書架新風(下半期)

三井ゆき歌集『池にある石』(六花書林)
・稲妻は西南の方いくたびも街の形をあらはにしたり
・山吹という名の馬も聞きゐたり林の奥のせせらぎの音
・春子さん認知症になりしといふ徘徊ぶりをその子が語る
・校庭に必ず土俵のありしころ祭りにもありし奉納相撲
・卓球仲間の西村さんは八十七歳勝気な球がまつすぐに来る
・認定証ナンバー七七二二二三番馬ロナウドに乗りて受験す
・朝食に必ずナイフとフォークもて姑の食みし台湾バナナ
・上野駅にぼんやりしてるとサーカスに売らるると言ひしは誰か
・「貴ノ花!!」桟敷席より叫びしよ国技館の小中英之
・早朝の無言電話は八年余転居したれどついてきたりぬ

榎幸子歌集『わがものならず』(本阿弥書店)
・山にほふ隧道に入りゆかむとす根の国夢の国への入口
・生かさるる生きねばならぬ黙しつつ夫も思ふか車椅子押す
・四十キロきりし日より体重計に乗るを拒めり法師蝉なく
・苦しき息間遠になりぬ見守りゐる家族五人と主治医看護師
・カヴァー絵を描きくれたれどわが歌の一首も読まず夫は逝きたり
・ロッカーに夫のうつしゑあづけしまま江ノ電に乗り江の島詣で
・カテーテル治療は四時間半におよぶ扉の外の娘を思へり

後藤祐子歌集『ほおずき三つ』(六花書林)
・指笛を短く吹けば跳んできて抱けというなり鼻すりよせて
・青年の頭あずかるわが肩をすこしあげたり つぎに降ります
・コンタクト止めてメガネに変えたれば自意識かるく老いは楽しき
・土踏まずぎゅむぎゅむ押さるる夏の路地からだの壺に国境あらず
・くるぶしを川の流れにくすぐられあっちのメダカこっちのメダカ
・あの人の大好物のカレーパンついでに買っとこ 冬雲きれい
・紋付の祖父の愛した羽織裏ひんやり鯉が泳いでいたり
・無意識に南無阿弥陀仏と唱えたり カストロねむるサンティアゴ・デ・クーバ
・トンネルを抜ければかつて潜りたる海ひかりおり おーいわたしよ
・いつ寝るも起きるも気ままな吾のくらし午前三時の星空いいぞ

平田洋子歌集『穏やかな空』(青磁社)
・夕波に足を浸して打ち寄せる清しき音を二人子と聞く
・夜ごと仰ぐ空に輝く大き星を父と決めしと少女は言ひぬ
・切株に腰をおろして仰ぎ見る大仏殿の鴟尾のかがやき
・朱と白のコントラストの鮮やかな遣唐使船いぐわいに小振り
・ペット禁止の団地に住みて膝にのる子猫は電池で動く
・両側の高き駅ビルに挟まれて窮屈さうに特急入り来
・雨の中水母のやうな傘さしてふはつと坂をおりくる青年
・建物を囲ひし白布外されて何も在らねば手品のごとし
・秋たけて金木犀の香る道国体に出でし若き日思ふ
・スローモーション画像のやうな太極拳冬の広場に老いら楽しげ

加藤直美歌集『金の環』(角川書店)
・サングラスの奥のタモリの目のやうな秘密あります春楡の洞
・自販機を転がり落ちるゴールドの缶にパイプをくはへた男
・洗面所に子らの踏み台ありし日々 牛乳石鹸ほどの幸せ
・「しとしと」と教へるゆゑに六月の雨「しとしと」と聴く耳育つ
・永代供養の永の長さを思ひをり墓石に触れて雪は消えゆく

永田紅歌集『春の顕微鏡』(青磁社)
・再沸騰ボタンを押せばこぽこぽと湯は応答し生き返りたり
・早春の井の頭線ひたすらに明るし過ぎてゆく梅林も
・転がりていたるボールをグラウンドに投げかえしおく土手の夕暮れ
・流氷に乗りてキツネの流さるる話にわれらかなしみてあり
・ジェンナーと書くべき欄にジェンダーとありて笑いて点はあたえず
・文章が凝り固まってきたころにほぐさむとして猫うらがえす
・出しかけし棺を部屋に戻したりはげしき雨は突然に来つ
・突然に雨を降らしぬ庭、家に あの迫力がすなわち母だ
・水流が私に添いて来るように思わるるまで自転車を漕ぐ
・甥姪は川辺の白き家に住む 櫂玲陽颯(かいれいようそう)、熟語のごとし
・歳の差を思えば父母と異なれる時間の軸の夫婦とならむ
・家中の柱に頬を擦りつけることを覚えて飼い猫となる
・町内を回覧板はまわるなり永田→田中→中川→川端
・流れ来し野良の顔立ち振る舞いを貴種流離譚のごとく楽しむ
・黒塗りの車が停まり黒服の執事が迎えに来たらどうしよう

中村行矢歌集『母樹』(本阿弥書店)
・建造は明治百年名にし負ふ百年橋はいつも渋滞
・ごきぶりが嫌なんですよしゆわしゆわと思惟するやうに鬚のしなふが
・くひちがふ昔話やみづからに固執しながら友と酒くむ
・おほかたは骨の八本雨傘の八つのしづくにかこまれあるく
・ふらふらとすぐ前をゆく自転車の右を左をぬけずわが漕ぐ
・モノクロのごときにつぽん盟友は極彩色のごときアメリカ
・たえまなく落ちる秋雨ふり込みのされぬ奇数の月もながらふ
・これからは我らが世代にちにちの訃報の欄をうめてゆくのは
・継続は力とぞ見よ醤油差しの穴をつめたる結晶塩を
・ひと殺しする小説を読みすすむひとのだれともあはぬ日の暮れ

中村敬子歌集『幸ひ人』(柊書房)
・横顔の美しかった級友の真正面なる写真あふぎぬ
・一冊のどこを開けても子と犬と君と笑へるアルバムがある
・両足をゆるい斜面になげだして景色のやうな草野球みる
・水槽の水によこたふヒメダカよ三リットルの水の世去りて
・眠りゐるラブラドールはたれ耳をふいに立てたり拍手の音に
・ちちははの介護施設の広告の〈入居者募集〉バスに揺れをり
・オスワリと何度も言ひきお座りを忘れる未来知らず教へき

大野景子歌集『水の輪郭』(角川書店)
・「医師(せんせい)の奥さん」と呼ばれ振り向きぬ附録は附録の貌を作りて
・孫褒めと思ひて聞きしが男らの猫自慢とはいやはやいやはや
・ほんの少し泣きたくなると座る椅子雨降る気配に猫が居座る
・「認知症」と呼び名変はれど義妹は心に何かを棲まはせてゐる
・休診の日も院長室に座りをり同じ話を聞くのは金魚
・秋の陽に照らされ影の長くなる夫の白衣と椅子の背もたれ
・薬剤費一錠七万五千円 食後の舌にそうつと転がす

奥井美紀歌集『地に湧く泉』(早川美紀)
・きらきらとまぐはふ父母(ふぼ)はなげきなりわれを結(むす)びし雪(ゆき)の夜(よ)のこと
・とどめおくわれはなかりきわれは風(かぜ)虚空(こくう)の夢(ゆめ)を吹(ふ)きわたるなり
・はるかぜは小鳥(ことり)おまへね春風(はるかぜ)は小鳥(ことり)おまへねこもれ陽(び)うたふ
・息(いき)とめてじやんけんぽんの水(みづ)の中(なか)プールは青(あを)くゆがんで見(み)える
・のびのびとあくびの口(くち)のはちきれてをさな目覚(めざ)めのあぐら坐(ずわ)りす

玉井清弘歌集『谿泉(けいせん)』(角川書店)
・ショーケースに手をさし出(いだ)す観音に届くことなしこの世の落花
・笑い方四十年経て変わらずと驚きている教え子の来て 
・若きらの働きている午後三時ごめんと言いてわれは晩酌
・朝八時からくり時計動きそめ坊ちゃんマドンナ幼くおどる
・つつつっと水にはしれるかぶとえび環境汚染わらいとばせり
・気づかずに軒の下にて太らせしすずめ蜂の巣子が取りくれぬ
・歩き仏坐り仏をくりかえしひとり歩みぬげんげ咲く道
・昭和史の表紙に立てる軍服の七五三の少年われにあらずや
・行きどまりの岬のはてを洗いいる太平洋の紺青の潮
・修験者の吹く法螺貝はまぎれなくここが宇宙のまんなかと告ぐ

加藤満智子歌集『秋の燕』(砂子屋書房)
・ひな燕日ましに声を張りあげて餌を欲る口の花のごとしも
・豆電球灯さるる樹のふえゆきて小島のねぐらのへりゆく師走
・ネクタイをはづしてメーデーにゆく慣ひ父は語りき 乱闘のため
・感情の半ばもかくるる心地すれ夏帽子ふかく被りて歩む
・夜ふかく眠れぬ窓にホトトギス三たびを啼けり ははの来しかも
・空翔ける亀のにはかに蝶と化す夢の断片わすれがたしも
・短調(マイナー)の翳りをふふみ草叢にすだく虫たち秋さりにけり
・鉦叩きのかそけき唄を夫の耳もはや捉へぬわれのさびしゑ
・コンビニのレジに祝福われは受く八百八十八円也 末広がりと
・プチブルもプロレタリアートも死語となりいま貧困の若者多し

安藤菫歌集『はるかなる虹』(ながらみ書房)
・精神科入院の朝娘は皿のケーキ欲しがる弟にやりぬ
・物置を片付けをればこころ病む吾娘の励みし参考書の山
・退院の荷物を廊下に持ち出せば重く扉に錠かけられぬ
・一連の真珠病む娘の失ひし春償へと胸に懸けやる
・家族の絆日々うするるをおそれてか娘は一人一人の消息尋ぬ
・卓(テーブル)のたらひに産湯つかはすを幼き兄姉のぞきゐし日よ
・乳房のふくらみ見せ合ひ育ちし従妹よりファックスに告げ来カナダ籍取りしを
・介護ベッドを借りやうかと呆けし母に尋(き)き指図待ちゐるをさなのごとく
・母逝きてほとほと何もなき部屋に晩秋の陽が一筋差せり
・陽に干せばふつくらとせり32と病棟名入る娘のバスタオル

小島ゆかり歌集『六六魚(りくりくぎよ)』(本阿弥書店)
・「昔は」と言ふたびわれを戒むる娘はむかしわれが産みたり
・夕焼けの空に穴ありわたりゆく先頭の鳥見えなくなりぬ
・赤子泣くそこは世界の中心でそこは世界の片隅である
・ときどきはもんしろ蝶も出入りする文房具店だれかゐますか
・をさなごに鼻つままれて「んが」と言ふ「んが」「んが」古いオルガンわれは
・亀しづみ蜻蛉とび去り秋天下われがもつとも難題である
・こんな夜(よる)はにはとりを抱いてねむりたしなまぐさいあかい月のぼる夜
・病院は古城のごとし母を置きひとり帰れる夜の背後に
・みづからをまづいたはれと言ふごとく胸に抱ふるパンあたたかし
・思ふたびこちら向きなる鹿のかほ絶対音感の耳立てながら

春日いづみ歌集『塩の行進』(現代短歌社)
・若きより心に抱く「晩鐘」の意外に小さし顔を寄せゆく
・境界のあつてないやう二世帯の三人暮らしを猫の行き来す
・老猫のしつぽを穴に通しつつはかす襁褓は水玉模様
・修理より戻り元気な掃除ロボ眠れる猫のめぐりを回る
・年始客の四十人を賄ひしわれにやうやく女正月
・つまむ手のやつぱり気取る大粒のマスカットオブアレキサンドリア
・右巻きの螺髪は六百五十六 迷路にあそぶや頭上の鳩は
・雨風に猫背となりたる大仏か金箔すつかり星に吸はれて
・襁褓外し首輪外して膝の上わが猫冷たく耳反りてきつ
・人間なら百二十歳と言はれたり移動火葬車の黒服の男(を)に

黒木沙椰歌集『Manazashi 677』(角川書店)
・定位置といふもの不思議な影がゐる 誰も座らず姑の定位置
・家たたむと親族集ひなにか趣味持てと責めらる九十二歳
・春深し姑が手離す百年の家とひとりに暮らす矜持と
・被爆少年なりし神父の語り継ぐ逃げて見捨てし三人のこと
・混血の貌くつきりと楠本イネ学びたり小さな眼鏡はのこる
・弥勒菩薩のやうな指してスマホ叩く女子たちばかり 秋が来てゐる
・携帯の機能が拾ふ発車アナウンス何処とは問はず耳熱くする
・潮待ちの良き港なれにぎはひの証といへり遊郭の跡
・出船にはかもめが似合ふ沖までも従きくる習ひに餌の百円
・リフォームのウッドデッキにパラソルをひらきぬ、わたしの打ち上げ花火

梶黎子歌集『冷えたひだまり』(六花書林)
・祖母の名の右に平民と記されて尋常小学校卒業証書
・アンブレラの原義は小さな影という駅にてひとりひとりが開く
・くり色の尾をもち襁褓に通しやるたぶん最後の夜になるだろう
・身代わりになれねば銀行の窓口へ烟のような母を連れゆく
・車椅子を押してはゆけぬ城のなか母は天守を仰ぎ見るなり
・玄関に鍵をかければ母ひとり昼の人屋(ひとや)に匿うごとし
・教員採用試験をともに受けたりし友より定年の報せがとどく
・殻の底にふたつの日付記されて卵はあいだの時間を生きる
・日に一件消えてゆくなりこの国の町のたばこ屋ではなく本屋
・人生を変えたき人の数多いて宝くじ売り場に列なしており

石田美南歌集『架空線』(本阿弥書店)
・川をゆく暴走族になりたいとミモザの光放ちて友は
・友だちの恋の経過を聞きながらたまに笑つてしまつて、ごめん
・人の顔あまた仕入れて売りさばく梅原鏡店の日常
・あれは春 蝶のあなたが水溜まり飛び越しながら見てゐた春
・バス停もバスもまぶしい 雨払ふごとく日傘を振つてから乗る
・(これは誰の夢の断片)裏庭で母が楽譜を火にくべてゐる
・城跡へ向かふ夕暮れ 身じろぎもせず立つてゐる木槿(むくげ)が怖い
・ぬかるみを踏めばはつかに盛り上がる泥土もしくは春の係恋
・見えぬ水をひとりへ注ぎ、軽くなる一方の水差しだわたしは
・夏のあひだは辛うじてまだ恋だつた 羽から舐めて消す飴の鳥

黒﨑聡美歌集『つららと雉』(六花書林)
・鮒釣りをさせる釣堀いつ見ても三、四人の釣り人がいる
・柿の木に梯子ひとつが掛けられて百年は経ったように青空
・にんげんの気配無いまま漏れてくるラジオ体操第一の音
・ふるさとはとてもしずかな曇天で町のすべてが低くたたずむ
・鏡には光がうつり美容師の話のなかでだけ会う女の子
・冷えた音を夜空は吸わずショッピングカートを押してゆく駐車場
・電線が太さを増して見える昼 失踪という消え方もある

志野暁子歌集『つき みつる』(角川書店)
・蝕終へて月の明るき駅の広場 肩ぐるま高くこどもが通る
・一年生百五十人が遠足の列をゆき麒麟がじつと見おろしてをり
・膝折りて春の駱駝も老いふかし あはれ汚れて反芻(にれが)みやまず
・塔のうへ星ひとつ出でいかるがは夕べの景に変りはじめぬ
・市制しきて失せし字(あざ)の名バス停の名に拾ひゆくふるさとに来て
・溝、段差、凹凸多し櫨紅葉見せむと車椅子押してゆく道
・雷雨きて出航遅るる桟橋の杭ひとつづつ海猫の占む
・ヒマラヤを越ゆる群れあり檻にゐて翔ばざるがあり 鶴に生まれて
・幼子の帽子に止まる赤とんぼ翔ちてちひさき光体となる
・ぽつねんと車椅子あり かぐや姫昇天の夜のごとき満月

佐山加寿子歌集『鈴さやさやと』(本阿弥書店)
・鈴と扇捧げ一歩を踏み出しぬ これからが長き絶海の冬
・うずめ舞ふわれを拝(をろが)む媼ゐてうれしかりけり切なかりけり
・コンビニの青年見知りし顔のやう さうだ神輿の若衆の一人
・朝露にさんだるの指濡らしつつきみのあさげの胡瓜をもぎぬ
・シュノーケルつければわれは海の人潜きゆくべし青の深みへ
・生け簀から掬われ上がるその刹那人打ちて海に逃れるもあり
・厨からは竈(かまど)の匂ひ水の音振る舞ひ仕込む女らあかるし
・神と人と共に食する直会(なほらひ)の高き笑いゆ春始まりぬ
・神楽舞ひせんと訪ねる遠近の佐渡の村々春が来てをり
・「正面壱」墨書通りに板戸立て冬来る島の能舞台閉じづ

峰尾碧歌集『森林画廊』(ながらみ書房)
・丈たかき石垣伝ひ影ひとつとろりと落ちて黒猫となる
・かぶと虫子の子が飼へば甘辛き獣の匂ひ再(また)満つる家
・寝る前の絵本を取りに走り出づずつと昔にお前の父も
・縄文の濃闇(こやみ)の中に乾きたる朴の広葉はかあんと落ち来
・あをあをと螢は消えていま闇は滴るばかりみづのにほひす



「書架新風(上半期)」へ移動
狂歌を五句三十一音詩史に回収する 狂歌逍遙録   YouTube講座「吉岡生夫と巡る五句三十一音詩の旅」   兵庫県高等学校文芸部の皆さん 熱いエールを送ります  


アクセスカウンター