経 営 改 善 と
         相 続 対 策
   青木税務会計事務所



 令和6年7月、
 開業35年を迎えます。
 令和5年4月、
 登録35年を迎えました。

 65歳迎えちゃいましたが、
 次は70才、更には75歳での
 バリバリの現役目指します。
 使ってもらえるかどうかは
 別の問題ですが
 やる気は充分あります。

 

 体力には自信ありませんが、
 運はいい方だろっ?
 って思って生きてます。
 生きてれば75歳までは
 ガッツリ仕事するつもりです。

 サボった時間が長い分
 中身は若いと信じ込み、
 ケツに鞭打って生きてます。

 0.1%のミスもなく、
 0.1%の見落としもなく、は仕事上
 究極の理想とするところですが、
 そんなとこ間違えてる訳ねぇだろ、
 って慢心がいつもあって見直さず、
 そんなもんだから、
 そうは問屋が卸しちゃくれないな、
 が俺の人生訓になっちゃったけど、
 一々落ち込んでも仕方ないぜ、
 と思って生きてます。

 ヘマしてズッコケながらも、
 他人には言えない
      バカやりながらも、
 自分なりの一生懸命を
       生きてきました。

 若い頃は色々迷惑かけました。
 今でも多かれ少なかれ
 迷惑かけながら生きてます。
 最期も迷惑かけると思います。

 アッ、という間には死なないと
 思います。徐々に向かう
 んでしょうから、準備はしっ
 かりしてから逝きたいです。

 

  事 務 所 の 概 要  .


       ◆事務所名  :  青木周一税理士事務所 (税理士法上の登録名称)
       ◆住所  :  〒210-0813 川崎市川崎区昭和2丁目1番10号
       ◆相談・面談の予約電話番号  :  044−266−7871
       ◆代表  :  税理士 青 木 周 一
       ◆開業  :  平成元年7月1日(31歳)  ◆税理士登録  :  昭和63年4月20日(30歳)
       ◆登録番号  :  第63720号   ◆所属組織 :  東京地方税理士会 川崎南支部
       ※e-mailは、迷惑メールが煩わしいのでネット上では公開してません。

          
            事務所といっても一馬力の極小零細事務所ですが、
            規模は小さくとも、小さいには小さいなりの良さがある、を自負して日々の業務に励んでます。
           会計事務所の固定費=人件費がないのが、経営上の強みと言えば強みです。
           一馬力の事務所には、他人が関わる他所様には真似できない良さがある、と思ってます。
           更には、AI やマシンには理解できない微妙なさじ加減が自分はできる、と思ってます。
税理士法40条 事務所の設置
(1) 税理士は、税理士業務を行うための事務所を設けなければならない。
(2) 税理士が設けなければならない事務所は、税理士事務所と称する。
 

  自 己 紹 介  .





昭和32年、山形県は米沢市の生まれです。
昭和34年から川崎市内に在住、なので育ち・出身地は神奈川県は川崎市です。
藤崎小学校・川中島中学校・橘高校・某三流大学中退、なので最終学歴は高卒です。
平成30年2月・3月に中学・高校の還暦同窓会が続けてありました。
懐かしんでくれた人がいたって事は、生きてて良かったんだな、って思ってます。

税理士試験の合格科目
・・・・・S55年:簿記、S59年:法人、S60年:所得、S61年:相続、S62年:財表す。
税理士試験の受験資格は日商簿記1級(S54初夏)でした。
(この合格の裏には、かなりヤバい話しありますが、この合格がなければ税理士試験受験のタイミングが
ズレちゃって、  税理士試験には合格できなかったかも・・・・・・・・・・っていう思いがあります。)
簿記は代々木簿記学校、他の4科目は通信添削「税験」利用の完全独学でした。
簿記の講師・猿渡千秋さんは試験後に慰労会を催してくれました。ダンシングオールナイトの
弾き語りが思い浮かびます。H7年6月にがんで亡くなられたそうです。合掌。
計算問題の、法人税は実務でやってた土地重課の実額計算、所得税は廃止される予定で
皆が軽視してた資産合算、相続税はほぼ満点、だったのが想い出です。
財表の理論はたった一人の学者先生の意見でオレの1年が左右されるのかと思うと素直に
入っていけなくて、最後まで大事にとっておくことになりました。
不合格科目はS55:財表、S57:法人・財表でした。

孫のこと
常に仕事漬け・チョイチョイ孫と戯れて・たま〜に大酒を呑んじゃう、を繰り返す毎日です。
カラオケのお気に入りは松崎しげる 「黄色い麦わら帽子」です。
初孫の文太と二人旅、これだけが生涯唯一のホントの楽しみです。
実際に乗った電車などのNゲージやBトレインなどを収集し、
その時の文太との写真と並べて眺めるのが楽しみです。
今は特殊な事情により、二人旅どころか会うこともできず、ツラく悲しい状況ですが、
この状況を招いた原因は自分と割り切り、いつの日かの再会を信じて旅程など
考えたりするのも生きる力の一つです。
孫は4人、文太15歳(もうじき16歳)、和花13歳、知花7歳、智美6歳です。
文太と和花が大人になるまでは、石にかじり付いても第一線で仕事する、って誓ってます。
次のサイトには、文太と和花が小さい時の写真をHPビルダーでい〜〜〜っぱい載せてました。
HPビルダーはもう持ってないので加工も削除もできませんが最高の想い出です。
文太と和花の写真

人生の終わりに向けて
やっと人生にエンジンがかかってきたかな、と思えるようになった40代終盤以降ですが、
最近、集中力が長続きしないのを感じており、ポカをするのがしばしばな事もあり、
終末期がもうすぐそこに来ているのかな、と考えるとチョットさみしい気もします。
登録して11年目以降、好んでモメたりはしないけど、税理士会で上手に立ち回れなかったのは、
自分らしいと言えばそうかな、とは思います。公私ともに、つくづく下手な生き方でした。
60を過ぎてからは特に歯車がかみ合わなくなってるような気がします。
それでも、色んな人達に支えられてきた人生だった、とつくづく染み染み振りかえり、これからは
「これでいいのだ」 を決め台詞に残った道を歩きたい、と思う今日この頃です。
昭和の後半30年を生き、平成の30年を駆け抜け、令和では何年歩けるのか。
死んじゃってるのに気付かず仕事してる自分、を感じれたら最高です。
60を過ぎてから、死ぬまで働くのが宿命なんだなぁ、って気付き、60を迎える前の夢はあきらめました。
心に余裕があったなら、140円の切符を買って東京近郊大回り乗車をしてみたいなぁ、とか、
チネチッタでユックリ映画を見てみたいなぁ、なんてことがささやかな願いです。
(R5/8/13 鶴見駅〜川崎駅、150円で大回り乗車してきました。経由駅:茅ヶ崎、八王子、立川。)
(R6/3/31 鶴見駅〜川崎駅、大回り乗車2回目。経由駅:東神奈川、八王子、高麗川、川越、大宮。)
令和4年5月に○○して、6月から人生初の○○○○〇してます。
「生きる」って食うことなんだな、って思いました。
食いたくなくなったら終わりだな、やっと終われるんだな、って最期が見えたような気がしました。
そんな気がしてからは、それまでは今を一生懸命生きなくっちゃ、って思って頑張ってる今日この頃です。

2枚目の写真は30代中頃で、平成10年からほぼ20年間、旧税理士証票に貼ってあった写真です。
お気に入りの1枚でした。
この写真の名刺を渡すと、誰だお前は?って顔をされました。
税理士証票は更新が義務となり、H29暮れ、新証票が交付され旧証票は返納しました。

娘がPCで描いた、自分と孫の文太をイメージしたイラストです。
Twitter/Facebookへの登録あります。探してみてください。            .
(ただし、文太と旅に出れてないので更新はしてません)        上に戻る

税理士試験の合格者数変遷


受験者数
合格者数
第37回
昭和62年
39,050
883
第38回
昭和63年
39,381
848
第39回
平成元年
41,335
911
第40回
平成2年
39,591
949
第41回
平成3年
39,528
993
第42回
平成4年
40,613
948
第43回
平成5年
44,566
875
第44回
平成6年
49,093
970
第45回
平成7年
52,032
943
第46回
平成8年
53,137
1022
第47回
平成9年
52,032
968
第48回
平成10年
51,773
1025
第49回
平成11年
52,477
1052
第50回
平成12年
52,567
1076
第51回
平成13年
50,677
1085
第52回
平成14年
52,560
1074
第53回
平成15年
55,175
1193
第54回
平成16年
56,126
1090
第55回
平成17年
56,314
1055
第56回
平成18年
54,203
1126
第57回
平成19年
53,324
1014
第58回
平成20年
51,863
964
第59回
平成21年
51,479
1058
第60回
平成22年
51,468
999
第61回
平成23年
49,510
1094
第62回
平成24年
48,123
1104
第63回
平成25年
45,337
905
第64回
平成26年
41,031
910
第65回
平成27年
38,175
835
第66回
平成28年
35,589
756
小計

1,438,129
29,725
第67回
平成29年
32,974
795
第68回
平成30年
30,850
672
第69回
令和元年
29,779
749
第70回
令和2年
26,673
648
第71回
令和3年
27,299
585
第72回
令和4年
28,853
620
第73回
令和5年
32,893
600
第74回
令和6年


自分は昭和62年・第37回の合格で、合格証書の番号は23868でした。

   ◆税理士試験結果表の合格者数は5科目合格者だと思ってたんだけど、税務署員・大学院修了者
    その資格で一部免除を受けて受験して、最後の科目を試験で合格すると、合格証書が交付されて、
    登録上も免除者じゃなく試験合格者の区分になる、って話しを聞いたもんだから・・・・・。
    その試験合格者の中に一部免除者はどんだけ含まれてんだ?オイラの合格証書の意味や価値は?・・・・・。
    もしホントなら、5科目合格が「優秀」を担保するモノじゃないって理解してたって、
    5科目合格・合格証書の重さや 、税理士試験制度自体の根幹が揺らいじゃう、と思う。
    合格者数と受験者数の比で言えば日本で最難関の国家資格と言える税理士試験、5科目合格の重みを
    御上には今一度考えてほしいと思う。

受験票に貼った写真が出てきたので貼ってみました。左からS59年・S61年・S62年です。
上記よりさらに古いデータも出てきたので貼りました。


受験者数
合格者数
第34回
昭和59年
40,264
844
第35回
昭和60年
39,739
940
第36回
平成61年
38,905
875

令和5年8月13日(日) 初の東京近郊区間大回り乗車してきました。
  初体験なので短い距離にしたから、大回りでなく小回りですが。
  JR鶴見駅でJR川崎駅までの運賃150円の切符を買って、
  鶴見駅〜横浜駅(京浜東北線)
  横浜駅〜茅ヶ崎駅(東海道線)
  茅ヶ崎駅〜橋本駅(相模線・単線でワンマン)
  橋本駅〜八王子駅(横浜線)
  八王子駅〜立川駅(中央線)と乗り継ぎ、
  立川駅〜川崎駅(南武線)まで帰ってきました。
  総距離156.5kmを150円で乗った証しに、川崎駅で150円の切符をもらおうとしたら・・・・・
  20円足りません、だって。
  えっ?手数料?って聞いちゃいました。
  鶴見・川崎間は170円なんです、だから20円足りないんです、だってさ。
  今日のオチは、切符買い間違えて記念の切符を手にできなかった、ってことでした。
 2回目は少し距離伸ばしてみたいと思ってます。また書きます。
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