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In Fading memory
 「薄れゆく記憶のなかで」
  ■INDEX
  ■旅行記第1回
    その1
    その2
    その3
    
その4  
    その5
  ■旅行記第2回
  ■旅行記第3回
one of my favorite movies.

薄れゆく記憶のなかで
In Fading Memory
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第1回岐阜・長良川の旅

旅ノートより


2日目

根尾谷断層と資料館の見学。昼食は天狗そば。

地図から想像すると山また山というところを想像していたが、降りたところは山あいに開けた平たんな土地だった。ここも同じく無人駅で尋ねるヒトなど誰もいない。根尾谷断層への道筋はわからなかったが、三角の大きな建物があったので、これが資料館だろうということは想像できた。

思った通り、それは地震断層観測館だった。しかしその前に目に入ったのが、隣の喫茶店。名前がすごい!『マグニチュード8.0』 そんな名前をつけてだいじょうぶなんだろうかといらぬ心配をしてしまった。

国指定の特別天然記念物にも指定されている根尾谷断層のちょうど真上に出来たのが、この資料館。濃尾地震が、東海地方を中心に襲ったのが1891年10月28日。根尾村では全家屋1919戸の内、8戸を残して全滅した。マグニチュードは8.0、我が国内陸部に起こった地震としては史上最大のものとなった。

観測館には写真や当時の記録の展示に加えて、真上から地面を掘り下げた地層が断面として見ることができるようになっていた。垂直に6mにわたって岩盤がくいちがった断層から、その当時の振動のすさまじさが感じ取られた。

観測館から少し歩いていくと、実際の断層がそのまま残っているというので行くことに。最初はこれが断層というのがピンとこなかった。というのも断層の周辺はたんぼとなっていて、その間を道路が通っている。緑のゆたかな風景だったが、なるほど2〜3mだろうか、段差になっているので確認できた。一瞬にしてこのような断層が生じるとは、改めて自然の威力に圧倒されたのだった。

帰りの樽見鉄道の電車まで少し時間があるので、名物とかの『天狗そば』を頂く。名物にうまいものなしとはよく言ったものだが、なかなかいける味、そばと併せてわさびもピリッときいて大満足。


水鳥(みどり)発(出発14:03)の樽見鉄道にて大垣へ(到着14:58)。大垣から(出発15:05)岐阜、美濃太田を経由して飛騨金山へ(到着17:51)。

約50分の電車はのんびりしたものだった。風景も時間のようにゆったりと車窓を流れていく。大垣までの乗客は10名ほど、うれしいことにいつも座席に座れる。これが有り難い。もう年だからな〜!?

大垣に降りる際、770円を現金で支払う。切符でないところが面白い。大垣からは『青春18切符』を使うことに、もっとも樽見鉄道とJRは同じ駅内、となりのホームのJRに乗車。この時間だからだろうか、それとも始発だからだろうか、乗っている車両には数名ほどの乗客しかいなかった。ふたつの大きな川を渡って、岐阜を通過、さらに電車は美濃太田へ。

ここで約30分ほど次の列車が来るまで待ち合わせ。何もすることがなく、ホームでジュースを飲んでいたところ、向こうのホームに電車が停まっているのが見えた。その電車に乗ろうとしていたのは、なんと前日に米原駅の待合室でたくさん食べていたあの「女子大生ふたり組」ではないか!荷物もお土産を買ったせいか多少増えていた。もっとも声をかけるわけにもいかないし......そんな再会だった。

美濃太田からの車窓の眺めは右に左に川の流れを見ながらの楽しいものだった。途中で乗ってきたのが、高校生の男女のグループ。吹奏楽のクラブのよう。席がなく立ちっぱなしの彼ら。「手塚治の『火の鳥』、読んだ?」と聞いている女の子に、「いや、まだ」と答える男の子。初々しく、爽やかな会話に、ふたりの笑顔が眩しく、何かうらやましくなった。そうこう思いながら飛騨金山駅へ到着。


到着後、徒歩にて旅館へ。 

到着後、駅前の公衆電話から旅館に電話。道を教えてもらって通りに歩くことに。駅からすぐのところに流れる川、そこにかかる橋を渡ってしばらく商店街を抜けると、左手に曲がったところに、そこが『割烹旅館 福寿美』だった。

ガイドブックではふたつの旅館が書いてあった。ひとつ目のところへは、2週間ほど前、電話をかけたところ満室で断わられたのだったが、もうひとつのほうはOKだった。実はむしろその方が良かったのかもしれない。それに「割烹」という言葉の響きにも引かれるものがあった。胸は期待で膨らんでいく!

玄関に入ると、さっそく女主人が部屋へと2階へ案内してくれる。部屋の広さは8畳にテーブルと椅子の置いてある板張りのスペース。部屋の窓からは向いの家の2階部分が見える。テレビはSONYトリニトロン、もっとも12型のかなりかなり!古いものだったが、さっそくテレビを付けてニュースを見る。

女将さんがお茶とお菓子を持って来られたので、いくつか聞いてみることに。まず映画の舞台になった「白滝」のこと、そして「熊牧場」の存在について...。「白滝」はどうやら簡単に行けるところらしい、バスもあるので時間も調べておきますよとのこと。

ふたりが丘の木の下にメモを埋めたところ、それが金山の「熊牧場」にあるらしい、というのは『Yahoo岐阜』の掲示板からだった。それを確かめたかった。返ってきた応えは、もしかして「金山の森」のことでは...。ただ車でないと行けない距離で、公共の交通機関はないとのこと。残念。仕方なく今回はあきらめることに。そこまでは何でも数10kmの距離があるとか。

1階の風呂場へ。どうやら今日の宿泊は自分ひとりらしい、静かでジャグジーの湯が心地よい。そう思っていたところ、50代くらいのひとが突然入って来た。聞いてみると東京から仕事で来られたとか。何の仕事だろうかと多少興味はあったが、それ以上の会話はやめておいた。

さて夕食。民宿に慣れていなかったので、どこで食べるのかと聞いてみると、「部屋に運びますよ」とのこと、有り難い!ビールを1本頼んで、出てきた食事は...。「へぼ」というミツバチの子のつくだ煮、これはこの地方の珍味らしい。飛騨牛のたたき、アユの塩焼き、茶わん蒸し、なすの田楽、などなど。

 「この地域の学校は明日26日から新学期がスタートで、南のほうへ行くと通常の9月1日が始業式なんですよ」「『薄れゆく記憶のなかで』う〜ん、聞いたことがないね〜」そんな会話の中の豪華な食事だった。大いに満足。

その日の夜はなかなか眠ることができなかった。ようやく寝入ったと思ったが、夜中に目をさます。何か不思議な気配を感じる。それがわかったのは朝起きてまわりを見渡したときだった。

この8畳の部屋には実は自分を見つめている「18個の目」があった。ふすまのトラ、額の中の鳥、床の間の鳥のはく製、そして壁紙の着物姿の女性...。夜はまったく気付かなかった分、これにはビックリした。