■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 81  
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「大坂冬の陣・夏の陣」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代。豊臣秀頼ってかわいそうね。
佳代:そうねぇ。せっかく,天下人の子に生まれてきたのに短い生涯を閉
   じることになるだもんね。
三重:いい家に生まれても,いいことばかりじゃないのねぇ・・・。
藤原:そういうことだね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,大坂の陣だね。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:うん,ここも前に少し勉強したよね。徳川家康は関ヶ原の戦いに勝
   利して天下人になったけれども,どうしてもやらなければならない
   ことが残っていた。
佳代:豊臣家を滅ぼすことですね。
藤原:そういうこと。家康は,征夷大将軍になり,わずか2年で将軍の座
   を息子の秀忠に譲ったことは前に勉強したよね。
三重:ハイ,覚えています。征夷大将軍になったとはいえ,豊臣家にお世
   話になった大名がたくさんいますから,ほおっておくと秀吉の子で
   ある秀頼を立てて謀反を起こす可能性があります。だから,力のあ
   るうちに将軍の座を息子に譲って,将軍は,徳川家がずっとやると
   いうことを示したのです!
藤原:おお,三重ちゃん,いつからそんなに歴史に詳しくなったの!ビッ
   クリだよ!
三重:えへへへへ,勉強の成果です。最近,歴史もちょっと自信がついて
   きたんです・・Y(^0^)Y・・。
藤原:それはよかった。自信をつけることが一番だからね。ところで,大
   坂の陣が起きたのはいつだっけ?
佳代:ハイ,冬の陣が,1614年で,夏の陣が,1615年です。
藤原:そうだったね。大坂の陣は,まず冬の陣があった。そこでいったん
   和睦を結び,翌年の夏に,もう一度戦って豊臣家を滅ぼしたのだっ
   たね。
三重:どうして,二回に分けたのですか?
藤原:実は,面白い話があるんだ。
佳代:えっ,どんな話ですか?
藤原:うん,家康は野戦は得意だけれども城攻めはあまり得意でなかった。
   それに対して,秀吉は城攻めが得意だった。
佳代:ハイ。
藤原:そして,壮大な大坂城を作った秀吉は,ある日家康に向かって,こ
   うつぶやいたという。
佳代:あっ,何かで聞いたことがあります!
藤原:そう,知っているかな?秀吉は,家康に「わしが,この城を落とす
   なら,まず堀を埋めてから攻める」って言ったらしいんだ。
三重:えー,それじゃあ,冬の陣で和睦したとき,堀を埋めたのは秀吉の
   アイデアだったんですか!
藤原:まあ,真偽の方は定かではないけれども,家康が「この方法は太閤
   殿下から教わったんだ!」と得意げに言ったらしい。いかにもあり
   そうな話だね。
佳代:わたしも聞いたことがあります。面白い話ですね。家康は,オラン
   ダ製の大砲などを打ち込み,淀殿などに恐怖感を与え和睦に持ち込
   んだんですね。
藤原:そういうこと。外堀を埋めるという約束で和睦したのだけれども,
   結局,内堀も埋めてしまい,大坂城を丸裸にしてしまったんだ。
三重:それって卑怯じゃないですか!
藤原:うん,そうだね。その辺が家康の人気が今ひとつの原因だろう。
佳代:狸おやじですね(^^)
藤原:うん,確かに目的のために手段を選ばないという点では,あまりほ
   められたものではないと思うけど,家康には,100年以上続いた戦乱
   の世を終わらせ,太平の世を作り出すという大きなテーマを持って
   いたからね。
佳代:確かに,その後の平和な世を考えると,家康の行為は仕方がないと
   もいえますねぇ。
藤原:そうだね。だから,冬の陣で和睦に持ち込み,堀を埋めた後,本格
   的に豊臣家を滅亡させる戦いを仕掛けた。それが,夏の陣だ。もち
   ろん,冬の陣が終わった後,いろいろな駆け引きはあったよ。でも,
   家康としては,滅ぼさない限りは平和が訪れることはないと考えて
   いたと思われる。
佳代:確か,このとき,70歳を過ぎていたんですよね。
藤原:そうだよね。当時の70というのは,今と違って,高齢中の高齢だか
   ら,家康のものすごい執念が分かるだろ。
三重:どんなことがあっても自分の生きているうちに豊臣を滅ぼそうと思
   ったのですね。
藤原:たぶんね。幼少のころから戦国の世を生き,天下統一を完全なもの
   にしたいという強い意志が感じられるね。
佳代:本当にすごい話ですね。秀吉の場合は,もう少し長く生きていれば
   家康の場合は,もう少し早く死んでいれば歴史は変っていたでしょ
   うね。
藤原:そのとおりだよ。だから,信長も含めて,天下統一にかかわった3
   人は,いつ死んだかということが歴史に大きな影響を与えているん
   だ。不思議なもんだね。
佳代:そうですね。大坂の陣については,真田幸村の活躍や千姫の話など,
   したい話は,たくさんありますが,受験も近いので別の機会にした
   いと思います。
藤原:そうだね。まだまだ面白い話はたくさんあるけど,このぐらいにし
   ておこう。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。
  
□□
□□ 乱の概要
□□

● 大坂の陣(徳川対豊臣の戦い)

 ・1614年 冬の陣,和睦し,大坂城の総堀を埋める

 ・1615年 夏の陣,豊臣秀頼,淀殿の自害により豊臣家は滅亡


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 82  
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「島原の乱」を勉強します!
■■

三重:ねえ,佳代。島原の乱って,キリスト教徒が起こした乱だよね。
佳代:う〜ん,それはどうかな?もちろん,キリシタンが多かったことは
   確かだけど,実際は農民の一揆だって聞いているわ。
三重:それじゃあ,キリスト教徒は関係ないの?
佳代:そうねぇ・・・。
藤原:お,またまた難しいことを議論しているねぇ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,島原の乱かい?
三重:ハイ,お願いします。
藤原:それじゃあ,はじめよう。この乱は,江戸時代の初期に起きた乱だ
   ね。そのときの将軍は誰?
佳代:ハイ,もちろん,徳川家光です。
藤原:そのとおり。三代将軍家光のときだね。起きたのは,1637年のこと
   だった。面白いことに200年後の1837年にも乱が起きている。
佳代:知ってます!大塩平八郎の乱です。
藤原:そうなんだ。大塩平八郎の乱については,次の機会に勉強しようと
   思っているけど,中学生で習う歴史だと,この200年の間に大きな乱
   はないだろう。
三重:そう言えば,聞いたことがありません。
藤原:そうだね。厳密に言うとないことはないのだけれども,とりあえず
   200年の平和と覚えておいていいよ。
佳代:200年の平和ですか?
藤原:そう,だから,江戸時代の前半の乱といえば,この島原の乱という
   ことになる。
三重:なるほど,覚えることが少なくていいですね(笑)。中身も簡単に教
   えてください。
藤原:うん,島原の乱とは,江戸時代の初期に,九州の島原半島と天草諸
   島のキリシタン農民が主体となり,益田時貞を盟主としておこした
   一揆だ。
三重:あっ,益田時貞って天草四郎のことですね。
藤原:そういうこと。この地域は,キリシタンの中心地だったから,かつ
   てはキリシタンの反乱という感じとらえられていたけど,現在では,
   高率な年貢の負担に耐えかねた農民の一揆としてとらえることが多
   くなってきたんだ。
佳代:すると,キリシタンうんぬんは,あまり関係ないのですか?
藤原:いや,大いに関係があるよ。例えば,年貢負担をしぶればキリシタ
   ンとして弾圧される。
佳代:なるほど,幕府の禁教政策に乗って弾圧するのですね。
藤原:そう,だから,キリシタンでない者でもキリシタンとして弾圧する
   ようなことも行われていたらしい。
三重:それはひどいですねぇ。
藤原:その結果,思いもよらぬ大乱になったんだ。
三重:幕府はどう対応したのですか?
藤原:そうだね。最初は,少し甘く考えていた。
佳代:確か,板倉重昌を派遣したのですよね。
藤原:おう,さすがに詳しいね。そこまで覚える必要はないけど,最初は,
   簡単に鎮圧できると考えていたことは確からしい。しかし,思いの
   ほかの抵抗にビックリした幕府は,家光の重臣で老中の松平信綱を
   派遣した。
佳代:いわゆる知恵伊豆ですね。
藤原:そう,知恵伊豆とは,松平信綱のあだ名みたいなものだね。頭が働
   く伊豆守,信綱は,伊豆守だったからそう呼ばれたんだ。
三重:先生,ちょっと難しすぎます!
藤原:その辺は,適当でいいよ。簡単に言えば,板倉重昌には失礼だけど
   最初は,甘く見て小物を出したということだ。でも,事の重大さに
   気づき,家光の側近が出馬したって感じでとらえておけばいいよ。
三重:なるほど,やばくなって大物を登場させたというわけですね。
藤原:そういうこと。
三重:それで,結果はどうなったのですか?
藤原:そうだね。城の周りを厳重に包囲して一揆勢の食料がつきるのを待
   ち,総攻撃をかけて,子供をふくむほぼ全員を殺したんだ。
三重:えっ,子供までですか!それはひどいです!
藤原:まったくだね。乱を鎮圧した幕府は,さらにキリシタン禁制を強め
   て鎖国の完成をめざすことになる。
佳代:鎖国が完成するのは,すぐ後の1639年ですね。
藤原:そういうこと。だから,島原の乱と鎖国の完成は,一緒に出ること
   が多いから,きちんと整理しておこう。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

★ 島原の乱(1637年)

 ・九州の島原半島と天草諸島のキリシタン農民を主体とした一揆

 ・盟主:益田時貞(天草四郎)

 ・家光の重臣松平信綱によって鎮圧

 ・キリシタンの禁制を強め鎖国へ


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 83  
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「大塩平八郎の乱」を勉強します!
■■

三重:ねえ,佳代。大塩平八郎って何で乱を起こしたの?
佳代:そうねぇ・・・。たぶん,おなかが減っていたからじゃないかな。
三重:えっ,マジで言っているの?
佳代:半分ね(笑)
藤原:いや,案外当たっているかも知れないよ。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,大塩平八郎の乱だね。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:前回,島原の乱をやったとき,200年の平和と言ったよね。
三重:ハイ,覚えています。島原の乱が1637年で,大塩平八郎の乱が,そ
   の200年後の1837年です。
藤原:よろしい。この二つは,しっかりと覚えておこうね。
三重:分かりました。ところで,大塩平八郎ってどんな人なのですか?
藤原:そうだね。元大坂奉行所の役人で陽明学者だった。
三重:えっ,元奉行所の役人というと,幕府側の人間なのですか?
藤原:そうなんだ。まず,その点を押さえておこう。
佳代:確かに,その辺は試験の問題文によく出ますよね。
藤原:そのとおり。今,受験まっさかりだから,今もそんな問題を解いて
   いる人もいるかもしれないね。
三重:そうですね。すると大坂で起こしたのですか?
藤原:そのとおり,平八郎とその門弟や豪農らが起こしたんだ。
三重:何故,起こしたのですか?
藤原:それも,さっき佳代ちゃんが冗談半分に言っていたように,多くの
   人たちのお腹がすいていたからなんだ。
三重:えっ,えっ,どんな風にですか?
藤原:このころは天保の飢饉言われる大飢饉に見まわれていたんだ。しか
   し,大坂町奉行は何の手もうたず商人たちも米の買占めを行ったた
   め米価がはねあがった。
佳代:確か,平八郎は,奉行所に市民の救済を申し入れたんでしたよね。
藤原:そうなんだ。彼は,奉行所に救済を求めたり,豪商に義捐金を出す
   ように求めたりしたのだけど無視された。
三重:それでキレたのですね。
藤原:そんな感じだね。そして,ついに蜂起し,特権商人や米屋などを襲
   った。しかし,結局,夕方には鎮圧されてしまうんだ。
三重:それで,平八郎らは,どうなったのですか?
藤原:そうだね。とりあえず逃走したのだけれども,結局見つかってしま
   ったため,放火して自殺したんだ。
三重:すると,単に暴れて終りってことですか?
藤原:いや,この事件はたちまち全国に知れわたり,共鳴者たちが,あち
   こちで乱を起こすことになる。彼らは,大塩門弟とか大塩残党など
   という旗印を掲げていたから,やはり,大塩の乱の影響は強かった
   と思うよ。
佳代:なるほど,分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 乱の概要
□□

● 大塩平八郎の乱(1837年)

 ・元大坂奉行所の役人で陽明学者の大塩平八郎が蜂起

 ・鎮圧され,平八郎は自殺

 ・各地で,大塩の影響を受けた乱が頻発,幕府にショックを与える


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 84  
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「桜田門外の変」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代,桜田門外の変って雪の日におきたんでしょ?
佳代:そうよ。テレビで見たわ。真っ白い雪の中に鮮血が飛び散り・・・
三重:えー,やだぁ〜。でも,おかしいのよ。
佳代:えっ,何が?
三重:だって,3月3日に起こったんでしょ?雪なんか降るの?
佳代:あれっ?三重,よく知っているね。
三重:へへへへ,たまたま,どっかの今日は何の日で見たのよ。だから,
   変だなぁと思って・・・。
藤原:うん,確かに異常だね。
三重:あっ,先生,いいところに来ました。
藤原:桜田門外の変が起きたころは旧暦だよ。だから,実際に起こったの
   は,今で言うと4月なんだ。
佳代:えっ,4月に雪が降ったんですか!
藤原:ホント,ビックリするよね。まあ,日本の歴史は,雪の日に不吉な
   ことがおこるといわれているぐらいだから。
佳代:あっ,知ってます,赤穂浪士の討ち入りとかですね。
藤原:うん,それに,二・二六事件なんかも大雪だった。今年は雪が多い
   から気をつけてね。
三重:ハイ。分かりました。ところで,先生,井伊直弼って大老ですよね。
   大老って,今で言えば総理大臣のようなものですか?
藤原:そうだね。そう考えていいよ。
三重:すると,最高権力者ということですよね。なのに何故暗殺されてし
   まったのですか?
藤原:うん,いいところに目をつけたね。確かに最高権力者が殺されると
   いう大事件だよね,桜田門外の変は。三重ちゃんは,どう思うの?
三重:えーと,よく分からないのですが,最高権力者が殺されるというこ
   とは幕府の力が衰えてきたのではないかと思ったのですが・・・。
藤原:うんうん,いいよ。簡単に言えばそういうことだ。
三重:ホントですか!
藤原:いろいろ原因はあるけど,大老が殺されるということは,幕府の権
   威が丸つぶれになったわけだから,一言で言えば幕府の衰退ぶりを
   示してしまったといえるだろう。
佳代:ホントですね。幕府がしっかりしていれば起きないはずの事件です。
藤原:そのとおり。それでは,具体的に事件について考えていこう。まず
   は,日米修好通商条約の締結から考えてみよう。
佳代:ハイ,直弼は,朝廷の許しを得ないまま条約に調印してしまいまし
   た。
藤原:そうだったね。朝廷の許しうんぬんについては,いろいろ議論もあ
   るところだけれども,その辺は度外視するよ。とりあえず,朝廷を
   無視して条約を結んでしまった。これがはじまりと考えていい。
三重:ハイ。
藤原:そして,激怒した当時の孝明天皇は,水戸藩に密勅を出したんだ。
   その辺の内容は,ちょっと難しいからここでは言わないけど,簡単
   に言うと,井伊直弼は,危機感をもって強い態度で臨んだんだ。
佳代:いわゆる安政の大獄ですね。
藤原:そう,このあまりにも厳しい安政の大獄が桜田門外の変につながっ
   たと考えていい。直弼は,密勅を受けた水戸藩に対して特に厳しく
   あたったんだ。
三重:すると,事件を起こしたのは水戸藩の人たちなんですか?
藤原:そのとおり,水戸浪士17人と薩摩浪士1人が起こした。いわゆる尊
   攘派だね。
佳代:尊攘派って,尊王攘夷を唱える人たちのことですね。
藤原:そういうこと,尊王攘夷を縮めただけだよ。
三重:先生,その尊王攘夷ってよく分からないんですけど。
藤原:そうだね。尊王は,天皇を尊ぶということ,裏を返せば幕府を批判
   しているってことだ。そして,攘夷は,外国勢力を追い出すという
   ことだ。
三重:なるほど,幕府の最高権力者で外国と条約を結んだ井伊直弼は,彼
   らにとっては殺したいと思って当然ですね。
藤原:そのとおり。さらに,安政の大獄で水戸藩はボロボロにされている
   から,そういう恨みもあっただろうし,その辺が重なって犯行に及
   んだんだろうね。
三重:結局,この事件を契機として,幕府は,滅亡への道を歩んでいくこ
   とになるわけですね。
藤原:そうだね。この事件だけが原因ではないけど,そう言ってもいいん
   じゃないかな。
佳代:分かりました。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 変の概要
□□

● 変への流れ

 ・1858年 日米修好通商条約を結ぶ
   ↓
 ・1859年 安政の大獄
   ↓
 ・1860年 桜田門外の変がおこる

● 桜田門外の変 

 ・尊攘派の水戸浪士17人と薩摩浪士1人が,大老の「井伊直弼」を
  江戸城桜田門外で暗殺。

 ・幕末の政局の一大転機となる。

● 尊王攘夷

 ・天皇を尊び,外国勢力を追い出すという思想。


■  ◇=================
■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 85  
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「元禄文化と化政文化」を勉強します!
■■

三重:ねぇ,佳代,江戸時代って覚えることが多くてやだね。
佳代:そうね。まあ260年もあるんだから仕方ないんじゃないの?
三重:でも,政治だけでもたいへんなのに文化もたくさんあるし・・・。
藤原:確かに,たいへんだね。
三重:あっ,先生,こんばんは。
藤原:今日は,珍しく文化をやるのかい?
三重:ハイ,考えてみれば江戸時代の文化を勉強していないのに気づきま
   した。
藤原:そうか,受験も近いし,よく出るところでもあるからがんばろう。
三重:お願いします。
藤原:まずは,江戸時代の文化って大きく分けて二つあったよね。
三重:ハイ,元禄文化と化政文化です。
藤原:そのとおり。まずは,この二つの区別が大切だ。
佳代:知ってます。元禄文化は,5代将軍徳川綱吉のころの文化です。化
   政文化は,11代将軍徳川家斉のころの文化です。
三重:えっ,佳代,いえなりなんて将軍知らないよ。
藤原:うん,中学生は,知らなくてもいいよ。でも,将軍在位50年という
   最長記録を持つ将軍だ。
佳代:子供もたくさん作ったことでも有名ですよね。
藤原:おう,よく知っているね。分かっているだけで50人以上の子供がい
   たということでも有名だ。
三重:えー,何それー!
藤原:まあ,それはいいとして,元禄文化は,5代将軍のころ,つまり,
   17世紀の後半から18世紀のはじめごろ,化政文化は,11代将軍のこ
   ろ,つまり,19世紀のはじめごろだとおおまかに覚えておこう。
三重:分かりました。
藤原:さて,これは受験生に言いたいんだけど,何はともあれ絶対に覚え
   ておいてほしいことがあるんだ。
三重:何ですか?
藤原:うん,元禄文化と化政文化が栄えた中心地だ。
佳代:あっ,分かりました。元禄文化は上方中心,化政文化は江戸中心で
   す。
藤原:そのとおり。これは絶対だよ。よく問題文などに出てくる。これを
   知っているだけで,判別できることも多い。
三重:先生,上方って何ですか?
藤原:うん,今でも関西の方を上方って呼ぶことがあるだろう。
三重:あっ,上方漫才とか。
藤原:そう,つまり,上方というのは,京都や大坂と考えていい。
三重:つまり,元禄文化は,京都や大坂中心に栄え,化政文化は江戸中心
   に栄えたということですね。
藤原:そのとおり。すごく大切だからしっかり覚えてね。
三重:分かりました。問題は,たくさん出てくる人物です。さっぱり覚え
   られません。
藤原:それじゃあ,特別に覚え方を教えよう。元禄文化は,松井 近だ。
三重:マツイ チカですか?そんな名前の子がいそうですね。
藤原:うん,とりあえず,それだけでも十分なくらいだ。
三重:先生,何を言っているのか分かりません。
佳代:三重,「松」は松尾芭蕉「井」は井原西鶴「近」は近松門左衛門よ。
三重:あっ,それが元禄文化で活躍した人たちなのですね。
藤原:そういうこと。江戸時代にはたくさんの人が活躍するから,とりあ
   えず,人数の少ない元禄文化のほうをしっかり覚えておけば,何と
   か区別がつくだろ。
三重:そうですね。名前を見ればだいたい江戸時代の人というのは分かる
   のですが,元禄,化政の区別はつかなかったんです。
藤原:それに,尾菱を加えておけば完璧だ。
三重:おひし?
藤原:うん,尾形光琳と菱川師宣だ。この5人が元禄文化に属すると覚え
   ておけば,残りは化政文化だ。
三重:なるほど,それは便利です。覚えるのってたいへんですから。
藤原:そう,丸暗記しただけじゃ,すぐに忘れてしまうからね。
三重:ハイ,いつも忘れています・・・(^_^)。
藤原:とにかく,それだけ頭に入れて,後は,元禄,化政文化で活躍した
   主な人物をよく見ておけばいい。
佳代:分かりました。無理に暗記するよりも,その方が結果的に覚えられ
   ますよね。
藤原:そういうこと。できれば,教科書に載っている絵などをよく見てお
   くこと。絵もよく出るからね。
佳代:ハイ,そうします。先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 元禄・化政文化の概要
□□

● 元禄文化 17世紀後半,京都や大坂の上方町人たち中心の文化

 ・俳諧:松尾芭蕉(「奥の細道」など)

 ・浮世草子:井原西鶴(「浮世草子」など)

 ・浄瑠璃:近松門左衛門(「曾根崎心中」など)

 ・装飾画:尾形光琳(「燕子花図屏風」など)

 ・浮世絵:菱川師宣(「見返り美人」など)

● 化政文化 19世紀はじめ,江戸中心の庶民文化

 ・こっけい本:十返舎一九(「東海道中膝栗毛」など)
        式亭三馬(「浮世風呂」「浮世床」など)

 ・読本:滝沢馬琴(「南総里見八犬伝」など)

 ・俳諧:与謝蕪村,小林一茶など

 ・狂歌:太田南畝(蜀山人)

 ・川柳:柄井川柳

 ・浮世絵:鈴木春信による錦絵(多色刷り)の発明

      喜多川歌麿(美人画)
      葛飾北斎(「富嶽三十六景」など)
      歌川(安藤)広重(「東海道五十三次」など)
      東洲斎写楽(役者絵)

 ・写生画:円山応挙

 ・洋画:司馬江漢


★ 目次のページへ ★ ★ TOPのページへ ★ ★ 次(86〜90)へ ★