本能寺の変−諸説の研究 〜諸説の可能性を探る〜 

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● 怨恨説 可能性:5%以下
光秀が信長対する恨みから起こしたという説。例えば、次のようなものがある。

・丹波八上城で波多野氏を攻めたとき、光秀は母を人質として送り、降伏すれば命を助けると約束したのにもかかわらず、信長は波多野一族の処刑を命じ、光秀の母は、なぶり殺しにされた。

・安土城に徳川家康がやってきたとき、接待役の光秀に手落ちがあったとして、信長は光秀を多数の面前でさんざん打ちつけた。

・武田家を滅ぼしたとき、祝宴の席で光秀が「長年、骨を折ったかいがあった」ともらしたところ、信長が聞きとがめ、光秀をなじり、その頭を欄干に押し付けて折檻した。

・中国出陣の際、信長は光秀の領国丹波、近江を召し上げ、代わりに出雲、石見を与えると命じた。 
テレビや小説で最もおなじみの説です。しかし、当HPの結論は、可能性は限りなくゼロに近いと考えています。光秀が、信長に対する怨恨から本能寺の変を起こしたことが、どうしても納得できないというところから、徹底研究!本能寺の変は生まれました。実際、怨恨説は、専門家の間でも否定されているようです。確かに、ドラマとして盛り上げるには、面白い説ですが、史実としては、とうてい容認できないと考えています。
参考:信長と光秀は本当に険悪な関係だったのか?
   激論バトル本能寺の変 
● 秀吉、光秀密約説   可能性:20%以下
後に天下を取る秀吉と光秀があらかじめ密約していたとする説。例えば、織田家のナンバーワンとナンバーツーが組んで、疎ましくなった信長を討つ計画を立てた。実行犯は、光秀。しかし、秀吉に約束を反古にされ戦うことになった。あるいは、密約とはいかなくとも、秀吉とそれなりの連携があったというような説。
本能寺の変の後、最大の利益をあげた秀吉と実行犯の光秀が組んでいたという説です。しかし、この説も限りなくゼロに近いと考えていましたが、議論の結果、20%以下という結論を出しました。可能性を考えていくと「ない」とまでは言い切れず、かといって積極的に「ある」とも言えないからです。「ある」と考えてこじつければ、こじつけられないこともないのですが、やはり不自然さは目立ちます。ただ、単純に、秀吉と光秀という織田家中の実力者が組んだという点に限ると、もっともっと可能性は小さくなると考えます。
参考:諸説を斬る−その1 秀吉、光秀密約説を斬る
● 勘違い説 可能性:5%以下
本能寺の変ではなく、妙覚寺の変ではないかという珍説。光秀の狙いは、信長にあらず信忠だった。それゆえ、信長も殺さなければならなかったという説。
確証はありませんが、この説は、このページでしかお目にかかれないかもしれません。前回の説を議論していて、本能寺の変において、信忠を滅ぼしたことが話題になり、信長だけを滅ぼしても信忠がいる限り天下が取れないという点に注目して出てきた珍説です。しかし、議論していくうちに、かなり無理があることが判明しました。やはり、ただの思いつきだったようです。しかし、信忠を無視した本能寺の議論は不毛だと思いますので、その点を喚起したという役割は果たしたと考えます。
参考:諸説を斬る−その2 本能寺の変は勘違い?
● 野望説   可能性:30%以下
光秀も天下がほしかった。そんなとき、絶好のチャンスが訪れ、自らの野望を果たさんがために起こしたという説。下剋上の時代でもあり有力武将でもあった光秀が天下を狙うのは当然だというかなりメジャーな説でもある。
野望については、確かになかったと言えばうそになると思いますが、本当に天下を取るための野望を持ち、実行した人間は信長のほかにはおらず、他の武将は、野望というよりも願望程度のものしかなかったのではないのかと考えます。ですから、野望はあったとしても、直接的な動機ではなかったと考えます。また、議論やまとめでは触れていませんが、もし、単なる野望による犯行であれば、後世に謎として残る余地はないと思います。
参考:諸説を斬る−その3 光秀野望説
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