近世上方狂歌叢書五十人集by吉岡生夫


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目 次  あ 行  ※一本亭芙蓉花  園果亭義栗  燕果亭千樹  逢里亭紫園 
雄崎菅江 か 行 懐古亭英風 柏木遊泉 韓果亭栗嶝  観雪堂鵞習
九如館鈍永 玉雲斎貞右 曲肱亭百年  季隆 靳果亭如石  桂果亭幽山 
溪月庵宵眠 さ 行  西隣亭戯雄  砂長 繁雅  自然軒鈍全
雌雄軒蟹丸 岫雲亭華産 樵果亭栗圃 如雲舎紫笛  如棗亭栗洞 翠柳軒栗飯
清果亭桂影 雪縁斎一好  仙果亭嘉栗  棗由亭負米  素人 た 行
桃縁斎貞佐 橙果亭天地根  な 行   繞樹亭百丈  は 行  白縁斎梅好
麦浪亭渓雲  百尺楼桂雄 不朽軒蔦丸 船越とき女  文屋茂喬 蝙蝠軒魚丸
芳水 凡鳥舎虫丸 ま 行 松濤民女 峯女 無為楽
や 行 山中千丈 揚果亭栗毬 養老館路芳  ら 行  栗柯亭木端 
栗本軒貞国 粒果亭方雅


甦れ!五句三十一音詩
 
① 古今和歌集(10世紀)の五七五七七=日常語
② 古典語歌人(21世紀)の五七五七七=非日常語
③ 現代語歌人(21世紀)の五七五七七=日常語

∴ ① ≠ ②
   ①=③  

歌の原初から江戸時代の近代語さらには明治の言文一致運動を顧みるとき、甦れ!五七五七七、歌を滅亡から救うものがあるとするならは、日常語以外に何があるというのか。 
 


私 の 視 点  
  1 五句三十一音の定型詩は名称を変えつつ時代の波をくぐり抜けてきた。そこには先行する五句三十一音詩の衰退があり、それを受けた復活劇があった。狂歌も、その例外ではなかった。  
  2 前項で得られた私の五句三十一音詩史に日本語の歴史を重ねることによって、近世の狂歌人の仕事の全貌また本質が見えてくる。。※近世の和歌は書き言葉(古代語)、共通語だったが前時代的かつ識字率の内側にあった。一方で狂歌は話し言葉(近代語)を導入、時代に適合したが方言のゆえに非共通語だった。それを均した応援隊が歌謡であったろう。   
  3 総括すれば、次のようになる。

『万葉集』の短歌は言語体、『古今和歌集』の和歌は言文一致体、言文二途の近世は言語体の狂歌に対して和歌は文語体、歌の原点を継承したのは名称の異なる狂歌であった。系譜でいえば半井卜養・豊蔵坊信海・黒田月洞軒・鯛屋貞柳・栗柯亭木端・仙果亭嘉栗となろう。通史的には和歌が否定した幻の短歌史、和歌史寄りなら柿本の和歌に対して栗本の狂歌となる。いわゆる天明狂歌とは時の戯作文学が生んだ異端の花であった。
 今後は言文一致歌を軸に据えた近現代短歌史の構築が喫緊の課題となろう。

 未来は待ってくれない。   


 狂歌逍遙 第2巻 近世上方狂歌叢書を読む 
区 分 歌人名(等) 作品(括弧内の数字は『狂歌逍遙』第2巻の回数) 参考 
 あ行  一本亭芙蓉花 
(1721~1783)

※真鍋広済編『未刊上方狂歌集成』より抄出

 ・浅草寺絵馬事件~一本亭芙蓉花と大田南畝~
 ・一本亭芙蓉花の歌を読む
 ・続・一本亭芙蓉花の歌を読む


【日本人名大辞典】
享保(きょうほう)6年生まれ。大坂の人。栗柯亭木端(りっかてい-ぼくたん)の高弟で,永田貞柳や松永貞徳の狂歌集を刊行。俳諧(はいかい)は吉分大魯(よしわけ-たいろ)にまなぶ。天明のはじめ江戸にうつるが,門弟は大坂が中心。天明3年1月26日死去。63歳。姓は松濤。通称は平野屋清兵衛。初号は開花楼栗里。家集に「狂歌難波土産」など。
・梅よりも耳したがふの春に先きいてうれしきうぐひすのこゑ
・三番叟のさあらばここは鈴が森旅も節季はあら用がましや
・どさ草のくさのかりねの床もいましばしふすゐのとしの暮れ哉
・又平がゆかりの色や初春のかたにぞかける藤のおやま絵
・晴れくもり知れぬ暦の秋こよひ大みやうよしと月やみるらん
・けんどむの其の名にしおふ大名は二八の月のかげをながめむ
・みがいたらみがいただけにひかるなり性根だまでもなにの玉でも
・山々の紅葉の色をみるにつけ京は染めものよきところなり
・はつ物と聞くはどこやらこのもしやあひみて恋のあぢはなくとも
・時鳥かへるにしかじとなげきかふその断をたつたつたひとこゑ
・うそつきにせんじてのませ天の川といふほどまこと深い七夕
・いろいろに春よりふりしはふるめきていまはをんざの初しぐれかな
・手にとりてあふうれしさは歌がるた上しも共に恋はかはらず
・来るまでを我しり顔につげ口やさへづりまはるうぐひすの声
・さむうなしつめたうもなし雪はうそうそをつきよやうの花の色
・老木にてうちはうとろに朽ちながら世間をはるの柳なるらん
・春雨のふるはなみだか桜花はなのさきまでしづく落として
・月みれば今宵は内裡女郎もくはにや立らぬ芋や団子を
・あき今宵うはの空ふく馬の耳に風の音して月ぞさやけき
・むかしからよしのはつせのとはいへどうたに諷ふて花はみぬがち
・一面におほくあられの降り敷くを地なしかのこと見てやいふらん
大舟寺(兵庫県三田市波豆川605-1)

一本亭芙蓉花の墓訪問記

一本亭芙蓉花建立 貞柳追善碑
園果亭義栗(えんかていぎりつ)

【著作等】
栗洞・義栗詠、木端撰『狂歌友かゝみ』(1767年)
撰『狂歌軒の松』(1781年)
撰『狂歌芦分船』(1795年)

【参考】
「文字絵」(東京都立図書館)※園果亭義栗画『文字ゑつくし』(1685年)

・屠蘇にけさ酔ひつつ同じ事いふは蓬莱の山のこだまなるかや(31)
・黒船の名にながれたる姉川の花ならばちよと下に居て見ん(31)
・三千とせのよはひはよくじやけふ祝ふ花の名におふももとせでよい(31)
・杖の様なゆふだちの雨に息をつきしほれし草も腰をのしたり(31)
・着た笠の陰のまんなかふむひあし是れ炎天の昼の辻なり(31)
・是れも神のちかい春とて傘(からかさ)のさしつまりたる年の末広(32)
・山崎のはなにかかりてながめけり眼がねの玉の水しやうの月(32)
・あけむつの花とや雪のふりつもり夜半にひがしの山もしらんだ(32)
・道しるべせしいにしへもしら雪のふり埋みたる庭の駒下駄(32)
・うそふきのめんつや提げてゆきの日の寒さに口もゆがむ乞食(32)
・木々のみか木のめはる雨ふる下駄も桐のふたつ葉杉のふたつは(67)
・冬ながら冬ともいはじとしの内にまた春ならぬ春を迎へて(67)
・巣立つ野や雲雀が床も打ちしめりあがりかねたる春雨の空(67)
・春雨のふるにもあがる夕ひばり空に声さへやむかたぞなき(67)
・汲む桶に塩竈ざくら影見えて手折らぬ花もかたげ行く蜑人(68)
・風ならず共よきてふけ妻乞の猫もさかりの花の木の元(68)
・替え竹輿のあちとこちとへ棒はなも花も嵐に乗りて別るる(68)
・散らしたるうらみはあれど花過ぎて風ぞたよりのなき人もうし(68)
・照りもせずとはいへはれの嫁入りで朧月夜にしきがねはなし(68)
・こがれ寄る流れの里で切売りにするや西瓜のあけのそほ舟(69)
・逢瀬にも閏ふのあらば一とせに二度とは是も稀な七夕(70)
・貰ひ水この身にかかる手伝ひもじんどに替えるお隣の井戸(70)
・消えてうきなみだにしめる送り火に灰よせをせし昔をぞおもふ(70)
・隣にも半分は汲む影見えて相合井戸のかたわれの月(71)
・ひとりとは誰かゆふべの月を友我が影さへも我にさし添ふ(71)
・今ぞ来る花にはいんだ雁がねも秋は越路の月を見捨てて(71)
・色わかぬ雪のつもりのしら梅は匂ひや手折るしるべなるらむ(72)
・ひぞり合ひもたせあふたるかたつぶりくはきうに折れぬ両方の角(72)
・洗ふては鯛も綿ぬく衣がえけふ袷より身につくはこれ(102)
・皆遊ぶ牡丹の花の色里に獅子はどこじやのたはむれも有る(102)
・賑しささかさまにほす御神燈しむとばかりに秋は淋しき(103)
・五六本とつてきた山松たけのみやげと雨にかりたたぬかさ(103)
・こころにはかけ樋の水のとどこおり冬もとくとく聞かぬ音づれ(104)
・ふりかかり岸根の竹のをれふして水にもつもる雪の枝川(104)
 
 燕果亭千樹  ・あさ市の道具もいまだうれぬのに霞の絹が包みかかつた(12)
・錠ならでおろす荷の内銭にして早うあけたきかぎわらびかや(12)
・花見んと群(れ)来る人の目をぬくは巾着切のとがり鍖や(13)
・楽の名のこまいさみたつまひの手につながぬ花もちりかかりけり(13)
・ととかかのそのわけとしもあら麦をこなす山田の秋のゆふぐれ(14)
・まつりの比(ころ)俄(にわか)に出づる雲を見て皆夕だちの所望をぞする(15)
・ゆふ立の雲助かごが杖のやうな雨に暑さのいきつぎをした(15)
・うれへ場か袖をぞぬらす時雨月はや一とせも四段目となり(18)
・ゆふ化粧雪のはだへの色ましてたれにあふみの比良のおやまぞ(22)
・石山とかたいは名のみ照る月のゑがほに秋のいろをふくんだ(22)
・住吉のかみか絹かはしらねどもよほど遠さとをのみゆるいか(56)
 
 逢里亭紫園 ・軒端なる梅に乞食もうぐひすの初音一口賞翫ぞする(67)
・瀧つぼに地主のさくらの影見へて風には落ちぬ花を散らした(67)
・さて近ふ夏きるものとまち針や袷もくけて置く春のすそ(68)
・夏ははやきのふと誰もしら露の秋に暑さを置くはいかにぞ(70)
・昔おもふ木々の葉武者のひをどしも冬きて落ちる城跡の風(71)
・盃をもつてゆるりとはなし亀此の御礼にはあがろ二さん度(72)
 
 雄崎菅江 ・御身のため酒をかたきとしてしらずなど戴くぞともにてんもく(97)
・王城の地をふんでのふすでの事極楽世界へ生れふとした(97)
・入舩はうはか上荷のいそがしくしじうにやくのあるぞめでたき(97)
・往来も目をとめる家の花盛り京のまなこと思ふ室町(111)
・つつくつく築波の山の下藪に出た竹の子もかのもこのもし(111)
 
か行  懐古亭英風  ・裾まくるかいどり妻に悪ざれも言はで口をばとづるはまぐり(159)
・風起こすふいごに死んで名を残す狸はとらにおとらざらまし(164)
・立居さへああゑいやつと老いぬれば我身ひとつがもてかぬるなり(164)
・三味線のまことにこれやと横柄に大黒舞は頭巾着ながら(181)
・伏せ籠にていぶすかやりはこすのひまもれて雲井に立ちのぼるらし(190)
・人の田と我が田のあぜのほそ道をわけかぬる迄稲のおしあふ(192)
・米のわら咽をとほしておのづからはらの大きうなれる塩だら(192)
・ぞつとさす三本あしの首筋に人なみならぬ妹と見とれつ(193)
 
柏木遊泉

【著作等】
遊泉詠『狂歌柳草』(1765年)

【参考】
忍頂寺務「柏木遊泉とその子孫たち」(稿本『訪書雑録』P39~P42) 
・よつの海蝦夷が千島の鮑まで戸ささですめる君が代の春(24)
・心して花にはふきそ野ぶろには酒あたたむるほどの春かぜ(24)
・春風にふりわけがみのいかのぼりいとさまならで誰かあぐべき(27)
・米の直の上りさがりをきかんより雲雀さへづる春の野遊び(27)
・米相場のいきほひに似て北浜やすつと立枝の梅五六りん(27)
・大名の御出でかつづくつくづくしたて笠霞む春の野ばかま(27)
・佐保姫の文やはのべにちらし書き候べく候と見ゆるさわらび(27)
・見渡せば琵琶の海づら一めんにぼろんぽろぽろ春雨のふる(27)
・散り行きし花のかたみと笛の名の青葉にしげる須磨の夏山(27)
・時鳥まだ朝くらの一こゑにぴりりさんしよの目をばさました(27)
・湯より猶きいた有馬のほととぎす棹にゆかたをかけたかの声(27)
・夏菓子は何よりもつて尉殿の持たしやりそうな鈴なりのびは(28)
・吹く風にかぶりかぶりをして遊ぶ野はなでしこのいとし盛りじや(28)
・かげ日なたさへなつの日やかさもきずあつさ誰がためするほうこ草(28)
・夏の夜はむしくるのみか出来し子のややともすれば寝びえをぞする(28)
・夜うちには入れじ蚊帳の城がまへ蚊よ時の声あげてよすとも(28)
・北浜は軒の玉水横堀を筋違橋に渡るゆふだち(28)
・ほそ引きをわたせる小袖えりあかの白きをみれば遅き土用干し(28)
・たばこ好く人でも九度三ぷくのきつきあつさにむせかへるなり(28)
・生玉のはすばにそよぐかけ作り水涯たちし風の涼しさ(28)
・五つづつつ三つの難波のうらやまし秋のよつ橋すみ渡る月(29)
・あかし潟名にたちにける朝霧は島かくれなき浦の景物(29)
・まだらなる猫の毛色に似た雲のしぐれいく度風にそばゆる(29)
・すいも有りなますいも又おほさかやひやうたん町をぬめるぞめき衆(29)
・双六のさいの河原をひとり旅でつちもつれずうとうととゆこ(29)
・たばこ呑む間もあぢきなや身のつゐの烟のはての灰を思へば(29)
・二八にてうたれ玉ひし跡ざとて敦盛前のそばうどん茶や(29)
・松かげにころりと思ひなげ杖にねてさへいびきかく駕のもの


柏木遊泉の墓探訪記 
韓果亭栗嶝
【著作等】
栗嶝詠『狂歌肱枕』(1767年) 
・みな月のはらひといふて難波がたあしに任せてちやうさやようさや(33)
・魚と水たのしみあひし川竹は流れなれども今朝は恋しい(33)
・早乙女にほれたとみえて雨あがり田植の足に吸ひ付いたひる(33)
・へつたりと降りつむ雪の庭の面ほくろとみゆるとび石もなく(33)
・おそけれどつづやはたちでやうやうと恋のいろはを習ひ覚えた(33)
・百姓のばばが悋気に里芋のおやぢもとんとくわをぬかした(33)
・にほはせて馬子はたばこをすつぱすぱよう吸ふ事じや五十三次(33)
・たび枕ねられぬ儘にやどの事おもひ明かして気草臥れした(33)
・雪ふりに屋尻を切つてぬすまれたそのしろ物の行衛しらなみ(33)
 
観雪堂鵞習  ・やがて人を驚かさんと荻のはのうなづきあひし秋のはつ風(136)
・鄙まつるあの子とならば世帯して見たや弥生の三日なりとも(136)
・主の子のもて出る紙鳶の尾についた丁稚も心空にのぼしつ(167)
・さくらかなさくらかなとて日々に句をはくに箒となる筆のさき(167)
・さくら狩り労れしくれも足もとのあかいうちには何といなれう(168)
・まつかうにかざす刀のもろは草はらへは露の玉ぞちりぬる(169)
・人は目をさますふし戸のあけがたに啼きくたびれて細る虫の音(172)
・ごもく場に捨てしざうりの長刀も刃をつけたかときらめける霜(174)
・こしの山の雪の深さに出でしよとみるやしるしのさを鹿の跡(176)
・足取りも静かな御代になぞらへて能はしつとりをさまつた物(178)
・かがめつつはく腰板もあて馴れてはかまにしはは見せぬ老人(179)
 
九如館鈍永(きゆうじよかんどんえい)
(一七二三~一七六七)

【日本人名大辞典】
享保(きょうほう)8年生まれ。京都仁和(にんな)寺の寺侍。中川貞佐(ていさ)に俳諧(はいかい)をまなぶが,師のすすめで狂歌に転じ,自然軒鈍全(じねんけん-どんぜん)に師事。編著「狂歌老の胡馬」で即興頓才を主張。初代得閑斎をはじめおおくの門人がいる。明和4年8月9日死去。45歳。姓は蘆田。通称は讃岐。
【著作等】
鈍永撰『朋ちから』(1753年)
鈍永撰『興太郎』(1756年)
鈍永詠、吐虹撰『狂歌野夫鴬』(1770年)
七回忌追善集、紅円撰『夷曲哥ねふつ』(1773年)
九如館鈍永詠、山居撰『興歌河内羽二重』(1776年)※一周忌、1768年の翻刻
・ぽんぽんと餅つくおとのきみか代や千代にやちよにさされ石臼(7)
・若衆方年はさやうにみえねども豆のかずにぞおどろかれぬる(7)
・ともにしたふ心をすぐに手向にと申す詞の花たてまつる(8)
・一のうらは六さいの秋はかなくもさいの川原へながき別れ路(8)
・世にあらばバアといふべし地の下へかくれん坊主扨もかはいや(8)
・梅さくら松田の家の小童があんどに取り添へ玉はつて候(8)
・名月や扨(さて)名月や名月や秘蔵の植木が邪魔に成りけり(38)
・久かたの天津のつとの太はしら探る雑煮のあなうまし国(38)
・ふご尻をもつたてて摘む春の野にまだとしわかな嫁なましぐら(38)
・おつとつてゑいやつ塔の前の藤立ちあふて見る花のしなへを(38)
・久かたのあめの細工やちやるめらの笛のねたててよぶ子鳥かも(38)
・ほととぎす思ひもよらぬ一声をききはづつたるてうの始めに(38)
・しやつきりとおへて見ゆ也早乙女がまくる裾野の小田のわかなへ(38)
・よそにみても心せわしき夕立やかつらぎ山にかかる黒雲(38)
・月宮殿玉斧(ぎよくふ)の修理も成就して扨けつかうな秋の中空(38)
・手をとつて思ひ机により添ひつおしへてやらうか恋のいろはを(39)
・畳たたく音は高間がはらひ給へきよめて春をまつや神国(39)
・よつてかかつて搗くぞめでたき年のくれ餅は餅屋がよいといへども(39)
・額づくや神の広にはとりの名のそのかしわ手のひびく拝殿(39)
・いとはじな胸のひしやくや君が為たとひ湯の中はて水の中(39)
・袖たもとほすまなみだの雨とのみふりつつ君はつれなさほ竹(39)
・隠れもない大名じやとて公家じやとて恋に隔てはおりないは扨(39)
・かはらじと契り参らせそろばんのわれてもすへにあはんとぞ思ふ(39)
・花のいろはうつりにけりな我も人もついしはくちやとなれる朝顔(39)
・とぞ思ふヤツヲンはやふと望まれて急にもみ出す此の三番三(40)
・鑓は毛槍弓は山田の鳥おどし鉄炮いそれ湯わかしとなる(40)
・通宝の徳は元より世の末も枕もやすくゆるり寛永(40)
・蚊の声も扇の芝の草陰に文武二道の名将の跡(40)
・あつまりし枝のねとりの昼かとておきまどはせる森の月影(40)
・佐藤兵衛教清入道西行も富士がなければ唯はつち坊(40)
・引かぬ弓もてど放さず山田守僧都の身には尤に候(40)
・いづれなりと柳はみどり去りなから只一本も花はくれない(40)
・六塵のけふ迄遣ひし色々をべつたりけした墨染の袖(40)
・海ばらのはてしも浪の上にふりつもれる雪やこんぴらの樽(47)
・折りとる事禁制とのみ制札に引きぬくなとは書いてないもの(47)
・蛍こいこつちの水はうまい事其の手はくはぬと尻に聞きゆく(47)
・雪は富士氷は室に春こして夏迄冬はうろたへてゐる(47)
・七夕の後のあしたのもぎどうさつい明年の明年のとて(47)
・くへもせぬこのみをそなへて玉祭けれう物いはぬ客なればこそ(47)
・千年と契るもはかな常なき世鶴も料理の献立の一(47)
・山高み木なきを以て貴しとするがの富士は格別なもの(47)
・水の面にうつりにけりな飛鳥川あすかい殿のまりほどな月(51)
・薬筥を弁当にけふ引きかへて花の容体見あるく医者殿(51)
・ほととぎす鳴きつるかたや相撲場のにしか東か北かみなみか(51)
・七夕の別れはさぞなけさはもう待つ日の数に入ると思へば(51)
・雲上な月のこよひの一刻は金づくでないけしき也けり(51)
・有難やこよひの空の雲の上のとてお月さまに二つはござらぬ(51)
・あられなら夢や砕かめ存じよらずふりし夜のまの雪の明ぼの(51)
・おしやなふお袋さまは極楽へ跡は千世もといのりかためて(51)
・寝ても夢覚めても夢の世の中は無明の酒の二日酔ひ也(51)
・寿はちよにや千代にそりや偽じや有様無事で百五十年(52)
・片うでをとられたやうにかなしかろ此世の綱のきれしおばさま(93)
・春蒔いてはこぶ手なづちあしなづち養ひえたるこの稲田媛(93)
・方円の器のなりにしたがふて水にちよつほり、(テン)のなすわざ(93)
・かうで有つたああで有つたとともすれば思ひぞいづる其人のくせ(93)
 
玉雲斎(ぎよくうんさい)(雄崎)貞右(ていゆう)、
混沌軒国丸(こんとんけんくにまる)
(一七三四~一七九〇)

【日本人名大辞典】
混沌軒国丸
享保(きょうほう)19年8月15日生まれ。大坂の商人。芥河貞佐(あくたがわ-ていさ)にまなぶ。大坂丸派(がんぱ)の祖として門人1300名をかぞえた。寛政2年2月24日死去。57歳。姓は雄崎。名は勝房。通称は尼屋弥兵衛。別号に玉雲斎貞右(ていゆう)。狂歌集に「夷曲左右合(いきょくさゆうあわせ)」,編著に「狂歌寝さめの花」など。

【著作等】
貞右撰『除元狂歌小集』(1784)
貞右撰『除元狂歌集』(1785)
貞右撰『狂歌玉雲集』(1790年)
時丸・魚丸撰、貞右詠『狂歌泰平集』(1792年)
一静社草丸撰『狂歌拾葉集』(1794年)※玉雲斎及び門人詠
魚丸撰『狂歌二翁集』(1803年) ※二翁は貞佐と貞右
25回忌追善集、独詠『狂歌選集楽』(1814年)  
・はや春の花のおもかげ見するかは餅米洗ふ水にしら雲(80)
・煤とりて破れ障子のそこや爰はるをまつ下禅尼じやなけれど(95)
・人の親の心はやみにあらねども子ゆへに提燈もつてちやうさよ(95)
・ととんどと太鼓がなる戸のうら盆は渦かまい夜さ踊るかありやありや(95)
・うぶがみをたれが種ともしら露のまたちちくさの中に捨て子は(95)
・中ぞらは星稀にして下界には月見る人の目玉きらきら(95)
・けふよりは冬きた風に紅葉葉の五つのゆびもひびにいたまん(95)
・湯へ入りにきた時雨かや有馬山ぬれてはあがりあがつてはぬれ(95)
・つく人も臼取りもみなすまふ取り餅もつよふていづれおとらじ(95)
・豆よりも雨にうたれて鬼はさぞふどしぬらさんとらのかはいや(95)
・見わたせばてんがう書く子もなかりけり蔵の戸前の秋のゆふ暮(96)
・誰にかもあくびうつさん友もなしわれのみ口をあきの夕暮(96)
・わたし舟早うさせてふきりぎりすむかふも乗る人まつ虫の声(96)
・てうとうけてかなはぬ時はちよつと出て助だちたのむ酒のかたきに(97)
・布の名の下腑あたためんと薩摩芋のぬくぬくを喰ふ毎夜鷹達(97)
・さづかつた五重にことし又五十百はたしかにいきによらいさま(97)
・敷島の道にも少し違ひありきやうかいどうとわかさ街道(98)
・音羽山みねは夕立にあふ坂の関のこなたはぎろりくはんくはん(98)
・秋の夜も夢ばかりとや肱尻をかごからちよいと出すきりぎりす(98)
・緋おどしのよろひゆゆしくほうらいのやまの大将と見ゆる伊勢海老(111)
・散りしける花みやつこよ中臣のはらひ玉ふな清めたまふな(114)
・片遠所の旅路は淋し七夕やうし引いた人に稀にあふのみ(114)
・婆は河へ気のせんたくか網舟で最ひとつ鯉をうてとおもしやる(130)
・おし合うてすりむくさんりのきうくつやしびり京へとつみのほり舩(131)
・定まつた所じやことし五十三めい日も又五月十三日(131)
・なきがらとよばれはせじな蛤のかひある薬命すくふて(131)
・一たんは薬て治して而してのちにきするも定まる寿命じや(131)
・かたわきへきんたまによろり殿さまも腹をかかえの角力をかしき(165)
・にやんにやんの誓文たてぞ猫の恋首筋もとにかみかけた中(165)
・月も日も五つ五つのわれ角力軒のしやうぶは明日とらせます(165)
・呑みこみのよいに似合はず鵜飼ひ船最上の川でかぶりふるとは(165)
・魚の名を鳥にむりやりおしつけていひなれさせし此の雀鮓(165)
・むら猿の尻かと見れば蔦紅葉春日の杉の枝にぶらぶら(165)
・年もおし又鶯もきかまほしこころは除夜の闇に迷ふた(165)
・君が影ちらとみかんのかはいらしま一度こちらむいてたまはれ(165)
・紙袋の底がいたみてこぼれ梅あたらみやげを棒にふる雨(165)

一心寺、大阪市天王寺区逢阪2丁目8-69


右後方に通天閣が見えます。


      玉雲斎貞右の墓訪問記

 
曲肱亭百年  ・物がなしき秋の夕は雲も目をしばたたくかと見ゆる稲づま(161)
・村中で腕さする男も尻ごみに跡へ跡へとよれる植ゑつけ(181)
・手折る手を見とがめられて我がかほもともにしぐれのもみぢ葉の色183)
・つもりたる雪の中行く鹿の背をいつよりひくう見るならの町(183)
・大きみの氷室守雄は行義よく夏もはだかでくらさざらまし(185)
・百草をかきわけ見れば土の筆とりたる跡にみみずぬたくる(190)
・手習ひはうはの空なる顔つきにやんまつる手やよくあがるらむ(190)
・松茸と出あふ時には山里のかたいとうふもちとくだけをれ(192)
・はづかしとねやのあかりを吹きけした妹の息こそ恋風ならめ(193)
 
季隆  ・住む籠の長月の空こひしかろ木の葉色づく秋の山から(94)
・年玉の手鞠にてうど百のうへはづんでこませと端銭まてつく(126)
・たばこのむ煙のやうにおんぼりときせる店まてかすむ四つ橋(132)
・せき入れし川はひつつくよいてりにひやす西瓜の水を賞翫(133)
・松茸のかさも仕丁にもたせつつさがすは山のお公家様がた(134)
・弁当をさげつつゆけば紐とくもひらきをはるもある桜花(168)
・吹くとても花はさそはぬ春風のそよぎに動く枝の短冊(168)
・燈篭にする気でかふた西瓜には棚が落ちても怪我はござらぬ(170)
・はや西の海へさらりと入る月を惜しむににくきこつかこの声(171)
・劣らじと争ふ中によい風のふく一ぱいの番ぶねの風(173)
・つくもちの鏡とるにも輪にいれてかたのごとくにおしつめし年(176)
 
靳果亭如石(有栗)
【著作等】
栗標・有栗(如石)・諦栗(幽山)詠、天地根・桂雄撰『狂歌三栗集』(1813年) 
・春ながら寒さは冬の通り筋炭火継足す夜半の店つき(117)*斤果亭
・千金の春の外にも百両のねをつけてかふ籠の鶯(154)
・だれひとりとひくる人のなき宿も庭はくやうに見ゆる青柳(154)
・雲雪と人をまどはす花なればくさ冠に化けるとやかく(154)
・組重のもりこぼしもて酒のみぬはや正月のはしくれの気で(155)
・駒とめて馬子ははちまきうち払ひほうかぶりにてゆきの夕暮(155)
・よきにつけあしきにつけてとはるればこれさい翁が馬のあふ友(155)
・夢の世は夢の間なれや目をとぢて目をふさぐ時の事をおもへば(155)
・紗綾綸子それよりただの木綿にてとかくやすいをいはふ腹帯(155)
 
桂果亭幽山(諦栗)
【著作等】
栗標・有栗(如石)・諦栗(幽山)詠、天地根・桂雄撰『狂歌三栗集』(1813年) 
・道もせもわかずしげれる夏草にまひ子になりし梅若の塚(154)
・秋きぬとおどろかしたる其うへにいやがうは風荻をさわがす(154)
・紫のおなじ色でも藤よりはしたにさがらぬ秋萩の花(154)
・しくれつつしぐれの桜咲きにけり花は雫も春にかはらで(154)
・紅葉葉のちりての後もてる月のかつらの花に冬がれはなし(154)
・おもひきや鳥も通はぬ山里でひるとんびめにかけられんとは(155)
・さればとて浮世の事もすてられずけふしらぬ身のあすのたくはへ(155)
・花によばれ月に招かれうかうかとつひには老いに誘はれぞする(155)
 
溪月庵(坤井堂)宵眠(しようみん)
杉岡宵眠
(一七〇八~一七八四)

【日本人名大辞典】
宝永5年生まれ。大和奈良の人。栗柯亭木端(りっかてい-ぼくたん),賀茂季鷹(かもの-すえたか)らと狂歌をよみかわして名だかく,書にもすぐれていた。没後門人が編集した歌集「狂歌渓(たに)の月」がある。天明4年6月9日死去。77歳。名は道泰。通称は丸屋勘兵衛。別号に渓月庵。

【著作等】
宵眠詠、宵端撰『狂歌渓の月』(1795年)
・玉ぼこの道ゆく人の傘(からかさ)もやれて程ふるさみだれのころ(14)
・なかんづく秋のゆふべの風にきく捨て子の声ははらわたをたつ(16)
・臼を曳く音もさながらなる神で太鼓のやうな水ぐるまかな(20)
・乗合船さす蚊ばかりかみじか夜にくらはんかまでせめて寝させぬ(105)
・美芳野の山は世界のはなばしら誰かめがねにもかかるしら雲(105)
・うへこみの若葉の梢雨はれて花かあらぬか蝶の三つ四つ(105)
・玉ほこの道ゆき人のからかさもやれてほとふるさみたれのころ(105)
・ひく声のゑいさらゑいはきこえねど様子やありの熊野海道(105)
・くねつさへせんかたなつの其の上に又ちうねつの閏六月(105)
・月をみて虫きく秋はおもしろや目の八月に耳の八月(105)
・枝かはす汀の松のかげ見えて月も木つたふさるさはの池(105)
・酒のんで芋も存分此のうへのゑようにもちの皮がむきたい(105)
・朝鮮も大人参は指なやらどのかほも皆ひげばかりなり(106)
・つつぽりとひとりたつたのかかしをば夜半にやきみのわるものとみん(106)
・きつと手ににぎりこぶしのたかもちは放しもやらで身をぬくめ鳥(106)
・真白に三輪の山もと道もなしただ豊年のしるしのみして(106)
・ゆくとくるとしと年との挨拶は互にまめをいはふせつぶん(106)
・浄るりのふしみにかかるぶんご橋いさ都路の事かたれきこ(106)
・扨ながい日じやの夜じやのといふうちについ盆になり正月がくる(106)
・つつしめや隣同士のよい中にかきの木うえて不和になりもの(106)
・鳳かけり鶴の舞なるいきほひをかご字にうつしとりの足跡(106)
・さかもりに千とせの命のべにけりさよもふけ井のつるの吸ひもの(107)
・ひきよせて三井の古寺鐘はあれどとをめかねにて声はきこへず(107)
・夏もはやいつきの宮の草しげみひらき残りしひあふぎの花(107)
・せはしない浜の真砂の二厘五毛つもれば人のおいとなるもの(107)
・あられいる音はきけども年寄りははぐきに老いをかむ斗なり(107)
・千代鶴のとびたの歌を給はるはかしこまるやの家のめいぼく(107)
・ここをせに鉋かけたかと郭公よしの丸たの杉のむらだち(107)
・故郷の軒もあらたにたちばなやむかしのままに匂ふ門々(107)
・ひでりどし夕だちほしくおもひねの夢にもながす百姓の汗(108)
・観音のちかひかこぞのひでりにてかれたる井にも花の春雨(108)
・おかげとて皆ぬけ参り正直のかうべには蚊が宿取つてくふ(108)
・うしをにとなるいきほひをもちながら無慙やこちへくるとたいみそ(108)
・書くもじの廿の右はむかしにて段々十の左へぞよる(108)
・うのまねかうさぎのまねかしら紙の浪をからすがこゆるぎの磯(108)
・水無月をせかでかこらは高帆真帆片原漕がで風沖つなみ(108)
・白髪問うもとの干支ぞきつるなる月ぞ昔の友うとからじ(108)


瑞景禅寺(奈良市法蓮町690-4)

渓月庵宵眠の墓訪問記
さ行  西隣亭戯雄  ・呼子鳥かんこ鳥てふ説はあれど太鼓ほどなる判はおされず(159)
・ひろき事かぎりはあらじ日本ばし不二もちいさくみゆる大江戸(164)
・山も笑ふ春の光にかはら家の鬼もよだりをながす雪解け(181)
・おつとせいの外にねてゐる物はあらじ月さえわたるえぞの海づら(183)
・ふみまよひとへと互ひにことばさへわからぬひなの長路くるしき(184)
・裾からげわたれば人のひざ過ぎてぬるるふぐりの玉川の水(193)
 
砂長、得閑斎(とくかんさい)(三代)
(生没年不詳) 

【日本人名大辞典】
京都の人。2代得閑斎(文屋茂喬(ぶんやの-しげたか))の没後に襲名。文政(1818-30)のころ判者(はんじゃ)をつとめた。姓は林。名は久敬。通称は八兵衛。別号に為山軒,砂長,魚廼屋。編著に「狂歌絵入春興集」など。
・もむ数珠の玉と欺く身の汗や世の濁りにはしまぬ行者も(133)
・宮の名の落葉かき分けきのこをば狩る大将はけふも御忍び(134)
・水攻めの其おもかげも立ちこめて霧の海にぞ沈む城跡(134)
・見ねば気がどうやらすまぬ月の影心にかかる雲はなけれど(171)
・くらけれど手水せんとて河水に向ふの岸も見せぬ朝霧(172)
・さまざまになりくだものは栗のみのふたごもあれば妻なしもあり(172)
・畑に有りし時よりもなほつむ綿にふけよと願ふ番船の風(174)
・池水はこほりの名にぞふりきぬる雪気に風も添ふの上下(175)
・あきが来ていなした跡はあはれみの添ふ程ふかうなる今の妻(177)
・あしもはもそろへて雲にとふつるは仙人たちが例の乗物(178)
 
繁雅、得閑斎(とくかんさい)(初代)
(一七四八~一八一三) 

【日本人名大辞典】
得閑斎(とくかんさい)(初代)
寛延元年8月14日生まれ。京都の商人。九如館鈍永(きゅうじょかん-どんえい)の高弟で,のち一派をたてた。文化10年7月29日死去。66歳。姓は山田。通称は太右衛門。別号に繁雅,以閑。編著に「狂歌かひこの鳥」「狂歌芦の若葉」など。

【著作等】
撰『興歌野中の水』(1792年)
撰『興歌かひこの鳥』(1800年)
撰『狂歌芦の若葉』(1807年)
撰『狂歌千種園』 (1815年)
・何ごともあとの祭りはわるけれどそれとちがふて宵祭哉(85)
・元日にそる月代のもみ心はげるものとはおもはれもせず(126)
・造りなす棟もななへや八重霞立ちこそつづけここのへの春(126)
・露と消えし人を迎へて祭るてふはちすの上はたまだらけ也(126)
・いただきていたみ入りけり我ら迄くらはされたる御こぶしの茸(126)
・河堤めぐるしぐれもゆく人のさきへ成つたり跡へなつたり(126)
・打ち出でて見上ぐる雪の白妙に大仏殿は下京の不二(127)
・きざんでもきざんでも唯君に似る仏の顔に罪つくるなり(127)
・安土てふ寺へよる間にくれかかる日の短かさは論のない秋(127)
・こがねしく月をみ堂のささら浪千体仏も物の数かは(127)
・盆といへば小踊りをせしやつとさも今は立ち居のかけ声にして(127)
・小判紙をもらふはよいがとてもならきらひのしの字のけて給はれ(127)
・くひ入りてさむる枕に飛ぶ蚤もとらへどころはなつの夜の夢(133)
・白小袖かす看板を釣る軒によるむく鳥も一れつのいろ(134)
・ほたるさへ光りを添へてまち筋の道あきらかな殿の御帰城(141)
・女夫岩いつもつながる二見にもふた夜とは見ぬ星合のそら(141)
・海へ出た鼻まで長う見やられて降り積む雪の白き象潟(141)
・さく花はのう見物ぞよかきつばた一番二番三番目まで(168)
・うつくしいお顔には似ず夏の夜の月は気早に入らせられます(170)
・結構な月夜とは見め刈りしまふ山田に腰をのす時にこそ(171)
・はらはらとあしとき雨は飛脚をもはだしになして走らせにけり(173)
・さしあたることをすてても老いの身はとかくこたつが去りがたき用(173)
・吹きたてて立木を枯らす嵐には梢に蜘の家ものこらず(174)
 
自然軒鈍全(じねんけんどんぜん) 
(生没年未詳)
【日本人名大辞典】
京都甘露寺家の諸大夫。享保(きょうほう)(1716-36)ごろ京都の狂歌壇で名がたかかった。門下に九如館鈍永(きゅうじょかん-どんえい)がいる。姓は寺田。通称は宮内。
【著作等】
純全詠『五色集』写本(1751年~1764年編)
・風からぬ手のごひかけにかくる帆も手水の浪にぬれぬ日ぞなき(26)
・さす水にしばししづまるにえ釜もまたさよしぐれ降りしきる也(26)
・短尺のいと風雅成りうへに又銭まであれば下におかれず(26)
・あたまからかみこなせしといわしますそのいにしへも鬼じやあるまい(26)
・だれもみな今より月にゆびささで此のサボテンに足をはこばん(26)
・となりまで聞こへし声も南無あみだふつとここではのふこわづくり(26)
・てらされていきもならざる昼舟も苫をまかるる雨よりはまし(26)
・さよふけてゆびきのこゑのきこゆるは弓矢八まん町の番太良(26)
・讃うさんげに面白き絵すがたのヘマムシヨ入道もいはれぬ(26)
・夕立にさそはれ出づるうろくずもしばしは遊ぶ草むらの中(47)
 
雌雄軒蟹丸
【狂歌人名辞書】
雌雄軒蟹丸、通称芦原為斎(一書に虎屋光家隠居)大坂安堂寺町に住す、混沌軒門人にして浪花六群中、東南一群に長たり、文化(*1804~1818)頃。
【著作等】
詠『狂歌かたをなみ』(1796年)※玉雲斎社中詠
詠『狂歌蘆の角』(1807年)
・せめてとや植ゑいたみせし連翹の枝にとまつた黄なる蝶々(81)
・一流の手なみ見よとや釼術者鎖でちよいと留めた鑓むめ(84)
・嬉しさを何といひわんもる乳母がくくめる口もあけてふたつぶ(97)
・ありがたいといただくかれましよ五重より百はたしかなことぶきの歌(97)
・どんぶりの文字かともみつ四つ橋の中に一点うつる月かげ(113)
・秋の日のかげはさせどもやや寒くふるふてのぼるぎやくのみね入り(113)
・花の時はさぞやとこしをかけ茶屋の茶碗にちり込む桜紅葉葉(114)
・笛ならで東風ふく風にあは雪かちりやたらりの橋にひやりひう(135)
・橋の名のささやくやうになるかめりおとなし川も凍りどけのして(135)
・花や散ると見れば梢に打ちむれておどろかしたる蝶のふるまひ(135)
・よしの川にちらぬさきから桜鮎移りし花をこえつくくりつ(135)
・たらちねぞいとど恋しき魂棚へ手向けの水に顔がうつりて(135)
・奈良の町に見なれた鹿のなく声も今さらかなし秋の夕暮(135)
・水の面に影すみわたる月今宵はなしてくやむ魚のむら雲(135)
・我一と施行角力かとりどりにきのふはむすびけふはせきはん(135)
・遊行する舟もとだえてしら波の見渡しさびし秋のゆふ暮(135)
・鳥はみなねぐらするころねぐら出ておのれ顔なるさとの蝙蝠(142)
 
岫雲亭華産
 木端門
【著作等】
栗毬詠、華産撰『狂歌藻塩草』(1780年)※刊記なし
撰『狂歌栗下草』(1792年) 
・開きしとひらかぬはなの唇はあうんで梅のにほふ成るらめ(12)
・ほととぎす竹田の宿で水銀の人形のようにおちかへりなく(14)
・今日加茂の足そろへなる競馬とてむまのあふどちだうだうをする14)
・名にしおふ中げんなればさし鯖をさしこはらしてきつとことぶく(16)
・俊寛がしばしは月の舟よのう雲の波まに見えつ隠れつ(16)
・山の端を東国がたから出る月に抑(さ)もこれはの能をはじめる(17)
・ひなの秋はわきて淋しくおもひてや京街道にたちのぼる霧(17)
・六十の手ならひなれと美しい君がいろはにほの字とぞなる(19)
・あだ惚れとしらでまことをたて板にみづからうきなはつと流した(19)
・乙姫のをとに聞えしむかで山秀卿ならでいてもみたやな(20)
・笛竹のをとしはよれど俤はおなじ調子や六十いちこつ(22)
・ちよの春けふよりかぞへはじめつるそのおや指やさぞ嬉しかろ(22)
・だんじりのやれややれやのその中にやらんやらんのひき船もあり(24)
・わびごとをいふたきのふは小声にて今朝ものまうの調子高さよ(55)
・和中散商ふからは梅の木のありとやここに鶯のなく(55)
・はげしさは雪もちらちらふる年に瓜をふたつの二月中旬(56)
・秋風になびくきりこのふさもまたをどろをどろとみだれみだるる(57)
・山守もけふはなゆるせ松茸のかさがとりたい雨もあがれば(57)
・腕づくにその福力をえびす様にぎりこぶしでまいりましたぞ(90)
・山吹のさかりほどにはいはぬ色なぜ菜の花は菜の花はなぜ(90)
・手枕の夢ばかりなる春の夜にかひないものじやひだりこながら(90)
・けふやさくあすやさくらの桜のとみねにこころのかかるしら雲(90)
・花の香を風のたよりにたくへてぞけふは貴様をお誘ひ申す(90)
・目をすゑて居びたれ酒や白妙の雪とのみ花雲とのみ花(90)
・風の手にふとももまでもふきまくられおめこ十夜のあれいやいなあ(91)
・はれさうなそぶりはなしにいく日ふる扨もながやの軒の五月雨(91)
・なるかみのさはく夕だちのふる塚に俗名半兵衛おちよいやそや(91)
・秋来ても庭の荻はらししらしんこそつくものは團はかりぞ(91)
・いづさよりいるさをかけてすみわたる今宵は月を丸で見ました(91)
・かさふせのかさのけもない月なればさらばをふねにさほでまいりましよ(91)
・大江山いく野の道は遠いげなこれは丹波のくりのひと枝(91)
・山々のかなたこなたとむらしぐれかさきかさとりはれみはれずみ(91)
・ことぶきはとをつあふみの灘こえて磁石の針のふれよいく春(92)
・大仏の鐘にうらみはごんずまい花にも恋にも邪魔にならねば(92)
・よしあしやみなそれぞれのすぐの道横に行くのも横ならぬかに(92)
・白粥の三粒の豆をかきつくりいくよゐざなぎいくよゐざなみ(92)
 
樵果亭栗圃(?~1791)
【著作等】
七回忌追福、栗圃詠、馬朝・三津国撰『狂歌拾遺わすれ貝』(1797年)
・雲雀さへあがりかねたるけしきかなけふ一日の春雨のそら(115)
・斧の柄もかびる斗りのつゆが来てきこりはうちにこりる山里(115)
・早乙女やおとこまじくらしなしなと濡れつつ植ゑる小田のわか苗(115)
・雨の夜もきえぬ螢のともし火は庭山めかした草庵のうち(115)
・雨のあしにじりあがりに蝉の声にえる台子のかまびすしさよ(115)
・桐の葉の机のうへにちりぬるはけふより秋も風の手ならひ(115)
・秋くれどまだ汗水にしのばずが池のそこらも忍ひかねたり(115)
・わがこころなぐさめあかずなには橋きのふの花火けふの月かげ(115)
・かはらけのかはくあぶらにはかりしる夜も長月の有明のころ(115)
 
如雲舎(じようんしや)(山果亭)紫笛(してき)
(一七一八~一七七九)

【日本人名大辞典】
享保(きょうほう)3年生まれ。黄檗(おうばく)宗の僧。栗柯亭木端(りっかてい-ぼくたん)にまなび,のち木端の門をはなれて一派をたてた。安永8年8月16日死去。62歳。大坂出身。姓は山田。名は直方。通称は四郎右衛門。法名は拙堂如雲。別号に山果亭,楠山人。編著に「狂歌水の鏡」「狂歌真の道」など。
【著作等】
紫笛詠『狂歌水の鏡』(1754年)
紫笛詠『狂歌まことの道』(1771年)  
・義経はとり落とさねど壇の浦のなみにうかみし弓張の月(9)
・さかりとは遠目からてもかくれもない大名小路のさくら花かな(9)
・色里に身をうつばりのつばくらめうつくしい子をおもふてや来る(9)
・小袖地にそめし代ものさばけねばころもがえうきけふの呉服屋(9)
・かみなりの太鼓の皮はさもなくてきびしい音に夢がやふれた(9)
・ふたごころとや人の見ん古戦場にはふ葛の葉のうらがへりしは(9)
・棚の上に蓮のいとこやはとこまでをきしは露の玉まつりかや(9)
・この家をかりてすみたくおもふかや普請のうちから月がさしこむ(9)
・分銅のあらたまる春もよけれどもなれたふるとしおしむ両替(10)
・また誰か住むともなきにかしや札野分の風がふきまくるかや(10)
・ちかづきにちよつとあふむの挨拶やようふるといへばようふるといふ(10)
・猿ならで日よりを見んと船子共へさきにちよいとそれ立ちたりな(10)
・空はれてまことにめでたうさぶらひのえぼしに似たる帆かけ舟かな(10)
・世の義理も褌もかかぬ閑居とてぶらつきけりな軒の風鈴(10)
・さみせんのだうとん堀の床なれは糸びん撥びんひきつけて結ふ(10)
・勢田ならでわたし普請の橋大工むかでのやうにはたらきぞする(10)
・きりぎりす北山の手の金かくのあたりは将棋させとてやなく(16)
・打ちこんでほうれん草の色なればかねつけはどうもしてやられまい(19)
・うき思ひくゆるきせるのすぱすぱと通りかねたるらをのよの中(22)
・すゑに名のくちせずもああ忠臣はくすの木やなる大石ならん(22)
・芝居みて気を開かんとべんたうにむすべる飯のにぎにぎしさよ(24)
・よろこびを申すゆえんのあるからにかたばかりなる祝儀する墨(37)
・かみしもでゐんぎんするもおさまつた御代のしるしと祝ふなりけり(45)
・三寸の舌で五尺のからだをばやしなひもするうしなひもする(46)
・福とくのたからとおもへのらむすこいつもおやぢにもらふ目の玉(46)
・蟹はただ横に行くなりなには江のよしといふてもあしといふても(46)
・福とくはここにありとて大こくがこらへ袋をじつとおさへた(46)
・此あふぎあふく時にはあつき日もなんのへちまのかはでこそあれ(46)
・目や鼻のやまひはしらず耳によくきいた有馬の山ほととぎす(46)
・朝がほのあしたの露にくらぶれは一夜ぞながきほし合の空(46)
・うば玉のくらやみならでふりしきり一寸さきもしら雪の空(46)
・あたご山峯のかたより飛びさかるあれは天狗かいいやかはらけ(46)(123)
・元日の礼者はかしらさぐれども辞宜のならぬはひとつよるとし(60)
 
如棗亭栗洞(じよそうていりつどう) 
(1720~1791)

【日本人名大辞典】
享保(きょうほう)5年生まれ。大坂の人。栗柯亭木端(りっかてい-ぼくたん)の門人。寛政3年10月17日死去。72歳。通称は和泉屋藤兵衛。著作に「宇奈為草紙」「狂歌板橋集」など。

【著作等】
栗洞・義栗詠、木端撰『狂歌友かゝみ』(1767年)
栗洞撰『狂歌つのくみ草』(1789年)
負米撰、詠『狂歌夜光玉』(1815年) 
三十三回忌追善集、揖友撰『狂歌板橋集』(1823年)
・初春をつげぐちなれど鶯のちよつぴちよつぴはにくうないもの(31)
・おれきれき御出でなりとていと桜地にはなつけて盛り見せけり(31)
・はだ薄な蚊と成つてけふとび初めぬ棒ふりむしも衣がへとて(31)
・秋風の米の相場の道具だてせりあげもするせりさげもする(31)
・かくばかり上りかねたる手習にうらやましくも山端(やまはな)の月(32)
・火にくはるやうにこたつにねころんだこころはほんに大名じやまで(32)
・月々に参る身なればすみよしの道の案内はそでござります(32)
・また地震ゆりおこそかのをそはれもゐのこゐのこでまじなひにけり(32)
・ああらめでた火燵へ足袋を落します焼く払ひますやくはらひます(86)
・作り花咲きにけらしなもり物の山のかひより拝む祖師様(118)
・打ちよりてねぎりこぎりのほととぎすこの鳥箒かけねござらぬ(166)
・ここもまた天の岩戸や八百よろづかみあつまりてうれる常店(166)
・はなやかなはな緒に足も立ちどまりようはけるものぞふりやの店(166)
・盃にあらで茶わんですすめます爰までござれあまざけあまざけ(166)
・きんかんや桃梨ぶどうかきみかん春夏冬もあきめなきみせ(166)
・すつぽんよおもひしるらん汁となりて今吸はるるは吸ひついた科(166)
・去年といひことしといふがおかしいか雪のかたほにわらふ山の端(194)
・若水を心おかしく祝ひけれ我もむかしははるの華むこ(194)
・影清きこよひは月の王様じやあれまろまろとおつしやるやうな(194)
・名にしおふ住吉四社の御社もかぐらの鈴はごしやごしやと鳴る(195)
 
翠柳軒栗飯
【狂歌人名辞書】
翠柳軒栗飯、姓氏未詳、大坂阿波町に住す、如棗亭栗洞門人にて後ち一派を為す。
【著作等】
三回忌追善家集『萩の折はし』(1811年) 
・業ひらの夜半にかよひし河内路はみな一めんのおきつ白浪(140)
・魚偏に京もゐなかも肴やがねもせでいそぐ今朝の初売(140)
・春風に梅の唇ほころびてしやべり出したる鶯のこゑ(140)
・いかなれば春三夏六の沙汰もなく秋に一度のほし合の宵(140)
・桐の一葉敢りて告げにし秋もはやきりのひと日と今日はなりにき(140)
・老いぬれば腰にゆみはり桃燈をたたみしごとく皺のよりけり(140)
 
清果亭桂影

【狂歌人名辞書】
清果亭桂影、通称島屋安右衛門、大坂本天満町に住す。條果亭社中。
【著作等】
天地根・桂影撰『狂歌新後三栗集』(1819年) 
・はきものは腰にしつかりさしながら扇落としてはしる夕立(161)
・崩れ簗もれて日に日におち鮎のさびしながらにながれ行く秋(162)
・下げ札はとれてうつろふ菊ながら迷子にならぬにほひ也けり(163)
・まうけてもぬけめがあるかすたすたといへど坊主に鉢巻の所作(163)
・寝はらばひおのがまにまに草つみてあそぶや野べの牛はうしづれ(181)
・ひこひかと見ればもみぢの散りたるを其のままこほる庭の池水(183)
・鷺かともみのにふりつむ雪の道ぬきあしをしてあゆむすがたは(183)
・早き瀬を丸太にのりてあちへとびこちへとびもてくだす杣人(184)
・恋風になびくをいつとしろがねのつくりつけなるすすきかんざし(185)
・をりかざすつとの紅葉の一枝をそめたらじとや又もしぐるる(192)
・恋風をはやひきそめてはなたれの長吉もちとうはがれし声(193)
 
雪縁斎一好(せつえんさいいつこう) 
(生没年不詳)

【日本人名大辞典】
明和-寛政(1764-1801)のころの人。大坂今橋の本屋金西館の主人。永田貞柳に狂歌をまなぶ。子に雪子堂一洞,白縁斎梅好がいる。著作に安永4年刊「西方六字丸」,編著に「狂歌虎の巻」。姓は陰山。通称は塩屋二郎兵衛。

*永田貞柳(1654~1734)
【著作等】
一好詠、梅好撰『興歌帆かけ船』(1768年)
・寂滅とかねてはたれも夕暮や何時(なんどき)しらぬか仏成るらん(35)
・浦遠く霞をわけて入相の鐘にぞ浪の花やちるらん(35)
・人ごとにかざりし花の言の葉もちることやすきひとへ正月(35)
・暦よりこまやかにふる春雨やはじめをはりはみせぬ八せん(35)
・前後をも花に忙(せわ)して吉野山足よりも目のかいだるきかな(35)
・あすの夜を今宵になして踊子もここかおもひのきりこ燈籠や(35)
・久かたの雨戸へ闇やひきこんでことにさやけき月は一めん(35)
・黄昏のしばしくらがり峠をばならより越えるししの月かげ(35)
・泉水に秋はもみぢのにしきとも別れてみゆる金銀の魚(35)
・言のはの色もよしののたばこうた床にかけ地の一ぷくとなる(36)
・無風雅と人やみるらん丸合羽時雨にかざす袖のなきこそ(36)
・定めなき世にも磁石の針のやうにいづくでふるも北時雨かな(36)
・ひとり行く道とはいへど来迎の菩薩をいれて二十六人(36)
・ねぶい目と寒いめをして拝まずにかへるは以上三そんの弥陀(36)
・なげけとて茎やはものを思はするむかしは梅の種も割りしに(36)
・人肥えし旅にしあれば思ひしる竹輿かる折と居風呂の時(36)
・そののちはついにたよりもしら雪の白雪のとてつもる年月(36)
・下戸上戸へだてもなみのやかたぶね知つた同士や涼しかるらん(36)
・くみしめてゐるのはもののはづみにて是れはと手うつけぶらひもなし(45)
・見かけよりさしたる功もない身にて大ぶたらたらいふや大たら(45)
・まめ板や壱歩小判をうちまぜて奢りぞ後は乞食なりける(45)
・うき橋にあらぬ四条の水の面祗園会のかげうつすさかほこ(54)
 
仙果亭嘉栗(せんかていかりつ)
(一七四七~一七九九) 

【編著書】
『狂歌貞柳伝』
(大谷篤蔵「翻刻『狂歌貞柳伝』」文林12号)


【日本人名大辞典】
紀上太郎
江戸時代中期-後期の浄瑠璃作者,狂歌師。 延享4年1月8日生まれ。大坂の豪商三井南家第4代。幕府の為替用達(かわせようたし)をつとめる。狂歌を栗柯亭木端(りっかてい-ぼくたん)にまなび,狂名は仙果亭嘉栗。人形浄瑠璃の後援者として知られ,江戸在住中「糸桜本町育(いとざくらほんちょうそだち)」「碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)」などの作品をかく。50歳のとき三井家内紛の罪をかぶり,江戸重追放となった。寛政11年4月23日死去。53歳。名は高業(たかなり)。

【著作等】
嘉栗撰『狂歌ならひの岡』(1777年)
朝省・嘉栗・林栗撰『狂歌栗葉集』(1798年)
嘉栗撰『狂歌辰の市』(1798年)
・ほんのりとあかり障子へみつのとのみの紙しろくはるはきにけり(55)
・初夢に見たと祝ひをするがなるあとはいはぬがよい事じやげな(55)
・千金の直打ちはあるぞ春霞たち入りましたことじやけれども(55)
・幕串のあとはそのまま取りながら夕暮淋し花のこのもと(56)
・夕されば里の賑ひおもはれてうちのかかめに秋かぜぞふく(58)
・てんぼうやすずのしのやに秋ふけてけぶり淋しき深草の里(58)
・心にはまかせぬものよとにかくに人間万事さいの出たらめ(58)
・その色もうこんの馬場の末遠く北野につづく七野なのはな(120)
・雪とのみふりあをむけばすけ笠の紐もはづれてはなの下かげ(120)
・よし野山よしやすそわけするとても心の奥の花は忘れじ(120)
・飛ふ螢かやのちの下すけゆくを面向不背の玉かとぞ見る(121)
・ずんぶりの鵜よりもさきへ山端にぬつとあがれる夏の夜の月(121)
・手にさげて名のみすずしの薄羽織扇ばかりはたたむ間もなし(122)
・よみ本もはや見えわかで外題のみながめてけりな秋の夕暮(122)
・まろまかす雪のふり袖曳きつれてよめり盛りのころころのむす(123)
・終に行く道とはきのふけふかたびら吾がつまぞとは思はざりけり(124)
・まつとてもいつかへりこん死にわかれいなばの山のおみねのこして(124)
・ちりはつるならひなれどもさりとては花よ紅葉よかかよ娘よ(124)
・おもかげのかはるものならかわれかし小町のやうにこれこちのかか(124)
・小町よとたはぶれいひしそれも今卒塔婆と成りしおばば可愛や(124)
・いたづらにうつりにけりな七小町七とせも夢百とせもゆめ(124)
・呑みつづけ日数もひいふうみいら取そのむかひざけそのむかひざけ(125)
・暮れ限り錠前ぴんと箱根山四角四面にさしたものじやな(125)
・此春ははなの下こそやすからね一こくあたひ二百五十目(125)
・二百目のそとをり姫やささがにのさがつて来べきよいさたがする(125)
・本玉のあつきめくみに此のはなもかかる嬉しきめにもこそあへ(125)
・ふりかへりみやこの桜ならうなら此春ばかり墨染でさけ(125)
・智恵かそかちと智恵うろか極上のよき智恵も有るかしちゑも有る(125)

西方寺、大阪市天王寺区生玉寺町7-29

仙果亭嘉栗の墓訪問記
 
棗由亭(若拙堂)負米
【狂歌人名辞書】
棗由亭負米、別号栗生坊、通称西田耕悦、大坂櫂屋町に住す。栗洞門人、後一家をなす。(道の栞)
【著作等】
撰『狂歌越天楽』(1814年)
撰及び詠『狂歌夜光玉』(1815年) 
・乳のたらぬこの哀れさはのます身ももらひ泣きする秋の夕暮(118)
・糸をもてくくれば猿となるみかんきいの国より出るとききてし(119)
・御社につばくらは巣をかけまくもかたじけなしやちりをまじへて(119)
・すなどりのわざはしらねど今もなをあみにかかりてうるかつをぶし(166)
・御馴染みのはしとなりぬる商内や御やうじあらばたのみ上げます(166)
・なさけをば商ふさとのちかければここにもおいろうれる店つき(166)
・かつらをばかぶり直して一人俄男なりけり女なりけり(194)
・おそうくれはやうしらみて冬の日を長う覚ゆる雪のふる郷(195)
 
素人  ・こやしとる得意へ米は渡しつつ我が屋の餅をつく年の尻(134)
・火ともしてかよふ螢はとがめなし御門はくれを限る城下も(141)
・筑摩祭いただく鍋の数もなくひとりの男まもらせ給へ(169)
・くすり喰ひと身をやなししの皮足袋に足のうらまであたたまりぬる(175)
・契りてし事をいなとて白粉のしらじらしくも美しい顔(177)
・世わたりにかたひぢはれど力なや今にわづかな銭ももてぬは(180)
 
た行  桃縁斎(芥河)貞佐(一六九九~一七七九)
【日本人名大辞典】 
広島の芥河屋の養子となり,町大年寄をつとめる。漢学を伊藤東涯に,狂歌を永田貞柳にまなび,3代貞柳を名のる。蹴鞠(けまり),茶道などにもすぐれた。安永8年1月21日死去。81歳。備中(岡山県)出身。本姓は丸山。名は濤賀。通称は久五兵衛。別号に桃縁斎,又生庵。編著に「狂歌千代の梯」など。
【著作等】
貞佐撰『狂歌千代のかけはし』(1759年)
魚丸撰『狂歌二翁集』(1803年) ※二翁は貞佐と貞右
・元服に齢ひさづくる男振りするは千年かみは万年(2)
・市中の紅葉はうれし此の秋も声聞くときといふものも来ず(25)
・しぶかはのとれたもあればとれぬのもくりの節句に見る女郎のかほ(〃)
・ああしんきはらたち花の種をうへて待つほととぎす軒にきをらぬ(130)
・竜宮の鏡立てとやみやじまの鳥居にかかる秋のよの月(130)
・死んで行く処はおかし仏護寺の犬の小便するかきの本(131)
・大海を我がままにした鯨でもあはれに家のともし火となる(131)
   -以下『狂歌大観』より-
・七種の内ならままよ仏の座鰹はゆるせ今朝の雑炊(狂歌戎の鯛)
・木の端のやうに思へど此の法師つれづれの儘取りて上げます(狂歌戎の鯛)
・ほととぎす鳴いたあとじやとあきらめて只有明の月をみていの(狂歌戎の鯛)
・厳島宮居あたりを鳴く鹿の声きく時ぞ市をよろこぶ(狂歌机の塵)
・年は今暮れると惜しむよの中にくれぬと鳴くやかけ取りの声(狂歌机の塵)
・師の恩は我より先へしる泪七ねんもなく月にほろほろ(狂歌活玉集)

貞佐建立由縁斎碑銘

福蔵寺(広島市西区古江上1-659)
橙果亭天地根(とうかていあまちね)

【狂歌人名辞書】
無疑庵天地根、別号橙果亭、通称島慶次郎、大坂高麗橋西詰に住す、文政(※1818~1830)頃。

【著作等】
栗標・有栗(如石)・諦栗(幽山)詠、天地根・桂雄撰『狂歌三栗集』(1813年)
桂雄・天地根撰『狂歌後三栗集』(1814年)
天地根撰『狂歌新三栗集』(1818年)
天地根・桂影撰『狂歌新後三栗集』(1819年) 
天地根詠『狂歌一橙集』(1821年)
天地根撰『狂歌拾遺三栗集』(1822年)
・夏の日のひるねの夢をさませとやゆすりてぞなく蝉のもろ声(117)
・今ははやとんでかたちもかはひらこさして毛虫のけは見えぬ也(159)
・月かげの有明行燈消そとしてふつと一こゑ聞くほととぎす(159)
・野あそびの小歌でかへる夕暮にかはづもそこやここをとびとび(181)
・こは何もかへり見もせで手まりのみつくにしきりと動くかんざし(187)
・薮かげに雪ぞのこれるこぞの冬をれたる竹を日おほひにして(187)
・月も日も二にんが四花や算用はあはでもすゑん七九十一(187)
・花ゆゑにかたきのやうにいはれてもやはらかにふく春の山かぜ(187)
・よへ白う見し菜の花も千金の色をあらはす春の明けぼの(187)
・たはれ島や何をたはれて山々は霞の袖にわらひつつめる(187)
・さみだれはたたみに足のひつつきて友がりゆかむこともものうし(187)
・水ましてつるべのなはも長たらしちときりあげよ五月雨の空(187)
・ひきつれし牛こそ見えね秋霧のもうもうとたつ中に声あり(187)
・よばひ星もかげ見えぬまで照る月に空はからすのとぶばかりなり(188)
・ひたたれの錦にまがふもみぢ葉は木々の中での山の大将(188)
・秋やまに此のごろむれてつどひ来る人も紅葉のぞめきならまし(188)
・我は酒こさねど頭巾いただけばほのぼのとしてかんをしのげり(188)
・たちどまりゆくもゆかれずふりつもる雪にあしたの跡へもどろか(188)
・雪をれの音する冬の山里は人よりししやまづすくむらむ(188)
・人や来とまつの梢につむ雪をおとして通る風ぞつれなき(188)
・とりはみなにぐる御狩に鶴とてもたか括りてはゐられざらまし(188)
・河豚汁の薬喰ひよりわた入れしなごやの衾きてぬくもらむ(188)
・行燈に羽織を着せて今宵先づ手にふれそむる吾妹子が乳(189)、(193)
・関守もなにかとがめむ通ひなれし旅商人は顔のうれれば(189)
・大船に乗つたやうなといふはづよくがありさうに見えぬ海づら(189)
・いやらしと人なおもひそ脈やあると手を握りつつ見る妻の顔(189)
・長生きをなほねがふなり今は恥も忘れかたみのをさな子を見て(189)
・目にあてる子供の袖や露にぬれん母は草葉のかげにかくれて(189)
・夏の夜の川瀬にうつる月みれば足のはやさも流るるがごと(191)
・露の玉穂さきに見えてきらつくはこれや孔雀の尾花なるらし(191)
 
な行  繞樹亭百丈  ・せせなぎのぼうふりむしも蚊となりし出世いはひの餅やつくらん(160)
・手をつくしもみつひねりつとる角力みてゐる人の肩のこるまで(182)
・世の中よ月にむら雲花に風ほととぎすには瀧津せのおと(185)
・しこしらへて出すをどり子の親たちはさぞない袖もふつてよろこぶ(185)
・たくましい和子は節句にかざりたる鎧武者にもつかみかかれり(190)
・とけあひし印と見るも嬉しきは屏風にかかる二すぢの帯(193)
・君をおきていかでかは妹にかへぬべき背中に腹をおはせてしより(193)
 
は行  白縁斎梅好(はくえんさいばいこう)
(一七三七~一八〇五) 

【日本人名大辞典】
元文2年生まれ。雪縁斎一好の子。大坂今橋の本屋金西館の主人。父に狂歌をまなび,画にも長じた。編著に絵を主体にした「狂歌浪花丸」や,さらに説明文をくわえた地誌「浪花のなかめ」などがある。文化2年死去。69歳。姓は陰山。通称は塩屋三郎兵衛。
【著作等】
一好詠、梅好撰『興歌帆かけ船』(1768年)
梅好撰『狂歌浪花丸』(1771年)
貞柳五十回忌追善集、梅好撰『狂歌いそちどり』(1776年)
・御辞退をする墨なれどふかきゆえん有るにまかせてくらうかけます(37)
・廿五の春やきた野の神垣にむかふて運をひらく梅が枝(37)
・ねもやらで耳をすましつ時鳥ほぞんかけ樋の水の音のみ(37)
・豊としの田面をてらす月見れば人はあをむく稲はうつむく(37)
・千早振る鈴の音いろもしやんとした袴を着せて神へ参らしよ(37)
・据風呂に入るや彼岸の心ざしあかの他人もあつくよろこぶ(37)
・水の面にうつるをみれば雲のうへわたるこころぞ百しきや橋(37)
・四ツ橋の名代を通すきせるやの買人はひびにつまる店さき(37)、(132)
・ゆだんせぬ番家のうちの蚊遣火にぬす人はなをけぶたがるらん(45)
・だんじりを引く大坂のちからでも京のほこにはどうもかたれぬ(45)
・我心われよりほかにしるべきや壁に耳なし岩に口なし(45)
・あらがねのつちでつくねた狐でも子どもをだましばかす持ち遊び(45)
・夏まつり何にたとへん天満川こぎゆぶる舟にそろへてうちん(45)
・あびるのは今じやといへど寒ごりの水はかへらぬ昔なりけり(50)
・道風の筆にもまけじおとらじと濱のまさごのふるひ書きかな(54)
・久かたの天津空豆かみわればにほひとともにかかるはかすみ(54)
 
麦浪亭渓雲  ・鎧かぶとかざり立てたる初のぼり其のちのみ子かけふの大将(159)
・親達の目をしのびつつあみのめに魚はかかれどあそぶわらんべ(181)
・口ばしの針では物をぬはぬ蚊のかやの破れをなどさがすらん(181)
・真桑瓜ふたつならべてそなへしを枕のやうにほしやおぼさん(182)
・山しろの木幡の里の馬よなも道しりがほにふむな白雪(183)
・夜まはりの拍子木の音打ち絶えて雀ちよんちよんなける暁(184)
・弁当を坊主持ちして野路ゆけば家にかへれる事もわすれき(190)
・背中よりぬけ出でし蝉よ汝は外にはらからといふ物はあるまい(191)
・むさしのの月かと見れば夏草のしげみをわくる旅人の笠(191)
・神無月こたつあぐれば床のしたに足ちぢかめてゐるきりぎりす(192)
・横柄に胸つき出してあゆめども礼はただしき鳩にぞ有りける(193)
 
百尺楼(ひやくしやくろう)桂雄(けいゆう) 
【狂歌人名辞書】
英果亭(*えいかてい)桂雄、別号百尺楼、通称俵屋宗七、大坂京町堀一丁目に住す、條果亭社中。
【著作等】
栗標・有栗(如石)・諦栗(幽山)詠、天地根・桂雄撰『狂歌三栗集』(1813年)
桂雄・天地根撰『狂歌後三栗集』(1814年)
・仕事するそばには毒な火鉢ぞや得てはつゐ手のあたる物から(119)
・ならうなら実さへ花さへその香さへ霜おけるまてとつとこよもの(160)
・夕風に吹きたてられてちるほたるひるのあつさのゆくへなるらし(160)
・魚といふ魚の中にも魚へんに尊き所へ上げますの魚(181)
・祝ひうつつぶてはそとにおとす也あかつきかけて内は高砂(184)
・あふぐとも風はひかねどいたづらに鼻うごかさんうつし画の梅(185)
 
不朽軒蔦丸  ・禮を知る心や竹にもち雪のそのほどほどに腰をかがめて(84)
・もうあとはきかいでもよいほととぎすそれで男かたつた一声(99)
・いくとせかふるの都は枝高く今は名のみとなつた御所柿(99)
・をきくされといはれたむかし恋しやな親父さまとははらが立役(100)
・子供の時のはなし肴にのむ酒もちつく竹馬の友しら髪同士(100)
・にごりなき世は住よしのそり橋のうつりて丸く和合した迄(100)
 
船越とき女(時女)  ・まだ散らぬ花のながめに忘れけり我身につらき風のここちも(68)
・早苗とる早乙女が手のうらわかみ足は田面の泥にふしだつ(69)
・秋の夜に鹿の命毛かひぞある筆のたちども通ひ習ひて(70)
・幾秋をながく契りてきせ綿の帽子色よき菊の花嫁(71)
・くる春の座附の膳は雑煮にて七五三まで揃ふしめ縄(101)
 
文屋茂喬(ぶんやのしげたか)、生没年不詳
得閑斎(とくかんさい)(二代)、墓所不明。
【日本人名大辞典】
京都で書店(文徴堂)をいとなみ,狂歌の本を多数出版する。初代得閑斎にまなび,師の没後2代をつぎ,文屋社を結成した。姓は吉田。通称は新兵衛。別号に灌河,売書翁,百川堂。編著に「狂歌手毎の花」(文化8年(1811)刊)など。
【著作等】
輯『狂歌手毎の花・初編』(1810年)
撰『狂歌紅葉集』(1811年)
輯『狂歌手毎の花・二編』(1811年)
輯『狂歌手毎の花・三編』(1812年)
輯『狂歌手毎の花・四編』(1813年) 
・千金といふもここらかくれさうてついくれがたきはるの夕ぐれ(132)
・どろ河にやどりはとれど大峰へのぼるは六根清浄のこゑ(133)
・大かたは褌ばかりでくらしたる夏のなごりかくふ麦団子(133)
・荘厳もなきあき寺の春雨に瓔珞めかす軒の玉水(167)
・字をなして雁は帰りし春の日にのたくり廻る蚯蚓あはれや(168)
・しろ物とさくらもしるか植木屋に冬もちよつぽり花を餝つた(173)
・御佛のまへにともしし蝋燭は風にまかせてはすに流るる(179)
・唐詩選素よみの声の聞ゆれど誰とも主人相知らぬ家(180)
 
蝙蝠軒魚丸(へんぷくけんうおまる)
(一七五二~一八二一)

【日本人名大辞典】
江戸時代中期-後期の狂歌師,浄瑠璃(じょうるり)作者。 宝暦2年生まれ。大坂の商人。混沌軒国丸(こんとんけん-くにまる)に狂歌をまなび,蝙蝠軒(へんぷくけん)を名のる。佐藤魚丸の名で戯作(げさく)を,佐川藤太(佐藤太)の名で20編ほどの浄瑠璃を手がけた。文政4年2月11日死去。70歳。通称は釘屋藤兵衛,藤太兵衛。狂歌集に「恵比寿婦梨(えびすぶり)」,読み本に「越路の雪」,浄瑠璃に「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」など。

【著作等】
時丸・魚丸撰、貞右詠『狂歌泰平集』(1792年)
撰『狂歌二翁集』(1803年)
撰『狂歌よつの友』(1812年)
発起『浦の見わたし』(1812年)  
・人柱のむかし見するかふぢばかまながらの川に影のしづんで(82)
・妹と背の中も隔たるあつき夜にひつ付くものは寝ござばつかり(96)
・さびしさにひとつ野守がとつくりをふれど音なき春雨の頃(97)
・きのふまで抱いて寝たのも秋風でけふはいとまをやる竹夫人(99)
・横町からそりや又ふつてきた時雨かづく袖笠ひぢまがる辻(100)
・雨てさへしらぬわら屋の雪の朝出て見よとてか下折の音(100)
・なはしろの水ばな頭痛せきとめよ送らるる風の神ならは神(111)
・立ばなのかほる河辺でせんたくの婆さまの袖も昔ゆかしき(112)
・雪の中の松はものかは横山のほのほの中でちらぬ花炭(114)
・薪よりまづ厚氷斧をもて打ちわつてたく仙が茶の水(130)
・むつの花かつらの花のとはいへどやつぱり花ははなで社あれ(148)
・見る度に邪魔な菅笠いざ捨てんてうどよい程花曇りすりや(148)
・いとせめて今宵よしのの夢見草虱のじゆばん裏がへし寝た(148)
・月かげにいけるを放つ夜半なれば我もころさで放す芋の屁(148)
・降りつもる夜半のしら雪音なくて今朝かしましき薮の下折れ(148)
・心なく箒もて出た人さへもしばし見とるる雪のあけぼの(148)
・消えやせんけふのはれとはいひながらまあ火はいれな雪見灯籠(148)
・すべりなばころりころろん転びなん子もりの宮の雪にあぶなき(148)
・王城の前後左もおしなべて右のとほりに雪の白妙(148)
・都路の車のわだち降りうづむ雪にはつらきうしの小便(149)
・打ちはれた春の野もせの楽しみはお月さまよりすつぽんの酒(149)
・手酌では気が春風や花見酒もふ此のうへはちりますちります(149)
・なる口もならぬ口にもあを東風の涼みの床でのむ柳かげ(149)
・下戸上戸どちらの方へも向きぬるは面向不背の玉子ざけかも(149)

安養寺、大阪市西成区岸里東1丁目6-7

蝙蝠軒魚丸の墓訪問記
芳水  ・行燈の火かげも人もちらちらと軒には雪のふる道具店(141)
・誰ひとりせわやかねども春雨のふる度ごとにもえ出づる草(167)
・つむぎ出すいとどの声は秋のよの長うなる程細りてぞゆく(171)
・跡つけぬうちにとぞみる雪の朝火燵にさへも足いれずして(175)
・空をのみ見つつあほうが男ほどまてどもいまに来ぬ雪女(175)
・つかみつつあたためてゐる鷹の足に小鳥は肝をひやす冬の夜(176)
・時得ねば千里かくべき馬だにも奴が尻について行列(178)
・渡辺のつながる縁に持つてきた東寺参りの伯母の手みやげ(179)
 
凡鳥舎虫丸(ぼんちようしやむしまる)
【著作等】
虫丸撰『狂歌得手かつて』(1794年) 
・片意地な氷も春にやはらぎて器にしたがふ今朝の若水(97)
・此の寺の羅漢のさまかしら梅のにほひに人もいろいろの顔(97)
・ゆふべいそぐ月と違ふて春の野はすつぽんの酒に暮れおしまるれ(97)
・爰の花はやつぱり花とよんでいのあちらでは雲こちらでは雪(99)
・しげる葉に昼さへくらうすま明石いつも月夜のやうに思へど(99)
・お住持もとんで起きぬる時鳥にごろり寝釈迦はほんに仏じや(99)
・どこもかもめでたかり穂にほう作で思ひ出された去年の大雪(99)
・あたつてねやといはれた火燵めつそうな朝まで心よいのままたき(100)
・よろこぶはよけれど雪にあし跡をつけ行く犬のあの畜生め(100)
 
 ま行  松濤民女

※真鍋広済編『未刊上方狂歌集成』より抄出

 一本亭芙蓉花の妻・民女の歌を読む
一とせのすそはせ話しき縫くくり春を心にまち針をして
かくれもない大名はけふの月かげやねんのう早く出るをまつらん
布さらすおまんもみへず大雪の唯白妙に埋む谷底
ひらきみれば心すずしき此のあふぎ本来空の風かあらぬか
風の手がまぜるか扨はほうろくでいるかとおもふ霰ふるをと
ほろほろとつまにこがれて啼くきぎすなみだながらの里の夕ぐれ
しばらくは軒にたたずむ雨宿り夕立三日と人はいへども
この恋を叶へ給へを今はそのうらみぞいのる貴船明神
春の野は気ものべざほやおもしろき三味線草を引くにつけても
くらゐある紫色のふぢの花下にをかれずこちやたなでみん 
 
峯女  *春雨のおりにおるすは格別にお淋しかろとすもじいたした(120)
・さびしさをすもじ下され我も又よしの行きにもまかれたるもの(120)
・のこりなくちらし給ふな山桜ありて吉野のはなしこそあれ(120)
・庄やどののひなによばれて百姓衆もも尻に成り祝ふ酒盛(121)
・たれもみなうつくしよしとほめてたもけふきそめたる蝉の羽衣(121)
・土用前きうにふりくるゆふ立の跡の山見てあつさ忘れた(122)
・是れや此のといふよりさきに手を出だすかりたの有所しるも知らぬも(125)
 
無為楽
【著作等】
詠『狂歌落穂集』(1777年)※跋文の年
・ひえるはず石の地蔵も綿ぼうし召されてしのぐけふの初雪(59)
・一ィ二ゥ三ィ四めいりまへの振袖のちぎれる程に手まりをぞつく(59)
・春の日は龍宮界にさも似たりいかやたこらが空をおよげば(59)
・白雨にしりまくられて姉(あね)さんのぬれさんしたかかみなりがする(59)
・だだいふて声をばかりとあいた口餅くはされてなきやみし児(59)
・楽しみもかぎりが見へてふらそこのなさけもうすく心ぼそさよ(59)
・名も高き大磯ならぬ大坂のせうせうながらとらやまんぢう(59)
・国さあで聞いたよりかはでかいものてんこちもないがいな仏じや(59)
・くはし盆にもちあけて見る大仏はせはひくけれど高い代物(59)
 
や行  山中千丈

【著作等】
千丈詠『狂歌鵜の真似』(1767年) 
・愚かなる言葉を世々に残し置きて必ず似なと思ふ形見ぞ(34)
・能いおとしとりの年とてつべこべと囀る春の女子衆の礼(34)
・きのふけふ花も盛りとさくら坂見にくる人も峠なるかい(34)
・花も人も乱れあひたる糸桜くだをばまくの内の酒もり(34)
・手はしかう鎌をかけても麦秋はやとふ人さへあちらむきやす(34)
・夜番とて下戸も徳利をふる雪のしろ酒でちと寒をしのいだ(34)
・大小のこじりつまつた大三十日武士もぬきさしさせぬ借銭(34)
・降りもせで雨降り山の名もあれば水ありとても水無瀬とや云ふ(34)
・さきの夜は御寝なら路へ馬上にて眠り落とさせ給ふ宮さま(34)
 
揚果亭栗毬(ようかていりつきゆう) 
 別号に韃翁、瓢箪坊、ほうろく庵、茶々麿、往生
【著作等】
栗毬詠、華産撰『狂歌藻塩草』(1780年)※刊記なし
・南無阿弥陀いまぞうき世のつるきれてみのなるはてはころりへうたむ(63)
・よろこんぶ芋やおほねもこきまぜて雑煮ぞ春のけしき也ける(63)
・雁がとべば石亀といふことわざに坊主も今朝は春めきにけり(63)
・七種を寺にはすこしはばからん仏の座をもたたくおもへば(63)
・人とはぬ遠山里のおもひでは都にまだきうぐひすの声(63)
・とりもちの霞の網をやぶりつつ命めでたくかへるかりがね(63)
・北国へ一筆啓上仕る猶もきかんの時を期し候(63)
・さかりなる熊谷ざくら散り行くは南無阿弥陀仏発心かさて(63)
・朝倉や木の丸殿はともかくも名のりてすぎよやよほととぎす(64)
・桃色に顔もなるてふひなまつりかさなる酒にいやよひのけふ(64)
・潮干がたはまぐりにしるももの日はをなごわざなる貝あはせかな(64)
・春風に芝居太鼓の音すればうはの空にも人のそはつく(64)
・夜目に見て夏の雪かと横手をばてうとうつ木の花の白妙(64)
・手を合はせおがむばかりぞほととぎすほぞんかけたとたつた一声(64)
・ほととぎすまつに長尻くさらしたつくねん坊主空をにらんで(64)
・見ても見てもあかぬはよくの深見草富貴なものと人はいふ也(64)
・節句前一時しやうぶの売りものはよろひ兜に鑓や長刀(64)
・雑喉ひとつかかつたことか川がりの十方にくれてかへるあみぶね(65)
・おさまれるよはよろひより六月も綿入を着るひえ法師たち(65)
・水底をくぐりて魚をとりくらふうやつらやともおもはざるかは(65)
・たなばたの今宵逢瀬のむつごとを踊にまぎらすはあやつとせい(65)
・朝がほの花の色こそうつりけれ蚊にせぶられて長寝せしまに(65)
・稲荷山出る月影にばかされて立ちて見居て見ふしみかい道(65)
・あすしらぬ露の命にありながら菊には罪をつくるものかは(65)
・扨もその後の月見は一段とよひから朝までかたりあかした(65)
・めづらしくだれもなかむるはつ雪は昔も今もふるものながら(65)
・ぐはたぴしとあれる鼠に今宵しもあつたら夢をかぢりかかれた(66)
・かかもたぬひとり巨燵の気さんじはやぐらの足のさはるばかりぞ(66)
・ことしから貧乏神をすすはきに払ふてどこもふくや雑巾(66)
・家家の軒にさすてふ年こしの赤いわしでももとはきれもの(66)
・天の河に心中をしてしぬるとはふたりの人のほしのわるさよ(66)
・親の顔見るやぶいりの嬉しさは孝行ものと人やまうさう(66)
・内心は夜叉のお山をよねといふ外面ぼさつの名こそたつらめ(66)
・しらなみのよするなぎさにめぐり来てはくをはがれし我は木仏(66)
・世の中はくのたえまこそなかりけれらくにもくの字ついてはなれず(66)


浄蓮寺、大阪府枚方市禁野本町1-6-12

揚果亭栗毬の墓訪問記
養老館路芳(ようろうかんろほう)
(一七三七~一七九〇)
【著作等】
路芳詠、路産編『狂歌我身の土産』(1796年)
・たとへにはもるる親なり可愛子に留主をばさして旅をして来た(109)
・千とせふる鶴のよはひにあやからんわれもあたまが赤うなるから(109)
・水になる物でも水にするはおし地黄ばたけにつもる初ゆき(109)
・いただきはたとひはげてもはたち山あやかりたやな年のくれには(109)
・をさな子のちんぽうかとぞ身ぶるひし下を見やればししが谷むら(109)
・大ずまふの関川なれや橋の銭とつて中々まけさうになし(109)
・ならふなら鋤鍬ほしや吉野やま根にかへりたる花を掘らふに(109)
・此のほとり古戦場とてかふてのむ一ぱい酒の代もきりあふ(109)
・さかりをばはかりかねつる芳野やまうらやましいは水茶屋の婆々(109)
 
ら行  栗柯亭木端(りつかていぼくたん)
(一七一〇~一七七三)

【日本人名大辞典】
江戸時代中期の狂歌師。 宝永7年生まれ。浄土真宗の僧。永田貞柳の高弟。師没後の大坂狂歌壇の実力者としておおくの門弟をかかえた。この一派は栗派(りっぱ)とよばれた。安永2年7月7日死去。64歳。編著に「狂歌真寸鏡(ますかがみ)」「狂歌訓」など。

【著作等】
木端撰『狂歌手なれの鏡』(1750年)
木端撰『狂歌かゝみ山』(1758年)
栗洞・義栗詠、木端撰『狂歌友かゝみ』(1767年)
・元日とてさかやきやそる若やいであおあおとした年のかしらや(3)
・こま人の来朝をする春なれば唐土の鳥のわたる日にたつ(4)
・かき初めの硯の海のあはぢ島おろせし筆や天のさかほこ(4)
・梅ほふしになる身としりて咲くや此の花のすかたもはつちとひらく(4)
・いかのぼりしあげてみれば吹く風に細工はりうりうりうりうとなる(4)
・まつ人をだまし暮らしつほととぎす今一声はなきそうにして(4)
・道法は百廿里の程とぎすしばなくこゑを状通できく(4)
・かやりには手もなくにげて棒振りし昔の稽古の未熟みせけり(4)
・たたかひの跡ぞと今もかうみやうを一二の谷にかがやかす月(5)
・よばひぼしに稲妻のよう靡くのは七夕の千話けなりがりてか(5)
・三味線のいとぢの声のあひの手かちりんちりんと鈴虫のなく(5)
・今宵はなつ月の光も鯉鮒も池にうつりてもなかにぞすむ(5)
・たまとみる今宵の月を隠したるおててこてんの雲の袖かな(5)
・つきの名の菊もしほれて冬近き花屋は霜の下草ばかり(5)
・冬来ぬと今朝は寒さの入り口をたてて見せたる霜ばしら哉(5)
・かれてたつあしもとみてや寒風にゆすりてかさにかかる白なみ(5)
・みゆきとて物靜かなるその中にさきをふ声か竹の下折(6)
・さむき夜に独りは寝ずに居られじと炉の火もせせりおこし社すれ(6)
・人の世はしやぼんの露の身なればやなき玉とつい消えてゆきけり(6)
・無心なる雲にもあらで我は今朝くきの城下をたちいでにけり(6)
・あり明のつれなくみえしやどり哉ひのきえた程憂きものはなし(6)
・ふし見まて十里の道をしらせてや船の底さへごりごりといふ(6)
・茶をひいてねぶるは肩のつかえじと知りてとまるかやんまけんぺき(6)
・大小を見するこよみは武士に似てことし加増のありし吉日(12)
・たたくべき月下の門に匂ひ来て寺中のむめの盛りをば知る(12)
・ゆうれいの姿かと見るくらがりのたうげに白き梅の立枝は(12)
・大名の普請場ぞとてあをやぎも長うたらりとかかる春の日(12)
・水ぬるむ池のやなぎのいとを見て針にはあらぬみみづ出て来る(12)
・花をとふに岫を出て来しくもかこが扨(さて)心なき返答をした(13)
・時の花へ挨拶ぶりに春の月わざとかすんでみせしものかは(13)
・破れあみつづくる海士の手伝ひを春雨やする軒のいとみづ(13)
・河ぶねはふしみの岸であがれども猶こがれ来し花の白波(13)
・盛りめで折るはたごやの花の枝これも木賃の内にいれてよ(13)
・舞姫の世を遁れたる跡ぞとて花の色をばちつと残した(13)
・泪ならですずろに落つるいがぼこり袖やすからぬむぎの秋かぜ(14)
・はしかさに隣在所へいてみてもいづくも麦のあきの夕暮(14)
・かやり火のふすべる閨の独ねに悋気て去つたつま思ひ出す(14)、(128)
・縄をなふ真似するくせに蠅が夢むすばせぬのにこまる夏の日(14)
・花とちがひふかぬ嵐に汗の露打ちちらしたる夏のひざかり(15)
・山ざきのはなや夜風を引きつらんくつさめのやうに花火とびちる(15)
・龍宮から奪ひにこねど涼しさに玉の汗をばうしなひしふね(15)
・すい瓜の中並べるたねは照るといふ文字の連火の姿かと見る(15)
・すてられて何のぐわんぜもなく声を親はきかぬか秋の夕ぐれ(16)
・いもの葉のゑぐみの中にをく露は悪人形(あくにんがた)のなみだかと見る(16)
・下りぶねあたご参りの夢と共にしきみに結ぶよはのしら露(16)
・胸の輪になづけし月の影なれどこよひの空はくまのけもなし(16)
・宇治橋を引いたむかしも曳かぬ今も澄みわたりぬる月はかはらず(16)
・而后(じご)のつきとてもなかより致知各別那誠意晴天(17)
・おやかたきめぐりあふまて忘るなと空行く月や照らすなるらん(17)
・いかたしの丸太は杉とおもひしによしののかはにきりもながるる(17)
・天に通ふ橋にのぼりて見るもみぢ彼の七夕の織りしにしきか(17)
・冬来ても木々には似いで米ふみの働きしげき酒ばやしの内(18)
・きりぎりすのねも枯れ行きし冬ののに牛飼ひばかりさせいとぞいふ(18)
・あら行のむかし忍ぶか男へし霜にこたえし那智の谷あひ(18)
・こめ洗ひに濁る流れの水見ればこえゆく年の関やしら河(18)
・光陰の箭が追ひつめて年のゐも暦のまきの末にせまつた(18)
・夕顔のやどりの臼のをとならではるの隣にごほごほの咳(18)
・えん遠く年ふる川の娘とて染まるはつせにこひを祈つた(19)
・春の夜にかりねの声のきこゆれじ花を見すてていにもなるまい(19)
・こがれぬる心ははな火の玉なるかめつたに内がとび出たうなる(19)
・ふだらくの南の岸かどうとよする国のはてなる北の浦波(20)
・もろこしのよし野の山の花見かやから尻をかる春の日のたび(20)
・げに風は天地のいきのことはりで木々のはとばのあひにそよいだ(20)
・煙てふ草のはじめは其むかしたれぞ思ひのたねやまきけん(20)
・御懇情やまやまぶきでこの礼はいふにいはれぬをし花の色(20)
・難波橋か天神ばしかしらねども渡りものには長うかかつた(21)
・見事なるさめやつばすにうち交り浪の平かと思ふたち魚(21)
・燈の油となれる鯨こそしにひかりとはいふべかりけれ(21)
・からすきはつけねど筆のたがやしのたすけとなるや水いれの牛(21)
・檀尻のちきちきちんちゃんひいたれば絵もういて出るはずて社あれ(21)
・おさな子のみやげにせんと鶉もちちちくわい中の銭出してかふ(21)
・しゆもくならでこれは至極の鐘の段上手でごんすと世になれるはず(21)
・やつはしの半分なれど河の数三河にあらで四かはながむる(21)
・にほん橋といふもことはり出羽近江越前筑後目の下にみる(22)
・十づつのはちを並べしことぶきは茶碗屋ならぬいもとせともの(22)
・左保姫の霞の衣したてたる針休めかとみるあざみぐさ(23)
・みそを摺るれんぎにはねのはえたれば追ひ懸くる人もはしらかすかや(23)
・街道に更けゆく月は早飛脚か雲のいづこにやどるともなし(23)
・ちのありてたるるといへる名にも似ずすひにより来る蚊をふせぐかや(23)
・客好むはたごやなれど是れ斗りとまりにくるをいとふかやりび(23)
・長みじか筆発句脇絵の霞人の気つらら羽織がみさき(23)
・細いのはさみせんの三蚊のまつげ江戸兵衛が鬢帳のたち屑(23)
・さかさまはいなざる客のたて帚美女のたとへにつりしびいどろ(23)
・なには津のみつのあぢより賞翫は強いあかしのもちの月影(29)
・山々のふつと吹き出す春風にもらひ笑ひや梅のくちびる(55)
・ほととぎすそれや鳴いたぞと出て見ればまけにそへたる有明の月(56)
・世(の)中はなんのへちまとおもへどもぶらりとなつてくらされもせず(57)
・汲み流しまたくみながし水車のつるべにうつる月ぞつきせじ(57)

寿法寺、大阪市天王寺区四天王寺2-1-15

 
側面にも台座にも刻印なし。ここに至るまでの物
語りを秘めているのでしょうか。



      栗柯亭木端の墓訪問記

栗本軒貞国
 生没年不詳、広島の人。
【著作等】
貞国詠、井蛙撰『狂歌家の風』(1801年) 
・呵りたる子供よゆるせ今朝の春まつにほたへたきのふ一昨日(128)
・昼飯もきのふのやうに覚えけりそれから後のはるの夕ぐれ(128)
・あづさ弓夕べの風の涼しさにぬいだるかたもいるるもののふ(128)
・中秋の兎はあれどそれよりも蚊がもちを搗く夏の夜の月(128)
・庭の面はきのふの夏の打ち水にましてひいやりふく秋のかぜ(128)
・二王門てる月影に浮雲よ出さばつて握りこぶし喰らふな(128)
・ひまくれた女房をおもひ出だしけりひとりめし喰ふ秋の夕ぐれ(128)
・引上げてざこの子もゐぬ網の目に風のみとまる秋の夕ぐれ(128)
・手水鉢氷りついたる柄杓にて夜半のさむさは汲まずしてしる(128)
 
粒果亭方雅(りゅうかてい-ほうが)
【日本人名大辞典】
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江戸時代後期の狂歌師。
条果亭栗標(じょうかてい-りっぴょう)の門人。文化(1804-18)のころの人。大坂天満にすむ。通称は川崎屋平兵衛。別号に栗芳。
 
・盗人のうかがふ頃の大あくびはづれやすらん鰓のかけがね(119)
・鶯のかひこの中のほととぎす親はないかい今の一声(159)
・飛びめぐる烏もち論もろ鳥のねぐらざわつくけふの月かげ(161)、(188)
・銀杏の葉ばらつきかける冬のきていづちいにけん虫の声々(162)
・三熊野の烏よりしも順礼の一番鶏がまづうたひ出す(164)
・能因の顔もやけつくたびぢには秋風ぞふくなどとありたい(182)
・雪になろか風になろかとどちらへもころびやすげに霰たばしる(183)
・雪と見し花のをりにはさもなくて毛虫かぞつとさした葉桜(185)
・遠慮なうとぶらひきませ何ほどの足跡もついうづむ大雪(192)
・三井のかね尾上のかねぞかねならむつかでも其の名ひびきわたれば(193)
 




 私の五句三十一音詩史  夫木和歌抄と狂歌  狂歌とは何か~上方狂歌を中心として~
 いわゆる天明狂歌と少女のいる風景   浅草寺絵馬事件~一本亭芙蓉花と大田南畝~   近代短歌と機知



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