書架新風(上半期)


三井ゆき歌集『水平線』(角川書店)
・砂漠には砂漠の思想おもほえばキャラバンサライに見あげたる空
・子の出立ととのへたりしタンポポのまろき綿毛のはればれしさよ
・触れみたき羅紗の意匠の朝日影前田の殿の陣羽織の背の
・四人用ゴンドラなれどわれひとり扇状地帯の町を見下ろす
・夕やけがつばさを広げ呼ぶからに椋鳥も雀もねぐらへ帰る
・好きなやうに生きてよき日の晩年のわれは馬上の人となりをり
・恋愛の進行状況たづぬればまかがやくといふ表情を見す
・ド演歌を好みし髙瀬兄弟はこよなく日本を愛したりけむ
・姫昔艾(ひめむかしよもぎ)は近代そのものの御維新草鉄道草明治草なり
・菜の花のあかるき彼方亡き祖父母にこやかにして春の宴す
・「レ・ミゼラブル」「ジャン・クリストフ」も再読しひとりしづかな夜をすごしぬ
・カヌーにて行きたき川やガンジスの夜明けのひかり胸に受けつつ
・会員番号は入会順なりわたくしは昭和三十四年の一〇四二番
・逃亡者リチャード・キンブルに肩入れをしてゐし夫をおもひだす秋
・夕ひかり街やいらかや草の原荘厳したり心ゆくまで

山田恵里歌集『秋の助動詞』(六花書林)
・ガンガラと派手に蹴られしロッカーは今叱りたる我の身代わり
・暗号は解読すべし 生徒らがブンブンと言えばセブン-イレブン
・まっさらな祭壇まっさらな柩死はいつだってまっさらだから
・焼酎の海から外を眺めれば覗いて揺するおばさんがいる
・魚(うお)呑みて首長竜は振り返るぼちぼち腹に着くころかしら
・まなこ閉じ角曲がるとき思い出す恐竜の尾の揺れる体感
・キッチンで新聞読みいる我がつむり通りすがりに撫でる人あり
・飛ぶことは案外面倒かもしれぬカラスがトツトツ車道を歩く
・海岸をバックにZoomで講義する夫のうしろでブラウスを干す
・アクリル板隔てて話す面談に「刑務所みたい」と笑う生徒ら

森川多佳子歌集『そこへゆくまで』(角川書店)
・癌を病む人しか来ない乳腺外来ともだちのやうにみな会釈する
・父のこゑ録(と)らうかと思ひ録らざりき死後の準備をするやうで怖くて
・腕くめば腕あたたかし途中から夢と知りつつ亡き父の腕
・空襲は〈空爆〉だつた ドレスデンも東京も悪の国として焼かれき
・身障者の姉なるわれは矢も楯もたまらず来たり津久井やまゆり園
・身障者あまた刺されしやまゆり園にひとはとぎれず来て唇(くち)を噛む
・有用無用の序列さまざま線引かば刃は明日あなたにも来る
・赤い頭巾のなにかも知らず仰臥せる弟に還暦の紙ふぶき降る
・守りくるる人あり園ありさればこそ今日生きて在るおとうと 尊し
・甲は死者乙は負傷者やまゆり園死者十九人は甲のA、B
・うちの子は甲Aではない「美帆」といふ名に生きし子をとりもどす母は
・川へだてそつちの小雨は黒くない被爆原告十六人の死
・十七人に一人がヤングケアラーといふ親ガチャと言はず親を看る子ら
・知つてる声だうれしい声だ おとうとに笑ひこみ上げわれらは泣きぬ
・弟のただひとつ嬉しい記憶ならむ赤子の耳に聞きし母のこゑ

東野登美子歌集『ひすとりい』(角川書店)
・士(さむらい)魂 掲げて闘うこの国の八割強は〈農〉民だった
・地の果ての赤い小僧の赤い目がじーっと見ている暮れ方である
・障害を持つ子を産むなという識者 生まれてそして生きている娘よ
・ホーンテッドマンションなのかうしみつに必ず一度叫ぶ子がいる
・初めての誘いは奈良の奥山の知らない寺の実測調査
      子どもの〈指さし〉は、コミュニケーション能力重要な指標
・〈指さしができるか〉を問う健診の一歳半で時よどみたり
      平成から令和へ。ゴールデンウイークは十連休となった
・作業所の送迎車から降りてくるあなたが静かでありますように
・君がため百人一首を思いだしナガクモガナと車椅子押す
・スプーンを何度も口に差し出せばヒガシノサンモタベテと言えり
      娘は小学六年生だった
・特例ですよ!校長に苦笑いされつつ添いし修学旅行
・どちでもよいのだけれどひとときの夫婦円満がんばれキョジン
・我らよりたぶん先まで生きている娘の住み処を探し始める
・ショートステイ一泊二日を申し込み 親と子 別れる準備をしよう
・はじめてのショートステイを終えし娘(こ)と眠れば腕を絡ませてくる
・国道の真ん中をゆく自転車を見ればかあさんあなたの横顔

髙田マヤ歌集『清浄歓喜』(本阿弥書店)
・「寅さんの映画でよく見るあれは何」公衆電話をしらぬ子らなり
・視界占むるお濠は浄き睡蓮の欣求浄土のすがたなりけり 
・家持も西行も鳥を詠みしかど雲雀・鴫など煮焼き食せり
・「居間の時計止まつてる」と言ふ六歳に「夜が来んよ」と三歳が言ふ
・阿弥陀様の絵を描きくれし四歳の〈ほとけちま〉とふ添へ書きのあり
・生まれたる児と三歳になりし児は誕生日同じ姉と弟
・公園に子らの吹きたるしやぼん玉桜花の空にまじはりにけり
・文化財保存とふ修復始まるも故郷の土蔵誰も住まぬに
・慶讃(きやうさん)を終へて法衣を畳みゐし僧侶の所作の美しかりき
・揚羽には同じコース飛ぶ蝶道とふ道ありと知りて親しみを覚ゆ

水野昌雄歌集『冬の星座』(いりの舎)
・地下鉄より地上に出でて思案をす車ばかりが絶えまなく行く
・知る所互いに異なり埒あかず渋谷駅で会おうと決めしそのあと
・公園は薄氷張る寒き朝カップの汁を待つ長き列
・メニューを渡されて目を通してゆくカレーライスと決めてはいるが
・六千度で出発してわずか四十度太陽としては長い旅ではあった
・ゆったりと馬乗せてゆく馬輸送車人間はびっしりとつめ込む電車
・五本指の靴下面倒ながらはく小指は時に存在を示す 
・店屋ものの器はドアのわきにあるアパートの二階の廊下を歩む 
・ゆく川の流れは絶えずなんていえぬコンピューター操作してゆくは堰 
・新聞の本体よりは多きチラシひと通りはめくる朝のひと刻 
・年金で入れるホームがないなんて腹立てながら案内を見る 
・駅はみないにしえよりの因縁を慈しみ馬を偏として書く 
・ズボンにて少しこすりて皮のままリンゴ囓りし日も遠くして 
・風を切り坂下りゆくハンドルを握りて他愛もなき快感よ 
・父も母もわれより若く奉天を背景にして小さき写真

川上慈子歌集『Heel』(短歌研究社)
・陽を透かし若葉が風に揺れている三十代女子と呼ばれて
・太っても着られるように友が縫いしわれのドレスはウエストがゴム 
・無名なる曲をスキップして学ぶ生徒もうピアノに潜らない
・ぐちゃぐちゃに泣いている顔が可愛いと言いくれし母の棺を覗く
・Heelにはなれないけれど漆黒のルージュ濃く引く出勤の朝
・軽々と投げ飛ばされる女子レスラー乾いた音がマットに響く
・終(つい)の場所と確認したるホスピスで父は歩行の練習始む
・買い足したグリーン豆を収納す一人暮らしも十八年目
・感情を重ねることが難しい家族だったねハマグリを焼く
・父母の墓石に太陽降り注ぐ一人子われのうつつ眩し

楠田清美歌集『石垣の家』(短歌研究社)
・桜島望める大地に建てし家停年近き父母の家
・君影草その名に惹かれ母と来て春の植木市に一鉢を買ふ
・亡き父の輝きし時代(とき)を過ごしたるこの鞍山にわれは生まれたり
・わが生まれし鞍山の病院尋ね来て若かりし日の母を思ひぬ
・庭草取れるを今の幸せと穏やかに語る米寿の母は
・家を守りゐたりし母も娘の家に老いて身を寄す故郷遠く
・「桜島(しま)見える部屋とりました」と宿の人の声に安らぐ墓参に帰りて
・喜びも悲しみも記したる日記帳シュレッダーは刻む均しき音に
・破棄すれば二度とは会へぬ思ひ出と数冊残す青春日記
・去年の秋ニュージーランドに拾ひたる紅葉(もみぢ)が日記の栞となりぬ

萩岡良博歌集『漆伝説』(本阿弥書店)
・休みいただきたし今日は下痢と書く届け出ぶみも宝物(ほうもつ)である
・正倉院文書に残れば村名の糞置村も宝物となる
・雪置きし白田(はた)の白菜生首(くび)のごと並ぶ斜面の真白き時間
・ははそはの亡母(はは)の簞笥の桐匣にわが臍の緒のしまはれありき
・ほたる舞ふ美田つぶしてびっしりとソーラーパネルを敷きつめにけり
・後翅(あとはね)ををさめそこねて甲虫はすこし間抜けに歩みをりたり
・プータローと名告るほかなく葛の葉のらからと鳴る野の径歩む
・俺のことか「パンツ洗ふな」浴場の入口ドアに貼り紙のあり
・ながき夜のベッドに背を向け妻避けしルイ十六世の包茎かなしも
・枯れ尾花靡けりおやぢおふくろのゐないこの世のさみしい風に

水門房子歌集『ホロヘヘトニイ』(ながらみ書房)
     千葉県警察学校同期生の水嶋くんが亡くなった「
・自撮りした彼の写真に迎えられ/不思議に泣けない/五月の夜は
・ぬばたまのシンガーミシン/母さんがつくってくれた/リカちゃんの服
・母さんと揃いの服着た/アルバムのあたしは/いつもしかめっつらで
・本部長決裁なんて五年ぶり/白いボウタイブラウス/ひらり
・マジックがなかなか点かず/それでいい/そんなロッテが好きなのだから
・内定をもらった会社いまはなく/「三越前」/から歩いて二分
・ちちははが職場結婚した会社/わたしも内定もらった/会社
・「潮風のメロディ」「純潔」/「17才」/南沙織の爽やかな夏
・さっき二軍で試合に出てたあの選手/夜もスタメン/ロッテの不思議
・もう別の投手(ひと)がつけてる背番号/引退試合もなかった/あの秋
     一昨年 大谷智久投手 引退。

永田紅歌集『いま二センチ』(砂子屋書房)
・踊り場のカーテンを母が開くる音に目覚めし朝がこの家にありき
・自販機の内側ときにひらかれて通りすがりに覗くことあり
・こんなにも喧嘩しなくてよいのかと寝ている鼻をつまんでみたり
・エレベーターの降下時間を見計らい窓辺に寄りて君に手を振る
・論文の小舟を乗り継ぎながら往く研究生活十六年目
・横向きに鏡に映す 身籠りし女たれもが見つめし形
・八か月実験をしていない手に子を抱き研究室(ラボ)へ見せにゆく午後
・唐突に東京の人は訊ねたり必死のぱっちのばっちって何?
・キムワイプで鼻をかんではいけないよ ラボで泣きたいことがあっても
・学生のわれを知るひとり事務室の西村さんが退職する春

森直幹歌集『蟬のシエスタ』(六花書林)
・踏まれるとわかっていても霜柱、公園はまだ君のものたよ。
・信念は貫くべしと言いたげに雪にはならぬ雨の冷たさ
・全身に冬をまとった飼い主が犬に連れられ散歩している
・爪立ててデコポン剝けば香り立ち指先にまで春が溢れる
・北向いて電話ボックス立っているどこでもドアの残骸として
・甘藍(キャベツ)には甘藍の時間その上を紋白蝶が数頭遊ぶ
・出番などもはやあるまい筒状に丸まっている卒業証書
・精神の拠りどころとして立っているスカイツリーの今宵のの青さ
・コンビニの梅おにぎりに種はなくコアとなるものないから売れる
・不用意に立ち上がるとき目眩して社会が少しまともに見えた

現代短歌文庫『本多稜歌集』(砂子屋書房)
・オーヴーハングの下にて待てばカラビナに伝はりてくる来いという声
・草枕旅の時間を金で買ひ何を納得したいのか我は
・留年を覚悟の上で出立す世界失ふ予感したれば
・大陸の列車は暮らすものと知る日に日に床に増ゆる生ごみ
・旅先の見知らぬひとの幾人(いくたり)か見知らぬわれを泊めてくれたる     以上『蒼の重力』
・断崖の道を行き交ふ人に触れ岩に還りてゆく仏たち
・勢ひを増しつつ南よりの風雲取山が雲吐き出すぞ
・慌てて肺を縮めて沈む一枚のわれより大きマンタ来たりて
・登るほか何も出来ねばもろもろの用なきことを思ふはたのし
・コトパクシが決めたることと思ひたし山頂を目の前にして去る    以上『游子』
・尊敬のまなざしでわが歯磨きを見つめおるなり腕に抱く子は
・項羽はた劉邦かこの隈取りは 泥合戦の子の面構え
・「まめー、まめー」とはもう言いてくれぬなりことば覚えてきっぱりと「ダメ」
・ヤッホーと五歳叫べばやっほーと先行く人ら返してくれて
・葉が隠しきれなくなると山頂と教えてやれば空見てあるく    以上『こどもたんか』
・チームワークを勧めてゐしにいつしかに椅子取りゲームに変はりてゆくを
・しよんべんのアーチ競ひて兄弟が四万十川に別れを告げぬ
・素足にてチャンドラギリの岩登る土踏まずにも風をやどして    以上『惑』
・中学の参観日父は来たれどもどつか行けよとオーラを放つ
・「ここは今日から女の子の部屋ですからね」扉閉ぢたりおそらく永遠に    以上『六調』

小谷博泰歌集『三千世界を行く船』(飯塚書店)
・知らぬ間に河津桜の花ざかり紀伊半島がうっすらと見え
・花にひらひらひらひらと飛ぶついさっきサナギの殻を脱いできた蝶
・ひげがゆれる大きな顔を近づけてゴキブリわれを見おろす、夢か
・苦いにがいブラック・コーヒー飲もうとも我の昭和にアバヨができぬ
・真昼間に昭和の浴衣の子どもらが道をかけゆく 戦争がきた
・貧弱な水族館でデートした相手とのちの長い年月
・石段の匂いをかいで犬が行くにおいのなかに生きるものたち
・水にくるくるペットボトルが回りいて岸辺にあわく残る夕映え
・うたた寝のさめればそばに妻がいてああ一炊の夢と気づいた
・垂れさがる黄色いダチュラの花のしたカナヘビが這う右へ左へ

 


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