けようとしているとき、麻酔科の指導医が、部下をがみがみと叱り始めた。(私はたまたまそこにいた傍観者。)準備が足りないとか、そういったことだっただろうか。患者さんはまだ起きておられるのに、そのような不穏な空気をかもすのはご法度だが、指導医は仕事熱心のあまり、うっかりしたのであろう。
 するとその患者さん、70代くらいのおじいさんだっただろうか、こうおっしゃったのだ。
 「ほほう、今日はえらい低気圧ですなあ。」
 一同思わず笑い、低気圧は去った、というか黙った。おかげで手術室の陽気は高気圧とまでは行かないが、中気圧くらいにはなった。

 手術台に乗って、平静でいられる患者さんは、多くはない。こちらが声をかけても、硬くなって返事もできない人がいる。そういう中で、手術室の気圧を笑いで変えてしまうこの余裕。こういう大人に、私はなりたい、と思った。いまだになれていないが。

2016.6.12, T.E@Kobe

 
切腹

 歴史書、映画、小説などで見る限り、日本の武士は、しばしば切腹したようである。ただし、一人一回までである。
 「平家物語」では、たしか切腹シーンは多くはなかった気がする。この物語では何せ大量に人が死ぬので、誰かのことかは覚えていないが、「これが日本の男の死に方の手本」と大見得を切った武士は、短刀を口にくわえて馬から飛び降りて死んだのである。切腹が一番名誉ある死に方、という観念はなかったようである。
 鎌倉時代から室町時代にかけての戦乱を描いた「太平記」になると、切腹が増えてくる。といっても、江戸時代のように様式にのっとったものではない。いくさの中で敵に追い詰められて、生け捕られるくらいならいさぎよく死のうというときに、腹を切るのである。

 死ぬ手段にいいも悪いもないとしたものだが、それにしても、切腹はあまりに不合理な死に方である。痛くて苦しいけれどもすぐには死ねないからである。腹を開けたり、腸を切ったりしただけでは人間は死なない。そんなことで死ぬようなら、胃や腸の手術などできないのである。したがって、腹を切った上で、別の方法でとどめをさす必要がでてくる。
 このように、苦しいことを承知であえてやりとげることで、勇気を見せたいということなのだろうが、ばかばかしいことだと思う。鉄道自殺のような人の迷惑をかえりみない死に方もみっともないが、かっこつけるために腹を切る、つまり人の目を気にしながら死ぬという文化も、決して世界に誇れるものではないと思う。
 サムライ・ジャパンとか、ラスト・サムライとか、侍という言葉は今も肯定的に使われているけれども、武士などというものは何かの狂気に取りつかれた暴力集団に過ぎなかったのではないか。

 日本がアメリカに負けて、軍人などが切腹したそのあとは、切腹はきわめてまれになった。戦後で有名なのは三島由紀夫の切腹であるが、これも人に見せるための死に方であった。
 私は、自分で腹部を刺した人の麻酔を、何度か担当したことがあるが、たいがい、傷はきわめて浅かった。傷が腹壁を貫通して腹膜に達することすら、めったにない。刺した本人も、「カッターをいじっていたら、たまたま腹に刺さってしまった。」などとおかしな言いわけをすることが多いが、まあその程度の傷なのである。
 日本のハラキリ文化はほぼ絶えたと言っていいだろう。喜ばしいことである。

2016.6.4, T.E@Kobe

 
子育て麻酔科医

 麻酔科医の中には子どもを持つ女性も多い。大学医局の人材派遣機能が低下し、麻酔科業界の人手不足がつづく中、子育て中の女性麻酔科医にはぜひとも働いてもらわなくてはならない。多くの病院ではそういう医師を対象に、時短、週3日の出勤などの軽減勤務制度を提供している。
 私自身も長年、そんな女性麻酔科医たちと一緒に働かせてもらっている。彼女たちは結婚、出産を経て、貫禄、落ち着き、相手に有無を言わせぬ威厳、そこはかとなき強引さなど、麻酔科医として必要な資質をほぼ完備しており、もはやつけ入る隙もなく人類最強である。麻酔科部長としてはたいへん頼もしい存在である(味方につけている限り)。
 しかし、問題もある。日本という国では、子どもが熱を出すと、母親が欠勤を余儀なくされるのである。それは女性麻酔科医でも例外ではない。しかも、それは当日の朝に判明するから大変だ。
 麻酔科医が一人休んだからと言って、手術をドタキャンするわけにも行かない。結局さまざまな手段を用いて、その日一日をしのぐのだが、私はこれを運動会と称している。愛用の卓球シューズが活躍する瞬間である。

 もちろん、悪いのは女性麻酔科医ではない。私は声を大にして言いたい。子どもたちのお父さんは何をしているのだ。彼らが何の仕事をしているのか知らないが、手術中の患者さんの命を守る麻酔科医の仕事より大事な仕事があるわけがない。男だてらに「子どもが熱を出したので休みますが、何か」と平気で言えるくらいの勇気がなくて、どうしてあの、美しくてやさしくて怖い女性麻酔科医にプロポーズしようという身のほど知らずのことができたのか。
 毎回とは言わない。10回に9回でいいからお父さんが、仕事を休んで子どもを介抱したり、熱を出した子どもを迎えに、保育園に行ってもらえないだろうか。

 正直言うと、それが難しい注文なのはわかっている。私も子どもの発熱のために仕事を急に休んだことはない。男女同権、夫婦別姓、男の産休、育休、そういう社会の仕組みが整ってきても、「女性は家庭や子どもを守るもの」という日本の文化は、先祖代々受け継がれてきたものであり、変わっていくためには相当時間がかかると思われる。
 私は、自分が女性麻酔科医といっしょに子育てしているのだ、と思うことにしている。そう思えば初めて、「運動会」の後の足のしびれが報われるように思う。何ならその子たちに、パパと呼んでもらってもいい。(私の配偶者の前では控えてほしいが。)
 定年後は仮想パパとしてのこの経験を活かし、麻酔科医専門病児保育所みたいなのを作って経営してみたい気がする。もうかるだろうか。 

2016.5.29, T.E@Kobe

 
スーパープレー

 今はどんなマイナーなスポーツでも、インターネットの動画サイトに行けば、いつでもその映像を観ることができる。いい時代になったものだ。
 卓球に関してもいろんな動画がそろっている。ひとつの試合をじっくり観て、くわしい分析を加えていくのが本当の見方であろうとは思うが、手っ取り早く楽しめる「スーパープレー集」も捨てがたい。すごいラリーや、目の覚めるような神業プレーを観ては、のけぞる、これもスポーツ観戦の醍醐味である。
 剣道五段の研修医に聞くと、剣道にもそれがあって、「一本集」というのだそうである。うらやましいことに、彼は自分の試合のビデオも持っていて、自分を励ましたいときは、自分の「一本集」を見ては元気を出すのだそうである。

 もっとも、ビデオで試合を記録する習慣のなかった時代から卓球をしてきた私も、自分の「脳内スーパープレー集」ならば持っている。いくつかの試合に関しては自分のスーパープレー(しか残っていない)を自由に脳内再生することができる。
 「脳内スーパープレー集」は時と場所を選ばずに再生でき、コンセントもいらず、日本代表選手クラス(に、いつの間に進化している)の自分のプレーに酔うことができるのであるから、むしろビデオ世代よりは得をしているのかもしれない。

 これが仕事だとどうだろうか。職種にもよると思うが、電車の運転手さんや飛行機の整備士さんが、一日に何度もスーパープレーを披露するとしたら、あまり関わりたくない気がする。麻酔科も似たようなものではないだろうか。麻酔の中でスーパープレーが発生したとすると、それはまず先に好ましくない事態が起こったのに相違なく、それを切り抜けた後に残るのは達成感ではなく、かならずねっとりとした冷や汗のはずである。
 実際、業務日誌を見ても、学会の症例報告を見ても、それは「冷や汗集」になっている。そして、それを見る者は、その冷や汗を追体験するのだ。
 まあ、自分を励ましたいときに見るものではないだろう。

2016.5.22, T.E@Kobe

 
息づまる戦い

 私は先ごろサンダーバード(国際救助隊ではなく、JRの特急の方)に乗り、久しぶりに金沢を訪れた。日本医師卓球大会に出場するためである。
 これは年一回、全国から好きものの医師が集まって卓球の腕を競う大会であるが、かなりレベルが高い。学生時代から鳴らしていた人たちが、医師になっても精進を重ねるのである。開業医の中にはカネにモノを言わせて、自宅だか診療所だかに卓球台を備え付けている人も結構いるらしい。相手がいなければロボットマシン(いろんな球種のボールを打ち出してくれるマシン)を使うのだ。
 そういう本気の人たちが理由のよくわからない気迫をみなぎらせて、この大会に乗り込んでくるのである。私のような中途半端な者がこんなのに勝てるわけがない。技術面でもそうだが、まず気合で負けている。おいおい、みなさん本業はちゃんとやっているんですか、と聞きたくなるが、跳んだりはねたりしている人たちの中には、れっきとした大学教授も数人いるのである。
 私は予定通り早々に負けて、勝ち残った人たちの試合を観る。息づまるようなすばらしいラリーの連続で、賞賛半分、やっかみ半分の複雑な気分であった。

 しかし、息づまるようなプレーといえば、最近地元の草の根レベルの大会で観た試合も、負けてはいなかった。
 新スポーツ連盟の大会で、私は自分の試合の合間に、チームメイトである内科の開業医の試合を応援しに行ったところ、その相手は80歳くらいと思われる総白髪のおじいさんであった。このおじいさんが、どう見てもCOPD(慢性閉塞性肺疾患、タバコを吸い続けた人などがかかる病気)をわずらっており、ひとつのラリーが終わるたびに卓球台に手をついて、はあはあ、ぜいぜいと呼吸を整えるのであった。
 医師という立場からは、止めてあげたほうがいいのではないか、とすら思ったが、ラリーになると蘇生したかのようにビシッとなり、けっこういいスマッシュを打つのである。ちょっと声はかけづらかった。
 結局、開業医の先生の方は簡単に負けてしまった。勝ったおじいさんのほうは肩で息をしながら、精根つきはてた様子でよろよろとコートを去っていった。一方負けた先生は開口一番、「おじいさん、いつ息を詰まらせて、ばったり倒れるかと思ってひやひやしたわ。お迎えが来なくて、ほんまよかった。」と笑っていた。
 それはE級リーグ(下から2番目)で繰り広げられた、まさに命がけの、息づまる戦いであった。

2016.5.15, T.E@Kobe

 
さかあがり

 緊急手術に呼ばれて休日出勤したあと、まっすぐ家に帰るのもアレだから、公園で缶コーヒーを飲むことにした。本に飽きて遠くを眺めていると、中学生くらいの子たちが跳ねるようにして公園に入ってくるのが目に入った。彼らはそのうち鉄棒に目をつけ、さかあがりをし始めたようだ。

 さかあがりと言えば、私は生まれてこのかた、これに成功したことが一度もない。小学校の頃、いくら努力しても、人に教わっても、どうしてもできなかった。私の両足は前方の空間を力なく掻いては、むなしく地面に落ちるのであった。
 子どもというものは、こういうささいなことで、ひどく傷つくものである。そしてそういったことが、重苦しい不安となって、楽しいはずの小学校生活に覆いかぶさってくるのである。
 小学校を卒業したら、もうさかあがりからは逃げきったと思ったら、そういうわけでもなかった。数十年の歳月が流れ、驚いたことに自分の子どももまた、さかあがりができないのであった。あんた、教えてやってよと妻に命令され、小学校に行って自分もやってみたが、相変わらずできなかったので、また驚いた。

 私は子どもに向かい、おごそかに宣言した。
 「見たか。あんたの運動神経が悪いのは、親譲りということだ。これを難しい言葉で、遺伝という。だが心配ない。こうやっておっさんになるまで生きてきて、さかあがりができなくて困ったことは一度もない。早くおとなになってしまえばいい。」

 さかあがりができないと、体操選手や小学校の先生にはなれないかもしれないが、その他の職業にはつくことができる。医師国家試験にもさかあがりはなかった。全世界のさかあがりのできない子どもたちに、心配無用と伝えたくなり、ここに記す。

2016.5.7, T.E@Kobe

 
痛みの定義

 痛みとは何か、定義を述べよ、と研修医に言うと、目を白黒させる者が多い。彼らは医師国家試験をパスしたばかりであるから、ベーチェット病の診断基準とか、肺がんのステージ分類とかはたぶんすらすら答えられるのだろうが、われわれ人間にとってもっともなじみ深い「痛み」という生理現象を、言葉にするとなるとみな四苦八苦である。
 「えーと、神経が興奮して、脊髄を通って脳に行くと、痛みとして感じられます。」
 「痛覚をつかさどる神経、というのが抜けとるね。でも慢性疼痛と言って、傷がとっくに治っているのに痛みだけが残る病気もあるよ。そもそも何の原因もなく、痛みだけが発生して患者さんを苦しめることもある。そういう痛みには末梢の知覚神経は関係してないけど、それも治療しなくちゃいけないでしょ?」
 「困ったな。じゃあ、本人が痛いと言ったら、それが痛みです、なんちゃって。」
 「ま、おおむね正しい。」
 「え、ほんとですか。簡単すぎませんか。」
 そこで、これを難しく言うと、国際疼痛学会の痛みの定義になる。

 「痛みとは、組織損傷に伴う感覚、あるいはそれと同じような言葉で表現される感覚であり、不快感を伴う感情的体験である」(ちょっとわかりやすく変えてある。原文は下記。*)
 つまり研修医が苦しまぎれで答えたように、原因はどうあれ、本人が痛いというのなら、痛いんだろう、ということだ。
 何だか頼りない話だが、痛みの診療を行う立場からすると、この疼痛学会の定義はよくできている。何しろ痛みを客観的に評価する方法はほとんどないから、痛いかどうかは自己申告に頼るしかない。本人が痛いというならば、その原因にかかわらず治療の対象になる。(もちろん、その原因や状況によって、治療法は変わってくる。)
 この定義で興味深いのは、痛みをただの「感覚」ではなく、「体験」であるとしているところである。痛みは視覚、聴覚、触覚などの感覚を超えた何かである、ということだろう。分かるような気はするが、哲学的な分析は私の能力を超えるのでやめておく。
 何はともあれ、この定義が痛みの治療の出発点である。

 こうして見ると、仕事とか人生の中でも急所と言える部分は、言葉ではっきり説明できるようにしておくと、何かと便利であると思う。
 私はふだん、あまり深い考えもなく惰性で生きているが、なぜ麻酔科を選んだのか、なぜこの人と結婚したのか、などについてはすぐに答える用意がある。そういうことは誰もめったに尋ねてはくれないが、自問自答する必要性は、ときどき生じるのだ。

* "An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage."

2016.5.1, T.E@Kobe

 
座右の銘

 転勤した時に新しい職場で、自己紹介の文を書かされることがある。その中に「好きな言葉」の欄があったりすると、私はたいてい、「人畜無害」、「犬も歩けば棒に当たる」などの、人畜無害意味不明な言葉を記入するのだが、あるとき奮発して、「圧力と時間」と記入したことがある。あとでそれを見た人から、これはどういう意味か、と聞かれた。

 これは、「ショーシャンクの空に」(1994年、アメリカ)という映画のラストで語られた言葉をそのまんまパクったものだ。
 この映画では、無実の罪で服役している主人公が長年の歳月をかけて地道に牢屋の壁に穴を掘り続け、ついに脱獄に成功するのだが、その成功の秘訣が「圧力と時間」だったというのだ。それは主人公が愛する学問、地質学の本質であり、例えば海がいつの間にか山になるように、たとえ小さい力でも時間をかけて一点に加えつづければ、不可能が可能になる(牢屋に穴があくとか)ということだ。

 この思想の具合がいいのは、何かを成し遂げたいという時に、爆発力や才能や人の助けによってではなく、「しつこく願い続けること」によっても実現できると主張しているところである。時間をかけてもいいのであるから、単位時間あたりのエネルギーは小さくていい。しかるべき時が来るまで動かないで、じっとしていることも可能だ。(その間のエネルギー出力は、力学的にはゼロでよい。)うまく立ちまわるのが苦手な自分でも、これならできそうな気がしてくる。
 同じような意味を持つ言葉としては、「継続は力なり」、「小さなことからコツコツと」などがあるが、どうも説教くさいし、ちょっとでもサボると坂道を転げ落ちそうなニュアンスが怖い。
 脱獄成功の秘訣を座右の銘にするのもどうかとは思うが、災難に遭った時や調子の悪い時などに(私は人生の大半がそうであるが)、「圧力と時間」と唱えると、私はすこし励まされる。

 余談だが、私は昔から、透明人間になりたいと思いつづけてきた(理由はまあいい)。すると近年、自分のからだがすこしずつ透けてきているのに気づいた。現時点ではそれはまだ、頭頂部に限られるが、この調子なら100年以内に完全に透明になれそうな気がする。「圧力と時間」の効果かもしれない。

2016.4.23, T.E@Kobe

 
基礎医学

 4月14日に熊本地震が発生した。私はこのふざけたブログのようなものを書いている場合ではないな、と思ったものの、サッカーの本田圭佑(ほんだ・けいすけ)選手が「自粛すべきではない」と言っているようなので(何のことを言っているのかは読んでないが、このサイトのことかもしれない)、今週も地震に負けないで書くことにした。

 薬理学教室で4年間、大学院生活を送った私は、そこではじめて基礎医学の世界を知ったのであるが、やはり驚かされることが多かった。とりあえず感じたのは、研究の世界で生きることの厳しさであった。
 病院の仕事であれば、外来なり、手術なり、ルーチンワークというものがあり、最低限日々の診療を無難にこなしていればある程度は評価されるし、食べていくのに困ることはない。ところが基礎医学の研究者となると、今まで世の中で知られていないことを発見するのが仕事であるから、ただ決まった作業をやっているだけではだめなのである。とにかく新しい発見をし続けていかなくては、生きていけないのだ。
 生きていけないというのは比喩でも何でもなく、教授になる前に業績が止まると職を失う可能性が高いということである。これは厳しい。寝ても醒めても研究のことを考えているような人でなくては、現状維持すら難しいのである。自分に厳しいだけでなく、人にも容赦しない人が多かったから、人間関係もなかなか厳しい。病院なんかより、よほど怖い人が多かった。
 幸い自分が目の当たりにすることはなかったが、揉めごとだっていろいろ起こるようだ。ここにはとても書けないが、我が耳を疑うような、テレビドラマも顔負けの話も聞いたことがある。かのSTAP 細胞の事件も、何が本当かは知らないが、業績の一つひとつに生活がかかっていることの恐ろしさが背景にあるのは間違いない。そんななかでアンパンマンでいられる人がいるというのは、すごいことなのである。

 私は大学院修了後、大学病院の麻酔科で、半分臨床、半分研究の生活に戻ったが、それだけでだいぶ気が楽になったのは確かである。さらに一般病院に移ってからは、とにかくたくさん麻酔をかけていれば褒めてもらえるのであるから、夢のような気分である。

 とはいえ、大学院で研究に没頭した経験は、私にとってすばらしい財産である。いくつか挙げてみよう。
 一つは、たとえささやかな発見でも、世界でまだ誰も知らないことを自分が知っていることの快感を味わえたこと。あの利己的な快感は、臨床では絶対に味わうことのないものだ。
 二つ目は、日々の診療にどっぷり漬かっていても、それを基礎医学という、ちょっと別の視点からも眺められるようになったこと。おかげで私は麻酔中の血圧の変動に手を焼きながらも、血管平滑筋の非選択性陽イオンチャネルに思いを馳せることのできる、世界でただ一人の麻酔科医になった。ただし、そこには何のメリットもない。
 三つ目は、ほどほどにサボることが許される、人生最後の日々を送ることができたこと。だからこっそり新婚旅行に出かけている間、教授からはトイレに行っていると思われていたわけである。

 若い医師の参考になればと思い、自分の経験を書いてみた。

2016.4.18, T.E@Kobe

 
アンパンマン

 私は、大学院での研究を薬理学教室でやらせていただいた。こちらの教授は、麻酔科のM教授と正反対の人柄であったが、やはり偉大な人物であった。
 まず何と言っても、そのあだ名がアンパンマンであった。小柄で顔が丸く、頬が赤く、おそらく現生人類の中でアンパンマンにもっとも似る人であっただろう。この人も姓がMから始まるので、以後、アンパンマン教授と呼ぶことにする。
 その温厚さもアンパンマンの名に恥じぬものだった。とくかくいつもにこにこしていた。「にこにこしているけど、その目は笑っていない人」というのは、この業界では掃いて捨てるほどいるが、アンパンマン教授のにこにこは本物だった。その証拠に、私を含め、誰かが叱られているところを見たことがない。廊下で我々下っ端の大学院生とすれ違う時も、自分が先に、さっと壁ぎわによけるような人だった。
 もちろん部下の仕事ぶりを見極める眼には厳しいものがあり、ある大学院生を評して「あいつは口ばっかりだからな」とか、研究経過の報告に対して、「何だ、大したことねえじゃん」とか、江戸っ子口調で切ってすてるのだが、それをにこにこしながら言うので、全然怖くなかった。そして、仕事の中身に口出しをするということはほとんどなかった。
 あるとき、アンパンマン教授が外部のお客さんを研究室に迎えて、案内しながら、こう言われた。
 「うちは放し飼いですから。」
 研究員には好きなようにをやらせているというのだ。まさに、アンパンマン研の真髄を表した言葉と言える。

  アンパンマン教授は京都に来られる前、前任地の関東の大学で、ある生理活性物質を発見したことで世界的に有名な人だった。だがこれは、教授の号令をうけてシモベたちが掘り当てたものではなく、アンパンマン教室の自由な雰囲気を慕って集まった研究員たちが、協力しあって勝手に見つけてしまったものらしい。教授の貢献は、彼らの邪魔をしなかったことと、いつもの口癖で、「やったらいいじゃん」と言って後押ししたことだけだった、というのが真相だそうである。
 まさに、私が以前ここで述べた、「中空型のリーダー」の極致である。

 わたしはマイペースな人間なので、この「放し飼い」の恩恵をたっぷり味わうことができた。1年目でさっそく、与えられた研究が行き詰まり、2年目の時に新しい研究テーマを勝手に見つけ、運よくささやかな結果を出すことができたが、その間教授から励まされることはあっても、けなされたり、せかされたりしたことはない。幸せな4年間であった。
 また、私は4年目の時にどういうわけか結婚をして、無断で1週間新婚旅行に出かけたのだが、あとで教授に報告すると怒られることもなく、「なんだ、しばらく見かけないから、トイレにでも行ってたのかと思ってた」と言われた。

 おそらく、自由な研究室からよい業績が生まれる、というのは教授の信念であったろうと思う。しかし、そういうやり方は実際にはなかなかうまく行かないものだ。まず怠け者が増える。そしてまた、ボスに代わってグループを仕切り、いいようにしてやろうとする者が現れる。周囲の基礎医学の研究室を見てみても、業績を挙げるのはやはりガミガミ屋のワンマン教授だったように思う。
 われわれのボスは、いい人のままで世界的な業績を挙げたのだから、ただのアンパンマンではなかった。筋金入りのアンパンマンだったのだ。

2016.4.9, T.E@Kobe

 
博士号

 私のこのブログのようなものの入り口のページに、アクセスカウンターが置いてある。年々、一日あたりのアクセス数が増えてきていたが、去年後半から減り始めた。
 もともとこのブログのようなものの当初の目的は、麻酔科のことを世間に広く知っていただきたいということであったが、その使命感はもう燃え尽きようとしている。今では、自分の「筆記欲」を満たすことと、認知症予防(読者のではなく、自分の)が最大の目的になっている。何かの間違いでここを訪れてしまった方々はそんなものを読まされるのであるから、申し訳なく思ってきたが、アクセスが減ったということで、少しホッとした面もある。
 これからはさらに、今回の話のような、老人にありがちな、オチのないただの思い出話が増えていくかもしれない。アクセス数が順調に減り、一日一個になるまで、続けられたらよいが、先のことはわからない。

 昔は、医師も博士号を持っていないと将来、病院の部長になるときなどに不利と言われていた。私はべつに出世するつもりもなかったが、取れるものは取っておけという大学医局の方針もあり、博士号を取ることにした。そのため、卒後3年間の病院づとめの後、大学院に進んで4年間、薬理学教室にお邪魔して研究生活を送った。
 大学院で4年間研究すれば、自動的に博士がもらえるわけではなく、その成果を論文にして、それなりに名の通った雑誌に掲載させなくてはならない。ここがなかなか難しいところだった。
 研究テーマは、最初は教官から与えてもらうのだが、研究の成果まで与えてもらえるわけではない。まじめに努力したからと言って、論文になるほどの成果が出るとは限らない。壁にぶつかってもそれを破るか、別の道を見つけるか、といったところは自力でやらなくてはならない。どう転んでも、博士号は苦労しないでは取れないようになっている。

 麻酔科のM教授がこんなことを言われたことがある。
 「博士号というのはね、足の裏についたごはんつぶと同じなんですよ。取らないといつまでも気持ち悪いし、取ったからと言って食えるわけじゃない。(生計の足しにはならない)」
 なんという絶妙な比喩だろう、やはりM教授は天才だ、と驚嘆したが、あとで分かってみると、これは昔から世間でよく言われている警句であった。まあそれだけみんな、悩んできたということである。

 私は運よく院の卒業前に論文を出し、学位審査を受けることができた。M教授を含む二人の教授の前で自分の研究を説明し、博士号を与えるにふさわしいかどうかを判定してもらうのだが、ふつう、ここで落とされることはない。審査会で大事故でも起こさないかぎり、大丈夫である。私もこのとき、瞑想、カラオケ、暴力といった行為を何とか自制した。
 学位審査が無事に終わったので、私は握りずしをとりよせて医局員にふるまった。これは本学麻酔科に長年続くならわしである。

 他の科や大学では、医学部で博士号を取ると、学位審査に立ち会った教授に謝礼を渡す習慣があったようである。それも結構な額だったと聞く。ところがM教授はそういう筋の通らないことが大嫌いで、そんな金があったらみんなにスシでも振舞え、と号令をかけたため、それが麻酔科の伝統として定着したのである。もちろん、スシならば松を三、四桶頼んでも、数十分の一の出費ですむ。
 M先生らしいクリーンなやり方であったが、学位審査にはもう一人、他部署の教授が立ち会われるわけで、そちらの先生にとってはあてが外れる結果になりかねない。角が立つのを避けたい人にはとてもできない芸当であっただろう。
 10年位前だったか、どこかの大学で、この博士号授与に対する謝礼に関する報道があり、けっこう騒がれた。たぶん、もう、どこでもあまり行われていないのではないだろうか。

 あれから20年以上経ったが、博士号が役に立ったことは一度もない。博士号がないと、さすがに教授にはなれないが、病院の部長だろうが、病院長だろうが、昇進するための特別の支障にはならない時代になってきた。学位審査で謝礼など献上していたら、大赤字になるところだったので、M教授には大変感謝している。ただし、もしよみがえられて目の前に現れたら、もちろん逃げる。

2016.4.3, T.E@Kobe

 
合理主義、その2

 前回私は、今は亡きM教授の合理主義について語ったけれども、人間も、人間社会もそもそも合理的でないから、そんな中で合理主義をまっすぐに貫くと大変なことになる。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。(中略)とかくにこの世は住みにくい。」との夏目漱石(なつめ・そうせき)の言葉は、まことに名言である。M教授はまさにその、角が立つ人の代表選手であった。

 カンファレンスなどで発表や発言をする者に対し、教授の質問や指摘は常に的確であったが、どこがどうカンにさわるのか、ときに厳しい口調になることがあった。しかもそれが、理詰めで来られるのでなかなか反論できない。理詰めだから正しいとも限らないのだが、教授本人が論理的に正しいと信じているので、反論不能である。やりこめられた相手はしばしば、弁慶さながらの立ち往生を遂げるのであった。
 研究や臨床業務に関することで怒られるならこちらにも心の準備があるが、地雷はどこに潜んでいるかわからない。私は、休暇届けに記入した文の言葉づかいがおかしいと、教授室に呼び出され、絞り上げられたこともある。
 合理主義を突きつめるとそこは、不条理の世界なのである。

 私がもっとも苦しんだのは、教授の思いついたアイデアを実験で証明しろと言われたときである。あるとき、教授室に呼ばれて出頭すると、次のような言葉をいただいたのである。
 「僕ね、夜寝る前に、すばらしいことを思いついたんですよ。各臓器の動脈は…(中略)…でしょ。ところが静脈系に関しては交感神経支配の臓器特異性はない、あるはずがないですよね。違いますか。それを実験でしめすだけで、ネイチャーでも何でも載りますよ。どう、大発見でしょう。さっそくやってください。」
 たしかにそれは、すばらしい着想であった。しかし詳細は省くが、そのような実験系を一から組み立てるだけでも一大事業であり、また、「ないことを証明する」という原理的にむずかしい仕事であり、実際には達成困難なミッションであることは明白だった。そもそも、まず結論を示して、これが正しいはずだから証明しろというのは、定理を証明するのを仕事とする数学者の発想である。生命科学では、めったに理屈通りにはいかないのであり、あらかじめ結論を指定されてしまうとたいへんつらいのである。
 恐懼低頭して教授室から下がった私であるが、これは無理だと判断し、ひたすら首をすくめて教授がこの件を忘れてくれるのを待つ作戦を取ることにした。ところが敵はそんなに甘くはなかった。数週間後、「進んでいるか」と聞かれて私はしどろもどろになり、大目玉をくらった。
 やむを得ず予備実験を行い、文献を集め、実現困難であることを説明したところ、「そうか」と分かっていただけた。どうやらその説明に一応筋が通っていると判断され、かつ教授の機嫌がよかったのだった。(もちろん、よさそうな時を狙って報告したのである。)

 要するに、姿を見るだけで反射的に逃げたくなるような、煙たい先生であった。ただM教授が偉大なのは、誰に対しても公平に煙を吹いていたことで、おかげで教授会でも学会でも角が立ち、いろんな人から煙たがられていたと聞く。
 今思えば、そういう煙たい人、叱ってくれる人こそが本当にいい上司なのだろう。

 と、きれいにまとめたいところだったが、そうはいかなくなった。
 先日、術前診察のためある手術患者に面会したところ、一目見ただけで激しい胸騒ぎに襲われた。気がつくと、その中年男性がM教授にそっくりなのだった。しゃべりながらときどき目を剥くような表情を見せるところがまた瓜二つで、息がつまるかと思った。手術室での麻酔のときも、地に足がつかないような思いであった。
 苦手なものは苦手である、と思い知った。もし本物のM教授が生き返られて目の前に現れたら、やはりまず逃げ出す算段を立てることになるだろう。

2016.3.27, T.E@Kobe

 
合理主義

 その昔、医師は祈祷師、呪術師の仲間であったと思われるが、現在は科学者の仲間だと、自分たちでは思っている。(科学者の方でそう思ってくれているかどうかは不明である。)だから、根拠に基づく合理的なものの考え方を重んじているつもりである。

 以前、卓球仲間の新年会で、ある中年女性がこんなことを言った。
 「私の知り合いが昔、乳ガンやって、今度は脳腫瘍が見つかったけど、それがどっちも左側なの。何で左側ばっかりなん?これは絶対何かあるんちがう?」
 私は次のように答えざるをえなかった。
 「愛想のないことを言わしてもらうけどね、腫瘍が2回続けて左側にできる可能性は四分の一だから、別に珍しいことではあらへんね。もう一回左に何かできたとしても、八分の一になるだけのことで。」
 「えー、でも左側だけですよー。」
 すると、となりに座る外科医も応援してくれた。
 「脳とからだは、左右反対になってるからね。からだが左で、脳も左なら、全然つながってへんわな。」
 酒の席なのだから、一緒になって「それはおかしい。左側に何か取りついている。」と騒いだ方が盛り上がるのは分かっているが、医師免許を持つ者がからだと病気に関することで無責任な発言をして、何かトラブルの元にならないかと心配なのだ。

 ここで思い出すのが、前教授の故M先生である。この人の合理主義は筋金入りだった。
 ある時、女性研修医が整形外科の手術の麻酔につくのはイヤだと言い出して、大学医局でちょっと問題になった。整形外科の手術ではエックス線を出して骨を透視画像で見ながら操作を行うことが多いのだが、その研修医は自分の場合、散乱したエックス線を浴びると熱が出るからイヤだ、と主張するのであった。
 これは医学的にはありえないことである。われわれが急性症状で発熱するほどの大量の放射線を浴びているのだとしたら、数年後にはがんでばたばた死んでいるはずだ。手術室で散乱する放射線の量は、急性でも慢性でも、影響の出ない程度であることは、当然確認済みである。
 その研修医はもともとちょっと変わった人だったから、何か変な思い込みをしているのだろうと、みなは思っていた。研修医の根拠のない思い込みで、麻酔症例の選り好みを許していては示しがつかない。どう説得するかの問題だったのである。

 ところがその報告を聞いたM教授、報告者にこう尋ねたのだ。
 「それで、その先生の熱は何度だったの?」
 「いえ、聞いてません」
 「どうして聞かないの?本人が言わないのなら、測れば済むことでしょ?」
 「どうせ言いわけだと思ってましたから…すみません。」
 教授以外の全員が、客観的なデータを取って確かめることの重要性を見逃していたのである。根拠なく思い込んでいたのはこちらも同罪だった。

 さすが、ことあるごとに、「麻酔はサイエンスです。」と口ばしるほどの人は違う、と思ったものである。

2016.3.20, T.E@Kobe

 
脳ブーム

 テレビでよく見かけるようになった「脳科学者」、あれは一体いかなる人たちなのだろうか。そもそも「脳科学」という言葉自体が耳慣れないものである。
 脳の研究といえば神経生理学、神経解剖学などの分野があり、臨床医学なら神経内科、脳外科などもまあ、その仲間だろう。それぞれの研究を見てみるとたとえば、脳のどことどこがつながっていて、その回路が痛みの記憶に関係しているらしいとか、専門外の人が聞いたらチンプンカンプンな、細かくて地味な仕事である。
 近年では放射線科の分野から生まれた新しい研究法(MRI、PETなど)により、生きている人の脳の活動を外から観察できるようになった。
 しかし、それらを統合して「脳科学」という新しい科学が生まれたという話は聞かない。したがってテレビに出てくる「脳科学者」たちが、何者なのかがわからない。

 先日、朝のワイドショーに出てきた自称「脳科学者」は、次のようなことを述べていた。

  • 通勤中はかわいいものを見つけるようにするとよい
  • 右脳を鍛えるには、利き手でないほうで歯を磨くとよい
  • マンネリを避けて、いつもとちがうことをしよう
 たしかにこれは、まじめな神経生理学者がいくら電極や顕微鏡を駆使しても、ぜったいにたどり着けない結論だ。なぜならこれは、心理学の知見だからである。彼らが自信ありげに、上から目線で言い散らかしているその内容は、錯覚、行動様式、性格といった心理学の話を持ちだして焼き直したものだ。(でなければ、口から出まかせだろう。)それに「脳」という何やら位の高そうな言葉をつけるところがずるがしこい。

 また、「脳を鍛えるドリル」、「脳トレ」といったものが流行っているようだが、この手のものも昔からある。私が子供の頃、多湖輝(たご・あきら)という人の「頭の体操」というクイズ本のシリーズがあってベストセラーになっていたが、これはたしかに人間の常識のウラをかく面白い問題ばかりで、頭がくらくらし、心がわくわくさせられる素晴らしい本だった。この多湖輝という人は心理学者であり、当然ながらどうどうと、心理学者を名乗っていたのだ。
 現在では他にも、「脳に効く」、「脳に悪い」などの変な言葉が世の中にあふれ、脳ブーム真っ最中といっていい。
 要するに脳ビジネスの人たちは、「心理学」を「脳科学」と言い換え、「頭」を「脳」と言い換えて、使い古された知識やアイデアでお金をもうけているのである。ちなみに集中治療における脳保護法で有名だったある教授も、定年退官後、「勝負脳の鍛え方」などといった本を出しておられる。それまで脳出血や頭部外傷における脳細胞の死活問題に取り組んでいた人が、定年になると急に「勝負どころで勝つ脳」の専門家になっちゃうというのも、脳ブームの悲しい副作用だろうか。

 「脳」は偉い、という今の風潮はどうかしている。麻酔科医に言わせてもらえば、脳はただの臓器である。しかも異様に燃料を食うやっかい者だ。
 「脳がいい」と言われるより「頭がいい」、「性格がいい」と言われたいし、「脳がきれい」ではなく「心がきれい」と言われたいものである。

2016.3.12, T.E@Kobe

 
小関越え、その2

 前回述べたように、私は真夜中の小関越えを繰り返す中で、一度も怪異現象に遭遇することがなかった。怨霊のたぐいはめんどくさそうなので遠慮したいが、害のない妖怪のようなものであれば、出会ってみたかった気もしないではない。
 妖怪というとどうしても、民話に出てくる空想の産物、という思い込みが先に立ってしまうが、その実在性について真剣に論じた文化人がいる。「日本沈没」を書いたSF作家、小松左京(こまつ・さきょう)である。彼は、司馬遼太郎(しば・りょうたろう)という有名作家本人から聞いた体験談を紹介している(出典下記)。司馬氏が昭和23年、「もののけ」が出るというので有名な京都の山奥の寺に泊まったところ、何者もいないのに障子がはげしくガタガタと鳴り、屋根の上を目に見えない何かが走りまわる音がしたそうである。すると寺の和尚も起きてきて、「出たでしょう」と叫んだのだそうだ。
 ところが、時代が下ってその寺に電気が通るようになると、その怪異現象はぱったりと止まってしまったという。和尚は「さびしくてたまらない」と嘆いていたとか。

 この話で興味深いのは2点あり、ひとつは怪異現象はしばしば「目に見えないもの」であるということ。そういえば、姿かたちを備えた「妖怪」のイメージは、「百鬼夜行絵巻」などの作品の中で作られたものであり、それが水木しげる(みずき・しげる)の妖怪図鑑などに引き継がれてきたのだと聞いたことがある。水木氏の妖怪図鑑などは悪ノリして、妖怪のからだの内部まで描いているが、昔の妖怪はあんなに生々しい肉体を持つものではなかったであろう。小松氏は、不思議な存在は現場では、もっぱら音や触覚によって人を驚かせていたのではないか、というのである。それが「あずき洗い」、「天狗だおし」、「そでひき小僧」、「すねこすり」などの妖怪たちである。
 そしてもうひとつは、そうした怪異現象は電気や電灯を嫌うらしい、ということである。その理由はわからないが、そうだとすれば現代に生きる我々がそうそう簡単に怪異現象に出会うことがないこと、そうした現象が科学的な検証から逃げ続けることの説明にはなる。
 こうして小松氏は、妖怪、精霊民話のすべてを空想の産物であると片づけるべきではない、科学者はかつて古代にあった彼らとのコミュニケーションの方法を発掘すべきである、と結論するのである。

 しかし、これを小松氏から理系研究者に託された課題とすると、かなりの難物である。プロの研究者であればそのテーマで研究費を取ってこなければ生活していけないから、とにかくなんらかの成果を出していく必要がある。ところがその相手が電気が嫌いとなると、録音も録画もできない。まず「コミュニケーションの方法」を見つけるところで何十年かかるかわからない、きわめてリスキーな(まんまの食い上げ必至の)研究テーマである。
 ここは一つ、定年後の麻酔科医が取り組むべき仕事かとも思う。ではその肩書きはというと、「心霊研究者」、「妖怪連絡協議会会長」、「超常現象分析所所長」、「もののけジジイ」あたりか。こりゃ、誰からも相手にされないな。

出典: 小松左京「私の民話論」。角川文庫、日本の民話第7巻「妖怪と人間」(絶版)、松谷みよ子(まつたに・みよこ)他。

2016.3.5, T.E@Kobe

 
小関越え

 私は京都の大学院で研究していた頃、大津から通っていた。京都府と滋賀県のともに県庁所在地であるが、隣り合った市であり、通勤にはまったく不自由しない距離である。
 ところが私の場合、その仕事の内容が不自由だった。菌に遺伝子を打ち込んで8時間培養し、DNAを回収したら電気泳動を3時間ほど流し、うまく行っているのを確認したら次は…、という具合である。こうして培養細胞、菌、ウイルスの生活サイクルに合わせて生きようとすると、普通の人間生活が送れない。要するに、終電を気にしていたら実験にならないのである。
 終電を逃したら実験室で寝泊まりする、という手段もあったが、私は意地でもなるべく帰るようにしていた。自転車に乗るのであるが、山科から大津までの国道1号線は真夜中でも交通量が多く、自転車で走ると命の危険を感じた。そこでよく使ったのが「小関越え(おぜきごえ、あるいは、こぜきごえ)」という抜け道である。

 小関越えは、山科の田園地帯から山道に入り、峠を越えるとひたすら下って大津の三井寺の近くに抜け、最終的には琵琶湖にあたたかく迎えられるという、ちょっとしたハイキングにはなかなか楽しいルートである。しかし、深夜2時に通るとなると全く意味合いが違ってくる。それはまさに肝だめしコースと言ってよい。
 山に入ると街灯はなく真っ暗で、自転車のライトだけが頼りである。聞こえる音といえば風に揺さぶられる木の葉の音くらい。真夜中にこんな道を通りたいという、頭のおかしな人も見当たらない。交通事故のリスクは回避できるが、さすがに怨霊や妖怪のたぐいと出会ってしまうリスクについて、考えざるをえなかった。
 思えば京都や大津は、壬申の乱(じんしんのらん、7世紀)の昔から、源平合戦、明治維新(戊辰戦争、ぼしんせんそう)に至るまで、天下をかけた戦乱の舞台となりつづけてきた。この両都市間の抜け道である小関越えでも、さぞ多くの将兵が傷つき、命を落としたであろう。その中の一部でも、成仏しきれずに亡霊となってこの地をさまよい続け、真夜中に自転車をこぐ男に襲いかかってきたとしてもおかしくないのではないだろうか。
 いやまて、もし人が死んで、霊が残るという仮説を受け入れるとして、その霊が物理的法則に縛られるという可能性は少ないだろう。現に昔の物語やオカルト番組によれば、霊は出たり消えたり、宙を飛んだり、三千里を一気に越えたり、やりたい放題ではないか。しかしもし、霊が物理的制約を超越してしまったら、困ったことが起こる。地球は自転し、公転しているのだ。この峠の位置も、宇宙空間から見たら時速千キロ以上のスピードで移動し続けているのである。霊が重力の影響を受けないとすると、地縛霊としてこの位置をキープするためには、地球の運動に合わせて自分の力でじょうずに移動し続けなくてはならないのだ。
 霊はそんなに勤勉か。そこまでして人に祟りたいか。ないない、それはない。

 そうやって屁理屈をこねているうちに、ようやく三井寺近くの民家の灯りが見えてくる。人里に降りてきたのだ。見る見る緊張がとれてくるのが、自分でもわかった。おばけに遭遇しなくてよかった。
 もっとも今にして思えば、あの時刻あの峠で、生きている人間に遭遇したらもっと怖かったかもしれない。

2016.2.27, T.E@Kobe

 
手術室の窓、その2

 外科医のからだの仕組みが、私にはいまだによくわからない。
 彼らはいったん手術に入ると、まず休憩をとらない。8時間くらいの手術であれば、楽勝で先発完投する。手術が10時間目、12時間目を迎え、夜に突入すると、外科医同士で順番に手を降ろそうか(休憩しようか)、という話も出てくるが、主治医意地を張って続けたがる傾向がある。18時間かかった胆嚢がんの手術で、主治医だった外科部長だけは飲まず、食わず、トイレすら行かず(私の記憶では)でやりきったことがあり、若かった私の印象に残っている。
 外科医たちは手術という特殊な業務を続けた結果、光合成でみづから栄養を作ったりするような、特殊なからだになってしまったのか、とも思うが、そういうわけではないようだ。若手外科医が麻酔科研修に回ってくることがあるが、彼らは麻酔中だとわれわれ以上にトイレ休憩を要求することが多いのだ。

 ”Fight-or-flight response” (意訳すると「闘争/逃走反応」)と言って、動物はストレスのかかる状況に陥ると交感神経が圧倒的優位となる。その結果、血糖が上がるので腹が減らなくなり、排泄もその必要がなくなる。手術中の外科医も、この「闘争モード」にはいっているものと思われる。(「逃走モード」入ることのないよう、祈りたい。)
 麻酔科医もそれくらい頑張れよ、と言われそうな気がするが、麻酔科医が最初から最後まで闘争モードや逃走モードに入らねばならない手術があったとしたら、それは患者さんにとっては相当まずい事態である。麻酔科医はあくまでも、日常感覚での平常運転を目指すものである。この外科医と麻酔科医のギャップが、時に問題になる。

 外科医は例外なく、患者さんや麻酔科医にとって低すぎる室温を要求するが、たぶんこれも交感神経のしわざだろう。また、外科医の体内時計はあきらかに進行がおかしく、われわれの1時間を10分位にしか感じていないと思われるフシがある。予定時間を大幅に超過して手術終了した時の外科医の、あの充実感あふれる表情がその証拠だ。その瞬間、麻酔科医は心の中で、「まず謝れや!」と叫んでいる。

 私の思うに、手術室に窓がないのは、外科医が外界の時間を気にせずに、手術に集中できるように、という配慮からではないだろうか。だが今は、チーム医療の重要性が認識され、横暴なジコチュー外科医も減ってきている。そろそろ手術室に、外が見える窓がほしい。
 「風が強くなってきた、はやく終わろう」
 「お、日が暮れてる。あれ、この手術、お昼に終わる予定じゃなかったっけ」
 「ゲ、夜が明けてしまった。朝焼けが目に染みる」
 このように手術中の外科医たちもたまには窓を見て、日常との接点を少し増やしたらどうだろう。あと、私はときどき外を眺めたい。

2016.2.20, T.E@Kobe

 
手術室の窓

 手術室は閉ざされた空間であり、外界と接する窓はない。雨が降るのを見てもの思うとか、道を行く人の生活を想像するとか、そういうことは手術室ではできない構造になっている。

 手術室にある窓といえば、出入り口の扉についている小窓くらいである。これは手術室の進行を管理しているリーダー看護師が、廊下から中を覗くためにある。そこからでは術野は見えないが、ベテランナースになると術者の持っている道具や、その場の雰囲気から、だいたいの進行状況を把握することはできる。

 外科医たちは手術に夢中だから、覗かれても気にしないだろう。しかし、看護師や麻酔科医は必ずしもつねに、わき目も振らずに作業に没頭しているわけではない。状況が安定していると手持ちぶさたで、手術が早く終わることを祈る作業がメインになっていることも多い。そんな時に、あの小窓から覗かれると、ちょっとムッとするものである。
 心なしか、覗きこんでくるリーダー看護師の目がニンマリと笑っているようにも見える。覗かれた側としてはすがりつくような目で訴えかけるか、しかめ面をしてにらみかえすか、まあそんなところまでが一つのお作法である。声は届かないし、互いにマスクをしているので、目つきで会話するのである。

 覗かれると言えば、医療ドラマによく出てくるのが、手術室の高いところに窓があって、のんきな院長や、意地悪な事務長が別室から手術の様子を眺めているシーンである。一般の方は、自分も手術を受けるとしたら、あんなふうに、自分でも見たことのない腹のうちを見せたくもない他人に見られるのではないかと不安になるかもしれない。だが心配はいらない。
 あのような構造の手術室は、確かに私の出身の大学病院には一つだけ存在した。しかし、実際にその観覧席が使われているのを見たことがない。その手術室はずっと昔に建て替えられて存在していないし、その後そのようなものはどこでも見たことがない。
 現代の病院の手術室に、あんな無駄な設備を作る必要性もスペースもないだろう。第三者に手術を見せたければ、カメラをつければいいだけのことである。そのほうがよほどよく見える。手術観覧用の窓はドラマの中でしか使われていないだろうと思う。

 つまるところ、手術室の窓は常に外から覗かれるためにあるというのが、悲しい現実である。外科医、看護師、麻酔科医は外界のことなどに気を散らすことなく、思う存分手術に専念せよ、という親切心かもしれないが、それは正しいのだろうか。手術室に外が見える窓を作ってはいけないのだろうか、また次回考えてみたい。(もし次回があるならば。)
 もちろん私が考えても、何も解決しないであろうことは保証できる。


  覗かれ窓

2016.2.13, T.E@Kobe

 
アミノグリコシド・トリック

 10年ほど前までのテレビ界では、2時間ドラマなるものがやたらはやっていて、毎晩どこかのチャンネルでこれをやっていた。そのほとんどがサスペンスもので、まず冒頭で人が死亡し、途中いろいろあって、最後は探偵が犯人を断崖絶壁に追いつめる。動かぬ証拠をつきつけられた犯人は、がっくりと膝を折るのであった。
 当時たまたま見てしまったドラマの中で、麻酔にかかわるおどろくべきトリックが披露されたことがある。

 犯人はまず、被害者にある種の抗生剤をのませる。かぜ薬とでも言いくるめたのだろう。次に犯人は被害者を中途半端に高いところから突き落とす。被害者は一命を取りとめたものの骨折し、病院で手術を受けるが、麻酔中に使った筋弛緩剤の作用が強すぎて、術後に呼吸が止まってしまうのであった。最初にのませた抗生剤は、「麻酔で使う筋弛緩剤の作用を増強させる」とされるアミノグリコシド系のもので、消化管吸収だから遅れて効いてきたのであった。犯人はそこまで計算していたのである。ドラマでは、ナースが容態の変化に気づき、間一髪で助かったから、麻酔科医としては胸をなでおろした。

 ご苦労なことである。何ごとを達成するにしても、これだけの不確実なステップを何段も重ねて、うまくいくと思うほうが不思議だ。被害者が素直に薬を飲むか、崖から突き飛ばして死なない程度のケガをさせられるかなど、各ステップの成功率はよくて50%だろう。50%を4ステップ重ねると、成功率は6%になる。そして、最後のステップ、アミノグリコシドのために呼吸が止まるほど筋弛緩剤の作用がぶり返すか、となると、私の経験上はほぼ考えられない。教科書には書いてあるものの、そのような効果を実感したことがないのだ。ゆえに本件の成功率はゼロに近いだろう。
 麻酔科医として犯人に助言するとすれば、もっと高いところから突き落としたほうが確実だった。

 あの頃、脚本家の先生方はサスペンスドラマばかり作っていて、並たいていのトリックでは満足できなくなってしまったのだろう。いつもいつも人のアヤめ方ばかり考えていたのでは、ちょっと頭がおかしくなったとしてもおかしくない。

2016.2.6, T.E@Kobe

 
孫の手

 本日とうとう、当直明けの帰り道で百円ショップに寄り、「孫の手」を買った。
 歳と共に背中に手が回りにくくなるのは感じていた。背中が痒くなった時、どうしても手が届かないエリアが発生したことには、うすうす気づいていた。しかしそこは手元のボールペンで掻くことができたので、あまり深刻には考えないようにしていた。
 致命的だったのは近年、五十肩を右と左とで相次いでやらかしたことだった。その結果、痛みがおさまった後も肩関節の可動域が激しく制限され、いくら身をよじってもボールペンを使っても、とても届かない領域が一気に拡がった。チンギス・ハンの破竹の快進撃を見る思いである。私の背中のモンゴル帝国はしばしば、私の風呂あがりや就寝時を狙ってトキの声を上げるのであった。
 自分の背中にひづめも尻尾も届かないウシの苦労を初めて知った。だが待て、私はウシではなく、サルの仲間ではなかったか。サルならば棒を使ってバナナを引き寄せるなど、道具を使うことができるはずだ。背中のかゆい人類にも文明の利器がある。その名も「孫の手」だ。
 それにしてもそのものズバリを避けた、何という優雅なネーミングセンスだろう。これが「前期高齢者用背中掻き器」という名前だったら買わなかった。(もっとも、「妻の手」でも買わなかった。)日本語のこの現実直視回避能力はすばらしい。中国製だが。
 孫の手を手に入れてまた一つ、大人に近づいたような気がして、少し照れくさい53歳。



2016.1.31, T.E@Kobe

 
ジギタリス

 昔読んだミステリーやショートショートなどに、ジギタリスなる不思議なくすりが出てきて、医学生になる前の私の好奇心を刺激した記憶がある。何でも心臓の悪い人がのめば薬になるが、健康人がのめば毒になるというのである。これほど見事に逆説的な性質を持つ薬が実在するのなら、ネタに困った小説家の心をくすぐるであろうことは、想像に難くない。

 「君、顔色が悪いぞ。この薬をのみたまえ。私がいつものんでいる薬だ。心配なら、同じものを私がのんで見せよう。ほら、大丈夫だろう。」
 「ありがとうございます、社長。いただきます。うっ、苦しいっ!」
 「君が社長のいすを狙っていることは分かっていたのだ。これはジギタリスと言う劇薬でな、私のような病人には命の薬だが、普通の者がのむとこうなるのじゃ。かっかっかっ。おや、どうした、息を吹き返したぞ。」
 「今のは芝居です。こういうこともあろうかと、前もって薬を小麦粉にすりかえておいたのですよ。それより社長、そろそろ薬が切れるころでは?」
 「まさか、さっき私がのんだのも小麦粉だったのか。し、心臓がっ!がく。」

 私でもこういう話が5分で作れてしまうのだから、便利な薬である。しかし、現実はどうかというと、もちろんこんなおかしなことにはならない。
 ジギタリスは心不全の患者さんに対して使われる強心剤であるが、副作用が強いのが難点である。その主な副作用は不整脈であるが、「ありとあらゆる種類の不整脈」を起こしうるのだから厄介である。そして、投与量が多すぎるとその副作用が出やすくなる点では、のみなれた患者さんでも健康人でも変わりはない。
 量は適切なのに、副作用がでることもある。かつてICUの患者さんでわけのわからない不整脈が頻発し、みんなで首をひねったことがあるが、主治医が1回だけ投与したジギタリスが原因だったことがわかった。投与後に急速に腎機能が低下したために尿中に排泄されず、血中濃度が上がりすぎたのであった。
 健康人だろうが病者だろうが、使いにくい薬なのである。

 このように投与量の治療域と中毒域が近く、しかもその副作用が重い薬というのは、やがて淘汰される運命にある。喘息に対する第一選択薬だったアミノフィリンが、同じ理由ですでにその一生をほぼ終えている。最近、ジギタリスをのんでいる人が減ったな、と思って文献を調べてみると、ジギタリスは心不全患者の寿命をちっとも延ばしていないことが最近わかってきたようだ。これは多分、他にいい薬が出てきて、ジギタリスはその活躍の場をなくしたということだろう。
 かつては主役を張っていたスターが、新しく出てきた実力派の新人に押され、そういえばあの人、扱いにくい所があるよな、と気づかれてしまい、だんだんお呼びがかからなくなってきた、そういう状況に立たされているように思う。
 薬にも栄光の日々と没落の物語がある。ミステリー作家のみなさんはもう、この薬では遊ばないほうがよさそうだ。

2016.1.30, T.E@Kobe

 
走者の下痢

 公園には1級と2級の別がある。トイレがついているのが1級、ついていないのが2級である。知らない人が多いのも無理はない。私が決めた基準だからである。日頃から、自分の行動範囲内の公園については、1級か、2級か、よく把握しておくことが重要である。いつトイレのお世話になるかわからないからである。

 私以外の人にとってはどうでもいいことだが、私はここ2年ほど、ランニング中に腹が痛くなり、トイレに駆け込むことが多くなった。医学文献で調べてみると Runner's diarrhea (走者の下痢)という名前が付けられているから、同じ悩みを抱えている人はいるのだろう。その原因ははっきりしないが、脱水で腸への血流が減るから、とか、腸がさんざん揺さぶられるからなどの理由が考えられているようだ。
 自分に関していえば、前半で汗をかきすぎた時、水分補給が不十分な時に腹痛を起こしやすいので、脱水説が当てはまっていると思っている。一般にからだの血液量が減った時、真っ先に犠牲になるのが腸なのである。そのように自律神経が判定を下すのである。「腸君、今はのんびり消化なんかしてる場合じゃないんだ、血液供給は絞るからね。」(念のために言っておくが、自律神経は実際にはしゃべらない。)
 血流が減ると腸が下痢を起こす、という医学的根拠はあまりないのだが、マラソン中の市民ランナーが血便を出し、虚血性腸炎と診断された症例報告があるから、そういうこともあるかも、と思う。虚血状態になって、腸が調子を崩す、と考えているが、じゃまもの扱いされて怒った腸が、私にいやがらせを働いている可能性もある。
 この仮説に基づき、走りながら早めに水を飲むこと、無理なスピードを出さないことを心がけるようになってからは、下痢はある程度減ったけれども、ときどき予防に失敗することはある。おなかが痛くなり始めた時、それが収まるかどうかはもはや問題ではない。いつどこで出すか、それだけである。「今でしょ」というわけには行かない。そんなとき、役に立つのが1級公園の知識である。
 最寄りの公衆トイレはあそこの公園だ。最初は腸を油断させるため、そしらぬ顔で公園に足を向けるが、不思議なもので、トイレに近づくほど腸の蠕動が激しくなり、おなかの痛みが増す。おとうさん、おかあさん、ごめんなさい、もう無理ですと、何度もあきらめかけるが、人間の意志の力に一縷の望みをかけて耐える。そしてトイレに駆け込み、奇跡的に間に合うのであった。(いつも「間一髪」になってしまうのはどうしてだろう。)

 何という開放感だろうか。腸の蠕動という、人間の意志が及ばないダークサイドの力に勝利したのだ。先ほどの苦しみは嘘のように消えた。花咲き、小鳥歌う世界に突然連れてこられたかのようだ。公園のトイレは、中島らも(なかじまらも)の言う「地獄極楽変換装置」の一種であると言えよう。人類の発明したものの中で、これほど価値のあるものがあるだろうか。
 1級公園のトイレを維持してくださっている方々に、この場を借りて感謝したい。そして、このブログのようなものを読んでおられる世界中の人たち(推定3人ほど)に呼びかけたい。公園のトイレはきれいに使いましょう。

2016.1.23, T.E@Kobe

 
デジタル・ゾンビ

 歩くことが人類の最大の娯楽の一つであることは言うまでもないが、その楽しみに水をさすものがある。タバコ、スマホ、歩道を我が物顔で走りぬける自転車である。驚いたことに、この3つを同時にやる人もいる。
 今回は歩きスマホの悪口である。

 アメリカの整形外科学会(AAOS)は最近、歩きスマホはケガのもと、という警鐘を鳴らし始めており、Youtube に啓蒙ビデオも発表している。当院の看護師に聞くとやはり、「スマホをやってたら、顔面から地面に突っ込んだ」といったような人が救急外来にちらほら来るらしい。
 同学会では歩きスマホをする人を、”Digital Dead Walkers" と呼んでいるところが面白い。直訳すると「電子機器的死亡歩行者」、これをちょっと戻してカタカナに意訳すると「デジタル・ゾンビ」ということになるだろう。(ゾンビ映画でよく使う "Walking Dead" という表現にしないのは、商標とかの関係か。)歩きスマホをする人は「ゾンビ」と同等なのである。



 歩きスマホの人たちは、ふらふら歩いているところがまずゾンビっぽいが、まわりを何も気にしないで歩くあつかましさが何よりもゾンビ的である。
 以前テレビでやっていたのだが、1、2歳の子どもでも、一緒に遊んでいる大人の目をチラチラ見ている。その大人が何をしようとしているかを、その視線を探ってチェックしているのだ。我々も無意識にそれをやっているはずだ。どんなに混雑している横断歩道でも、人と人がめったにぶつからないのは、実に感動的なシーンであるが、これも互いの視線のやり取りがあるからだろう。
 それに対して歩きスマホの人は、この視線のやり取りを基本的に拒否している。本人は周囲の状況を把握しているつもりかもしれないが、視線がスマホに固定されている以上、何をしでかすかわからないという不気味さを発散しているのだ。ほら現に、無意味にこちらに寄ってきて、私の動線を侵してくるではないか。

 こうして彼らは、自分では迷惑をかけていないつもりかもしれないが、人をよけさせるという立派な迷惑をかけている。これが江戸時代だったら無礼討ちするところだが、現行法体系の中で私ができるのは、冷たい視線を送ることくらいだ。むろん、デジタル・ゾンビがそんな視線にも気づくわけがない。
 まあせいぜい、マンホールに落ちたり車にひかれたりして、本物のゾンビにならないよう、気をつけてもらいたいものだ。
 取ってつけたような結びになったが、自分が医師であったことを思い出して、取ってつけたのだ。

2016.1.17, T.E@Kobe

 
初ランニング

 今年の元旦、気がつくと家の者がみんな外出してしまい、一人取り残されていた。仕方がないので、走ることにした。私にとって、もっとも安上がりな暇つぶしの手段である。性懲りもなく3月のフルマラソンを申し込んでしまったので、そろそろ距離に慣れる必要もあり、20キロコースを走ることにした。灘の酒蔵一帯を通り抜けるルートだ。
 私のような底辺ランナーが長距離を走るコツはただひとつ、これ以上遅く走るのは苦痛、もはや限界といえるほどゆっくり走ることである。人から見ると歩いているのか、走っているのか、分からないほどにトボトボと走るのである。これが守れなくて前半飛ばしすぎ、途中で力尽きる失敗を何度繰り返したことか。
 フルマラソン完走を目指す人には参考にしてほしい。ただし、日本代表を目指す人が参考にするのはやめてほしい。

 しかしながら、ゆっくり走るのは意外に難しい。どうせ走るなら、すれ違う人が振り返るほど美しく、さっそうと走りたいのが人間の心理である。不格好を承知でゆっくり走るには、かなりの忍耐力を要する。ポイントは気持ちの持ち方である。走る喜びを捨て、いやいや走っている雰囲気にひたりきって走るのだ。一体何のために走るのか、自分でもわからなくなってくる。
 そうやってトボトボと走っていると、おもちゃの電車に乗った3歳くらいの男の子が話しかけてきたことがある。「何しとん?」(神戸弁)
 この子から見ると、この中年男が走っているのか、クラゲ踊りをしているのか、宇宙遊泳をしているのか、それすら判別できなかったのだ。私は自分の修行が一つの到達点に達したと思ったものだ。

 だが上には上があるものだ。元旦のジョギングで、私はいつもの老人とすれ違った。ジョギングするとよく出会う近所の老人で、あきらかに脳梗塞によると思われる左半身麻痺を抱えつつ、右足と右手にもつ杖だけでにじり寄るように進んでいる。左足はまったく動かないから、おそろしく遅い。たぶん、1メートル進むのに10秒くらいかかっているだろう。だがこれは仕方なく歩いているのではない。私が1時間から2時間後に帰ってくると、たいがいまたこの老人とすれ違うのである。しかも、その進行方向は同じこともあれば、反対のこともある。この人は間違いなく、自分の持つ障害を乗り越えるために、何時間もかけて同じ所を行ったり来たりしているのだ。
 これはもう、リハビリでもスポーツでもなく、まして私のジョギングのような暇つぶしでもなく、格闘技に近い。ここまでゆっくり進み続ける根気は私にはない。遅く走る能力という点では、自分はマラソンの日本代表選手にも負けないと思ってきたが、この老人には完敗だ。
 新年早々敗北感を味わいながら、2時間以上かけて家に戻ったが、まだ誰も帰ってきていなかった。

2016.1.9, T.E@Kobe

 

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