麻酔について解説します

メインコンテンツのむだ話

同業者向け。たいした技はありません

昔の麻酔や医療を振り返る

仕事用に作った文書など
Dr Nekomata へのメール

注) サイト内検索後、ページ内検索をしてたどり着いてください。

2016〜2017年分はこちら
2014〜2015年分はこちら
2012〜2013年分はこちら
2010〜2011年分はこちら
2009年分はこちら

二度見の掲示物

 人間(じんかん)、至るところ掲示物あり。これらをいちいち読んでいては、街を歩けないわけであるが、中にときどき、二度見してしまうものもある。つまり、何気なく通りすぎようとして、アレ、今何か変なものを見たぞ、と振り返り、その正体を知るというアレである。ちらほらと撮ってきたものを、ちらほらと貼っていく。


私のふるさと呉市のハローワークである。ひらがなを使うことにより、直訳すると「こんにちは、仕事くれ!」という魂の叫びとなった。


卓球の練習場の張り紙。こぼさなければ飲んでもいいヨと、書くのが悔しかったのか。


「頭痛が痛い」などと同じく同語反復になっているが、これを書いた人は言葉で遊んでいる風でもなく、「利用者でもないのに利用しやがって」という、論理的にやや混乱した怒りのようなものがほの見えて、ちょっと怖い。


地下鉄のトイレに、これが何年間もずっと貼ってある。


煽り言葉の基本中の基本。前を通るたびに、指がムズムズする。


布引あたりからの六甲山系登山道。「神戸ヒヨコ会館跡 1932-1938」とある。周囲に養鶏場を建てる余地などなく、ミステリーゾーンに迷い込んだ気分。太平洋戦争前夜の秘密基地か何かかと思い、ネットで調べてみると、戦前から神戸にはヒヨコ登山会というのがあるそうで、その関連の小屋がこの辺にあったのか。


昭和65年4月オープンと書いてある。存在しない日付けの、聞いたことのない施設。パラレルワールドか何かか。

 このような、論理と時空を超越した掲示物が、我々の目の前に忽然と出現するのである。「八十日間世界一周」(ジュール・ベルヌ)の主人公は世界一周して美しい妻を得たが、生活圏をを歩くだけでも、これくらいのものは見つかるのであった。

2018.7.18

 
主食

 私はサツマイモを毎日のように食べているが、意外に飽きないものである。飽きることを恐れる気持ちは、イモを「おかず」と見なすところから始まる。イモは「主食」だと信じれば、飽きないということに何の不思議もない。
 主食ともなれば、いつも同じ味じゃないか、とか、いつもの味と違うじゃないか、とか言ってはいられない。それを食べ続けられないと、生命が危うい。したがって、主食であればそれをしみじみと味わう心を捨て、さっさと呑み込んでしまうというのが、自然な態度ではなかろうか。(個人の感想です。)
 サツマイモにもいろいろ品種があるし、産地によっても味が多少違うが、私はこだわらない。強いて言えば、おいしすぎないほうがいいように思う。

 本物の主食であるコメもまた同じで、農家の方には申しわけないが、私にはコメの味の違いがわからない。新米だからどうとか、コシヒカリがどうとか、何の話かわからない。

 だが近年、この主食の地位が脅かされている。糖質制限ダイエット勢力の勃興のせいである。
 私はこの「糖質制限」については無知なのだが、肥満気味だった兄が数年来、熱心にこれをやっているので、ちょっと教えてもらった。要するに、炭水化物をなるべく取らないようにすればよいらしい。つまり、肉や野菜などのおかずだけで食事を済ませてしまうということである。
 物足りないのでは、と聞くと、慣れてしまえば何でもないという。ご飯も全く食べないところまでやる必要はないし、「おやつなんかも、ちょっとぐらいなら食べてもええんよ。」と、依然として大きなおなかをさすりながら教えてくれた。
 おかずだけで生きていける、いやむしろそれが真実の食事法なのだとしたら、「主食」とは何だったのか、ということになる。日本人はやっぱりごはんを食べないと力が出ない、とよく言われるが、われわれは洗脳されていたのか。

 瑞穂の国と言われ、150年前まで税や給料がコメで支払われていたこの日本で、こんなことになろうとは。そのうち、コメはおかずになるのだろうか。こっそりご飯を食べていたら、お母さんに見つかり、あんた昨日もご飯食べてたじゃないの、イヤねこの子は、偏食かしら、などと言われる日が来るのだろうか。
 コメ族の巻き返しに期待したい。個人的には、イモでもいいけど。

2018.7.15

 
サツマイモ

 サツマイモの時代が来たかもしれない。
 焼き芋を売っているスーパーが増えてきたし、NHKの大河ドラマでも、西郷どんがサツマイモを食べている。ちなみに私も、週に3日は昼食にサツマイモである。

 私はこれまで、昼食はカップ麺!というのを日課にしてきたが、今年初めに血圧が140mmHg を超えたのを機に、これをやめた。塩分制限で本当に血圧が下がるのか、一種の人体実験である。それ以来、カップ麺は一度も食べていない。
 代わりに何を食べるかについては、多少の試行錯誤があったが、とりあえず今、サツマイモにたどり着いたところである。そのヒントは、かつて日本の最長寿県だった沖縄にあった。
 沖縄ではあまり米が作られておらず、昔からサツマイモ、マメが主食であったらしい。それが、沖縄のおじいさん、おばあさんが長生きする理由だったと言う。戦後、沖縄の若者の食生活がアメリカの影響を受けた結果、寿命が劇的に下がってしまったのが、その残念な裏付けになる。(もちろん、沖縄の長寿はイモの効果だ、と証明するものではない。)

 私は仕事の合間、焼き芋を一本食べる。それだけで昼食として十分だが、タンパク補給に、ゆで卵などをつけることもある。それでも、急げば10分で食べられるから、次の手術出しまで時間がなくても、何とかなる。
 塩分はほぼゼロ、食物繊維はたっぷり、腹持ちがよく、夕方までおやつがいらない。気になるのはカロリーだが、菓子パンを2個食べるよりイモ一つのほうが、カロリーはずっと少ない計算である。そして安い。麻酔科医にとって、理想的な昼食ではないかと思う。
 栄養のバランスは大丈夫なのか、という懸念もあるが、バランスは朝食と夕食でまかなっていくと割り切り、麻酔中に空腹で動けなくなる事態を避けるための昼食であるということにすれば、麻酔科医はイモでよかろうと思う。

 私は現在、かろうじて高血圧の一歩手前で踏みとどまっているが、イモがどれくらい効いているかはわからない。全般的に薄味をこころがけているからかもしれないし、汗をかく季節になったからかもしれないし、単に心臓が弱っているだけかもしれない。
 昼になると、私は周囲の人に見せびらかしながらイモを食べ、「もうイモしかありえない」とか何とか力説しているが、誰もうらやましそうな表情は見せてくれない。

 
  お弁当作りを担当している方々、明日からこれでどうでしょう

2018.7.1

 
アフリカの人

 現在、サッカーのワールドカップ、ロシア大会が盛り上がっている。特に、予選で日本と戦ったアフリカのセネガルは印象深かった。私はアフリカに行ったことがないし、セネガルがアフリカのどのあたりにあるかも知らないが、割とクリーンな試合態度(かつてのカメルーンはひどかった)、しびれるほどかっこいいアリウ・シセ監督、楽しそうなサポーターの映像を通じて、セネガルをごく身近に感じたのであった。やはり、サッカーは世界の言葉だと思う。

 サッカーでアフリカ勢と対戦する時、日本人はすぐに、「身体能力」という言葉を使って相手戦力をまとめてしまう。ジャンプ力、俊敏性などに優れると言いたいのだろうが、黒人だからそういう能力が高いと考えるのは短絡的過ぎる。また、思考力や組織力より体力で勝負してくる人たちだ、と言うニュアンスも漂ってきて、それも失礼な話である。
 これは、自分がアフリカ人を、みな同じ「黒人」というジャンルでくくって見てしまっているのだということを、自白しているようなものだ。一種の偏見である。当たり前だが、アフリカ人はみな同じでもなく、似たようなものでもない。

 何の本で読んだか忘れたが、アフリカ人の遺伝子多様性はアフリカ以外の全人類の多様性を合わせたよりも大きいらしい。言うまでもなくアフリカは現生人類発祥の地であるが、白人も黄色人種も、アフリカを旅立った一部のホモ・サピエンスの末裔にすぎないからである。アフリカにとどまった大多数の遺伝子は、驚くべき多様性を保ちつつ、いまだアフリカに温存されているのである。

 これは何を意味するかというと、人類の次の進化も、まず間違いなく、アフリカで起きるだろうということである。たとえば、気候変動とか、世界規模の核汚染、プラスチックによる海洋汚染などが人類の生存を脅かした場合、それを乗り越える資質を持った新しい人類が生まれるとしたら、多様性に富む遺伝子のゆりかごであるアフリカ以外からとは考えにくいのである。
 思い起こせば、人類の進化はつねに、アフリカで起こってきた。私が生まれる前のことだから、見てきたわけではないが、数百万年前のこと、ホモ・エレクトゥスという人類がアフリカで成功して世界に拡がった。ところが、彼らはそこで行き止まりだった。人類の最新モデルであるホモ・サピエンスは、もう一度アフリカの中から生まれ直し、ホモ・エレクトゥスを駆逐しながら再び世界に拡散したのである。

 このことを考えると、アフリカの人を「黒人」とか「身体能力」でまとめている場合ではないことがわかる。彼らはまず、スポーツの分野で頭角を現しつつあるが、そこにはとどまらないだろう。人類の未来はアフリカにかかっている。
 私自身、正直言って、アフリカの人がみな同じように見えてしまうが、とにかく、よろしく頼みます、という気持ちである。

2018.6.27

 
スズメからの逃走

 最近では、鳥は恐竜の子孫ということになっているが、とてもそうとは思えないほど用心深い生き物である。落ち着きなくキョロキョロしているクセに、一定の距離以内に人が近づくと、必ず逃げる。私は今まで、何人かの学校の先生が、「先生はな、頭の後ろにも目がついているんだぞ」と告白されるのを聞いたことがあるが、鳥もあれと同じものを持っているのだろう。(公園の鳩を除く。)この禁断の間合いをたぶん、「逃避距離」というのだと思うが、スズメは特にこの逃避距離が長いように思う。測ったわけではないが、2〜3メートルくらいではなかろうか。
 ところがこのスズメの逃避距離が、ここ2,3年でぐっと短くなってきたような気がする。スズメが私の鼻先をかすめて、意外なほど近くに降り立ったり、こちらから近づいて行っても、1メートルくらいまでは逃げなかったりすることがある。以前はこんなことはなかった。
 スズメの世界に何かが起こったのだろうか。あるいは鬼界カルデラの破局噴火や地磁気の逆転など、何かの天変地異の前兆だろうか。世界の危機を救うため、私は調査に乗り出すことにした。
 私は職場の人たちに、スズメの接近現象について聞いて回った。しかし驚いたことに、ほとんどの人が、「へえ、そうですかね」という反応しか示さなかった。唯一同意してくれたのは、私より年長のベテラン麻酔科医だけだった。

 はてな。もしかしたら、スズメが近づいてきたのは、あちらに理由があるのではなく、こちらの問題だったのか。つまり、動物のほんらい持つ「殺気」あるいは「生気」のようなものが、加齢により私(と、失礼ながらそのベテラン先生)から失われてきているのか。
 確かに私は、「『当院麻酔科のアメとムチ』のアメのほう」などと称されることがあるが、外科医や研修医からなめられているだけかと思ったら、こうしてスズメにまでなめられていたとは、望外の喜びである。
 ただ心配なのは、このまま逃避距離がどんどん縮まって、ゼロになった時、何が起こるかということだ。すなわちついに、スズメが私の肩に乗ったとすれば、それはスズメがが私のことを、石や木と大して違わないものだと判断しているということだろう。これは喜んでいていいこととは思えない。
 世界の危機かと思ったら、私の危機だった。今後、これ以上スズメが近づいて来るようであれば、私はあわてて逃げなくてはならない。

 
  公園のスズメは、さらに近い

2018.6.24

 
よい外科医とは

 「よい外科医とは何か、定義せよ」と、私は外科系を志望する研修医には問うようにしている。研修医のうちに、外から見たよい外科医のイメージを持ってほしいと思うからだ。一度外科医になってしまうと、その視点は内側に固定されてしまい、われわれ手術を支える側とは違ってきてしまうだろうと思う。

 ある研修医は、「やさしい人」と答えたが、ちょっと甘い。やさしくていい人だけど、手術はいまいち、という外科医をたくさん見てきた私としては、同意はできない。もちろん、手術がいまいちで、性格も悪い外科医より、はるかにましではあるが。

 またある研修医は、「人に迷惑をかけない外科医」と答えたが、これはまた変わった答えだ。どうしてそう思うのかと聞いたところ、「麻酔科研修中にいろんな外科医見てて、そう思った」とのこと。それを聞いたうえで回答を吟味すると、なるほどと思う。たしかに、手術室看護師や麻酔科医、そしてもちろん患者さんに迷惑をかけないで手術するというのは、いい外科医にしかできないことだ。

 私自身は、手術が速いのがいい外科医、と思っている。手術に時間がかかると、患者さんのからだに負担がかかる。看護師や麻酔科医にも負担がかかる。手術の速い人はそれを理解したうえで、高い技術力でそれを実現する。当然、手術成績もよい。よい外科医を一言で表現するなら、これに限る、と思ってきた。

 私が満を持して、研修医に自説を開陳しようとしたその時、ある中堅手術室看護師が乱入してきた。彼女によると、よい外科医とは一言で言うと、「人のせいにしない外科医」なのだそうだ。意表を突かれたが、次の瞬間、たしかにそうかも、と思った。
 どんな小さな手術でも、順風満帆、まったくトラブルなしで終了するなんてことは、まずない。腹膜が癒着していて手術が進まないとか、器械が不調で術者の好みの電気メスが使えないとか、助手が力持ちすぎて、縫合の糸を結ぶときにブチブチ切ってしまうとか。そういう、うまくことが運ばない時に、イライラして人のせいにするのは、間違いなく大したことのない外科医である。力量のある外科医なら、天災、人災、原因にかかわらず何が起こっても、涼しい顔で冷静に対応する。
 「人のせいにしない」とは、外科医のイライラ光線を浴びやすい看護師ならではの切り口だった。

 それでは、「よい麻酔科医」とは何か。本人たちはそれなりのイメージを持って仕事しているわけであるが、残念ながらそろそろ字数制限にかかるので、ここでは書 (終了)

2018.6.17

 
無慈悲な反論

 どうも私は、麻酔科部長として威厳がなさすぎるらしい。研修医に熱血指導してみても、しばしば簡単に反論される。しかもそれは、私に言い返すことを許さない、取りつく島もない反論である。たとえば、次のようなものである

 よし、気管チューブをこれだけしっかり固定したら、ゴジラが引っぱっても抜けへんな。
 いや、ゴジラが引っぱったら抜けると思います。
 だよね。

 救急外来で気管挿管したら胸部レントゲン写真撮るの、常識でしょ。日本国憲法にも書いてあるよね。
 いえ、憲法にはそんなこと、書いてありません。
 あれ、隅っこの目立たないところに書いてなかったっけ。
 いいえ、隅っこの目立たないところにも、書いてありません。
 そうかいな。

 耳鼻科の鼻内視鏡の手術、自分でもやってみたいと思わへんか。鼻の中の粘膜をこりこりはがしていくの、おもしろそうやん。
 そうですか?ぼくはそうは思いません。
 あっ、そ。

 麻酔器の構造はかくかくしかじかで、(10分くらい説明)。
 あー、でも、車の構造を知らなくても運転はできますし。
 もうええわ。

 家に帰っても、同じようなものだ。

 もうちょっと言い方というもんはないんか。そんなことばっかり言ってると、浮気するかもよ。ええんやな。
 どうぞどうぞ、いいのよ、浮気しても。あんたなんかを相手にしてくれる人がいれば、の話だけどね。ハッ!
 ぎゃふん。

 偶然かもしれないが私は、父親としても威厳がない。息子が小学生のころ、私の指導に対して言い返してきた。

 なあなあ、このままじゃ、わしの嫁はんが風邪ひいてしまうわ。そこの毛布掛けたってくれへんか。
 またまた~。(にやにやしながら)父ちゃんはもう、母ちゃんのこと、好きでも何でもないくせに~。
 うっ!

 小学生にまで反論され、言葉も出なかった。それにしても、こいつは一体、誰に似たものか。

2018.6.10

 
明治・大正、麻酔の旅、その4

 「昔の手術」と聞いて私がまず連想するのは、昭和前半の脊椎麻酔である。戦前から戦後しばらくにかけて、薬剤、物資が圧倒的に不足していたため、虫垂炎はもちろん、胃切除でも何でも、脊椎麻酔でやっていたと聞く。局所麻酔薬1本でできるからだ。胃切除となると、脊椎麻酔ではカバーしきれないから、痛かったはずだ。痛くても、無理やり続けるのである。そのようなことを、昔手術を受けたという古い患者さんから何度も聞かされた。
 現在ならこういうとき、全身麻酔に切り替えたり、せめて点滴から鎮痛剤を投与したりするが、昔は何せ、モノがない。麻酔科の先輩によると、こういうときに追加するのは「拳骨麻酔」なるものだったという。患者さんが悲鳴を上げると頭をごつんとやって、これぐらいで痛いと言うな、と怒鳴るのだとか。手術の痛みを別の痛みで制御する、といえば聞こえはいいが、患者さんにとってはただの「泣き面に蜂」ではなかったろうか。

 もっとさかのぼって明治の手術となると、さすがに実体験を聞かせてもらったことはないが、話を読んだりはする。とくに印象深いのが、まだ文明の恵みを享受することに慣れていない患者が、麻酔を断るという逸話の数々である。
 たとえば寺田寅彦(てらだ・とらひこ)の随筆に出てくる60歳代女性。舌癌の切除のために麻酔しようとすると、「そんなものはいらない」と言って聞かなかったとのこと。とうとう無麻酔で舌を切除したが、まったく平気で、苦痛の顔色を示さなかったそうである。(「追憶の医師たち」、青空文庫より)

 どうも昔の時代は、ハラキリとか、折檻とか、痛い話に満ち満ちているような気がしてならないのだが、昔の人は痛いのが平気だったのだろうか。いや、まさかとは思うが、痛いのが好きだったのか。実際、昔の手術室はどんな様子だったのだろうか。
 昔の人が麻酔について触れたものを読むと、麻酔をミステリーもののネタなどとして面白半分に扱っているものも多いが、実体験に基づくと思われる、患者視点のものもある。ふたたび、ゆるゆると見ていく。

 「出家とその弟子」という戯曲で有名な倉田百三(くらた・ひゃくぞう)の手紙に、自分が痔の手術を受けた時の話が書いてある。
 「二度目のはこの病院で、全身麻痺の恐るべき手術でした。私は今もなおあの手術の時真裸かで、手術台の上に寝かされて、コロロホルムを嗅がされて意識を失ふ時の、恐るべき嫌悪すべき心持を忘れることができません。」(青春の息の痕、大正3年)
 残念ながら、よほどおいやだったようだ。ただその描写のしかたが、自身の書いた戯曲と同じく、ジクジクと悩み多き青年ぶりである。しかし「全身麻痺」ですか…

 素木(しらき)しづという作家の「青白き夢」(大正4年)という小説は、もうちょっと詳しい。著者自身が17歳の時に、結核性関節炎との診断で右下肢の切断術を受けているから、そのときのことをそのまま書いているのであろう。明治45年当時の麻酔の様子が伺われる。
 「誰か、お葉(よう)の枕の方に来た。そして何か鼻のあたりに置かれたと思った時に、はっきりと声がきこえた。
 『魔薬ですから、静かにしてらっしゃい。』
 急に、変な香がした。そして静かにしようとあせればあせる程、息がせはしく苦しくなって行く。そして何か知らないものが、ゴクンゴクンと咽喉のどの中に入って行った。(中略)
 彼女の身体は、その中に十重、二十重(とへ、はたへ)にしばられて、恐るべき速力で何千里と飛んだけれども、その行く先はわからなくなった。すべてが無になった。お葉の意識はすっかり魔睡してしまった。」
 これだけ生々しく麻酔体験を表現した文章は、これまで見たことがない。それがなんとも、苦痛に満ちた体験である。そして字が、「魔薬」、「魔睡」である。だが、17歳にして下腿を失う少女の心情を思えば、また彼女自身が結局、結核のために23歳でこの世を去ったことを考えると、こんなイヤな「魔睡」なんかかけて、どうもすみません、としか言えない。

 だんだん気が滅入ってきたので、最後は景気がいいのを書き写しておこう。日露戦争の旅順港閉塞作戦で、部下を助けようとしたために戦死し、軍神になってしまった広瀬武夫(ひろせ・たけお)中佐の若い頃の逸話である。(剣影散史(読み方不明)著、軍神廣瀬中佐壮烈談、明治37年。国立国会図書館デジタルコレクション。私の趣味で、明治の香り高い旧字、歴史的仮名遣いのまま引用する。)
 「中佐が海軍大學に入學して居た頃、脚部を負傷した事がある、ところがその傷は却々(なかなか)素情(すじやう)が惡いから切開せねばならぬと云ふので魔睡剤を用ゐて手術にかゝる事となつた、スルト中佐は昏睡しながら大きな聲(こゑ)で「打てツ」「進め!」と野砲操練の號令(がうれい)をかけ續(つづ)けて居たので手術を了(おは)つてから醫員(いいん)も看護兵もその元氣に驚いたといふ話だ。」
 柔道の猛者(もさ)にして、後に軍神となる広瀬中佐といえども痛みと無駄に戦うのではなく、ちゃんと「魔睡」(もはや慣れてきたな)を受けていたというのだから、これはいい話である。しかも何だか、愉快そうだ。ただ、全体的に「壮烈」すぎて、ちょっと嘘っぽい。

2018.6.2

 
自然淘汰

 ふたたび、弱者の生き方を考える。
 あまりにも昔のことで思い出せないのだが、中学の頃の私が学校で進化について学んだ時、「自然淘汰」という言葉の不気味さに、戸惑いを覚えなかったはずはないと思う。「淘汰」という言葉は聞いたことがなく、意味がよくわからないが、何か悪い意味に違いない。その証拠に理科の先生は、こんなことを言う。
 「お前らも、ちゃんと勉強しないと、社会で淘汰されるよ。それが自然界の掟だ。」
 ちょうど工場のラインで、不良品が弾き飛ばされるように、生存競争から落伍した弱者もゴミ箱に放り込まれる、それが淘汰か・・・。これでは、まだ社会の荒波とやらを知らない中学高校の生徒たちはびびるはずだ。
 国語の授業も、不安をあおったかもしれない。弱肉強食!優勝劣敗!適者生存!この世には恐ろしい四字熟語がたくさんあるのだ。

 ところが、ダーウィンはもう少し優しかった。彼が「種の起源」で使った言葉は "Natural selection" なのである。最近では自然淘汰ではなく、自然選択と訳されることのほうが多い。要は、環境によりよく適応したものが、より多く子孫を残せるという話であって、弱い個体や集団がただちに物理的に排除されるわけではない。一体誰が、「淘汰」などという殺伐とした言葉を当てたのだろう。誤解か、はたまた陰謀か。
 もちろん、「弱肉強食」、「優勝劣敗」という言葉も概念も、「種の起源」の中にはない(はず。まだ読んだことがない)。
 学校の授業であれだけ不安にさせられた生徒たちは、その数十年後、数々の致命的な弱点をかかえたまま、まだ生きている自分を発見するわけである。ダーウィンは正しかった。もともと、何百世代に渡る現象である進化の用語を、個体の生き方に適用するのが間違いのもとなのであるが。

 NHKの「人類誕生」という、人類史に関する科学番組を見ていると、「弱さからの逆転」という言葉が何度も語られていた。頑丈型アウストラロピテクス、ネアンデルタール人など、人類史上肉体的に優位な種はいくらでもあったのに、なぜかその都度、ひ弱な方のホモ・サピエンスの系譜が綿綿と生き延びてきた。これは、からだの弱さを、石器の発明やコミュニケーション能力で補ったからである、かっこよく言えば、「弱さを武器に変えた」のだ、というストーリーである。
 どうしてこういうまとめ方になるかというと、たぶん、そのほうがテレビ的には面白いからである。ちょっと古いが、舞の海のような小兵力士が、大きな力士を倒す場面を、視聴者はもっとも喜ぶものである。だが現実には、「弱いからこそ勝てました」などというできすぎた逆説は、なかなか発生しないのではないか。
 たぶん、われわれの先祖は運がよかったのだ。何か手柄があったとすれば、「弱いけど死なない」を実践したことであろう。

2018.5.27

 
ドラッカー

 数年前、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本がベストセラーになり、ドラッカーという経営学者がもてはやされたことがある。もし麻酔科医がドラッカーを読んだら、今頃私の病院は甲子園で優勝していたかもしれないが、私は高校野球には興味がないから読まなかった。ただ、その「名言」とやらがちらちら目に入ってくる。ぎょっとさせられたのが、次の言葉である。
  「何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。」
 自分が叱られているような気がした。

 私なりにドラッカーを解釈すれば、次のような優しい言葉はまるで幻想に過ぎない。
 「うちの病院はこれと言って特徴はないけど、ほんわかして働きやすいところです。みんな来て見てください。」
 「あなたはこれといって、取りえはないけど、そんな平凡なところが好き。」
 「働かないアリにも、何か存在意義がある。」
 「弱くても勝てます。」(そういうドラマがあったような。)

 ほんわかしているだけじゃダメだ、何か取りえを持ちなさい、とドラッカーは言いたいのであろう。しかし、「弱いものは死ね」と言われたようで、私はショックを受ける側である。何かこう、力への信奉みたいな、アメリカ的と言えばアメリカ的な思想ではなかろうか。
 上昇志向をあえて封印した弱者に、チャンスというものはないのか。

 しかし考えてみれば、地球上には私以外にも、何の取りえもなさそうな生き物が存在する。たとえば、ナメクジとかカピバラとかナマケモノとか、彼らは一体何なのか。攻撃力も防御力もなさそうだし、深海とか火山の中とか、極端な環境の中で耐え抜いているわけでもない。 現実の世界では、あのような動物が自然淘汰の魔刃をかいくぐり、ぬくぬくと生き残っているではないか。
 経営学と進化論をごちゃまぜにすると、弱者のチャンスが見えてきた。
 「弱いけどなぜかしぶとくて、なかなか死なない。」できることなら、この線でやって行きたいものである。

2018.5.22

 
リュックサック

 リュックサックを背負って街を歩く人が、明らかに増えている。小学生のランドセルは昔からの日本の文化だが、今や学生も社会人もお母さんも、ついでに私も、荷物を背に負っている。中にはスーツにリュックという出で立ちの人もいる。昔だったら石を投げられていたはずだが(昔はそんな人はいなかったので、勝手なことを言っている)、見慣れてしまえば何の違和感もない。
 カバンやバッグを持つことをいやがるとは、横着な者どもだ、と眉をひそめる人もいるかもしれないが、それは当たらないのではないか。背負う人たちは、なるべく乗り物に頼らず、歩く楽しみを味わいたいと考えているのだと思う。

 そもそもどう考えても、荷物を手に持つというスタイルは長距離の歩行に適していない。腕が疲れて仕方がないのだ。
 荷物を持って歩くということは、単にそれを地上数十センチメートルの高さで水平移動させているだけであり、純粋力学的には全くエネルギーを要さないはずである。腕に余計な力が必要なのは、歩行運動でからだが上下に動くからだろう。だとすれば、腰が完全水平移動する方式、たとえば泥棒の「抜き足差し足」とか能楽師のような動きがいいのかもしれない。そこで私は、たわむれに水平歩きしたのだが、つらさに泣きて、三歩あゆまず、という石川啄木状態となった。
 もちろん、からだの上下動に合わせて荷物を上げ下げし、荷物だけが水平移動する方式にも挑戦したが、もっと疲れただけだった。

 前回私は、二足歩行運搬起源説を紹介した。家族に食糧を持ち帰るためにサルが立ち上がり、手を空けたのが人類の始まりという説である。だがもしそれが正しいのなら、人間はもう少し合理的で、エネルギー効率の良い運搬システムを持っていそうなものである。実際、歩くのが楽しいという人はいるにしても、荷物を持ったほうがもっと楽しいという人は、まずいないだろう。
 手は、運搬装置としては進化しきれなかったのだ。その理由は明らかだ。苦労して獲物を持って帰ったところ、家族には意外に喜ばれなかった、むしろ、「隣のお父さん、もっとたくさん、そしてイケメン」と比較された。そのトラウマが数百万年積み重なった結果が、これなのだ。

 リュックサックは人類にとって、石器に匹敵するほどの、偉大な発明であった。念願叶い、手は自由になった。その運搬能力はますます退化するだろう。その手でスマホをイジって歩く者がいるが、やめてほしい。邪魔だし、次の人類への進化を妨げる行為だ。
 歩く時、手は空っぽがいい。同じく二足歩行する生き物、ゴジラが日本に上陸する時、手に荷物を持っていたら、さぞカッコ悪いだろう。

2018.5.13

 
人類誕生

 現在NHKで、「人類誕生」というドキュメンタリーが放送されている。人類史好きは見逃せない。第1部がすでに放送されたが、まだ再放送があるし、第2、第3部はこれからだ。
 テレビの科学番組は、まだ確定していない新しい学説を断定的に語ることがあるので、第1部「こうしてヒトが生まれた」も、私は半信半疑の構えで見た。ただ、私たちのご先祖様が実にリアルなCGで動いているのには、目を見張らされた。
 どこから見てもただの毛むくじゃらのサルが、腰を伸ばして直立二足歩行をしている。実写と区別のつかない映像でそういうのを見ると、奇妙で新鮮な感覚だ。
 もう少し後の時代、サルかヒトかわからないのが肉食獣に襲われて無力に引きずられていく。足が遅くて、力が弱いのだ。そのくせ、背だけ無駄に高くて、見つかりやすいのだ。ああ、ご先祖様がやられてしまう、と脇汗がにじむ。ここまでリアルな映像は、たぶんテレビ史上はじめてだろう。これだけでも見る価値があると思う。

 内容で気になったのは、サルがなぜ立って歩いたのか、である。以前私がここで紹介した二足歩行の最大の利点は、移動に要するエネルギーが小さいということであった。これは、走るのが好きな進化人類学者、リーバーマン氏(この番組でも走っていたが、ちょっとサルっぽいフォームだった)の本からの受け売りである。
 一方番組のほうでは、手で食べ物を運べるようになったのが利点だったと言っている。映像では、食べ物を両手に抱えたオスが、自分の妻と子のところに持って帰るシーンが出てくる。夫のおみやげに手を伸ばす妻の表情が冷ややかで、たったそれだけかと言いたげなところが、胸を打つ。やはり昔からこうだったのか。

 調べてみると、どうやらやはり、「二足歩行=食糧運搬」説はあるらしい(注)。人類はきわめて早期から、サル界にはめずらしく一夫一妻制をとっており、家族を養うために手で食糧を運んだと考えられているようだ。運搬説、省エネ説、どちらが正しいのかはまだわからないが、安定したつがいを作る習性については、メス争奪戦に使う犬歯がすぐに小さくなったことから、確かなようだ。
 大変なことになった。結婚とか互いの貞操というものが、社会の仕組みとか文化とかではなく、人類誕生の原点だというのだから。
 私は、自分が長年パートナーを取り替えたり増やしたりしていないのは、面倒だからではなく、ケチだからでもなく、まして魅力がないからでもなく、生物として当然のことをしたまでだったと確認できた。やはり人類史は役に立つ。

注) 更科功(さらしな・いさお)著、絶滅の人類史。NHK出版新書。

2018.5.6

 
明治・大正、麻酔の旅、李鴻章編

 明治28年3月、日清戦争の大勢が決し、李鴻章(り・こうしょう)が講和交渉のため、清国全権大使として来日した。ところが、幕末桜田門外の変から昭和の二・二六事件に至るまで、日本はテロ大国である。李鴻章も日本人の暴漢に狙撃され、頭部に重傷を負った。
 このとき、日本側の医師団として治療に当たったのが、陸軍軍医監、佐藤進(さとう・すすむ)と陸軍軍医総監、石黒忠悳(いしぐろ・ただのり)である。石黒の回想録(注1)によると、銃弾は頭蓋骨を貫通せず、顔面の皮下のどこかにとどまっているが、どうしても探り当てることができない。佐藤は全身麻酔での摘出を主張したが、石黒が思いとどまらせたという。クロロホルムによる麻酔で、李鴻章の身に万一のことがあれば、日本の面目がつぶれ、講和交渉が不利になるという、政治的な判断である。
 「君は純外科家としてその説を主張せらるるは勿論なるも、余は衛生長官として、貴君の意を曲げても麻酔薬の使用を止むるものである」と、佐藤を説き伏せたのだそうだ。
 結果的に、皮下に放置された弾丸は何ら合併症を起こすことなく、講和条約は無事締結された。

 それでは当時の手術の現場で、クロロホルム麻酔はどれほど危険だったのか。明治30年の外科学の教科書を見ると、海外の統計値を紹介している(注2)。例えばドイツからの報告では、クロロホルムによる麻酔死は、2,900件につき1例、エーテルによる麻酔死は6,000件につき1例とされている。イギリスのデータも、同じようなものだ。
 もちろんこれは、現在よりはるかに悪い数字であるが、人工呼吸回路も、酸素投与も、心電図モニターもない時代にしてこの数字というのは、意外である。もう一桁くらい悪いだろうと、私は思っていた。
 ただ、当時の日本の医療水準、李鴻章の74歳という年齢、その肥満体から予見される気道と心臓のトラブルなどを考慮すると、やはりクロロホルム麻酔による死亡や合併症は、現実的なリスクであっただろう。賢明な選択だったと言わざるを得ない。

 佐藤進といえば、明治政府からのドイツ留学第一号で、当時日本の外科の第一人者である。爆弾テロに遭難した大隈重信(おおくま・しげのぶ)の右足も、この人が切った。その頭を押さえつけて、政治的成功を収めたわけだから、長年医療行政の道を歩んできた石黒の面目躍如というところだろう。
 ただしこの石黒の回想録、以前もとりあげたことがあるが、本のおもて表紙からうら表紙まで、すべて自慢話である。それはまあ、悠々自適の生活を送っている90歳の老人のところに信奉者がやってきて、昔のことを聞きたいというのだから、都合のよい話ばかりになるだろう。何しろ陸軍はこの戦争で、脚気(かっけ)のために多数の死者を出しているのに、明らかにその最大の責任者であった石黒は、本書では知らん顔なのである。
 李鴻章の麻酔回避の件は、細かすぎて普通の歴史書には書いてないようだ。これが本当に石黒の手柄だったのか、数十年かけて脳内補正を重ねた美しい思い出なのか、その辺は歴史のウヤムヤの中である。

 ともあれ麻酔はこのとき、施行されなかったことで歴史に貢献した。この皮肉な役回りが、いかにも麻酔らしくて、泣ける。

注1) 懐旧九十年(石黒忠悳、岩波文庫)
注2) 智児曼斯(チルマンス)氏外科総論(1897年、南江堂。国立国会図書館デジタルコレクションより)

2018.4.28

 
明治・大正、麻酔の旅、その2

 明治・大正の時代、麻酔は庶民にどう受け止められていたのか。これを掘り下げていくと、カオスはますます深まっていく。
 調べていて驚いたのは、明治、大正時代において、麻酔という言葉の意味や表記がひどくでたらめなことである。
 「麻酔」という言葉は、江戸時代末期に蘭学者がエーテルによる全身麻酔に対する訳語として作った新語である。歴史の浅い医学用語だから、誤用、転用の余地はあまりないはずなのだが、同じ立場である「神経」、「関節」と違って、麻酔はずいぶん雑な扱いを受けているのだ。

 青空文庫で明治・大正に書かれたものを読むと、麻酔という言葉は全身麻酔ではなく、鎮静剤、睡眠導入剤あるいは麻薬の作用の意味で使われていることが多い。
 たとえば正岡子規(まさおか・しき)の日記。
 「七時頃より再び眠る。からだ 労 ( つか ) れて心地よし。少量の麻酔剤を服したるが如し。 」
 などである。これは睡眠導入剤のことであろう。全身麻酔とはだいぶ違うものである。
 あるいは夏目漱石(なつめ・そうせき)が江戸時代について、「少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく…」などと述べているのは、鎮静剤的なもので頭がぼんやりしている、くらいの意味であろう。

 このように言葉の意味が拡大するようなことは、まあ、ありうるかなと思う。しかし「麻酔」をわざわざ「魔睡」などと書きかえるのは、感じが悪すぎないか。たとえば明治39年の帝国議会で、歯科医が全身麻酔を行うことの是非を論じた時の記録である。(注)
 「一々ひどいのは手術台の上に載せて魔睡剤を掛けてやる、外科医は手術台の脇に助手がおりますが、歯科医は一人でやることになる…」
 この時の議事録では、「麻酔」はすべて「魔睡」と表記されている。速記者が無知でこのような字を当てたのかもしれないが、議論の内容自体にも明らかにある種の悪意があり、それが速記者に伝染したのかもしれない。それにしても、天下の帝国議会で「魔睡」とは…

 さらにややこしいことに、明治時代、「魔睡」は催眠術をも意味した。たとえば「魔睡術」(明治20年)という本を国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができるが、これは、催眠術について紹介した本である。たとえば、動物の中で一番催眠術のかかりやすいのはカエルだ、などとよくわからないことが書いてある。
 何やら明治後半期、日本で催眠術が大流行したのだそうである。森鴎外(もり・おうがい)にその名も「魔睡」という小説があり、主人公の妻が怪しい博士に催眠術をかけられ、いたずらされたみたいだ、困ったな、という妙なお話である。
 催眠術はちゃんとした専門家がやればよいのだが、いかがわしい人がやればいかがわしくなるわけで、当時はこの小説にあるような事件も多発したようだ。そういうのを麻酔と一緒にされても困るのだが、同じ漢字を当てられてしまっては、当時の一般市民には区別のつけようがないではないか。

 かわいそうな麻酔!この近代医学の華は、探偵小説の小道具にされ、鎮静剤や麻薬や催眠術と一緒くたにされ、「魔睡」、「魔酔」、「魔剤」などと意地悪な字を当てられ、とにかくロクな扱いを受けてこなかった。
 誰か文句を言えよ、と言いたくなるが、当時は麻酔科医なるものは存在せず、したがってもちろん麻酔科学会もなかった。麻酔をかけるのは、外科医の助手であっただろう。麻酔の立場を守るものはいなかったのだ。
 こうなったら仕方がない。麻酔という言葉の混乱を逆手に取るしかない。現代の麻酔科医を一人つかまえて、「魔睡士」として明治の世に送り込み、ブラックジャックのようなダークヒーローとして活躍させるのだ。
 この魔睡士、明治の数々の事件の現場に蜃気楼のように登場し、当時の医療水準では想像もできなかった陽圧式人工呼吸、酸素の使用、輸液と輸血、神経ブロック、そしてなぜか催眠術を駆使して患者さんたちを助け、日本の危機をも救う。
 明治22年、不平等条約の改正に燃える大隈重信(おおくま・しげのぶ)が爆弾テロで重傷を負ったとき、右大腿切断の大手術を指揮して成功させたのもこの魔睡士であったし、明治24年、大津で警官に切りつけられたニコライ・ロシア皇太子を治療し、ついでに催眠術をかけて日本への報復を思いとどまらせたのもこの人だった。明治43年大吐血して死にかかった夏目漱石も、魔睡士の蘇生術がなかったら名作「こゝろ」を遺すことはなかっただろう。そして、法外な報酬を要求しては断られ、しょんぼりとして消えるのだ。
 どなたか麻酔科の先生、タイムトリップおねがいします。明治時代の日本で、暗躍してみませんか。

注) 明治39年3月24日、第22回帝国議会貴族院医師法案特別委員会議事速記録より、三宅秀(みやけ・ひいず)委員の質問。この貴重な情報は、「明治以降の麻酔と外科の歴史を考える」(http://www011.upp.so-net.ne.jp/konita/rekisi2.html)という、詠み人知らずなサイトからいただいた。議事録自体は、国立国会図書館のサイトで見ることができる。

2018.4.22

 
明治・大正、麻酔の旅

 全身麻酔の技術が日本に入ってきたのは江戸時代末期のことである。当時は顔に布付きのマスクをかぶせ、上からエーテルやクロロホルムを滴下して吸入させる方法が用いられた。現代の安全な麻酔には、気管挿管による人工呼吸がどうしても不可欠の技術であるが、これが日本に導入されたのは戦後のことであるから、それまではずいぶん危なっかしい、いやはっきり言えば危険な麻酔が行われていただろうと思われる。
 この間、麻酔は日本人にどのように評価されてきたのだろうか。
 ここにインターネットとかいう、便利なものがある。著作権の切れた古い本ならば、国立国会図書館デジタルコレクション、青空文庫(ボランティアによるインターネット図書館)などで自由に検索、閲覧ができる。これらを使ってゆるゆると見ていくことにしよう。

  
  軍陣外科学(明治32年、陸軍省)より、「エスマルヒ氏仮面状嗅用器」

 麻酔を扱った小説の中で、もっとも早い時代のものが、泉鏡花(いずみ・きょうか)の「外科室」(明治28年)である。
 「私はね、心に一つ秘密がある。痲酔剤(ねむりぐすり)は譫言(うはごと)を謂(い)ふと申すから、それが恐くってなりません。」
 というわけで、主人公の貴婦人は、自分に手術を行おうとする青年外科医への思いを、麻酔のせいでうっかり告白しないよう、麻酔なしでの手術を願う。さらにそれだけでは足らず、手術中に外科医のメスを奪って自分の胸を突いてしまう。
 何とも過激な話である。昭和、平成の人が、このヒロインに共感するのはちょっとむずかしいのではないか。
 昔、坂東玉三郎(ばんどう・たまさぶろう)氏がこれを映画化したが、見事にコケたような記憶がある。

 これによく似たフランスの小説があって、その名も「麻酔剤」(ルヴェル・モーリス著、田中早苗(たなか・さなえ)訳、日本では大正12年初出)である。青年医師が、道ならぬ恋の相手である人妻にクロロホルム麻酔をかけるのであるが、この人が寝ぼけて秘密をしゃべってしまいそうになるので、医師はおもわずクロロホルムを過量に垂らしてしまい、死に至らしめてしまうのである。
 どうも幻想小説家というものは、洋の東西を問わず、美女に麻酔をかけてみたくなるもののようである。

 ここで言っておくが、現代の麻酔では、麻酔薬を静脈投与してスッと眠ってもらうので、「うはごとを言ふ」ようなことはありません。秘密を告白する前に眠ってしまうのである。心に秘密を持つ方(しかいないと思うが)も、安心して「外科室(げくわしつ)」にお越しいただきたい。

 青空文庫で「麻酔」を検索した時、もっとも多く顔を出してくるのが、もう少しあとの時代の探偵小説家、小酒井不木(こざかい・ふぼく)である。たとえば「謎の咬傷」(大正14年)は、クロロホルムを染み込ませた布で被害者を襲ったのは誰か、というミステリーになっている。その後、昭和のテレビや映画では、ハンカチを使って人の気を失わせて誘拐するシーンがあふれかえったわけであるが、その走りではあるまいか。迷惑なことである。
 この小酒井氏にはほかにも、手術、麻酔にまつわる恐怖小説がいくつかあり、えらく医学に詳しいなと思ったら、東北帝国大学医学部の教授だったようだ。教授がこんなふうに、一般人の妄想を掻き立てるようなこと書いて、いいのだろうか。
 他にも、江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ)、夢野久作(ゆめの・きゅうさく)らの探偵、幻想小説の大家たちも、小説の中で麻酔を使っているようである。

 麻酔は、近代外科の出発点となった革命的技術であり、病を持つ人にとっても無痛の手術を実現してくれた、まさに福音であったはずだ。それなのに、ああそれなのに明治・大正の読み物を見る限り、庶民にとっては、麻酔は奇談や犯罪小説の小道具に過ぎなかったようである。
 ま、いいか。よく考えたら今でも同じようなものかもしれない。

2018.4.15

 
私の研究の研究

 十数年前まで、医学論文を作るのは今ほど大変ではなかった。
 臨床研究であれば、2,30例ほどの症例を集めて統計を取って、グループ間で何か意味ありげな差が出ればOKだった。
 基礎研究ならば、動物とか細胞とかを使い、麻酔薬でこんな反応が出た、くらいでまあよかった。

 時代は変わった。「根拠に基づく医学」が提唱され、大規模臨床研究が主流になった。倫理委員会に諮り、実際に治療を受ける患者さんを数百人あるいはそれ以上集め、それぞれの方から同意書をとりつけ、アブラ汗を流しながらデータを取り、その大量のデータをもとに複雑怪奇な統計処理を行わなければならない。

 これは、日本人研究者にはきわめて不利な状況と言える。このような研究は日本では、ほとんど遂行不可能だからである。
 まず、日本の医師は忙しすぎる。研究するのが仕事のはずの大学病院の医師でさえ、病院での診療でほとんど手一杯だ。研究に時間を割くためには、気の進まない仕事から逃げる才能、夜間や休日に研究にとりかかれる体力、家族から見放される覚悟など、いろいろなものが必要になる。
 また、大規模臨床研究を行う環境が整っていない。日本では「実験」を中心とする基礎研究は評価されやすいのだが、このような臨床研究に金を出し、業績として重視するムードが、日本にはまだあまりない(と思う)。
 また、これは私の偏見かもしれないが、そもそも日本人は一人でこつこつやる仕事が好きなのである。大規模臨床治験では、多くの医師を説得し、組織し、進行が遅い者に対しては恫喝し、逃げようとする者を羽交い締めにする、といった人間関係上の力仕事が必要である。こういうのは日本人にはあまり向いていない。もっと偏見かもしれないが、こういうこってりとした仕事は、血の滴るビーフステーキを毎日平らげるような欧米人にしかできない気がする。

 15年ほど前、私は十数例の症例を集めただけの研究で論文を作ったが、この時は何とかイギリスの雑誌に採用された。
 5年前、私は同じくらい小規模の臨床研究で次のドジョウを狙ったが、もうどこにも採用されなかった。中身も悪かったが、とにかく症例数が少なすぎたのが門前払いのいい口実になった。
 惜しいことだ。この研究はもし発表されていたら、医学界初(多分)のアイウエオ論文になるはずだった。

 話はさかのぼるが、昔、ジョージ・ガモフという、ロシア出身の物理学者がいた。ロシア語のガモフは、英語ではガンマ(γ)に相当するらしい。あるとき、ガモフの弟子のラルフ・アルファーというのがよい成果を出した。アルファー=ガンマの論文として発表してもよかったのだが、ちょっと物足りない。そこでガモフは一計を案じた。ドイツのベーテ(英語でベータ)という、やはり高名な物理学者の名前を、本人に無断で使ったのだ。この、アルファー=ベータ=ガンマ(αβγ)論文は、宇宙のビッグバン理論の土台になる記念碑的業績になった。

 私が論文をこしらえている最中、ふと気づくと、自分の病院の麻酔科の5人のメンバーの名前が、ア行で揃っていた。これは医学界のガモフになれるチャンスだ。私は麻酔科メンバーの名前をアイウエオの順番にして論文に並べ、投稿した。そして落ちた。
 このシャレは外国人には通じなかった。きっと、日本人にも通じなかっただろう。
 私の研究人生も焼きが回ったようだ。病院の勤務医には、大規模臨床研究を行うための資源は全く無い。アイデアも枯渇した。時代から取り残された挙句、こんなことをやって落ちつづけている。

2018.4.9

 
研究の研究

 新聞記事などに時々、企業系研究所からの研究結果が紹介されることがある。
 印象に残っているものを挙げると、パジャマを着たほうがぐっすり眠れたとか、牛丼を毎日食べても、血液検査に異常が見られなかったとか。それぞれ、下着メーカー、牛丼屋がスポンサーになっている研究である。
 これらの結果は、すんなりと信じる気にはなれない。研究対象になっている製品と、金(研究費)と、両者の出どころが、まるで一緒だからである。

 忖度というのは、どう考えても日本人の専売特許ではなく、人類共通の神経回路である。企業から給料をもらっている研究者が、スポンサーに不利益になるような結果を、おいそれと公表できるものではない。そのスポンサーの喜ぶ顔が見たいから、悪い結果ならそっと隅に片づけるし、よい結果なら発表する。これを積み重ねていけば、真実と正反対の結果すら出てくるかもしれない。これは無意識界のできごとであるから、研究者自身も気がつかないでやってしまう可能性がある。

 それでは大学の研究者が医学雑誌に載せるような専門的な研究ならば、信用できるのか。そうとも言い切れない。
 中には製薬会社から研究費を受けている研究もある。(その旨は、論文の冒頭で言明しなければならない。)そうでなくても、研究者たるもの、かっこいい成果を出して名前を売りたいのである。それが偏りの発生源になる。
  研究者はつねに、データいじりの誘惑と戦っている。これまでもたびたび、研究者によるデータ捏造が露見して、報道されてきたが、あれはたまたま、暗黒面に落ちてしまった人たちであろう。

 全く偏りのない、公平無私の研究を行うためには、どうすればいいか。私は長年ひそかに研究した結果、以下の二つの方法を発見した。
 まず、何らかの方法で大金持ちになる。そして自分の金を使って好きな研究をする。仮に大発見をしても、公表せず、一人でニヤニヤする。
 あるいは…
 まず修行か何かして、すべての欲望を捨てることに成功する。老荘思想でいう無為自然の世界である。何せ野心というものがないから、研究成果が出なくて、職を失い、食べるものがなくなっても、全然気にならない。「で、それが、何か?」と言うのが決めゼリフである。仙人ぐらいにはなれるかもしれないが、ただし、研究は失敗する。

 どちらも「まず」のところがもっともむずかしい。仮にそれをクリアしても、困ったことに、結果として人類に役に立つ話にはならない。
 誰か、私に研究費を提供していただければ、もう少しましな方法を発見できるかもしれないのだが…

2018.3.31

 
佐々木小次郎、その2

 ある研修医と話していて、私が「やつらは烏合の衆だから」と語ったところ、「ウゴーノシューって、何ですか?」と聞かれた。おっと、これは私の得意ネタ、ジェネレーションギャップではないか。例の戦闘系有名人の件を思い出し、ついでにいろいろ聞いてみた。
 予想通り彼女は、「佐々木小次郎(ささき・こじろう)」も、「大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)」も、「山本五十六(やまもと・いそろく)」も、聞いたことがないという。かろうじて 「東郷平八郎(とうごう・へいはちろう)」は聞いたことがあるが、何をした人かは知らない。もちろん、セオドア・ルーズベルト米大統領を感動させた、「勝ってカブトの緒をしめよ」のくだりも知らない。

 私が「ほう、ほう、やはりな」とひとり悦に入っていると、普段温厚な彼女も、ついに、カチンときたようだ。
 「でも、研修医の〇〇くんは、飯島愛(いいじま・あい)のことも知らなかったんですよ。それってどうなんですかっ!?」

 何という洗練された反撃だろう。私に直接反論する代わりに、自分の同僚を血祭りに上げるとは。これは一種の威嚇射撃だろうか。しかも、東郷平八郎に対抗して飯島愛を持ち出すとは。二重の意味で、「江戸のカタキを長崎で討つ!」(これも戦闘系死語)である。
 タマがこちらに飛んでくる前に、話題を変えた。

2018.3.27

 
小論文問題

 私は病院内の研修委員会の委員なので、毎年、研修医採用試験の小論文の問題を作っている。ただ、委員は他にもいるので、私の作った問題が実際に試験に出されるとは限らない。正確にいうと、これまで一度も採用されたことがない。つまり、ボツにされつづけているのである。
 自分でも理由はわかっているつもりだ。内容が突飛すぎるのだ。受験者にとってはたぶん想定外で、答えを組み立てるのにさぞ苦しむことだろうと、気の毒になるような問題ばかりである。私が委員長でも、採用しない。
 これまで作った問題は、まだ今後採用される可能性があるので、(いやほとんどないが、とりあえず)ここには紹介できないのが残念だ。しかし、今回あまりに悪乗りがひどく、さすがの私も提出できない問題を思いついてしまったので、ここに書き捨てておく。

 「自分が死亡するときの年齢と死因を想定し、その状況を説明せよ。また、そこであなたが詠む辞世の句は、どのようなものか。」

 受験者の人生観、死生観、健康状態、医学知識、表現力を一気に教えてもらおうという、欲張りな質問である。しかし、死に方を教えろとか、今どき辞世の句を詠めなど、何の冗談か。酒の席の雑談なら面白いが、これを就職先に答えさせるとなると、受験者にとっては深刻なモラルハラスメントであろう。こんな問題は、絶対に出ないので、当院への応募をお考えの学生さんは、ご安心ください。

 どうでもよいが、解答例は以下の通り。読めばわかるが、「模範解答」ではない。

 私は、自分が95歳くらいで事故死するであろうと想定します。私はその年で寿命をさらに延ばすためにジョギングを行っているわけですが、よろけたはずみで後ろから来た自動車にはねられます。自動車搭載AIには、「歩くより遅く走る95歳の老人」に関するデータがなく、動きを予測できなかったようです。そこが高速道路の真ん中だったのも不運でした。
 虫の息で横たわる私ですが、最後の力を振り絞り、日本古来の美風、「辞世の句」を遺すのでした。

 恥ずかしき思い出連れて死出の旅、心残りはブログの消し忘れ

2018.3.18

 
佐々木小次郎

 麻酔の準備をしている時、注射器に薬を吸おうとして、針のキャップを取った研修医が、そのキャップをぽいとゴミ箱に放り捨てた。薬を吸ったら、針にまたキャップをするのだから、これは捨ててはいけない。私は思わず、「お、佐々木小次郎(ささき・こじろう)かよ」と突っこんだのだが、これが研修医には全然通じなかった。

 念のために説明しておくと、佐々木小次郎は戦国時代あたりに生きた剣士であり、宮本武蔵(みやもと・むさし)と巌流島で決闘を行い、敗れて命を落としている。巷説では、約束の時間よりはるかに遅れて宮本武蔵が現れたとき、佐々木小次郎はよほどイライラしていたらしく、刀を抜いたあと、サヤを投げ捨てたという。これを見た武蔵は、「小次郎敗れたり!」と叫んだ。勝つつもりなら、勝った後に刀を収めるべきサヤを捨てるはずがない、という理屈である。もちろん、武蔵のはったりであろう。

 研修医が針のサヤを捨てたのを見て、私はこの小次郎のエピソードを思い出したわけであるが、その研修医がきょとんとしていたのは、その連想が通じなかったからではなかった。彼は佐々木小次郎そのものを知らなかったのである。ただちに周囲の若い人たちに聞いてまわったところ、小次郎を知らない人のほうが多かった。予想外の事態だった。

 敗戦後18年も経って生まれた私であるが、そのころでも日本には、決闘、戦争、あだ討ちとかいう、血なまぐささを好む空気がまだまだ残っていたのではなかろうか。知らず知らず、私もそういう空気を吸って育っているのである。たとえば私が少年の頃は、毎年8月15日の終戦記念日には、なぜか必ずゼロ戦(零式艦上戦闘機)の活躍を賛美する特集番組が流れていたのだ。(今でもその意味がわからない。)大晦日はもちろん、大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)が主君の仇を討つ忠臣蔵である。今はもう、そういう時代ではないということだ。

 私も仕事中、時代遅れな好戦的発言を控えるよう、気をつけなくてはならない。たとえば、
 「お、電気メスのノイズで心電図の音が乱れまくっとるやないか。まるで山鹿(やまが)流陣太鼓!え、忠臣蔵知らんの?」
 「この手術が、今週の山場やな。皇国の興廃はこの一戦にあり、と東郷(とうごう)元帥も言うてる。ちなみに東郷平八郎(とうごう・へいはちろう)やで。デューク東郷とちがうで。あ、それも知らんか。」
 「危ない手術やったが、何とか終わったわ。でも患者さんが退室するまで気を抜いたらあかんで。古人いわく、勝ってカブトの緒をしめよ、と。はいはい、東郷さん知らんもんな。」

 これらすべて、若者たちの耳を素通りすること、まちがいなしである。
 老兵は死なず。マッカーサーじゃないが、そろそろ消え去ってしまいたい。

2018.3.11

 
塩と進化

 SF映画の不朽の名作、「2001年宇宙の旅」は、太古の昔のサルが、サバンナに突如現れた不思議な物体「モノリス」に触れる場面から始まる。モノリスの効験あらたかに、サルたちは突如、手で道具を使うことに目覚めるのだ。サルがヒトに進化した瞬間を描いているのだと思われる。

 この映画が公開されたのは1968年である。現在の人類進化学の知見はちょっと違う(下記注)。サルがヒトになったその分岐点は、「道具の使用」ではない。「二足歩行」なのである。たまたま一部のサルが、酔狂にも二足歩行を始めたのだろう。それが定着して後に、脳の巨大化、食べ物を分け合う習性、オスとメスでつがいをつくる変な癖など、さらなる人間の特徴が現れてくるのである。(もっとも人間に近い種、チンパンジーは食べ物を分けず、また乱婚である。)

 歩き始めた最初のサルは、ご近所でも評判の変わり者だったのだろうが、それが子孫を増やしたからには、二足歩行に意外な利点があったのだろう。それは何か。
 手が使えるようになった、というのが自然な連想であるが、重要なのはそこではない。二足歩行の利点は、長距離の移動に適していることなのである。二足歩行は短距離でのスピードに劣るけれども、長く歩いたり走ったりする分には、エネルギー効率に最も優れた方式であるらしい。(二足歩行は手を使うためだったという説も、まだ有力であるようだ。)
 われわれ一般人でも、ちょっと練習すれば、10キロや20キロを休まずに走ることは、そう苦ではない。ところが、そんな持久力を持つ動物は、きわめて稀なのである。
 乾燥化のために森が消滅しつつあるアフリカの大地で、われわれの祖先は木から降り、地面を歩いたり走ったりすることに活路を見出したのである。さらにヒトは全身から汗をかいてからだを冷やす能力を手に入れた。(全身で汗をかける動物は、ヒトとウマくらいらしい。)他の動物たちが、暑い日中グッタリとする隙を狙い、木の実や地下茎を求めて歩き回ったり、動物を執念深く追って疲れさせて仕留める、それこそが二足歩行の最大の利点だったのだ。
 つまり、ヒトのヒトたるゆえんは、歩き、走ることと、汗をかくことであると言える。

 以上が最近読んだ本の受け売りである。(一部脚色あり。)ここから例によって、何の根拠もない、私の妄想が始まる。

  • 汗から塩分が失われるので、ヒトは塩の補給がなければ生きていけないからだになってしまった。人と塩のくされ縁はここから始まった。
  • ヒトはやがて、一日中歩かなくてもよい生活を手に入れても、塩を欲するようになった。そして、高血圧になった。(単純化しすぎでしょうか。)
  • 塩により、ヒトは運動をやめると病気になりやすくなる呪いをかけられたのだ。どうせなら同じ樹上生活者でも、ナマケモノから進化していれば、こんなことにはならなかったが、仕方がない。大いに運動し、汗をかこうではないか。
  • ところで、ダッシュ力という面では原理的に、四足走行こそが理想である。百メートル走の選手は、自分の両手に、「お前は前アシだ」と言い聞かせ、這い這いで走る稽古をしたらどうか。
  • 前アシ用シューズを作ったら、さぞ売れるだろう。こはぜ屋の宮沢社長、いかがです?名付けて「獣王」
  • 逆にマラソンの選手には忠告しておきたい。長距離を走りたいなら、這ってはならない。絶対に、だ。
注) 人体六〇〇万年史~科学が明かす進化・健康・疾病~(上・下), ダニエル・E・リーバーマン, ハヤカワ文庫NF

2018.3.4

 

  先日、私は献血ルームに行き、最初の血圧測定で142mmHgという新記録を叩き出してしまった。これが続けばもう、高血圧症である。検診の医師は、「ここまで歩いて来られたんでしょ?こんなものですよ。」と慰めてくれたが、だまされるわけにはいかない。高血圧は明らかに脳卒中などのリスクを高め、寿命を縮める。このままではあと100年も生きられない。早めに手を打たなければならない。
 薬をのまないで血圧を下げようと思ったら、真っ先にできるのは、塩分制限である。私には、何にでもしょうゆやソースをだぶだぶとぶっかけるような性癖はないけれども、妻に比べたら味の濃いものを好むようである。これは親の影響が強いだろう。私の父も母も、かなり濃い味付けを好む人だった。

 自分の子供時代の食生活を思い出してみる。当時(1970年前後)は、余ったおかずは冷蔵庫に入れるのではなく、「水屋」という、網戸つきの棚に室温で保管していた。それをふたたび食事に出すときに、母が匂いを嗅いで、まだ大丈夫かどうかを確かめるのである。夏などには、ときどきこの匂いチェックにひっかかる皿があったから、今から思えば、母の嗅覚に家族全員の健康がかかっているという、なかなかスリルのある食生活だった。
 かりに母の嗅覚が正確だったとしても、これはそもそも、その料理の塩分が濃くないと成立しないやり方だった。実際、母の料理はみんな、しょうゆ色に染まっていた。私の親のような、冷蔵庫のない時代に育った人たちにとって、塩は防腐剤に他ならなかったのである。
 神道などで塩が清めに使われたりするのも、腐敗を退けるこの白い粉がまぶしかったからではあるまいか。
 私の父も、塩の清め効果を信仰しており、ちょっと鮮度に疑問のある刺身などを食べるときは、
 「ええか、こうやってしょうゆをようけつけて食えや。そうすりゃ、あたらんけんのう(食中毒にならないからね)」
 とお手本を見せてくるのであった。(もちろんこれは、間違っている。)

 私の子供たちが、刺身をしょうゆにつけずに食べたり、フライものをソースなしで食べたり、自分にはとてもまねできないことをするのを見ると、味覚における食習慣の影響はかなり強いことがわかる。(現在のわが家において、父親の影響力がゼロであることもわかる。)

 とりあえず、私が昼に食べているカップ麺は塩分が多く、血圧に悪そうだ。やめてみようと思う。しょうゆのつけ過ぎ、ソースのかけ過ぎにも気をつけたい。年を取るとは、さまざまな自由をひとつずつ捨てていくことだと思われるが、この度、塩辛いものを好きなだけ食べる自由を捨てることになった。妻より長生きする、という目標を持つ私なら、頑張れるはずだ。

2018.2.25

 
のど飴の効用

 今年もインフルエンザが大流行した。麻酔科医はほとんど手術室にいるので、比較的安全だが、救急外来でたくさんの人と接触する研修医は、かなりの率でインフルエンザをもらってしまう。また彼らは、虐げられた者どうし、仲良しだから、お互いにうつしっこをする。からだを張ったお仕事、ご苦労なことである。

 あるとき、テレビで朝の情報番組を見ていると、どこかの医院の医師が出てきて、クイズを出してきた。インフルエンザの予防に有効なのは、次のうちどれでしょう、というのだ。4つほどの選択肢のうち、正解は、飴である。出演者一同、へーっとうなる。私も知らなかった。
 その医師によると、のどが乾燥するとインフルエンザにかかりやすくなる。飴をなめて、のどをうるおせば、インフルエンザ予防に役立つ、というのであった。
 本当だろうか。

 私は感染症は専門外だが、のどならちょっとだけ専門だ。人さまののどの奥を、毎日覗いて管を挿入しているのだ。私の経験上、のどの奥の粘膜が濡れていない人など、まずいない。まれに、意識障害のある人が、高熱を出して息が荒くなっていたりすると、のどが完全に乾燥するくらいのものだ。「飴をなめて、のどをうるおす」と言葉にしてみると、もっともな感じはするが、飴がなくてものどはもともとうるおっているのだ。

 飴を舐めて唾液をもっと出せば、バリア効果がアップする。そういう意見もあるだろう。ネットで検索してみると、そのようなことを書いてあるサイトが山ほど出てくる。中には、免疫グロブリンがどうとか、立派な専門用語をからめているサイトもあり、私もつい、「かたじけなさに涙こぼるる」状態に持って行かれそうになる。
 だが待て、理屈はどうでもよいのだ。大事なのは、本当に「飴をなめるとインフルエンザにかかるリスクが減るのか」どうかを、誰が実際に確かめたのかである。

 厚生労働省のホームページを見てみよう。医学的根拠のないことは書いてないはずだ。「今冬のインフルエンザ総合対策について」の中で述べられている予防対策は、咳エチケット、予防接種、隔離、などであり、飴のことはひとことも触れられていない。
 医学論文の検索サイト、「PubMed」で調べてみよう。Influenza + Candy で出てくる論文は1件、ブラジルのインフルエンザウイルスの全ゲノム配列に関するもので、飴とは関係ないだろう。

 おそらくは、「飴でインフルエンザを予防する」というのは、調査によって確かめられた話ではない。たしかに、嘘であるという証拠もない。だが、そういうことをテレビでべらべらしゃべる人の気がしれない。のど飴屋さんが出てきて、そういうことをしゃべるのなら、まだ許せるが、医師がそれをするのだ。同業者として恥ずかしい。
 教訓として、テレビに出てクイズなんか出してくる医師は、信用しないほうがいいようだ。もちろん、ブログのようなもので適当なことを書く医師も、似たようなものだが、害は少ないと信じている。

2018.2.18

 
光線療法

 前回私は、光免疫療法について書いたが、それで連想してしまったのが、いわゆる民間療法の一つ、「光線療法」である。私の父は糖尿病性網膜症を治すために治療器を買い、自宅でこれをやっていた。もちろん、光免疫療法とは何の関係もない。新生児黄疸の治療に使う光線療法とも関係ない。
 光線治療器の電源を入れて、カーボンの電極同士を近づけると、放電して火花が出る。その光に治療効果があるのだそうだ。電極の種類を変えると、光の色が変わる。治したい病気によって、適切な電極を選び、適切な場所に照射するのである。
 当時中学生だった私も恐る恐る、自分で試してみたが、光のまたたきが幻想的気分を醸し出すのと、照射した肌がほんのり暖かくなるという効果は確認した。

 そんなもので病気が治るはずがない、と見くびるのは科学的な態度ではない。これがどういう仕組みで病気を治すのか、ちょっと見当がつかないのは確かだが、そのことは効かないという証明にはならない。
 効く、あるいは効かない、と言い切るためには、やはり、この光線を当てた人と当てなかった人で、病気の経過を比較しなくてはいけないのだ。しかもそれをするのは、その治療でお金を得ている人と無関係の人でなければならない。利害がからむと、どうしても結果に影響が出るからである。誰もそんな仕事を、莫大な金と時間をかけて、するわけがない。
 ドラマなどで探偵役が、「真実は一つ」と言っているが、何事もそう単純ではない。事実上開示されえない真実というものもあって、それで世の中回っている面もあると思う。

 この光線治療の理論について詳述した解説書が、「遺伝と光線」という分厚い本である。少し読んでみたが、戦前からこの治療一筋の開祖が書いた本だけあって、小学生の頃から私が愛読していた「少年少女世界の名作文学」とは明らかにテンションが違っていた。さすがに取っつきにくく、パラパラとページをめくるくらいのものだったが、一つだけ強烈な記事があり、今でも覚えている。
 それはある症例の紹介である。日頃熱心に光線を当てていた患者さんが、治療の甲斐なく、自宅で亡くなってしまった。家族は懸命に蘇生させようとしているうち、とてもいいことを思いついた。人は死ぬと、肛門が開いてしまう。それならば、肛門に光線を当てて、再び締まるように導けば、生き返るのではないか。
 手に汗握る、この前代未聞の試みの途中経過は省略。もちろん、肛門はその輝ける活力を取り戻し、患者は息を吹き返したのであった。
 因果関係というものは通常、原因があって結果があるのであって、結果をいじると原因がどうにかなるものではない。風が吹いて桶屋がもうかるのだとしても、桶屋が損をするようにしむければ、風が吹かなくなるというものではない。
 因果を逆転させて、死んだ人がよみがえる。たしかにこれは、奇跡としか言いようがない。中学生は、驚いた。確か、夏休みのある日の午後のことであった。

2018.2.11

 
光免疫療法

 今、がんに対する光免疫療法が注目を集めている。まだ開発中の治療法であるが、免疫反応を利用してがん細胞に特殊な分子をくっつけ、近赤外線を当てるとがん細胞が死んでいくという、できすぎのようないい話である。ただ、この「光免疫」という名前の響きが、ちょっとひっかかる。
 光のパワーでがんを攻撃する、とか、免疫力を高めてがんを退治する、などはオーロラ波動研究所(架空)のホームページにでも出てきそうな宣伝文句である。その「光」と「免疫」が合体しているのだから、これは怪しげである。

 だが心配ない。開発したのはアメリカ国立がん研究所の日本人医師であり、たまたま私の大学の同級生のK氏である。よく覚えていないのだが、確か、怪しい人ではなかった。いやいや、大事なのは人柄ではなく、これが医学の本流から出た治療法であるということである。それは、必ずその有効性と副作用について、客観的に調べられ、その結果が公開されることを意味するからである。そこが民間療法との違いである。

 すでにアメリカでは光免疫療法の小規模な臨床治験が行われ、有望な結果が出ているらしい。日本でもこの3月から、治験が行われる。こういった先進的治療に対する動き出しの遅い日本にしては、異例のスピードである。開発者が日本人だということもあるのかもしれない。実際に日本の患者に使えるものかどうか、数年以内に結論が出るだろう。
 もしもこの治療の効果が期待どおりならば、手術や放射線など従来の治療がむずかしいがんにも効く可能性があるし、対象となるがんの種類も幅が広そうだし、しかも患者さんのからだと財布への負担が軽い治療になるだろう。

 将来もし、この治療法がさまざまながんをつぎつぎに制圧していったとしたら、麻酔科の仕事にも影響が出るに違いない。がん切除の手術はほとんどなくなってしまうのではあるまいか。とくに、食道がん、膀胱がん、膵がん、肝がんなどは大手術が必要になるため、患者負担を考えると、手術はほとんど選択されなくなるかもしれない。
 手術にも、栄光と没落の物語がある。開腹して尿管結石をひょいと取るとか、精巣腫瘍でからだ中のリンパ節をとりまくるとか、昔はよくやってたが、もう忘れ去られている。食道亜全摘術なんかも数年後には、そんな手術があったと、若い人に語っても信じてもらえないかもしれない。「え、胃を筒状にして首まで引っ張り上げるんですか。それでちゃんとつながるんですかね。」といった具合だ。
 麻酔科医の仕事は減るだろうが、あの、罰ゲームのようなひたすら長い手術たちがなくなるのであれば、悪くない世界である。かつて私が取り上げたように、外科の夜明けはもっぱら、命をおびやかす良性疾患(鼠径ヘルニア、虫垂炎など)を治すためにもたらされたのである。そこに戻ればよい話である。

 先走ってしまったが、何ごとも治験の結果しだいである。結果しだいではあるが、かなりインパクトのある新治療法であり、社会を変えてしまう可能性を持っている。
 学生時代、Kくんに何か親切にしてあげたことがなかったか、私は懸命に思い出そうとしているところである。

2018.2.4

 
寒い話

 いよいよ本当に、寒くなってきた。
 私は普段、一年中適温に保たれている手術室にこもっているから、暑さ寒さには弱い。その代わりと言っては何だが、適温には強い。
 昔ある時、私は救急車を迎えるため、救急搬入口の扉を開けて外に出たのだが、そこが「底冷え」と呼ばれる京都の冬の夜だということをうっかり忘れていた。術衣の薄いシャツ一枚だった私が悲鳴を上げたところ、ナースに叱られた。
 「こういうのは寒いとは言いません」
 そのナースは、北海道出身だったのだ。

 私の祖先は、1万年かそれ以上前、大陸から歩いて日本に渡ってきたはずである。なぜそんなことができたかというと、そのときはまだ氷河期で、海の水が大量に凍っていて水位が低かったからである。おそらく衣類と火くらいは持っていただろうが、人間は今よりはるかに寒い時代を生き延び、拡散すらしたのである。ここのところが不思議でたまらない。
 ご先祖さまが寒さに耐えるために武器となったのは、体質か、防寒技術か、気合いか、ただの慣れか、その辺が知りたいものである。

 昔の人が寒さとどう戦ったのか、参考になるのが、本多勝一(ほんだ・かついち)の「極限の民族」という本である。1960年代、朝日新聞の記者だった本多氏は、カナダ北極圏のイヌイット(当時はエスキモーと呼ばれた)の暮らす村に入っていき、長期間住み込んで、その生活ぶりを観察している。
 それによると、イヌイットがなぜ寒さに耐えられるかというと、防寒具がしっかりしているからである。女たちが噛んでなめした毛皮をきっちり縫い合わせ、しっかり着ることで、地獄のような寒さの中で生きられるようになるのである。仮に零下50℃の中に裸で放置されたとして、何分で死ぬかというと、イヌイットも日本人も変わらないだろうと、本多氏は述べている。(何とも乱暴な議論だが、本多氏自身がたぶんちょっと、極端な人である。)
 それを読んで、少し安心した覚えがある。何だ、同じ人間じゃないか、という思いである。

 しかし、その安心は、同じ本の次の報告、「ニューギニア高地人」でひっくり返される。彼らはほとんど裸で暮らしているのだが、岩場で野宿した時も、明け方にかけて4℃くらいまで気温が下がったのに、裸のまま平気で眠っていたそうである。一方、カナダの極北で鍛えたはずの本多氏のほうは、服を着ていても、寒すぎて眠れないのである。耐寒力という点では、もしかしたらニューギニア裸族のほうがイヌイットより上かもしれないと、本多氏は驚いている。
 食事に秘密が隠されていると思うかもしれないが、彼らはほとんど芋しか食べていない。からだを温めてくれそうなタンパク質や脂肪は、決定的に不足しているのである。
 これは無理だ。何だ、違う人間じゃないか、という思いである。

 寒さ対策のヒントになるかもしれないと思い、こうして寒い話を書きはじめて見たが、余計寒くなっただけだった。春が来るまで、暖房とコートと布団に頼るしかない。イヌイットやニューギニア高地人には、「神戸の冬は、寒いとはいわない」と怒られるだろうが。

2018.1.28

 
名前を叫ぶ

 手術が終わると、麻酔薬の投与を中止する。体内の麻酔薬濃度が下がってきたところを見計らって、患者さんを起こすのだが、この場合のもっとも有効な覚醒刺激は、大声で名前を呼ぶことである。
 簡単な医療行為であるが、すべての医療行為には失敗の可能性がある。患者さんの名前を間違えて呼んでしまうことがあるのだ。一番多い間違いは、なぜか、主治医の名前を呼んでしまうことである。麻酔科医が大声で叫んでいる横で、主治医が苦笑いしているわけだから、これはちょっと恥ずかしい。
 若い男性麻酔科医が、間違ってナースの名前を叫んでしまったことがある。彼はあとで、「病棟から患者を迎えに来たナースが、かわいいと思ってた人なので、つい間違えて呼んでしまった。恥ずかしい」と顔を赤らめていた。たしかにこれは、かなり恥ずかしい。問うに落ちず、語るに落ちず、叫ぶに落ちた、といったところだろうか。
 もっともこの男は既婚者なので、その後何か進展があったわけではない。あったら困る。

 忙しかった一週間の終わり、金曜日の最後の医療行為が終わった後、嫌いな人の名前を叫んで締めくくってみてはどうかと、私は研修医に提案することがある。すると研修医たちは一様にとまどいの色を見せ、次のように言い逃れようとする。
 「いえ、いい研修をさせてもらって、いやな思いをすることもありません」
 「苦手な先生はありません」
 「看護師さんも、同僚も、いい人ばかりです」
 そこで私がお手本を見せることにする。「じゃあ行くでー、足利尊氏っ!」
 研修医は拍子抜けして言う。「え、足利尊氏って、そういうのでよかったんですか?」
 「蘇我入鹿でもかまわんよ。誰が『身の回りの嫌いな人』と限定したかね。そうやって、職場に嫌いな人はいませんと、あわてて打ち消しにかかるほうが怪しい。じっくり話を聞こうやないか」
 みなさんの職場でも、試してみてほしい。

2018.1.21

 
大丈夫?

 最近私は、「だいじょうぶ」という言葉が気になっている。若い人が使うとどうも、我々とは少し意味合いが違うようだ。
 たとえばスーパーのレジで、「袋おつけしますか?」と聞かれた若い客が、「あ、大丈夫です。」などと答える。やんわりと断る言葉として使っているらしい。
 これはまだぎりぎりわからないでもない。しかし、テレビの番組の中でバンジージャンプをやらされそうになったタレントが、「えー、大丈夫です」と断っているのを見たときは、これは新しいと思った。
 否定語を一切使わないで済ませるとは、ずるい断り方があったものだ。

 数年前ある研修医が、10月の麻酔科ローテート中に夏休みを取りたいと言ってきた。わざわざ10月に夏休みを取るとは思っていなかったので、油断していた。完全な人手不足である。「うーん」と苦しんでいると、研修医、「ここ、夏休みいただいても、大丈夫ですか。」と畳みかけてきた。
 この使い方もちょっと新しい。 昔は、目上の人に許可を求めるときに、「大丈夫?」などとは聞かなかった。

 「いや、10月は産休に入る先生もいて、麻酔科大丈夫かって言われると、大丈夫じゃないんだよね。夏休みは9月に内科で取っちゃうとか、ないのかなあ。」
 私はこう返事をしたがだめだった。空気を読まなければ生きていけない、日本の気詰まりな社会を憂えている人は、喜ぶといい。今の若い人は、空気を読まないだけでなく、相手の苦しそうな表情も、自分に都合の悪い言葉も読まないようだ。
 「え、でも10月じゃないとちょっと。大丈夫でしょうか?」
 こう重ねて言われて、気がついた。部下の休暇取得を拒否する権限はこちらにはないのであった。
 どうやら「大丈夫」の疑問形は、相手を気づかう言葉ではなく、立場の強いものが弱いものに対して使う、ただの念押しだったようだ。知らなかった。

 古くからあるこんな言葉も、若者にかかればこんな具合に奇怪な変貌を遂げてしまう。うっかりしていると、足元をすくわれそうだ。たとえば、若い医師にこんなことを言ってみよう。
 「うん、これは珍しい症例だ。症例報告が書けそうだな。書いてみる?」
 「あー、大丈夫です。」
 こういう答えが返ってきて安心していたら、痛い目にあうはずだ。待てど暮せど、症例報告の原稿は降りてこないのである。まったく油断ならない。
 皆さん、大丈夫でしょうか。

2018.1.20

 
センター試験

 本日、私の長女が大学入試センター試験を受けるので、卓球の練習は休むことにした。いくらのんきな私でも、娘が人生をかけて戦っているときに、ヘラヘラと球を打っている訳にはいかない。ビシッと打てばいいのかもしれないが、その能力がない。

 3年前、長男がセンター試験を受けるときも練習を休んだのだが、練習仲間にはこう言われた。
 「息子さんが受験しているからと言って、親が家でじっとしていても、役に立たないでしょうに」
 その時私はこう答えたそうである。
 「いや、試験となると何が起こるか分りません。いざとなったら、私がパンツの替えを持っていかなきゃいけませんから」
 自分では憶えていないのだが、そう答えたらしい。忘れるくらいだから口から出まかせなのだろうが、なぜそこでパンツの話になるのか、誰かに教えて欲しいものだ。

 今回長女が志望校に受かると、ついに夫婦二人の生活になってしまう。そうなったら、どうやれば平和な生活が送れるのか、皆目見当がつかない。今回の試験に人生がかかっているのは、彼女だけではないのである。
 試験でうまくやってほしいのはもちろんだが、複雑な気持ちである。私は自宅に試験対策本部を設け、いつでも出動できる態勢を整えたが、することがないので、とりあえずお茶を飲んでいる。

2018.1.13

 
手術室と病棟

 先だって記事に登場してもらった、手術室看護師のKさん、とにかく「デキる」ナースだった。
 たとえば麻酔中、私がモニター画面を見て、オヤという表情になって、患者さんの手もとを見たりする。すると外回りナースのKさんは、私の視線の動きだけから、何が起こっているかを読み取る。そして、患者さんの指につけた酸素センサー(SpO2モニターのプローブ)が外れかかっているのを、さっと直すのだ。
 ここで得意そうな顔をするのでは、まだまだ未熟者である。Kさんはそしらぬ顔で黙ってあちらに行く。このとき私は動揺の色を見せつつ、あ、先を越された、なぜばれた、などと思っているのであるが、Kさんとしてはそれに気づかぬふりをして、ま、気にせんといてください、というサインを送っているわけである。
 ここまでの数秒間で、両者一言も言葉を交わすことなく、情報が2往復しているのだから、ややこしいことだ。だがこういうナースが、数秒を争うような手術中の緊急事態でどれだけ頼りになることか。無言のファインプレーの連続が、あきらかに結果に影響する。これが手術室看護師の力量である。

 病棟は逆に、言葉の世界である。患者さんには優しく、ときに厳しい言葉をかけなくてはならないし、医師からの指示は視線や動揺の色などではなく、口頭指示とカルテの指示コメントである。
 私は若い頃、大学病院のICUで、血液内科の医師2人が、担当患者の治療方針をめぐって2時間語り合っているのを見て、唖然としたことがある。手術室での仕事は即断即決が基本であるから、このような気長な医療行為が存在するとは信じられなかった。2時間もあれば、ちょっとした手術なら終わってしまうではないか。
 だがその粘さこそが、病棟を本拠地とする内科医の力なのかもしれない。おそらく彼らは、言葉に言葉をかぶせていくことで、すこしずつ正解に近づこうとしているのであろう。

 手術室生え抜きのKさんも、病棟という言葉の世界に異動となり、ずいぶんとまどっていることだろう。スマッシュをバンバン打っていた卓球部のエースが、なぜか文芸部に転部したようなものである。作ったこともない俳句を作らされ、
 「ライバルの読みを欺く流し打ち」
などと詠んでしまい、先輩に総つっこみを入れられているような状態ではあるまいか。はやく慣れて欲しいと願っている。

2018.1.8

 
 

入り口に戻る

©2009-2018 Masuika Paradise