祐徳美惠子歌集『左肩がしづかに』(青磁社) |
・多発性骨髄腫とは治るのか深夜ネットの森を彷徨ふ |
・今日ひと日母のいのちを見届けて帰れば庭は夕映えの函 |
・祖たちのとほき宴を想ひたり朱のさかづきが筥より出でて |
・どのやうな人だつたろう曾祖母の手に結ばれし紐を解きつつ |
・出征も病死もありしこの家に在りつづけたり大いなる樫 |
・父が眠る墓苑をつつむ菜の花が風に匂ひぬここ此岸なり |
・モナ・リザの背後の昏い風景は生まれる前にみてゐたやうな |
・蓮ひらく池に緋鯉の背びれ見ゆいま極楽のまんなかあたり |
・前の世もここに出逢ひをせしやうな夕映えながき山国の橋 (大分県中津市山国大橋) |
・画面には難民の列その中に子を抱くわれも紛れてをらむ |
木村寛子歌集『木蓮坂』(本阿弥書店) |
・大根を切るキャベツを刻む音あたたかな木のまな板が好き |
・熊蝉の声のドームにおほはれてふるさとの家は夏さかりなり |
・母の書棚に残るアルバム早逝の祖母とをさなき母がよりそふ |
・香林寺の五重の塔に光背のごとく観覧車朝光(あさかげ)に映ゆ |
・不特定多数のひとつに残りたり釣り革にぎるわたしの指紋 |
・さくら貝探ししおもひで埋立てにすかた゛た変へたりふるさとの海 |
・還暦をむかへる弟お姉ちやんがあねきに変はりしときの遥けし |
・一礼し「しつれいします」エレベーターを駆けだす朝の赤きランドセル |
・診察室にいまも置かるる往診かばん父の分厚き手を覚えゐむむ |
・荷台にはあかく窯の火揺らぎをり焼き芋の声ひびく小寒 |
玉井清弘歌集『山水』(短歌研究社) |
・勤続の十五年目の一か月休暇に次男遍路に帰省 |
・何ゆえに歩き遍路を希望せし 次男と歩きついに訊ねず |
・菱の実は打ち寄せられて風強き夕べの岸にあつまりて揺るる |
・折紙の飛行機指より離れゆき水平飛行の空つかみたり |
・小分けして今日一万歩あるきたり遍路の日には四万超えし |
・白文を読むに苦しみ返り点たよりて古き書物をひらく |
・道中に果てなば杖が墓標なり宿に着きなばまず浄めたり |
・単純に付き添うだけの一日に肩のこりたり妻はなおさら |
・五つの房できてただいま親は留守 足長蜂の巣を壊したり |
・流子(なかれこ)と獺祭にひとり祝いたる八十二歳誕生日今日 |
沢口芙美歌集『変若かへる』(短歌研究社) |
・わが列車ときをり警笛鳴らせるは近づく鹿を追ひはらふため |
・水仙を見にゆかないか親しかる声にるひろがる水仙群落 |
・根なし草のわれを思へば父母のとなりに眠る兄うらやまし |
・終はりたり終はらせたり身の丈に暮らし整へゆくべき年齢 |
・どこの訛りと聞きてゐたれば日本語にあらず朝の混みあふバスに |
平成十九年 百名山完登 ・頂上に雲を眺めて心放つこの喜びに導かれきて |
平成二十五年 ・ようやくに次女は嫁ぎ長女゜はも仕事に一途 我に孫なし |
・製紙工場、太き煙は横に折れ朝の風向きリアルに示す |
・除菌スプレー座席にしかとふりかけて女座れり昼の電車に |
・退院をすれば先づせむ朝顔の苗の植ゑつけ梅酒りの漬けこめ |
長谷川莞爾歌集『遍路笠』(六花書林) |
・御高祖頭巾被りし尼も巡礼として詣でゐつまた出会ひたり |
・お遍路の老いたる貌は映るなり口漱ぎ手水鉢にに屈めば |
・似非遍路(えせへんろ)といへども遍路 菅笠の「同行二人」深く被りて |
・夕ぐれのきさらぎ線の小駅に佇つ巡礼やひとりはぐれて |
・蟒蛇(うはばみ)となりて沼地を這ひゆくは前世に邪教唱へたる者 |
・トイレ使用料一ユーロ 小便器の位置高すぎて背伸びしてする |
・露天風呂に手足を伸ばす山下りし後のささやかな奢りといはむ |
・新しき命は愛純(あずみ)と名づけられ母なる舟に抱かれ息づく |
・祖父というこの影淡き存在を意識して夜の団欒にゐる |
・二世帯の二階が妙に静かなり何かあつたかと心配になる |
横山季由歌集『唐鬼』(いりの舎) |
・包丁を危なかしく使ひ葱刻む海里は厨に婆々(ばあば)と並び |
・あたたかき庭にかがみて帽子かぶり妻は菫をスケッチしてをり |
・娘の制止に高速道路運転せず列車とタクシーにてふるさとに行く |
・婿殿の乗る始発バス発ちゆきぬ吾が速歩する朝暗きなか |
・娘に頼まれ吾が浮き浮きと学校より帰る孫待つ道辺に立ちて |
・妻の弾くピアノの音色今宵やさしバッハのプレリュードコロナ禍の今 |
・マスクして口元見えぬコロナ禍にろうの生徒ら困り入りをらむ |
・中学にて出会ひし日より六十年か四十九年添ひ遂げてきぬ |
・吾ら植ゑし桜満開の三室山を背(そびら)に妻と吾が墓の建つ |
・犬の所為(せゐ)か人のせゐかは吾が知らずこの頃出会はぬ幾人かあり |
・適応障害は原因を絶つより手立てなしきつき会社は辞めよと諭す |
・辞表出し心の軽くなりたりとけふは息子より電話してきぬ |
・フランスの本社より受けし開発賞会社辞めても持ち帰り来ぬ |
・戻り来てこころ立ち直りゆく息子けふ京都に趣味の写真撮りにゆく |
・体重を減らすメニューの食事作り息子に食はせ妻は張り切る |