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In Fading memory
 「薄れゆく記憶のなかで」
  ■INDEX
  ■旅行記第1回
    その1
    その2
    
その3
    その4  
    その5
  ■旅行記第2回
  ■旅行記第3回
one of my favorite movies.

薄れゆく記憶のなかで
In Fading Memory
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第1回岐阜・長良川の旅

旅ノートより


2日目

(出発08:40)市電にて忠節橋へ。
まず
岐阜北高校、続いて橋を渡って華陽高校へ。忠節橋をふたたび。

朝起きて、簡単に朝食。たまたま付けたテレビのワイドショーはほろっとさせる内容だった。実母を亡くした北野武のインタビューだったが、母親を語る彼の号泣の姿にこころにジーンとくるものを感じた。少し書いてみると......

彼が少し売れ出した頃、長い間会っていなかった母親とようやく会うことになった。ところが、せっかく会ったそのとたんに母親の口から出たことばは....「金をくれ」だった。武はその言葉に多少ショックを覚えたが、いままで苦労をかけてきた母親のことを思うと、それもやむを得ないのかなあと思ったそうだ。

やがて何度かその後も会うが、事あるごとに口にする母親のせりふは「金をくれ〜」だった。苦労してんだな〜と思いながらお金を渡す。こころの中では、金がすべてになってしまった母を寂しく思いながら...。

それからどれくらいたっただろうか。何かのとき、ふと見つけたのが母親の貯金通帳。そこには武がはじめて渡したお金から、以降ずっと、その度ごとに貯金の金額が記帳されていた。その総額はなんと一千万円にもなっていた。

実は、いつ売れなくなるかわからないからと、彼のために手をつけずに置いておいたのだった。子を思う親ごころからだった。そのことを知ったとき、武はこころを強く打たれたのだった...。

少し感傷的になったあと、いざ出発。支払いを済ませ、フロントに置いてあった無料の朝刊をカバンに入れ、ひとまず荷物を預けるためにJR岐阜駅へ。コインロッカーを探したが、なかなか見つからない。ようやく2階にあることがわかり、直行。それにしてもきれいな大きな駅。

荷物を預けて、新岐阜駅へ、昨日に続いて2度目の市電の乗車。乗客はと見渡すと、ビジネスマンが2人だけだった。そのビジネスマンも話の内容からすると、出張で来た様子だった。やがて2人降りてまったくのひとりに。忠節手前でひとりカメラを持った男性が乗車。

結局のべ4人しかこの区間を利用しなかったことになる。もったいないようで、申し訳ない。もっともガラガラの車両のおかげで、運転席のすぐ後ろから写真を遠慮なく撮れたのはラッキーだったが...。

忠節到着後、まずは岐阜北高校を目ざす。徒歩で道路をひたすら北へ。やがて右手に見えてきた。夏休みにもかかわらず登校している生徒も見受けられた。4階建ての建物、この学校のどこが映画で撮られたのか特定するのは難しい。ふとすぐ隣を見ると自転車置き場が。そういえば自転車置き場のシーンが映画で何度か出てきたが、ここだろうか?

校舎のすぐ南側を流れている小川をなんとなく眺めていたら、コイがうようよ。しかも色のついた大きなコイがかなりの数、群れをなして泳いでいたのは驚きだった。

次に向かうのは、忠節橋を渡ったところにある華陽高校。忠節橋は朝のすがすがしい光の中で輝いていた。橋からの長良川の流れもきれいだった。橋を渡り終え、右に折れてしばらく歩くと高校が見えてきた。ひとつは岐阜高校、前西武ライオンズの監督である森祇晶氏の出身校でもある。野球部だろうか、夏の熱い日射しの中で練習している姿が見られた。

でも今回の目的は、そのすぐお隣の華陽高校。同じ敷地内なのだろうか、それとも共有しているのだろうか。まるでひとつの学校のような雰囲気。川の堤防附近から見ると、ちょうど4階の教室が見える。もちろん今はだれもいないのだが、ここで授業のシーンが撮られたのではないだろうか、そう思わせるシーンが思い浮かぶ。教室から見る長良川の風景はどんな感じなのだろうか...。

長良川の川べりに沿って、忠節橋に向かって歩いていく。川の水は「青い」というよりも「蒼い」という表現のほうが正解だろう。美しい水がゆっくりと流れていく。アユだろうか、魚を釣っているヒトたちもいた。橋の上では何度も市電が通過していく。



忠節発(出発10:15)の電車で黒野経由、谷汲へ(到着11:08)。

忠節を出た黒野行きの市電はゆっくりと郊外へ向かっていく。のどかな田園や住宅風景。一直線の単線が続いている。1両で約20名ほどの乗客だろうか。20分余りで黒野へ到着。

ここで乗り換えて、谷汲まで。乗客の数はさらに減って8名となった。車中では子供がふたり、はしゃいでいた。そのすぐ隣りではおばあちゃんだろうか、うれしそうに孫を見つめていた。おだやかな時間の流れ。20分ほどで到着。

谷汲駅、ここは映画の中で2度登場することになる。一度目は、ふたりで山へ行った帰り、駅でお互い黙り合って電車を待つシーン。純粋な恋の中にあるふたりの姿が美しかった。

二度目はその10年後。和彦が「丘の木の下」での約束を果たすため、ふたたび山に行った帰り、同じく駅で待つシーン。そのときは時間を超えた哀しさのようなものが感じられた。

駅の表示はあの頃と変わらずにそのまま、そして駅の看板のとなりの植え込みも同様に...。ただベンチと石碑は見当たらなかった。映画のために持ち込みされたのだろうか。撮影は線路を超えた反対側からだろうと思われる。そのあたりに立ってしばらく想像してみるのだった。


谷汲山華厳寺へ。徒歩にて谷汲口駅へ(約4kmあまり)。

せっかくだったので、足を伸ばして谷汲山華厳寺にも行ってみることにした。もしかして映画の中に出てきたお寺の肝だめしの舞台がここでは...という期待もあって。

華厳寺へは、駅前の道を右に進んで、少し先の交差点を右に曲がった突き当たりだった。車でも行けるためか、参拝者は思ったよりも少なく、やや閑散としていた。ちょうど先を歩いていくのは、さっきの電車に乗っていたおばあちゃんと二人の子供たちだった。参道もお寺に近付くにつれて店も多くなり賑やかになってきた。こんにゃくや川魚の食べさせてくれる店もあった。

このお寺は歴史的にもずいぶん古く、延歴17(798)年の創建。1200年の歴史を誇り、西国三十三番満願霊場となる。階段を登っていくときの荘厳な雰囲気は、四国の八十八箇所と何か共通するものを感じた。本堂で少し休憩した後、少し降りて右手に通じる道を行くと、門を通してきれいな庭が見えた。ここで写真を何枚か撮る。涌いて出てくる小川の水は冷たく、心地よかった。

当初のスケジュールでは、これから飛騨金山へということになっていたが、時間的にもかなり余裕があったので、急きょ『根尾谷断層』へ行ってみることにした。タクシーの運転手の一言が思い出されたのだった。

電車の時刻を知るため樽見鉄道に電話をかけてダイヤの確認。12:40谷汲口発があるという、これにしょう! 

さあこれから谷汲口駅まで歩くことに。よく考えてみると名鉄谷汲駅から樽見鉄道谷汲口駅まではバスも出ているのだったが、あえて歩いてみることにした。ただひとつ気掛かりなことは、出発時刻までに約4kmの道を歩きと通せるかどうかということだった。

まわりは、たんぼとやや低い山がその向こうに連なりのどかな景色。小川が歩いていく道に沿って続いているのが目にやさしく、せめてもの救いのようなもの。炎天下、ただひたすら歩く。思った以上に長い道のりだった。

谷汲口発(出発12:40)の樽見鉄道にて水鳥(みどり)へ。

やや早足で歩いたせいか、なんとか「谷汲口駅へ」の案内標識が見えるところまでやってくる。足はいつの間にかかかとが水膨れになっていた、しかも両足に。

谷汲口駅は何もない駅だった。駅の横には以前使われていた車両がポツンと展示されていた。しばらくして、バスが到着、乗客はひとり。同じくカメラを持ったひとり旅の20代の男性。彼は駅に着くとすぐにその車両の撮影を開始していた。おそらく、鉄道マニアなんだろう。

やがて電車が到着。ワンマンの1両編成。乗客は?と数えてみると4人。電車は山間の美しい景色の中を進んでいく。いくつかのトンネルを通って、ようやく水鳥(みどり)駅へ。