書架新風


高尾恭子歌集『裸足のステップ』(現代短歌社)
・焼きたてのパンを抱えて闊歩する「おおきに毎度」の声ひびく町
・スタートのピストルかわいた音はなつ十月十日の空青かりき
・質問が詰問となり煮つまったカレーのような放課後の室(へや)
・熊蝉の果てし八月〈ぶっころす〉〈むかつく〉などの耳慣れにけり
・初春の日は昇りきて父宛の賀状どさりと喪の家に着く
・釣り糸を垂るる人影突堤の先に残して海暮れゆけり
・托鉢の列のしんがり三人の少年僧の頸すじ細き
・祝婚の三十九年目うしろから抱きしめられて夕日が赤い
・鴨川の飛び石ひょいひょい渡りたり初めて紅を引きし日のごと
・大阪のおばちゃんと括られ気がつけばヒョウ柄スカーフ三枚持てり

柘植周子歌集『寂光』(六花書林)
・世にあらぬ父の記憶は深藍のあぢさゐ咲きて往診の道
・イヤリングどこかで失くしてからの日々菜の花畑に生れ継ぐ蝶は
・曲り角いとたはやすき表示にて死への指図は暮れなづみをり
・あはあはと光陰ゆるる桜花(はな)のした被写体として亡きひと立てり
・断水の日々に届きし救援水アルプスの水由布岳の水
・しんけん度うすれぬままに手を洗ふ十指は十志水匂ふまで
・球体といふめでたさに鎮座して林檎の肩はやや右さがり
・表裏なき闇にわたせる雨樋をあふれやまざる雨夜のひびき
・足ばやに陸橋わたるゆふまぐれひさしく逢はぬ子をおもふなり
・一笑に付すとばかりに起ちあがる猫ゐてけふの日没の景

馬渕礼子歌集『百光』(短歌研究社)
・遊覧船に従(つ)きて舞いゆくカモメらの翼は白く海に閃く
・破魔矢持つ人ら過ぎゆく愛新覚羅木造旧居表札は無く
・裏返る耳やわらかく白くして春草の上に子犬寝そべる
・乗客はわれのみとなりしバスを降り城上(きのえ)の跡のみ社に来ぬ
・医師の操る液晶画面に浮く印(マーク)われの後さき癌ばかりなり
・飼い犬に流行ありて草の野に集う品種にスピッツを見ず
・亡き父と交流ありし清張(せいちょう)のドラマは桂林・ハノイを巡る
・坂下をしなう遮断機上がりゆき人らのたつき動き出したり
・わが夫を診察しくれし医師二人若きカップルとなり夕あゆむ
・灯台の野鳥の崎の翳りつつ白兎をなして岩に寄す波

森嶋郁子歌集『白き花房』(北羊館)
・見渡せば年下ばかりとなりてをり職員室の昼の語らひ
・宵つ張りの叔父卓行を起こすのは五歳のわれの大連の日々
・眼下(まなした)に海見はるかす喜望峰出しし葉書はふた月後に着く
・ちちははの眠れる石の闇に置く継母の壺の位置を言ひあふ
・引揚げの記念館に名をのこす高砂丸の五歳の記憶
・日傘持つをみなのモネに並ばせて館員が撮る夫とわれを
・椅子の背にかけられてゐるセーターが外出(そとで)の夫の咳き込むに見ゆ
・クロアチアのツアーのバスに銃弾の痕の著けき民家の続く
・付き合ひのなかりし従弟にけふ会へり四十年経て仲立ちは歌
・否定してゐし四歳がほめやれば名のりをあぐる椅子の落書き
・子が嫁してわが城となるこの部屋に真紅のパソコン輝きてゐる
・神殿の鎮もりてゐて下鴨の社に式をあげし日ありき
・三十桁の個体識別番号がホテルのメニューに記さる飛騨牛
・手をあぐるたびに安堵し孫を見るばはの国語の授業参観
・円舞曲ボランティアとして弾く息子その晴れやかさに和みてをりぬ

足立尚彦歌集『冬の向日葵』(ミューズ・コーポレーション)
・殺されて切り刻まれて串刺しにされて焼かれて百二十円
・鉛筆は投票のときしか使わないなどと選挙のたびに思えり
・占い師だった頃占い師のすすめで占い師をやめてしまった
・休肝日を設けはしたが休肝日以外の酒量が増えに増えたり
・散骨をしたあたりにて祈りおりむかし母なりし分子に原子に

桑山則子歌集『ゆかり』(角川書店)
・なにゆゑにかくもいとしき勾玉はわが失へる胎児のかたち
・思はざる位置に三日月冴えゐたり眠れぬ夜を勾玉おもふ
・をりをりにあがなひきたる勾玉のわが歳の数を超えてふえをり
・実を超え虚の美しき 水の面(も)に苗代桜いまを盛れる
・結集せよ大地の力 あつめたる小石の力 すべてを夫へ

松延羽津美歌集『水の神さま』(ながらみ書房)
・ストーブにケトルは音を立ててをり土曜の朝のゴールドブレンド
・コホロギの声聴くゆふべ孫たちは夏の宿題してゐるならむ
・羊水に守られ人は生まれきぬとプールに浮けば母ゆかしけれ
・空港に後ろ姿を見送れば息子は振り向かずゲートをくぐる
・三十年を過ぎ来し「黒髪三丁目」の官舎跡地に夫と佇む

橋場悦子歌集『静電気』(本阿弥書店)
・唇の端に残れる塩味をぬぐひて午後の会議へ向かふ
・壇蜜は嫌ひではない壇蜜を好きと言ひ張る女が嫌ひ
・絹豆腐掬(すく)ふ手首を涼しげと思ふ季節もそろそろ終はる
・信号が変はり次第の発車です 見えないそれが変はるのを待つ
・たくさんの光の粒のひとつぶに閉ぢ込められて夜の渋滞
・眼をつぶる方がこはいと諭されぬジェットコースターの先頭にゐて
・山間(やまあひ)を走る列車は降りるひとなきホームにも律儀に止まる
・終点を前に流れるアナウンス「次はすべてのドアが開きます」
・〈当職〉といふ主語による通知書に封をす切手の裏は舐めない
・ぬひぐるみみたいだなんて本物のパンダ見ながら言つては駄目だ

伊東一如歌集『蓬萊橋』(六花書林)
・音のなきことに気づきて外を見れば音をつつみて雪降りしきる
・教科書に日本歴史を学べどもわが青森はつひに出で来ず
・横浜から嫁ぎし母の婚礼でうたはれたるは「弥三郎節」
・〽こごの親だづあみな鬼だこごさ来る嫁みなバガと、うたひたるらし
・円覚寺の墓所をおとなひ手をあはす開高健(たけし)五十八歳
・捨聖・一遍の像あまたあれど清浄光寺の面立ちぞよき
・「蔑」の字の点は斜めか横一か校閲部会の侃侃諤諤
・「らくさい」と打ち込まざれば「洛西(らくせい)」の文字の出でざる電脳哀し
・正座して両手を添へて襖あけ姿消したし世を去(い)ぬる日は
・どこまでもおのれむなしうしてゆけば風になれるか雲になれるか

奈良橋幸子歌集『こゑのゆくへ』(六花書林)
・遠天をしら雲流れ畔の道ほつほつほつとふきのたう生ふ
・羽たたむ鳥ありひらく鳥もあり風に乱るるゆふべの沼に
・見舞花只見の奥のひめさゆりうすくれなゐをよろこびましき
・たまきはるいのちの際に記されし歌二首きみの息の緒そよぐ
・梅めづる女人ふたりの伊予ことば梅花の下をやはらかに過ぐ
・男(を)のこゑの一語一語がとびはねてなりはひ明るし青物市場
・人の世でたんと生きたといふやうに目つむる犬のゐる秋の庭
・リクルートスーツを着たる一群のをとめにをとめの闘志が見ゆる
・逆様にぶら下がりたる鉄棒の男の子三人、笑ふ蝙蝠
・日月を経てなほ残る調度品火鉢にかざしし手は大きいか

梶原さい子歌集『ナラティブ』(砂子屋書房)
・とことはに学生のわれ「学校さ行つてきたが」と祖母に問はれて
・跡継ぎを持たぬ田畑と跡継ぎを持てる田畑が畔(くろ)に分かたる
・走るたひ小さく打ちけむランドセルその持ち主のやはらかき背を
・戦争がいつ終はるかを知りながら読み進めゆく戦中日記
・シベリアより戻りたるのち裏山にあまたの杉を植ゑし祖父なり
・連なりて白鳥わたるこの今も原子炉建屋にひとの働く
・十時間目は「国語表現」昏れてゆく夜に教室ひとつ浮かべて
・屋上より向ひの屋上見てゐしと 波来るたびに人流れしと
・十年だねと院長が言ひお陰様でとわたしが言うた 暖かき部屋
・わたくしの右胸にメスを入れしひと十年分を老いて笑まひぬ

小林幹也歌集『九十九折』(飯塚書店)
・救急車の音漏れ聞こゆ在校生送辞が半ば読み上げられて
・太鼓橋少し大空持ち上げて確保してゐる神の通ひ路
・焦がれ死にたる御霊か邪気かどこまでも遊覧船を追ひゆくかもめ
・青春はベッドの下の鉄唖鈴、覗けば昏く定位置にあり
・桟橋の上より霧が濃くなりて世界のはてにゐる寂しさよ
・犬橇に牽かれ記憶の果てに消ゆ植村直己の丸い背中よ
・日陰にてペットボトルの水ごとり落つる音より夏始まれり
・足へぐうとよぶんの力込めて立つぶあつい本をコピーするとき
・父の失業知らざるわが子満面の笑みにて迎ふパパおかへりと
・しばらくはお金の心配いらないと妻はささやく子を寝かしつけ

やまたいち歌集『バルカン半島より』(短歌研究社)
・「ピボ」というはビールのことと聴きてより巷たのしき色彩となる
・安宿(ソベ)ありとつげる女のあとをゆけばストーブの部屋にマット一枚
・「あしたまたな」と手をばかたく握られて心残して居酒屋を去る
・案内所に、日本人がたくさん住んでいる、と教えられれば行きて見んとす
・尋ねゆき捜しあてたるブザー押す、うさん臭がられしがやがて開けられ
・教会に人集いおればまぎれ入り歌をうたいて帰るたそがれ
・ベッドにいて今日のひと日を想いつつ遠い市電の音をきくなり
・バザールのイチゴ赤黒く熟したり一キロ買ってジャムをつくらん
・イチゴジャム作り方をば尋ぬれば手伝いましょうと言いくれしかな
・村人のトラクターに声かけられ駅ちかくまで送られたりき
・五月半(なか)はやくも白夜の気配なり二十一時の空暮れなずむ
・緩やかな流れに架ける橋ありていちめんに鍵ぶらさがりをり
・結婚の誓いに堅く鍵をかけときおり二人で見にくるという
・VISAカードで現金引き出しあれこれとスーパーに入り物色するなり
・バス停はと問えば欅の木の蔭にポストが立って「タルトゥ行」とある
・煉瓦壁古き教会の椅子にきて朝の祈りに加わりたりき
・車内にて切符買わんと銭かぞえおるときぎぎっと、カーブに転倒
・銅製の杯(はい)に蛇からむ看板は一四二二年創業の薬局
・薬効あるシナモンビールを飲みたればかすかに甘き蜜入りなりき
・はるかなりし中世霧の彼方なる食の豊を想いおりたり
・身のせまきシングルベッドの個室なり、シャワーを浴びてカフェバーへゆく
・雨過ぎし広場に出れば銅像のナヒモフ提督海に向き立つ
・ワイン一本ビール二リットル入り瓶で宿の夫婦を庭に誘い出し
・こころみに「カチューシャ」唄えば声合わせ思わざる日よ歌声酒場
・「ともしび」を唱えばわれの日本語(につぽんご)かれらロシア語の合唱となり
・乗れという黒のベンツがタクシーなり、「ホテル・パサージュ」と告げて乗りたり
・正面に着ける初老のドライバー、ドア開けて立ちわれに一礼
・明りうすきフロントにきて、部屋代は四千円程なり滞在証明もつく
・何ビルかと寄れば〈National〉の文字のこる荒れにし日本の会社跡なり
・傍らに桑の木あれば子供らは登りて桑の実を食みており
・著名なる文学者の名を冠したるキエフのオペラ劇場に来たりき
・いつの間にオペラファンになりにしか夏至祭ちかき東欧に居て

やまたいち歌集『雪蔵(HIMALAYA)より』(短歌研究社)
・紫に暮れゆく谷の彼方にはヒマラヤ連山あかねに浮きて
・日本食の店「風の馬」宿近く久しぶりなるえどんを食いき
・争いを厭いて来たりしものなるかこの極限に人は住みたる
・ヒマラヤの夜の一人道危険なり妖かしの出で谷に引かると
・ヒマラヤの峰より出でて珊瑚石むかし海底の証をのこし
・里遠き院に一夜のやどりして夕べの勤めに加えられにき
・経よむすべあらざりければ教わりしままに太鼓を打ちつづけたり
・ラマ僧ら寡黙につどう夕餉にてとぼしき食(じき)を賜れりけり
・喘ぎのぼる岩みち陽ざしの強ければたちまちわれの血尿となる
・時と場所うつしてふたたび語りあう照る日にむかい岩山か゜ある
・十二人相乗るジープすし詰に峠へむかう星のふる夜
・前輪を崖にはずせし軍用車、後続のものら連なりて待ち
・大いなる象の背に乗り象飼は象の鼻から喜捨をうけとり
・馬鈴薯の袋つみたる驢馬二頭やさしく耐える目をしておりぬ
・相客の犬と山羊とを乗せるバスその糞尿も運びて走り
・無事とだけ書いてよこせと諭されき今日一便をしたためており
・魔の住むと村人怖れ近寄らぬ谷を見出せし英人のあり
・一千種をこえる高山植物の宝庫と書きて人に知られる
・夜も更けの声をあやしみたどりゆけばシーク教徒ら部屋に呑みおる
・床(とこ)を降り瓶を囲んでのみおりきスコッチなりにき中に招かる
・帰るさに細き腕輪を贈らるる、勇気と力を汝に授くと
・客去りし茶屋にもどれば火残りて羊の肉を煮てくれるという
・五〇ルピー無視して走れば百ルピー百ルピーと叫び追いかけてくる
・ドアー閉めてステップを上り行け行け(ゴーゴー)とわれの叫べばバス行きたりき
・忽然と学童たちの消えうせて山下る道を霧の手がおおう
・連れ去られし兄を求めて出でしかどそのまま帰らざるZ・らいまん(三十六歳・作家・映画監督)
・ダッカ大学教授R・ハッサン同居の友人と共に拉致され行方不明(三十九歳・英文学者)
・「理性・直観・実在」の哲学を講じおりしがG・デーブ学園祭に虐殺され(六十四歳・哲学者)
・地域復興に努めおりにし政治家実業家K・ゴシエも虐殺さる(八十三歳・弁護士)
・十四日朝S・カーンを連行し殺したる裏切り者らを「軍協力者」と呼ぶ(四十五歳・大学講師)
・女流詩人セリナ・パルヴィン殺されし十二月十四日という運命の日(四十歳・ベンガル文学研究者)
・ベンガル語回復運動の活動家S・カイザー同じ日連れ去らる(四十四歳・ジャーナリスト・作家)
・パ軍の残虐行為を報じしがゆえ捕えられ帰らざりN・アーメドは(四十二歳・ジャーナリスト)
・宿舎より誘拐されしA・パシャら知識人として一括殺害され(四十三歳・評論家)
・六人の兵に襲われ捕えられしレジスタンスのM・ラビ十五日深夜殺さる(三十九歳・心臓病学舎)
・心身を病みておりしがM・チョウドリ独立の朝に拉致殺害され(三十九歳・大学教授)
・切断され体のこしたり解放運動を支援しおりしG・アーメドは(三十六歳・歴史学者)
・ディマプール、コヒマ、インパールと夜行バス呼び込む声にふと涙わく
・真夜中にドンと爆竹の音走りま近に新年の喚声あがる
・霧の中にブーゲンビリア咲く街は今朝すこし冷えて衿巻の人

松本実穂歌集『黒い光』(角川書店)
・機関銃四本の前を通り過ぐ斜め下に向く銃口四つ
・息を止めてゐたと気づけり半押しに焦点が合ふまでの十秒
・光線を抱いて回転する人のその恍惚を捉へる恍惚
・子の命抱きて海を渡りしに不法移民の不法とは何
・盗難のリスト打ち込む細長き指に光れる緩めのリング
・フランス語の間違ひだらけの供述に間違ひなしと三度署名す
・五時間を滞在許可証申請の移民の列にわが並びゐき
・〈Mission vigipirate〉(テロ特別警戒)パトカーのミラーより見られてをらむ三叉路にゐて
・それぞれの村にひとつの教会のやさしく建つが車窓より見ゆ
・さかさまにマリアンヌ像は歪みをり水の鏡となれる広場に

髙橋啓子歌集『自己増殖』
・しっとりと雨が夜道をぬらす町タクシーを待つ列に並ぶ
・かたちよく爪にゆすりをかける時ふと浮かんでくる自立という文字
・昼休みの職場の風景 鳴りやまぬ電話に応じる気配はない
・真紅のマニキュアを塗り判断力ゼロに近づけ操作するキー
・名を告げず社名を盾に話す時尊大になる語尾がすこし
・炎天下の暑さを知らぬ者たちが冷えたビールで乾杯をする
・草刈機エンジン全開人の声うぐいすの声の聞こえなくなる
・私の左の肩に手を置いて石段を登るちちはゆっくり
・年末の多忙の外側 病室に母とむきあうひとときがある
・手間をかけ育てた稲が穂を垂れて晩夏の風にいまゆれている

江原登美子歌集『風の子』(角川書店)
・夕立が来そうで来ない農園に夫の出で行く麦藁帽子
・角多き人と共なる日日なれば風に柳のわれとなるべし
・オカアサンワタシヲ画イテ人形が云うおどろおどろの刻の間のあり
・ふり仰ぐ銀座の夕空これの世をふと太平法師(だいだらぼつち)覗き込まぬか
・髪を染め少し若やぎそれだけのことにて足りる明日は彼岸会
・修理せる古きミシンの調子良くわたしの長き伴走者なる
・女狐に息子(こ)は騙されたりと老いの言うその女狐がゴミを捨てに来
・すぐそこが歩めば遠い農業祭道の花ばな眺めつつ行かん
・まなさきにゴッホのひまわりセザンヌありビル四十二階の私の充実
・二週間前まで畑を共にせし 言うまいあなたは逝ってしまった

エリ歌集『スタンダード』(六花書林)
・罪だとは思いもしない恋をして夕暮れひとりの人を待ちおり
・硝子ごし光の春を背に浴びて三毛猫はは等身大の夢
・蓮の花茶、実の砂糖漬けここもまたブッダのもとに寄りあう国か
・振り切って駆けこむ木立ほんとうは追いかけてきてくれると信じて
・波音に厚みのあると気づきたり加計呂麻島 渡連浜に泊まって

小谷博泰歌集『河口域の精霊たち』(和泉書院)
・花虻はホトケノザに来てとまりたり三千世界のここがまん中
・港から低く聞こえて唸るようなサイレンの音ぱたと止みたり
・草の上にシートを広げる園児らのランチタイムか百年生きよ
・橋脚にテニス・ボールを打つ音が聞こえてあたりは菜の花盛り
・ベンチごとに老人ひとり座っていてどれか一人が僕のようだよ
・永遠の栄耀栄華がなんであろ白いベッドで死ぬ夜明け前
・遠くには赤いサツキが咲いておりわが愚かにて懐かしき日々 
・花水木白きが咲いて鳩が鳴く 眠ったままで目ざめぬもよし 
・橋の上を子ども神輿(みこし)が過ぎて行く青葉若葉の汗ばむ季節 
・通勤の電車で疲れた多くの夜きょうは真昼の電車で疲れ 
・サイレンを聞いて家から駆けだしてきた人たちに火の雨が降る 
・この古い博物館にはいつか来た、わが不確かな記憶のひとつ
・鶏が一羽来て庭でコーココとつぶやいており地面ついばみ
・ぶらんこが少ない公園、「恋せよ」と歌って昔、モノクロ映画
・雨が洗うアスファルト道にうつっている逆さの電柱 遠い日の空

筒井幸子歌集『ならやまの月』(ながらみ書房)
・夕空の茜に沈む高層のビル群のなす柱状列石(ストーンサークル)
・冬池の寂しき水面しづまりて虚空に刺さる鉄塔うつす
・街空にゴジラ出現夢見たる少女よ今日は雷雲を待つ
・慈姑剥く歳晩がまためぐりきぬ今年の慈姑少し大きめ
・楠の千年椎の五百年映す水面に吾が顔うつす
・いつになく夜汽車の音の近々ときこゆる夜なり家棄てざりき
・松の木は伐り払はれて谷間(たにあひ)に星座のごとく光る切り株
・生駒・信貴、金剛・葛城やまなみは盾のごとしも河内海風
・背をそらし見上ぐる空を高々と鳥一羽ゆくラジオ体操
・古手紙古写真など映画なら庭で燃やさむ昭和は遠し

飯沼鮎子歌集『土の色草の色』(北冬舎)
・帰り来る子にあらざれど思うなり奄美の浜をゆくゴム草履
・塩辛い風があの子を運んでいったガジュマルの根に覆われし島
・荻野神社賽銭箱に届かない五円玉がきらきら転ぶ
・肩車されているわれ夢のなか父の頭を撫で回したり
・魚を揚げる臭い入りくる窓を閉めローマの古きホテルに眠る
・テーブルに置かれた眼鏡よこの部屋に起こっていること映さないでね
・帰りたい帰らせてくれと繰り返す碁笥(ごけ)より石を取り出しながら
・妻と子の名さえ忘れて眠りおりエアコンの風にそよぐ顎鬚
・繰り返しわが手を探り触れんとす微か残りていたる力に
・わが膝に父あたたかく置かれあり桐ヶ谷斎場を出でし車列に

髙橋みずほ歌集『ひとふりの尾に立てる』(砂子屋書房)
・にわか雨の上がる気配に蟬声のわきだしてくる夏林
・電車から力士降りればなんとなく振り返りつつ人らはなやぐ
・遊びつかれた足指につままれた下駄の音
・ときおり蠅をはらう耳もつ牛のほうけるような顔の骨格
・八幡さまの石段に手合わせて頭をたれてゆく土地のひと
・栴檀の実のたるる空を映しとり水甕深くしずまりぬ
・梅の花黄の蘂にある香りかなとおくむかしの春がまたくる
・的へとからだのりだす瞬時に人馬の息も矢のさきにある
・ながきながき系図の切れに養子つぎつぎてなお直系
・青竹ののびてしなる風音の気高さという形なきもの

 


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