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歯コンプレックス |
麻酔科医は、あまり歯が好きではない。気管挿管するときに、声門を見ようとする麻酔科医の視界を妨げるからである。邪魔なだけならまだいい。中にはシイタケを噛んだだけで落ちそうな、ぐらぐらの前歯が我々の前に立ちはだかることがあり、「挿管の時、ぼくを傷つけたら許さないからね」と主張するのである。いやいや、これでは好きになれというほうが無理である。 術前診察をするとき、患者さんの歯を見せてもらうのであるが、一番うれしいのは正直、歯がぜんぜんないことが分かった時である。(私だけか?)思わず、ありがとうございます、と言いたくなるが、失礼だから言わない。 患者さんがある程度のご高齢であれば、歯の見た目がどうであろうが、術前診察の際に「麻酔のために折れる可能性がある」と説明せざるを得ない。どんなに気を付けても、喉頭鏡による歯の圧迫は避けられず、脱落することがあるのである。 それを聞くとたいていの患者さんは、驚いたり、心配したりするものだが、中には肝の据わった人もいて、「それはもう、その歯の運命です。文句なんか言いません。」と言い切ってくださった。心の中で手を合わせる瞬間である。 歯に対して、複雑な感情を抱いているため、麻酔科医の術前診察録への記載も、ついついぞんざいになる。(私だけか?)それに対し、かつて麻酔科で研修していた若い歯科医から突っ込まれたことがある。実際にはささやかな指摘であったが、その心の声を私なりに翻訳してみると… 術前用紙のここ、「歯なし」とか、「総入れ歯」とかじゃなくて、医学用語でお願いします。「無歯顎」のほうがいいですね。 で、この「前歯は自分の歯」って何ですか。ちゃんちゃらおかしいんですけど。歯は、自分の歯に決まってるから、「歯」でいいでしょう。自分の口の中に他人の歯が生えてたら、気持ち悪いですよね。 あー、差し歯じゃないという意味だったんですか。「差し歯」より「クラウン」のほうが医者っぽいですけどね。 なるほど、勉強になります。と言った私の心の声は… 歯科の先生はよく、「8020」(80歳でも歯が20本保てるようにしようという運動)と言いますけど、接着剤のゆるんだ古い差し歯とか、ぐらついた自分の歯ばかり20本並んでいても、麻酔科医は苦しいばかりなんですよ。そんなこと言うんなら、こちらは「8000」運動始めますよ、それでもいいんですか。 麻酔科医と歯科医が本音で歯を語ると、ややこしいことになる。お互い、歯にキヌは着せたほうがよさそうである。 2025.3.22 |
子の名前 |
子が生まれたら、親が名前をつけてやらなくてはならないわけだが、私と妻にとってはこれが、けっこう苦しい仕事だった。一生ついて回るものだから、よい名前をつけてやりたいが、子にとって何がよいのか、まるで見当がつかない。赤ちゃんが生まれたら、顔を見ればひらめくかも、と思ったが、見ても何も浮かばない。 名前に親の願望を盛りこむのは、考えものだと、もともと私たちは思っていた。名前が立派すぎると、よその子はどうか知らないが、自分たちの子にはきっと重荷になるだろう。それに私と妻のどちらに似ても、ひねくれ者になるのは確実だから、つけた名前の反対側に行ってしまいそうな気がする。 結局、二人の子には、自分がどっちに向かって育ったらいいのか分からないよう、方向性のないありふれた名前をつけてしまった。それでよかったのかどうか、今だにわからない。 親の願いが込められた名前には、意外なものもある。 戦前生まれの高齢者には、「末子(すえこ)」、「留吉(とめきち)」など、古風な名前を持つ方がおられる。まず間違いなく、子だくさんの家に生まれた、だいぶ下の方の子どもである。若い人は知らないだろうが、これは、親の願いがこもった名前なのである。子どもはもう十分こしらえたから、そろそろお前で最後(末っ子、打ちどめ)になってほしい、という願いである。 おいおい、そんな願望を子どもの名前につけてどうするよ、と突っこみたくなる。何とも大ざっぱな話である。 ちなみに、そういう名前の人には、たいていもう一人か二人は、年下の兄弟がいるものだ。 昔聞いた話では、チベットでは子どもに、「馬のくそ」みたいなイヤな名前をあえてつけるのだそうだ。すると子どもをさらいにきた死神が、何だつまらない、と通り過ぎていくから、丈夫に育つという。大人になってから、自分で好きな名前をつけ直すのである。 「末子、トメ子、留吉」にも、今どきのかっこいい名前にも、親の愛はそれなりに注入されているのだろうが、「馬のくそ」に勝る愛はなかなかないだろうと思う。 2025.3.2 |
説明と同意 |
医師が患者さんに、治療の内容や経過を説明することは、治療そのものと同じくらい重要である。昭和のころはこれを「ムンテラ」と称していた。ドイツ語の "Mund Therapie" を略したもので、直訳すると「口で行う治療」ということになる。何か、口先で患者さんを丸め込む、という誤解を招きかねない表現であった。今はインフォームドコンセント(IC)と言うのだが、私が思うに、わざわざ英語を使わなくても、日本語で「説明と同意」、略して「説明」でいいんじゃないだろうか。 姉が腸の手術を受けることになったので、私は仕事を一日休み、外科医による手術の説明を、外来で姉と一緒に聞くことにした。私は麻酔科医として、毎日患者さんに説明をしているが、患者側に立って手術の説明を受けるのは、初めてである。 外科の主治医は30代と見られる女性であった。これは吉兆である。今、医学界で話題になっているが、女性の主治医のほうが、内科系でも外科系でも、治療成績がよいという研究結果が出てきているのだ。これが逆だったら怒られるから言えないが、主治医が女性だったのはラッキーだったとは、堂々と言える。 女性外科医は、男性の多い職場で働く女性によく見られる、非常にきびきびした感じの人で、説明は10分くらいで終わった。素人の姉にしてみたら、話が速すぎて消化不良だったと思うが、同業者である私から見れば、これも吉兆である。 私の経験上、手術の速い外科医は、手術の説明も速い。麻酔科術前診察のために病室に行ったとき、外科医の説明が終わるまで待たされることがあるが、もう説明が終わったの?と思わされるのは、手術の速い先生の場合が多いのだ。 短かすぎる説明は、患者さんにとって必ずしもよいとは言えないが、手術が速いというのは、その欠点を補ってあまりある。腕のよい外科医はほぼ必ず、手術が早いからである。 姉にはあとで私から、説明を補っておいた。 説明の途中、主治医の院内PHSが鳴った。私はうっかり、自分のポケットに手をやってしまった。自分のPHSが鳴ったと、私の手が勝手に勘違いしてしまったのである。最初に、自分は麻酔科医であると挨拶していたから、主治医も何が起こったかを察したらしい。二人で同時に、苦笑いである。 手術当日は、もう立ち会う必要はないかなと思っている。 2025.2.16 |
名前を呼ぶ |
去年あたりから、われわれ病院職員がつける名札から、下の名前が消え、名字だけになった。交通機関、飲食店など、不特定多数の人と接する職場では、だいたいそうなっているようだ。フルネームを知られてしまうと、SNSなどインターネットの上で特定され、攻撃を受けやすくなるらしい。 名前は、知らない人に簡単には教えない方がいい、重要な個人情報というわけである。 ただ私は、名前には、個人情報であるという以上のものがあると思う。名前はその人の分身であり、それを知る、覚える、呼ぶ、叫ぶといった行為は、それだけでその人の本体に働きかける作用があるのではないか。 たとえば、昔ばなしの「大工と鬼六」では、橋をかけてやった代わりに目玉を寄越せと迫る鬼が、大工に「おい、おにろく」と名前を言い当てられて泡になる。 神林長平(かんばやし・ちょうへい)のSF「完璧な涙」では、正体不明の戦車が時空を超えて主人公を追尾し、問答無用で攻撃してくるのだが、やはり秘密にしていた名前を呼ばれて、その完全自動報復を永久に停止するのであった。 相手の名前を呼ぶことの呪術的な効果を暗示する話である。 麻酔科医は、麻酔で眠っている患者さんを起こすとき、その名前を呼ぶ。名前を呼ぶと、早く起きてくれるなどの実利的効果があるのかどうか、それはわからない。患者さんの方も、「名前を呼ばれて目が覚めた」ことを覚えている人はほぼいない。しかし、名前を呼ばないで起こすというのは、味気なさすぎて、なかなかできるものではない。 麻酔からの覚醒とは、手術中、生き物として生きることに専念していた患者さんが、人に戻ることである。麻酔科医は患者さんの名前を呼ぶことでここに帰ってきてもらい、人と人との関係に戻る合図にしたいと、無意識に願うのだろうと、私は思っている。 2025.1.18 |
エーテル麻酔 |
1846年、アメリカの歯科医モートンが、エーテル(ジエチルエーテル)の吸入による全身麻酔の公開実験に成功した。これを目撃した医師たちは、外科の歴史を変える技術であることを直ちに理解した。その一人、ホームズという医師は早速、これに Anesthesia という名前をつけるよう、モートンに提案した。 Anesthesia は無感覚というほどの意味であり、手術に耐えるための無痛、無意識、無動までを包みこんだ言葉ではなかったが、これくらいの簡潔さが、覚えやすくてちょうどよかったのかもしれない。モートン自身は別の名前を考えていたようだが、Anesthesia のほうがよかったということだろう。 エーテル麻酔は華岡青洲の麻沸散の内服による麻酔に比べ、導入・覚醒が迅速であり、また習得も容易だった。Anesthesia は、あっという間に世界に拡がっていった。 ちなみに、麻酔科学は英語で Anesthesiology と言うが、私の大学の第2代教授の故M先生によると、これはアメリカ流の品のない造語らしい。英語の本家であるイギリスの人は本当は、Anaesthetics と名づけたかったのだそうだ。数学を Mathematics と呼ぶように、学問には「なになにイクス」をつけるのが、本場の英語なのだということだ。 M先生のこの話が、本当かどうかは知らない。 ところで、歴史を変えた男、モートンは絵に描いたような俗物であった。彼は吸入に使われた薬品がエーテルであることを隠し、これを独占販売して大儲けしようとした。それがエーテルであることがばれると、特許権をめぐって醜い争いに明け暮れた。そして、どれもうまく行かず、正気をうしない、48歳で亡くなった。 舌切り雀のおじいさんたちのように、小さいつづらを選択した華岡青洲(はなおか・せいしゅう)は、華岡式麻酔で多くの患者に手術を施し、弟子を育て、充実した医師人生を全うした一方、大きいつづらにしがみついたモートンは、結局金をつかみ損ね、すべてを失ったのである。 新しい酒は新しい革袋に盛れ、という。いいものを見つけたら、いい名前をつけたいものだ。あと、つづらというものを見たことはないが、小さいほうを選ぶといいようだ。麻酔の歴史から学べる教訓である。 2024.12.22 |
世界初麻酔 |
1804年というから江戸時代後期、華岡青洲(はなおか・せいしゅう)という和歌山の医師が、患者に麻沸散(まふつさん)という薬を飲ませ、眠らせておいて乳がん摘出術を行った。世界初の全身麻酔であったが、鎖国状態の日本にあって、青洲自身はそれを知る由もなかった。 ただ資料などを読んで見ても、青洲がこの麻沸散の効果を、何と呼んでいたかがわからない。「麻酔」という言葉はまだない。これは、オランダから伝わったエーテルやクロロホルムによる麻酔に対して、蘭学者が考え出した訳語であり、40年以上あとの話である。青洲による世界初の医療技術にはまだ、名前がなかった。 青洲の「乳巌治験録」には「人事を識らず、ついに身麻痺し、痒痛を覚えず」との記載があり、麻酔の三要素(無意識、無動、無痛)を見事に満たしている、というのは分かるが、彼はこの現象にこれと言って名前をつけていないようなのである。 何か新しいものや概念を発明した場合、それに名前をつけることで、新しいものだと分かってもらえるから、普及がはかどる。山中伸弥(やまなか・しんや)氏が、「ヒトの体細胞から作った多能性の幹細胞」に「 iPS 細胞」と名づけなければ、ノーベル賞を取った後でも、社会の認知度は低いままだっただろう。 しかし、診療所に押し寄せる患者たちの乳がんを取ることに懸命だった青洲にとっては、自分が発明した医療技術の名前などはどうでもいいことだったのかもしれない。 もしこの時、青洲が自分の発明の価値に気づき、名誉やお金を追求したとしたら、どんな名前をつけていただろう、そして麻酔の歴史はどう変わっていただろうかと、興味をそそられるのである。 2024.12.8 |
ヒルベルト・プログラム |
19世紀までの数学者は、数学の個々の問題に対し、正しい証明を見つけることができればそれでよかった。しかし19世紀の終わりごろ、数学の土台を見直そうという動きが、数学者の中から始まった。彼らは、少数の公理を仮定することによって、数学において考えうるすべての問題は矛盾なく答えられるはずだと考えたのである。この運動を主導したのがドイツのヒルベルトであった。 1900年、ヒルベルトは23個の未解決問題を提示し、その証明を数学界に促すことにより、あいまいさや矛盾のない数学体系を打ち立てるという理想を実現しようとした。いわゆるヒルベルト・プログラムである。 われわれ麻酔科医もヒルベルトにならって、ここらで一度立ち止まり、麻酔とはそもそも人類と宇宙にとって何なのか、そしてどこに行くのか、基本のところを考えてみてもいいのではないか。以下にパラダイス・プログラムと称し、私が考える麻酔科医の未解決問題を提示してみる。
ちなみにヒルベルトの壮大な計画は、31年後、ゲーデルという無名の数学者により致命的な打撃を受けた。ゲーデルは「不完全性定理」により、数学には答えることのできない問題が存在することを証明したのである。しかも、ヒルベルトの23の問題のうち一つは、ゲーデルの示した「正しいとも、間違っているとも証明できない問題」であることが判明してしまったのである。 このパラダイス・プログラムでも、特に最後の「手順」問題などは不穏な響きを持っており、その結論によっては、麻酔は機械の方が上手にできるから人間は要らない、少なくとも医師免許は要らないということになりかねない。 麻酔界にゲーデルが登場するのは、もうちょっと待ってほしい。 2024.11.23 |
走らないマラソン |
私は40代のころから年1回くらい、フルマラソンを走っている。しかし、歳も60を超えると、後半はもう膝が痛くて走れない。苦しみながら歩いていると、走っているのか歩いているのか分からないようなお年寄りに、次々と抜かれていくのが、実に面白くなかった。 底辺ランナーは底辺なりにいろいろ考えた結果、どうせ途中から走れないのであれば、最初から走らなければいいのではないかとひらめいた。さすがに、普通に歩いたのでは関門の7時間に間に合わないので、「急いで歩く」必要はある。そこで、Youtube で競歩の動画を見て、マネしてみることにした。柳澤哲(やなぎさわ・さとし)という人の「ウォーキングplus競歩」というチャンネルには、特にお世話になった。 それ以来、私は練習でも一切走っていない。歩くとなれば、一々ジャンプしないので、着地の衝撃は小さい。ただカカトで着地することになるから、その衝撃が膝を直撃しそうな気がするのだが、柳澤氏が「競歩では、着地の衝撃を膝ではなく、骨盤で受け止めます」とかっこいいことを言うので、信じてみることにした。競歩する人の、あのぐねぐねしたフォームを、すっかり自分のものにしたわけではないが、時速8キロくらいでは歩けるようになった。あとは、それで本当に膝が痛くならないのか、である。 先日私は、しまだ大井川マラソンで答え合わせをしてきた。島田市のことも、「越すに越されぬ」と歌われた大井川も、知らない人が多いが、静岡県である。 まず、マラソンの世界記録更新の夢は一旦保留し、目標タイムを思い切り下げて6時間とする。そして練習よりさらにゆっくりと、抑えて歩く。30キロくらいで膝が重くはなったが、何とかペースを落とさずに、約5時間半で歩ききった。 標本数1、試行数1では断言はできないが、たぶん、歩いたほうが膝にはやさしい。あと、7時間制限の大会であれば、マラソンは完走ならぬ「完歩」は十分可能である。 マラソンも5時間を超えると、もうほとんどの人はとぼとぼと歩いている。それをどんどん抜くのは、やはりいい気分だった。 「走っているのか歩いているのか、分からないようなジジイに抜かれた」 私に追い越された人たちが、こう悔しがってくれたとしたら、本望である。 2024.11.10 |
ノーベル平和賞 |
2024年のノーベル平和賞は、日本の被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞した。 テレビで関係者の発言などを聞いていて、私が思ったのは、どうして核兵器がダメなのかを、この機会に世界に向かって、はっきり説明した方がいいのではないか、ということだった。あの地獄を経験した人たちならば、「核兵器は恐ろしい、ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」と叫ぶだけで説得力がある。だが、それ以降の世代がその説得力を引き継ぐには、言葉での説明が必要であろう。 核兵器は一度に多くの人間を殺害するし、大量に撃ち合う事態になれば国や地球が滅びる。だから使ってはならない、というのは当然の理屈である。 だが、医療関係者として言わせてもらえば、核兵器を使ってはならないのはそれだけではなく、これが熱傷や放射線障害など、被害者に極端な苦痛を強いる兵器だからでもある。 「非人道的な兵器」というと、人道的な兵器があるみたいに聞こえるから、核兵器は「著しく非人道的な兵器」だと言うべきだろう。 集中治療を担当したことのある医師ならばわかってくれると思うが、広範囲熱傷ほど患者を苦しめる疾患はないと思う。何週間にも渡り全身が激しく痛み、毎日のガーゼ交換はなおさら痛い。しばしば人工呼吸下にあって、からだを動かすのも痛みを訴えるのも不自由である。敗血症と全身麻酔での植皮術を繰り返し、運よく生き延びれば体幹、四肢の拘縮により生活がはげしく制限される。 この広範囲熱傷を、核爆発はその熱線により、一度に数千、数万の人間に引き起こしうるのである。これは核兵器の本質的な作用であり、焼夷弾のように家屋に火災を起こし、二次的に熱傷を起こすのとは違う。 しかも原爆体験記では、からだから皮膚をぶらさげて歩く被爆者の姿が多数記録されており、放射線によって皮膚が一気にめくれたのではないかと考えられている。生皮をはぐ、とはこのことである。さぞ痛かったであろう。 他にも放射線障害、爆風による外傷などいろいろあるが、この熱傷だけでも、核兵器は振り切って非人道的である。 核兵器を廃絶するのか、先制不使用という理屈で持ち続けるのかは、政治の問題であるが、この兵器を使用することが人として許されるのかどうかは、想像力の問題である。 その想像のために被爆者の証言は必要不可欠であり、ノーベル平和賞は遅すぎたと言える。 参考文献:原爆死の真実(NHKスペシャル取材班、岩波書店) 2024.10.14 |
水と人類 |
前回私が予想したように、このまま地球温暖化が進めば、われわれは水を浴びながら生活や仕事をしなくてはならなくなるわけだが、考えてみればヒトと水というのは、そう相性が悪いわけではない。 人類は何百万年前から、魚を取って食べている。ところが魚をつかまえて食べるサルは、他にはいないそうである。人類は他のサルと分かれたあと、進化の途中で、水の中の魚や貝という新たな栄養源に気がついたのである。もちろんそのために、祖先たちは川や湖、海の中に入っていっただろう。 もしかしたら、霊長類の中でも体力に劣る人類が生き延びることができたのは、水というニッチな環境に進出したからかもしれない。我々がネコと違って、水遊び、お風呂、海水浴を好むのも、その名残ではなかろうか。 中には、人類は一時、完全に水の中、海の中で暮らしていたと主張する人たちがいて、アクア説というのだそうだ。ヒトに体毛がないのはなぜか、ヒトが直立歩行を始めたのはなぜか、ヒトの体脂肪率がブタなどよりもはるかに多いのはなぜか、そういった疑問が、「昔、水の中で暮らしていたから」という答えで一発で解決する、のだそうだ。 しかし、さすがにそれはないだろうと思う。Youtube で人気の「あざらし幼稚園」のライブカメラを見るにつけ、プールの中で自由自在に水をくぐり、茶柱のように顔だけ水から出して寝るアザラシのようなことを、人類ができていたとは到底思えない。 私の経験上、「こう考えたらつじつまが合うから」という説明は、大体間違っているとしたものだ。アクア説も、今は忘れられかけている。 アザラシのように水の中で生きるのは無理としても、これまでの人間と水の縁を考えると、我々の生活にも、もう少し潤いがあってもいいのではないか。少々の雨なら傘をささないで歩くとか、噴水を見つけたら、ちょっと浴びていくとか。スイスの首都ベルンでは、荷物を防水バッグに詰めて、泳いで通勤する人たちがいるらしいが、うらやましい限りである。 こうして水とともに生きる生活に戻れば、一部の人間が水を得た魚のように、何か異常な能力を発揮するようになるかもしれない。 参考文献:魚食の人類史(島泰三、NHK出版) 2024.10.2 |
地球温暖化 |
私が子どものころは、8月でもお盆を過ぎると夏はほぼ終わりで、海水浴など寒くてとても行く気がしなかった。今は9月になっても、残暑どころか、連日危険な暑さである。地球温暖化説はデマだ、と言い張る人たちがいるが、それならこの暑さは我々の気のせいなのだろうか。 ジョギングにしても、数年前までなら、9月になれば昼間でも日光を浴びながら、さわやかに走ることができた。今そんなことをしたら、体重以上の量の汗をかき、たぶん死ぬだろう。 9月半ばの現在、やむをえず、私は夜明け前に20分だけ走り、家に帰ったら水のシャワーを浴びることにしている。さらにそのまま、扇風機で風を浴びると、かえってこれは極楽のような気持ちよさである。 もしこのまま温暖化が進み、厳格な炭酸ガス排出抑制のためエアコンも使えなくなったら、人類はもうこうやって一日中水とたわむれて、気化熱で体温を下げつつ生き延びるしかないのではあるまいか。 ただ、水を浴びながら、果たして仕事ができるのかどうかは気になるところだ。 麻酔科の先輩によると、昔の手術室の床は水を流せるよう、タイル張りだったらしい。私は見たことがないから、40年以上前の話だろう。 また、病院によっては、外科医は下駄を履いて手術していたという。ということはもしかしたら、水は掃除のために流すだけではなく、手術中にも流していたのかもしれない。 そういえば、1986年公開の「海と毒薬」という映画では、太平洋戦争中の手術室の様子が描かれていたが、床に水を流しながら手術していた。大出血して床にこぼれた血液が、水に乗って流れていくシーンが印象的だった。(ただしこの映画では、遠藤周作ーえんどう・しゅうさくーの原作と違い、半閉鎖式の麻酔器を使った肺切除術が描かれており、医学的時代考証は疑わしい。) 夏の気温が45度を超えつつも、手術室ですらエアコンが禁止されるであろう近未来、手術室の床の上をふたたび水が流れるだろう。水着を着た医師と看護師が、時々水を浴びながら手術を行うのだ。足元は皆、下駄ばきである。 そんな水浸しの環境で仕事することに、我々が耐えらえるかどうかはわからないが、自分たちはサルから進化したのではなく、カッパやカワウソから進化したのだと思いこむしかない。 地球温暖化説がデマだったら、どんなに幸せだろう。 2024.9.14 |
公衆トイレ |
私が通勤の時よく通る公園には、公衆トイレがある。私もずいぶんお世話になってきた。公園の外から入って利用する人が多く、本来人が通らないはずの所に通路ができて、そこだけ芝生が剥げている。 ある時ふと気がついた。これこそが中学か高校の漢文の授業で習った中国古典の言葉、「トイレ物言はざれども、下おのずから蹊(みち)をなす」ではないか。魅力のある人のもとには、黙っていても人が集まってくるという意味だと思うが、実物を見たのは初めてだった。 原文は「トイレ」ではなく、「桃李(とうり)」だった気もするが、同じようなものだ。学校で古文、漢文の授業など、役に立たないからやめろ、という意見があるそうだが、とんでもない話である。歩いていて、私がこうしてハッとする瞬間を楽しむことができるのも、40年以上前の漢文の授業のおかげである。 中国人というと、大声で自己主張をするイメージがあるが、私の勝手な思いこみだったのかもしれない。このような、奥ゆかしさをよしとする価値観は、中国にも昔からあったのだろう。 トイレや桃李のような人ばかりなら、その足元に道ができるかどうかは別にして、世の中はもっとしずかで過ごしやすかろうに、と思う。 2024.8.18 |
パワハラ三景 |
麻酔科で研修医を指導するに当たり、一点のパワハラ要素もなく行えるのかどうか、私は考えてしまうことがある。 麻酔科に新しい研修医が回ってくると、私はまず最初に、麻酔に使う注射薬を注射器に吸ってもらうことにしている。バイアルという密封容器から薬液を吸うのは特に難しく、このブログのようなどうでもいい文章を書くなどよりはるかに高度な技術が必要となる。 「はい、じゃあこのバイアルから、ロクロニウムを注射器に吸ってください。言っておくけど、これはサルにはできない。大気圧、重力、表面張力、パスカルの法則を同時にすべて制御しないとできない技だからね」 「すると、これができないと、私の知能はサル並みということになりますか」 「それは論理的に間違っている。サルにはできないのは間違いないが、人間ならできるはずとは言っていない。ただ、サルと比較するようなことを言ってしまったのは、不適切だったかもしれない。もしかして、パワハラでしたか」 「いや、大丈夫です」 危ないところだった。 新人研修医の静脈確保は危なっかしい。せっかくうまくカテーテルが入っても、しっかりテープ固定する前に手を離してしまうことがある。そんなことで抜けてしまっては恨めしすぎる。 「はい、点滴ルートを接続したら、親のカタキと思って死ぬほど固く締めるっ。あっ、まだ手を離すな、看護師さんにしっかり固定してもらうまで、死んでも手を離すな。いいか、木口小平(きぐち・こへい)は死んでもラッパを離さなかったんだぞ」 患者さんが起きていたら、私もこんなに死ぬ、死ぬなどと連呼はしないが、麻酔導入後で患者さんが聞いていないのをいいことに、調子に乗ってしまった。 幸い、「麻酔科研修に日清戦争の英雄を持ち出すのは、軍国主義を背景にしたパワハラではないですか」と聞き返されることはなかった。ま、若いもんが木口小平なんか知ってたら、腰を抜かす。 研修医が「お疲れさまでーす」と言いながら麻酔科医室に入って来た。暇だった私は、絡んでみた。 「知らんやろうけど、実は私、全日本お疲れさま撲滅連盟の会長を務めております。そのあいさつ、何の意味があるの?英語に直訳したら、すごいことになるよ」 「え、何かよくわかりませんけど、じゃあ何て言ったらいいですか」 「朝なら、おはようございます。昼間だったら、何も言わない、するなら黙って会釈」 「目上の人と顔を合わせて何も言わないなんて、不安すぎてできません」 「分かった。じゃ今日から、麻酔科においては相手が誰だろうが、朝だろうが夜だろうが、挨拶は『ウィーッす』に統一することにする。早速言ってみ」 パワハラだっただろうか。 2024.8.4 |
決め球 |
1977年の世界卓球大会で男子シングルスのチャンピオンになった河野満(こうの・みつる)選手は、このときすでに老練の域に達し、「逆モーション」打法など多彩な技術を駆使した華麗な卓球を完成していたと言われる。しかし、後年「卓球レポート」に載った彼の手記によると、意外にも、彼はたった一つの技術の上にプレーを組み立てていたそうである。 すなわち、河野選手はバックサイド(利き手でない側)に送られてきた下回転(バックスピン)のボールに対して、それがどんなに深く、どんなに回転がかかっていても、回り込んでかならずスマッシュできる自信があったという。その決め球があってこそ、多彩な技を繰り出すことができたということらしい。 プロ野球の阪神タイガースや広島カープで活躍した江夏豊(えなつ・ゆたか)投手は、数々の記録を持つ大投手である。顔が怖いのに、投球フォームは流れるように美しく、私にとってはそこが最大の魅力であった。 山際淳司(やまぎわ・じゅんじ)という作家による「江夏の21球」は、1979年の日本シリーズに、リリーフで登板した広島カープ江夏の9回の裏の全投球を、物語にしたものである。円熟期の江夏が仕掛けた壮絶な駆け引きが描かれており、スポーツ・ノンフィクションの最高峰とされる。優勝を決めた最後の1球は、内角低めのカーブであった。 ところが一方で、江夏自身が別の場所で語ったところによると、彼には外角低めへのストレートという決め球があり、いざとなれば必ずこれで打者を討ち取れるという信念を持っていたという。ちょうど、卓球の河野がバックサイドへの回りこみスマッシュを心のよりどころにしていたのと、よく似ている。 それが本当に要所で使われたかどうかは別にして、自分にはこれがある、いやもうこれしかない、というものを持つ人は、強いと思う。 彼らスポーツの頂点に立った人たちと肩を並べるつもりはないが、私も一応麻酔のプロである。何か決め球を持っていてもおかしくない。もし誰かに聞かれたら、どう答えるか、用意しておいたほうがいい。 若いころなら、スピードだけは誰にも負けないとか、気道確保の四十八手が全部できるとか、かっこよく答えるかもしれない。だがそうやって意気がるには、私は年を取り過ぎた。麻酔科人生37年目の私の決め球は、いざとなったら「助けを呼ぶ」でいいだろう。 2024.7/7 |
筋トレ |
かねてから厚労省は「健康づくりのための身体活動・運動ガイド」を公表している。要は一日8,000歩以上歩くなどして、からだを動かせばいいのであるが、2023年版では初めて、筋力トレーニングが追加された。週2,3回の筋トレは総死亡率を下げ、がんや心血管の病気を減らすことが示されているのだそうだ。 困ったことになった。私は憲法25条の手前、ジムなどに行って筋トレにお金をかける気はさらさらないが、腕立て伏せや腹筋に汗を流そうという気にも、なかなかならない。 走ったり歩いたりすれば、風や、ゆっくり流れる景色を楽しめるが、腕立て伏せをしても、近づいたり遠のいたりする床を眺めるだけだ。どうせやるなら、何か目標や楽しみが必要ではないだろうか。 数年前から、医学界や厚労省が「サルコペニア」とか「フレイル」という言葉を使い始めた。こんな英語直輸入言葉が高齢者に響くと思う感覚が理解できないが、ともかく高齢者が元気に過ごすためには、筋肉量の維持が大事、と言いたいらしい。 たしかに私もこの先、朝起きた時や、路上で倒れた時、自分で起き上がれるくらいの筋肉がないと、寝たきり、行き倒れ老人になってしまう。一時流行した「脳トレ」に認知症を遅らせる効果はないそうだが、筋トレにはフレイル(ヨボヨボ老人?)化を防ぐ効果は期待できそうだ。 これで目標はできた。自分で自分の身を起こせる老人になるという目標である。ムキムキになる必要などないので、毎日腕立て伏せ10回くらいでいいだろう。 「高齢者」と呼んでもらえるまであと4年。はやく立派な老人になりたいです。 2024.6.27 |
健康法 |
健康のためなら死んでもいい、という人はあまりいないだろうが、お金なら払う、という人はいる。だが、そういう人の財布にはいろんなヤカラが手を突っ込んでくる。下手をすると、お金をムダにするだけでなく、かえって健康を損なう恐れがある。 今、小林製薬の「紅麹コレステヘルプ」による健康被害が問題になっている。原因がわかっていないから、今は誰が悪いとも言えない。しかし考えて見れば、効能のはっきりしない、副作用もちゃんと調べられていない、薬でもない、でも「機能性食品」と言いながら食べ物には見えない、そのようなものを毎日摂取し続けるのは、リスクでしかない。 もし高脂血症が気になるのなら、普通に医院を受診し、必要に応じてスタチン系の薬をのめば済むことだし、健康保険が効くからたぶんそのほうが安い。 同じように、「血圧を穏やかにするお茶」を飲み続けるより、降圧剤をのめばいいのだし、痩せるために高い会費を払って、地獄のような筋トレと食事指導を受けるくらいなら、単に食べる量を減らせば必ず瘦せられるし、食費が浮いて家計が助かる。 そういえば日本国憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書いてあるのだった。 健康はタダ、あるいは格安に限る、と私は思っている。それは行政の仕事なのだから。 2024.6.8 |
セクハラ |
病院という職場には女性が多い。男性麻酔科医は、いつセクハラの加害者になってしまうか、わからない。そうなると最悪の場合、懲戒免職だ。私の頭の中は常に、セクハラでいっぱいと言ってもいい。 まず、物理的接触のリスク。手術室では、患者さんの身体をめぐって、麻酔科医と看護師が共同作業をすることが多く、接触してしまう危険がある。こちらにエッチな下心などありはしないが、ハラスメントの本質は、相手が嫌な思いをしたかどうかが問われるところにある。 私が点滴を取って、それを看護師がテープ固定してくれる時、手袋越しとはいえ手が触れあってしまったら、「ああ、死ぬほど嫌だ」と思われてしまうかもしれない。私には自信がないのだ。 君子危うきに近寄らず。看護師とは普段からなるべく距離を置き、接近してしまっても速やかな離脱を心がけるようにしている。 言葉はもっとやっかいであり、どこに落とし穴があるかわからない。 「休日は何してるの?」とか、「彼氏いるの?」とかそういうのは、性的な話題への入り口であり、口にすべきではない。 また、昔は当たり前だった言葉が、今は禁句になっているから要注意だ。女々しい、男勝り、おばさん、○○ちゃん(下の名前で呼ぶ)などなど、挙げればきりがない。 さらに容姿に関するいかなる言及も控えるのが常識になっており、「あの人、美人ですよね」など第三者をほめるのもやめておいたほうがいいくらいだ。 李下に冠を正さず。職場では仕事以外のことはしゃべらない、そうすれば落とし穴は回避できる。私は卒後2年以内の女性ナースとは、無駄話はほぼしない。もしかしたら、私が話しかけるだけで、セクハラになるかもしれないのだ。 その点、相手が男性ならどれほど気楽なことか。先日私は、麻酔科研修初日の男性研修医に指導をしながら、「先生が男でよかった。女性だと密室で二人きりにならないようにとか、いろいろ気を遣うからね」というと、彼は親切にも、こう教えてくれた。 「今はもう、男だから、女だからというのは、なくなっているんじゃないですかね」 そういえば、去年から問題になっているジャニーズ事務所のセクハラは、男性同士間のものであった。 セクハラを糾弾するのは、これまで黙って我慢してきた弱者の権利である。私は協力していると思ってきたが、すでに周回遅れだったわけである。上に書いたセクハラ落とし穴対策は、全部やり直しである。 私と相手が、男だろうと女だろうと、あるいはそれ以外の何かであろうと、年齢が上だろうが下だろうが、むやみに接近しない、余計な雑談はしない、というのが、セクハラ予防の出発点ということになる。 君子の交わりは淡きこと水の如し。このまま進んでいけば、荘子の説くような無為自然のサラサラな社会が待っているのかもしれない。ただ若干の問題は、私自身も多分周囲の人たちも、君子でも何でもないということだ。 2024.3.24 |
ウルトラウォーキング |
しっかり歩く人は寿命が延びることが分かっており、一日一万歩を目標にするとよい、などと言われているが、何ごともやり過ぎは逆効果である。一度に100km歩いてみようなどとは、普通は考えない。ぶらぶら歩けば1時間で4kmだから、25時間かかる計算になる。 ところが調べてみると、100km歩くというイベントが各地で開催されており、「ウルトラウォーキング」、「エクストリームウォーク」などと称している。主催者も参加者も、一体何を考えているのか。これは、歩くことを趣味とする私としては放置できない事態だと考え、先日、「 歴史と文化に触れるディープ大阪ウルトラウォーキング104km」というのに参加してみた。 スタート後しばらくは、大阪城、通天閣、道頓堀など、大阪市内の観光名所を網羅していくので、人をよけるのに苦労するが、目の楽しみもあった。その後はただひたすら歩き、堺市の仁徳天皇陵まで南下してまた帰ってくるが、まあ好きなことだから楽しいし、日がとっぷり暮れたころ合いでも、まだ余力はあった。これは最後までこの調子で行けるのではないかと思ったが、やはり正念場は深夜に来た。 70kmあたりから膝が痛くなりはじめ、速度が落ちる。するとからだが冷えて、おなかが痛くなる。深夜2時ごろ、駆け込んだコンビニエンスストアでトイレを借りて、九死に一生を得た。セブンイレブンのお姉さんが神に見えた。そのあと足を引きずりながら、私は吹田市の万博記念公園の前を通ったらしいが、まっくらで何も見えないし、何も考える余裕はない。 朝5時くらいになると、なぜかまた元気が出てくる。体内時計だか何だか知らないが、私はこれまでも徹夜で麻酔した時、いつもこの原因不明の復活現象に助けられたものだ。淀川の見晴らしの良い土手を歩いている頃に日の出を迎え、これから帰っていく大阪中心地の高層ビル群が浮かび上がってきた。なんとか22時間でゴールした。 参加者は私と同じ、中高年男性が圧倒的に多かった。自分はまだ動ける、もうちょっと無茶ができるのだと、確かめたいのだろう。徹夜で100kmも歩くことに、それ以外の意味があるとは思えない。難しいお年頃なのである。 寿命が延びるどころか、22時間歩く間に、寿命が22時間は縮んだ気がする。 2024.3.4 |
履物物語 |
昔ある作家が、冷蔵庫ほどもあるスタンプウェッター(切手を濡らす道具)を愛用していたが、だんだん古くなって濡れ方が不十分になってきた。仕方なく機械の中を覗いてみると、中年のおっさんが入っていて、「すんまへん、年取ってツバの出が悪うなりましてん」と謝ってきたそうである。 本当だろうか。 実は私の頭の中にもおっさんが一人いて、当ブログのようなものの原稿を書いてくれるのだが、やはり年を取って干からびているらしく、書くことが思いつかないそうである。更新が遅くなっているのは、そのためである。 年をまたいで、「履く」つながりで、手術室の履物の話である。 20年くらい前まで、手術室に入る者はみな、靴下を脱ぎ、病院が用意するビニール製のサンダルを裸足で履くことになっていた。今から思えば根拠のない習慣であったが、手術室という神聖な清浄結界に入るためには、靴下すら忌まわしい不浄のものだったのである。 一方、手術室の室温は、外科医が汗をかかないよう、低めに設定される。外科医がガウンを着ていることを割り引いても、手術中の外科医の暑がり方は異常なほどで、神経だかホルモンだかが壊れているとしか思えない。ある汗かきの外科医は、「とにかく部屋の温度を下げてくれ。北極じゃだめだ、南極だ」と毎回吠えるのであった。 われわれ麻酔科医は、神経がおかしくなってもいないのに、南極の中で裸足なのであるから、足元が冷えて仕方がなかった。 昔、侍は屋内では裸足、というのが正式の装いだったそうである。それがどうしても寒くて無理、という人は「殿中足袋御免」といって、自分は病弱あるいは老齢なので、タビを履かせてくださいと届け出る必要があった。 そのころの庶民も、ほとんどの場合ワラジ履きで外を歩いていたのだから、ほぼ裸足である。私のように、手足の先が冷えてしまう人には、つらい時代だっただろうと思う。 人は裸足でいるほうがが自然で健康的だ、現代人も昔の人を見習え、という考え方もあるだろう。しかし、昔の人のほうがはるかに短命だったわけだから、「自然」ではあっても「健康的」と言える根拠はない。 今では、手術室においては靴下も履物も、患者の創部感染に影響しない、とされて、好きなものを履けるようになった。寿命が延びる思いである。 私の頭の中のおっさんによると、この話にオチはない。 2024.2.4 |
手袋物語 |
手術室などで清潔操作をする人は、滅菌手袋をつける。これの起源ははっきりしていて、その昔、アメリカの外科学教授ハルステッドが、ある手術室看護師の消毒薬による手荒れに心を痛め、グッドイヤー社に依頼してゴム手袋を作ってもらったのである。看護師は当時の毒性の強い消毒薬で手を洗わずにすむようになり、手荒れは治った。 二人はやがて結婚したので、やはり教授の方に下心があったのだとわかる。 私が研修医だった30数年前、外科医が滅菌ゴム手袋をつけるのは当たり前だったが、われわれ麻酔科医は素手で作業していた。医療者側の感染防護という思想がほとんどない時代だったのである。当時は静脈確保、気管挿管はもとより、患者さんの口の中に手を入れるような作業も、素手でやっていた。 私が今、コロナにもインフルエンザにもかからないのは、このころ、ありとあらゆる病原体に暴露され、免疫ができたからではないかと、ひそかに思っている。(医学的根拠はない。) 安価なプラスチック手袋の登場により、今では麻酔科医も手袋を使えるようになった。だが、私を悩ませる問題がまだ残っている。 私はずっと、手袋は「履く」ものだと思ってきたし、研修医にも「はい、手袋履いてください」などと言い続けてきたのだが、これが標準語ではないらしいのである。私が当ブログのようなものに、「手袋を履く」と書いていたのに対し、ある麻酔科医からご指摘のメールをいただいたので初めて知った。 その先生は関東のご出身で、北海道で働いておられるが、北海道の人たちが皆、「手袋を履く」と言っているのを聞いて、「強烈な違和感」を覚え続けておられるのだそうである。手袋は「履く」のではなくて、「する」、「つける」と表現してこられた、とのことである。(ネタのご提供、ありがとうございました。) あわてた私は、職場の人に聞いてみたが、確かに半分以上の人が、「手袋を履くと言われると、ちょっとおかしいと感じる」そうなのであった。ではこれが方言なのかというと、出身地で一意に決まるものでもなさそうなのである。 私と同じ広島出身の人でも「履かない」派がいる一方、関東出身の人でも、「靴やズボンなど、腰から下のものは履く。手も降ろせば腰から下だから、履く、で正しい」と言い切る人もいる。ただ、北海道出身の人に聞けば、手袋は履くでよい、異論があることは知っているが、認めない、とのことであった。 言葉のくせはこわい。 医学の世界では、病状が悪化することを「増悪」と書いて「ぞうあく」と読むのだが、私の同僚でずっと「ぞうお」と言っている人がいた。「憎悪」と混同していたのだろう。教えてあげればよかったのだが、最初に言いそびれると、今さらとても言えない状態に陥る。その人の「ぞうお」を聞くたびに、私は罪悪感にさいなまれるのであった。 私も「履く」の他に、おかしな言い回しで周囲に迷惑を与え続けている可能性がある。気を付けたいとは思うが、自分では絶対に気づけないだろう。絶望するしかない。 もっとも、「手袋を履く」に関しては、手袋の本場と言える北海道でそうなっているのであるなら、標準語にしてしまってもいいのではないかと、ひそかに思っている。 2023.12.30 |
病院攻撃 |
「シンドラーのリスト」(トーマス・キニーリー著)という実録小説は、ユダヤ人絶滅計画を進めるナチスと、その裏をかいて千人を超えるユダヤ人の命を守り抜いた一人のドイツ人の物語である。その中に、クラクフ(ポーランド)という都市のゲットー(ユダヤ人居住区)が解体される場面があるのだが、ここは医療関係者としては心穏やかには読めないところである。 その日の朝、ゲットーの中にある病院には、動かせない重症患者が4人残っていた。しかし、ナチスがやってくれば、彼らが銃で撃ち殺されるのは確実だった。ゲットーのユダヤ人は全員ブワシュフ収容所に送られることになっていたが、いずれは根絶やしにされる運命にあり、わざわざ動けない病人を運ぶ手間をかける意味などなかったのである。 ナチスの特別行動隊がすぐそこに迫る中、病院の医師と看護師は悩みぬいた挙句、「楽になれる薬だから」と青酸カリを溶かした水を飲ませた。患者たちは何の疑いもなくそれを飲み、静かな最期を迎えた。 この医師たちの心情は、察するに余りある。この小説の中で、この医師たちだけが名を伏せられていることが、その立場の複雑さを示している。だがその場にいなかった何人も、極限状況下での彼らの行動を、称賛したり非難したりする資格を持たないだろう。自分がこの医師の立場だったらどうしただろうという問いさえ、私は保留せざるを得ない。 そのような迫害を受けた民族が、今、迫害する側になってパレスチナ、ガザ地区の病院を襲撃している。ホロコーストと人質救出、目的に違いはあるが、やっていることはだいたい同じである。 病院は人を治すところだ。攻撃してはいけない。子どもを傷つけるのもだめだ。そのことを身をもって知るはずのユダヤ人が、一体何やってるんだ、と、オスカー・シンドラーは草葉の陰でぼやいているに違いない。 2023.11.26 |
難渋 |
今日11月11日は、その唯一無二の字づらから、ポッキーだけでなくいろんなものの記念日として設定されているそうである。私にとって今日は、「下駄の日」である。高校の化学の授業で、A先生が教えてくれたのだ。「今日は何の日か知っとる?下駄の日なんよ。11,11が下駄の歯の跡みたいじゃろ。」 あの日から43年間、私は毎年11月11日になると必ず、今日が「下駄の日」であることを確認するようになった。そして、今年も無事そのことを思い出せたことに、深い安堵の念を覚えるのである。 だが待て、来年も同じように思い出せるだろうか。うっかり忘れていて、そのことに11月12日に気がついてしまったら、取り返しがつかない。数十年の積み重ねがすべてパーだ。こうしてまた、不安な一年が始まるわけである。 思えばA先生も、余計なことを教えてくれたものだ。 上に書いたことも、これから書くことも、どうでもいい話だが、麻酔科の学会や論文で、「難渋」という言葉をよく見かける。こんな言葉を日常会話で使う人はいないだろうが、ものごとがうまく進まず、苦労しましたという意味のことを、ちょっと気取って言いたい時に、医師が好んで使うようである。私はどうもこの言葉に違和感を覚える。 たとえば学会の演題で、「○○病患者の全身麻酔中、血圧維持に難渋した一例」みたいなのがある。だがこれは、日本語にありがちな主語抜き文である。難渋したのは「私」であるから、省略せずに言えば、「血圧維持に私が難渋した一例」となる。 思わぬトラブルに直面した「私」の渋い顔が目に浮かぶようなタイトルであるが、発表者の苦労ぶりをタイトルに忍ばせるのはどうかと思う。そこに共感してあげなくてはならない義理は、こちらにはない。 会話やSNSなら日本語のあいまいさを利用するのもいいが、科学の分野の発表であるから、もう少し客観的な表現を選んだほうがいいのではないか。たとえば「血圧維持が困難であった一例」などとするほうがすっきりする。「難渋しましたよ」と強調しすぎると、論破王みたいな人から、「それって、あなたの感想ですよね」と言われても仕方がないと思う。 2023.11.11 |
ぼやきの天才 |
若い人は知らないだろうが、昭和後期に活躍した漫才師に、人生幸朗(じんせい・こうろう)という人がいる。この人の芸は「ぼやき漫才」と言って、世の中のいろんなことにけちをつけ、ぼやいて見せるのであるが、それが子どもだったわたしにも、ただもう面白かった。 定番のネタに、桜田淳子(さくらだ・じゅんこ)というアイドル歌手のヒット曲に対するぼやきがある。「去年のトマトは青かったけど、今年はもう赤いわ...」という歌詞にいちゃもんをつけ、「そんなもん、今年になったらもう腐っとるわい」とぼやき、最後は必ず、「責任者出てこい」で決めるのである。 しかし、ぼやくことで人を笑わせたり、元気にさせたりなどは、人生幸朗氏のような限られた天才にしかできないことだろうと思う。普通の人が、気に入らないことをぼやいてみせたところで、誰も聞いてくれるはずもない。 たとえば私の場合、仕事のことでぼやくと必ず、「それはな、ちゃんと主張しない自分が悪いんと違うの」などと返され、どのみち全部私が悪いことになる。私のぼやきなど、つまらないから聞きたくないのであろう。今では私は、家では仕事のことは決して口にしない。 手術室看護師の中からはときどき、ぼやきの天才が現れる。 あるナースは、排泄ネタと師長(の悪口)ネタを得意としていた。 「ちょっと聞いてもらえますか。夕べの救急外来に3日間布団の中で動けなくなった便まみれの人が来て、からだを拭こうとするとほかのナースがみんなスーッといなくなって、最初は手伝おうかと言ってた師長さんも用事があるふりをして消えたし、全部ひとりでやったんですよ、どう思います?」 こういう悲惨な話をおもしろく聞かせる能力は、持って生まれたものだろう。この人はほぼ毎日、新しいネタを職場に持参してくるので、私は楽しみにしていた。そのぼやきを聞くと、自分のぼやきを代弁してもらったような気がして、なんだかすっきりするのが不思議であった。 「詩人とは、自分の内面を語ることによって、世界そのものを語れる者のことである」と誰かが言ったと誰かが書いていたが、この構文を拝借すると、ぼやきの天才とは、自分の悲劇を語ることによって、世界のストレスを解放してしまう者のことである、と言えるだろう。ストレス渦巻く手術室に一人、ぜひとも常駐してもらいたい才能である。 2023.10.8 |
眠い人の起こし方 |
うちの子どもがまだ幼いころ、子どもたちを寝かしつけるのは私の役目であった。だが子どもはただでは寝てくれない。布団に入り、明かりを消すと、父が即興の作り話ごっこをしてやらなくてはならなかった。父が誰で、子どもが誰になるかは、そのときの思いつきで決まる。私は滝のヌシの龍になったり、宅配のおじさんになったりしたし、子どもはウルトラの母になったり、学校の先生になったりした。そして交互に発言して、他愛もない話を作っていくのである。 お話の睡眠導入効果はてきめんで、私はただちに眠くなった。面白いもので、自分がれろれろと変なことを言っているのが、自分でわかってくる。しかし、仕事で疲れた父をこのまま眠らせてくれるほど、子どもたちは慈悲深くはない。あの手この手で、起こしにかかってくるのである。 眠りかけた父を起こすのは、下の子がうまかった。「お父ちゃん、救急車呼ぶで」というのである。幼稚園児がどうやってそんな悪質な脅しを思いつくのかわからないが、我が家に救急車を呼ばれてはたまらない。これを何度聞いても笑ってしまい、父は束の間の覚醒を果たすのであった。 手術終了後、麻酔を切っても患者さんがなかなか目覚めないとき、この「救急車呼びますよ」とやってみようと思うこともあるが、ここは病院だったと気がつき、思いとどまるのであった。 2023.9.16 |
ダンバー数 |
ダンバーというイギリスの人類学者によると、ヒトが作る共同体の基本の人数は150なのだという。年賀状をやり取りする人の数、学校の1学年の生徒数なども、だいたいこの辺になる。これ以上になると、顔と名前を一致させたり、お互いの考えやバックグラウンドを理解するのが難しくなる。 この数を「ダンバー数」といい、大脳皮質の大きさで決まっているのだそうだ。猿人とチンパンジーが50人,原人が100人であるから、ホモ・サピエンス(ヒト)も大したことはない。 この手の仮説が正しいかどうか、証明はできなさそうだが、間違っていたらこの話は終わるから、正しいとする。ヒトは石器時代よりはるか昔から、100-150人くらいの群れを作って生活してきたのだろう。そして脳というハードウェア上の制約から、未だにその数字を超えることができず、150人以上の共同体を作ると不安定、非効率になるのかもしれない。 確かに、私はこれまでいろんな病院に勤めてきたが、医師数100人あまりの今の病院くらいがちょうどよい気がする。顔を見れば何科の誰か、ものを頼みやすい人かどうか、互いに知っているから、働きやすい。 大学病院ほどの規模になると、医師だけで多分300人から500人くらいいるから、もう誰が誰やらわからない。したがって各科の中で群れを作ってしまいがちになり、風通しが悪くなる。患者さんのことで他科にちょっと聞きたいくらいのことで、ものすごい手間と時間がかかったりする。 では病院は小さいほどいいかというと、そうでもない。ちょっと話しかけたくない危険人物がその科の唯一の医師として君臨していたりして、これまたやりにくいのである。 しかし、ヒトのダンバー数がいつまでも150のままでは困る。プーチンが隣の国に平気でミサイルを撃ち込んだり、全面核戦争のリスクをちらつかせたりできるのも、プーチンの脳がわれわれと同じように未熟で、周囲の150人しか自分の仲間であると認識できないからであろう。 何とかしてヒトの脳の性能を上げていき、ダンバー数を80億まで引き上げることはできないものだろうか。そうなれば、地球の人類がみな自分の仲間であると理解できるようになるはずである。 試しにダンバー数向上の具体的な指標として、毎年80億枚の年賀状を平気で書けるようになる、しかも手書きのコメント付きで、などと設定して見るといいだろう。それがいかに達成困難であるか、実感される。 人類のこれからたどるべき道のりは、まだ遥かに遠い。 2023.8.12 |
遺伝子 |
私はこの数年間で、実の父母と妻の父母を亡くした。今どきの葬式はもう、親族しか呼ばないが、その親族には毎回驚かされた。私の親の世代と言えばやたら兄弟が多く、葬式に現れたその兄弟が、みんな故人にそっくりなのである。 私の息子は、義父の葬式に現れた義父の弟を見て、こう言った。「おじいちゃんが死んだ気がせえへん。コピーがおる。」私も感心して、こう答えた。「なんと遺伝子とは、恐ろしいもんやな。」 当の弟さんに聞いても、「なあにをゆうとるキャ、あにいとわしは全然似とりゃせんわ(岐阜弁)」というのだが、他人から見れば、顔や体格だけでなく、声や身振りも生き写しである。以前私は「行動遺伝学」について紹介したが、それによると遺伝の影響は年を取るほど顕著になるらしい。子供のころはみんな個性の皮をかぶっており、兄弟とはいえ自分たちは全然似ていないと思っているものだが、年を取ると個性など吹き飛んで、遺伝子がむき出しになってしまうのだと考えられる。一種の時限爆弾だ。 こうして、親族が一堂に会する葬式とは、遺伝子の見本市のようなものであると思い知った。義父は個体としては消滅しても、遺伝子としては弟さんや、私の息子に残っているわけで、生命というのはこうやってつながっていくのだなあ、と頼もしく思ったものである。 スバンテ・ペーボ氏は、ネアンデルタール人の遺伝子が現生人類の中に残っていることを示し、2022年のノーベル医学生理学賞を受賞した。ほんの数年前までは、「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、同時代を生きていたが、交雑(エッチなこと)はしていない」というのが定説であったが、それがひっくり返されたのである。 これまで人類進化学は、主に化石つまり骨の形状を分析して進化の枝をたどってきたのであるが、化石からDNAを取り出すというとんでもない技術革新により、これまでの定説が次々と新しいものに塗り替えられつつある。これまでいろいろな説が上がってきた日本人のルーツも、かなりはっきりしてきたようだが、知りたい人は中公新書「人類の起源」(篠田謙一 -しのだ・けんいちー 著)を読んでみるといいだろう。ただし、アフリカから全世界へ拡がっていった、人類の遺伝子の旅の物語は複雑すぎて、私はついていけなかった。 それはともかく、アフリカを飛び出したホモ・サピエンスが、ユーラシアのどこかでネアンデルタール人と出会い、一部の者が今風に言えば結婚したということなのだろう。このときすでに、両者は分岐して数十万年経っているのである。人種ではなく、種が違うのである。どういう夫婦生活だったのだろう?それでも、その子供たちはしっかり生き延び、すでに絶滅したネアンデルタール人の遺伝子を今に伝えているのである。もちろん、われわれ日本人もそれを持っている。 遺伝子のしぶとさよ。私にはとてもまねできない。 2023.8.6 |
お金の使い方 |
職場のお金を横領したりして捕まった人のニュースをときどき見るが、そのお金を何に使ったかというと、「飲食」と「ギャンブル」が意外に多い。せっかくわが身を滅ぼすリスクを冒してお金を手に入れたのだから、どうせなら貯金するとか、資産になるものを買っておくとか、将来に備えた使い方をすればいいのに、全部消えてなくなる使い方してどうするんだ、と私のような小市民は思ってしまう。 だがよく考えてみれば、不正に得たお金を形のあるものに換えて、その前でふんぞり返っていられる人というのは、よほどの大悪党ではなかろうか。私ならたぶん、後ろめたいお金であればあるほど、手元に残らない形で使ってしまうだろうと思う。私はギャンブルは嫌いなので、やっぱり、飲み食いになる。 ネコババしたお金で蓄財するのにいたたまれず、つい飲食に使ってしまう人たちというのは、まだしも普通寄りの人たちなのかもしれない。 さて先日、当院麻酔科は臨時収入を得た。一種の報奨金のようなもので、患者さんや業者からもらったというようなやましいものではないが、不労所得の感は免れない。これは小悪党のやり方に倣って、さっさと使ってしまうに限る。 5日後の昼、私はいつものお好み焼き屋さんに、そばめしを7つ注文した。いつもは研修医の分は自分の財布から出すのだが、今回は完全なただ飯である。逮捕される心配もない。また格別の味わいであった。 2023.7.30 |
時間旅行者 |
手術はしばしば、予定より長引く。長引けば長引くほど、終わった後の外科医の表情には達成感がみなぎるのだが、まわりをよく見ろと言いたい。乱れた手術室ダイヤを復旧させるために、看護師と麻酔科医は全身全霊を傾けつつ、担当者を差し替え、手術室中を駆け回り、手術出しの遅れた患者に頭を下げているのだ。もはや手術室は阿鼻叫喚の生き地獄である。 なのにどうして、混乱の張本人である外科医は涼しい顔をしていられるのか。私の長年の疑問であった。 かつて、「手術してると時間を忘れるよね」と口走った外科医がいた。いやいや、時間を忘れてもらっちゃ困るんですよと言いたいが、謎を解くカギはこの辺にあるのかもしれない。彼らの中で時間の流れは、われわれ普通人と違うのではなかろうか。 そういえば、彼らは10時間でも15時間でも休まず手術するが、腹も減らないし、トイレにもいかない。彼らの体内では、時間がゆっくり流れているようなのだ。つまり、手術をしている外科医は時間旅行者なのである。 時間といえばアインシュタインである。アインシュタインは相対性理論により、強い重力場では時間の流れが遅くなることを示した。手術中の外科医はつねに重圧にさらされていると思われるが、重圧と重力を取り違えた結果、自分の周辺の時空にひずみをもたらし、時間の流れを遅くしてしまっているのであろう。 われわれと異なる時空を漂いがちな外科医をこちらの世界に引き止め、時間を守らせるにはどうしたらよいか。 アインシュタインは、相対性理論を一般人にわかりやすく説明するとき、このように表現したそうである。 「ストーブの上に手を置いていると1分が1時間に感じられるけど、異性と楽しくしゃべっていると1時間が1分に感じられるでしょ、それが相対性理論です」 これを聞いたどこかのオヤジが、「なんて頭のいいやつだ、こんな当たり前のことを言って有名になるなんて」と言ったとか、言わなかったとか。 それはともかく、答えはもう出ている。手術中、時間旅行を始めてしまった外科医は、ストーブの上に載せるといい。 2023.7.1 |
歩き方 |
インターネット上で「歩き方」に関する記事や動画を見かけることが増えたような気がする。歩くことに健康増進効果があることを前提として、「こういう歩き方のほうがいい」とか、「正しい歩き方はこれだ」みたいなことが主張されている。整体師、理学療法士、ヨガの人、医師、出自のよくわからない歩き方インストラクターなどがよってたかって、そういうのを出してくる。 私は歩くことが好きなので、ついつい見てしまうのだが、その内容に面食らうことが多い。「胸を張れ」、「胸を張るな」、「ペットボトルのような姿勢で」、「つま先着地で」、「からだをねじらないナンバ歩き」など、数々の珍説が披露され、もうわけがわからない。こういうのをいちいち真に受けて、全部取り入れたらどうなるか。修学旅行の女子高生の団体の前を歩く男子中学生のような、ぎごちない歩き方が完成するだろう。 いっそこれらの歩き方マスターたちが一堂に会し、自慢の歩き方で歩いてもらい、力尽きて倒れるまでにどれだけ進めるか、競ってもらったらどうかと思う。優勝した人の歩き方ならば、それなりの説得力はあるだろう。 そもそも、「正しい歩き方」なんてあるのだろうか。人類の起源が二足歩行にあることを考えると、歩行は人間にとってもっとも基本的な動作のはずである。人に教わるようなものではないと思う。 最近は歩容認証という技術があって、人の歩き方を分析すれば、その人物をほぼ特定できるのだそうである。歩くという行為がそれだけ、その人だけの個性に守られているという事だろう。それなのに、「この歩き方の方が正しい」、「その歩き方は間違っている」などと呼ばわるのは、余計なお世話であり、憲法で保証された基本的人権を侵害されている気分である。 妻がよく私に言うようになった。「なんか、そのひょこひょこした歩き方、死んだおじいちゃん(私の父)に似てきたね。」うれしそうに言ってくるのならわかるが、どういうわけか、迷惑そうな顔で言うのである。 歩き方奉行たち、および妻に言いたい。放っておいてください。歩きたいように歩くから。 2023.6.17 |
病院の地政学 |
近年、「地政学」という言葉をよく聞くようになった。国家が行う政治的行動を、地理的環境、条件と結びつけて考える学問のことを指すそうである。 たとえばロシアは歴史的に、ヨーロッパからの侵入に悩まされてきたため、緩衝帯となるウクライナ、ベラルーシなどを自分の子分にしておかねば安心できないのだという。だから去年、西側になびくウクライナにロシアが侵攻したのは、プーチンの頭がおかしくなったのではなく、ロシアが自衛のために取った必然的行動だった、ということになる。 じゃあ戦争を仕掛けた国や個人に責任はないのか、という違和感は残るが、地政学の分析を聞いていると、世界のいろんなできことがわかったような気になってしまうのは確かである。また国の行動は指導者の気まぐれで決まるものではなく、宿命のようなものだから、将来何が起こるかも予見できるらしい。 ジョージ・フリードマンという人によれば、日本の中で世界への野望がふたたびむくむくと頭をもたげ、数十年後には日本とアメリカが宇宙を舞台に戦争をするそうだ。恐ろしいことである。 さて、病院を世界に見立てた場合、麻酔科国の地政学的な立ち位置はどのようなものになるだろうか。面白半分に分析してみよう。(私は常に面白半分だ。) まずその位置を見てみよう。麻酔科国は手術室とそれに隣接する集中治療室を領有し、病院の中央部門を握っている。これらは地理的にも、たいていは病院の中層階にあり、まさに心臓部に陣取っていると言える。 他国との関係はどうか。麻酔科国は依頼を受けてサービスを提供する側であり、逆に他国に依存する部分は少ない。安全保障を考えるうえで、この立場の強さはきわめて重要である。 例えば軍事的には、麻酔科国の主力武器は注射器と針程度であり、ドリルやノミ、電ノコで重武装した整形外科国の敵ではない。しかしその立場上の優位から、整形外科国から武力侵攻を受ける可能性は、ほぼないのである。 一方、人口は国力の重要な因子であるが、麻酔科国はこの点ではやや弱い。しかしここで忘れてはならないのは、看護師国との同盟である。麻酔科国は手術室と集中治療室の看護師と近い関係にあり、普段からパワハラ、セクハラを控えている限り、味方になってもらえる可能性が高い。こうして数的優位を確保すれば、周辺国への圧力になる。 結論を言えば、麻酔科国は地政学的に最強であり、覇権を握らない方がおかしいほどである。 なぜ現実には、そうはならないのか。病院という名の世界には他にまだ、もっと強力なプレーヤーが存在している。病気を抱える患者さんを前にして、麻酔科国には地政学ごっこをやって遊んでいる暇はなさそうだ。 2023.6.4 |
手術室の覗き窓から見たコロナ |
2023年5月8日をもって、新型コロナの扱いが感染症第5類に格下げされた。感染症の専門家は、まだまだ気を抜くな、次の波が来ると警鐘を鳴らしているが、私はただの麻酔科医である。もうええやん、終わりにしようやという一般市民と同じ想念しか、頭には浮かばない。 というわけで、私の一存で、新型コロナはもう終わったことにする。そして、コロナに多少は関わった麻酔科医として、長かった3年間を振り返ってみたいと思う。 2019年末、新型コロナが中国武漢で流行していたころは、対岸の火事であったが、2020年1月、ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が発生し、死者が出た頃から、これは自分のところまで来るぞ、と素人の私でも思うようになった。私の病院はコロナの軽症、中等症までしか扱わないことになっているから、麻酔科医が直接診療に関わることはないだろうが、知らずに感染者に接するということもありうる。かかると死ぬかもしれない感染症である、そう思っただけで、からだに微熱を感じるのが不思議であった。 当院で麻酔科医がコロナと直接対決するようになったのは、2021年1月のことであった。コロナで入院している患者さんが重症化し、重症を扱う病院に転送することになったが、転送前に気管挿管してくれという電話がかかってきた。コロナ患者の挿管は、もっとも熟練したものが行うべきなので、麻酔科医が行うことに決まっていたのである。 それ以降、コロナの挿管依頼はどんどん来た。一日2回挿管したこともある。夜中でも休日でも麻酔科医が呼ばれた。麻酔科医以外が挿管したことは一回もなかったはずである。私だけで20例前後は挿管したと思う。 当時は、重症化し人工呼吸になる人の中でも、30代から60代くらいの、それほど健康リスクのない人も多かった。普通の人がコロナで死亡することがある、という現実があった。ただ強いて言えば、肥満の人は明らかに多かった。肥満の人はかえって病気に強い面もある、というのが私の持論であるが、コロナに関してはそれは成り立たなかったように思う。 挿管された人は、人工呼吸のまま命を失う可能性もそこそこあった。そうなると、その人が最後に耳にしたのは、私の呼びかけであった、ということになる。これはあまり気分のよいものではない。そこで私は鎮静剤を投与する前に、「これから口に管を入れますけど、必ずよくなって管が抜けますからね」と言うことにした。もしこれがウソに終わったとしても、「あの野郎ウソをつきやがったな」などと、わざわざいまわのきわに怒る人はいないはず、という作戦である。 私だって、自分が感染するリスクを負って、最も危険と言われる処置を行ったのである。自分の気休めのために、これくらいのことは許されただろうと思う。 その後もいろいろあったが、2022年の中頃からは挿管依頼はほとんど来なくなった。オミクロン株が主流になってからはより顕著だが、感染者の重症化は極めてまれになったのである。その証拠に、自分の周囲でも感染が多発しているのに、みんな普通に治っている。普通の風邪、とは言わないが、それに近いものになったと言える。 感染症の専門家がなんと言おうと、もう日本人が普通の生活を取り戻すべき時が来たと、私は思っている。私は昨日、3年間自粛していた卓球の練習を再開した。 災厄でしかない3年間だった。今ごろになってアマビエが海から出現し、私のおかげですが、などと言っても私は認めない。コロナの影響を受けなかった日本人はいないだろう。人生を狂わされた人も多かったと思う。いいことがあったとすれば、すべての宴会がなくなったことくらいだが、そんなことで喜ぶのは私くらいだろう。 上記のように、私の病院でも麻酔科医はそれなりにウイルスを浴びたはずであるが、私を含め、中堅以上の医師は結局一度もコロナにかからなかった。家族に感染者が出ても、平気だった。麻酔科医は普段から、病院の運営に支障をきたすのでカゼをひかないことにしているが、それがコロナにも有効だったのだろう。あるいは何かの病気だろうか。 コロナにかかった人も、かからなかった人も、本当によく戦った。今はそのように、声をかけあうべき時だと思う。 2023.5.14 |
たばこと肺がん |
私が図書館で何の気なしに選んだ医療史の本に、「肺がんの原因がたばこであるというのは根拠のない説である」というようなことが書いてあった。それらしい理由もいろいろ挙げており、予断なく素直にこれを読んだ人は、え、たばこでガンになるというのは嘘だったのかと驚くだろう。 2023.5.4 |
病院船 |
2011年の東日本大震災のあと、こんな時病院船があったらなあ、という話が出た。災害、感染症の流行、その他急な傷病者の大量発生に際し、豪華客船みたいな船がさっと現れて患者を迎え入れ、治療、療養を担ってくれるとしたら、こんなに便利でありがたい話はない。 2023.4.22 |
栄光なき軍隊、暁部隊 |
広島原爆資料館が編纂した「広島原爆戦災誌」によると、1945年8月6日、広島に原爆が落ちたあと、最も早く救援にかけつけたのは「陸軍船舶司令部」、通称「暁(あかつき)部隊」の兵隊たちであった。原爆により市内の行政、医療機関が壊滅した一方、暁部隊は広島市でも南端の宇品(うじな)港という場所にあり、大きな被害を免れていたのである。 2023.4.9 |
しぐさの歴史 |
「日本のいちばん長い日」という2015年の映画で、私が驚かされたのが、昭和の軍人たちのしぐさであった。会話の中で「天皇陛下」の一語を口にするたびに、顎をひき、靴の踵をカチッと合わせ、直立不動になるのである。下手をすると、一回の発言中、何度も気ヲツケをしなくてはならなくなる。それでも言っている方はまだいい。聞く方もいちいち気ヲツケしなくてはいけないから、これでは全く気が抜けないではないか。 2023.4.1 |
年次有給休暇 |
毎年この時期になると、総務課から電話がかかってくる。 2023.3.4 |
国立国会図書館デジタルコレクション |
趣味や仕事の中で、どんな分野のどんなことでも、深く関わってしまったら歴史を知りたくなる。そうでない人もいるだろうが、私はそうだ。お茶の歴史とか、郵便やら鉄道やら、そういうメジャーな話ならすでに誰かがまとめてくれているはずだ。だがそれが、誰も知ろうとしたことのない些細なテーマだったとしたら、自分で一次資料を探さなくてはならない。 2023.1.25 |
失言 |
よく政治家が問題発言をしてしまい、大臣をやめさせられたりしている。今年で言えば、「法務大臣は死刑執行のはんこを押して、昼のニュースに自分の名前が出るくらいの地味な仕事」で辞めた大臣がいた。 2022.12.12 |
毒舌応援 |
コロナ対策の緩和に伴い、この秋、各地でマラソン大会が復活している。私がよく参加する静岡県の島田大井川マラソンも、3年ぶりに開催されたので、先日一走りしてきた。 2022.11.6 |
核爆発対応覚え書き |
今、ウクライナとの戦争で不利になりつつあるロシアが、核兵器を使用する可能性が高まっていると言われている。万一地球の空を核が飛び交う事態になったりすれば、日本も危ないと心配をするのは当然だろう。そうなれば、6月11日に私の脳内で行われた核ミサイル対応演習だけで日本の病院を守れるかどうか、心もとない。
あとはこんな覚え書きが、役に立つような事態が起こらないことを、祈るのみである。 2022.10.27 |
海への家出 |
以前私はここで、自分が家出した場合の行先として、山に入るのはどうかという検討を行った。どういう結論だったかよく覚えていないが、キツネやタヌキを素手で捕獲し、そのまま引き裂いて食べるくらいの元気があれば、山の中でも生き延びられそうだという話だった、ような。 2022.10.10 |
アントニオ猪木 |
先日、プロレスラーのアントニオ猪木(いのき)氏が亡くなった。 2022.10.7 |
サードマン |
遭難や災害などで、人に死の危険が迫ると、まるで国際救助隊(通称サンダーバード)のように「サードマン」なるものが現れることがあるそうである。この言葉は、1910年代に世界初の南極大陸横断に挑戦したイギリス人、シャクルトンのエピソードに由来している。シャクルトンは大事な船を失い、最寄りの捕鯨基地まで氷の山を越える決死行を余儀なくされたが、このときの隊員3人の他に、一緒に歩いてくれているもう1人の存在を強く感じていたというのである。これだと「4人目の人」になるはずだが、エリオットとかいう人が「荒地」という詩にこの話を読み込んだ時、「3人目」にされてしまったのである。 2022.9.25 |
緑茶のすすめ |
夏には苦いものがよく似合ふ(たぶん)。苦いものと言っても、ゴーヤー、コーヒー、ビールなどいろいろあって、どれも暑さに効く(ような気がする)のだが、私は毎朝、緑茶(煎茶)の苦味で目を覚ましている。 2022.8.28 |
飲水禁止の歴史、その2 |
前回私は「飲水禁止の歴史」の中で、けが人に飲水を禁じるのは根拠のない民間伝承に過ぎない、と書いた。ところがそのすぐ後に、根拠なしとは言えないと知ってしまった。今のうち、素知らぬ顔をして訂正しておくことにしよう。 2022.8.23 |
飲水禁止の歴史 |
WHOは2021年、災害や事故などで多数の熱傷患者が発生した場合の水分補給について、ガイドラインを示している(注1)。もちろんかなりの量の水分を与えるのだが、よほど重症でない限り、それは飲ませてもいいし輸液でもいい、となっている。医療資源が患者数に追いつかない場合を想定した、現実的な対処である。 2022.7.23 |
核ミサイル、その2 |
以前にもここで書いたことがあるが、広島、長崎の原爆証言録を読むと、重傷を負い、「水をくれ」と訴える人がたくさん登場する。それに対し救護する側が、「水は決して与えてはならないと言われていたので、心を鬼にして断った」という体験談が多い一方、「あまりにかわいそうと水を飲ませてあげたところ、次の瞬間がっくりと首を垂れ、動かなくなったので驚いた」という話もまた多数ある。 2022.7.17 |
ゴッドハンドへの道 |
麻酔科学というのは実践の医学であり、麻酔科医には知識だけでなく、点滴や気管挿管などの技術も必要である。 2022.7.2 |
核ミサイル |
何か気に入らないことがあると、「核ミサイルを飛ばすぞ」と脅してくるのは、北朝鮮の人だけかと思っていたら、今年2月のウクライナへの侵攻以来、ロシアの人もしきりに言うようになった。普通の感覚を持つ人ならば、「これはもしかして、何かのはずみで日本にも、核ミサイルが飛んでくるのではないか」と心配するものではなかろうか。 2022.6.11 |
耐寒秘法 |
さきの知床観光船の沈没事故で、私たちは海の恐ろしさを、改めて思い知ることになった。 2022.5.28 |
胆のう摘出術 |
このところ私の病院では、毎日のように緊急の腹腔鏡下胆のう摘出術が入ってくる。緊急で取らなければならないくらいだから、胆のうは化膿し、腫大し、破裂寸前で、肝臓にべったりくっついており、手術には結構時間がかかる。緊急で入ってくるくせに、緊急には出ていかないところが、この手術の厚かましいところだ。 2022.5.15 |
咬傷 |
人間はいろんな動物に噛まれ、傷を負う。これを咬傷(こうしょう)と呼ぶ。 2022.4.25 |
昼食の固定 |
内田百閒(うちだ・ひゃっけん)という小説家は、昼食にはかならず近くの蕎麦屋のざるそばを取り寄せていたそうである。また、山田風太郎(やまだ・ふうたろう)という小説家は、豚肉でチーズを挟んで焼いたものを一度食べて、そのあまりのおいしさに驚嘆し、これを「チーズの肉トロ」と名づけて毎晩欠かさず食べていたそうである。 2022.4.3 |
奇跡の3日間 |
去年の12月、新型コロナの感染はすっかり下火になり、もうさすがにコロナは終わるだろう、と私も思っていた。しかし、やつらはまた来た。オミクロン株を主体とする第6波である。よろしい、コロナは永遠に終わらない、と思うことにしようではないか。そうすればあちらも油断して、もうさすがにコロナは終わるだろう。 2022.3.12 |
冷え性麻酔科医のためのカイロ活用法 |
この冬私は、突如「カイロ愛」に目覚めた。理屈で考えるならば、あの程度の熱量で、30-50リットルの水のカタマリである人体の温度を上げられるわけがないが、「血流を失った手を温め、冬の苦しみを和らげる道具」であると考えれば、かなり有用なのではないか。
2022.2.20 |
手 |
2月半ばにさしかかっても、まだまだ寒い日が続いている。 2022.2.11 |
お見舞い |
新型コロナの影響で、病院の何が変わったかと言えば、「お見舞い」である。感染防止のために、患者への面会が大幅に制限されてしまった。家族でさえ、ほとんど病室に入れないのだから、ただの知り合いというくらいでは、病院に入ることもできない。 2022.1.23 |
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