書架新風


現代短歌文庫139『前田康子歌集』(砂子屋書房)
・田植えせし男の足跡丸くありそこに泳げる蝌蚪を掬えり
・寝そべりて本読むときに圧(お)されたりふたつの胸はたぷたぷとして
・満点の答案用紙仏前に供えられたり果物の香は満ち
・自分より年下なるを喜びて幼子は飼うおたまじゃくしを
・空気屋と子が呼びたるは赤き字で「空気拾円」と書く自転車屋
・水の重み知りたる櫂がぽっかりと水に浮きたりもう辞めたいと
・自意識が目に見えるなら全身が穴だらけだろう向こうが見えて
・雪のごとパン屑投げて寂しさを水鳥たちに押し付けてみる
・パトロールの腕章つけて歩くときどんな目つきがいいかわからぬ
・風呂場にて子は神妙に始めたり戦艦大和の進水式を
                                   以上『色水』
・陽の匂い深く吸いいる藤製の婚礼家具にしばらく見入る
・コーヒーの缶にためてる吸殻が雨の日匂う早婚の匂い
・超音波画像に揺れおりこの子は見られいるとも知らず揺れおり
・産道とうこの夜で一番やわらかく短き道を今も誰か行く
・家族の無数の足跡消すのだろう雑巾持ちて床にかがめば
                              以上『ねむそうな木』
・夕立がやめば涼しい路地に立ち赤子に空というもの見せぬ
・うつくしき色紙のごとこの子らの診察券をそろえて持ちぬ
・母なればジャングルジムに登りたり比叡の先が少し見えたり
・乳房がふわりと浮ける感じしてブランコに立つ 妻なり昼も
・換気扇の中から電車の音がする不思議な部屋に棲み始めたり
                             以上『キンノエノコロ』

田中とし子歌集『風に押されて』(青磁社)
・飛沫浴び小雨入り来る舟下り見知らぬ客の訛りも乗せて
・「おばあちやん頭かたいね」ゲームあと孫がこつそりその父に言ふ
・新聞に今日また児童虐待死キラキラネーム付けられその子
・風通る縁側に並び西瓜の種飛ばし合ひたり弟もをりき
・「いいですか」空席を問ふ紳士より煙草の臭ひが先に座りぬ

谷光順晏歌集『空とかうもり』(短歌研究社)
・迅速にひとりの命処理されて遅れし電車はいきほひづき来
・しつぽなど残してゐないか降りぎはにふり返り見る座席のあたり
・平和とふまくらことばにそはありぬ祈念の憲法やまとうるはし
・雪残る斜里岳バックに母を撮るこだまのやうなくわくこうが鳴く
・ゴムまりのやうにはづめば楽しかろ そろりそろりと段を降りゆく
・もうゐないムクとの道草おもひ出す嗅ぎわけたしかめ先導せし犬
・駆けこみし女人のかなしみ漂はせ縁切り寺の白梅紅梅

江田浩司歌集『孤影』(ながらみ書房)
・ごむ靴のさきを濡らせる夕霧がまだもう少しあゆませる街
・形骸といへばいへるが梁に吊る雨衣(うい)おのづからにほひたちたり
・はだ寒き川のほとりに佇めばこころはかよふ弱きひかりに
・外灯の明かりとどかぬ辺りから咲(ゑま)ひのごとく水の音する
・誰のものとも知れぬ石碑にあたたかき日のふりそそぐ冬を寂しむ

鈴木陽美歌集『スピーチ・バルーン』(ながらみ書房)
・双六に似る地下鉄の路線図を五つ進んで乗換えしたり
・鼯(むささび)と鼹鼠(もぐら)のちがいに目を凝らす『完全征服漢検一級』
・積み藁に夕日のあたる絵の前で帽子の紳士とまたとなりあう
・子を叱りし夜には護符のごとく見る十枚つづりの肩たたき券
・パソコンの向こうの顔を知らぬ子に学習支援のおたよりを書く

現代短歌文庫138『梶尾さい子歌集』(砂子屋書房)
・お握りに喰らひつけるにぼぼぼんといちばん大き花火がひらく
・女子生徒欠席を告ぐかの日より二ヶ月半を過ぎての忌引
・あらかたを流されながらそれでもなほ人ら喪服を調へんとす
・御神体を持ち避難せし神主の羽織の紐を見つめてゐたり
・九枚目の年賀欠礼おしなべて三月十一日にと刷らる
・雑食の蛸であるゆゑ太すぎる今年の足を皆畏れたり
・愛ちやんよどこをたゆたふいつまでもショートカットのあなたの遺影
・ナビの指す「目的地」なれど家の跡すらわからざる夏草の丈
・女なり男なりを超えたるかたち網に掛かりて帰りたまひき
・海辺より呼ぶ声せると寝床から起きて出掛けし真夜中の父
                               以上『リアス/椿』
・緩慢に歪める渦を巻きながら春の底(そこひ)へ磨ぎ汁はゆく
・火星見えると地学部が全校放送し夜市のやうな屋上である
・Σ(シグマ)とか√(ルート)とかいふぎざぎざを愛して死んでゆく人もをり
・だめでしたせんせいと泣く子の前で先生といふ名を取り戻す
・緩斜面を登り来る子の俯ける頬からまづは秋燃えてゆき
                                  以上『ざらめ』
・幾遍もわたしの和柄のスカートを祖母褒めくれてまた眠り入る
・もみぢ饅頭(もみまん)を十箱、八ツ橋十二箱、親戚多き土地柄である
・ひたすらに授業をこなす日々である白きチョークを強く握つて
・思ひ詰めた目をしてわれを見る子たち教壇の上(へ)で休むを言へば
・点滴を引き摺りながら歩みたりここは波打ち際と知りつつ
                                 以上『あふむけ』

大谷真紀子歌集『風のあこがれ』(北冬舎)
・「ここだけの話」の続く昼下がり子機持ちわれは部屋をめぐりぬ
・梅花藻の天ぷらというをいただきぬ喉過ぐれば花影の添う
・小雨ふる大安吉日ザリガニが小道をよぎる鋏を挙げて
・中津川は大島大人の産土ぞ清き流れを車窓に見おり
・糸垂らす炎暑炎昼ふな釣りの水輪ひろげて浮子が動くよ

岩田正歌集『柿生坂』(角川書店)
・雨あとのみどり濃き公園に野球少年のあぐる声する
・心病むゆゑに無罪とまたも言ふ殺しし人はかくてながらふ
・アクアリウムは今子らの街犇めきて魚の群れみる子どもらの群れ
・音がするではなく雨の日のくるま音を激しく掃いてゆくなり
・並びて足あげさげ踊るラインダンス眩しかりけり少年われは
・いろどりのスーツさがれる妻の部屋老いても女の部屋ははなやぐ
・やつと立ちのろのろ歩き玄関にたどりつくまで三度ベル鳴る
・マンションのベランダのシーツが雨に濡れいらだちてをりセンターのわれ
・舐めんなよケアセンターに立ちあがり拳闘のポーズとる夢をみる
・真夜妻はものを書くらしサラサラとわれは階下でその気配きく

丹波真人歌集『朝涼』(ながらみ書房)
・ネクタイをぴつちりきめし四十雀庭の手水をせはしなく浴む
・みんみんの声に分け入るひとすぢのすずしき水脈(みを)のごときかなかな
・阿佐緒への鉄幹の手紙線ほそく流るるさまは〝虎剣調〟ならず
・石原純縷々とつづれる恋の文言ひ訳めきて清しさあらず
・たびたびの地震(なゐ)に備へる策ならむ神社の狛犬縄にくくらる
・もの思ひしつつ歩めば軒さきの防犯灯が不意打ちに点く
・斎藤茂吉が「守谷茂吉」でありしこと金瓶村の生家に偲ぶ
・自転車を漕ぎゐるわれを追ひ越しざま運転席の妻が手を振る
・日銀の支店長会議ゐならべる三十三名に女性はをらず
・豆腐屋のラッパは録音テープなれどその音(ね)なつかし夕ぐれの路地

本田一弘歌集『あらがね』(ながらみ書房)
・放射性物質ふふむ雪ならむ白き時間がふくしまをふる
・大ゆきのため出席停止(しゆつてい)となりし日をかぞへて成績概況つくる
・月の夜は膤(ゆき)の香りすかたはらの嬬のはだへのすきとほりつつ
・基地といふつちは要らない沖縄のそらにつながる福島のそら
・死んでゐるだらうと思ひ仰向けの蟬を摑めば飛んでゆきたり
・教室にわれがはひれば号令に四十本の青竹が立つ
・澤庵は家々の味 たぐわんをてのひらにのせ食へばうましも
・集団で登校をする七人のななつの影をよろこぶ田の面(も)
・何本のチョーク折りけむしろたへの粉をここだくわが吸ひて来ぬ
・くるまみな路肩に寄りて真んなかを救急車ゆく雪のゆふぐれ

村松建彦歌集『ナナメヒコ2』(六花書林)
・不適切な関係なしに一生があともうちょっとで終わってしまう
・自動車が道路に水を轢きゆける音が聞こえて雨と知りたり
・足をよせあら冷たいわというけれど私はあなたの湯たんぽじゃない
・清めんと返せば腰より背中へと蛆が這いたる子規のなきがら
・車内にて化粧いたすをベルリンの辻馬車にみる寺田寅彦
・湯灌せし左千夫のまらの小さきを書きしるしたり斎藤茂吉
・どこへゆくなんておおきなお世話だい青高原の雲流れゆく
・館内にポップコーンが匂うなか戦闘シーンの音が満ちたり
・出走馬十八頭の六頭の父馬の名はディープインパクト
・古寺の苔むす長き石段にひとすじ輝くステンレスの手すり

小佐野彈歌集『メタリック』(短歌研究社)
・熱病のごとき消費の雨のなか歌ひ流されゆくEXILE
・上向きに煙吐き出す癖のごと秋来るごとに思ひ出すべし
・わが暮らす街が好きだといふひとの匂ひの残る布団を干せり
・明日は雨 未遂なれどもこのひとと崖を目指したこともあつたな
・むらさきの性もてあます僕だから次は蝸牛(くわぎう)として生まれたい
・腕まくらされてゐる上半身にひそかに巣喰ふ少女を思ふ
・水無月の雲となりたる父だからカミングアウトできる気がする
・窓越しにくちづけをする 同性の恋人だからこれで済ませる
・主婦といふ選択肢なき同性のふたり互ひのトーストを焼く
・ソドムにもかつてゐたはず僕たちのやうなふたりの歪つな単位

渡辺泰徳歌集『底生生物』(ながらみ書房)
・五か月の後に退職迫りたり引き取る書物の置き場所がない
・大ぶりは恥ずかしければごく小ぶりきみに渡さん花束を買う
・〈キャスターの椅子に立たぬ〉を鉄則に 歳相応の分別はある
・香り芳し、脂のりたるなど言いて猪食みぬ峡のゆうやみ
・金糸雀と金雀枝の字が似ていると気付きし月の射しこむ夜に
・いま一度乗ることありやと思いつつ踏み板きしませ降りる調査船
・乳母車、妊婦のおおき街を行く子ども手当の増えたるロシア
・公園に野ざらしされるD51(デゴイチ)に栗花の匂いただよう真昼
・庭に置く古き火鉢のミジンコを圧倒している夏のぼうふら
・「三島市はスナック多いね」妻が言う スナック知らぬ人生だった

福士りか歌集『サント・ネージュ』(青磁社)
・雪なんて見飽きたはずの生徒らが雪降れば雪の窓にかけよる
・冷え入りし三月のパリ焼きたてのバゲットの香が胸をぬくめる
・「仙人」といふ駅のありアジサイの花みつしりと咲く無人駅
・玄人のごとき顔して観戦すバトミントン部監督われは
・窓といふ窓を鏡に塗り替へて新幹線をつつむゆふやみ
・ひぐらしに合はせて鼓を打つやうな音の楽しもゆふべのテニス
・体育祭果ててかびろきグランドを雉のつがひがのんびり歩く
・コンタクトレンズをやめて眼鏡に換ふ息がしやすくなつたやうだよ
・鶴田町「ツルリンピック」禿頭に吸盤つけて糸を引き合ふ
・秋来ぬとさやかに知りぬ味噌汁の湯気がメガネをくもらせる朝

小谷博泰短歌集『季節の手毬唄』(私家版)
・夕べ春を惜しめば消防車何台も何台もサイレン鳴らしつつ行く
・人影なき道にひらひら白い蝶あまた飛びいて山のバス停
・ふりはじめた雨の水輪とアメンボの水輪とまじる静かさのなか
・たちこめるようなユリの香ひるさがりの植物園に雨やんだのち 
・今日もまたセッセセッセと蝉の声 オイラノ一生アト二日
・子ども客乗せてケーブルカーは行く木立の奥に鳴くミンミン蝉
・歩く歩道で止まるなと言う大阪の街と立ち止まる東京の街
・ゆっくりと沖を進んでゆく船のクレーン積んでいるのが見える
・春風の町のはずれの用水路ちいさな僕が流されている
・糸トンボ二匹が池に飛びながら近づき離れ秋のそよ風

喜夛隆子歌集『柿の消えた空』(角川書店)
・息の緒は法螺貝の螺旋めぐりつつ太くひびけり蔵王のひびき
・星ひとついまながれたり半可なる願ひごとなどできぬさやけさ 
・水底の岩まで午後の陽はとどき滞りなく水過ぎてゆく 
・江戸はコレラ、上方飢饉の享保に打ち上げ花火始まりしこと 
・年輪を刻まぬ竹の中空の澄みつつ立てり時過ぎゆかむ 
・硫酸紙ぱさぱさ渇き岩波の古き文庫の字の小ささよ 
・シンデレラの馬車のかぼちやは美味しいよ、お噺しようか冬至の夜長
・ふかふかと啓蟄の畑耕されはじめて土踏むをさなごの足
・鹿たちが長年かけてつくりしと公園付近の植物相は
・公園の樹下二メートルほど透けてゐる剪定せしごと遠くまで見ゆ

白井陽子歌集『あすなろのままに』(六花書林)
・初出勤の娘の帰りを待ちおれば遠くに聞こえる救急車の音
・豌豆の触角のように伸びる蔓支柱探して風に揺れおり 
・学割でひとり旅してそろり出す学生証の六十歳の文字 
・「先生」と呼びとめられて瞬間に「先生」にもどる午後の雑踏 
・弟の夢の中にも来たる母少しうらやみ少しほっとす 
・みかん山の斜面に白き弧を描きスプリンクラーの水しぶきとぶ 
・紀ノ川を渡り渡りて京へ行く鉄橋の影が電車を刻む
・ぷにぷにと我の贅肉を摑んでは癒されるわあと娘は笑まう
・すげ笠を借りて浸かりし露天ぶろ笠の日かげに峡の風来る
・網持てば掬えそうなり何匹も魚が寄り来る漁港の岸に

栗原寛歌集『Terrarium テラリウム』(短歌研究社)
・街なかにあふれてゐたり花の名を知りたるゆゑにその花さはに
・小説の主人公みたいな恰好でしなだれかかるガードレールに 
・たからものきみから奪ふ 手のり鸚哥がとべないやうに切り落とす羽根 
・白ワインに氷を入れて飲むことをおぼえてよりの涼しき時間 
・特急の席に食みをりBLTサンドのLはLoveにあらねど 
・さきの世の思ひ出かとも彗星を見あげてゐたる細きおとがひ 
・心おきなく目を閉ぢてゐむ終点が目的地なる終電車にて
・僕のゐない世界へ行かうとするきみが見てゐるはずの月を見てゐつ
・くらき影またたきはじむ羅甸語を訳してゆけばひとり真夜中
・けふの恋きのふの恋とならべをりベッドのうへにひとり目を閉ぢ

田村ふみ乃歌集『ティーバッグの雨』(短歌研究社)
・ワイパーが長き間合いをおきながら軋む沈黙ひろげるように
・パパママの出てくる絵本は選ばない児童養護施設の土曜日 
・枯れ草のかすかに甘き匂いして脂気のなき父の背を拭く 
・給料日前の休日列に入る黄金(こがね)のごとく揚がるカレーパン
・前脚の一本あらぬ揚羽蝶葉のゆるるたび止まりなおしぬ
・真夜ゆらぐ水面に厚き鯉の口言い得ぬままにしずもりゆきぬ
・しろがねのハンドル、サドル二つある自転車海岸沿いを走れり

河田育子歌集『園丁』(紅書房)
・春雨にしづむ町あり見下ろせば水灯りなす夜の家々
・地対空ミサイルに誤射されしのち飛行機は野に残骸と散る
・墓石のあつめられたるひとところ集うてをりぬ無縁仏ら
・蠶棚在りし二階の天窓はいつも星が流れてゐたやうな
・蜩の遠世から来て鳴くごとしゆふべ水辺に足浸しをり

志垣澄幸歌集『黄金の蕨』(青磁社)
・むかう側にもバス待てる人その人の帰るはうよりくるバスを待つ
・散歩道すこしのばせば黒土の畑に猫車(ねこ)がうつ伏してゐる 
・けふは瓦葺かれてゐたり竣(な)りてゆく家みて通る日々の散歩道 
・交差点に止まれる若者の車より楽聞こえくるチヤカチヤカといふ音 
・老いづきて母と過ごしてゐるごとし厨にたてる妻の後姿 
・一炊の夢とふこの世にながらへてまことに一炊の夢と思ひき 
・踏切を越えてしくれば遠田にて田植機の爪陽を反しをり 
・幹部らが頭(づ)を下げたままなかなかにあげざる陳謝もいまの流行(はやり)か
・急旋回せる小魚の群れがみゆ水中も危きこと多からむ
・コーヒーの熱きを注ぎし紙コップ潰さぬやうにやはらかく握る
・小惑星のやうな薯(じやがいも)洗ひつつ今夜はカレーでいいかと妻いふ
・マンションの六階あたりの部屋の灯がひとつ消えたり見上げゐるとき
・モノクロのクラス写真にならびゐるわれら貧しき服を着てをり
・雨雲の次々と押し寄せくる空よ 権力は必ず暴走はじむ
・土間のむかうに竈(かまど)のならぶ遠き灯よなにもなけれど足らひたる灯よ

伯野洋子歌集『紫君子蘭(あがぱんさす)』(角川書店)
・車椅子、木陰に寄せて須磨の海を父と見てゐたあの年の夏
・ひと刷毛のすぢ雲かかつたおほぞらに耳をそろへて広げるシーツ
・休みやすみ六甲の山あるきし夏、二歳・四歳・六歳がゐた
・撫づる掌に背骨のあたる老い猫の歳月かぞふる〈チビ〉と呼びつつ
・コスプレの黄門様も勇み立ちハイタッチしゆく神戸マラソン
・寝返りを打つのも難し足元にまあるく眠る猫がをります
・かたばみのちさき黄色の花に会ひここまでにする今日の草引き

徳高博子歌集『わが唯一の望み』(角川書店)
・夜の闇に繋がれてゐるゴンドラたち月の光に獣めきたる
・樹も人も神話を抱いて眠る夜吐息のやうな風鳴りわたる
・幼き日姉とふたりで駆け下りし公園への坂かくもゆるやか
・オルガンのパイプいつせいに開かれて復活を祝ぐ聖歌響けり
・吉利支丹より切支丹へと字を変へる時代の空気いつの世にもある

植松法子歌集『かたじけなくも』(本阿弥書店)
・雨粒にうたれうなづく秋海棠ははの部屋から見る母の景
・暴落はまだまだ続くと金もたぬをとこがすこし嬉しげに言ふ
・散歩でもするかと従(つ)いてきたりしが近まはりして帰りゆきたり
・息まきて出でゆきし声が隣人におはやうございますとうら返りたり
・山麓に演習の音とどろけり雨もよひの日はことさら近く

髙橋みずほ歌集『白い田』(六花書林)
・物陰で毛虫が小石越えてゆく黒土あわき毛の波うごく
・生まれてみれば目の二つ黒くあり水中うごくメダカに生まれ
・幼き日指先のばすその先に白き冷たさと知りて 雪
・赤い棒上下に振って合図する雪の日は白い車のあわくみえ
・夏のこうもりしずかに垂れて洞のしずくの落ちる音

曽我亮子歌集『夕陽のまつり』(ながらみ書房)
・寄辺なき牛こそあはれ群れながら哭きて瓦礫の海辺さまよふ
・裏山に日がな聞こゆる山鳩の声遠のきて山は暮れたり
・午前九時子と枕頭に寄りゆけば静かにしづかに旅立ちゆけり
・君まさねば誰と語らむこの世の雑事沈黙の一(ひと)日風吹き止まぬ
・君逝きて十キロ落ちし現身の何も合はねど今日も生きつぐ

古賀大介歌集『三日月が小舟』(六花書林)
・注文しソース焼きそば待っている街の一部になって私は
・そしてまた居なくなります黄昏に鴉、かあさんかあさんと言い
・振り出しに戻りましたと塀にいる猫がときおり舐める肉球
・マフラーを巻く巻きながら寒空の下から固い決心を見あげる
・降る雪よ路面電車はカタコトカタコト夢を抱えた少年を乗せ
・土色のシャッターおりる時計屋のタイムイズマネーでない夜のかお
・夜夜夜夜夜街光ります滲みますわたしはバスのはらわたに浮く
・クラウチングスタートだった少年の夕陽の奥に青いスパイク
・一杯のかき揚げ蕎麦をずずず、ずず本日は今折り返しです
・バス停に夜の湿りをまといつつ思考するごと時刻表立つ

前田康子歌集『窓の匂い』(青磁社)
・混ざり合う音の流れに探し聴くもっとも低き子の弦の音
・我が胸を机となして細きもの並べられたり歯を診られつつ
・地下鉄のホームまで来てもどり方わからぬままにオハグロトンボは
・甲羅ころんところがるように仰向けに路地に置かるるランドセルはも
・返事してくれるわけなく夕暮れを再び端から探す自転車
・日韓の化粧品混ぜ朝ごとにひとつの顔の出来上がりたり 
・滝水のような涼しき音のしてパチンコ店のドア開き閉づ 
・顔よりも大き口開け鯉の群れちぎりしパンを水ごと呑めり 
・立秋の空をつぶさに映しおり古きボートに雨水たまり 
・あたたかき自分の髪に顔を入れ快速電車に眠り続ける 

松原あけみ歌集『海盆』(本阿弥書店)
・電線に梯子をかける男ゐてゆれはじめてゐる空と男が
・靴かすめポンカン二、三個ひかりつつ流れてゆきぬ昼の車内に
・けふはじめて人見知りしたる娘の子 鰯雲わく秋が来てゐる
・内陣の暗きに入りし私に薬師如来はまだ気づかない
・浜に波が寄せくるたびに揺れてゐたほそいからだの姉とおとうと
・逆さまに椿の花にぶらさがる目白よかなはぬ山ほどのこと
・ほそい尾の犬が随ききし山頂の記憶のなかに焚き火があかい 
・身辺の整理と言ひて籠もりたる夫の部屋からハモニカ聞こゆ 
・戦ひに行くため父は 父送るために京都へ母も揺れゆく 
・高校の窓よりおちて流れだすサックスの「枯れ葉」拙からず 

 


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