書架新風(下半期)

佐藤通雅歌集『強霜』(砂子屋書房)
・打ちつぱなしゴルフの一階二階には人影並みて棒を振り上ぐ
・円陣を解きて散らばるユニホーム河川敷にも雨は上がりて
・試着室の下にくるぶし見えゐしがすとんと薄き衣の落ちたる
・未来の時間多い幼がブランコに身ごと髪ごとあづけてあそぶ
・旧い人になつていく 指のあひだに流れこんだソフトクリームをなめる

中野昭子歌集『蛍ぶくろ』(本阿弥書店)
・われの顔むすめの鏡に写しみてふたたび布をかけておきたり
・おほきなる紫座布団の上に坐し母へお経を唱へくださる
・鈴のしたに進みて太縄かかへたりがらりがらりと音が降りくる
・三度目も合計あはずげにやげに数字によわき電卓である
・みぎにひだりに灯火(あかり)をふりて自転車といふさみしき乗物がくる

石川美南歌集『離れ島』(本阿弥書店)
・雪の日の野球部員のうるささよ 渡り廊下に緑のマット
・笑はずに頷いてゐてくれたこと つくし・さわらび・わたしの背伸び
・秋雨が道に描ける文様の消えては増ゆるネット友達
・午前二時のロビーに集ふ六人の五人に影が無かつた話
・冬の夜のいがぐりあたまの子供らが口を開いて聞き入る話

石川美南歌集『裏島』(本阿弥書店)
・かみがたをかえし遠き日 まりあさまみたいでこわい、と子が泣いたこと
・「本年も去年同様……」失職を知らぬ人より来る年賀状
・記憶吸ひ取らるるやうな心地せり血圧計に腕を入れれば
・問題はありませんかと問はれつつおなかを見せる、背中を見せる
・裸身並べ座つてゐたり温泉は光の畝を見に来るところ

清田由井子歌集『耿』(角川書店)
・露草の地平しづかに花増せばわが星宿もめぐりはじめぬ
・夏卵割ればゆらりとたましひのごときが一つかがやきて落つ
・生きの緒のさびしきときは母焚きし厨あたりの赤き火思へ
・消えてゆく川の歳時もはろばろと馬入れ川に馬の幻
・月のいろ食(たう)ぶごとしも半月の沢庵簡素いちにんの贅

山谷英雄歌集『lilas リラ』(短歌新聞社)
・夕空より森に落ちゆく雀らのひと日の終(つひ)のこゑをわがきく
・餌を持つわれを囲みて白鳥の無数の首がせりだしてくる
・駅小路に夕べ灯が充ち天麩羅尾寿司屋居酒屋スナック蕎麦屋
・商品は商品ゆゑに売れ残る犬猫半値のバーゲンはじまる
・道庁の池にかがよふ花びらを胸にあつめて鴨らがおよぐ

結城千賀子歌集『天の茜』(短歌新聞社)
・病む子規の眼交(まなかひ)にしもぶうらりと飄逸の形(なり)さげし糸瓜か
・雪に籠る睦月如月紙を漉くそのひたすらは寒行に似て
・横綱に日本人なき国技館一分咲きなる桜が寒し
・遣水に棹さし流觴みちびける女(め)の稚児冠(かむり)の飾りの揺れて
・悲しめる暇(いとま)あらぬを許したまへ父の遺影をけさは浄むる

黒田雪子歌集『星と切符』
・亡き祖母が雪の夜語り笠地蔵善き人はみなしあわせになれ
・投函を教えんと子を新年のポストの口へ父は抱き上ぐ
・ピーマンを五つ切りたるうち一つ内部うつろに種子あらざりき
・自転車を漕いで太れる巡査来る運動療法に励むがごとく
・風吹けば小動物の素早さに路面を走る枯紅葉ども

齊藤佐和子歌集『帰雲』(ながらみ書房)
・国境の村にときをり銃声が 沼地の鳥を撃つといへども
・空を飛ぶ猫かタアンと音のして秋の軒より落ちてくる影
・水に降る山の桜はそののちをダムの底ひへ散りゆくならむ
・かしかしと野菜をきざみをりたるが夫の牡蠣鍋完成はやし
・世の風をまともに受くる心地せりレディが先と押し出されつつ

小林サダ子歌集『廻廊』(角川書店)
・自転車は肩にかつがれ近づきぬしなやかにしてかがやく車体
・壁にそひ青く煙の流れけり夜のベランダにひと煙草喫む
・寝返りを打つたびにわが内蔵はかなしみぬらむよろこびぬらむ
・わが前にがらんと暗き口ひらき夜のバスとまるわれを呑むべく
・腹這ひて読みをる本に近づきし蟻なにゆゑかUターンしぬ

渡辺松男歌集『蝶』(ながらみ書房)
・木のすがた地上のかげとつりあふにかげにいかなるおもさもあらず
・臍はおそらくひとつの独立国なれば臍いだし昼寝してゐる厳父
・寒鯉の沈みて髭もうごかぬは一尾ゐてすこし離れて一尾
・あきかぜに白き岩あるすずしさはその岩のなかさかながおよぐ
・きみ病みてとんぼのめだまのやうになるとんぼのめだまだけのやうになる

稲葉京子歌集『忘れずあらむ』(不識書院)
・一瞬の怖れ言へどてのひらも手紙も吸はるる夕ぐれポスト
・技芸天の人差し指がさしたまふはるか下界に悩めるわれら
・わが夫に小さき子らが作りたる形怪しきチョコレートクッキー
・ストレッチャーとすれ違ひたり蝋をもて作りしやうなあな裏が見ゆ
・あなた一度私の処に来たでせう 首細かりし永井陽子さん

小島なお歌集『サリンジャーは死んでしまった』(角川書店)
・救急車のサイレン遠ざかることもあたたかきこの春夜の一部
・わたくしも子を産めるのと天蓋をゆたかに開くグランドピアノ
・憂鬱な今宵湯船に浸かりつつ足の指だけ並ぶ湯のうえ
・家族四人気球に乗りし夏の日をときどき誰かが話し始める
・地震の日会社のデスクにもぐりつつ自分のからだを強く意識す

泉谷虚舟歌集『虹のメルヘン』(ながらみ書房)
・ビニールのプールに井戸の水張りて、大都会より孫迎えたり
・チィチィとまだ見ぬ孫の声聞こゆ、テキサスからの電話の中に
・人類の滅亡予告のテレビ見て寝床に入りぬ、うべないながら
・「かぐや」の歌賀状に書けば製作のスタッフだったと親戚よりの文(ふみ)
・パン屑を喜びし犬のハッピーはパン屋の前にて思い出すなり

永島道夫歌集『天心の月』(角川書店)
・年齢(とし)のせゐと言ひ訳するにシャツでさへ記憶をすると厳しきこゑす
・自転車の牛乳壜が鳴りあひて霜おく朝の空気を揺らす
・魘(うな)されゐる妻を起こすが精一杯夢の国まで救ひに行けず
・花束を抱へて電車に乗りたれば座席の隙間すこしひろがる
・宇宙船のなかにふはふはゐる人をあたりまへのやうにテレビは映す

長田敬子歌集『風紋』(不識書院)
・登校の道にしゃがみて黄の帽子三つ寄り合う見つけしは何
・ほぐしゆく鮭の卵は朱に透きて一粒一粒目の光りいる
・国道をゆるゆる走る耕耘機曲りてゆきぬ菜の花のなか
・叔父を看取る窓より夏の海見えてサーファーは高き波に遊べる
・割烹着きてほほえめる母の写真軍服姿の父と並べる

小俣はる江歌集『虹吹橋』(短歌研究社)
・新しき客との話間のあきて髪切る鋏のリズムが乱る
・幾年を陳列変へざる文具店夕べ暮るれば送り火を焚く
・諍ひし夫のジャージーなげ入れて選択スイッチ「強」を押したり
・知り人の招く縁側切干しの芋と大根乾きて軽し
・客の襟剃る手休めてたまゆらの初雪を見む鏡の中に

造酒廣秋歌集『秋花冬月』(ながらみ書房)
・バカボンの父ならざれば正月の風にブラック・カイトをあぐる
・赤信号になれば必ず頬づゑをつく癖があるこのバス運転手
・大きなるリュックが背より落ちさうな女子中学生は一年ならむ
・けふ山は春の藍色のびすぎた兎の耳のやうな大根
・三分間カップの蓋をとぢるため『新明解』を使つたりする

大下一真歌集『月食』(砂子屋書房)
・芥川 久米正雄ここに宿りしと濡れ縁に座し聴く雨の音
・若者の跳躍や良しひょんと来てひょんひょんとわがさき行く蛙
・白き布取ればみ顔のおだやかに息なさざるは何のたわむれ
・雄なればムツゴロウとて闘えり目を剥き泥に体撲ち合い
・人目には僧形と見え月光に狸の影を引きつつ行くか

鈴木紀子歌集『万の指』(ながらみ書房)
・はつなつの水溜りの雲飛び越さむフレアースカートの幅一杯に
・父母送り妹送り思ふかな柩に小さき窓のあること
・朝刊は郵便受けに余りけりずしりと新年わが家に来る
・鳴く蝉と鳴かない蝉と横ざまに翅触るるまで寄りてゆきたる
・道草の子らが囲める榾の火の火の粉は遊ぶ火の粉と遊ぶ

関谷啓子歌集『梨色の日々』(六花書林)
・そらまめの囁く声をひとつずつ銀のフォークに抑えてゆきぬ
・遅れがちの柱時計の打つ音は部屋より洩れておりおり聞こゆ
・誰からも好かれていると言われればペンペン草のようなさびしさ
・夕空にながれる雲を追いながらどこに行くのかわれと自転車
・枇杷酒、かりん酒戸棚の奥に押しこめて忘れることを増やしておりぬ