書架新風(下半期)

杉村チヅ子歌集『追憶の秋過ぎて』(不識書院)
・ロープウェイの影移りゆく山腹の広葉樹林いろづきそめぬ
・追憶のごとくかがやく枯草の堤駆けゆく少年ふたり
・石走る高梁川の清しさは五分咲きのさくら映れるゆえか
・厨べに秋刀魚の角煮においたつきみの在さば誕生日今日
・若き日のあこがれの色に流れゆく千曲川昨夜の雨もあつめて

森水晶歌集『羽』(コールサック社)
・優勝の騎手が笑顔で観客に投げる花束空に弧を描く
・装幀に描かれし馬は永遠に天翔けるらん星降る夜を
・日傘さし午後よりしまう工場のサイレンの音を河原に聴きぬ
・東京タワーが傾く わが胸に 死ぬほど帰りたかった東京
・少し走り少し止まりてまた走るバイクの音を霧雨に聞く

阪森郁代歌集『歳月の気化』(角川書店)
・七月四日(フオース・オブ・ジユライ)の記憶のひとつびつしりと花火に埋(う)まる夜空があつた
・火の色の髪をけぶらせ美輪明宏虚実皮膜のうちに微笑(ほほゑ)む
・雨の中通過列車を待たされし昨夜(きぞ)の踏切それすら遠い
・右の手が触れて雛(ひひな)の左大臣ふつと不穏の表情を見す
・鉛筆の芯の尖りのその先に馴鹿(トナカイ)といふ文字を捉へた
・このあたり電波の及ばないところ蝶は今更めきて飛び立つ
・師のサイン「鬼(おに)来(く)とも勝(かつ)」それはそれ逆さに読めば塚本邦雄
・楷書体なじむ表札あれほどの高さへ海は追ひかけて来た
・アンティークな名前と思ふヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは
・芝草を刈り込む稔りそのあたり空気が右往左往するらし

糸川雅子歌集『橋梁』(飯塚書店)
・魔女のとぶ帚のごとし両腿を絞めてあやつる銀のオートバイ
・しぼりたる袋の口の時かけてゆるめばなかよりさびしさのぞく
・行きと帰り水路に鷺をみかけたりしろき体はひとりの清しさ
・混線ということあらばと願わるる「もしもし」と夫の声をききたし
・畳目がうつすら腿にはりついてきたようで昼うたた寝を覚む
・靴箱のならぶ玄関しずかなり廃校となる東小学校
・日本銀行(ニッポンギンコウ)繰り返さるる「ポン」の音キャリアウーマンの講演を聴く
・集落を見下ろす高さに鳥居あり氏子と呼ばるる人の棲む屋根
・馬ならばおそらく木曾の鬼葦毛赤き直垂の武者をのせたる
・牡蠣鍋の土手なる味噌をくずしつつ語れば恋のようにはなやぐ

田井安曇歌集『『千年紀地上』以後』(不識書院)
・輝かに正月のごみは積まれあり初めてのごみは輝きてあり
・安房よりの枇杷に付きこし蟻かとも思えば親し潰したれども
・うたよみを家に飼うはけものを置く如きかかの人は常につねに不機嫌
・かがやきて今年四十も空にありしかりん捥がれて空さびしけれ
・豊かなる水に揉まるる十余粁水棹ひらめくは岩突き放す
・搾取という語を久しく聞かぬ世の動きことばのなきは事実なきに非ず
・鎖帷子のごとき布団はあな重(おも)と九十九里荒田屋の夢に闘う
・死なば一所と高野の山を言いいたる祖母のうつしみは高野に行かず
・不吉ゆえ人に言わねど笈(おい)負えるもの左前頭に現れて消ゆ
・向う側にバス待つ人の会話などよく聞こえ処暑漸く過ぎし

養学登志子歌集『祈りのかたち』(九曜書林)
・天も地もはてなきことよ棒の先Ω(オメガ)の形に尺取りがいる
・さぐりつつトロ箱出でたる明石蛸頭(ず)を引きながらどこまで行ける
・いく度も怪獣の声聞くような連結車両カーブ切る音
・鳶の脚につかまれしまま宙をとぶ身も世もあらぬもだえる蛇の
・夕焼の飛行機雲まで声とどく「タンスナガモチドノ子ガホシイ」

横手麗子歌集『月のピラミッド』(短歌研究社)
・つんのめりバスの吊り革握りしめ形状記憶のように戻れり
・ルノワールの裸婦の太もも思わせるエリンギ並ぶ横丁暮色
・透明の雨傘ゆれるゼブラゾーン水母のように流されてゆく
・水色の傘を廻せば雨粒のわが「鬱」「鬱」の飛沫のような
・びしっびしっと小気味よき音ひびかせて碁石打つ人の曲がる指先

桑原正紀歌集『花西行』(現代短歌社)
・病室に掛けし暦の下半分乱数表のごとく見えゐむ
・礼拝堂の扉(と)を外側に押し開けて冬のひかりを招き入れたり
・ヘッドライトとテールランプの川となる夜の川越街道に入る
・三月の木下(こした)あかるむ土のうへ後ろ手をした鴉があゆむ
・夜の道にライター擦れば手囲ひの宇宙に仄か仏立ちたり
・病院で採点すればのぞきこみ「手伝おうか」と妻は言ひたり
・夏の夜の川瀬に眠るいろくづがカーバイドランプの明かりに浮かぶ
・埼京線浮間舟渡(うきまふなど)の駅頭に白瀧なして降る雨見上ぐ
・生者ならば堪へがたからんつぎつぎと真上よりひとに覗かれること
・業績を水増し気味に言はるるを弔辞に似ると思ひつつ聞く

畑谷隆子歌集『シュレーディンガーの猫』(短歌研究社)
・ピーマンの種を取りつつ思い出す嫌いな人のきらいなところ
・ぽとぽとと涙の落ちる手の甲をざらりと舐める舌あたたかき
・モニターの波形ひたすら見つめおり死にゆく父の手を握りつつ
・遠からず別れの朝は来るだろうこの手はレタスを洗うしかなく
・中国の人ら降りゆきデパートのエレベーターは静かなる箱

角谷喜代子歌集『心と舞』(本阿弥書店)
・帰りきて灯ともしゆけば部屋ごとに四角い寒さを抱きておりぬ
・いま文珍が面白いよとイヤホーンの片方くれぬ夫は電車に
・夜の車庫に静けさ孕みて待機する消防自動車三台並ぶ
・青首大根抜かれし畑に夜を通し降りたる雪の不揃いな穴
・カーテンの色で喧嘩とメール来るどうでもいいから幸せになれ

馬場あき子歌集『混沌の鬱』(砂子屋書房)
・身を包む服にあまたのぼたん穴ありて秘密を閉づる指先
・高砂タクシー鶴亀松公園ぬけてゆく可笑しけれどもいふほどもなし
・ぎんなんを炒るをんなの手よろこびてぎんなんは転びときに弾ける
・春なんか幾めぐりきても思ひ出の青春はにがく戦後であつた
・いくさ敗れてはじめてききしハローといふ音声明るくて心まどへり
・虎の尾を踏むこともなし古びたる庭に虎の尾は白く咲き出づ
・空港に欠航の巨体うち並び憮然たりその質を打つ雨
・あかつきごとに木の葉蹴散らす烏ゐて冬のひもじさ絢爛とせり
・子猫ひと日預つてひと日乳なとをやりたり空しきものにもあらず
・抱かれしことなき母の手を思ふ肺病みて力あらざりしその手

中野昭子歌集『窓に寄る』(角川書店)
・減速をはじめる電車の後方に踏切の棒の上がりゆく見ゆ
・あぶらなの花におり来て蜜を吸ふ花あぶたちが尻を動かし
・釘打ち機の連続音が鳴りゐたりびしやりびしやりと寒き音なり
・四五ひきの花虻のはねのあたたかき音のしてゐる石蕗の花
・シャンプーの泡を流せばあはれなり骨あらはなる犬となりたり
・前と後ろの足それぞれに揃へあり犬がこの世に残ししからだ
・窓をでて壁をくだれる蟻たちの列の続けり穴の中まで
・鳴くまへも鳴きをはつても熊蟬のかほ押し並べて真面目さうなり
・人をまつごとき間をおき左右からエレベーターの扉が閉まる
・カートリッジインキつめむと手に持ちて弾の重さを思ふてのひら

小谷博泰歌集『うたがたり』(いりの舎)
・どなる声を聞きつつそっと受話器おく無言電話の犯人わたし
・せみがチッとおしっこをしてとんでった母さんどこかへ行ってしまった
・知恵の輪が不意にはずれるようにしてドアから向うの世界へ落ちた
・カーテンのすきまに雨の街が見え人のすくない葬儀の進む
・若き日の妻のからだを思い出すわれに彼岸が近づいたのか
・壁に掛かる古き絵の中の家にしてときどき人のいる気配する
・パジャマ着て歩く男がすたすたとエレベーターにはいって消えた
・冬を越えしものの一つと水の底でわずかに動くハゼを見ている
・こなごなに鏡が砕け散ったとき何百となく僕の飛び散る
・黒馬が萌え出た草をむしり食う先垂れている黒き男根

『筒井富栄全歌集』(六花書林)
『未明の街』  ・ほの暗いロビーに吊すカナリヤのごきげんをとり今日がひらける
  ・過去の夏 積乱雲に輝ける城あり市街みおろす丘に
  ・烏竜茶いれればその季はじまってどの家の窓もひらかれていた
  ・不思議そうに君がのぞいた水槽のグッピーは夜を透して青い
  ・店はみなよろい戸おろし一つだけ鬼灯の如き山荘の窓
『森ざわめくは』  ・鞭をならし馭者は反り身でかけぬける美しすぎる季節のさなか
  ・枝々に黒い果実をみるごとくふくろうはいる冬の風景
  ・西陽さす骨董店のデスマスクわが腕に抱く日いつのことなる
  ・誘われて海ほおずきの市に立つ海王とその海王の妻
  ・昨夜心に決めた あの城を閉じること 烈しい夏のさかり
『冬のダ・ヴィンチ』  ・いっせいに葉裏みせつつ冬に入る森あるならばわれをまねけよ
  ・街角のポスターの中のモナ・リザが薄くほほえみ首都冬に入る
  ・海ふかくゆれつつ腕輪沈むのをわが水葬のごとくみてをり
  ・背後にて時折風が吹きすぎる内より閉ざす冬の城塞
  ・川にごる夏ゆうぐれに近きころ人声はする水の底より
『風の構図』  ・去年(こぞ)如月わが手放せし愛恋を思い出させるように雪ふる
  ・雷わたる都市の上空雨あしは列車八輛とじこめて夜
  ・港湾に馬をのせゆく舟がある波音低き白昼である
  ・まざまざと河野愛子があらわれて死後の世界を語る明け方
  ・群鳥はさらに北へと飛び立てるわが北限をここにきめし日
  ・ゆるやかな衣服ばかりを身にまといいつかふわりと浮くかもしれぬ
  ・半開のドアの内よりのぞきみるわが人生のゆきつく方を
  ・あの人はどうしているか取りあったわれても末にあわんとの札
  ・接吻(くちづけ)をつとこそかわすそれもあの銀座三越角を行きつつ
  ・恋しくば訪ねきてみよ夏まつり狐の面が風にふかれる
「未刊歌篇」  ・医師ナースの見下ろすしぐさにつくづくと威圧感ずるベッドの上で
「初期歌篇」  ・しなやかに鹿皮の靴で破壊(こわ)したし 花 ガラス 自己 夕べの感傷
 
野澤民子歌集『祭囃子の音』(六花書林)
・人工骨に軋む痛みを知らぬわれリハビリ中の母を励ます
・自動改札の普及進めど母降りる駅の階段今に変わらず
・十五年二十二万キロ走りたる夫の愛車と別るる師走
・「うりゃ、うりゃ」と千貫御輿担ぐ声パソコンに聴く耳をすまして
・わが庭に小さき砂場ありしころの玩具の青いバケツが残る

小黒世茂歌集『舟はゆりかご』(本阿弥書店)
・もうひとり産めばよかつたといふやうに冬の隕星ほそく緒をひく
・銀貨二枚すべりこませたる賽銭の箱にふたつの違ふ音する
・栢森(かやのもり)はいよよ初夏にてキツツキは脳震盪をわづらふなかれ
・苧麻(ちよま)の布さはさは濯ぐ女房の脚のあいだを川は流れし
・台風の去りし洋上 子を産みたるのちの獣のやうなしづけさ

細溝洋子歌集『花片』(六花書林)
・今朝までを激しく長く降りていし雨を運べる川の轟き
・見下ろせば鵜飼は六つの篝火の静かな移動 今し始まる
・セイウチが芸をしておりこのあとはペンギンの時間(ただ歩くだけ)
・不在者となりて投票所へ行けば廊下を歩むあまた不在者
・マーチングの練習の見ゆ若さとは関節しなやかなることならん

斉藤斎藤歌集『人の道、死ぬと町』(短歌研究社)
・靴下、105円。トランクス、105円。あなたに会える歓び、priceless.
・ケータイが少しふるえたような気が気のせいだってわかってる夜
・ゆうやけに見とれて飽きるぼくたちは窓の向こうに浮かぶ新宿
・噴水に一羽の鳩が降りてきて子どもの声が騒音になる
・折りたたみ傘がカバンにあることを言えなくて夏みんなと濡れた
・残響音があるうちは、新たに鐘をつかないで下さい、広島市
・遠足がとてもしずかで二度見たら手話だものすごいはしゃいでて寝る
・助手席のドアのつけ根に竹ぼうき逆立ててゆくゴミ収集車
・神奈川の明日は晴れて夕焼けに染まるパトカーの黒と白
・あなたの墓をあなたの涙は濡らすことができないのだから 雨が降っている

三木雅子歌集『遠砧』(角川書店)
・クレーンの向きを揃へて静止する老人ホームの建設現場
・鉄線の蔓が垣根を越えゆきて小さき蕾がくうをたゆたふ
・ピアスゆらし茶髪の男子軽軽と工事現場の足場を渡る
・西陽避け立てし簾を捲きゆけば守宮の幼稚に移れり
・己が手に背中の湿布貼ることも巧みになりてひとり居十年

重田美代子歌集『みこもかる』(ながらみ書房)
・バスを降り祖母の家まで行く道のこころ細かりき夢に出できて
・タンクトップ・オーバーコートと気儘なる装ひ行き交ふシドニーの町
・人力車ひたすら引ける若者に孝行さるごと名所を巡る
・外気温はマイナス五十五度といふ機中にジュースを飲むもこの世か
・風荒ぶ宗谷岬にゆるらかに風力発電の白き羽根まはる

藤村学歌集『ぐい飲みの罅』(六花書林)
・昆虫のひげは触角わが生やす虚仮威しにもならぬ白髪髭(しらひげ)
・鼈(すっぽん)のごとく頸(のどくび)つきだして懸垂十回なんとかこなす
・モディリアーニのジャンヌの肖像頸(くび)ながし百済観音にどこか似ている
・障害に負けまいと子が真夜中のパチンコ台を拭いているころ
・いまごろはシルクロードで野糞など妻しておるか無事に旅せよ
・空耳であれどもうれし亡き母がミシン踏む音ひびくこの夜は
・ゆく秋のおでんに煮らるる蛸の足見せて屋台の電球ともる
・夏茱萸(なつぐみ)のまっかな実を吸う刹那かの夏ふれしくちびるを恋う
・ストレスに負けそうな日のカラオケは七音結句の(唐獅子牡丹)
・せせらぎに架かる木橋のたそがれを美しくするむぎわらとんぼ

奥村晃作歌集『ビビッと動く』(六花書林)
・松葉蟹八本の脚折り曲げて身を熱湯の鍋に押し込む
・巨大なるラケット状のハープ抱き両手の指で弾(はじ)きつつ弾く
・打ち上げの音に続いて夜の空に開く花火の音を楽しむ
・吊橋のあんまり高い橋だから前見て橋の真ん中歩く
・空からの撮影による原子力発電施設またく無防備

梅内美華子歌集『真珠層』(短歌研究社)
・ワッフルのやうな木組みの格子あり錦帯橋の弧のうらがはに
・風立ちぬ行方不明四千人余その数の減る速度落ちたり
・大津波浴びし防風林朽ちて夕陽の神が手を当てにくる
・マスクする湿りに思ふマスクしてサッカーをする福島の子ら
・こめかみにヘアカラーの薬剤の冷たく浅瀬の泥を思へり
・〈みんなのもの〉のむごさの中にすりきれた公園のパンダ夕べに沈む
・打ち上げの花火のあとの硝煙の硬きにほひを川風はこぶ
・ゆふぐれの中洲に降りて暮れ色に染まりたいのだ白鷺をぢさん
・教習所卒業試験を二度落ちしよりまぼろしのドライバーわれ
・赤き玉とろりとできてこぼさなかつた泪のやうな線香花火

小島ゆかり歌集『馬上』(現代短歌社)
・次の次の駅で降りたくドアの方へドアの方へと身を捩(よぢ)るなり
・斑牛はむうと鳴きたりゆすりゐる尻のむかうの顔ふりむきて 
・前の人の体温残るタクシーにふかくすわりて体温残す 
・父、死後の行方わからず今朝ひらく仏壇のなかの菜の花畑 
・飛魚の塩焼き食べて胸鰭のみづいろの翅、皿に残りぬ 
・雨中より地下へ降りつつ若者は激(はや)き瀧、われはゆるやかな瀧 
・検査着を着ればにはかに心(しん)弱り人間ドックの順番を待つ
・時計店のなかより見れば街をゆく人はチクタクチクタク歩む
・馬上とはあきかぜを聴く高さなりパドックをゆるく行く馬と人
・おほぞらは覚えてゐるか翼竜類プテラノドンの春の飛行を

現代短歌ホメロス叢書 竹村公作歌集『制御不能となりてゆきおり』(飯塚書店)
・デジタルの時計の数字見つめおり一秒ごとに途切れるこの世
・「人員整理かつてしたことありません」される立場が自慢げに言う
・ハンドルに傘を立てたる自転車が花魁のごと人並みをゆく
・冷めるから早くどうぞと勧められ砂糖で甘いコーヒーを飲む
・ぶしつけにドアを開くれば振り向きて写楽の首絵があいや しばらく
・さしくれる傘に半身入れて行くすなはちたつぷり濡れる半身 
・幼児のいなくなりたる里の道幼児跳びだす標識残す 
・高速のエレベーターに乗り遅れ地上に残して来たるプライド 
・遊園地の蒸気機関車走り出す こきゃくまんぞく 顧客満足 
・咳ひとつすれば風邪かと問いかくる母を疎しと思うことあり 
・ハイヒール脱いでころばしいる足をテーブルの下にぬすみ見ており 
・とりあえず卵子のもとへ競いいる精子の如しマラソンの群れ 
・のぼりゆくエレベーターにひとおらず天下る人を迎えに昇る 
・戦争に翻弄されて生きた母 姉と吾とは父が異なる 
・着ぬままの大島紬着せてやる亡父(ちち)の待ちいるバージンロード 

小寺豊子歌集『水鳥のごとく』(ながらみ書房)
・青や黄やピンクの下より声がして一年生の傘の列ゆく
・柔らかな心をつつみ込むように大小の餅まるめていたり
・遠き夏、母のうちわの朝顔が眠りにつくまで揺れていたりき
・小雨降るような音たて自家採りの茄子を揚げおり夫の背中が
・トンネルに入りて遠くの針の穴ほどの出口をまっすぐ目指す

橘夏生歌集『大阪ジュリエット』(青磁社)
・あぢさゐが咲けば思ほゆぱりぱりと和傘をひらく油の匂ひ
・二十三階のバルコニーにて川本くんを待つわたしは大阪ジュリエット
・生ゴミの散乱したる朝のみち うわあテロやわ(笑)人は過ぎゆく
・ぼた雪が朝の水面にふりしきるバナナ歯磨きいちご歯磨き
・わたつみのいろこの宮ゆ光(かげ)させば水死者さへもうつくしからむ

熊村良雄歌集『月齢暦』(青磁社)
・ニューイヤーコンサートなる春のこゑされば劇しく雪の降るらん
・雛に餌をやりつつ朱鷺(とき)のあかねさす仮面のごとき眸(め)の瞬かず
・屋上のコンクリートに生えし草 地上をはつか離るといへど
・停止せる車によりくる赤とんぼラジオのこゑが秋ですと言ふ
・追ひ越してゆきし女児(こども)の挨拶のかはらぬ声が上より聞こゆ

高橋元子歌集『インパラの群れ』(現代短歌社)
・少しだけ〈こつ〉を要する鍵閉めのこつを教へる新任教師に
・校歌にもうたはれてゐる松の木に松喰ひ虫の薬剤をうつ
・退きたれば二人の暮らし而してクサンチッペときつと呼ばれる
・ふるさとを遠くおもへど鼻曲がり鮭にはなれぬ石川啄木
・電子辞書にあぢはへぬもの古書店の紙のにほひと時間のにほひ

小紋潤歌集『蜜の大地』(ながらみ書房)
・待宵草花盛りなるこの夜の天にくれなゐの花火上がれり
・閼伽桶に余れる黄菊白菊を捧げて父祖の墓はつつまし
・春夏秋冬過ぎて昔の恋の部は苦しく雑の部はなほ苦し
・いつ来てもライオンバスに乗りたがるライオンバスがそんなに好きか
・飯食ふは一日の恥労働は一生の恥されば酒飲む

吉川宏志歌集『鳥の見しもの』(本阿弥書店)
・長きトンネルくぐりて来れば海のむこう茶筒のような原発が見ゆ
・窓のした緑に輝(て)るを拾いたりうちがわだけが死ぬコガネムシ
・原発をやめよと書きし文字濡れて身体(からだ)の濡れて言葉を運ぶ
・薄き灯をホテルの部屋にともしつつ「僕」が死にゆく小説を読む
・しずかなる部屋を覗けば問題集に顔挟まれて娘はねむる
・半分を埋められているタイヤありそこに座れば夏川光る
・するすると乾し草短くなりてゆきうさぎの口のなかに消えたり
・扇風機の羽透けている向こうには亡き祖母が居て麦茶をはこぶ
・二輛のみの電車が停まるこの駅の二輛のながさに秋の陽が照る
・シジュウカラの番(つがい)飛びきて山茶花の茂りのなかにいのちを隠す

西台恵歌集『上海有情』(角川書店)
・節つちやんと父が呼ぶ墓小さくて五歳の妹「涼全童女」
・「オトウサン、オネガイシマス」と日本語で挨拶したりグラサン外し
・六人の大人に甘く育てられ「小皇帝」と呼ばるるひとり
・子供なきわれが「「オトウサン」と呼ばれをり動物病院の待合室に
・黄浦江(フアンプーチヤン) 建材・砂利を運ぶ船忙しく行き交ひ現在(いま)をも運ぶ

先野浩二歌集『もず野』(青磁社)
・見舞いくれし人の名を挙げ指を折る母よ小指はすでに亡き人
・悠久の闇にひろがる青雲のごとく珈琲に溶けゆくミルク
・六(りゅ)、七(ち)、八(ぱ)、現地ガイドの張さんが捜す九番ただいまトイレ
・カラオケのわが歌声に陶酔す深まる秋の夜の五分間
・反り橋のまなかに覗く池の面のわが影に寄る真鯉緋鯉ら

西橋美保歌集『うはの空』(六花書林)
・ほうたるの彩る川辺を呼びあへりあかりを持たざる家族われらは
・獅子舞のお獅子のくわつと開けられし口を突き出てにんげんの手は
・おみやげはでんでん太鼓に笙の笛 母の背中は弟のもの
・桜(はな)そして若葉の映りし水滴を飛ばし小鳥は水あびをする
・甲子園の閉会式にホルン吹く吾子の頭上のその秋の空
・夢前の川面に映りしみづからの影に触れつつ消えてゆく雪
・足がまだ届かぬオトナの自転車を漕ぎつついつも憂鬱だつた
・見るべきは女性皇族たをやかに手袋扱ふそらみつやまと
・つくばひの水の面(おもて)にすいすいと水の輪あらはれ雨がはじまる
・にんげんの六〇%は水といふ この水わたしをくるしめるみづ

舟本惠美歌集『野うさぎ』(短歌研究社)
・ほこほこと足湯の温さたそがれの心はうつろでよいかもしれぬ
・平原の凍て星の楽聴かんかな鉄木真(テムジン)われは馬に鞍置く
・スコールの密林行けば敗残の日本の軍靴の音が聞こえる
・品切れという日蝕のグラスとは昔は黒い下敷きだった
・引揚げに守りくれたる母なれば黄金の海にみ墓たてまつる

玉井綾子歌集『発酵』(ながらみ書房)
・帰宅してコンタクトレンズを取り外し昼間のわれは保存液の中
・責任者ですと名乗りて出る時は欠かさず履くべし5㎝ヒール
・ちょい目立つ白髪が気になり抜いたのは女心ではなく親心
・ベッドから下りる気配に寝たはずの子が起き上がりまたやり直し
・虐待と思われぬようスーパーのトイレで泣く子に声かけ続ける



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狂歌を五句三十一音詩史に回収する 狂歌逍遙録   YouTube講座「吉岡生夫と巡る五句三十一音詩の旅」   兵庫県高等学校文芸部の皆さん 熱いエールを送ります  


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