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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 11   
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■■
■■ 今回は,鎌倉新仏教を勉強します。
■■

佳代:ねえ,三重,どうしたの,ボーっとして。
三重:佳代,最近,全然やる気が出ないのよ。。。
佳代:放心状態ね。
三重:うん,そんな感じ。
藤原:どうしたんだい,二人とも。
佳代:あっ,先生,三重が変なんです。放心状態なんです。
藤原:放心状態?放心は,一日でええどう。
佳代:エッ???
藤原:上々の自習は日輪に相当す,か…。
三重:???
藤原:いつもは,しっかり自習している君たちを見てひらめいた。
佳代:何ですか,それ?
藤原:うん,今日勉強しようと思っている鎌倉新仏教の覚え方だ。
佳代:鎌倉新仏教ですか。
藤原:そう,最初は,三重が放心状態だったんで,ひらめいた。
佳代:あっ,分かった!先生,放心って,法然と親鸞のことでしょ。
藤原:さすがは佳代ちゃんだ。それじゃあ,一日は?
佳代:もちろん,一遍と日蓮です。
藤原:そのとおり。するとええどうは?
佳代:栄西と道元。完璧ですね(^_^)v
三重:えっ,何のことか分かりません。
藤原:それじゃあ,最初から説明しよう。実は,鎌倉時代に6つの新しい仏教の宗派
   ができたんだ。
三重:はあ。
藤原:それまでの仏教というのは主に貴族達のもので庶民に救いの手をさしむける宗
   派は少なかった。ところが鎌倉時代に積極的に庶民を救おうとする僧侶が6人
   も現れたんだ。
三重:6人もですか!
藤原:そう,いずれも現在まで続いている大切な宗派だ。
佳代:教えは簡単なんですか?
藤原:そうだね。内容は少しずつ異なっているけれども,基本的に厳しい修行を必要
   としない。
佳代:念仏を唱えるとか。
藤原:そう,最初の3つ,法然,親鸞,一遍は念仏系と呼ばれ,南無阿弥陀仏を唱え
   れば,救われると説いた。
三重:日蓮は違うんですか?
藤原:うん,似ているんだけれども,題目を唱えれば仏になれるという教えだ。南無
   妙法蓮華経ってやつが題目だ。
三重:むずかしい…。
藤原:うん,むずかしいよ。でも,君たちは,6つの仏教のだいたいの特徴を覚えて
   おけばいい。
三重:そういえば,先生,最後のええどうっていうのは。
佳代:栄西と道元よ。
藤原:そうだね。この二つが禅宗と呼ばれ中国から導入された。座禅によって悟りを
   開くというものだ。
佳代:臨済宗と曹洞宗ですね。
藤原:そう,この二つは特に大切だから覚えてね。
三重:すると,先生,宗派はどうやって覚えるんですか。
藤原:うん,あまり出来はよくないんだが,さっき即席で作ったやつでいいだろう。
三重:何でしたっけ。
藤原:上々の自習は日輪に相当す。
佳代:浄土宗,浄土真宗で上々でしょ。自習は,時宗,日は,日蓮宗,輪は臨済宗,
   相当すはもちろん曹洞宗ということ。
藤原:そうだね。順番どおりだ。簡単だろ。いつも君たちは上々の自習をしているか
   ら実際,日輪に相当するよ(笑)
三重:何とか覚えられそうです。
藤原:それはよかった。ところで,1999年7の月は終わってしまったね。
佳代:ノストラダムスですか。
藤原:うん,実はこの中に,ノストラダムスのようにある予言をして見事当ててしま
   った人物がいるんだ。
佳代:エッ,誰ですかそれは。
藤原:念仏を止めなければ他国の侵入を受けると予言した人。
佳代:すると念仏系ではないですね。う〜ん,日蓮かな?
藤原:正解。日蓮は,当時の執権北条時頼に「立正安国論」を提出した。その中に書
   いてあるんだ。
佳代:そして,元が攻めてきたんですね。
藤原:そういうこと。そんなことも少しは覚えておいた方がいいかも知れないよ。
佳代:ハイ,分かりました。
藤原:とにかく,宗派と開祖の名前はしっかり覚えておいてね。
三重:分かりました。少しはやる気が出てきました。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 鎌倉新仏教…積極的に庶民にまで救いの手をさしむける6宗派。

● 念仏系…南無阿弥陀仏を唱えれば救われるという教え。

  浄土宗→法然,浄土真宗→親鸞,時宗→一遍

● 天台宗系(法華経)→日蓮…題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば仏になれるとい
               う教え。他宗を攻撃,元寇を予言。

● 禅宗…座禅によって悟りを開くという教え。中国(宋)より導入。

  臨済宗→栄西,曹洞宗→道元

● 藤原先生の即席覚え方…みなさん,もっといい覚え方を作ってね。

  放心は一日でええどう→上々の自習,日輪に相当す。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 12   
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■■
■■ 今回は,元寇を勉強します。
■■

佳代:ついに外敵が攻めてきました!
三重:佳代,何よ急に,映画の話?
佳代:違うわよ,三重,元寇,元の襲来。
三重:あっ,それって鎌倉時代だったよね。
佳代:そう,はじめて外敵に足を踏み入れられたってわけ。
三重:恐かっただろうね。
藤原:そう,情報の少ない時代だったからね。
三重:あっ,先生,ちょうどいいところに来ました。
藤原:今日は元寇の勉強だね。
佳代:そうです。よろしくお願いします。
藤原:それじゃあ,まず,元という国は,何という民族が作ったんだっけ?
佳代:ハイ,モンゴル民族です。
藤原:そうだね,今でも中国の北の方にモンゴル人民共和国があるけれども,元々中
   国の北方で遊牧をしていたモンゴル民族の中からチンギス=ハンが現れ,大帝
   国を作った。
佳代:すごいんですよね。アジアからヨーロッパにかけて。
藤原:そうだね,そして,チンギス=ハンの孫に当たるフビライ=ハンが,中国を征
   服し,国号を元と改めた。更に,朝鮮の高麗を属国にした上,日本にも食指を
   伸ばしてきたというわけだ。
三重:わ〜,欲が深いですね。
藤原:そうだね。フビライは,日本に手紙を送り,使者も再三送ってきたんだけれど
   も内容が屈辱的だということで,鎌倉幕府は無視をした。
佳代:それで,怒って攻めてきたのですね。
藤原:そういうことだね。ところで,当時の日本の執権は誰だっけ?
佳代:ハイ,北条時宗です。
藤原:そう,この時宗と,御成敗式目を作った泰時は特に出るから必ず覚えてね。
三重:ハイ,二人ぐらいなら覚えられます(*^_^*)
藤原:そして,まず,文永の役が起きる。
佳代:確か,博多湾に上陸したんですよね。
藤原:おう,よく知っているね。
三重:さすが,佳代。
藤原:そこで戦いが起こったんだが,だいぶ苦労したようだ。
三重:といいますと。
藤原:うん,さっきも言ったように情報の少ない時代だろ,だから,日本の武士達は
   モンゴルの集団戦法にあっけにとられたんだ。
佳代:火薬や毒矢も使ったんですよね。
藤原:そう,てっぽうという表現も出てくる。すごい音がして,これまたびっくりと
   いう感じだったらしいんだ。
三重:そういえば,教科書に戦いの様子の絵が載っていました。
藤原:ああ,蒙古襲来絵詞だね。あれは,入試によく出るよ。最近の入試では,一番
   出ている絵ではないかな。
三重:ホントですか。
藤原:本当だよ。だから,絶対に覚えておくんだよ。
三重:ハイ,分かりました。
藤原:しかし,たまたま暴風雨が吹き,多くの船が沈み退却した。
三重:よかったですねぇ。
藤原:うん,でも,いつまた攻めてくるか分からないから,幕府も防御を固めた。そ
   して,弘安の役が起きる。
三重:しつこいですね。
藤原:だけど,また暴風雨が吹いて,元の大軍は戦わずして海底に沈んでしまったん
   だ。
三重:わぁ〜,奇跡ですね。
藤原:そこで,神風伝説なんていうものが生まれて来たんだ。更に3回目の計画もあ
   ったが,これは,中止。
佳代:何故ですか。
藤原:それは,ベトナムや朝鮮などで抵抗が強くなったので日本にかまっていられな
   くなったんだ。
三重:そういうことですか。
藤原:でも,大切なのは,元寇によるその後の影響だ。
佳代:徳政令ですか。
藤原:うん,もちろん,徳政令も関係がある。とにかく,元の襲来によって幕府の財
   政が苦しくなったんだ。
佳代:恩賞もあまりなかったんですよね。
藤原:そうなんだ。御家人たちも必死に戦ったのに与える土地がない。かといって,
   お金もないのだから厳しい状況になった。
佳代:そこで出たのが徳政令ということですか。
藤原:そう,永仁の徳政令と呼ばれている。
三重:徳政令って何ですか?
藤原:簡単に言うと,借金チャラということだ。
三重:チャラ?
佳代:返さなくていいってこと。
三重:それはうれしいですねぇ(^o^)
佳代:三重,喜んでばかりはいられないのよ。
三重:えっ,どうして?
藤原:確かに,借金が帳消しになればうれしい。でも,そうなったら,お金を貸して
   くれる人はいるかな。
三重:いるわけがありません。
藤原:そうだろ,だから,御家人の生活はかえって苦しくなったんだ。もちろん,経
   済も混乱した。
佳代:それが幕府滅亡の原因の一つになるんですね。
藤原:そう,皮肉なものだよね。苦肉の策で首を絞めたんだから。
佳代:あっ。
三重:何よ,佳代,大きな声を出して。
佳代:先生,できました。ひにくなもんだよ徳政令!
藤原:おう,そうか,確かに永仁の徳政令は,1297年だ。
三重:だから,「ひにくな」なのね。
佳代:そうよ,なかなかいいでしょ。
藤原:うん,よくできたよ。
佳代:バッチリね(^_^)vvvv。
藤原:最後にもう一つだけ覚えておこう。
三重:何ですか。
藤原:フビライ君のお友達だ。
佳代:お友達?
藤原:そう,ヨーロッパから来たお友達。
佳代:あっ,分かったマルコ=ポーロでしょ。
藤原:正解!マルコ=ポーロは,イタリアの旅行家で,元にやってきてフビライから
   厚遇を受けた。そして,のちに東方見聞録を書いたんだ。
三重:あ,あのジパングってやつですね。
藤原:そう,最近は,フビライのところでよく出てくるからしっかり覚えよう。
佳代:分かりました。今日はありがとうございました。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 元寇…文永の役(1274年),弘安の役(1281年)

  ちなみに佳代は,なしとや〜いと覚えています。12は除いて,74年と81年で 
すから。内容は本文の通りです。文永の役で「この戦いはなし」と言っている元の
姿。弘安の役で,戦わずして負けた元に「や〜い」といっている日本の姿を思い浮
かべて覚えました。

● 北条時宗vsフビライ

  この関係も覚えておきましょう。北条時宗は当時18歳だったそうです。
また,フビライ君のお友達マルコ=ポーロも忘れずに。「東方見聞録」で,日本を
黄金の国ジパングと紹介した人です。

● 永仁の徳政令(1297年)佳代が突然ひらめいた「皮肉なもんだよ徳政令」

  御家人の借金を帳消しにするという法律です。その後,経済は大混乱に陥ります。
 そして,それが,鎌倉幕府の滅亡の原因にもなるのです。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 13   
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■■
■■ 今回は,鎌倉文化を勉強します。
■■

三重:か,佳代,どうしたのよ,そんな顔して?!
佳代:あっ,見られちゃった,あれのまねをしていたのよ。
三重:あれ?
佳代:そう,東大寺南大門にある金剛力士像。
三重:あっ,あの恐いやつね。何でまた。
佳代:写真を見ていたら,急にやりたくなったのよ。
藤原:佳代ちゃんって結構顔が崩れるんだね。
佳代:あっ,先生,見てたんですか。
藤原:うん,結構,似ていたよ。
佳代:やっだぁ〜。。。。ほっといて。
藤原:それじゃあ,今日は,鎌倉文化でもやろうか。
三重:ハイ,お願いします。
藤原:まずは,今,佳代ちゃんがやっていた金剛力士像。これは,鎌倉時代の代表的
   な彫刻だね。
佳代:ハイ,運慶,快慶の作です。
藤原:そうだね。この時代の天才的な彫刻家だ。そして,東大寺の南大門。
三重:あれ,先生,東大寺って奈良時代じゃなかったんですか?
藤原:おう,三重,よく覚えていたね。もちろん,東大寺と言えば奈良時代,聖武天
   皇のころだったよね。
三重:ハイ,天平文化です。
藤原:よろしい,よく勉強している。しかし,東大寺に南大門とついたら鎌倉時代と
  覚えておこう。
三重:何故ですか。
藤原:うん,平氏の南都焼き討ちというのが1180年にあって東大寺は炎上したんだ。
   鎌倉時代に再建されたんだね。
三重:そうだったんですか。
藤原:だから,君たちは,単に東大寺と出てきたら奈良時代でいいが,東大寺南大門
   という形で出てきたら鎌倉時代と覚えておけばいい。
佳代:分かりました。ほかに建物で有名なものはなんですか。
藤原:そうだね,円覚寺舎利殿。こちらは鎌倉にある。写真問題などでも出るから教
   科書をよく見ておいてね。
三重:ハイ,分かりました。
藤原:後は,有名な随筆が二つあったね。
佳代:方丈記と徒然草です。
藤原:そのとおり。もっとも,こちらは国語の方がよく出るかも知れない。とりあえ
   ず,両方とも鎌倉時代だけれども,どちらが先にできたのかな。
佳代:方丈記です。
藤原:そうだね,鴨長明が書いた方丈記は鎌倉時代の初期にできた。逆に徒然草は,
   末期に成立している。
三重:末期ですか。
藤原:そう,作者の吉田兼好は後の室町幕府にも仕えている。足利尊氏の家臣の高師
   直の恋文を代書したというような話も残っている。
佳代:恋文の代書ですか。
藤原:そう,有名な話だね。とにかく,徒然草は,鎌倉時代の末期と覚えておこう。
佳代:ハイ,それから先生,藤原定家も鎌倉時代でしたよね。
藤原:そうなんだ。鎌倉時代の和歌は,定家の新古今和歌集。後は,3代将軍の実朝
   の金槐和歌集なんか有名だね。
佳代:これは初期ですか。
藤原:そうだね。定家も実朝も交流があった。新古今和歌集は承久の乱で流された後
   鳥羽上皇が定家に作らせたんだ。
佳代:分かりました。ほかに覚えることはありますか。
藤原:そうだねぇ,まあ,軍記物として平家物語あたりかな。
三重:祇園精舎の鐘の声〜ですね(*^_^*)
佳代:三重も,覚えたのね(^^)
三重:国語で覚えたのよ。
藤原:そう,文学史は国語でよく出るから,一石二鳥だろ。
三重:本当です。両方で出たらもっとうれしい。
佳代:先生,今日はありがとうございました。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 建築物…東大寺南大門,円覚寺舎利殿など

● 彫 刻…金剛力士像(運慶,快慶作)

● 軍記物…平家物語(作者不詳)

● 随 筆…方丈記(鴨長明),徒然草(吉田兼好)

● 和 歌…新古今和歌集(藤原定家),金槐和歌集(源実朝)

★ ほかには,前にやった鎌倉新仏教やそこに出てくる一遍上人絵伝,元寇でやった
  蒙古襲来絵詞などの絵巻物などが出ます。鎌倉文化は特に絵や写真をよく見てお
  きましょう。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 14   
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■■
■■ 今回は,鎌倉幕府の滅亡を勉強します。
■■

藤原:あれ,聖子ちゃん,珍しいね。
聖子:ハイ,今日はよろしくお願いします。
藤原:三重はどうしたの?
佳代:ハイ,風邪で寝込んでいます。
藤原:三重でも風邪を引くのか,それにしても佳代ちゃんはいつも元気だね。
佳代:ハイ,風邪なんか引いたことがありません。
藤原:そうか,名前がいいんだな(^o^)
佳代:何を言っているんですか,先生。大バカって言いたいんでしょ(^_^)
藤原:違うよ(^^)
聖子:先生,早くはじめましょうよ。
藤原:そうだね。バカ言ってる場合じゃない。入試も近づいているからね。
佳代:さすが,聖子,三重と違って真面目ね。
聖子:そうじゃないのよ,私歴史ってよく分からないの。
佳代:でも,テストの成績はいいじゃない。
聖子:ただ暗記しているだけでぜんぜん分かっていないのよ。だから,ここに来たの。
藤原:そうだね,暗記することも大切だけれどもそれだけではダメだね。ある程度納
   得して覚えたほうがずっと頭に残るよ。
聖子:それじゃあ,鎌倉幕府の滅亡についてお願いします。
藤原:分かった。鎌倉幕府の滅亡の原因の一つとして外敵から攻められた事件があっ
   たね。
聖子:ハイ,元寇です。
藤原:それが第一のつまずきだ。なんと言っても自衛戦争だから勝ったとは言っても
   土地が手に入るわけでもなく,ただお金を使っただけだね。
聖子:エエ。
藤原:だから,必死の思いで活躍した御家人たちにごほうびをあげることもできない
   というわけだ。すると御家人たちはどう考えるだろう?
聖子:仕方がないんじゃないんですか。
藤原:そう,確かに仕方がない。それは,御家人たちも分かっていると思うよ。でも,よ
   く考えてみよう。もし君たちがバイトをして,地震かなんかで店が壊れてし
   まったとする。そんなとき,給料が払われなくとも仕方がないと思うかい?
聖子:いいえ,思いません。
藤原:そうだろ。仕方ないと分かっていても不満は残るはずだ。そんな感じだと考え
   ればいい。
聖子:すると,そういう御家人の不満が幕府を滅ぼしたのですね。
藤原:そう,それが大きな原因だ。後は,北条氏の独裁体制に不満をもっているもの
   も多かったこと。
佳代:そこで,倒幕の動きが起こるのですね。
藤原:そうだね。そこで登場するのが,後醍醐天皇。この天皇は絶対に覚えておかな
   ければならない重要な天皇だ。この天皇中心に倒幕の動きが起こる。
佳代:正中の変ですね。
藤原:おう,佳代ちゃん,よく知っているねぇ。最初に起きたのが正中の変だ。そし
   て,これは事前に発覚して側近たちが流罪にされた。
佳代:後醍醐天皇は罪を免れたのですね。
藤原:そうだね,このときは。でも,次の元弘の変では,天皇も隠岐に流されること
   になる。
佳代:隠岐といえば,承久の乱のときの後鳥羽上皇と同じですね。
藤原:そう,後鳥羽上皇は,その地で一生を終えたのだけれども,後醍醐天皇は違っ
   ていた。
聖子:脱出したのですか?
藤原:そうだね。結果的に脱出することになる。その辺は面白いところだから高校生
   になったら太平記でも読んでみるといいよ。
聖子:分かりました。その後はどうなったんですか。
藤原:そうだね。有力な御家人だった足利尊氏が六波羅探題を攻める。
佳代:新田義貞が鎌倉を攻める。
藤原:そう,もともとこの二人は,先祖が同じで源氏だ。鎌倉幕府というと源頼朝が
   作ったから源氏と思われるけれども,実際は,平氏の北条氏が実権を握ってい
   たんだ。
佳代:すると,鎌倉時代は平氏政権ということですね。
聖子:へぇ〜,そうだったんだ。
藤原:そこで,仲の悪かった足利と新田だが,この時点では協力し鎌倉幕府を滅ぼし
   た。後でまた対立することになるけれども,それは次回やろうね。
聖子:ハイ,分かりました。なんとなく雰囲気はつかめました。
藤原:そうだね。さっきも言ったとおり,この辺は,太平記を読むとすごく面白いし,
   理解もしやすいと思うよ。ま,余裕があったら読んでね。
聖子:分かりました。暗記だけではダメですね。
藤原:そういうこと。佳代ちゃんが歴史が得意なのは,小説とかインターネットなど
   でいろいろ勉強しているからだよ。教科書ほどつまらないものはないからね。
佳代:ホントですね。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 鎌倉幕府滅亡の原因・・・元寇による幕府財政の窮乏や十分な恩賞を与えられなか
      ↓          った御家人達の不満。北条氏独裁に対する不満。
      ↓
● 倒幕の動き・・・・・・・・・・・・後醍醐天皇中心。失敗。隠岐に流される。

● 幕府の滅亡(1333年) 足利尊氏が六波羅探題を新田義貞が鎌倉を攻め,幕府を倒す。


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 15   
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■■
■■ 今回は,建武の新政と南北朝の争乱を勉強します。
■■

藤原:おう,三重,久しぶり。風邪は直ったかい。
三重:まあ,何とか。
佳代:いいね,三重は。私だって風邪ぐらい引きたいよ。
三重:無理無理,佳代は,いつも元気そのものじゃない。
藤原:そうだよ,佳代ちゃん,元気が一番だ。
佳代:だって。。。。
藤原:さては,先週,名前が大バカだから風邪を引かないと言ったのを気にしてい
   るね。
佳代:いえ,気にしてません。
三重:先生,佳代,結構気にしていたよ。ダメだよ,名前のこと言っちゃ。
藤原:そうだね。お互い名前のことは言わないほうが無難だね。ところで,今日の
   主役である後醍醐天皇だけれども,この天皇は名前にこだわっていたんだ。
佳代:えっ,どういうことですか。
藤原:うん,普通,天皇の名前は亡くなられてから送られるものなんだ。しかし,
   後醍醐天皇は,生前から決めていた。
三重:えっ,どうしてですか?
藤原:そうだね,ちょっと難しくなるけれども,平安時代中期に延喜・天暦の治と呼
   ばれたころがあって,そのときの天皇が醍醐天皇と村上天皇だったんだ。そし
   て,そのころの政治を理想としていたためなんだ。
佳代:へぇ〜,後醍醐天皇って志が強かったんですねぇ。
藤原:そういうこと。そして,先週勉強したとおり,鎌倉幕府が滅亡し,後醍醐天皇
   中心の新しい政治が始まったんだ。
佳代:それが建武の新政ですね。
藤原:そう,しかし,これはすぐに失敗することになる。
三重:それはまた,どうしてですか?
藤原:理由はたくさんあるのだけれども,一番の理由は武士の不満だろうね。
佳代:そう言えば,鎌倉幕府を倒すのに武士が活躍しましたね。
藤原:うん,にもかかわらず恩賞が公家に厚く武士に薄かった。
三重:つまり,一生懸命働いた人よりもたいした働きをしなかった人の方が,ご褒美
   が多かったということですか。
藤原:そうだね,簡単に言うとそういうことだ。たとえば,和歌がうまい,蹴鞠がう
   まいという理由で領地をもらったという公家もいたということだ。
三重:えっ,蹴鞠って,あの鞠を蹴って遊ぶやつですか。
藤原:そうなんだ。まあ,事実かどうかはわからないけれども,そういう話が伝わる
    ぐらい,公家に恩賞が厚かったということだ。
佳代:それでは武士は怒りますよね。
三重:メチャ,怒ります(^_^)
藤原:そこで立ち上がったのが足利尊氏だ。
佳代:最初は敗れたんですよね。
藤原:そうだね。いろいろあって,尊氏は,一回は九州まで逃げたのだ。しかし,態
   勢を立て直し,有名な湊川で楠正成を破った。そして,京都に入り,後醍醐天
   皇の変わりに新しく光明天皇をたてたのだ。
三重:後醍醐天皇はどうしたのですか?
藤原:うん,実は,吉野というところに逃げたのだ。奈良県だ。
佳代:これが南朝と言われるものですね。
藤原:そう,尊氏がたてた京都の天皇側を北朝,後醍醐天皇側を南朝と呼び,同じ日
   本に二つの朝廷が存在するという異常事態になったのだ。
三重:分かった!これが南北朝時代と呼ばれているものなのですね。
藤原:そういうこと。これが,以後60年間にわたって続いていくことになる。
佳代:いざ,国をまとめよう!
三重:何,それ,佳代。
佳代:南北朝の合一よ。1392年。
藤原:そうだね。この争いが一応収束するのが,1392年,将軍で言うと3代の義満の
   ときだ。
佳代:すると,足利尊氏が征夷大将軍になったのは,1338年だけれども,本格的に室
   町時代がはじまるのは,このころと考えていいんですね。
藤原:そうだね,尊氏が将軍になって,室町幕府を開くということになっているけれ
   ども,実際は,室町に花の御所を建てたのも義満のころだから,この辺から室
   町時代というほうが適しているような気がする。でも,君達は,鎌倉時代でも
   そうだけれども,征夷大将軍になった時点を区切りにしておけばいいよ。
三重:ハイ,分かりました。それにしても,名前にこだわるとロクなことがないですね。
佳代:三重,まだ言ってるの!
三重:ごめんね。

□□
□□ 今回の復習
□□

● 建武の新政(1334年)後醍醐天皇の親政→3年足らずで失敗。

● 失敗の理由…恩賞が倒幕に活躍した武士よりも公家に厚く,武士の不満を招い
        たこと。

● 足利尊氏が光明天皇を立てる→後醍醐天皇,吉野へ→南北朝時代のはじまり。

● 南北朝の合一(1392年)3代将軍足利義満のとき。

※ 建武の新政が何故失敗に終わったか,また,南北朝の争乱から合一までの簡単
 な流れを覚えて起きましょう。


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