書架新風(下半期)

小島ゆかり歌集『六六魚(りくりくぎよ)』(本阿弥書店)
・「昔は」と言ふたびわれを戒むる娘はむかしわれが産みたり
・夕焼けの空に穴ありわたりゆく先頭の鳥見えなくなりぬ
・赤子泣くそこは世界の中心でそこは世界の片隅である
・ときどきはもんしろ蝶も出入りする文房具店だれかゐますか
・をさなごに鼻つままれて「んが」と言ふ「んが」「んが」古いオルガンわれは
・亀しづみ蜻蛉とび去り秋天下われがもつとも難題である
・こんな夜(よる)はにはとりを抱いてねむりたしなまぐさいあかい月のぼる夜
・病院は古城のごとし母を置きひとり帰れる夜の背後に
・みづからをまづいたはれと言ふごとく胸に抱ふるパンあたたかし
・思ふたびこちら向きなる鹿のかほ絶対音感の耳立てながら

春日いづみ歌集『塩の行進』(現代短歌社)
・若きより心に抱く「晩鐘」の意外に小さし顔を寄せゆく
・境界のあつてないやう二世帯の三人暮らしを猫の行き来す
・老猫のしつぽを穴に通しつつはかす襁褓は水玉模様
・修理より戻り元気な掃除ロボ眠れる猫のめぐりを回る
・年始客の四十人を賄ひしわれにやうやく女正月
・つまむ手のやつぱり気取る大粒のマスカットオブアレキサンドリア
・右巻きの螺髪は六百五十六 迷路にあそぶや頭上の鳩は
・雨風に猫背となりたる大仏か金箔すつかり星に吸はれて
・襁褓外し首輪外して膝の上わが猫冷たく耳反りてきつ
・人間なら百二十歳と言はれたり移動火葬車の黒服の男(を)に

黒木沙椰歌集『Manazashi 677』(角川書店)
・定位置といふもの不思議な影がゐる 誰も座らず姑の定位置
・家たたむと親族集ひなにか趣味持てと責めらる九十二歳
・春深し姑が手離す百年の家とひとりに暮らす矜持と
・被爆少年なりし神父の語り継ぐ逃げて見捨てし三人のこと
・混血の貌くつきりと楠本イネ学びたり小さな眼鏡はのこる
・弥勒菩薩のやうな指してスマホ叩く女子たちばかり 秋が来てゐる
・携帯の機能が拾ふ発車アナウンス何処とは問はず耳熱くする
・潮待ちの良き港なれにぎはひの証といへり遊郭の跡
・出船にはかもめが似合ふ沖までも従きくる習ひに餌の百円
・リフォームのウッドデッキにパラソルをひらきぬ、わたしの打ち上げ花火

梶黎子歌集『冷えたひだまり』(六花書林)
・祖母の名の右に平民と記されて尋常小学校卒業証書
・アンブレラの原義は小さな影という駅にてひとりひとりが開く
・くり色の尾をもち襁褓に通しやるたぶん最後の夜になるだろう
・身代わりになれねば銀行の窓口へ烟のような母を連れゆく
・車椅子を押してはゆけぬ城のなか母は天守を仰ぎ見るなり
・玄関に鍵をかければ母ひとり昼の人屋(ひとや)に匿うごとし
・教員採用試験をともに受けたりし友より定年の報せがとどく
・殻の底にふたつの日付記されて卵はあいだの時間を生きる
・日に一件消えてゆくなりこの国の町のたばこ屋ではなく本屋
・人生を変えたき人の数多いて宝くじ売り場に列なしており

石田美南歌集『架空線』(本阿弥書店)
・川をゆく暴走族になりたいとミモザの光放ちて友は
・友だちの恋の経過を聞きながらたまに笑つてしまつて、ごめん
・人の顔あまた仕入れて売りさばく梅原鏡店の日常
・あれは春 蝶のあなたが水溜まり飛び越しながら見てゐた春
・バス停もバスもまぶしい 雨払ふごとく日傘を振つてから乗る
・(これは誰の夢の断片)裏庭で母が楽譜を火にくべてゐる
・城跡へ向かふ夕暮れ 身じろぎもせず立つてゐる木槿(むくげ)が怖い
・ぬかるみを踏めばはつかに盛り上がる泥土もしくは春の係恋
・見えぬ水をひとりへ注ぎ、軽くなる一方の水差しだわたしは
・夏のあひだは辛うじてまだ恋だつた 羽から舐めて消す飴の鳥

黒﨑聡美歌集『つららと雉』(六花書林)
・鮒釣りをさせる釣堀いつ見ても三、四人の釣り人がいる
・柿の木に梯子ひとつが掛けられて百年は経ったように青空
・にんげんの気配無いまま漏れてくるラジオ体操第一の音
・ふるさとはとてもしずかな曇天で町のすべてが低くたたずむ
・鏡には光がうつり美容師の話のなかでだけ会う女の子
・冷えた音を夜空は吸わずショッピングカートを押してゆく駐車場
・電線が太さを増して見える昼 失踪という消え方もある

志野暁子歌集『つき みつる』(角川書店)
・蝕終へて月の明るき駅の広場 肩ぐるま高くこどもが通る
・一年生百五十人が遠足の列をゆき麒麟がじつと見おろしてをり
・膝折りて春の駱駝も老いふかし あはれ汚れて反芻(にれが)みやまず
・塔のうへ星ひとつ出でいかるがは夕べの景に変りはじめぬ
・市制しきて失せし字(あざ)の名バス停の名に拾ひゆくふるさとに来て
・溝、段差、凹凸多し櫨紅葉見せむと車椅子押してゆく道
・雷雨きて出航遅るる桟橋の杭ひとつづつ海猫の占む
・ヒマラヤを越ゆる群れあり檻にゐて翔ばざるがあり 鶴に生まれて
・幼子の帽子に止まる赤とんぼ翔ちてちひさき光体となる
・ぽつねんと車椅子あり かぐや姫昇天の夜のごとき満月

佐山加寿子歌集『鈴さやさやと』(本阿弥書店)
・鈴と扇捧げ一歩を踏み出しぬ これからが長き絶海の冬
・うずめ舞ふわれを拝(をろが)む媼ゐてうれしかりけり切なかりけり
・コンビニの青年見知りし顔のやう さうだ神輿の若衆の一人
・朝露にさんだるの指濡らしつつきみのあさげの胡瓜をもぎぬ
・シュノーケルつければわれは海の人潜きゆくべし青の深みへ
・生け簀から掬われ上がるその刹那人打ちて海に逃れるもあり
・厨からは竈(かまど)の匂ひ水の音振る舞ひ仕込む女らあかるし
・神と人と共に食する直会(なほらひ)の高き笑いゆ春始まりぬ
・神楽舞ひせんと訪ねる遠近の佐渡の村々春が来てをり
・「正面壱」墨書通りに板戸立て冬来る島の能舞台閉じづ

峰尾碧歌集『森林画廊』(ながらみ書房)
・丈たかき石垣伝ひ影ひとつとろりと落ちて黒猫となる
・かぶと虫子の子が飼へば甘辛き獣の匂ひ再(また)満つる家
・寝る前の絵本を取りに走り出づずつと昔にお前の父も
・縄文の濃闇(こやみ)の中に乾きたる朴の広葉はかあんと落ち来
・あをあをと螢は消えていま闇は滴るばかりみづのにほひす



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