麻酔について解説します

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Dr Nekomata へのメール

術前診察の友 - 書類入れ

 麻酔科医が術前診察に出かけるとき、数人分の術前診察用紙や同意書を持って歩かなくてはならないから、入れ物が必要だ。それはぜひ、ライティングボードを兼ねているべきなので、「クリップファイル」、「クリップボード」といったものを使っている医師が多い。
 最近私は普通のクリアファイルが使えることに気がついた。それだけだとフニャフニャでその上で字を書くことができないので、ファイルの中に厚紙をはさめばいいのだ。文具屋の「製本」コーナーで売っていたもので、かなりしっかりしている。クリップ機能はなくても、意外に困らない。
 市販のクリップファイルに比べ、軽く、安く、絵がらの選択が自由である。同業者には参考にしていただきたい。

2017.10.29

 
脊椎麻酔レベル確認

 高齢者が転倒すると、しばしば大腿骨頚部骨折を起こし、手術が必要になるのは今も昔も変わりないが、麻酔はずいぶん変わった。昔は80歳を超えたご老人に全身麻酔をかけるのは、非常に危険であると考えられており、下肢の骨折であれば当然、脊椎麻酔か硬膜外麻酔が選択肢された。アルチバもセボフルランもブリディオンもない時代である。

 認知症と難聴で意思疎通もむずかしいのに、痛い思いをさせて横向きにさせ、背中に注射をするのは、骨折の麻酔だけにこちらも骨が折れた。ただ、一番困ったのは、麻酔レベルの確認がむずかしいことである。
 冷覚をチェックしようとしてアルコール綿花で触れると、「わかる、わかるよ」とおっしゃるのだが、触っているのがわかるのか、冷たいのがわかるのか、いくら聞きなおしてもさっぱりわからない。中には全く無反応な人もいる。
 こういうときはジエチルエーテルを使うよう、私は教わった。

 自分でやってみたらわかるが、エーテルを皮膚にかけると、その気化熱のため、恐ろしく冷たく感じる。間違いなく氷よりも冷たい。さらに、邪魔者である触覚をほとんど刺激しないのが利点である。つまり、ほぼ純粋な冷覚のみのテストができるのだ。
 エーテルを数滴、麻酔が効いていない場所に垂らすと、かなりぼんやりしている人でも「ひゃっ」と反応することが多い。麻酔が効いている場所ならば、何も気づかず、ぼんやりしたままである。触覚抜きだから話が早い。
 エーテルは植皮術で使われるので、たいていの手術室には置いてあると思うが、しばらく部屋が臭くなるのが欠点である。昔はこんなものを吸入させて全身麻酔をかけていたのだから、さぞ壮絶な現場であっただろうと想像される。そこで今は私は、セボフルランを使っている。

 もちろん、手術室の空気を汚染するし、適応外使用だし、1mlが50円もするし…。奥の手ではある。

2017.4.6

 
紙タオルの節約

 手術室ではこまめな手洗いが奨励されており、仕事中少しでも手が汚れた時とか、別の症例に移るときなど、こまめに流水で手を洗わなくてはいけない。では、その濡れた手をどう始末するか。
 タオルやハンカチは菌の温床であるから、病院では使わない。濡れた手は紙タオルで拭くことになっている。しかし、手を洗うたびに森の命の結晶である紙タオルを消費するというのは、どうも私の美意識に反する。感染の標準予防策 (Standard precaution) からは外れるが、紙を使わない方法はないだろうか。
 ここで思い出したい。水の惑星、我らの地球では、水は「蒸発機能」を持っている。さらにわれわれの手は「振る機能」装備である。これらを活用したらどうなるか、やってみた。

 液体石けんで手を洗い、ハンカチをもっていない男の子がよくやるように手を振ってそれなりに水を切る。あとは水が蒸発するのに任せたら、乾燥までにどれくらいの時間がかかるかを計測した。
 石川啄木のようにじっと手を見ることに徹すると、手のしわに入り込んだ水まで消失するのに6分57秒かかった。この方法は二度とやりたくなかったので標本数1で終わることにした。以後の実験はそれぞれ、しっかり2本ものトライアルを行い、平均を取った。
 手を揉みあわせたり、ひらひらと動かしたりして蒸発を促進したところ、指のひっかかりが気にならなくなるくらい乾くまでが1分25秒だった。
 手を洗ったあと、消毒用アルコールを手にまぶしてから振ると、乾くまでの時間が6秒短くなった。意外に短縮しない一方、アルコールをかける時間を含めると、水だけに比べてかえって時間がかかることがわかった。
 というわけで、手を揉みあわせていれば85秒で乾くのである。思っていたよりは短い。その間、何にも触ることができないが、時間に余裕があるときならば、耐えられないほどではないのではなかろうか。WHOに刃向かう気はないけれども、地球温暖化を少しでも遅らせることができるなら、1分半くらいの犠牲が何だろう。

 しかし、現実はそううまくいかない。手を使う作業はちょっと遠慮するつもりで手を乾かしている時に限って、電話がかかってきたりする。仕方がないから術衣で手を拭いたりすると、ナースに怒られる。(私はあるナースに目をつけられているのだ。)そもそも、紙は化石燃料ではないから、節約したからと言って二酸化炭素排出の減少にはカウントされない(カーボン・ニュートラル)。一日の終わり、手術室の灯が消え、PHS の電源を切った後、周りを見回してから実行することをおすすめする。

2017.1.10

 
Wの悲劇

 Wの悲劇と聞いて、武井咲でなく薬師丸ひろ子を連想する人は、気の毒だが私の仲間である。

 手術室におけるWの悲劇とは、ダブルマスクである。
 いったん手術室から出て一息つくとき、マスクをはずさないで首のあたりにおろすことが多い。ほんとは感染管理上、あまりよくないこととされているが、手術室に戻るときにさっと上げればすむので便利なのである。ところが、たまに、マスクが首にかかっているのを忘れて、新しいマスクをつけてしまうことがある。これがダブルマスクである。
 誰かがダブルマスクになっているのを発見したら、やさしく教えてあげなくてはいけない。口もとのごはん粒と同じで、自分では決して気づかないからだ。どのように声をかけるかは、ちゃんと規則に定められている。(どこに書いてある規則だったか忘れたのは残念だ。)
 「おっ、ダブルマスクですか。気合はいってますね。さすがです。」
である。ちょっとイケズな気もするが、規則は規則だ。手術室関係者で知らない人も多いと思うが、次からは間違いなく実行していただきたい。



 ダブルといえば、最近、気管挿管の時に手袋を二重に履くとよい、という論文を見た (Anesth Analg 2015;120:848-52)。これによると、挿管したらすぐに手袋を1枚だけ脱ぐようにすれば、患者さんの唾液でリザーバーバッグやAPLバルブのつまみを汚すことがなくなるという。
 ところが自分でやってみると、これが容易ではない。挿管して、バッグを揉む前に脱ぐわけだから、一番急ぎたい場面で作業を一ステップ増やすことになる。あまりに不条理だ。そもそも、麻酔科医にとってはこの一連の動きは反射的運動になっているから、途中で手袋を脱げと言われてもからだがいうことを聞かない。嚥下という一連の反射の途中で、かならずおならせよ、と言われているようなものである。
 さらに、うっかり挿管のやり直しなどということになると、それだけでダブル手袋の構想が崩壊する。挿管がむずかしそうだから手袋を10枚履いておくというわけにもいかないのである。
 元になった論文は、挿管人形をつかったシミュレーション実験なのであった。やはり現場とは違う気がする。この二重手袋の、絵に描いた餅っぷり、これもちょっとしたWの悲劇だと思う。

2015.8.15

 
盲目的経鼻挿管、その2

 盲目的経鼻挿管というナゾに包まれた技術、自分には必要ないと見切りをつけたつもりだったが…

 ある時、院内緊急コールがかかり、指定された病室に医師が集まった。その部屋の患者が突然意識を失ったとのことであった。私はいつものように、大勢の医師軍団の後ろのほうでぼんやりしていたが、前線にいた医師から手招きをされ、気管挿管を頼まれた。呼吸は何とかあるものの意識がないので気道確保が必要だが、口を堅く閉じていて、挿管できないとのことであった。筋弛緩剤の使用、気管支ファイバースコープを使った経鼻挿管など考えてみたが、いずれも取り寄せるのに時間がかかる。そこでまあ試しに、と思い盲目的経鼻挿管をやってみたところ、まぐれとは恐ろしいもので、「すっと」一発で入ってしまったのである。

 幸運だった。今まで、一発で入ったようなことは記憶にない。私は自分が、ただの野次馬から一転、ヒーローになったことを悟った。誰も知らない方法で挿管を成功させ、わずか1分でこの困難な事態を収拾させてしまっては、賞賛の拍手が湧き上がるのは避けられないだろうと思ったのだ。
 ところが現実は残酷だった。周りの医師たちは何も見なかったのように、「あ、入りましたか、頭のCT撮りに行こ、CT、CT」と、患者さんとともにわいわいと放射線部門に行ってしまった。「ちょっと待ってください、今のどうやって入れたか、知りたくないんですか」と呼び止めたい気持ちをぐっと抑え、私はすごすごと手術室に帰っていったのであった。せっかくの幻の技術が、伝説になりそこねた瞬間であった。

 何が問題だったのか、いまだにわからない。一瞬で終わってしまったため、見ている人には何が起きたかわからなかったというのもあるだろう。大声で解説しながら実施すべきだったかもしれない。実施したのが見栄えのしない人であったというのも、問題だった。反省点はいろいろあるが、この技術、ふたたびお蔵入りしてしまい、それ以降一度も使っていない。
 本当に役に立つ技術ならば「オモテワザ」になっているはずである。盲目的経鼻挿管の持つこのかすかな有用感、使用機会の極度の希少性、これぞ真の裏ワザと呼ばれるにふさわしいものかもしれない。

2015.5.22

 
盲目的経鼻挿管、その1

 古くからある気管挿管の技術に、「盲目的経鼻挿管」というのがある。道具を何も使わないで、患者さんの息遣いのみを道しるべに挿管するというのであるから、幻想的な技術ではある。 この技術に関する伝説はいろいろある。

 ある若手麻酔科医が、使われていない手術室の片隅で何か作業している。何かと思って先輩が覗いてみると、鼻血をだらだら流して苦しんでいた。盲目的経鼻挿管なら、自分で自分に挿管できるのではないかと思い、試していたのだそうである。もちろん、できなかったとのこと。
 この人は「吸った薬はみな使え、ブン」と私に教えてくれた人だが、なんとも豪快で、しかし微妙に哀しいエピソードである。

 かっこいい話もある。ある病院の盲目的経鼻挿管の達人の話である。頸椎の手術が終了して、ハローペルビック(頸椎を保護するために頭部と体幹を固定する装具)を装着された状態で若手麻酔科医が気管チューブを抜管したところ、呼吸状態がおかしくなった。ところが装具が邪魔で、マスク換気も、喉頭鏡を使った挿管もできない。あわやというところでこの達人が風のように現れ、鼻からチューブを「すっと」入れ、「危ないところやったな」という言葉のみを残して、ふたたび風のように去ったらしい。

 なんとなくうさんくさい感じもあるものの、こういう話を聞くと、自分もマスターしたいと思うのだが、いざやってみると成功率が低く、どこをどう工夫しても上達する気がしない。気管挿管の道具が発達した現在、わざわざこんな不確実な技術を身につける意味はない、と思うに至り、私の中では完全にお蔵入りの技術になった。
 まさか、このワザが陽の目を見る日が来るとは思わなかった。

2015.5.17

 
どこでも老眼鏡

 人によるだろうが、50歳にもなると手元の操作にピントが合わなくなる。老眼である。麻酔の技術などはたいがい大雑把なものだが、ご老人のか細い静脈を穿刺するときなどはさすがに不自由するし、サディスティックに文字を詰め込んだ医学論文を読むのも苦労する。
 そこで老眼鏡の出番となる。しかし、若い人にはわからないだろうが、老眼鏡はかけっぱなしでは生活できない。今度は足もとがかすんでこけてしまう。必要な時だけかけるのだが、こういうものはえてして、必要な時だけ手元にないのである。老人がいつも老眼鏡を探しているのは、このためである。

 必要な時にさっと老眼鏡を見つけられるようにするにはどうしたらいいか。第一に小さくて携帯性のよいものを用意することだ。家庭でも通勤でも職場でも、なるべく持ち歩くようにするのである。
 しかし、うっかりどこかに置き忘れることはある。これに備えて、自分が出没しそうなところには一つずつ、くまなくちりばめるように置けば万全だ。実際にはそこまでは無理としても、とにかく数は大事だ。幸い老眼鏡は安い。100円ショップでも買える。たくさん買っておいて、失くしてしまうくらいがちょうどよい。困った時に物陰からひょっこりと現れ、助けてくれる可能性がある。

 私の自慢の老眼鏡コレクションを紹介する。

  1. 仕事中も常に携帯している小型の老眼鏡。2,000円くらい。スチール製のケースがついているので、傷みにくい。難しそうな血管に点滴を取るときには、これをかける。このため、看護師さんたちから「本気メガネ」と呼ばれて恐れられている。そこで点滴に自信がない研修医にこれを勧めるのだが、面白いように断られる。
  2. 鼻メガネ、というのが100円ショップで売っていたので、勇気を振りしぼって買った。いざというときのために手帳にはさんでいる。レンズとレンズのすき間に鼻すじをはさんで装着するのであるが、10秒ほどで落下するのが欠点だ。落とすまいとして顔をしかめたりすると、もっと早く落ちる。その様子を見た息子に鼻で笑われたが、鼻メガネというのはそういう意味か?
  3. カード型虫メガネ。フレネルレンズというらしい。清水の舞台から飛び降りる覚悟で400円出した。タブレットPCの裏面にレンズのケースを貼りつけ、必要になった時(しばしばそこはトイレだ)にちょこっと使う。私はスマホは持っていないからよくわからないが、中高年のスマホはデコったりしている場合ではなく、堂々とこれを貼りつけるのがよいと思う。
 そこの若い人、笑っていられるのは今のうちだけです。

2015.5.5

 
絆創膏のアト

 絆創膏(ばんそうこう)の中には、はがした後の皮膚に糊が残るものがある。ユートクバンなどの布製の強粘着テープが特に残りやすい。糊が残っても実害はないのかもしれないが、微妙に気になるので、取れるものなら取っておきたい。
 爪でこすってもいいが、けっこういらいらするし、強くやると皮膚を傷める。
 ベンジンを使えば取れるのはわかっているが、匂いがきついし、皮膚のアブラも落としてしまいそうでちょっと使いづらい。

 ここで役に立つのが、「毒を持って毒を制す」ということわざである。同じ絆創膏を使って糊をはぎ取るのだ。
 写真のとおり、残った糊の上に新しい絆創膏を貼り、上からちょっと押さえる。すると、糊は絆創膏との再会に心を許し、新しい糊と抱擁を交わすから、その瞬間を狙って絆創膏ごとはがしてしまうのだ。ベンジンほど完全ではないが、あらまし取ることができる。
 何やらだまし討ちのオモムキがあり、なかなか楽しい。麻酔終了時にいち早くこの絆創膏痕を見つけ、ナースに取られる前に処理するのが、私のひそかな楽しみの一つだ。
 先日、患者さんの顔についた糊をだまし討ちにしていると、ナースに見つかり、「あ、またやってる」と言われた。ひそかな楽しみと言うより、変人の変な趣味と思われているフシがある。

この絆創膏をはがすと...

糊が残る

新しい絆創膏を貼り、はがすと

ちょっとキレイになる。何度か繰り返せば、大体とれる

2015.3.30

 
アンプル開封の秘技

 液体の注射薬の多くはガラスのアンプルで供給される。これを開封するには、くびれのところで折るという作業が必要だが、これがけっこう危険だ。折った後の切り口でよく指を切るのである。
 初心者はもちろん指を切る。持ち方や力の入れ方を念入りに説明するのだが、それでも切るときは切る。それどころか、ベテランでもなぜか、たまに切る。急いでいる時や、ぼーっとしている時があぶない。
 リスク管理の観点から言えば、これだけ多くの人が指を切ってしまうということは、アンプルを折るというあの作法そのものに問題があると考えるべきであろう。この問題があまり取りあげられないのは、「やり方が悪いのだ」という古い考え方がまだ強いのだろうと思う。
 指を切らない方法としては、アルコール綿でくるんで折る、専用の器具を使うといった方法がある。だがもっと、別の方法はないだろうか。

 あるとき、若いのが走ってきて「先生大変です」と言ってきたので聞いてやったところ、アンプルの頭をとんとんと弾いていたら、頭が飛んでしまったのだそうだ。なんで、頭の中の水を落とそうとして首が飛んでしまうのか、その力のあり余り具合に笑いつつ、これだ。私は直感した。あとはビデオを見ていただこう。

  1. 指で弾く
  2. 道具を使ってマルチ開封
 ただし、警告しておくが、先輩の前ではやらないほうがいいだろう。「ふざけたことやってるんじゃない!」と怒られる可能性が高い。私がこんなことをやって怒られないのは、一番年寄りの自分が一番ふざけているからに過ぎない。それから、本当に指を切らないという保証はしかねる。
 さしあたっては、だれも見ていない所で練習されることをおすすめする。もしこの方法に実用性ありと感じられたら、ご一報いただきたいものである。ご要望があれば、専用のアンプル叩き棒を作って、一本3万円で発売してみようと思う。

2014.9.17

 
麻酔科医は何を履くか

 麻酔科医に必要なのはフットワークである。これは、頼まれたらすぐにやる、といった比喩的な意味ではなく、文字通り足を動かして身体を移動させる機能を意味する。これを細かく分類しつつ、麻酔科医に向いている履き物は何かを考えてみよう。

  1. 走る。麻酔科医も指導する立場になると、複数の手術室を受け持つことがある。すると夕方、しばしば「同時多発終了」が発生し、手術終了を迎えた複数の部屋から呼ばれたりする。走らんわけにはいかんだろう。走るためには、スリッパ、ビーチサンダルなどの、かかとを固定しないタイプの履き物は除外しなくてはならない。ジョギングシューズを履く人は多いが、全く平らな床を走るのに、あの屋外用の靴底クッションは不要だしかえって疲れやすいと思う。
  2. 後ずさりする。患者さんを乗せたストレチャーを押す時、進行方向側につくと後ずさりしなくてはならなくなる。サンダルで後ずさりするとしばしば、サンダルが脱げてしまい、ストレッチャーの車輪の下敷きになる。まことに哀れな光景である。背面走にも適した履きものが必要だ。
  3. よける。麻酔中は術野からのジェット洗浄のしぶき、患者さんの口元からの痰、胃液など、どこから何が飛んでくるかはわからないから、前後左右どこへでも飛んでよける用意が必要である。とっさに飛ぶためには、力をすぐに床に伝えられる薄底のシューズがよいだろう。また、ぶつかりそうになっても決してよけない看護師さんとすれ違うときにも、「よける」機能は必要である。たまにチキンレースを挑んでみても、結局よけるのはこちらなのだ。
  4. 守る。足に血液などが垂れてきたり、何か尖ったものが落ちてきたりすると危ない。足趾が露出するサンダルではやっぱりいけないことがわかる。工事用安全靴を履くという手もあるが、つま先を鉄で守るというからにはたぶん重いし蒸れるのではないだろうか。水虫をどうするのかという問題もある。コンクリートや鉄筋が落ちてくるわけではないから、布製のシューズで間に合うだろう。
 以上の要件を踏まえると、麻酔科医にとっての理想の履き物が、全方向への軽快なジャンプを保証する卓球シューズになることは、論理的に明らかである。私も卓球シューズで手術室を走り回っていた時期があるが、ちょっと変わり者と見られることを除いて、大変快適であった。ただ、現実は厳しい。卓球シューズはちょっと高い(5千円から)のだ。今は妥協して、大工さん用の作業靴を履いている(写真参照)。これならホームセンターで千円弱で売っている。
 スタッフに作業靴を見せびらかし、「真似をしてもいいよ。」と寛大なところをアピールしているのだが、例によって共感者を得られないまま、これを履くのは私ひとりである。変わり者の地位は変化なしである。
 できれば、卓球メーカーのみなさんには、手頃な値段の麻酔用卓球シューズを開発していただきたいと願っている。

2014.2.8

 
木は森に隠せ

 麻酔同意書に患者さんの名前を書き入れるとき、字を間違えることがある。 斜線で消して書き直してもよいのだろうが、患者さんが見たらいい気分ではないだろうと思うと、新しい紙を出して正しく書き入れる以外に方法はない。
 問題は書き損じた方の紙である。患者名は個人情報だから、そのままごみ箱に入れるわけには行かず、さりとてわざわざシュレッダーのところに行って、あのガリガリという不愉快な音を聞くというのも浮かばれない話だ。
 要は患者さんの名前が読めないようにすればよいのだが、上からぐりぐりと線を入れるだけでは、名前が読めなくなるところまではなかなか行かない(図2)。図よりももっとぐりぐりしたら大丈夫かというと、無作為な線と漢字の線とのコントラストがなくならないので、もし真剣に情報を盗みたい人が目をこらした場合、判読可能性はゼロにはならない。
 そこで活用したいのが、「木は森に隠せ」ということわざである。つまり、上から別の人の名前を重ねて書くのである。画数の多い名前として藤原鎌足を書いてみよう(図3)。あら不思議、逆立ちしても読めない(ただし、普通に立っていても読めない)状態となる。念を入れて福澤諭吉も重ねてみると、さらなる戦意喪失状態を引き起こすことができる(図4)。これならばごみ箱にポイである。
 若い学生さんなどには縁のない技と思われるかもしれないが、授業のノートなどについ、好きな人の名前を書いてしまったときなどにも応用可能である。お試しください。

2013.9.16

 
頼みにくさをかもし出す技

 麻酔科医には2つのタイプがある。怖すぎてものを頼みにくいか、気の毒すぎてものを頼みにくい、のどちらかである。どっちにしても頼みにくいわけだが、麻酔科医とはそういうものだ。手術は人のからだを傷つける、いわば必要悪である。喜んで手術を受ける患者さんがいないのと同じで、その手術ほんとに必要なんですね、と外科医に渋い顔を見せるくらいが職分のうちなのである。
 さて、私が実践しているのはもちろん、「気の毒なタイプ」である。そのポイントを挙げてみよう。

  1. 手術着はもっとも古いものを選ぶ。スソがほつれて、すだれ状になっているものがよい。
  2. 深夜勤務、当直明けの日にはひげを剃らない。映画スターがするとかっこよい無精ひげも、中年麻酔科医の場合はむさくるしいだけだが、そこが狙いである。
  3. 廊下は壁際を歩く。
  4. 「元気がないですね」と言われたら、「生まれつきです」と答える
 書いていて、だんだん情けなくなってきた。

2013.6.17

 
ワイルド抜管

 麻酔覚醒後、気管チューブを抜くときはカフをしぼませなくてはならない。通常はおとなしく注射器で空気を抜くのだが、金曜日にはときどき、研修医にワイルド抜管と称する別の方法をやらせることにしている。パイロットバルーンを引きちぎるのである。多少カフのしぼみ方は甘いが、声帯を傷めることはないだろう。
 引きちぎる時の作法として、1週間分のストレスに恨みを込めて「くそっ」などの掛け声をかけるよう、指導している。あるいは、嫌いな人物の名前を叫んでもよい。残念なのは、研修医がなかなか作法を守ってくれないことである。
 何か難しいことを要求しているだろうか。 

2013.4.28

 
目覚めた患者は顔を触る

 ある研修医が、麻酔覚醒時の患者の特徴的な行動に気づいた。麻酔が切れてこれから意識がはっきりしてくるというとき、患者はまず自分の顔を触りたがるというのである。確かにそう言われてみれば、醒め際の患者がまず何を行うかというと、顔を触ることが圧倒的に多いのである。とくによく触られるのが、鼻と目である。
 この知識は、臨床においても有用である。半覚醒で体動が激しい患者に対し、スタッフはしばしば手足を押さえこもうとするが、これは逆効果なのである。当院ではそういう場合、さっさと抜管してしまい、抑制をはずすことにしている。すると患者はぽりぽりと鼻を掻き、あるいは目をこすり、そのまますっと落ち着くことが多い。同業の方はぜひ試して見られよ。
 なぜそうなのかは謎である。顔を触るという行為は、あやふやになってしまった自分の存在を取り戻すという、実存をかけた戦いかもしれないと思う一方、単に目や鼻がムズ痒いだけ、という気もする。一体どっちなのか、深く研究してもいいのかもしれないが、頑張って解明してもノーベル賞の受賞はむずかしそうだから、私は遠慮しておく。
 どなたか物好きな人の発奮に期待したい。

2013.1.2

 
熟練の技について

 私は、手術終了後、創部の手当てが終わってから麻酔を止める。ナースが忙しくしている最中に患者に呼びかけたり、抜管したりするのは好きではない。だからしばしば、処置が終わって患者が覚醒するまで、数分間の静寂が訪れる。
 ちょっとでも早く醒まそうとして、ひたすら患者に呼びかけ続ける医師もいるが、麻酔が深くて目覚めないのであれば、名前を呼んだからといって覚醒が早くなるわけがない。そろそろ麻酔薬が代謝されたかな、と思ったときに軽く呼びかけ、すっと目が開く、というのがかっこいいと思う。
 しかし、その数分間、まったくの沈黙というのも芸がない。そこで、研修医に命じてみたりする。
「患者さんが醒めるのにあと3分くらいある。時間つなぎをしてください。はいどうぞ」
 たいがいの研修医は、え、時間つなぎと言われても、と口ごもるのである。かわいいと言えばかわいいが、そんなことではこの業界を上手に渡っていくことはできない。
 あるとき、話し好きの某科部長と、天才的コメディセンスを持つベテランナースが揃っていたので、時間つなぎを依頼してみた。顔を見合わせた二人は、何の打ち合わせもないのに、ただちに「辞書」をマクラに息の合った掛け合いを始め、2−3分の会話の後、ちゃんとオチまでついた。
 二人が、こんなところでどうでしょう、みたいな感じでこちらに向き直ったので、患者に声をかけたところ、すっと目が開いた。

2012.12.29

 
麻酔の断り方

 私の師である麻酔科部長N先生の話である。
 N先生が外科医に恐れられていたことはこれまでも述べてきたが、その理由の一つは、ときどき麻酔依頼を断るところにあったと思う。人手がない、申し込み用紙の記入の仕方が悪い、患者の状態が悪すぎる、そんなむずかしい手術はあんたにはできない、など、断る理由はいろいろある。まあ、なんだかんだ言って最後は引き受けることの方が多かったが、ほんとに断ってしまうこともあった。外科の先生方は、申し込みにはさぞ気を使ったことだろう。
 あるとき、N先生が夏休みを取られるときに、部下達に麻酔依頼の断り方を教えてくれた。一切の感情を込めず、「無理ですわ」と一言いえばいいのだそうだ。断る理由も言う必要がない。理由を言うと、食い下がられる可能性がある。食い下がられると、つい同情してうんと言ってしまう可能性もある。
 「一切の感情を込めない」ところがこのテクニックの最大のポイントである。外科医にとってはなんとも冷酷無比なこの口調が、部長自身の気弱さを乗り越えるためのものだったとは、誰も知らなかっただろう。
 しかし、私にはいまだにこれができない。どうしても断らなくてはならないときも、「いやあ、すみません」がはいってしまう。N先生に叱られてしまいそうだ。

2012.2.3

 
手術台傾斜計

[はじめに]
 腹腔鏡の手術では、術野を確保するためにベッドを操作して頭を上げたり下げたりするわけだが、外科医の要求はエスカレートしがちである。傾斜は何度までという約束を作っておかないと、なしくずし的にどんどん厳しい傾斜を強いられる可能性がある。
 当院では、分度器と糸とコインをつかった手作りの傾斜計を使っていたが、これは計測の度にベッドの下に潜り込まねばならず、不便であった。
 一方、小学生の夏休みの課題のうち、もっとも手軽にできるのが工作であることが知られている。私は娘の夏休みの宿題のために、工作のネタを考えてやる必要に迫られていた。
 この2つの問題を一挙に解決するために、新しい卓上傾斜計を考案したので報告する。
[方法]
 小学生の工作であるから、ぜいたくな材料は使えない。心臓部は100円ショップで買った子供用のプラスチックの茶碗と、プラチナ万年筆のインクカートリッジに入っているステンレスポールである。これをお菓子の箱に収めてぐらつかないようにした。あとは実際に10°と20°の傾斜をつけた台の上で装置を回し、ステンレスボールの軌跡をマーカーでなぞるだけである。なめらかに見える茶碗も、けっこう歪みを持っており、軌跡はきれいな円にはならないことが分かる。なぞり方がいい加減だったわけではない、と思う。
 これだけでは工作として物足りないので、装置の側面に娘のオリジナルネコマタイラストを貼り付けた。これにより、仕事中の麻酔科医(主に私)の心を和ませる効果と、小学校の先生に手間暇感を訴求する効果とを狙った。


[結果]
 これまでの分度器にくらべ、手術台の傾斜がリアルタイムでわかるので、ベッド操作がだいぶ容易になった。また、麻酔科医のひとりには、イラストの癒し効果が顕著に現れ、装置を回して6面のイラストを眺める姿が見られた(主に私)。
 一方、この「テーブルの傾き測定器」は夏休みの宿題としてはもちろん成立はしたが、3日で家に帰ってきた。小学校の教師には何の感銘も与えなかったようだ。だが、それはそれでよかった。20°も傾けたテーブルに人間を載せているのだと知られたら、警察に通報されていたかもしれない。
 なお、同様の装置を自作する場合、自宅に夏休み中の小学生がいないのであれば、底の浅いペット皿を使えば製作は容易であると推察された。
[結論]
 仕事への愛と家族愛は両立する

2011.10.2

 
麻酔科医適正チェック

 麻酔科にローテートしている研修医は、麻酔科への勧誘の絶好のターゲットである。しかし、麻酔科に興味のない研修医に、ただ「どう?麻酔科どう?」と迫っても効果が期待しにくい。そこで、「あなたの麻酔科適正度を無料で査定」などという、ネットの広告に出てきそうな姑息な手段を考えてみる。
 麻酔維持中、手持ち無沙汰になった研修医に以下の質問表を渡し、丸をつけてもらう。

1. 気に入ったラーメン屋があったら、毎日通っても飽きないほうである
2. サッカーやバスケットボールをしていたら、人がボールに群がるのを、ちょっと離れたところから見てるのが好き
3. もしオーケストラの楽員をやるならば、絶えず演奏しつづけるバイオリンより、ときどきドーンと一発かますティンパニのほうがおいしいと思う
4. あまり人を信用する方ではない。機械も信用できない。もっとも、一番信用できないのは自分である
5. 朝のテレビ番組の星占いコーナーで、頼みもしないのに自分の運勢を勝手に決めつけられることに怒りを覚えている

 いかん、ひねくれもの度チェックになってしまっているぞ。

2011.7.10

 
ゴジラのテーマ

 今では医師にとってなくてはならないものになってしまった院内PHS。だがまわりがみんな同じ機械を持っているから、着信音がまぎらわしい。人のPHSが鳴っても、すぐには分からないから自分のPHSを確認することになるのがくやしい。だから着信音は、ひと目、いやひと耳で分かるようなものを選んだ方がよい。できれば自分でPHSに音符を打ち込むようにすれば、まちがいなく自分だけの着信音である。
 問題は、どんな曲を選ぶかである。
 一時は好きな曲を入力して使っていたが、じきにそれが間違いであることがわかった。麻酔科医への電話といえばたいてい緊急手術の申し込みであるから、だんだんその着信音を聞く度にいやな気分を味わうようになる。やがて、大好きだったはずのその曲が、緊急手術申し込みへの恐怖と直結してしまい、嫌いになってしまうのであった。パブロフのPHSである。
 しかし、私は試行錯誤の末に、緊急手術に負けない曲にたどりついた。ゴジラのテーマである。
 最初の1小節目から異様な緊迫感を醸し出すこの曲を聞くとき、人は、ゴジラという招かれざる客を迎え撃つため黙々と死地に向かう自衛隊の悲壮な姿を思い浮かべるはずである。そうであれば、着信音の向こうから迫ってくるゴジラ、すなわち日中ぎりぎり手一杯のときに申し込まれる緊急開頭血腫除去、帰ろうとした矢先に申し込まれるイレウス解除術、当直の夜、寝ようとしたときに申し込まれる胸部大動脈解離、これらの申し込みをあえて受けて立つ勇気を奮い起こさずにはいられないのである。
 まさに麻酔科医のPHSのために作られたかのような曲である。

2010.12.13

 
闇がたり

 麻酔科医にとってなんともうらやましい技術が、「闇がたり」である。これは浅田次郎の「天切り松闇がたり」シリーズにでてくる老いた夜盗の得意技で、六尺四方より遠くにはまったく聞こえることがないという不思議な声色である。もちろんこれは、忍び込んだ家の中で仲間と連絡を取るための技術である。天切り松は留置場のなかでこの技を使い、看守にまったく届かない声で消灯後、伝説の大泥棒たちの物語を若い者に語って聞かせるのである。
 なんでこんな技術がわれわれ麻酔科医の役に立つのか。麻酔科医ならおわかりでしょう。
 いっぺん天切り松にこの技を教えてほしいものである。

2010.11.16

 
顔料インクマーカー

 麻酔とは誤薬リスクとの果てしない戦いである。誤薬を防ぐ決め手は、注射器のラベリングにある。
 あいにく注射器は透明なので、普通の油性マーカーで薬品名を書いたのでは薄くて見づらいことがある。白いテープを貼ってその上に書くようにすればだいぶ見やすくなるが、けっこうめんどくさい。第一こんなところでひと手間かけるのは、性に合わない。
 注射器をつくっているあるメーカーの人に、記入欄を作ってみたらどうかと聞いてみたことがある。少しでいいから白い塗料がぬってあれば、マーカーやボールペンで書いてもある程度見やすいラベリングになる。しかし、その返事はと言うと、それだけのコストが回収できそうにないのでできませんとのことだった。この瞬間、この人は大ヒット商品の開発者となり出世するチャンスを失った。残念なことだ。
 試行錯誤の結果、現在私は顔料系のマーカーを愛用している。インクが不透明なので、注射器にじかに書いても目立ちやすい。ちなみにアルコール系の消毒薬にも強いので、硬膜外麻酔のまえの背中のマーキングにも都合がよい。
 オレンジ、青、赤、どれもいい感じだったが、さらに欲が出て、金色にも手を出してみた。そしたら汚い泥水を塗ったような字しか書けず、がっかりした。まったく世の中、失望の種だけは尽きることがない。
 さて、将来の注射器はICチップか何か埋め込んで賢くなるだろう。自分が吸った薬を自動的に判別し、麻酔科医がそれを使おうとするとしゃべり出すようになるだろう。
 「これは筋弛緩剤エスラックスです。重症筋無力症には注意して投与してください。ところでどうして手術が終わったのに筋弛緩剤を投与するんだい?もしかしてリバースと間違えてるんじゃないだろうね。ちゃんと確かめなきゃダメじゃないか」
 ここはぜひ、ヤッターマンのドロンジョの声でお願いしたいと思う。

2010.03.16

 
麻酔のスピードアップを考える

 私たちが麻酔の導入を行うにあたり、その質が問われるのはあたりまえであるが、質が同じなら速いに越したことはない。むずかしい麻酔でも何喰わぬ顔で麻酔をかけて、さっさと術者にバトンを渡すのがかっこいいと思う。自分がそうだというのではないが、そうありたいという願望はある。
 さて、質を落とさずにスピードをあげるにはどうしたらよいか。
 私は、作業時間の短縮を目指すならば、手を速く動かすことに血道をあげるよりも、ステップ数を減らす工夫の方がずっと効果があると信じている。「手抜き」にならない範囲で麻酔の作業の中のどこを省略できるか、それがいつも私の最大の関心事である。
 気管挿管の際、右手で大きく開口させるステップ(いわゆる Crossed finger method)は省略している。喉頭鏡のブレードさえ口の中に入れば、喉頭鏡操作と右手の頭部への支持だけで十分な開口ができると思う。
 硬膜外穿刺の際、シリンジのピストンをトントンと2回ずつ押す人が多いが、あれは1回でいいと思う。
 脊椎麻酔の効果判定の際は、アルコール綿で3箇所ほど触るくらいでおおざっぱなレベルが分かればいいと思う。効果を確認したい部位の冷覚を肩などの冷覚と比較させる麻酔科医も多いが、あれは触る回数が多くなるので、私は極度に好まない。
 そういえば、大学院にはいって実験を教えてもらうとき、説明を聞きながらも早速どこを省略しようかと考えていた気がする。
 要するにめんどくさいのであろう。ポリシーでも理屈でもない、ずぼらなだけなのだと思う。
 ちなみに、そうやって素早い麻酔を目指すのは、手術もスマートにやってくれという術者へのメッセージも込めているつもりなのだが、彼らにはそれがなかなか伝わらないのはまったく残念である。

2010.02.02

 
しゃっくりを止める技

 昔は全身麻酔下の手術中に患者さんがしゃっくりを起こすことが多かった。古い先輩に聞くとミオブロック(パンクロニウム)という筋弛緩剤を使い始めてから増えたとのことだし、逆にミオブロックを使わなくなったらほとんど見なくなったから、理由は分からないがミオブロックが関係しているのだろうと推測される。
 というわけで、しゃっくりを止める方法というのは、当時は必要不可欠の技術であった。
 吸入麻酔薬の濃度を上げて麻酔を深くしても、しゃっくりは止まるものではない。筋弛緩剤を入れたらよいだろうと思われるかもしれないが、ミオブロックは非常に代謝が遅く、しゃっくりをきれいに止めるほど入れてしまったら覚醒時に苦労することが目に見えていた。それではどうするか。
 ジエチルエーテルを数滴、鼻腔に滴らす。これで90%くらいの確率でしゃっくりが止まる。今どきは手術室にエーテルなど置いてないかもしれないので、かわりにセボフルランやイソフルランでもよい。こんなものが鼻に入ったら、強烈な刺激になるはずである。眠っているひとでも、さぞかしからだがびっくりするのであろう。
 お試しあれ。

2010.01.10

 
気管挿管の秘技

 大津日赤元部長、N先生の得意技を紹介しよう。
 N先生は気管挿管には絶対の自信を持っておられた。そして、そのスタイルは独特であった。喉頭鏡でのどの奥を覗き込んだとき、自分のマスクをぐいと下げ、フッと息を吹きかけるのである。
 なぜ息をふきかけるのか。挿管しようというときに唾液が視野の邪魔をすることがあり、それを吹き飛ばすのがくせになったのだそうである。べつに唾液が邪魔になっていなくても、そうやれば必ず挿管できるという、おまじないのようなものになってしまったのだ。
 あるとき、われわれ若手があらゆる手段を使っても挿管できなかった患者さんの挿管をN先生にお願いしたことがある。N先生は喉頭鏡を挿入し、例によってフッと息を吹き込み、「声門は見えんが、空気の通り道が見える」と言いながら簡単に挿管してしまった。これはもう、常人の及ぶところではない。
 私は不肖の弟子なので、この技を習得するのはハナからあきらめてしまっている。それは私が「常人」にすぎないということもあるが、もう一つ理由がある。この技は手術室の看護師さんに不人気なのである。看護師さんたちが口を揃えて言うことには、自分が手術を受けることになっても絶対にこの病院では受けないのだと。N先生に息を吹き込まれるのがいやなのだそうである。
 むべなるかな。

2009.10.30

 
足音の高いサンダル

 閑談コーナー (2009.9.13) で紹介した大津日赤の往年の麻酔科部長N先生、日本の麻酔科の創世記を生で見てこられた大先輩だけあって、われら若輩者には想像もつかないウラ技の宝庫であった。このコーナーでもおいおい紹介していこうと思う。
 N先生を知る人で誰もが思い出すのが、そのサンダルだろう。いつもかかとのしっかりしたサンダルを履いていて、足音が手術室に鳴り渡るのである。それには立派な理由があった。
 午後5時、そろそろ手術を終わってもらわなければ困る時刻である。N先生の出番がきた。手を後ろに組み、「カッツ、カッツ」と音を立てながらN先生が手術室を巡回する。その音を聞くと外科医がはっと振り返り、うわずった声で言う。
「あ、もう標本とれました。縫ったら終わりです。」
N先生、「もう5時ですがな。」
外科医、「はい、急いで縫いますので。」
 何がどうすごいのかはわからないが、外科医にそこまで言わせてしまうのが、貫禄というものであろう。
 私はゴムのサンダルだし、卓球部だったせいか足音がまったくしないようで、気配もなく人の後ろにいたりするのでよく驚かれる。しかし、私が同じサンダルをはいたとしてもやはり外科医に気づいてはもらえないだろう。私に欠けているそういう存在感については、頑張って身につけられるものではなかろうとあきらめている。

2009.9.15

 
手作り呼吸モニター

 患者さんがちゃんと呼吸できているかどうか、その確認は麻酔管理における最優先業務である。パルスオキシメーターが普及する前のその昔、麻酔科医の注意力のほとんどはこれに費やされていた。。
 気管挿管されているならば、リザーバーバッグをもんでみれば呼吸はまあ確認できる。問題は挿管されていない患者さん、とくに脊椎麻酔後に鎮静をほどこした患者さんである。眠ってしまうと呼吸が浅くなり、胸が上がっているのか、呼吸音が聴診できるのか、その辺がはっきりしなくなることがあった。これは、パルスオキシメーターがなかったらかなり不安な状況である。かといって、せっかく眠ってもらっているのに、起こして呼吸を確認するのでは鎮静の意味がなかった。
 そこで活躍したのが、手作りの呼吸モニターである。写真のごとく、アルコール綿を少しちぎってのばし、鼻にはりつける。綿の厚み、貼る位置と角度に工夫が必要である。患者さんの呼吸にともなって綿がなびくのが見えれば、もう一安心である。
 こんなに安いモニターもちょっとないだろう。

2009.7.20

 
エコー下末梢静脈穿刺
駆血帯を締め、エコーで隠れた静脈を探す。
  ↓
プローブで圧迫してつぶれるのが静脈。駆血帯をしているので、ドップラーは効きません。
  ↓
交差法で針を刺入する
  ↓
エコー上、針が血管の真上に現れ、血管を押しつぶす形になれば吉、斜め上からだとやや凶
  ↓
逆血が得られたら、エコーははずして、カニュレーションに専念する

 麻酔の技術で一番難しいのは何ですか、と研修医に聞かれたら、末梢静脈確保と答える。なぜなら血管確保は失敗が許されないからである。ところが逆立ちしても末梢静脈穿刺のできそうにない、医師の挑戦をことごとく跳ね返す腕を持つ患者さんは存在する。ないものはとれぬ、と言い訳しながら外頚静脈や中心静脈を穿刺することになる。
 あるとき、エコーを使って静脈確保することを思いつき、しばしの試行錯誤の後、なんとなくコツをつかむにいたった。100%成功とはまだいかないが、エコーなしでは存在すらわからないような血管が確保できるので、重宝している。
 調べてみるとこれは別に新発見でも何でもなく、救急関係の論文などで取り上げられている技術であった。もう当たり前だよ、という麻酔科の先生方も多いのかもしれない。だがまあ、少なくとも自分の周囲でやっているひとはいないので、自慢半分で紹介してみる。
 穿刺の流れは右の写真でみていただくとして、コツを箇条書きしてみる。

> 適応は、静脈をみつけるのが難しい患者さんすべて。
> 穿刺場所は、前腕で橈側皮静脈の下流(中枢側)がやはりねらい目である。肘にちかづくほど太くなるので、前腕の中点かやや肘よりに穿刺することが多い。
> 上腕での穿刺を紹介している論文もあるが、漏れがわかりにくいなどの欠点があり、私はほとんどやらない。
> 血管の真上から、血管を押さえつけるような形で針を入れるのがコツ。斜め上からだと失敗が多い。
> したがって、よい穿刺点を決めるのが最大のポイントとなる。エコーを見ながら指先で皮膚を押し、穿刺点を決める。
> 深い血管を穿刺するため、どうしても針を立てぎみに進めることになり、血管を貫通してしまうことが多い。貫通してしまったら Pull-through 法に切り替える。しっかりした血管なので、リカバーできることが多い。
> ガイドワイヤーつきのカテーテルならば、貫通させることなく楽にカニュレーションできそうだと思う。手元にないのでやっていないが、論文ではそのように報告されている。
> 深い場所での穿刺なので、漏れが生じたばあいに気づかれにくいおそれがある。それが最大の欠点と言える。

 もしよければやってみてください。うまく入れば、鼻が0.5mmほど高くなります。

2009.6.6

 
外科医を急がせる

 今回も、まじめな人は読まないでください。
 手術予定時間を平気でオーバーし、なおも延々と手術する外科医。麻酔科医と手術室看護師の悩みの種である。その延々ぶりを数字で評価すると、たとえば次のようになる。
 ”あの先生は手術予定時間1時間が80分くらいだからね”
 そうはいっても、一生懸命やっておられるのは間違いないので、早くしてくれとは気弱な私にはなかなか言えないのである。かといって、手術が終わった後で疲れきった外科医に、予定オーバーでしたよ、ともちょっと言えないのである。そのへんのところは、機械にまかせてみたい。機械だから、そういう遠慮もしないで、文字通り機械的に外科医を急がせてくれるはずである。
 まず、外科医のおしりに電極を埋め込む。予定時間を越えると、自動的におしりに電気が流れ始める。手術の邪魔にはならないが、微妙に気になる刺激である。それでも手術が続くと、電流はだんだん強くなる。さらに延長するとしまいにはどうなるか。
 おしりに火がつくのである。

2009.5.23

 
患者さんに速く目覚めてもらう法

 今回も情けない技である。
 前回の話とは逆に、手術が終わって麻酔を止めても、患者さんがなかなか醒めてくれないことがある。遅れるとしても10分、20分のことではあるが、少しでも速やかな覚醒は効率のよい手術室運営には欠かせない。どうすれば速く、すっきりと目覚めてもらえるだろうか。  こういうときは、脳の柔軟な若い素人に聞くとよいかと思い、小学校5年の息子に相談してみた。
 「患者さんの背中側にまわり、膝でドンとキックしたらいい。」
とのことである。どうも、状況を理解していないようである。却下。今度は、2年生の娘に聞いてみたところ、
 「つまようじでおなかを突き刺す。」
そうである。こっちのほうが発想が残酷なのはなぜだろう。そんなことできないから、他の手はないかと聞いたところ、
 「おでこに冷えピタ貼ったら、誰でも目が覚めるわ!」
と断言した。これまでかぜをひいて額に冷却シートを当てられるのを、ずいぶんストレスに感じていたのだろう。
 これは使えるかもしれないと、なかなか醒めない患者さんの額を冷やしてみたりしたが、残念ながらほとんど効果がなかった。
 もともと、からだにメスが入っても目が覚めないのが麻酔であるから、ちゃんと麻酔薬が代謝されていない限り、冷却くらいで醒めるはずがないのである。ただ、目に見えない代謝をじっと待つあの「間」がなんともきまりがわるく、魔法のような覚醒手段がないものかと夢想してしまうのである。
 依然として、患者さんを起こすもっともよい方法は、「肩をたたきながら大声で患者さんの名前を呼ぶ」である。
 何かよい方法があったら、教えていただきたい。

2009.5.17

 
指一本で人体を制御する

 麻酔から醒めるとき、もうろう状態の患者さんが起き上がろうとすることがある。手術台から転落する危険があるので、からだを押えないといけない。強く動くような場合、4-5人がかりになることもある。患者さんがぴたりと動かなくなるような、いい方法はないだろうか。
 昔ある病院のある看護師さんが、こう教えてくれた。
”人間は指一本で制御できるのよ”
 ひたいの真ん中を人差し指で押さえると、人間というものは動けなくなるのだそうだ。指一本というところに好奇心をそそられるのである。そんなことができたら、夢のような話である。そこで自分が実験台になり、小学校の娘におでこを指で押さえてもらったが、何のことはない、楽々動けてしまう。大体、首を振ってしまえば簡単に指がはずれるので、後は暴れ放題である。どうせ押さえるのなら、額を手のひらで押さえられるほうがよほど動きにくい。
 そういえば、あの看護師さん、普段の言動にも少し神秘がかったところもあったので、われわれ凡人とは違うフィンガーパワーがあるのかもしれない。あるいは古武術とか、気とかいうものなのだろうか。あるいはもしかして、いすに座っている人のおでこを指で押さえると、立ち上がれなくなるというあれを、拡大解釈していたのだろうか。
 なぞは深まるばかりである。もうすこし、ちゃんと教えてもらっておけばよかった。

2009.4.19

 
胃管を点滴ボトルに刺す

 胃管からの廃液の処理はなかなか悩ましい。麻酔終了時、胃管を抜いてしまうにしても病棟に持ってかえるにしても、処理するときに廃液が飛び散って手や周囲を汚してしまいがちである。この問題を解決したのが、7?8年ほど前に大津日赤麻酔科にローテートしてきていた内科のY先生であった。彼は、写真のごとく胃管のコネクターを使用済み点滴ボトルに突き刺しておけば、手術中も手術のあとも周囲を汚すことなく処理できることを示したのである。ただしコネクターは太いので、一度針の通った場所でなくてはさすがに刺さらない。また、ボトルによってはコネクターがどうしても通らないものもある。
 私はひどく感心し、どうして胃管を点滴ボトルに刺すことなんか思いついたのかと聞いたところ、
 「いやあ、刺さるかなあと思ってやってみたら、刺さりました」
 と、何ともユルい返事だった。たしかに、ほんのひまつぶしでやったら入った、という雰囲気を感じたので、謙遜ではないのだろう。
 発明の動機はともかくこの方式は便利なので、私は先々の病院でこれを紹介し好評を得ている。Y先生は、自分が麻酔科医界に果たした貢献に気がついているのだろうか。きっと、気がついていないだろうと思うのである。

2009.4.12

 

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©2009 Masuika Paradise