長瀨神社 〒577-0827
東大阪市衣摺1-4-25
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宮司のお話
毎月15日 8時半より月次祭(つきなめさい)を行っております。祭典終了後に、宮司が、信仰についての話をしております。
ご自由にご参列下さい
  今月のお話
読書のすすめ

『神さまが教えてくれた幸運の習慣』 田中恆清著より

田中恆清氏プロフィール:
京都府生まれ。國學院大學神道学専攻科修了。平安神宮権禰宜、石清水八幡宮権禰宜・禰宜・権宮司を経て、2001年より石清水八幡宮宮司。
2002年京都府神社庁長、2004年神社本庁副総長を経て、2010年より神社本庁総長。


神道と他宗教
 仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教など、宗教には「教」という字がつきますが、神道は神道教とはいいません。それは取りも直さず、神道は「教え」ではないからです。ですから、特定の教典もなければ、特別の教義もありません。

 神道が他宗教と大きく違う点は超常現象や奇跡、ひいては理想郷を追い求める類の信仰ではないことです。 煎じ詰めると、「清く」「明るく」「正しく」「直く」生きる道を説く「浄明正直(じようめいせいちよく)」が根幹にあり、正しくあるための生き方を探求する宗教なのです。

 神道の説く、人としての生き方、基本姿勢である清く、明るく、正しく、直くという「浄明正直」を常に心がけ、道から 外れて人を欺いたり、傷つけてはいけません。たとえ陰で悪さをしようとも、お天道様は必ず見ていらっしゃるのです。

惟神(かんながら)の道
 和魂とは、神様の平和と繁栄をもたらす側面をいい、太陽や雨など、恵みをもたらし御加護いただけるはたらきをいいます。
 一方、荒魂とは、神様の荒々しくも力強く、勇猛な側面をいい、だからこそ、ときには 天変地異から神様の意志をうかがおうとしたり、それを神様からの警告として捉えよう としたりしました。日本人は、この両方を認め、いずれも神様として崇めてきました。

 我々神職は、神道を説明するためによく「かんながら(随神・惟神)の道」という言葉を使います。これは神を敬い、祭祀を重んじ、神様の御心に沿うよう、自分なりに正しい筋道を立てて生きていくことを指します。

 こうした一連の考えを端的に表し、さらに深い思想を教えてくれるのが菅原道真の

「心だに 誠の道に かなひなば 祈らずとても 神や守らん」

という言葉です。これは「自らの心が『誠』の状態、やましいことのない状態であれば、神様に祈らなくても神様の御加護がある」という意味です。
 また、神道では、自らの行いを悔い改め、間違いを正せば、その罪を償えるとも教えています。神様は、私たちが犯してしまった過ちだけではなく、贖罪のために駆けまわる姿や日々努力する姿も見ていてくれるのです。

中今
「中今」とは今が大切だと考えて精一杯生きることでもありますが、 今があるのは過去のおかげであり、未来のためである といった思想でもあります。
 先祖に感謝し、子孫を思いながら今を大切に生きる。これが、神道の「中今」という思想が示す、人間として常に心に持っておくべき大切な思いです。

 過去に執着せず、未来に託した今を生きるのではなく、今この瞬間を生きることに注力 する。すなわち「中今」の精神こそが浄明正直でいるための道です。


穢れ
 一般的には心や体に何か汚れがついていることを「穢(けが)れ」といいますが、神道では、穢れとは「気が涸(か)れる」ことであるともいいます。ここでいう「気」とは、心身に流れているエネルギーのことを指し、気が充実していると心身は健やかなものとなります。
 ところが、日々の生活の中で私たちは心配事を抱えて悩んだり、不安に陥ったりします。そんなときに「気が重い」とか「気を揉(も)む」という表現をします。そのようなマイナスの状態が続けば、気が涸れ「気涸れ=穢れ」てしまいます。


死生観
 神道には「敬神崇祖(けいしんすうそ)」という言葉があります。読んで字のごとく、「神様を敬い、ご先祖様を大切にすること」です。先祖があってこその自分であり、子孫へと続くのです。  神道では、人は亡くなるとその家の守り神になるといわれています。つまり、子孫の幸せを願い、いつも見守ってくださる存在になるわけです。

 人は死んだのちどうなるのか、と聞かれることがあります。この問いにわかりやすく答えているのが、江戸時代の神宮祠官(しかん)中西直方(なおかた)の歌です。

 日の本に 生れ出(い)でにし 益人(ますひと)は 神より出でて 神に入るなり

 日本に生まれた人々は、 神の世界から来て、神の世界に帰っていくという、神道の死生観を的確に捉えた歌です。

人生儀礼の大切さ
 人生儀礼は、無事にその日を迎えられたことをお祝いする風習で、日本人にとって欠かせない行事として代々受け継がれてきたのです。
 あらためて考えてみてください。生きていくうえでの節目となる人生儀礼を、一つひとつ通過していけるということは、それだけで幸せなことだと思いませんか。ですから、こうした人生儀礼では、神々に「今まで毎日無事に過ごせて、ありがとうございます。おかげさまで、ここまで成長しました」と感謝を捧げる気持ちが大切なのです。

 日本人の根底には、常に新しい命を蘇らせていくという文化があります。
 広い意味では、毎日、顔を洗い歯を磨く、お風呂に入るという日常の習慣も、常に心身を清め、命を再生していることに通じます。また、折々の年中行事、成人式や結婚式などの人生儀礼も、人生を新しく出発する再生の儀式だといえるでしょう。

どうすれば神さまに願いが通じるのか
 ふだん神社の前を素通りしていた高校生が、受験帰りにやってきて拍手を打ってお参りする姿を毎年のように見かけます。まさに苦しいときの神頼みです。
 ただし、いうまでもありませんが、いくら神様でも出来の悪かった試験の結果を覆してくれるわけではありません。それならば、神様に祈ることは無意味なのかといえば、決してそうではなく、大事なのは神様に守っていただいているという思いと感謝の気持ちです。たとえ試験は失敗に終わったとしても、あなたの願い事は目先の現象ではなく、もっと奥深いところで叶うのです。

 私たちは神様に手を合わせ、いろいろな願い事をします。「苦しいときの神頼み」という言葉もありますが、そんなときでも心得ていてほしいのが、願い事は神様に叶えてもらうためだけにするものではないということです。
 望みが叶おうが叶うまいが、その結果を神様の意志だと捉えて、自分を省みることが大事なのです。

 どうすれば神様に祈りが通じるのか、祈り方のコツはあるのかとよく聞かれますが、大事なのは、神道の大原則である「清浄心」です。つまり、清く正しい心で神様と向かい合うこと。大切なのは心のありようなのです。