書架新風


小谷博泰短歌集『季節の手毬唄』(私家版)
・夕べ春を惜しめば消防車何台も何台もサイレン鳴らしつつ行く
・人影なき道にひらひら白い蝶あまた飛びいて山のバス停
・ふりはじめた雨の水輪とアメンボの水輪とまじる静かさのなか
・たちこめるようなユリの香ひるさがりの植物園に雨やんだのち 
・今日もまたセッセセッセと蝉の声 オイラノ一生アト二日
・子ども客乗せてケーブルカーは行く木立の奥に鳴くミンミン蝉
・歩く歩道で止まるなと言う大阪の街と立ち止まる東京の街
・ゆっくりと沖を進んでゆく船のクレーン積んでいるのが見える
・春風の町のはずれの用水路ちいさな僕が流されている
・糸トンボ二匹が池に飛びながら近づき離れ秋のそよ風

喜夛隆子歌集『柿の消えた空』(角川書店)
・息の緒は法螺貝の螺旋めぐりつつ太くひびけり蔵王のひびき
・星ひとついまながれたり半可なる願ひごとなどできぬさやけさ 
・水底の岩まで午後の陽はとどき滞りなく水過ぎてゆく 
・江戸はコレラ、上方飢饉の享保に打ち上げ花火始まりしこと 
・年輪を刻まぬ竹の中空の澄みつつ立てり時過ぎゆかむ 
・硫酸紙ぱさぱさ渇き岩波の古き文庫の字の小ささよ 
・シンデレラの馬車のかぼちやは美味しいよ、お噺しようか冬至の夜長
・ふかふかと啓蟄の畑耕されはじめて土踏むをさなごの足
・鹿たちが長年かけてつくりしと公園付近の植物相は
・公園の樹下二メートルほど透けてゐる剪定せしごと遠くまで見ゆ

白井陽子歌集『あすなろのままに』(六花書林)
・初出勤の娘の帰りを待ちおれば遠くに聞こえる救急車の音
・豌豆の触角のように伸びる蔓支柱探して風に揺れおり 
・学割でひとり旅してそろり出す学生証の六十歳の文字 
・「先生」と呼びとめられて瞬間に「先生」にもどる午後の雑踏 
・弟の夢の中にも来たる母少しうらやみ少しほっとす 
・みかん山の斜面に白き弧を描きスプリンクラーの水しぶきとぶ 
・紀ノ川を渡り渡りて京へ行く鉄橋の影が電車を刻む
・ぷにぷにと我の贅肉を摑んでは癒されるわあと娘は笑まう
・すげ笠を借りて浸かりし露天ぶろ笠の日かげに峡の風来る
・網持てば掬えそうなり何匹も魚が寄り来る漁港の岸に

栗原寛歌集『Terrarium テラリウム』(短歌研究社)
・街なかにあふれてゐたり花の名を知りたるゆゑにその花さはに
・小説の主人公みたいな恰好でしなだれかかるガードレールに 
・たからものきみから奪ふ 手のり鸚哥がとべないやうに切り落とす羽根 
・白ワインに氷を入れて飲むことをおぼえてよりの涼しき時間 
・特急の席に食みをりBLTサンドのLはLoveにあらねど 
・さきの世の思ひ出かとも彗星を見あげてゐたる細きおとがひ 
・心おきなく目を閉ぢてゐむ終点が目的地なる終電車にて
・僕のゐない世界へ行かうとするきみが見てゐるはずの月を見てゐつ
・くらき影またたきはじむ羅甸語を訳してゆけばひとり真夜中
・けふの恋きのふの恋とならべをりベッドのうへにひとり目を閉ぢ

田村ふみ乃歌集『ティーバッグの雨』(短歌研究社)
・ワイパーが長き間合いをおきながら軋む沈黙ひろげるように
・パパママの出てくる絵本は選ばない児童養護施設の土曜日 
・枯れ草のかすかに甘き匂いして脂気のなき父の背を拭く 
・給料日前の休日列に入る黄金(こがね)のごとく揚がるカレーパン
・前脚の一本あらぬ揚羽蝶葉のゆるるたび止まりなおしぬ
・真夜ゆらぐ水面に厚き鯉の口言い得ぬままにしずもりゆきぬ
・しろがねのハンドル、サドル二つある自転車海岸沿いを走れり

河田育子歌集『園丁』(紅書房)
・春雨にしづむ町あり見下ろせば水灯りなす夜の家々
・地対空ミサイルに誤射されしのち飛行機は野に残骸と散る
・墓石のあつめられたるひとところ集うてをりぬ無縁仏ら
・蠶棚在りし二階の天窓はいつも星が流れてゐたやうな
・蜩の遠世から来て鳴くごとしゆふべ水辺に足浸しをり

志垣澄幸歌集『黄金の蕨』(青磁社)
・むかう側にもバス待てる人その人の帰るはうよりくるバスを待つ
・散歩道すこしのばせば黒土の畑に猫車(ねこ)がうつ伏してゐる 
・けふは瓦葺かれてゐたり竣(な)りてゆく家みて通る日々の散歩道 
・交差点に止まれる若者の車より楽聞こえくるチヤカチヤカといふ音 
・老いづきて母と過ごしてゐるごとし厨にたてる妻の後姿 
・一炊の夢とふこの世にながらへてまことに一炊の夢と思ひき 
・踏切を越えてしくれば遠田にて田植機の爪陽を反しをり 
・幹部らが頭(づ)を下げたままなかなかにあげざる陳謝もいまの流行(はやり)か
・急旋回せる小魚の群れがみゆ水中も危きこと多からむ
・コーヒーの熱きを注ぎし紙コップ潰さぬやうにやはらかく握る
・小惑星のやうな薯(じやがいも)洗ひつつ今夜はカレーでいいかと妻いふ
・マンションの六階あたりの部屋の灯がひとつ消えたり見上げゐるとき
・モノクロのクラス写真にならびゐるわれら貧しき服を着てをり
・雨雲の次々と押し寄せくる空よ 権力は必ず暴走はじむ
・土間のむかうに竈(かまど)のならぶ遠き灯よなにもなけれど足らひたる灯よ

伯野洋子歌集『紫君子蘭(あがぱんさす)』(角川書店)
・車椅子、木陰に寄せて須磨の海を父と見てゐたあの年の夏
・ひと刷毛のすぢ雲かかつたおほぞらに耳をそろへて広げるシーツ
・休みやすみ六甲の山あるきし夏、二歳・四歳・六歳がゐた
・撫づる掌に背骨のあたる老い猫の歳月かぞふる〈チビ〉と呼びつつ
・コスプレの黄門様も勇み立ちハイタッチしゆく神戸マラソン
・寝返りを打つのも難し足元にまあるく眠る猫がをります
・かたばみのちさき黄色の花に会ひここまでにする今日の草引き

徳高博子歌集『わが唯一の望み』(角川書店)
・夜の闇に繋がれてゐるゴンドラたち月の光に獣めきたる
・樹も人も神話を抱いて眠る夜吐息のやうな風鳴りわたる
・幼き日姉とふたりで駆け下りし公園への坂かくもゆるやか
・オルガンのパイプいつせいに開かれて復活を祝ぐ聖歌響けり
・吉利支丹より切支丹へと字を変へる時代の空気いつの世にもある

植松法子歌集『かたじけなくも』(本阿弥書店)
・雨粒にうたれうなづく秋海棠ははの部屋から見る母の景
・暴落はまだまだ続くと金もたぬをとこがすこし嬉しげに言ふ
・散歩でもするかと従(つ)いてきたりしが近まはりして帰りゆきたり
・息まきて出でゆきし声が隣人におはやうございますとうら返りたり
・山麓に演習の音とどろけり雨もよひの日はことさら近く

髙橋みずほ歌集『白い田』(六花書林)
・物陰で毛虫が小石越えてゆく黒土あわき毛の波うごく
・生まれてみれば目の二つ黒くあり水中うごくメダカに生まれ
・幼き日指先のばすその先に白き冷たさと知りて 雪
・赤い棒上下に振って合図する雪の日は白い車のあわくみえ
・夏のこうもりしずかに垂れて洞のしずくの落ちる音

曽我亮子歌集『夕陽のまつり』(ながらみ書房)
・寄辺なき牛こそあはれ群れながら哭きて瓦礫の海辺さまよふ
・裏山に日がな聞こゆる山鳩の声遠のきて山は暮れたり
・午前九時子と枕頭に寄りゆけば静かにしづかに旅立ちゆけり
・君まさねば誰と語らむこの世の雑事沈黙の一(ひと)日風吹き止まぬ
・君逝きて十キロ落ちし現身の何も合はねど今日も生きつぐ

古賀大介歌集『三日月が小舟』(六花書林)
・注文しソース焼きそば待っている街の一部になって私は
・そしてまた居なくなります黄昏に鴉、かあさんかあさんと言い
・振り出しに戻りましたと塀にいる猫がときおり舐める肉球
・マフラーを巻く巻きながら寒空の下から固い決心を見あげる
・降る雪よ路面電車はカタコトカタコト夢を抱えた少年を乗せ
・土色のシャッターおりる時計屋のタイムイズマネーでない夜のかお
・夜夜夜夜夜街光ります滲みますわたしはバスのはらわたに浮く
・クラウチングスタートだった少年の夕陽の奥に青いスパイク
・一杯のかき揚げ蕎麦をずずず、ずず本日は今折り返しです
・バス停に夜の湿りをまといつつ思考するごと時刻表立つ

前田康子歌集『窓の匂い』(青磁社)
・混ざり合う音の流れに探し聴くもっとも低き子の弦の音
・我が胸を机となして細きもの並べられたり歯を診られつつ
・地下鉄のホームまで来てもどり方わからぬままにオハグロトンボは
・甲羅ころんところがるように仰向けに路地に置かるるランドセルはも
・返事してくれるわけなく夕暮れを再び端から探す自転車
・日韓の化粧品混ぜ朝ごとにひとつの顔の出来上がりたり 
・滝水のような涼しき音のしてパチンコ店のドア開き閉づ 
・顔よりも大き口開け鯉の群れちぎりしパンを水ごと呑めり 
・立秋の空をつぶさに映しおり古きボートに雨水たまり 
・あたたかき自分の髪に顔を入れ快速電車に眠り続ける 

松原あけみ歌集『海盆』(本阿弥書店)
・電線に梯子をかける男ゐてゆれはじめてゐる空と男が
・靴かすめポンカン二、三個ひかりつつ流れてゆきぬ昼の車内に
・けふはじめて人見知りしたる娘の子 鰯雲わく秋が来てゐる
・内陣の暗きに入りし私に薬師如来はまだ気づかない
・浜に波が寄せくるたびに揺れてゐたほそいからだの姉とおとうと
・逆さまに椿の花にぶらさがる目白よかなはぬ山ほどのこと
・ほそい尾の犬が随ききし山頂の記憶のなかに焚き火があかい 
・身辺の整理と言ひて籠もりたる夫の部屋からハモニカ聞こゆ 
・戦ひに行くため父は 父送るために京都へ母も揺れゆく 
・高校の窓よりおちて流れだすサックスの「枯れ葉」拙からず 

 


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