書架新風


影山美智子歌集『夏を曳く舟』(角川書店)
・外側の一画占める釣堀に釣りびと増えゆくさくらさくころ
・学寮の四人部屋なる座り机十八歳の砦となしぬ
・兵士らの手紙は上官下官なく子らを頼める情が滲める
・ふいの激語にたぢろぐわれぞ不公平に育てられ来しと四十路の娘が
・子育ての役終りしと思ひ込むわれに突きつけ暗き穴見す

山田震太郎歌集『沙漠の星より』(角川書店)
・本の上に置かれし眼鏡の立ち上がり緑あかるき庭へ降りゆく
・高きより吊りおろされてきし人はガラスの窓を拭きはじめたり
・赤き鯉自在におよぎ池澄みて鯉の下にもこひ泳ぐみゆ
・犬好きのわれとは知らず吠える犬どこに錯誤のあつたのかさて
・人殺ししことわれはなく身を震ひ国境越ゆる戦車を見つむ

小谷博泰歌集『海辺の街から』(短歌新聞社)
・昔ゆきし名曲喫茶 知らぬ街の喫茶店にて再びの曲
・英語にてアナウンス聞く京都駅うちあほらしおすとは言はず
・未来へと来た錯覚にそびえたつあまたの広告塔を見上げて
・ああ今日も首なし地蔵が立つてゐる鉄路のしたの暗きトンネル
・地のはてに来たりしごとく曇天の巨大ゼンマイを見上げて我は

近藤栄昭歌集『神神の山』(青磁社)
・残雪の稜線の空に背負子(しょいこ)見え荷物伸びきて強力(ごうりき)現る
・かたくりの花咲く脇を音たてて軍靴のごとき登山靴行く
・山頂の鳥居の前にガイド待ち笑みくれている朝日輝く
・小屋に脱ぐ靴より昇る汗の湯気脛(すね)の形に和らに揺れて
・山小屋の角を切る風不安呼ぶ高まる音も低まる音も

木村文子歌集『予祝』(ながらみ書房)
・羊歯の葉の先まで虫は登りゆきとってかえしぬ羽もたぬゆえ
・てのくぼに透きとおる稚魚跳ねているきみに三匹われに一匹
・くっきりと眉毛を描かれて犬「さすけ」表情豊かに笑っておりぬ
・3Bのえんぴつを削る 窓辺にてしばらく雨を眺めたあとで
・コドモならコドモのように笑えなど諭された夜わたしになった

日高堯子歌集『雲の塔』(角川書店)
・福袋のぞけば底にほのぼのと小さく老いたわれが手招く
・昼電車となりに座る力士よりレモンの香ただよふはつ夏は来て
・かるるかるるこうこう時にぐゑと吐く万羽の鶴の声のゆふぐれ
・前先生ああこんなところに隠るるか 木股にねむる緑(グリーン)イグアナ
・満月や 月にむかつて眸(め)をほそむウミイグアナの絵葉書が来ぬ

めるずぃ幾子歌集『LONE STAR』(北羊館)
・竜巻の季節に入りたるオクラホマ予期して予期せぬものに脅える
・原爆を二発も投下した国の大統領選に一票を投ず
・テキサスの風土病なるや花粉症待合室は〈鼻ざかり〉なり
・雲低くクウェートに向かふ軍用機巨大な腹に兵隊のみ込む
・人種の差異なき車席にてアメリカの鎧脱いでるわれに気がつく

坪田萬貴子歌集『山の同志』(短歌新聞社)
・完走を約して堅き握手せり見上ぐる夫よ山の同志よ
・晴れ渡る九月の空へ進水式の七色の風船吸はれゆきたり
・CTに輪切りされゐる夫を待つ薄暗き廊下の堅き長椅子
・病身になりたる夫の登山靴風を通してまた仕舞ひたり
・四十年使ひたる食卓広びろと独りの眼鏡一つの湯呑み

やすたけまり歌集『ミドリツキノワ』(短歌研究社)
・網戸には水のレンズが残されて夕立がまたひとつ終わった
・お店ではない場所が商店街にうまれてそこにだけ陽があたる
・さっきまで空にいたよ、とこの腕につかまる鳩の指あたたかい
・おもいでにあるレコードの溝ぜんぶつないだよりも遠くまで来た
・「話しかけないでください」って揺れる運転士さんのうしろでゆれる

藤川弘子歌集『余花』(不識書院)
・お母さんの生んだ五人と言ひ出づるに「ほう、そんなに沢山ね」と言ふ
・降り出でし雨に島原鉄道の単線レールは錆のにほひす
・角閃斑糲岩といふ大岩に取りつきのぼる蔦は若葉す
・激湍を舟過ぐるときあがりたるしぶきは水の濃きにほひもつ
・雲海の上ゆく機内にともりゐるEXITの文字に誘はれやまず

新・日本現代詩文庫88『山下静男集』(土曜美術社出版販売)
吹き消した者は


またしてもま夏に
思い出の映像が流れ出す
蚊取り線香がくゆるり
分厚い布の締め込み
目を大きく開いて
出番を待っている
今夜は村の相撲大会

土俵にあがる
目が光る
両手をつく
腹にひびく先制の声
まばたきをする前に
相手を突き倒した
あんな叔父さん見た事がない
「弟は 村一番の人気者よ
 青年団長もしているし」
小学校五年のぼくに母が教えてくれた
顔が長い 馬のようなやさしい目
頬をゆるめてこちらを見返していた
ぼくの叔父さん
ぼくのヒーロー

街に帰っても
幻となって浮かぶ
丘のような肩
濃紺の闇の中に明るく照らされた土俵姿
友達に自慢をする
「オジサンヨコヅナ」

叔父はフィリピンに出征した
終戦間もなく訃報がとどく
野良着の祖母が
前だれをたくしあげてうめいた
信心家として
隣近所で尊敬された人が
裏庭で泣き明かした

遺骨の入ってない墓ができた
ヒーローは山に鎮まっている
ぼくの映写フィルムの
後半を吹き消したのはだれだ

阪森郁代歌集『ボーラといふ北風』(角川書店)
・中之島までを道中(だうちゆう)揺すられてペットボトルの中に漣
・おほかたの右手は頬の高さまで前年踏襲即時採決
・覗き見ることはなけれど若返る井戸水ならば恐ろしきこと
・点滅は夜間飛行機おそろしくゆつくり飛んでゐるのがわかる
・歳晩の御堂筋を急げるは踏絵を踏みしことなき人ら

小橋芙沙世歌集『古塔の時間』(ながらみ書房)
・飼犬のコロも帰らずおとうともかへらず昭和のまつかな日暮れ
・庭苔に水ざんざんと飛ばしゐる暑き七月二十日の日暮れ
・もう少し生きたいでせうええもう少し医師笑ひわれの応へて笑ふ
・忘れずにことしも来たねじようびたき美しい国つてなんだと思ふ
・西へ向く機体するどく光りつつ宵の明星の上を過ぎゆく

石原安藝子歌集『モナリザの声』(青磁社)
・新幹線の窓に映りしわが耳にピアスのごとし東京の灯は
・文鎮に半紙おさふることいつか心しづめることになりをり
・笹餅の食まれしあとの笹皮のくの字しの字に曲がりてゐたり
・月影に矢車はつかに光りたり忘れられたる夜の鯉幟
・誰も乗らぬバスが扉をあけたまま時間待ちせり夕日をためて

鈴木漠・遍『連句集 轆轤帖(れきろくてふ)』(編集工房ノア)
 庭を映して石鹸(シャボン)玉飛ぶ          鈴木漠
囀(さへづり)に休止符とてはあらざりき        東條士郎
 メーデーの列俯瞰してゐる              島田陽子
平和には無縁の鳩が輪を描き             鈴木漠
 カステラの香の苦き夕ぐれ              水野隆
薄着して愁ひいや増す片思ひ              鈴木獏
 夜業の壁にとまるすいつちよ             鈴木獏
丸めがね鮭弁当を買うて往き              松本昌子
通り抜け造幣局の花うらら                松本昌子
 丈比べする土手のすかんぽ              鈴木獏

花山多佳子歌集『胡瓜草』(砂子屋書房)
・上野の森の住人ならむリヤカーを押しくる夜の顔は見えずも
・電線のなかりしころは鳥たちはあんなに並んで止まることなかりけむ
・細長き箱の中には杖のごと横たはりをる自然薯一本
・夜の広場に人々出でてうちの子を捜索せしはかつての団地
・植木等も死んでしまひていくたびもオフィスの机の上に飛び乗る

小久保晴行歌集『時空の旅人 限界の年』(短歌新聞社)
・新春の会う人ごとに不況顔無意味にテレビのみがはしゃぎて
・ぼそぼそと話す言葉の味わいの後に残れる人柄の良さ
・シャッターの閉じたる通り寒々と暗く続きて犬があくびす
・この世には何もなき如く開票の行われていく体育館の夜
・鳥になって南へ行きたい夢を見た蓮池さんの話に感銘す

原美弥子歌集『走れジャッキー』(短歌研究社)
・幼き頃の吾子に似ておりスーパーに響きてきたる菓子ねだる声
・人生の大きな誤算は弟が先にあの世へ旅立ったこと
・飼い犬は散歩を待って餌を待つ出かけた我をひたすらに待つ
・エプロンの右肩だけが滑り落ち左右の身体の歪み知りたる
・今いいの?と必ず言いておしゃべりが始まる母の電話が鳴らず

藤井幸子歌集『椒魚』(角川書店)
・立春の朝の戸袋冬の蚊が間男のやうに飛び出る
・時ながく夫のほかなるひとのかほ見ぬここちせり車椅子押す
・夢にはいつも元の通りの夫がゐて覚めれば夢より朧なる夫
・レトルトのクラムチャウダーの貝食めばいづくの砂か歯に軋めるは
・線香立の掃除をせよと住職に叱られ始まる君の一周忌

横山季由歌集『定年』(短歌新聞社)
・童馬山房の跡地の隣りに二年住みき茂吉の歌碑を朝あさに見て
・法起寺の塔の高さに映る田に早苗を捕植しかがむ人見ゆ
・仕事の手休めて読みふける『柿二つ』正岡子規の死にゆくところ
・十階の上に組みゆく鉄骨を人飛び移る降る雨のなか
・離れ住む子よりのメール夜勤明けこれから眠るとそれだけのこと

鈴木漠詩集『遊戯論』(編集工房ノア)
月と噴水


  噴水の向こうに
  澄まし顔の月が出た

  あたりは
  モダニズム演劇の
  書割りとなって
  よい馨(かお)りの風も
  吹いて来る

  月は いつか
  黄いろい毬(ボール)に変身して
  噴水の穂先で
  弾んでいる

  空へ帰るのを忘れて
  いつまでも遊んでいる

岡村芳子歌集『船霊さま』(角川書店)
・造船所の騒音の中にておほかたは身ぶり手ぶりで用事を済ます
・船大工の粋を集めて仕上がりし三メートルの帆船模型
・福餅ぞと言ひつつ岸へと餅を撒く新しき船の甲板に立ち
・峠路に逝きたる瞽女(ごぜ)の古き墓碑泣きてゐるやうにくまざざの鳴る
・夫たちの造り納めしカッターのレースの結果の記事を切り抜く

太田裕万歌集『おじさん IN インドネシア そしてそれから』(ながらみ書房)
・八朔のきいがひときわ磨かれて裏の畑に雪ふりつづく
・九体の阿弥陀坐像の話し声堂に満つれどわれに聞こえず
・苗代のぬるみを走る鮒の子のまだ贅肉のつかぬすばやさ
・大根をみに出ておればいけそうね太ってきたねとしゃがみたる妻
・皺みたる喉よりわれの老い見えるすこし弱りし電気カミソリ

小寺三喜子歌集『海辺の光景』(本阿弥書店)
・会ひに来ればありがたうといつも母はいふ施設に預けし親不孝者われに
・あちこちに盗人萩の実をつけて町内の草刈りより夫が戻り来
・遠くより明かりを灯してバスが来る一番列車に乗るわれのため
・水槽に朝の光が射し来れば目高も田螺もこの世に戻る
・土の面に同じやうなる穴を残しいつせいに蝉が鳴き始めたり

伊藤典子歌集『青い薔薇』(角川書店)
・夏草のフェンスに沿いゆくわれの影編目纏いてしばらく歩む
・店先に置きて忘れし雨傘のそのまま在るをバスより眺む
・米寿祝いの餅固ければわれの身の重みをのせて切り分けてゆく
・能舞台の若武者ずずずと迫りきてオペラグラスを慌てて外す
・芦屋写真館のショーウインドウよりわれに笑む成人の日の振袖の吾娘

栃本泰雄歌集『殉教図』(七月堂)
・忘れ霜さも大袈裟に姉のエア・ギターが 花はどこへ行つた
・ポスターが皺苦茶なのか?ポスターのマザー・テレサがわれに微笑む
・繃帯を巻きつつおもふ白鳥の首を 満身創痍のジャンヌ
・体重計(ヘルスメーター)の上に少女は深淵をのぞくごと立つ 美しく堕ちよ
・ヘッドライトよぎりし刹那くらやみの玻璃戸に首がならぶを見たり