草食獣・第八篇

   装画に寄せて

  ticktack ticktack
  不可逆な時間が流れる
  ticktack
  さよならへ向かって

  ticktack ticktack
  限られた時間を意識する
  とある日曜日だった

  あおのくのは吹き抜けの広場
  からくり時計はからくりからころ 
  そして全容をあらわにした
  (ムンクではない)
  春が にぎやかに囀りはじめた
  ブイツーソリューション

 226頁
 並製本四六版
 2018年3月30日発売

 歌集 草食獣 第八篇
 2010年から2017年の作品
 約800首から選んだ200首を収録
 1頁1首組

 付論
 用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~ 
 あとがき


 歌集 草食獣 第八篇
 浴室の音声ナビの男声(おとこごえ)おもたらあかんあかんセクハラ
 発泡酒の泡吹くコップさかなにはカニのなかまのかにかまを切る
 グアイとは川の意 決勝ラウンドの左右にウルグアイパラグアイ
 サーカスのライオンおもいわたくしも夏越しの祓 茅の輪をくぐる
 冷蔵庫の氷でつくる焼酎のオンザロックはすぐ水の味
 買ってきた氷でつくる焼酎のオンザロックは焼酎の味
 あけたての炭酸水のいきおいをたのしみながらのむハイボール
 寝る段になっておもえば七夕の笹の飾りを見なかった今日
 マネキンのくちびる読めば少年が妹を呼ぶ「ニュウドウグモダ」
 受け取っていないが定額小為替は署名押印が先の窓口
 妻にまた聞いているのだ𠮷岡が何になるのだ娘の苗字
 父親に対する態度がやわらかくなったと母がいい妻がいう
 照れくさいことだ螺旋階段のバージンロードを子とおりてゆく
 セーターの袖をはみだすカッターの身に添わぬこと手を洗うとき
 ブレザーの袖より短いカッターを引っ張って引っ張っている
 ふりかえりふりかえり見る女の子おまけに見守り隊も見ている
 若い日の教育ママの手をはなれ愚息、ドラムを叩く三十
 明日からは神原麻乃 マンションの扉を閉める音が響いた
 いい天気になってよかった二人して婚姻届を出しに行く朝
 カーテンをめくって星に見とれてる大磯プリンスホテルの空だ
 切り傷のひとつふたつは覚悟して髭を剃ります ホテルの鏡
 今年また舞台を降りていった人 喪中ハガキを手にとりながら
 じいといいばあとよばれて孫をだく竹馬の友だ タイム・フライズ
 グッジョブと人は親指 還暦のうさぎは月に耳を立ててる
 顔がいい名前またいい往年の大鵬幸喜が塩まくところ
 歯を強くみがく性格、水道のカランもかたくかたく締めます
      あーちゃんがわたしになりし下の子を父親われはあーちゃんと呼ぶ(『草食獣第四篇』)
 風来人の父が色紙にして贈るあーちゃんが私になるころの歌
 蕎麦でなくそば粉もらってきたといいソバ打つ役を仰せつかった
 定年後の趣味で人気があると聞くソバ打っている打たされている
 日本酒もビールもおくが焼酎は芋をおかない蕎麦専門店
 積雪に立ち小便のおじさんが身をふるわせてチャックを上げる
 飛び散った床の小便ふいている獅子身中に飼う老いの虫
 死刑囚が死刑にならずに亡くなった雪降るあさま山荘事件
 女って、とはいわないがうしろではなく横にきてコピー待つ人
 お先にと譲ってみたが自分よりもたくさんコピーする客である
 朝刊と牛乳とっておもうことはたらく人のいない家族だ
 日清の焼きそば箸でつまみつつ缶ビール飲む昼の悦楽
 楽しまない一日である親指の付け根が赤くはれて痛風
 五人の子五人の夢にあらわれる伯母の写真に合掌をした
 元同期元同僚の賀状にはあと一年で定年とある
 回想としてならいえる人前で靴の踵の落ちたことなど
 乗り遅れることができないハート・インで助六寿司を迷わずに買う
 養殖のウニへ人より先に手をかけるラッコにこそ痛風を
 涙もろくなってしまっためがしらを押さえて今日は花嫁の父
      あさもよし紀州の沖に潮を吹く鯨のやうな人生をこそ(『草食獣第四編』)
 夢想家の父が遺してやれるもの色紙に娘の歌かいている
 「父」の下に落款の朱、十枚の色紙が子への結婚祝い
 ドロップアウトリタイアいろいろありまして頭を下げる花嫁の父
 かけこもうとしたら女性の専用でもひとつ走ってかけこむ車輌
 眉黒に白い歯並び「虫めづる姫君」のようだイモトアヤコは
      著書に『どくとるマンボウ昆虫記』がある
 ユーマラデラ・キタモリオイのいる島とおもえば海も山も格別
 ななひかりで飛ぶ黄金虫、西表島のマンボウビロウドコガネ
 寿司店の湯飲みをパレードする魚の観閲式だ上がり一丁
 てのひらに余る湯飲みを回すとき魚説法が聞こえてきます
 鰆(さわら)きて夏はどうした鰍(かじか)きて夏はどうした鮗(このしろ)がきた
 くさめとはクシャミの意味とおもいつつ必ず復唱する「屁ではない」
 紀伊國屋文左衛門が「鬼や鬼や」つかまえた手のしらうおだこと
 持っているだけでたのしくなりそうなキーホルダーの天童よしみ
 客室の聖書の謎が解けました日本国際ギデオン協会
 漫才のミヤコ蝶々京唄子かたや訓読かたや音読
 さみしさはマウスうごかす手の甲の老人斑に目がとまるとき
 血管がほそいみえないわたくしの腕と格闘中の看護師
 また刺して血は出てこないまた抜いていつもの人に助けもとめた
 キッチンもバスも機械が喋りますそれでも雨漏りはやまない
 こういえばよかったああいえばよかった窓口に腹たててきて
 悪貨ハ良貨ヲ駆逐スルトイウ例エバムスコ妻ニソックリ
 地球儀を回しておればナイジェリア止まった所がはいアルジェリア
 拗ねているきみのようだよ扇風機あっち向いてホイこっち向いてホイ
 青春の太田雄貴だマスクしてスイッチ・オンを待つ扇風機
 右足を抜いて左の足抜いてあしはぬけたが靴が残った
 ゆるキャラのくまモンバリィさんにしこくん夏は熱中症にご用心
 あの人は今 の感じでなつかしいテレビショッピングのスターたち
 頭から入っていくのか足からか遺体となったあとは知らない
 順当にいけば関西あたまから入れてもらってゆく火葬場
 女性用下着売り場が下降するエスカレーターで横目するとき
 ライブ「君と歩いた青春」埋め尽くす青年男女ただし昔の
 九〇〇〇の客席 一万八〇〇〇の拍手の底の南こうせつ
 文字化けのメールのようで分からない愛国無罪釣魚諸島
 姫昔蓬は別名「御一新草」いわれもながく鉄路はつづく
 ホームみて車内みまわし傘もっているのが自分だけとわかった
 初日の出を拝む登山家などおもいパソコン打っている同時刻
 元日のB1Fのゆたかさもひとりとなればきっとさみしい
 わたくしが滅べばいないわたくしのそのわたくしをおもう夜の空
 バーバーに洗髪されるこの中にわたしを支配する脳がある
 脳という宇宙を保存するという東京大学、とある硝子壜
 転生のひとつ水鳥 みずうみに映ったワニの口が大きい
 文頭の「なので」が又も又も出る なのでテレビのチャンネル変えた
 へんとうせんへんとうできへんめいっぱい扁桃腺を診られています
 廃線のその後いろどる風景に帰化植物の黄のアワダチソウ
 印結び休息万命急急如律令(くそくまんみようきゆうきゆうによりつりよう) やがて鎮まるクシャミとおもえ
 幣を振りじゃじゃぼじゃぼじゃを繰り返すうちに普通でなくなってきた
 渚にて。福島原発四号機の建屋のうえのまっさおな空
 渚にて。美浜にもんじゅふげんその向こうが敦賀、半島の春
 渚にて。チェリャビンスクの隕石はたまたまロシアの空を破った
 YouTube 森田童子が唄うその一人称の「ぼく」が好きです
 YouTube 克美しげるが服刑の前の音源「さすらい」を聞く
 YouTube あがた森魚の年を経ておっさんがおの「赤色エレジー」
 YouTube 三善英史が十代の声は奇跡のような「雨」です
 どこかで見た悪役の顔その顔が尾藤イサオと気づく終盤
 引退は十九歳 「女学生」の安達明をいまごろ知った
 フェスティバルホールも近い「梅蘭(ばいらん)」で叱られながら呑む紹興酒
 赤い顔してても平気フェスティバルホールの二階にあるビアホール
 フェスティバルホールに揺れるペンライトのうしろで平原綾香をきいた
 トイレへと中座するならすみません手でチョンチョンは中程の席
 連れ合いが用意してきたペンライト手にしてみたが波にのれない
 田に水をいれたばかりの夜にしてさっそく蛙たちの合唱
 みたかった見てみたかった足高くあげた ピンクの「サウスポー」なら
 おおくにぬしのみことのような学生のスポーツバッグが通路を占める
 こんなものでない松坂大輔が見たくてMLBの中継をみる
 ガムや噛み煙草をかんで唾をはくMLBのベンチが映る
 鼻毛用鋏ではなの毛を刈れば秋の大気にくしゃみ先生
 喉元を人に任せてうたたねの人のよい人 うたがわぬ人
 その気にさえなれば血を噴くバーバーの頸動脈が並ぶ日曜
 お疲れ様でしたとお疲れでないのに刷毛で払われて立つ
 二千円出してお釣りは四百円、仕方もないかこの剃り残し
 三水を巷につけて港とは〽波の下にも都のさぶらふぞ‥
 修正後の写真を飾る妻にしてこれも擬装と呼ぶことにする
 太閤にゆかりの有馬の金の湯に首がいくつか収まっている
      二〇一三年歳末、猪瀬東京都知事辞任
 むかしむかし輝く「時の人」だった徳田虎雄が貸す五千万
 水流すトイレの音が落ちてくる一階で用をたしているとき
 いっぽんのゆびが家出をしたようにぶらぶら、五本指の靴下
 親指にとなるひとさし、ではなくて人を指してはならぬ第二趾
 第三趾などといわれて人でないかも知れないと振る尾骶骨
 第四趾などといわれて犬になる熊になるドラゴンならもっといい
 第五趾よ犬の太郎がくんくんと鼻を鳴らせて嗅ぐ化けの皮
 きゅうくつなにほんのいっぽん定位置にもどして五本指のソックス
 幸せは爺さんいない婆さんもいない「おはなしゆびさん」の唄
 浪曲師広沢虎三 本名にもどれば山田信一である
 マスクして息がくるしいその上に口のニオイのこもる春先
 桜咲く土手のゆききのあらかたはマスクしている犬を除いて
 風さそう桜田門の外に散る井伊大老享年四十四歳
 直弼の死と前後する老中の久世(くぜ)広周(ひろちか)享年四十五歳
 濁音か半濁音かパソコンのカタカナに目を近づけている
 風ふけばマリリン・モンローまだガキでまだこれからの昭和であった
 学生の頃のあなたが夢にきてなかよさそうにわらって 覚めた
 ふなっしーのようにぴょこぴょこさせている孫の両脇ささえてあれば
 発表会の楽屋の八十六歳の背中で泣いている柚月(ゆづき)ちゃん
 山田美妙(びみよう)の写真をみればいかにもと頷いている名は武太郎
 白髯の翁おもわす号にして美妙斎の死は四十三歳
 「思草序」にある依田百川(よだひやくさい)は依田学海(がつかい)、辞書で知る名だ
 「おもひ艸の序」の源高湛(たかやす)は辞書に載らない鴎外である
 「佐佐木君歌集題詞」の寧斎(ねいさい)は殺人事件の被害者、だった
 ♪ダンダンディラシュビラリン♪青春の遠い花火をおもうこの頃
 これもまた熱中症とおもいつつウェットティッシュで拭く窓の枠
 若くない体に汗はふきだしてころばぬ先に脚立を下りる
 「麦畑でねじ伏せた女」そこだけが記憶にふとる『鳴門秘帖』は
 サントリーが咲かせたという幻の黄の花もとい江戸の朝顔
 一八一七年に出版の『阿さ家宝叢(あさがおそう)』に残る黄の花
 ネット公開されて見ている 印刷可 江戸の『朝顔三十六花撰』
 幕末の『三都一朝(さんといつちよう)』 心配もせずにめくれるデジタルコレクション
 歳時記は秋 旧暦の江戸の世をつたはいのぼる紺の朝顔
 新暦の夏の絵日記 蝉の声 ラジオ体操 紺の朝顔
      高所より下をのぞけばとびおりろとびおりろ 人の声する恐怖
 されば神戸国際会館三階の手すりの下に打ち寄せる波
      生か死か、それが問題だ。
 三階の下からおいでおいでするさそいにのらず席をはなれた 
 コストコをスットコといえばどっこいと返されている春の一日
 黒々と毛のあるあたまかきむしり雲脂をとばした詰襟のころ
 ブルガリアのむよーぐるとはバリウムに似て四八〇グラム
 グラウンドをラガーは走る遠景に海が見えます神戸高校
 時代遅れの匂いをさせるアル中の高田渡はフォークシンガー
 夜発って朝に着きます爺さんの知らないサービスエリア 煌々
 四世代を乗せて走れば三列目の爺さん婆さんまた大婆さん
 時速百二十キロちょいのワンボックスカーに揺られる右へ左へ
 YouTubeの録音さなかけたたましくサイレン走る真夜の県道
 無縁墓の思い出す人 せんこうのけむりのしたに手を合わしてた
 おふくろの声がきこえてノックする音がきこえて夢はきれぎれ
 川に鰐 丘にライオン それよりも危険な人として歯をみがく
 木耳のこの歯触りがたまらないきくきくとしてきこきことして
 キクラゲよかんねんをして耳にしたひめごとはかりごとをきかせよ
 エドバルト・ムンクの叫び きく耳はあってもキクラゲはきくらげ
 ナメコまた箸を逃れて汁の中とてちてけんじゃとてちてけんじゃ
 蓬莱居鶴亀長年享年は三十、辞典の中で生きてる
 風をよむ風がよめないきりがくれさいぞうがのる花筏くる
 いちじんのわたしは春の風である環状線の森ノ宮駅
 ページから出ているところ短くてストレスたまる栞紐です
 けなげだがからぶりばかり舗装路にウンチをたれたそのあとの犬
 駅に人待ちつつおもう加齢とはからだのせんのくずれゆくこと
 よく知ったカメラも上に銀塩の名を得てしぶい中年のさま
 子が孫にお婆ちゃんちというときのおばあちゃんちにいるお爺ちゃん
 よそならば夢でなかった二百勝 百八十四敗の三浦大輔
 口口(くちぐち)に人はものいう口口(くちくち)は接吻のことものもいえない
 ここからは陸ではないと舷梯のかすかに揺れているたよりなさ
 ここからは海ではないと知っている足が急いでわたるタラップ
 しもつきの朝を照らして自販機は防犯灯よりも明るい
 雲梯のパイプとパイプにおさまってきれいだ 冬の北斗七星
 自転車のペダルが重い子が乗ったあとのギヤーを低へとおとす
 出会ったのは思春期、「霧のカレリア」を聴くときおもう白海のこと
 下仁田葱をしもねたねぎと聞く耳を笑ってしもねたねぎを食ってる
 天ぷらを食べたいこごみふきのとうたらのめ春の音がききたい
 毛刈りした羊のようだロンパースベビー服ぬがせてやれば たっくん
 よだれかけとは思えないたっくんのお洒落なそれはバンダナスタイ
 懸垂をしたいできないペダルこぐようにもがいてかっこうワルツ
 ノブ引いて次また次のノブ引いて、仮設トイレにいる花子さん
 読んでみたい『成尋阿闍梨母集(じようじんあじやりのははのしゆう)』みたいで過ぎてゆく日々である
 耳切った明恵上人あかあかやあかあかあかやあかあかや床
 墓に苔 虚仮ははかない 水に降る雪をながめてひきかえす道
 ウスバカゲロウウスバカヤロウほろ酔いで自転車こげば月がきれいだ
 スーパームーンストロベリームーンハネムーン遠くてもどることもできない
 方言でテントウムシは姉虫(あねこむし)きれいなべべきてなのはなが好き
 「たっくん」を「たくみ」と呼んでゆっちゃんがときおり見せる姉の風格
 「年だから仕方がないか」診察の先生がいう聴力のこと
 海坊主のような雲わく八月のビーチの砂に埋められていた
 付   論
    用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~

 本稿は「文語」(古典語)と「口語」(現代語)という用語が現代短歌に混迷をもたらしているという見地から、それと不可分に存在する用語「文語体短歌(文語短歌)」と「口語短歌」を破棄し、「文語文法」から「古典文法」への呼称の変更に併せて、現代に相応した「古典語短歌」と「現代語短歌」を提唱するものである。

   一、文語と口語

 松村明編『日本文法大辞典』(明治書院)で「文語」を引くと、次のとおりである。
「①書きことば。文字言語。話されることば(略)に対して、書かれたことば(略)の意。②古典語。日本語の場合、平安時代中期の文章(当時としては話しことばを写したもの)が一種の完成を示し、鎌倉時代以後、話しことばの変化にかかわらず、文章には平安時代中期の語法を基礎とした表現をとるようになって、明治中期にまで及んだ。この、平安時代中期の語法に、その後の若干の語法の変化をとり入れ、さらに若干の奈良語法をも含めた語大系を、明治以後の現代語を『口語』というのに対して、文語というのである。現代では短歌・俳句の創作などに残っている。(略)。」
 これに対して「口語」はどうか。
「①話しことば。音声言語。口ことば。書かれたことば(略)に対して、話されることば(略)の意。②現代語。明治以降の日常生活に用いられることば。この場合には書かれたものも含めて『近代口語文』『口語文法』『口語に訳せ』のように用いる。以上の二つの意味がある。①の意味が本来のもので、文章語・文語に対して、『当時の口語では』のように用いる。ところが、明治以降、古典にみられる書記言語・雅語や、明治普通文・雅文などに用いられる語大系を『文語』と呼ぶのに対して、当代の話しことばおよびその語大系に基づく書記言語を『口語』とよび、その文法を『口語法』『口語文法』といったことなどから、②の意味に用いるようになった。」
 タイトルに組み込んでいる「文語体短歌」「古典語短歌」「口語短歌」「現代語短歌」を①②で分類すると次のようになる。
 「文語体短歌」は「文語」の②である。「口語短歌」と共時態である。
 「古典語短歌」は文語の①と口語の①の合体をいう。
 「口語短歌」は口語の②である。「文語体短歌」と共時態である。
 「現代語短歌」は文語の①と口語の①の合体をいう。
 「古典語短歌」と「現代語短歌」の差は本義である通時態に由来する。しかし分からないのは明治以降における②の意味への変化である。官民あげての言文一致化運動が進められる中での具体相を知りたい。で、手にしたのが『日本文法大辞典』の編者でもある松村明の「文語文法から古典文法へ――文法上許容すべき事項をめぐって――」(昭和五十四年『國文学 解釈と教材の研究』第24巻12号臨時増刊)であった。

   二、文語文法から古典文法へ

 同様の論文の有無を「CiNii Articles - 日本の論文をさがす」で検索してみた。「古典文法」で一九三件、「古典語文法」で五一件がヒットするが、私の疑問に直接答えてくれそうなのは(タイトルから判断する限り)松村明の「文語文法から古典文法へ――文法上許容すべき事項をめぐって――」しかなかった。
 以下、注目箇所を引用する。
「古典文法という呼称は、戦後の新しい国語教育の展開とともに一般に用いられるようになったものであるが、文語文法という呼称は戦前からあるもので、明治、大正、昭和前期を通じてずっと広く用いられている。もっとも、文語文法という場合に、戦前のものと戦後のものとでは、内容的にかなりはっきりした違いが見られるのである。戦後においては、それは、古典を読解する上での基礎的知識として扱われるわけであるが、戦前においては、一方で、もちろん、古典読解のための基礎的知識ということが考えられているが、同時に、それは、文語文を書くための基本的なきまりとして考えられていた。文語文としてのことばのきまりの基本であり、文語文はそのきまりに従って書かるべきものというように考えられていたのである。」
「『文法上許容スベキ事項』というのは、明治三十八年十二月二日付の官報に文部省告示第百五十八号として公表されたもので、当時一般に広く用いられていた文語文である普通文において、それまで文法上破格あるいは誤りであるとされていた言い方のうち、慣用の最も広いものの使用を許容し、今後の教科書に用いても差し支えないとした。(略)、全部で十六項目から成っている。」
「十六項目から成る個々の事例の内容を品詞別に整理してみると、動詞の活用に関するもの一項目、形容詞の活用形に関するもの一項目、形容動詞の活用に関するもの一項目、助動詞の用法に関するもの六項目、助詞の用法に関するもの七項目ということになる。」
「右のような十六項目にわたる許容事項は、中古の国語、特に中古の仮名文をもとにした文法からすれば、いずれも破格になるわけであるが、それらは、ほとんどが中世以降新たに用いられるようになった言い方なのである。中には、中古にすでに見られる事例(助動詞『き』の連体形『し』の終止用法のごとき)も含まれている。『恨む』の四段化や『顔回なる者』などの言い方のように、近世において見られるようになったものや、形容動詞『異なり』の四段動詞化のように、幕末から明治初期にかけてごく新しく一般化した言い方なども見られる。いずれにしても、『文法上許容スベキ事項』では、当時一般に用いられた文語文である普通文として、これらの言い方の使用が認められたのであり、その後の国定教科書や検定教科書の文章において、それらの言い方を用いた文語文がいろいろと書かれたのである。戦前までの文語文法において、この許容事項がつねに登場しているのは、そのような事情があるからである。これに対して戦後の文語文法においては、これらの事項がほとんど取り上げられなくなった。それは古典読解のための文法ということで必要性がなくなったと考えられたためのようなのであるが、古典といっても中古文だけではなく、実際には、中世から近世までの諸作品も含まれるのである。したがって、許容事項に含まれる個々の言い方については、中世や近世の文章を読む場合などに、時には接することになる。古典文法としては、ことばを歴史的にとらえ、その変遷の事実についての理解も必要となってくる。『文法上許容スベキ事項』に含まれるいろいろの言い方も、文法の変遷という観点からすると、決して無視することはできないのである。」
 昭和二十年という敗戦を境として、それ以前が近代であるが、その近代においては普通文という文語文が現役であった。その時代の文法を文語文法と呼ぶ。敗戦後を現代と呼ぶが、文語文が消滅したことによって文語文法から古典文法に呼称が変わった、ということであるらしい。『日本文法大辞典』の「文語」と「口語」でいえば次のようになる。
 文語文法は「文語」の②、古典文法は「文語」の①と「口語」の①の合体ということになる。しかし歌壇においては、冒頭に触れたように、「文語」の②と「口語」の②の混合体もしくは混淆体が臆面もなく幅を効かせている。似たようなものとして近世の談林俳諧や鯛屋貞柳を中心とする狂歌に見られる文体があるが、彼らは日本語の歴史を重ねて眺めるならば一目瞭然、近代語を作品に登場させたのである。画期的な仕事であった。それに比べるならば最も歴史的意義を見出せないのが「文語」(古典語)と「口語」(現代語)の混合体である。平安時代の鵺は源頼政によって退治されたが、現代の鵺は歌人自らがその内部で育てたものである。生かすも殺すも歌人次第ということになろう。

   三、「文法上許容さるべき事項」と歌人

 「文法上許容さるべき事項」(内容は「文法上許容スベキ事項」に同じ)が『新聞集成 明治編年史 第十二巻日露戦争期』(本邦書籍株式会社)に収録されているが、歌人の間で話題になることは殆どないに等しい。なぜなら歌人にとっての「文語文法」とは「中古の国語、特に中古の仮名文をもとにした文法」(松村明)だからである。
 安田純生の「文語と〈文語〉」(邑書林『現代短歌のことば』)から、その要点を抄出するが「文法上許容スベキ事項」との差は明白である。
「文語には二つの種類があることになる。一つは、貫之の生きていた時代すなわち平安時代の言語体系を意味する文語であり、もう一つは、その言語体系を志向した言語を意味する文語である。二種ともに文語と呼んでいたのでは、どうもややこしい。前者の文語と区別して後者を文語体と呼んでもいいが、さしあたり、後者をヤマカッコ付きの〈文語〉とし、前者を単に文語として、以下を述べていきたい。」
「〈文語〉が成立したのは、日常生活のなかの言語がどんどん変化して文語の体系が崩れていくにもかかわらず、和歌を詠んだり文章を書くときには、古い時代の言語体系にのっとっていこうとしたためである。〈文語〉は、本来、文語に一致しているのが理想であった。しかし、文語と日常語との差が大きくなればなるほど、文語と一致した〈文語〉を書くのは困難になる。文語と日常語との差が大きくなれば、文語についての正しい知識を得るのが難しいうえ、文語を使っているつもりでも、日常語が折々に顔を出して似て非なることばになりがちである。その結果、〈文語〉は、時代がたつにつれて変化していく。現代短歌の〈文語〉が、文語とかなり違っているのは、しばしば指摘されるとおりである。」
「〈文語〉は変化するといったが、もういっぽうの文語は変わりようがない。それは、古い時代の言語体系である文語は、いわば閉じられた存在だからである。ときどき、『文語だって変わってきたのだから、文語文法を金科玉条にして誤用よばわりされるのは心外だ』といったことをいう歌人がいる。しかし、変わるのは〈文語〉であって、文語ではない。しかも、〈文語〉が文語を志向している限り、文語と異なる用法は好ましくないはずで、そういった意味では、〈文語〉における変化は、やはり誤用と称すべきであろう。」
「誤用のなかには、同時代の人々に容認されている誤用、というよりは多くの人々が誤用と思わず犯している誤用も相当にある。そういった例が往々にして文語の変化と解されがちであるが、いくら用例が多くても、文語を基準とすれば誤用は誤用であり、それを誤用の一般化とも呼び得るだろう。室町時代や江戸時代の〈文語〉には、誤用が頻出する。平安時代の文語と室町・江戸時代の〈文語〉を同一視し、〈文語〉を証拠にして正しい文語であると主張したりするのは、いささか問題がある。〈文語〉が文語であることが、〈文語〉によって証明されたりはしない。」
 同じ現象を捉えて「文法上許容スベキ事項」と対蹠的であることが分かる。
 米口實は『現代短歌の文法』(短歌新聞社)で、この「文法上許容スベキ事項」について触れている。「過去助動詞『き』」から抄出する。
「『す』で終わるサ行の四段活用動詞の場合にこれとサ変とを混同して『せし』とする例が現代短歌には非常に多い(専門歌人でも例は多い)のは本来的に考えると誤用である。四段活用は連用形にしか接続しないのであるから『しし』とすべきであろう。
  引き伸せし黒白写真を眺めつつしきりカメラが欲しくなりたり
                            (形成・二月号)
 もっとも、この誤用に就いては明治三十八年に文法上許容すべき事項として認めるとされてはいるのだが、正しい古典語文法の基準からは外れているのである。」
 安田純生は『現代短歌のことば』(一九九三年)のほかに『現代短歌用語考』(一九九七年)と『歌ことば事情』(二〇〇〇年)を邑書林から出している。そこで摘出される〈文語〉の事例は豊富というべきか、対症療法を越えた感すらするのである。
 二例を紹介しておく。
 一つは、「文法上許容スベキ事項」に含まれていないが、形容詞のカリ活用でブランクとなっている終止形を「かり」とするケースである(「専門歌人」でも例は多い)。
 一つは古語ではない、現代の日常語でもない、安田純生によって近代詩歌語と名付けられるグループに「祖父(おほちち)」と「祖母(おほはは)」(「専門歌人」でも例は多い)がある。安田によれば「『おほちち』『おほはは』が短歌で使われ始めたのは、大正年間であろうか。『おほはは』のほうが『おほちち』よりも、ひと足さきに使われ始めたようである」(『現代短歌のことば』)ということなのだ。
 畢竟、増殖する〈文語〉を前にして、私たちの大半は、すでに制御不能に陥っているのである。

   四、普通文と言文一致運動~ダブル・スタンダードの近代~

 近代は言文一致運動だけではなかった。普通文という文語文とのダブル・スタンダードの時代だったのである。松村明の「文語文法から古典文法へ――文法上許容すべき事項をめぐって――」は、そのことについて気付かせてくれる。
 年表形式で見てみよう。
 慶応二年   前島密、「漢字御廃止之議」を建白。
 明治十六年  「かなのくわい」結成。
 明治十八年  「羅馬字会」結成。
 明治二十年  二葉亭四迷『浮雲』、山田美妙『武蔵野』。
 明治二十九年 尾崎紅葉『多情多恨』。
 明治三十三年 帝国教育会に言文一致会結成。
 明治三十八年 文部省告示「文法上許容スベキ事項」。
 明治三十九年 草山隠者『池塘集』。
 明治四十三年 言文一致会、解散 。
 大正十年   東京日日新聞、読売新聞、言文一致へ。
 大正十一年  朝日新聞も言文一致へ。
 昭和二十年  敗戦。公用文も言文一致へ。
 右を補足する意味において『国史大辞典』から「普通文」の解説を全文引用する。
「明治以後に標準的な文語文として広く行われた文体。明治初期の文章においては、漢文訓読体・和文体(擬古文体・雅文体)・俗文体・欧文直訳体など、種々の文体が行われていたが、明治二十年(一八八七)代に入ると、漢文訓読体を中心として、俗文的要素や雅文的要素を加えた普通文の文体が確立し、明治三十年代には完成期を迎えた。明治三十八年文部省告示による『文法上許容スベキ事項』は、普通文について、それまで破格または誤謬とされていた語法のうち、広く慣用されているものを取り上げ、教育の場で採用することを許容したものであるが、これは、当時普及していた普通文を標準的な文語文と認めるとともに、そこに行われていた破格的語法を追認したものと見ることができる。普通文の文体は必ずしも一様ではないが、(一)表記様式としては漢字仮名交り文であること、(二)文法的には平安時代中期の文法を中心としながら後世の要素などが加味されていること、(三)語彙的には漢文訓読的な用語が豊富に取り入れられていることなどが、共通点として指摘できる。一方で、言文一致運動があり、明治末期には小説がすべて言文一致体となり、大正末期には新聞の社説もこれを採用するようになって、言文一致体の完成を見たが、その後も、法律文や一部の公用文は普通文で書かれ、第二次世界大戦後にすべての文章が口語体になるまで、普通文の流れは脈々と続いた。」
 さいごの「口語体」は『日本文法大辞典』の「口語」の②現代語である。

   五、結語~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~

 昭和二十年の敗戦を契機として公用文も言文一致となった。近代から現代への移行を通して、実際の動きはもう少し緩慢だが、文語文法は古典文法となる。『日本文法大辞典』に照らしていえば「文語」の②から、「文語」①と「口語」①の合体となる。「口語」②との共時態から、「文語」①と「口語」①の合体としての現代語に対して通時態として収まるところに収まったのである。これが松村明の「文語文法から古典文法へ――文法上許容すべき事項をめぐって――」から示唆されたものであった。
 この結果を短歌の世界に当てはめると、本稿のタイトルである「用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~」となる。そのまま、何の芸もない言い換えのようだが、私には長く疑問だった「文語」「口語」の明治になってからの②への変化と、近代の終焉とともに①へもどる、解説にはそこまで言及していないのであるが、その謎が氷解した、胸にすとんと落ちた、ありがたい論文であった。
 その論文の最初の段落に「文語文法でも古典文法でも、それは呼称の違いだけで、内容的にはほぼ同一のものを指していると考えられる」とある。しかし立つ位置によって事態は変わってくる。まして短歌の世界における古典文法(文語文法)とは、安田純生によるならば、閉ざされた存在なのだ。それは和歌全盛の時代への憧憬からきているようにも思われる。当然のことながら「文法上許容スベキ事項」よりもハードルは高い。近代においては「文語」②と「口語」②の共時態だから文語体短歌と口語短歌は形式的にはヒィフティヒフティ、実質、ア・プリオリなものとして文語体短歌が歌壇を制圧してきた。「文語」①と「口語」①の合体としての現代にあっては、古典語短歌と現代語短歌は通時態である。したがって両者の関係も逆転して然るべきであろう。古典語短歌は古典に、また古典文法に精通した歌人によってこそ詠まれるべきなのだ。
 ところで草山隠者は『池塘集』の「自序」に、次のような言葉を残している。
「誰でも日本の国語国字に就て多少考へたものは其不統一不完全不便利を認めないものはありますまい。あの羅馬字会といひ言文一致会といひ漢字廃止若くは制限論といひ皆これが為め起つたのではありませんか。私は久しく詞賦を研究して居るので詩歌の上にも可成言と文とを一致せしめたいといふ願が切なのであります。」
「私は平易通常な現代の言葉で新しい詩想を歌ひたい俗語の中から雅調を攫み出したいと思ふのであります。」
 俗語とは、近代語に対する、いわれのない賤称である。
「近頃ある批評家も将来の詩歌は言文一致だといはれたさうですが私は口語の詩が日本の詩国に一境地を拓き得ることを確信して疑はないのであります。」
 繰り返すが「口語」とは『日本文法大辞典』の「口語」②の現代語(近代語)をいう。
 「自序」の日付は明治三十九年十一月、そこからカウントダウンすれば近代の終焉まで四十年、また昭和二十年を現代の起点としてカウントアップすれば七十三年、私たちは草山隠者(青山霞村)の「願」や「確信」に、どれだけ応え得たであろうか――。

 万葉の昔から、歌のスタンダードは現代語短歌なのだ。


                         (二〇一七年三月十日)

 あとがき
 第八歌集である。二〇一〇年から二〇一七年、元号なら平成二十二年から平成二十九年の作品、約八百首から二百首を選んで一頁一首組とした。
 こだわりは遠い日の「作者の横暴とまではいわないが、饒舌の時代だからこそ、作品は汚されることなく、黙って、無条件で読者の前に屹立していてもらいたいのである」(一九九二年、平成四年刊『草食獣への手紙』所収「解説の時代」)という思い、または希求に繋がっている。
 付論として「用語論~文語体短歌から古典語短歌へ、口語短歌から現代語短歌へ~」を収録した。このあと仮称「歴史的仮名遣いとは何か」を加えて、やはり仮称『軌跡~吉岡生夫短歌論集~』を出せればと考えている。発表の場をホームページ「草食獣・𠮷岡生夫の世界」に求めてきたが、そのホームページも、いずれ閉鎖される日が来るだろうから、それまでに活字化しておきたいのである。
 一本亭芙蓉花の翻刻と併せて、直面する大きな課題である。

    平成三十年二月十一日             𠮷岡 生夫
 
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