V2ソリューション) 一頁一首組、百首 判型 並製本 B6版 発売日 2018年1月10日 目次 プロローグ 5 仮想食卓篇 6 エピローグ 106 忘れた頃の自注 107 二十余年の歳月を経て、今開く筐底の歌草、百種 |
プロローグ |
朝顔や食いはぐれたる飯の数 中原道夫 坪内稔典選著『一億人のための辞世の句 Ⅰ』(蝸牛社) |
仮想食卓篇 |
残っても味噌汁はいいあたためてごはんにかけて昼を簡略 |
うろこあるサカナうろこのないサカナ焼かれるときも目をあけている |
食通の義父に眼肉おまかせし箸のばしたり鯛の白身へ |
お茶碗にお箸にお皿おのいらぬ丼、調理して茶碗蒸し |
タコ焼きに似てやはらかくだし汁もつく明石焼きちよつと上品 |
とことはの巨人大鵬卵焼きぼくらが生きたことは消せない |
出しがすきおろし大根生姜すき片栗まとふ揚げ出し豆腐 |
猫舌のわれはひいふうはあ額より汗をかきつつ鍋焼きうどん |
のどもとを糸蒟蒻のすべりゆく食感が好きすき焼きが好き |
すき焼きの味がたつぷりしみこんだ麩がまたよろし卵につける |
き焼きの湯気の底ひゆいざなへるゴールド・コーストはた榎茸 |
細切りの大根いれてよく味のしみしところをいざ溶き卵 |
甘辛く煮たるうどんを溶き卵につけてふたたび口にするする |
すき焼きの残りし鍋にあからひく朝はご飯を落とすたのしさ |
カニ食べにいく往路寄り復路寄り競ひて食べし出石皿そば |
肴にはきのめの香りやきみそも芳ばしくして木の芽田楽 |
しやぶしやぶは一度のところやくたいもなき性格はさらにしやぶしやぶ |
ヤキトリを焼くは備長炭といふ紀州は備後屋長右衛門殿 *原本は「備中炭」となっています。誤りを指摘してくれた従兄も、もういません。 |
こなものに通ふちくわの天ぷらの食感よくてまた箸のばす |
品下(しなくだ)る感じに揚がる紅生姜の天ぷらうまし品下るとも |
しその葉の天ぷらが好き揚げたての香りがよくてパリパリとして |
あまりたる衣は衣それのみを揚げてさくさくお菓子感覚 |
箕面にはもみぢ天ぷら錦秋の候を土産にしたる揚げ菓子 |
ネギ焼に広島焼にもんじややき一銭焼もみなドット・コム |
太巻きで大きくなつた腹さすりものたりなさをのこす節分 |
店の恵方巻にもちがひあることの玉子まくもの穴子まくもの |
どちらかといへば崩れた男爵と三位一体、肉じやがの味 |
遠足も運動会もおもひでをひらけば俵型のおにぎり |
お結びは山の手育ちほそくつてしろいおよびの上品なこと |
おにぎりは下町育ちあたたかい指が生み出すおばちやんの味 |
弁当のおかずといへば定位置に厚焼きたまごが陣取つてゐた |
冷蔵庫は家になかつた弁当のおかずは塩鮭また焼たらこ |
隠語なる親子丼おもひつつ顔あからめてゐし純情派 |
どんぶりといへばカツ丼おもひきり食べてよしなきときも過ぎたり |
カツ丼かそれとも天丼天丼を待ちつつおもふカツ丼のこと |
緋威のしたは筋肉隆々のいま天丼をいただくところ |
どんぶりの御飯のうへは兜なら前立ならむジャンボ海老天 |
簡略にして贅沢に数ふべしかつどんてんどんおやこどんぶり |
評判の蒲焼きけふもこだはりの備長炭でひと待たす店 *原本「備中炭」 |
藁納豆のわらにつきたる粒々のわづらはしくも自然食品 |
くめ納豆におかめ納豆金のつぶ糸ひくからにのぼる犍陀多 |
かたくつてしわいつぱいの黒豆がわれの原点、母の黒豆 |
釜飯の蓋とりしかば匂ふかな海幸彦も山幸彦も |
駅弁の釜飯食べて釜のみはリュックにしまふ家苞にせむ |
きこえくるここほれわんわん蓋とれば湯気のそこひにある栗御飯 |
ひとくちを食べてシシャモの断面の壮観は見よ然はあれみくち |
品数の多くてどの段どの列か天蕎麦さがす昼の自販機 |
おしてるや難波うどんになまたまごおとして月見するガード下 |
山椒はピリリと辛いかチリメンはおどろきみはるその大きさに |
朝焼けにあはず夕焼けまだあはぬ魚籃(ぎよらん)観音拝みてしかな |
水槽に蛸は泳げど青空にたこを見ることなき三が日 |
カニよカニよ手とおぼしきも脚ゆゑに解しがたかる虫と書くらむ |
かひばしらいかたこたまご細巻きに穴子を食べて上客ならず |
妻にいふことははばかることながら「カツカレー」押す府立図書館 |
うすくつてさらさらカレーはウスターを欠かせぬうまさ市立図書館 |
ここにしも時間をとめてほほゑめる松山容子の手にボンカレー |
ボンカレーのとなりは眼鏡おとしたる大村崑の元気ハツラツ |
構内のカレーショップの止まり木に至福のときは過ぎてゆきたり |
こだはりはエスカレーターなら右に立ちヒレカツならばヘレカツと呼ぶ |
食べたくもなき大目玉いただくとすればお目玉なき目玉焼き |
きみこひし白磁の皿に流れしを犬ならばねぶるターンオーバー |
耕して闘はされて食べられて申すほかなしこの世は憂しと |
掘り出したばかりのやうにパエリアのざつくざつくと黄金なす餐 |
厨房に取り分けらるる山分けの宝の山のやうなパエリア |
パエリアの金銀財宝それを敷くお焦げは洋を問はぬ御馳走 |
曲がっていた腰さへのびて爺さんやのう婆さんや海老フライです |
懸けまくもあやに畏しかけたきはタルタルソース、エビフライには |
ころもきて大きくみえしエビフライの海老を責むるにあらねどくやし |
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ぬばたまの夜またあかねさす昼もサンドイッチマンの立つ天王寺 |
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あれ、あれといいてごまかす今宵また芥子と山葵が混線をして |
紛らはしユズとスダチと蓮根につめるカラシとつめないワサビ |
ころもがへちかきあしたの食卓の芋粥うましなるときんとき |
いちごとはくさかんむりに母ながらストロベリーと呼ぶ女の子 |
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筋も房もミカンを剥いた皮に捨てひとより遅く食べをはりたり |
遠い日のあぶりだしには種ならぬミカンの汁が欠かせなかつた |
褐色の毛におほはれしそこもとのキウイと鳴きて走る梁上 |
パイナップルをばさんいつもぼさのばの緑のかみがリオデジャネイロ |
シロップの風呂につかりて缶詰のパイナップルはしあはせである |
朝々を響(な)るミキサーのなかにして破船のやうに呑まるるバナナ |
皮むいてバナナを食ぶるよろこびを四囲より眺む猿山の人 |
みづみづと水たくはへし豊水に歯をあてたればたちまちの秋 |
旅役者のやうな名前の長十郎つつがなきやはみちのくの空 |
ころころところがりいでて床の上に赤いリンゴは泣きさうである |
二重三重巻きたる帯にどこか似るりんごのかはの下垂れてゆく |
ゆふやけてのちのくらやみ誰何する井戸のスイクワを引き上ぐる頃 |
やはらかくなりたる餅はのびてのびて喉にやさしき安倍川の関 |
「若武者」にあらず「伊右衛門」不在にて自動販売機の「十六茶」 |
爺さんやなう婆さんや茶柱は立たねど自動販売機があるのです |
ほどよくも小さくなつて白酒を酌まむ官女と戯れもせむ |
種吐けばあとは黄色いさくらんばうばうとしてゴールデン・ハーフ |
かくてなむ刺身となりし伊勢海老の胃の腑に沈んでのち大暴れ |
八方にらみの龍も手水舎(てみずや)の龍もおもへば伊勢海老のかほ |
オランダのチーズは重しけふ少しあすも少しと囓る木鼠 |
オランダのチーズは固し石鹸のやうなる味といひし野鼠 |
エピローグ |
さればこそ月に草食獣がおり 坪内稔典選著『一億人のための辞世の句 Ⅰ』(蝸牛社) |
忘れた頃の自注 |
番外歌集とは、すでに第七篇まで出している家集『草食獣』のシリーズを意識した命名である。『イタダキマスゴチソウサマ一九九五年』の一九九五年、平成七年とは私にとって、どのような年であったのか。時系列でメモすると、次のようになる。 一月十四日土曜日。やけに寒かった。あとから思えば体が異変を感じ取っていたのだろう。休日だつたが出勤、教育委員会の車で小学校に向かった。成人式の準備作業の応援である。途中から右腕に力が入らなかった。現地解散。来るときは一人だったが、帰りは同僚が乗ってくれた。これが幸いした。ハンドルから右手が離れる、握っても、また離れる、ずれ落ちる。それを見た同僚からストップの声がかかった。助手席に移されたが、ほどなく意識が遠のいた。運ばれたのは職場に近い協立病院、そこから豊中市の大阪脳神経外科病院に転送された。ストレッチャーで手術室に向かう私を見送ってくれたのは母親と、駆けつけてくれたのだろう、義父の二人だった。妻は車で移動中だった。ふとクモ膜下出血で倒れた父親のストレッチャーが手術室に消えるのを見送ったときのことが思い出された。私は二十歳、父親は四十五歳だった。 一月十七日、火曜日。阪神淡路大震災。記憶にない。 一月十八日、水曜日。母親が売店で新聞を買ってきた。大きな写真が目に入った。活字も見えていたが、その意味するところは理解できなかった。見せてもいいが分かりませんよ、とは後日に知った看護師さんの言葉である。 三月三日。金曜日。退院。協立温泉病院へリハビリで通う。 三月二十日、月曜日。地下鉄サリン事件。 四月八日、土曜日。四十四歳の誕生日。長男、中学三年生。長女、中学一年生。先行き不透明、ドロップアウトの思いは決定的だった。 御見舞と書かれし袋の束にしてわれには香典のごとき感触 悪夢はこれからだらうリハビリを終へてもどりてゆく能勢電車 「鱧と水仙」(第五号) 五月十六日、火曜日。山梨県上九一色村のオウム真理教の施設を一斉捜索、教祖の麻原彰晃(松本智津夫)が逮捕された。 七月一日付けで職場復帰、土曜日だった。 八月だったろうか。職場で復帰祝いの席を設けてくれた。それまでは一滴も口にしてこなかった。禁酒を通すつもりだったが、その誓いも、この夜を境に、あえなく崩れることになる。それどころか「朝顔や呑みはぐれたる酒の数」ではないが、日本酒の銘柄を飲み比べることを始めた。四合瓶、写真を撮って残していった。そのうち日本酒からウイスキーまで収集範囲を広げていった。そのスタートラインが、この年の秋口であった。同じく坪内稔典選著『一億人のための辞世の句』(蝸牛社)の作品募集が始まったのも、この前後だったように記憶するが、資料がないため確認できない。 翌年以降よりピックアップすると、こうなる。 一九九六年四月、教育委員会から生活・人権部市民課に異動。 一九九七年十一月、『一億人のための辞世の句』刊行される。 一九九八年四月。近畿大学通信教育部科目等履修生となる。翌年三月、司書課程を修了。図書館司書の資格を取得。十月、現代歌人協会主催「短歌フェスティバルin京都」にパネリストとして出席。 一九九九年。歌集『草食獣・第五篇』(柊書房)を刊行。ウオーキングに出かける。その成果として私信「栄根通信」を発行した。一号で十人、十分の十号まで出して百人を取材、これが二〇〇三年刊の『辞世の風景』(和泉書院)として結実する。キャッチコピーは「一次資料と写真でたどる辞世の風景。死が生を鮮しくする」であった。 さて『イタダキマスゴチソウサマ一九九五年』の「仮想食卓歌篇」の制作時期であるが、ホームページ上で発生し、成長、やがて放置されたものなので、はっきりしない。始期は酒の収集に接続する一九九六年、終期は「栄根通信」にのめり込む以前の一九九九年が想定される。放置に至ったのは他ジャンルとのコラボレーションに拘ったからである。食品サンプルにも惹かれたが、つづまりは、ぜひとも実現しなければならないという衝迫力が不足していたものと思われる。 なお作品は歴史的仮名遣い、振り仮名は現代仮名遣いとした。参考ながら『一億人のための辞世の句』は現代仮名遣いを採用している。ともあれ、これで積年の懸案を果たした上は近刊『草食獣・第八篇』で現代語短歌を世に問うことになろう。また翻刻『拾遺家土産』『狂歌あづまの春』『一本亭追福狂歌集』を実現し、素人には荷の重い作業ではあるが、落書家・大田南畦によって貶められた一本亭芙蓉花の名を雪ぐことに心力を傾注する所存である。 平成二十九年十二月四日 満月の夜 𠮷岡生夫 |