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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 76  
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■■
■■ 今回は「元寇」を勉強します!
■■

三重:神風が吹いてモンゴル海に消え・・・。
佳代:何,それ。俳句のつもり?
三重:まあね。一応,五・七・五になっているからね。
藤原:三重ちゃんが俳句か。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:そんな趣味があるとは思わなかったよ(笑)
三重:いえいえ,何となく言葉に出ただけです。
藤原:今日は,元寇かな?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:それじゃあ,前にも勉強しているからどんどん質問するよ。まず,
   元を作った民族は?
三重:ハイ,モンゴル民族です。
藤原:そうだったね。さっきの俳句の中にもあったね。季語はなかったけ
   ど。
三重:そう言えば,季語が・・・。神風はですか?
藤原:どうかなそれは。まあ,それはおいといて,その元が攻めてきたと
   きの日本の執権は誰だっけ?
佳代:は〜い,北条時宗で〜す。
藤原:そのとおり。
三重:わたしだってそのぐらい知っています。来年テレビでやるって聞い
   ています。
藤原:そうなんだ。珍しく大河ドラマで鎌倉時代をやる。その主役が北条
   時宗だ。一躍有名になることは間違いないよね。
三重:ということは,入試にも出ますか?
藤原:もちろんだよ。もともとよく出るし,話題性もあるから,いつもの
   年より出る確率が高いかも。前にも言ったように,戦いの様子を描
   いた蒙古襲来絵詞は,最近の入試では最もよく出る図だからしっか
   り見ておいてね。
三重:分かりました。教科書をよく見ておきます。
藤原:それから,相手方,つまり元の皇帝の名前は?
三重:フビライです。つまり,北条時宗対フビライってことですね。
藤原:そういうこと。その辺はもう大丈夫だね。それじゃあ,元が攻めて
   きた2回の戦いの名前は?
三重:ええ,文永の役と・・・,えーと,えーと。
佳代:弘安の役よ。
三重:あ,そうだった。文永の役と弘安の役です。
藤原:まず文永の役だけれども,モンゴル軍は博多湾に上陸した。そして,
   日本は,彼らの集団戦法にさんざん悩まされた。
三重:あっ,少し思い出してきました。確か毒矢を使ったり火薬なども使
   ったんですよね。
藤原:そうだね。てっぽうという言葉も出てきた。とにかく,史上最高と
   言われる広大な領土を獲得したモンゴルだから強いのは当たり前だ
   よね。
三重:そうですよね。でも,運良く暴風雨のおかげで退却したんでしたね。
藤原:おう,三重も成長したね。去年は,相槌を打つぐらいしかできなか
   ったのにね。
佳代:あっ,思い出しました。先生が,元がもう一度攻めてくるっていっ
   たら三重が,「しつこいですね」って言っていたのを。
三重:えっ,そんなこと言ったかな?
佳代:言ったわよ。ちゃんとホームページに記録されいるからね。ごまか
   しは聞かないわよ。
藤原:まあまあ(笑)。確かにしつこいよね。でも,このときも暴風雨が吹
   いて,元の大軍は戦わずして海に沈んだんだったね。
三重:まさに神風ですね。
藤原:そういうこと。考えてみれば,元寇とは,化け物のように大きなや
   つが殴りこんできたようなものだから,大した傷を負わず撃退した
   ということは奇跡的だよね。
佳代:本当ですね。3回目は中止になったし,助かった!って感じですね。
藤原:うん,確かに助かったけど,この戦いのために鎌倉幕府は滅亡の道
   を歩むことになったわけだから,やはりたいへんな出来事だったわ
   けだ。元寇については,前にも話したように,戦いそのものよりも,
   その後が大切だって言ったよね。
三重:ハイ,恩賞を出すことができず,徳政令を出したりして混乱しまし
   た。
藤原:おう,よく覚えているね。元という大敵と戦い,撃退したものの,
   土地が増えたわけではないから幕府も,恩賞,つまり,ごほうびを
   与えることができず,御家人も幕府も困り果てることになる。その
   辺の事情は,大場佳代の楽しくヒストリー12を読んで復習してね。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 元寇(元の皇帝:フビライ,日本の執権:北条時宗)

 ・文永の役(1274年)

 ・弘安の役(1281年)

 ※ 受験生の方は,「大場佳代の楽しくヒストリー12」も併せて読んでください。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 77  
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■■
■■ 今回は「室町時代のおもな一揆」を勉強します!
■■

三重:ねえ,佳代,今日は応仁の乱をやるの?
佳代:そうねぇ・・・。応仁の乱は,17号でやったから今日は,そのころ
   おこった一揆をやろうかなと思うの。
三重:一揆かぁ・・・。何か難しそうだなぁ〜。
藤原:難しく考えることはないよ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:確かに難しいといえば難しいけど,君たちは,ほんのちょっとだけ
   勉強すればいい。簡単にやろうよ。
三重:ハイ,お願いします!
藤原:室町時代の中期には,たくさん一揆が起こったけど,3つだけ勉強
   しよう。
佳代:正長の土一揆とかですか?
藤原:そう,正長の土一揆,山城国一揆,加賀の一向一揆の3つだ。これ
   だけしっかり覚えておけば大丈夫だ。
三重:さっぱりわかりませ〜ん。
藤原:うん,だから,簡単でいいよっていっただろ。まずは,応仁の乱を
   目安として,いつおこったのかを把握しておこう。
佳代:任せてください!応仁の乱が,1467年です。むなしい年です。
三重:人よ,むなしい応仁の乱だったよね。
藤原:そうだね。この大切な応仁の乱を基準として,前におこったのは,
   どの一揆だろう。
佳代:もちろん,正長の土一揆です。
藤原:正解。正長の土一揆は大切だね。今,言ったように応仁の乱の前に
   起こっていることと,もう1つは内容を押さえておくといい。
三重:内容といいますと?
藤原:うん,この一揆は,徳政を要求しておこった一揆だということ。
佳代:資料問題などでも出てきますね。
藤原:うん,しかも,土民つまり民衆が蜂起したのは,日本の国が始まっ
   て以来のことといわれているから歴史的な事件といえる。
三重:そ,それはすごいですねぇ。
藤原:そうなんだ。だから,正長の土一揆は,徳政を要求した一揆であり
   当時,高利貸しをしていた酒屋・土倉・寺院などを襲ったというこ
   とをしっかり頭に入れておこう。
三重:分かりました。
藤原:次に,山城国一揆。これは,応仁の乱の後になるけど,山城国とい
   うのは,現在の京都府だから,中央の周辺でおこった一揆だね。
三重:こちらも民衆が起こしたのですか?
藤原:いや,こちらは国人と呼ばれる武士たちが中心になって起こした。
三重:国人・・・ですか?
藤原:うん,国人とは,在地領主で,多くの場合,守護の家来になってい
   ない武士のことだ。
三重:つまり,地元の武士ということですか?
藤原:そうだね。その国のはえぬきの武士と言っていいだろう。かれらは,
   内部抗争の絶えなかった守護大名の畠山氏を追い出して8年間にわ
   たって自治を行ったんだ。
三重:先生,畠山氏って三管領の一人じゃないんですか!
藤原:そう,畠山は,細川,斯波,畠山という,管領を務めることができ
   る名門中の名門だよね。この事件を見ても,応仁の乱以後は,幕府
   の権威は地に落ちていることが分かるだろう。
三重:本当ですね。
藤原:最後に加賀の一向一揆だけど,加賀ってどこだっけ?
佳代:ハイ,現在の石川県です。
藤原:そう。そして,今度の主役は,一向宗という宗派だ。
三重:一向宗って,確か浄土真宗でしたよね。
藤原:おお,よく知っていたね。そうなんだ。一向宗=浄土真宗。これは,
   重要だからしっかり覚えておこう。鎌倉時代に親鸞が開いた浄土真
   宗は,別名一向宗ともいう。
佳代:そうですね。一向一揆の問題で一向宗が起こした一揆は?では問題
   になりません。
藤原:そういうこと。だから,問題として出るときは,浄土真宗がおこし
   た一揆は?って感じで出ることがある。一向宗=浄土真宗が分かっ
   ていれば簡単だよね。
三重:そうですね。大丈夫です。
藤原:そして,この一向宗を信じる人たちが守護大名を倒し,100年近く加
   賀の国を支配することになる。そして「百姓の持ちたる国」といわ
   れるようになった。
三重:それも,すごいですね。まさに日本中大混乱って感じです。
藤原:そうだね。応仁の乱以後の約100年間は,大混乱の戦国時代というこ
   とになる。ま,その辺が歴史の一番面白いところだけどね。
佳代:そうですね。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

【年代】応仁の乱の後か先かをしっかり覚えておこう。

・1428年 正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)

・1467年 応仁の乱(おうにんのらん)

・1485年 山城国一揆(やましろのくにいっき)

・1488年 加賀の一向一揆(かがのいっこういっき)

 ※ 土一揆の読み方は「どいっき」「つちいっき」のどちらでもいいで
   す。古い資料でかな書きのものには「つちいっき」とあるようです。

【内容】

・正長の土一揆・・土民(民衆)の起こした一揆。徳政を要求。

・山城国一揆・・・国人の起こした一揆。守護大名の畠山氏を追い出し,
         8年間自治を行う。

・加賀の一向一揆・一向宗の宗徒が起こした一揆。約100年間自治を行う。

 ※ 応仁の乱については『大場佳代の楽しくヒストリー17』で勉強して
   ください。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 78  
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■■
■■ 今回は「織田信長の戦い」を勉強します!
■■

三重:佳代は,信長好きだったね。
佳代:もちろんよ。
三重:三重は,秀吉の方が好きだなぁ。
佳代:どうして?
三重:やっぱり,農民から天下人へってすごいじゃない。
佳代:そうね。でも,信長がいてこその秀吉だと思うし,やっぱり信長よ。
藤原:おう,好みが分かれているね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:信長も秀吉も歴史の一ページを飾る大人物だからね。
佳代:ハイ,でも,やはり信長の方が・・・。
藤原:まあ,それはいいとして,今日は,このメルマガも今世紀最後なん
   だろ?
佳代:ハイ,ですから,それにふさわしく信長の戦いについてやりたいん
   です。
藤原:分かったよ。信長の有名な戦いについて勉強しよう。秀吉は,新年
   になってからやるからね。
三重:分かりました,お願いします。
藤原:信長の戦いといってもたくさんあるから,今日はいくつかに絞って
   話をしよう。まずは,信長がメジャーになるきっかけとなった戦い
   があったね。
佳代:ハイ,桶狭間の戦いです。
藤原:そう,日本史史上でも最も劇的とも言われる戦いだ。もちろん,誇
   張もあるけれどもね。
佳代:わずか2千といわれるの織田軍は,2万とも言われる今川義元軍を
   破りました!
三重:それはすごい!たった10分の1じゃないですか!
藤原:そうなんだ。正確な人数は分からないけれども,そのぐらいの違い
   があったらしい。とにかく,信長の名前が全国に鳴り響いた戦いだ
   ったことには違いない。
三重:いわゆる衝撃デビューですね。
藤原:まあ,そういうことだろう。歴史が動いた瞬間と言ってもいい。そ
   して,以後は信長中心に日本史が動いていくわけだ。
佳代:いいですねぇ。信長は(*^_^*)。その後,足利義昭を奉じて京に入り
   天下取りに着手しました。また,かつて裏切られた浅井・朝倉を姉
   川の戦いで破りました。
藤原:そうだったね。そして,比叡山の焼打ちだ。この焼打ちについては,
   誤解している人が多いので,いずれ詳しく勉強しよう。
佳代:ハイ,わたしも言いたいことがたくさんあります。
藤原:そして,言うことを聞かなくなった将軍の足利義昭を追放し,室町
   幕府は実質的に滅亡する。でも,戦いはまだまだ続く。
佳代:そうですね。有名な長篠の戦いも義昭追放のあとですね。
藤原:そういうこと。この長篠の戦いは,入試などでもよく出るからしっ
   かり勉強しておこう。
三重:確か,鉄砲隊が活躍したんですよね。
藤原:おう,よく勉強しているね。長篠の戦いのようすが描かれた長篠合
   戦図屏風がよく出ているんだ。受験生は教科書などでよく見ておい
   てね。
佳代:大丈夫です。この戦いでは,信長軍は,三段撃ちといわれる戦術で
   武田勝頼軍に圧勝しました。
三重:三段撃ちって何ですか?
藤原:うん,これも諸説があっていくつかの可能性があるんだけど,簡単
   に言うと当時の鉄砲は一発発射すると新しい弾を込めてもう一度撃
   つまでに時間がかかるんだ。
三重:どのぐらいかかるのですか?
藤原:そうだね。はっきりはいえないけど,だいたい1分30秒から2分30
   秒ぐらいだったらしい。どちらにしても,次の弾を撃つ前に馬など
   が突っ込んでくる。
佳代:そこで,三段撃ちを考えたわけですね。
藤原:そうなんだ。よく言われるのは,3人一組で一列に並び,一人が撃
   つと次の人が前に出る。そして,最初に撃った人は弾を込める。
三重:なるほど,それで,連続して撃つというわけですね。
藤原:二人目が撃ったら三人目が撃ち,その間に弾を込め終わった一人目
   が撃つという具合にして連射する。
佳代:すごい戦法ですね。
藤原:まあ,これについても,いろいろ議論したいことがあるけど,君た
   ちはとにかく長篠の戦いは鉄砲が威力を発揮した戦いだということ
   を覚えておけばいい。
佳代:そして,安土城を築き,長い長い石山本願寺との戦争を終わらせ,
   天下統一まぢかというところで明智光秀に殺されます。
三重:本能寺の変ね。
藤原:そう,これも歴史を変える大事件だった。
佳代:本能寺に関してはまかせてください!
藤原:そうだったね。ホームページでは,徹底研究本能寺の変というコー
   ナーがあったね。何と言っても50以上の説があるという戦国最大の
   謎を秘めた事件だ。興味のある人は,ホームページで研究してね。
佳代:お待ちしております。読者の声のコーナーもありますから,意見の
   ある人はどんどん言ってね。専用の掲示板もあります。
藤原:そんなわけで,特に興味のない人は,信長が家臣の明智光秀に殺さ
   れた事件ということでいいと思うけど,この事件ほど面白いものは
   ないから余裕のあるときにちょっと覗いてみてね。
佳代:お願いします。みなさん,今年もご愛読ありがとうございました!
   今世紀は,今回でおしまいです。21世紀は,1月5日より再開しま
   すので今後ともよろしくお願いします。それでは,この辺で!

□□
□□ 織田信長の天下統一事業年表
□□

・1560年 桶狭間の戦い(今川義元を破る)
・1568年 足利義昭を奉じ入京
・1570年 姉川の戦い(浅井,朝倉を破る)石山戦争開始
・1571年 比叡山延暦寺の焼打ち
・1573年 足利義昭の追放(室町幕府の滅亡)
・1574年 伊勢長島の一向一揆平定
・1575年 長篠の戦い(武田勝頼を破る)越前一向一揆の平定
・1576年 安土城を築く
・1580年 石山戦争終わる(本願寺を屈服させる)
・1582年 天目山の戦い(武田氏を滅亡させる)
・1582年 本能寺の変(明智光秀に殺される)


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■  ■ 大場佳代の           
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■  ■     楽しくヒストリー 79  
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■■
■■ 今回は「豊臣秀吉の戦い」を勉強します!
■■

佳代:みなさん,明けましておめでとうございます!
三重:今年もよろしくお願いします!!!
藤原:受験生の方,たいへんだと思いますががんばってください。
佳代:そんなわけで,今年もしっかり勉強していきましょう。
三重:がんばるぞ!
藤原:その調子,その調子。それでは,正月気分を振り払ってはじめてい
   くよ。
三重:ハイ,お願いします!
藤原:今日は,秀吉が関係した戦いだね。
三重:そうです。
藤原:それじゃあ,秀吉が信長軍団時代の戦いは別として,本能寺の変後
   の戦いを見てみよう。
佳代:まずは,本能寺の変で信長を殺した明智光秀との戦いからですね。
藤原:そう,山崎の戦いだね。
佳代:中国地方で毛利軍と戦っていた秀吉は,あざやかに大返しをしまし
   た。
藤原:うん,有名な中国大返しだね。
佳代:ものすごく有名な大返しですが,あざやかすぎて秀吉が本能寺の変
   にかかわっていたのではないかという疑いを持つ人もいます。
藤原:そうだね。本当に怪しい。でも,その辺は,ホームページで本能寺
   の変のコーナーもあるから,興味のある人はじっくり研究してね。
三重:ハイ,分かりました。わたしは難しいことは分かりませんが,とに
   かく秀吉は,毛利と和睦して光秀と戦うことになったのですね。
藤原:そういうこと。だから,山崎の戦いは光秀と秀吉の戦いだというこ
   とを覚えておけばいい。
三重:それで,勝った秀吉が天下を取ったわけですか?
藤原:いや,確かに秀吉は有力な後継者になったことは確かだけど,まだ
   まだ天下には程遠かったんだ。ライバルがいたからね。
三重:ライバル?
藤原:うん,織田軍団には,明智光秀,柴田勝家,丹羽長秀,滝川一益に
   秀吉を加えて5人の有力な軍団長がいたんだ。その中の最大のライ
   バルの光秀を倒したわけだから,次なる敵は,柴田勝家だった。
佳代:柴田勝家は,織田家譜代の家臣でしたね。
藤原:そうだね。その柴田勝家との戦いが,賤ヶ岳の戦いだ。
佳代:この戦いで,織田信長の妹のお市の方が自害しました。
藤原:おう,さすがに佳代ちゃんはよく知っているね。もともと近江の浅
   井長政に嫁いだお市の方は,浅井が信長に滅ぼされたあと柴田勝家
   に嫁いだんだ。そのとき,浅井長政との間にできた有名な三姉妹が
   いた。
三重:あっ,知っています。淀殿とか・・・。
藤原:うん,のちに秀吉の側室になり,秀吉の子を産んで権勢を誇ること
   になった淀殿が長女。そして,三女のお江は,徳川二代将軍秀忠の
   奥さんになることになる。
佳代:その三姉妹は,賤ヶ岳では助けられたわけですね。
藤原:そうだね。後々の歴史に大きく影響を与える三姉妹が助けられたこ
   とは本当に大きいね。
三重:分かりました。要するに,賤ヶ岳の戦いとは,秀吉がライバルの柴
   田勝家を破ったの戦いということですね。
藤原:そういうこと。この二つの戦いでほぼ秀吉が織田信長の後継者の地
   位を確立したんだ。でも,もっと恐い敵がいた。
三重:誰ですか?
佳代:三重,家康よ。徳川家康。
三重:あっ,なるほど。家康がいたわね。
藤原:そうなんだ。家康は,信長の家臣ではなく同盟者だ。しかも虎視眈
   々と天下を狙っている。簡単に秀吉の軍門に下ることはないよね。
佳代:そうですね。そして,二人は戦うわけですね。
藤原:うん,それが,小牧・長久手の戦いだ。
三重:それで,秀吉が勝ったということですか?
藤原:そうだねぇ。まあ,軍事的には家康の方が勝っていたけど,結果的
   に秀吉が勝ったといえるだろう。
三重:といいますと?
藤原:うん,ここではあまり詳しく説明できないけれども,秀吉は,家康
   がかついだ信長の次男織田信雄を降伏させることに成功し和睦した
   んだ。つまり,軍事的には家康優位だったけど秀吉は,政治的決着
   に成功したということだ。
三重:何やらちょっと難しいですが,結果的には,秀吉と家康の戦いで,
   秀吉が勝利を収めたということですね。
藤原:そう考えていいだろう。その後,秀吉は四国を平定したり,最終的
   には小田原を攻め,北条氏を滅ぼし,奥州の伊達政宗を従えて全国
   統一を完成する。
三重:やっぱり秀吉はすごいですねぇ。
藤原:そうだね。ところが,天下統一後,汚点とも言える朝鮮出兵を行う
   ことになる。
三重:あっ,それ,前にも勉強しました。確か,文・・・なんとかの役。
佳代:文禄の役と慶長の役よ。
三重:あ,そうそう,文禄の役でした。
藤原:そうだね。前にも言ったように,当時の朝鮮半島は李氏朝鮮の時代
   だった。これは,しっかり覚えておかなければいけないよ。それに
   しても大迷惑な出兵だったね。
佳代:そうです。今でも韓国の人が嫌いな日本人として秀吉の名前があが
   ります。これもすべてこの朝鮮出兵が原因です。
藤原:そうだね。すばらしい実績をたくさん残した秀吉だったけど晩年は
   少しおかしくなったらしいね。そして,秀吉が亡くなって朝鮮から
   撤兵することになる。それにしてもすごい人生だったね。
佳代:本当ですね。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 豊臣秀吉の戦い

 ・1582年 本能寺の変で織田信長が倒れる。

 ・1582年 山崎の戦いで,明智光秀を倒す。

 ・1583年 賤ヶ岳の戦いで,柴田勝家を倒す。

 ・1584年 小牧・長久手の戦いで,徳川家康と和睦。

 ・1590年 北条氏を滅ぼし,全国統一をする。

 ・1592年 文禄の役(1回目の朝鮮出兵)

 ・1597年 慶長の役(2回目の朝鮮出兵)

※ 秀吉の政治などは,大場佳代の楽しくヒストリー25を見てね!
  受験生は絶対見てください。重要事項が目白押しです!


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 80  
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■■ 今回は「関ヶ原の戦い」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代。関ヶ原の戦いって日本で一番大きな戦いでしょ。
佳代:そうね。外国との戦いは別として,国内の戦いでは最大規模よ。
三重:でも,たったの1日で終わっちゃったのよね。
佳代:うん,前に勉強したよね。ちょっとだけだけど。
三重:本当に一発勝負って感じ。入試みたい。
藤原:そうだね。君たちの関ヶ原も近くなってきたね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,関ヶ原の戦いだね。
三重:そうです。お願いします。
藤原:分かった。前に,ほんの少しだけ勉強したけど,今回は,関ヶ原に
   絞っていくから,もう少し詳しくやろう。
佳代:ハイ。そもそも,何故,こんな大きな戦いになってしまったのです
   か?
藤原:難しいところだね。まあ,要因の一つとして,秀吉が死んだことが
   あげられる。
佳代:確かにそうですね。秀吉が後10年長生きしているとどうなったか分
   かりませんよね。
藤原:そうなんだ。秀吉が長生きして,息子の秀頼が後継者として引き継
   げば,家康の天下取りのチャンスも少なくなっただろうし,成功率
   も低くなっただろうね。
三重:確か,秀吉が死ぬ間際に何度も秀頼をよろしくって頼んだって聞き
   ましたが・・・。
藤原:そのとおりだよ。余程心配だったんだろうね。そして,その心配は
   的中したんだ。
佳代:まず,東北地方で上杉が家康の命に従わないということで会津征伐
   に行きましたね。
藤原:うん,これは,家康が畿内を留守にすれば,石田三成が事を起こす
   だろうという計算のもとに行ったという説が有力になっている。
佳代:そうですね。家康は,公然と他家と婚姻を結んだりして,さかんに
   挑発していました。会津へ向かったのも挑発の一種だと思います。
三重:でも,なんで挑発する必要があったのですか?
藤原:そうだね。ただ理由もなく天下取りのための戦争をしかけたでは家
   康に勝ち目がないからじゃないかな?家康一人の力で天下が取れる
   ほど甘くないからね。
佳代:大義名分がありませんからね。家康は,豊臣家の内部争いをうまく
   利用しました。
藤原:おう,よく知っているね。当時,石田三成などの文治派と加藤清正
   や福島正則のような武断派が対立していた。お互い立場が違うとい
   うものの,かなり仲が悪かったことは事実だ。
佳代:ですから,関ヶ原の戦いが豊臣家と徳川家の戦いというのは間違い
   だと思います。
藤原:う〜ん,間違いというのは,ちょっと言いすぎだよ。でも,間違い
   とは言わないまでもあまり適切な表現とは言えないね。
三重:そうなんですか?わたしはてっきり豊臣対徳川の戦いだと思ってい
   ました。
佳代:だって,秀吉の両腕といわれた加藤清正や福島正則が東軍なのよ!
   それに黒田長政は,あの黒田官兵衛の息子なのよ。
藤原:さすが佳代ちゃん,よく知っているね。豊臣家の信頼の熱かった武
   将がたくさん家康に味方したことは確かだ。だから,関ヶ原の戦い
   は,豊臣家内部の対立で起きたと考えた方がスッキリするよね。
佳代:ハイ,わたしとしては,それ以外考えられません。家康がこの対立
   をうまく利用して天下取りの陰謀をめぐらしたのです!
藤原:佳代ちゃん,今日は随分力が入っているねぇ・・・(笑)。ま,その
   辺は,興味のある方は個々に勉強してね。それじゃあ進めていくよ。
   復習になるけれども,関ヶ原の戦いが起こったのはいつだっけ?
三重:ハ〜イ,三重でも簡単に覚えられる1600年ジャストです!考えてみ
   れば,世紀末の出来事だったんですね。
藤原:そう,本当に覚えやすい1600年の9月15日のこと。早朝から両軍が
   陣を取り濃い霧が立ち込める中対峙していた。そして,霧が引き始
   めた午前8時ごろ東軍の井伊直政が西軍の宇喜田秀家隊に発砲し,
   戦いが始まることになる。
三重:ものすごい数の兵が集まっていたんでしょうね。
藤原:そうだね。諸説があってはっきりしたことは言えないけど,両軍と
   も10万近い兵がいたことは確かだ。ものすごい数だよね。
佳代:西軍の総大将は,毛利輝元でしたが,輝元は大坂城にいて出馬して
   いません。
藤原:前にも勉強したけど,関ヶ原と言えば,三成と家康の戦いなんだけ
   ど,西軍の総大将に祭り上げられていたのは毛利輝元なんだね。そ
   して,毛利の動きは非常に不可解だった。
佳代:そうですよね。大軍を大坂城に入れながら,まったく動こうとしな
   かったのですから。
藤原:まあ,一説によると,毛利家の分家である吉川家の吉川広家が家康
   と通じていて,東軍に加わるべきであることを強く主張したと言わ
   れている。毛利輝元が西軍の総大将を引き受けることになったのは,
   家臣の安国寺恵瓊の意見だったらしい。
佳代:確かに,広家は,関ヶ原で陣を張るものの動かず,結局,後ろに陣
   を構えた安国寺恵瓊も動けないということになったわけですよね。
藤原:うん,毛利家は本当に不思議だね。また,同じ分家の一つであった
   小早川家も,当主の小早川秀秋は,秀吉の縁者にもかかわらず,最
   後は,東軍に寝返ってしまい,結局,この裏切りが東軍の勝利を呼
   び込むことになった。
佳代:そうですね。よくよく考えてみると,毛利家の動き一つで形勢は大
   きく変ったと思います。その辺は家康にしてやられたということで
   すね。
藤原:そうだね。しかも戦後,毛利家は取り潰し寸前までいっている。吉
   川広家の努力で取り潰されなかったものの大幅に領土は縮小された。
   まさに,毛利家にしてみれば,ハメられたという感じがあっただろ
   うね。
佳代:そう思います。そして,西軍では,中央突破を試みた島津義弘が印
   象的でした。
藤原:そうだね。勇猛な島津だったけど,三成とうまく連携が取れず,大
   勢の決した午後2時ごろに,家康本陣前を横切り脱出した。島津の
   被害は,とてつもなく大きかったけど,とにかく脱出した。
佳代:そして,この毛利と島津が江戸幕府を滅ぼし明治維新の主役になる
   のですから歴史って面白いですね。
藤原:本当だね。
三重:何だか,最後の方は難しくて三重には全然分かりませんでした。
藤原:うん,この辺は,話として簡単に頭に入っていればいいよ。戦いは
   たった1日で終わってしまったけど,戦いにいたるまでには,双方
   とも激しい駆け引きが行われていたんだ。その勝者が家康だったと
   いうことだよ。
佳代:そうですね。もっともっと話をしていたいところですが,この辺に
   したいと思います。先生,今日はありがとうございました。

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□□ 乱の概要
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● 関ヶ原の戦い(1600年)

・東軍(徳川家康側)の主な武将

 黒田長政,細川忠興,加藤嘉明,加藤清正,福島正則など

・西軍(石田三成側)の主な武将

 宇喜田秀家,大谷吉継,島津義弘,小西行長,小早川秀秋(東軍に寝返り)

・東軍の勝利→家康の天下へ,石田三成,小西行長らは処刑される。


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