光の温度<MOON LIGHT> | |
夜。満月ではないが、月の光がほんのりとあたりを照らし出している。 先輩たちが寝静まったのを見計らって、リョーマは布団を抜け出してきた。念のため、食堂に備え付けてあった懐中電灯も失敬してきた。 昼間は爽やかな風と共に、優しく受け入れてくれていた自然が、夜になるとその姿を一変させ、別の場所にいるような錯覚を起こさせる。 微かな虫の声、時折揺れる木の葉の音。肌に触れる空気も、どこかよそよそしく冷たい。 リョーマは懐中電灯で足下を照らしながら、今朝歩いた道をゆっくり歩いてゆく。たまに、何か黒いものがライトに驚いて逃げ去ったりするのを見ては、さすがのリョーマも息を飲んで足を止めた。 それでも何とか、大和と最初に出会った場所に出ると、そこから記憶をトレースするように逃げ回った道を丁寧に探してゆく。 (確かこの辺で一度桃先輩にぶつかって……あ、この辺でよろけた海堂先輩を避けて……) リョーマは足を止めた。 (ここで…やっと逃げ切れたん……だ) 本を落としたと思っていた場所に、本は落ちていなかった。ガックリしそうになる自分を奮い立たせて、もう一度、もっと丁寧に足下をライトで照らしてじっくり探しながら引き返す。 (絶対ここで落としたんだ。……ここしか…考えられない。だからあるはずなんだ、絶対!) ゆっくりゆっくり歩いたはずなのに、本が見つからないまま、また大和と出会った場所に戻ってきてしまった。 「…そんな……」 唇を噛み締めて、リョーマはもう一度探そうと今来た道を振り返った、その時、 「っ!」 リョーマの身体がぎくりと強ばる。 懐中電灯のライトに照らされた道の先、ぼんやりと人の影が浮かび上がっている。 「ぁ……」 幽霊はあまり信じていないリョーマだったが、以前手塚と共に不思議な体験をしてしまってからは、有り得ない存在ではないと考えるようになっていた。だが、これほどはっきりと目にするのは初めてで、リョーマは声も出せずにただ懐中電灯を握りしめた。 「…っ?」 ゆらりと、影が動いた。 そのままゆらりゆらりと左右に動きながら、ゆっくりとリョーマに近づいてくる。 「……え?」 リョーマが持つ懐中電灯のライトに、その「幽霊」の足下が照らし出された。 (足がある…) 耳を澄ますと足音も聞こえる。リョーマは少し冷静になって、ライトを徐々に上げていった。 「あ……」 「おや?奇遇ですね、越前リョーマくん」 その人影から発せられた声は大和のものだった。しかし、ライトに浮かび上がったのは昼間見た大和とは印象が違う。 「大和先輩?」 「こんな夜更けに、何をしているんですか?」 大和はリョーマの傍まで来ると、すっと顔を近づけた。リョーマは一気に緊張を解いて安堵の溜息を吐く。 「先輩……メガネは?」 メガネの有無でこんなにも顔の印象が変わるものなのかと感心しつつ、リョーマは大和を真っ直ぐ見上げた。 「私の目は少し太陽光に弱いのですが、夜は必要ありませんから」 「そうだったんスか」 ニッコリと微笑む大和につられて、リョーマも小さく微笑んでいた。 「それで、君は何をしているのですか?何か捜し物ですか?」 「あ……や、その……べつに……」 リョーマは大和から視線を外して口籠もった。 「まさか散歩じゃないでしょう。何か落としてしまったんですね。大丈夫ですよ、落としたものについての詮索はしませんから、一緒に探した方が効率もいいと思いますが?」 「先輩…」 もう一度大和を見上げると、リョーマは瞳を揺らした。 「本………文庫本を……落としたんス。朝……たぶん、この辺で」 大和はすっと目を細めた。 「私と出会った直後ですね?」 「そうっス」 俯き加減に視線を落としたリョーマの肩に、大和がそっと手を置いた。 「わかりました。大丈夫ですよ、見つけましょう」 柔らかな大和の言葉に、リョーマは顔を上げた。こんな状況のせいか、大和の存在をとても心強く感じる。 「さあ」 優しく背中に触れる大和の手の温もりが、リョーマの心に安心感を与える。 リョーマは頷くと、気を取り直してもう一度じっくりと足下を見つめた。 少し歩いたところで、リョーマはふと気になったことを大和に訊ねる。 「先輩こそ、何しに来たんですか?こんな夜中に」 地面に視線を向けたまま訊ねるリョーマに、大和は吐息のような笑みを漏らした。 「眠れないんです」 「また?……不眠症っスか?」 微かに眉を寄せて大和を見上げるリョーマに微笑みかけてから、大和はゆっくりと首を横に振った。 「会いたかったんです」 「え?」 「君に」 そう言いながら、大和はそっとリョーマを引き寄せた。 「???」 リョーマは目を見開いたまま硬直した。引き寄せられたはずみで、手から懐中電灯が滑り落ちる。大和の言葉が、そして行動が一瞬理解できず、リョーマは混乱したままその腕の中でしばらく動けなかった。 「君に好きな人がいるのは知っています。私とどうこうなる可能性は全くないのも承知しています」 ゆっくりとリョーマの思考回路が動き出し、大和から離れようとするが、大和の腕がそれを許してくれない。 「それでも、ただ君に、もう一度、会いたかったんです」 大和の腕が、ゆっくりとリョーマを締め付けてゆく。 「………やっ」 藻掻こうとしても、力強い大和の腕はリョーマの一切の動きさえ封じてしまっている。 「先輩…っ、放し…っ」 「あと四年、いや、せめてあと二年早く君が生まれてくれたらよかったんですが」 その一言を聞いて、リョーマは身体から力を抜いた。 抵抗を試みていたリョーマの動きがピタリと止まってしまったので、大和は訝しげにリョーマを見下ろした。 「抵抗、しないのですか?」 「……無理っス」 「……」 大和は目を細めるとリョーマの身体を木の幹に押しつけた。 「無理、とは?」 リョーマは小さく溜息を吐いてから、顔を上げて真っ直ぐな瞳を大和に向けた。 「先輩ともっと早く出会っていても、オレはアンタを選ばない」 「………」 「オレが選ぶのは、この世でたった一人だけっス」 リョーマはさらに瞳に力を込める。 「それはアンタじゃない」 曖昧だった自分の中の大和への感情が、たった今、はっきりと、リョーマにはわかった。 大和には、好意を抱いていることは事実だと思う。だが、例えば手塚よりも前に大和と出会ったとしても、手塚に対するような感情を、大和に対しては抱くことはないと確信した。 「………なるほど」 月の光を背に受ける大和の表情は、リョーマには見えない。だが微かに、その口元が綻ぶのをリョーマは感じた。 「やはり私の思った通りの人のようですね、君は」 「……?」 大和はリョーマを開放すると、落ちている懐中電灯を拾ってリョーマに手渡した。 「安心してください。今のはちょっとした戯れです」 「はぁ?」 「ま、眠れなかったのは確かです。ちょっと気分転換をしようと歩いていたら、ここまで来てしまいました」 相変わらずつかみ所のない調子で笑う大和を、リョーマは不審そうに見つめる。 「それに、きっと私も君を恋愛対象にすることはないでしょう」 「え?」 大和は月を見上げた。 「私がもし君を恋愛対象にしてしまったら、私はテニスよりも君を選んでしまう気がします。それは私にとってはつらいことになりそうですから」 一瞬、大和の言葉に重大な告白めいたものを感じたリョーマだったが、それよりも昼間の大和の言動が思い出され、気になっていたことを訊ねる。 「何で先輩は片方しか選べないんスか?」 少しの沈黙の後で、大和は小さく笑ったようだった。 「単純なんです。私はひとつ、もしくは一人のことしか考えられないような、要領の悪い人間なんですよ」 大和の表情は見えない。だが、その言葉の中に隠された静かな切なさを、リョーマの心は感じ取っていた。 「自分の感情ほど、自分で自由にできないものはありません」 「先輩……もしかして、アンタがテニスを選ぶのって、本当は……」 「越前くん!」 リョーマの言葉は突然背後から聞こえた不二の声でかき消された。 「不二先輩?」 息を切らせてリョーマに走り寄った不二は、リョーマの腕を引いて自分の背後に庇うようにして大和の前に立った。 「どういうつもりですか、大和先輩」 「…君が心配するようなことは何もありませんよ、不二周助くん」 柔らかく不二を見つめる大和と対照的に、不二の瞳は射抜くように鋭く大和に突き刺さる。 「…大和先輩は『偶然』通りかかって、オレの落とし物を一緒に探してくれていただけっスよ」 リョーマは不二の態度がみんなといる時とあまりに違うので一瞬目を見張ったが、小さく溜息を吐くと不二の背に向かってボソッと言った。 不二はゆっくりリョーマを振り返り、少し間をおいてから深く息を吐いた。 「で、探し物は見つかったのかい?」 そう言ってリョーマに尋ねる不二の声はいつもとあまり変わらない。 リョーマは首を横に振って「もういいっス」と小さく呟いた。 「越前くん、大事なものならば、そんな風に諦めてしまってはいけません。明日、明るいうちにもう一度探してみるといいですよ。案外すぐに見つかるかもしれません」 「…ういっス」 大和の言葉に頷くと、リョーマは不二を見上げた。 「また明日探してみるっス。スミマセンでした」 「いや……じゃあ、戻ろうか」 リョーマは頷くと、大和に向かってぺこりと頭を下げた。 「お休み、越前くん、不二くん。今日は有意義な一日でした。ありがとう」 不二も頭を下げると、リョーマの肩に手を回して大和に背を向けた。 月明かりの中、リョーマと不二は黙ったまま歩いていた。 普段と違う不二の態度に、リョーマの中では疑問符が飛び交っている。だが、どう切り出せばいいかわからずに、リョーマはただ黙って時折不二の横顔を少し後ろから見つめるしかなかった。 それでも、好奇心の方が先立ち、リョーマはとうとう口を開いた。 「…なんか、あったんスか?」 「うん?」 「なんであんなに、あの人のこと、警戒するんスか?」 不二は立ち止まってリョーマに視線を流し、じっと見つめてくるリョーマに小さく微笑んでから、ゆっくりと月を仰いだ。 「キミに詳しいことを話すつもりはないんだ。ごめんね。ただ……昔、あの人に振り回された人を知っていてね…。キミにはそんな目にあって欲しくなかったから」 「………」 リョーマは直感的に、大和に「選ばれなかった相手」が不二なのではないかと感じた。だが、最初に詳しく話すつもりはないと宣言されてしまったために、それを確かめることはできない。 だが、もしそうなら、ひとつだけ、伝えなければならないことがある。 「あの人…大和先輩って、誰かを本気で好きになったら、一生想い続けるタイプっスね」 「そうかな」 月を見つめたまま、不二は答える。 「僕はそうは思わないけど。あの人は恋愛ゲームを楽しむタイプじゃない?」 「………」 リョーマは軽く溜息を吐いた。 「あの人、テニスをすごく愛しているけど、今までにテニスよりも好きになりそうな人と出会ってるみたいな感じがしたっス」 「そう……」 「たぶん、これはオレの推測っスけど、大和先輩は自分が誰かを好きになったら、自分がどうなっちゃうのか、自分でも予測がつかなくて怖かったんだと思う」 月の光が、まるで心の表情を浮き出させているかのように、普段はあまり見せない、とても意外そうな顔をして不二がリョーマを振り返った。 「怖かった?」 リョーマは頷く。 「だから、そのままでいたら自分がテニスをできなくなるだけじゃなく相手からもテニスを奪ってしまうような気がして、大和先輩は敢えてその相手を選ばずに、テニスだけを選んだんだと思うっス」 「………」 小さく目を見開いてから、不二はふっと表情を和らげる。やっぱりいつもとは違う、だがひどく自然な微笑みだった。 「…そうかもしれないね。あの人の頭の中は複雑すぎて、未だによくわからない」 吐息のような笑みを零しながら、不二はもう一度月を仰ぐ。 「でも確かに……誰かを本気で好きになるのは、すごく勇気がいる。本気であればあるだけ、その想いの裏側に狂気も宿るからね」 リョーマはそっと眉を寄せた。 「狂気……」 「キミは考えたことはない?もしも、手塚がキミから離れようとしたら、とか」 「え……今は…ないっス」 不二は驚いたようにリョーマを振り返り、きょとんとしているリョーマを凝視してからクスッと笑った。 「さすが、越前リョーマ、だね」 「はぁ?……わけわかんないっス」 「わからなくていいよ。でも手塚は…きっと僕の言葉を理解できる、と思うよ」 ムッとしたようにきつく眉を寄せて、リョーマは黙り込んだ。そんなリョーマに、不二が、また柔らかく微笑む。 「戻ろう。まだ誰にも気づかれていないと思うけど、気づかれたら厄介だからね。特にスミレちゃんには」 「…ういっス」 再び歩き出す不二に続いて、リョーマもポケットに手を突っ込んで歩き出す。 それから二人は黙ったまま、自分たちの部屋まで戻っていった。 「おやすみ。明日寝坊しないようにね」 囁くような声でそれだけ言うと、不二は布団の中に深く潜り込んだ。 「ういっス。おやすみなさい」 リョーマも返事をしてから、横になる。が、目が冴えてしまってすぐには眠れそうにない。 今日一日、いろいろなことがあった。たった一日なのに、ずいぶんたくさんのことがリョーマの心に入ってきた気がする。 だが先程の、不二とのやりとりが、今は一番リョーマの心を占めていた。 (狂気って……くにみつが……?) 『もしも、手塚がキミから離れようとしたら、とか』 ふいに、不二の言葉がリョーマの頭に浮かんだ。 (ありえない) 自分と手塚は、強く、固く、心も身体も結びついている。そしてテニスがある。だから、何があっても、二人の絆が断ち切れることなどないはずだと、リョーマは信じている。 だが。 『手塚は…きっと僕の言葉を理解できる、と思うよ』 再び頭に浮かんだ不二の言葉がリョーマの心に軽く爪を立てる。 (くにみつはオレのこと信じてないってこと……?) リョーマはゆっくりと身体を起こした。不二も寝息を立て始めているのを確認してから、そっと布団を抜け出す。 食堂の時計を見ると1時を少し回ったところだった。時折ゲームに夢中になってこんな時間まで起きていることもあるリョーマは、朝がちょっとキツイかもしれない、とは思ったものの、それほど罪悪感を感じるほどではなかった。 玄関から外に出ると、あたりには霧が立ちこめている。つい先程までは何もなかったのに、と眉を寄せながらも、少しだけ宿舎の周りを歩くことにする。 宿舎の裏へ回る頃には、霧が一層深くなってきた。 (あれ……こんな感じだったっけ?) 昼間見た時は宿舎の裏に道があることなど気づかなかったが、今、リョーマの目の前には細い道が真っ直ぐ小高い山の方へと続いている。 (でもあまり動き回らない方がいいかな) その道の向こうに、なぜか心惹かれるものがあったが、あまりに霧が濃くなってきたので、リョーマは宿舎に引き返そうとした、その時、 「?」 誰かに、名を呼ばれた気がした。 だが、こんな夜更けに誰かが来るはずもなく、リョーマは空耳だろうと再び宿舎に向かって歩き始めた。 「………マ」 「え?」 やはり人の声がする。 その声は、細い道の向こうから、真っ直ぐこちらに近づいてくるようだった。 「リョーマ…」 自分の名を呼ぶその声に、リョーマは聞き覚えがある。一日たりとて忘れることのない、甘く自分の心を揺さぶる、リョーマの大好きな声。 「なんで………なんでアンタがここに……」 霧の中、微かな月の光に照らされてその声の主がようやく姿を現す。 「リョーマ」 「ど……して……、くにみつ……?」 「リョーマ」 リョーマは目を見開いたまま立ちつくした。目の前で名を呼ばれても、これが現実とは思えない。 (夢……?) そう思いかけて、リョーマは「違う」とすぐに否定した。 自分は眠っていない。布団には入ったが、不二が先に寝たのを確認してからここに来たのだから。 (幻覚?) それでも、目の前に立つのは紛れもなく自分のすべてを懸けて愛する恋人の姿だった。 「くにみつ……なんで………っ」 「俺を呼ぶお前の声が聞こえた」 手塚が、そっとリョーマの頬に触れた。 (あたたかい……) リョーマは大きな瞳を切なく揺らしながら、手塚を見上げる。 「ホントに……くにみつ?」 「ああ」 そっと腕が伸ばされ、リョーマの身体が手塚の腕の中に包まれてゆく。 「何か、あったのか?」 優しく、だがしっかりと抱き締められたリョーマの身体に、手塚の声が染みこんでゆく。 リョーマは恐る恐る手塚の背に腕を回してみた。 「くにみつ…」 「ん?」 確かめるように小さく名を呼ぶリョーマに、手塚は囁くように優しく答える。 「くにみつ…っ」 「………」 リョーマは思いきり手塚にしがみついた。 ずっと逢いたくて、でも逢いたいとは言えなくて、時折夢に見る手塚を、夢と知りつつ抱き締め、求めた。 夢の中の手塚の感触を、リョーマは目覚めても覚えていた。だがそれが却って、リョーマの心を切なさの渦へと突き落とした。 それでも、手塚との約束を胸に、前だけを見つめてきた。前だけを見つめ、先へ先へと進んでいけば、必ずまた手塚と共に過ごせる日が来ると信じて。 そしてやっと今、信じていた現実が、リョーマに訪れたのだ。 手塚がリョーマの髪に顔を埋め、愛しげに何度も頭を撫でる。その指の感触が嬉しくて、リョーマは泣き出しそうになるのを必死で堪える。 なぜここに手塚が突然現れたのか、リョーマはもう、そんなことはどうでも良くなった。 「……何があった?」 手塚の腕の中で、リョーマは小さく首を横に振る。 「……ここの空の色が…いつも見る色と違ったから……アンタのこと思い出して……ずっと、考えてただけ…」 手塚の胸に頬をすり寄せながら、リョーマが小さな声で呟く。 そっと溜息を吐くと、手塚はリョーマの身体を少しだけ自分から離した。 「大和先輩が来たそうだな」 「え、どうしてそれ…」 ちょっと驚いたように見上げてくるリョーマを、手塚の穏やかな瞳が見下ろす。 「…大石がメールしてきた」 「そっか…」 「座ろう」 手塚が指し示す方を見ると、木製のベンチが置いてある。リョーマは「こんなベンチあったっけ?」と首を傾げながらも、手塚に促されるままに、そこへ腰を下ろした。 「いろんなことが、あって……大和先輩と二人で森の中に迷い込んだり…さっきも会って、いきなり迫られたり………不二先輩が変だったり……」 「迫られた?」 リョーマの肩に回されていた手塚の手に、一瞬力がこもった。 「戯れだって、言っていたけど、ちょっとビックリした」 「………」 「それから……アンタに謝らなきゃならないことがあっ………」 言葉が終わらないうちに、リョーマは手塚にきつく抱き締められた。 「くにみ……っ」 少し乱暴に顎を掴まれ、深く貪るように唇を奪われてリョーマの身体が甘く痺れてゆく。 「ん…」 小さく漏らされたリョーマの声に、手塚はハッとしたように唇を離した。 「………っ、すまない……」 「…なんで謝んの?」 頬を染めて真っ直ぐに見つめてくるリョーマの瞳を、手塚は何も言わずに受け止める。 「………本気で好きになると、好きになった分だけ心に狂気が生まれるって……アンタにはその意味がわかる?」 手塚は一瞬目を見開き、そうしてからリョーマを探るようにすっと細める。 「なぜそんなことを訊く?」 「不二先輩が言っていたんス……オレにはわかんないけど、アンタならわかるだろうって」 「………」 手塚は深く息を吐くと、リョーマの身体をそっと解放した。 「……そうかもしれないな……俺には、その言葉の意味が…たぶん、理解できている」 どこか言いづらそうにそう呟いた手塚は、もう一度リョーマの身体を抱き締めた。 「…それって、オレを信じていないってこと?」 「違う」 即座に返されて、リョーマは少し微笑んだ。 「じゃあ…」 リョーマが手塚を見上げると、手塚は眉を寄せて、一瞬つらそうな顔をした。 「くにみつ?」 「……前に、誰かを本気で好きになるということは甘い感情だけではないと…俺がそう言ったのを覚えているか?」 「……うん」 それは手塚とリョーマが、相手を想うが故の些細な感情の行き違いで思い惑っていた時、桃城の誘いに安易に乗っていってしまったリョーマを桃城から取り返した手塚が、苦しげに本心を吐露した言葉でもあった。 「お前が誰かに奪われるかと思うと気が狂う、とも言ったろう?……だから、そうなる前に誰にも決して触れることのできないようにしてしまいたいと……思うことがある…」 「………そ…」 「醜い独占欲だ」 静かに、だが吐き捨てるようにそう言って瞼を伏せた手塚が、ゆっくりと目を開き、リョーマを真っ直ぐ見つめた。 「お前を信じていないのではなく、現実では不可能なほどに、お前を俺のものにしたいと…考えてしまう時があるんだ」 「これ以上、どうやってアンタのものになれって言うんスか?」 困ったように微笑みながら言うリョーマに、手塚はそっと口づける。 「お前が見るものも、触れるものも、語ることさえも、俺だけであればいいと思う……お前の世界に、俺だけが存在すればいいと……他のすべてから、お前を切り離したくなる」 「………」 「それが、『狂気』だ」 リョーマは一瞬、目を見開いた。 「俺が、怖いか?」 だがその手塚の言葉に、大きな瞳は、すぐに強い光を取り戻して手塚を映し込んだ。手塚の瞳も、リョーマだけを映す。 手塚を見つめたまま短く沈黙した後で、リョーマはふっと微笑んだ。 「…リョーマ……?」 「ちょっとわかってきたけど、まだ、あんまり良くわかんない。ただオレは…」 そこで一旦言葉を切って、リョーマは手塚の首に腕を回し、唇が触れるだけのキスをする。 「オレは、誰といても、何をしていても、アンタのことばっか考えてる。それに、テニスをしてるアンタも、誰かと一緒にいるアンタも、全部まとめて『手塚国光』はオレだけのものだと思っているから」 「…っ」 手塚の瞳が大きく見開かれる。 「オレはきっと、他の誰かと試合したり、話したりしている時に、相手とアンタを比べてるんだ…」 真っ直ぐに手塚の瞳を見つめながら、リョーマは微笑む。 「試合中も、アンタだったらこうするだろう、とか、相手がどんなに強くてもアンタの方が何倍もスゴイとか、誰かと話している時だって、アンタだったらオレがこういうこと言ったらこう言ってくれるのに、とか……誰かと一緒にいても、いつだってアンタがサイコーだって、感じてる」 照れくさそうに頬を染めながら俯き加減で語るリョーマを、手塚もいつしか微笑みながら見つめていた。 「今日も、大和先輩とずっと話ししていて、確かにすごくでっかい人だなって思ったし、話していてすごく楽しかった………どっちかって言うと、好きだと思う」 じっと見つめてくる手塚の視線に、リョーマの身体がほんの少し熱くなってくる。 「………けど、さっきあの人に触られた時、すごくイヤだった。アンタに触られるのと、全然違った。アンタへの『好き』は、他の誰にも感じない気持ちなんだって、改めてわかった」 微かに揺れる瞳で、リョーマは手塚を見つめた。 「だから……その……オレは…アンタのこと、ホントに……好きで好きで、たまらないから……」 リョーマがそっと、手塚を抱き締める。 「オレのことを、もっともっと独占したくなる気持ちを…止めなくていいっスよ……」 「…………」 手塚が切なげにゆっくりと目を閉じてリョーマの髪に頬を寄せる。そして愛しげにリョーマの髪に何度も口づけ、抱き締めてくる華奢な身体に腕を回し、骨が折れそうな強さで抱き締め返した。 「リョーマ…」 「くにみつ…っ」 「…やはり、お前しかいない……」 吐息のように微かな声で、手塚が囁く。 「俺は…もう……お前しか愛せない……」 リョーマがふわりと微笑んだ。 「うん……オレも……アンタだけがいい」 手塚がふと腕の力を緩めて、リョーマの瞳を覗き込む。リョーマの瞳が艶っぽく濡れている。 「………」 ひたむきに見つめ合う互いの瞳に吸い込まれるように、二人はゆっくりと唇を重ねていった。 |
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2004.6.15 こちらに解説を書きますので、良かったらご覧ください。 |
光の温度・解説 |
1. 不二くんが大和さんを警戒する本当の理由はなんなのか!? …ってなところが大きな疑問点でしょうか。 と、まあ、解説として書いておきたかったことはこのくらいです。 |