SORAの活動報告 (2006年01月01日〜2006年12月31日)


活動報告2001(2001年11月活動開始〜12月31日)
活動報告2002(2002年01月01日〜12月31日)

活動報告2003(2003年01月01日〜12月31日)
活動報告2004(2004年01月01日〜12月31日)
活動報告2005(2005年01月01日〜12月31日)
活動報告2007(2007年01月01日〜 )


『2006年 カーブル便り(13)』−by 督永忠子
日本は暖冬と言うが、今年のアフガニスターンは秋が早かった。
雪も例年より1ヵ月早い、11月半ばには舞い始め、あれよあれよと思っている間に厳寒を迎えてしまった。復興の槌なりは止まず、相変わらず景気だけはいいが、生活にゆとりのない未亡人たちには高い燃料代にアタマを悩ます長い冬がやって来た。

ようやく夏過ぎになって、経済省から診療所開設の許可が降りた。
911同時多発テロ直後に食料を運びこんだ、ワルダック県の知り合いたちが多い村に馴染みもあることで診療所を…という話だったが、ここへ来て保健省からワルダック県の○○村へ診療所を開設して欲しいと要請が来た。
無医村に診療所を開くことには吝かではないが、一度も行ったことのない馴染みのない村の名前に躊躇している…というのが、本音だ。
自分の知らないところは、まず実地で見てみないと納得も行かない。

[2006.12.24]


『2006年 カーブル便り(12)』−by 督永忠子
カーブルのSORA事務所から、今年の八升豆の写真が届きました。
貴重な水を大量に与えたにも関わらず、やはり、カーブルの豆のできは今一…。
空気中の水分量が絶対的に足りないことが原因のようです。来年は、どうなりますか…。
カーブルの農場 八升豆はヒョロヒョロ

[2006.11.15]


『グローバルフェスタ 2006 JAPANに参加』−by 櫻井史標
今年も、『アフガン難民を支える会−SORA』は、9月30日、10月1日の2日間に渡って開催されたグローバルフェスタJAPANに参加しました!毎年、10月6日の国際協力の日にちなんで、日比谷公園で開催されるフェスティバル、以下は、櫻井事務局長からの報告です。
SORAの事務局を引き継いでの初の大仕事で正直どうなることやらと心配致しておりましたが、お手伝い頂いたメンバーやボランティアの方々のおかげで、無事成功いたしました。

初日は天候にも恵まれ、正に行楽日和でしたが、2日目は昼過ぎからの雨が3時過ぎには本降りとなり、ちょっと消化不良でした。
しかしながら、SORAのブースへお立ち寄り頂いた皆さまには、現地での活動や、識字教室の子どもたちの絵をごらん頂き、また民族衣装のご試着なども体験、少しはアフガニスターンという国を身近に感じて頂けたのではと思っております。

今後も現地の状況などに興味を持って頂いた方や一般の方々へも分りやすく、お伝えできるよう努力致して参ります。
お手伝いいただいた方々

[2006.10.13]


『2006年 カーブル便り(11)』−by 督永忠子
普段は5月から11月初めまで雨をみないアフガニスターンで時ならぬ雨。信じられない!
おかげで気温は急激に下がり、朝晩はセーターかフリースが必要となってきた。寒さが始まったおかげで、八升豆プロジェクトの季節も終わりということか…。アフガニスターンは農業国であるにもかかわらず、やっぱり農作物つくりは難しい。素人にすぎないオバハンたちが「多収穫、乾燥に強い」ということだけで取り組むのには限界があるということなのかもしれない。平均して何にでも最低10年は取り組むオバハンだが、アフガンの乾燥と夏場の暑さは予想外だった。

丸4年ぶりにカーブルを訪れた息子の友人。その復興振りに、ただただ目を見張ったというが、カーブル空港へ到着したその日に空港近くと市内で爆弾が落ちたと。
アル・カイーダが、「米兵を一人一殺」と檄を飛ばしているらしいし、タリバーンの指導者オマル師も、これまた首都カーブルの奪還「檄」を飛ばしていると報道されているから、アフガンもイラクと同様に危険な様相をていして来た。

[2006.09.12]



『2006年 カーブル便り(10)』−by 督永忠子

巡回医療の様子を引き続き…。

巡回医療2日目は、ドクター・ガーリブが担当し、約360人の患者さんが診療に訪れました。この日も、頭痛、腰痛を訴える患者さんが多くみられました。また、小さい子は下痢をしている子が多く、ORSの作り方を説明して配布。

普段はなかなか医者に掛かることができない女性も多く訪れて、ドクターに自分たちの悩みを訴えました。

この日は、ガジデーの村の小学校に、本と鉛筆の寄付を届けました。。
ドクター・ガーリブの診察

[2006.08.11]



『2006年 カーブル便り(09)』−by 督永忠子

巡回医療初日は、ドクター・アブディが担当。
ガジデー周辺の村々から、約280人の患者さんが集まりました。腰痛、頭痛を訴える患者さんが多く、私たちが小分けにした薬類は、更に少量に小分けにされて配布されました。

医者に診せたくても、なかなか医者のいるところまでは行けない村人たちに、とっても喜んでもらえました。
ドクター・アブディの診察

[2006.08.01]



『2006年 カーブル便り(08)』−by 督永忠子

6月29日から7月7日まで、巡回医療に出かけました。

巡回前には、配布するビタミン剤・鉄剤を、より多くの患者さんに配布できるようにと、小袋に分けました。小袋の中には、誰が見てもわかるよう、薬の飲み方も入っています。

今回の巡回医療は、アフガニスターン政府へドクターの要請書を提出し、2人のドクターがイシカシムの街の診療所から合流してくれました。ドクターたちも、診療には出かけたいが足(車)がない…と思っていたそうで、私たちの要請を大変よろこんでくれました。

薬の小分け作業

[2006.07.25]



『2006年 カーブル便り(07)』−by 督永忠子

蒸し暑くなったイスラマバードを離れ、半分は避暑??気分のつもりで行ったアフガニスターンの首都カーブル。しかし、カーブルも40℃で避暑気分にはほど遠く、電気もない事務所にはもちろん扇風機もなく(発電機はあるが…)、超特急で2か月分の仕事の手配を済ませて逃げ帰って来た。ああぁ、どこへ行っても暑い!

しかし、それにしても…。アフガニスターンの物価はますます高騰で暑苦しさも極まれり!
未亡人のオリファなどは生活が成り立たないと泣いている。
カーブルまでの片道航空券(エア・サーブ)も100$が今年は120$になり、今月からは360$にもなった…。よほど能率よくしてアフガン行きの仕事をこなさないと、もったいないこと限りなし。
八升豆&ジャガイモの畑

[2006.07.18]



『2006年 カーブル便り(06)』−by 督永忠子

20年以上もの間、繰り広げられた戦闘により、破壊つくされ廃墟と化していたカーブル市内。ロータリー前の建物も、今ではスッカリ建て直され見違えるようになった。カーブル中の建物が新しく建て直され、きれいになってきている。
(ロータリー前の古い写真は、写真集「カーブルの街並み」上から3番目の写真を参照ください)


早朝から40℃近い気温。
農業省や経済省を廻ってから、オリファの縫製教室へ足を向ける。
米軍の誤爆で15人家族のうち8人を亡くしたオリファ。その帰りに日本大使館々員の家に寄ったら、「ええ!あの丘の後ろへ行ってたの?!あの丘では先週だけで3回も強盗が出て、外国人ばかりが襲われたゾ。今は要注意ポイントだな」と。
潰れたままだった建物は、この通り!
タリバーン政権時代には首都を護る砦の一つであったビビ・マハルゥーン。ようよう膨大な地雷が撤去され、ちょっとした展望台に変貌をとげた気持ちの良い高台で強盗とは…。さらに、安全確保には慎重な大使館々員の方から、「マイダンシャー(首都から僅か30分)から先の国道77号線ではテロや襲撃の報告は出ていません。まぁ、今のところ一番安全ともいえる地域かもしれません」と聞いていたにもかかわらず、その地域出身の大昔からの知り合いに会ったら、「タリバーンから声明が出てるヨ。ランドクルザー、プラドゥ、サーフなど外国人の多くが使っている車は襲撃する、地雷で爆破するって」と忠告を受け、たちまちビビッテしまったオバハン。

…というのも、SORAが契約して借りている車はプラドゥ。早い話が、外国人なら襲撃の対象になりうるということだ…。
で、診療所開設や、中途のままになっている学校建設現場の聞き取りなど、前回の調査で聞き漏らしたところを再びスタッフに任せ、地方廻りはすべて見合わせた…。
根性ナシ!!!!

[2006.07.11]



『2006年 カーブル便り(05)』−by 督永忠子

農業試験場では水が充分になくって育たなかった八升豆、今年は、約500粒を直播きして300粒ばかり芽が出たというから、昨年に比べると倍以上の発芽率。
発電機を廻し惜しげもなく燃料を消費し、畑に水を入れているが葉先が黄色に変色しかけて成長も悪い…。最初は水が少ないのかと思ったが、そのうちに反対かもしれないと思い至った…。イスラマバードでも、水はけが悪い場所の八升豆が同じ状況なのでたぶん、そうではないかと思うだけなのだが。
おまけに乾燥して空気が澄んでいるせいか陽射しはイスラマバードより強い、暑くて焦げて伸びないのかもしれないと悩んでみたりしながら、畑の半分に日除けを作ってみることにした。
じゃがいもは農業試験場から指導員?が来て、除虫剤?を撒いてくれたら殆どが枯れ死状況になったというし…、大粒サクランボの苗も枯れ死というのでガックリ。
畑の日除け

[2006.07.07]



新事務局長よりご挨拶
2001年より、督永忠子さん(SORA総括責任者)の旗振りで始まったアフガニスターン支援。
活動当初から、いつも散々お世話になっている督永さんのお手伝いをと、運営委員として参加させていただいておりましたが、今年から、アフガン難民を支える会−SORAの日本国内事務局長に任命され、本格的にお手伝いをさせていただく事と成りました。
「各人出来る範囲で、細く長く」をモットーに、現場のサポーターとして活動出来ればと考えております。

また、わたくし個人の意見と致しまして、アフガン支援を考える際、いつも頭の中にある事が一つ。
一昨年、10日という短い期間では御座いましたが、督永さんにご一緒させていただき、アフガニスターンを訪れた際、地雷除去現場で、作業監督と話していたときの彼の言葉です。
「この国の復興には先ず教育が必要。それは、子どもに限ったことではなく、大人に対してもとても必要だと思う。教養が無いから破壊しか出来ない、技術が無いから就業もおぼつかない。安心して暮らせる社会を作るには、先ず国民が教養を身につけることが必要だと思う。自分は次の世代が安心して暮らせるように、無駄に命を落とさなくて良いように日々努力している。」

私たちの活動を通して、彼らが思い描くようなアフガニスターン復興に少しでも力になれればと思います。
1999年より、パーキスターン、そしてアフガニスターンと関わるようになり、色々な方々に助けられ、導かれてきました。仕事で、そしてプライベートで行き詰った折、何度も助けられました。今度は、私がご恩返しをする番と思い、微力ながら皆さまのお手伝いをさせていただきく存じます。

なお、事務局長変更に伴い、事務局の場所も変更になりました。
新しい事務所は、地下鉄日比谷線八丁堀駅A4出口より徒歩4分。キリンビール本社ビルの近くです。
平日10時より16時までは必ず人が居ります。狭い事務所ですがお近くにお越しの際は是非お立ち寄りください。

簡単では御座いますが、就任のご挨拶とさせていただきます。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
櫻井 史標 (さくらい ふみたか)

[2006.07.01]



『2006年 カーブル便り(04)』−by 督永忠子
パーキスターンはグラグラ煮え立つ暑さだが、アフガニスターンも暑くなったと。
お陰で畑のじゃがいもはスクスク育ち、八升豆も次々に芽をふき始めたという。農業試験場では、順調ではなかったじゃがいもや八升豆が伸びつつあるのは、ひとえに充分な水をやれるから…。もっとも、水とは言え、ただではないが。
昨年の経験から、じゃがいもは肥料さえ充分にやれば立派なものが採れるとわかっている。じゃがいもは痩せた土地でも育つというが、やはり肥料を充分にやることが必要と学んだ。有難いことに化学肥料は市場で見られず、肥料といえば、すべて牛の糞を乾かした有機肥料。遠路はるばる、フンザから持ち込んだサクランボの苗も、今年は順調に育っているというので嬉しい。

後はセアペ・トップ(峠)に巡回医療の拠点を作ることか。
過日の中日新聞に、ロシアとイランが第2APECを組織しようとの外電を報じていたと。アフガニスターンのタリバーン、アル・カイダの活動は、今後さらに悪化し、再びアフガン国内は無政府状態に陥る気配だと聞くと、今後の活動の見直しがさらに迫られる…。バダクシャーンでの巡回医療も道中の危険を考えると腰がひけるし、第一アフガン人の医者でさえも行くのを嫌(怖)がるとあっては、根性ナシのオバハンなどはさらびびってしまう。
バダクシャーンには行かねばならないが…、安全第一を考えるなら矢張りカーブルから日帰りでも可能なセアペ・トップ方面かと迷いは尽きない。

[2006.05.20]



『2006年 カーブル便り(03)』−by 督永忠子

アフガニスターンの首都カーブルは盆地の真ん中にあって、昨日は竜巻状の強風…。それも民家から道路へ直接モロ押し出されて来る、垂れ流しのウンコが乾燥し、粉末になって午後から吹き荒れる…。その黄色い嵐に阻まれイスラマバードからのフライトは来ず。ナニクソ!それなら14時間かかって陸路で帰ってやる〜〜と思い、未明に目を覚ますとドシャ降りの雨ではないか!農民には嬉しい雨でも未舗装の道路は鉄砲水と土砂崩れに違いない!と、賢明なる判断。

タリバーン政権の崩壊から4年半、新政権になってからは北部同盟の英雄マスードの肖像画をどこででも見かけた。しかし最近はそれとなく撤去されたりして、マスードの影は薄くなっている。イラクのように、アメリカ導入の政策失敗が絶対に許されない!との思いか、アメリカが力いっぱい支えているカルザイ大統領の肖像画が増えた。
事務所の引越し
911のテロを、あたかもアフガニスターンのタリバーン政権が主導で起こしたかのように空爆を行ったアメリカ。アフガニスターンでアメリカの言う民主主義政権が根付かなかったら、アメリカの面子はない。今なお、国境付近でのアルカイダ掃討作戦と称する内政干渉の限りをつくしているアメリカへの反動は、何時か必ず起こるに違いない。

[2006.05.01]



『2006年 カーブル便り(02)』−by 督永忠子

『アフガン難民を支える会−SORA』の事務所もカーブルで5年目を迎え、5回目の引越しが無事に終わった。

新事務所は今までの南地区から180度方角を変え、北地区になりました。空港からは混雑で渋滞の酷い、緊張する怖い市内を通らずに事務所へ行けます。今までの事務所から比べると敷地は小さくなりましたが、月300$で使い勝手の良い事務所が見つかりました。

SORAの新しい事務所

[2006.04.10]



『2006年 カーブル便り(01)』−by 督永忠子
4月3日から、久々にカーブルへ出かける。ようやく、今年の活動開始だ。
この時期は天候が不安定で、フライトが上手く飛んでくれることを祈りつつ空港へ向かう…。2002年のこの時期も、3日も空港へ通ったし。

今年の「八升豆プロジェクト」は、今のところ着々と進みピート・ポットで背を伸ばしている。もちろん直蒔きもするのだが、まだまだ寒いし暑くなりだしたら一気に暑くなるこちらの天候を見越してポットでも育てている。じゃがいも畑にはトラクターが入ったし、サァ、今年はどうなるかな?川崎市の緑化市民団体から頼まれている、黒いニンジンの種も確保したし、結果やいかに?

実は昨年栽培した八升豆で味噌を作ってみた…。
八升豆にはドーパミンの含有が多く、茹でこぼして食べないと下痢をすると聞いたような記憶があって、おっかなビックリだったが、結果はマル。なかなかいける味噌(しょうゆ)で感激している。はやくたくさんの収穫に結び付けたいと思うが、芽だしの時期にまとまった水がないと苦しいのもわかった…。水は天からのお恵み…。お祈りしながら頑張ってみるか…。

[2006.04.01]



『2006年 JRU−PACカーブル事務所長からのメール(01)』−by 田城 薫
1月23日よりカーブル事務所へ行き、NGOの再登録作業をしてきました。
1月のカーブルは初体験ですが、初日の朝方が−8℃、2日目が−10℃、昼間は4℃〜5℃と、先が思いやられる寒さでした。12月には、連日−15℃まで冷え込む日々が続いたという話も聞き、連日、気合を入れて薪をストーブに放り込み、暖をとりました。
街の様子は、1週間前に降った雪が溶けて、白地に茶色の泥の街でしたが、土埃の立たない分、冬の方が過ごしやすいかも知れません。

そして、昨年からの世界的な原油高はここカーブルでも共通で、昨年春、1リットル15Af(アフガニー)だったディーゼル軽油が、昨秋25Af、そして今冬は35Afと1年も経たない内に2倍強に跳ね上がっています。これは、食料や物品のかなりの部分を隣国からの陸送輸入にたよるアフガニスタンにとって、即、諸物価高騰につながります。パキスタンとの国境近くから運ばれる「薪」も、1セール(7kg)25Afが45Afに跳ね上がり、依然として主力の薪ストーブで十分な暖をとれる家庭が、日に日に限られてくることも容易に想像がつきます。(1$=約50Af)

もっとも、その建物の強度の問題は別として、建設ラッシュは更に勢いを増していて、建設現場での働き口は確実に拡大し、それに伴いカーブルに住む人々は、少なからずその恩恵に与っていることもまた事実です。しかし、戦火で男手を失った家庭は、家族に建設現場に関われる人がいないわけで、それら底辺に位置する人々の生活が窮地に追いやられていることは、いつの世も世界共通の問題として横たわっています。その部分に手を差し伸べられる国際支援が、本当は一番重要だと思うのですが、昨年変更された新NGO法は、それに逆行するかのように私には見えます。

では、また。

[2006.02.15]




12月5日(月)、督永忠子 帰国報告会がを京都・ウィングス京都(京都市女性総合センター)で開催されました。

現在のアフガニスターンの状況、SORAの支援活動の様子などのアフガン報告に加え、アフガニスターンの今の様子を聞くことができました。
また、10月に起きたパキスタン北部大地震に関しても、写真を見ながら、現地での緊急支援の様子が報告されました。

[2006.01.01]


過去の活動報告
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