草食獣・第五篇

吉岡生夫第5歌集。1998年3月30日、柊書房発行。定価2,000円。体裁四六版。目次2頁、本文175頁、「あとがき」1頁。1頁2首組。歌数317首。装幀・近藤浩子。

帯文より/暖流と寒流の出会う潮の目で狂歌師・吉岡生夫と歌人・吉岡生夫が出会った。混沌の中で新しい草食獣が生まれようとしている。

参考図書/古島哲朗『現代短歌を「立見席」から読むU』(ながらみ書房・2001年)/武藤雅治『抒情の水位』(ながらみ書房・2000年)


   不二家 
いちけしてにけしさんけしよんけして小芥子の淡き表情がこと 
水葬はたのしからずや魚のきてぱくりとわれの肉もち去りぬ 
風葬はたのしからずやコンドルのとびきてわれの肉つつくとき 
フライパンに落としし卵にはとりの眼のごと白くにごりはじめつ 
幽界の汀すなはち電車くるときのホームに散る波の花 
ペコちやんを遠くみてゐしボコちやんの暗く切なき少年の季(とき) 
室内に衿を立てたりカレンダーは雪降る最上川のモノクロ 
屋上の縁を蹴りたるうつしみは意識うすれてゆくと醒めたり 
五月きてねぶたきわれはまたもどる環状線にめをつむりたり 
雀きてペットショップの鳥かごのそばにおちたる餌をついばむ 
カシアス・クレイ改めモハメド・アリとなる頃より神話生れたりけむ 
蓮華もてすくひし南無阿弥豆腐(なむおみどうふ)には徳島産の柚子のかをりを 
世には言ふ無印良品さは言へどアマチュアリズムのごとき無印 
異父姉妹異父兄弟のありとしもわれはおもはむ梅の下きて 
通話音ばかり届きぬすがのねの長きコードをたぐり寄せばや 
ピーッと鳴ったら、その音鳴るを待たずして留守番電話は切るを常とす 
妻にして母なる人のまたしても一オクターブほど高き声 
塾をへし子よりの電話鳴るころを晩酌かさねて父は居候 
一六四・五センチ、アラビアのロレンスこの世を生きし身の丈 
絵にて知るのみの義経どことなう貧乏くさし眉うすくして 
もののふの那須与一がひきしぼる弓のむかうの大き落日 
   西行に寄す 
花見にとむれつつ人のきて呑むはあたら桜のとがにあらざれ 
葉桜は毛虫の衣あつくきてこの道だにも赤く染めなむ 
惜しまれぬ身だにも世にはあるものをあなあやにくの毛虫つぶしぬ 
今の我も昔の人も花みてんのちの毛虫はかはらじものを 
おもへらく花の下にて春死にしむくろの蛆の蝿となるまで 
   天国 
神さまの杖つくところ穴あくにその穴のぞく地の人われは 
天国の雲の切れ間ゆ身代はりとなりて落ちゆく片方の靴 
   阪急沿線 
遊園地のもよりの駅の構内に届きて迷子を告ぐる放送 
宝塚ファミリー・ランドの池にして妻無草に坐るをとめご 
金魚すくひの紙の網より逃れゆく金魚は尻のひれふりながら 
水を切るやうにすくへば振袖の金魚うごかずたはぶれをせむ 
二本足となりてはすぐに四つ足にもどりてせはし檻の白熊 
百獣の王に威厳のもどりきて檻のライオンが欠伸するなり 
縞馬の尻のあたりの縞模様ながめてあれば尾がうごきたり 
悠久の時間を生きて咀嚼するヒトコブラクダと檻の客たち 
阪急そばを坐りて食ぶる「西宮北口」と立ちて食ふ「十三(じふさう)」と 
ポケットよりやをらをとこの取り出しぬ位牌のやうな携帯電話 
前払ひの「十三」後払ひの「西宮北口」ともに阪急の蕎麦 
監視カメラにみらるることも親しくて二十四時間営業の店 
   練歯磨 
手にとれば太きチューブを満たしゐむ練歯磨の雌雄同体 
日の目見し練歯磨と日の目見たき練歯磨をふたもて別つ 
日の目見し練歯磨は歯ブラシの先に寄りたり羞かしさうに 
   甲子園 
甲子園の空をうづめし避妊具のやうなる風船おちてきにけり 
あめつちのはじめ沖へと流されし水蛭子(ひるこ)の裔の海鼠ならずや 
千切りにされし夕日の浮かびゐる瀬戸内海の波はたぽたぽ 
ざるそばのつゆにおとさむ張りぼてのやうな鶉の卵をわりて 
うづらの卵といふはまたしても手指よごしぬわりにくくして 
出所不明のやうなひとつが大きくて迦陵頻伽の卵かこれは 
なめくぢがへびに勝つとふ虫拳の今にのこらず狐拳また 
才なきを嘆きたまふな無才(むざえ)ゆゑ石に花さくこともあるべし 
五十六億七千万年後にして弥勒おそすぎしことを嘆かむ 
むかし六文払ひてわたりし三途いま橋のかかりてありやしぬらむ 
ポルノ女優愛染なにがしの父と聞く愛染明王ここにおはさむ 
なつごろもうすくなりしとかこちつつ十筋右衛門(とすぢゑもん)は育毛剤を 
身の上を話さばながきかばやきの八寒地獄八熱地獄 
いれかはり他人の尻のぬくもりに尻をかさねつ洋式のゆゑ 
砂かけて糞をかくさぬこのごろを都市化のゆゑと犬は申さむ 
臨兵闘者皆陣列在前われはわがため九字を唱へむ 
雑食のホモ・サピエンス立ちしのち皿をよごしてのこる肉汁 
   夢 
これの世にまだ人知れず飛ぶ鳥のあるを信じて鳥に乾杯 
これの世にまだ人知れず泳ぐ魚あると信じて魚に乾杯 
これの世にまだ人知れぬ滝ありて獣寄りゐむ虹に乾杯 
   世界地図 
押しピンも錆びたる壁の世界地図はソビエト連邦を今に残しぬ 
緑地に赤の日の丸みてゐたりバングラデシュの旗と知りたり 
イタリアとアイルランドは喧嘩せず同じき旗を国旗とあふぐ 
ポーランドとモナコはうへした逆にして赤と白とが国旗をつくる 
フランスの旗を垂らせばオランダとなりぬそのまた逆もあるべし 
星ひとつのイエメン・アラブ共和国ふたつはシリアみつつはイラク 
ぎざぎざの模様の旗はカタールとバーーレーン色の違ひあるのみ 
十余年前の事典にのる国旗ほろびたるあり風前の燈もあり 
   ワックス 
ワックスのひかる職場の床にして踏まるる髪はをみなごのもの 
ワックスひかる職場の床にして拾ひし落ち毛は頭髪ならず 
   自転車泥棒 
ぬばたまの夢の銀輪、ペダルこぐ足より上のあらはるるなし 
角刈のあたまシャンプーするときの手ごたへ乏し指に足らねば 
洗ひ髪かわかしながら手に余るをみなといふはたのしからまし 
男の子とふたりのときも茶の間へと生理用具のCMとどく 
毛のつきしタオル手にしておもへらく「大衆理容」の大衆の意味 
櫛よりもバリカンよりも灰皿をくはへたばこの理髪師の手に 
追ひ越すか並ぶかそれともこの距離を保つか迷ふ朝の勤め路 
ごはんには食卓塩をさもなくばにやんにやんごはんぞ醤油かけたる 
とりたてて味おもはねどなつかしみうどんに鳴門のうくをよろこぶ 
息つき穴のやうな竹あり犬のきてしばらく片足あげて去りたり 
歯ブラシをくはへし顔はおのづからジゴロに遠きわれとおもはむ 
朱肉なくば息でしめらす印鑑の読めるだらうか受取欄に 
がらくたの箱の中にはルービック・キューブそろはぬ色があたらし 
朱肉さがす苦労もなくてシャチハタを宅急便の受取に押す 
馬蹄形磁石につきし砂鉄どち声をあげねばふるひおとさむ 
ハーメルンの笛吹男待つならむひとへふたへとつづく行列 
ヲナモミの実のつくこともまれにしてマジックテープのはやるこのごろ 
オノマトペの一語呼び出すまでのわが意識よぎりてゆくオナペット 
わがヰタ・セクスアリスの一つにてリンボー・ダンスは内股を見す 
出稼ぎのをとこ打席に立つときもガム噛みながらノーチェ・クバーナ 
バーコードヘアの中曽根康弘の眉はいまだし黒き三角 
試されてゐるはわれらぞ首かしげ笑ひうでくむアンデパンダン 
羊羹の表のやうにつやのあるまぐろの刺身を箸がつまみぬ 
同人誌「鱧と水仙」ひらくときパセリのやうな男ならずや 
巻きもどししつつ起こせるテープにはサイレン走る東京の街 
黙祷のまだ終はらねば二巡目の体内時計の針をもどしぬ 
押せば芯出でくるシャープ・ペンシルはフィトンチッドの香りまとはず 
乗せながら近きをなじりやまざりし運転手ゐる名古屋駅前 
休日のわれの願ひをたとふれば栄螺のやうな一日をこそ 
邯鄲の夢も半ばで起こさるる大衆理容を出できて寒し 
横着が舌でぬらせばよく知れる切手の味のけふ塩辛し 
   終戦記念日 
三十度と少しは意外の感じする二十年八月十五日の気温 
終戦とつぎにまたこむ開戦のはざまを生きて今日の記念日 
「土井たか子」かつぎて新党つくるてふたのしきうはさも燎原の雨 
さかのぼる四十八年前のけふ二十の父と十七の母 
   十三歳 
サラリーマンの父より遅くもどりきて十三歳が湯を使ふ音 
妻がとりしビデオの中にいきいきと十三歳はコンガをたたく 
ガンバ大阪よりも成績悪き子の睡眠時間は六時間きる 
父われはおもふ手首のミサンガにコンドル高く舞ふアンデスを 
古式泳法ながむるごときおもむきに子が復習をする損益算 
CDを聴きゐる長女のつれ五人すでに初潮をみしもまざらむ 
高架下くぐりて左に今宵また森安将棋センター暗し 
   相撲中継 
全盛期すぎし巨体の水戸泉かはらずひとつかみほどの塩まく 
すでにして大関とほき小錦もかはらずひとつまみほどの塩まく 
   新居 
いまおもふ井上井月井の底ゆあふぎし月といふ意味ならむ 
マンションの建ちてみえなくなりし山そのマンションに仮住居する 
ドアひとつへだてし外は魔界ゆゑ安全錠をわすれたまふな 
鍬入れの手を止め待ちぬ地鎮祭をカメラにとらむとする人のため 
考ふるいとまもなくてうばはれし命を示す花束がある 
まだ若きわれとおもへど容疑者の四十を過ぎてオッサンの顔 
年よりも老けてみえるとわがいへば年相応と子はにべもなし 
永年勤続表彰受くる身となりぬ「以下同文」のごとき人生 
薬局の店先占めて箱入りのリポビタンDまたエスカップ 
二千円出してお釣りをもらひたりドリンク透けてみゆる袋と 
自転車の籠にドリンクの箱ふたつ入れてこぎだす中年の足 
ポパイには菠薐草を中年のわれにはドリンクの瓶の黄液 
ガードマン、ガードウーマン若くして老いの支ふる建設現場 
小用を足してゐるときことわらずをばさんがきて掃除するなり 
このごろは百鬼夜行もはやらねどポストは坐る朝の定位置 
ふきいづる汗をのごはむ氷水いれたるコップはたちまちくもる 
運びてはまたもどりくる力持ちのフォークリフトに乾杯をせむ 
けさもまたつかれし人の多くして職場のかげにタフマンならぶ 
ルワンダを地図にさがしぬありてなき軍と自衛の差異を知るため 
聞きたきは隆達小歌なかんづく明治以前の「君が代」の歌 
聞きたきは春の若狭をゆく瞽女の口よりもるる「君が代」の歌 
人呼んでムーミンパパを好めるは東方神仙説に拠るなり 
ぬばたまの夢にくるしむわたくしと夢の器の提供者われ 
仮住居をしてゐしグランツ川西の二〇四にものを干す人 
空き教室の一つとおもふ子の借りてならすバンドのやかましからむ 
雲水が笠のふちよりあふぎみし空とおもひぬ秋かたまきて 
「つぼみ」てふ齢ならねど水茎の跡をたづねて開く封筒 
歌詞にある蔦のからまるチャペルには居心地よくてくちなはも棲む 
虫干しの今日は「ソビエト社会主義共和国同盟憲法」読まむ 
これ以上うかぬことなき表情の妻が便器にすわりてゐたり 
聞くところによれば二種目とも後尾より二位で泳ぎて子の夏終はる 
口あけてねむれる妻へ所在なくわれは塩辛蜻蛉とまらす 
気忙しき人がまはせどダイヤルは同じ速度でもどりてゆきぬ 
一つまた一つと数を拾ひつつ老いのつたなく押すプッシュホン 
一度だに無言電話をかけしことなしと誇らむ閻王の前 
ドアしめてこもるトイレの壁紙の空ゆくピエロは風船をもつ 
ドアしめてすわる便座の右側のビデのボタンは押すこともなし 
ドアしめて出づるトイレの壁紙にピエロ百余の姿態にぎやか 
二九五三(ふくこさん)の妻の実家と九三四八(くさしや)のわが家をつなぐ夜の電話線 
死後二十余年なれども父の名を残してハローページ届きぬ 
〇一七七−一七七プッシュして吹雪の青森地方おもひぬ 
まちがへてわが家のファックスうごかすは香典返しを請負ふ業者 
セルロイドの箱の中にはとがりたる角あたらしき名刺百枚 
おびただしき卵かへりて恐竜の世となるらむか群発地震 
呼びかくる死刑廃止の声の中を署名せずしてわれは行くめり 
雪ふればたのしからまし新しき石油ファンヒータの梱包を解く 
ぬばたまの夢のいづくに棲みてゐむ今宵も鱶が頭の上を過ぐ 
新渡戸稲造ひとりなれども派遣しぬエジプトに木を植うる基金へ 
おろしがねにすられゆくとき大根の不思議はつひに声あげずけり 
四十に積むこと四歳、地平線に沈む夕日もふさはしく獅子 
十三にちかづきおだやかならず踏む新居の階段十四と知る 
すわるなら向うがよろしOLの二本の足の行儀よきこと 
本堂のうすくらがりに極楽図まづみて地獄図へ顔寄せ合ひぬ 
山寺の日あたる庭に影おとす左ハンドルは住職の趣味 
記念写真ならずてわれに向けらるるカメラのあればうつむきやすし 
計四回頭を下げて窓側の三人掛けの席にもどりぬ 
人が名を残す事例にトカレフといふ名の銃が人を殺しぬ 
志村けんのバカ殿様の低俗は寛美のアホに学びしならず 
   だあれもをらず 
おほかたは家にこだはる墓石の下は狭くてだあれもをらず 
供養する先祖といへど墓石の下は寒くてだあれもをらず 
嫁姑の仲はさておき墓石の下は暗くてだあれもをらず 
札束の力で建てし墓石の下はもとよりだあれもをらず 
   CTスキャン 
直立すること三千年のまぼろしと地球をつかむウイルソン株 
イスラエル首相と握手するときもアラファト議長の身長低し 
たひらけてあとにのこりし丼のさすがに黒し東京の汁 
死よりわが怖るる生ぞ木となりて森にひびかふチェンソーの音 
人知れずわが怖るるは意の如くならざる棒に湯をかくるとき 
ひらかるることもまれなる図書館の蔵書の紙魚となるもよからむ 
さはいへど本のあはひに頓死せる俗名は「紙魚」戒名も「染み」 
馬鈴薯にうまれかはりて出番まで土の布団をかぶるもよろし 
子供部屋をのぞけばをかし豆球をつけてねむる子けしてねむる子 
案山子きて訴ふるには追へどくる烏にほとほとつかれたるとぞ 
烏きて注進するにこのごろは神経を病む案山子が多し 
この夏も生まれきにけり孫玄孫家族の絆のつよき竹の子 
メニューみて成人病の予備軍はからだにさはるものが食べたし 
初期化されしわれの記憶をたどるとき一番星の輝き増しぬ 
人が人のためにつくりし信号を守るは首輪のある犬ばかり 
さういへば新大阪の駅おりて人よりほかのいきものをみず 
材木のやうなるわれとおもひつつCTスキャンに検査を委ぬ 
   雛祭 
妻と子と母待つ家に震災を知らざるわれのもどりきにけり 
車椅子が不要となりて三階の書斎も無駄にならなくてすむ 
知り人に遇はざることを願ひとしリハビリに通ふ電車を待てり 
職場復帰をつゆうたがはぬ妻子らと夕餉かこめば箸おもたけれ 
リハビリの日記を書いて読んでもらふ柏木先生は足が不自由なり 
「御見舞」のふくろのたばの水引の色になじまぬここちこそすれ 
   一九九五年一月十四日、脳内出血で倒る
思ひ出せぬ家の電話を紙切れにメモしてもらひて大切にもつ 
日のさせばうらうらとして夢みをりあるいは錯覚としての晩年 
作業療法に従事してをりおほかたは職場に縁なき老人にして 
すでにして生命保険の勧誘の対象外の身体と知りぬ 
戦力としてははるかにダウンせし吉岡生夫を迎ふる職場     *「吉」は「土」に「口」 
   天声人語 
書き写す「天声人語」右ならば四〇分、左ならば一時間 
書き写す「天声人語」ぐわんばつて右三〇分、左四五分 
書き写す「天声人語」ねむたくてねむたくて一時間を越えたり 
   透明人間 
放任主義ともことなる沈黙は妻の干渉主義とつりあふ 
沈黙をはぎてゆくときつづまりはレタスのやうなわれとおもひぬ 
血を吸ひしあとのなければ濡衣のやうな蚊の死を屑籠に捨つ 
公衆便所の壁を蛆虫がはひのぼりつつまたおちにけり 
食卓を補ふやうにテレビには世界の料理が並びてをりぬ 
歯ブラシを口にくはへて磨くとき無意識なれど目をつぶりゐる 
もらひたる蝉のぬけがら手の中にごはごはとして処分にこまる 
朝起きてまづ一杯の水をのむ体のためといへども不味し 
社会人二十二年生、これ以後は消化試合のやうな人生 
首輪なく飼はるる猫はわが狭き敷地に大き糞のこしたり 
処理するか否かはしらずスコップと袋を持ちし犬の飼ひ主 
とびとびに灯がつく高層マンションをトイレに起きてきてみてをりぬ 
折り返し地点を過ぎしあたりより一人二人と脱落したり 
終盤となりたるマラソン中継はただ一人のみ映してぞ足る 
チャンネルを変へてまたみる紳助の相方はそもいづちゆきけむ 
まちがへて今日も入りくるファックスは例のごとくにごみばこへ捨つ 
赤ならば腰を抜かさむブルーレットの水が渦巻く夜の便器に 
「透明人間」をみてゐて気づかざりしこと彼はまさしく素裸ならむ 
母よりは永く生きたしさりながら妻には先に失礼をせむ 
   戎橋 
アーケードのとぎるるところ狭くして引つかけ橋の上にある空 
妻ときて戎橋よりみてをりぬ道頓堀橋をわたる人たち 
おもはめや道頓堀橋より投げ込まるるカーネルサンダースまたホームレス 
一粒で三百メートルの看板のグリコの選手は橋を渡らず 
はしこえてだうとんぼりがはをのがれゆくかにだうらくのかんばんのかに 
親指と人差し指でつかみたる蛇のあたまに似るコンセント 
割り込みてきたる相手に席ゆづるシステムならむキャッチホンとは 
ダイエット前と以後とのすべからく別人めける写真おもしろ 
人の上に人をつくらぬ諭吉さへ紙幣となりて君臨をしぬ 
なのはなのいろにひろがる登別に草津の入浴剤をまぜたり 
右折車を無人のごとくみてゐしが左のドアのひらきて降り来 
「呉春」また妻がいただきおさがりとしてわたくしが今日もいただく 
母にまた届く「白波」おさがりとしてわたくしが封を切りたり 
二人して鱗のやうなコンタクトレンズをするは母親に似る 
きゃうだいは仲悪くして妹のハードコンタクト兄のソフトコンダクト 
なんじやもんぢやはなんぢやもんぢやと思ひつつなんぢやもんぢやの語感を愛す 
てのひらにつつむマウスの申し子のポインタ走るマッキントッシュ 
つづまりは立身出世でめでたかる物臭太郎はおもしろくなし 
おもひだしてくれよと指にふれさしむ陥没痕はシャンプーのつど 
忘るるはずもなけれど右の手はしびれてをりぬごはごはとして 
後遺症なきはよろしもゴールデンタイムに笑ふ財津一郎 
体力と気力いるべし喧嘩する大島渚はまだのやうです 
人といふパントマイムはふたりしてささふるひとりもたるるひとり 
「やつぱり資産家なんだ」と志賀直哉旧居ぞろぞろづかづかと客 
犬や猫ならば苦情の絶えざらむ奈良公園の鹿をみてすぐ 
トイレット・ペーパーを食べてゐる鹿を後にしつつ小用を足す 
犬よりも大き体に似合はずて豆のごとかる糞おびただし 
啓蟄をすぎてさかんになりきたるくしやみ鼻水目のかゆみほか 
リュックサック背負ひしわれを後へと拉致するほどのにぎはひをゆく 
   朝顔や食ひはぐれたる飯の数   中原道夫
いかなごのくぎ煮にほひぬ魚の棚商店街のちかき町筋 
「花の名をおぼえてへらす余生かな」 句のごとければ手帳にしるす
いろくづののみどふさいでももいろの摩羅のごときは浮袋らし 
まだ枯るるにははやすぎてあをによし奈良の茶粥はうまくもあらず 
   脳死法案 
心臓がとまつてからではおそすぎる理由は生きてゐる人のため 
リサイクルとしてのからだを欲るならむ脳死を人の死とする根拠 
これよりはおちつかざらむつぎのひとに待たるるならむ五臓六腑も 
すべからくドナーとなりて脳死法案可決は死者のねむり侵さむ 
   ウォーキング・シューズ 
商魂たくましければロープウェーおりてなかなか桜みえこず 
木偶の坊・石部金吉・朴念仁・唐変木もわれのともどち 
せんかたもあらずみちきくとしよりに吉野は人で満開に候 
アリバイは須磨にのこしぬ吉野にもありて武蔵坊弁慶がこと 
カフス・ボタンは御洒落にあらず家を出る前にとれたる釦のかはり 
タイバーも御洒落にあらずチョッキぬぎたるネクタイのため 
あさましきおもひなれども二日ほど損してゴールデン・ウィークはじまる 
俳諧のことにはあらずともしきは旅の芭蕉が健脚のこと 
歯ブラシを口にくはへておもふこと入歯洗浄剤の簡潔 
さびしい気がしないでもない勲四等旭日小綬賞の「塚本邦雄」 
三階の窓をあくれば風入れて帆を張る黒きゴミ袋など 
リュックサックの底をさらへば出づるものちり紙、パンフ、狸の貨幣 
ウォーキングにつかれし足を投げ出してJRよし缶ビールよし 
かな入力のわれになじまぬアルファベットの今日はRがかくれんぼして 
標準語とばかりおもひし一張羅(いつちやうらい)が「大阪ことば事典」にありぬ 
またしても携帯電話に話しをりゆくひとくるひと監視する人 
尾をひきてひらく大輪をのなくてひらく大輪ゐながはの空 
レコードをおもふことありCDにA面あらずB面あらず 
元寇のときのハンの名おもへるは酒の肴のエビフライゆゑ 
死なばわが遺すものあり丈低き親より丈の低きふたり子 
西大寺すぎて迷ひし喜光寺は蓮の花咲き人をらずけり 
おもむろに扉めくればほほゑめる写真の著者に暇申さむ 
押すだけでよいからとカメラ預けらる押すだけのわれにほほ笑むふたり 
芋の子を洗ふごとしといふなれど芋の皮はぐ陽に焼けてきて 
印肉のつきたる側をわたくしに向けてさしだす印鑑の主 
離陸する刹那着陸する刹那そのなかほども飛行機苦手 
こころならずも高度一万メートルの上空にして催す尿意 
夏の夜の寝込み襲へる刺客にはベーブマットをしかけおくべし 
銀紙の包みをやぶりひとかけら明治のミルクチョコレートなど 
端末をいぢる左手右手より違和なくばとみに出番が多し 
蜘蛛の巣を傘もて払ふ蜘蛛が巣を張るまで通らざりしを思ひ 
おうしいつくつく鳴くとも古寺の山門にして仁王うごかず 
爪楊枝立てしばかりにあらはるる玉羊羹をしばらく眺む 
味くらべしてをり京都の奈良漬けと伊丹の奈良漬け伊丹が甘し 
太刀魚のするどき顔は処理されていづちゆきけむ胴のみ売らる 
日曜の午後よりわれのかたはらをはなれずにゐるワイルド・ターキー 
けふひらく四国民俗誌なかほどに首なし馬と再会したり 
をさなかりしわれのこころに棲みつきぬ首なし馬にのる鎧武者 
七ケタの「ぽすたるガイド」徳島に七福神の棲むてふ噂 
つれづれのギフト・カタログ数の子はパス明太子よしイクラ敬遠 
うまからうやはらかからうカタログの鮑の煮貝に立ち止まりつる 
酒好きの肴によしとあるからにからすみさほど食指うごかず 
かにすきの湯気のたのしさうべなへど手つ取り早し缶詰の脚 
ものたらなくおもひし穴子の蒲焼もときへて記憶のなかに輝く 
きらはるることは承知でひろげたるお手拭き顔にもつてゆきたり 
ハードルとなりゐし父の享年を兄越えわれはつまづきて越ゆ 
京阪の電車の窓にせいねんのわが閉ざされてみし東福寺 
口にするパンの話題はロッテリアマクドナルドを経てロバのパン 
マーガリンよりもバターをぬりたしとおもひしは遠き少年の日よ 
病床におもひしめりてちちのみの父は泣きしかわれは泣きたり 
のぞむらく二人子なれば喧嘩せずよき仕事得よよき伴侶得よ 

     あとがき


 一九九二年から一九九七年にかけての作品三一七首を収録した。四十一歳から四十六歳の作品である。
 歌集の中で引用した中原道夫氏の句は『一億人のための辞世の句』(蝸牛社、坪稔典選)による。
 ちなみに私の一句も入選した。

  さればこそ月に草食獣がをり

 柊書房の景山一男氏には選歌も手伝っていただいた。 
 お礼申し上げる次第である。

   一九九七年十二月二十七日
                                          吉岡生夫


兵庫県高等学校文芸部の皆さん 熱いエールを送ります   
 草食獣   続・草食獣  草食獣・勇怯篇 
  草食獣・第四篇 草食獣隠棲篇   草食獣・第七篇 
     
カウンター