ちば山の会35周年記念歌集完成

「山の歌100選」ができるまで。

 

2000年10月13日夜 皇海山のすぐ横、松木沢から登り詰めた大草原の幕営地「国境平」に張ったテントの中で、私たちは歌いまくっていた。ちば山事務所から持ち出した歌集を1ページ目から最終ぺージまで歌いまくる勢いで歌っていた。その時のメンバーは白井・趙・富田・舟山・加藤ヨウ・中村(非会員)であった。ちなみに歌っていたのは3人だけで、後の3人は呆れていたと思う。その時心に誓った。「私たちの手で、新しい歌集を作ろう!!」(ちば山10月号で柴田さんも寄稿しています。)

ちば山12月号にて、、♪「21世紀山の歌集」をつくりませんか!♪、、と呼びかける(趙)。同時に「21世紀山の歌集」編集準備委員会(自称)を設立した。(白井・趙・冨田)

2001年1月1日 停滞中の冬季小屋にてやることがないので歌いまくる。やはりこんな時のために携帯に便利な歌集は必要だと痛感する。この思いはシトロエンの”ピエール・ブランジェ”が、農民のためにミニマムトランスポーター(後の2CV)を作らなければならない、、と言う義務感にかられた思いに等しい(おおげさ)。

1月12日 「みんなで歌おう岳人の歌」と言うメールがメーリングリストに登場。「岳人の歌」が一瞬はやる。

1月20日 ちば山新年会にて、趙、加藤ユウ、白井の3人がリコーダー隊を結成、岳人の歌を披露する。この日、小野さんが、歌集用に自作曲を作っていただけることを表明。

1月22日 第一回歌集編集委員会(仮称)が開かれる。完成予定は6月、配布は35周年記念とからめて記念山行で、曲数は101曲、サイズはA6版、製本と印刷は印刷屋に頼む、などが決まる。(参加者:白井、趙、富田、柴田)

1月23日 「歌集編集委員会」と言う正式名称として、活動を続行。

ちば山2月号にて「ちば山歌集についていくつかの考察」を寄稿して、過去のちば山歌集について分析する(趙)。

2月2日 アンケート(300曲弱のタイトル)が配られる。アンケートの締め切りは、2月14日

2月7日 この時点で、アンケートは12通帰ってきた。「協力したい!」と言う人多数。このころからアンケート出して!!のあおりが激化する。

2月8日 小野さんから作曲終了の打診ありタイトルは「憧れの山の空の下に」

2月9日 この日の時点でアンケート回収は21通、あと73通は未回収

2月14日 取りあえずアンケートの締め切り。出していない人は、その場で趙さんに睨まれながら書いていた。

2月15日 この日の時点で51通集まっている。

2月18日 56通集まる。集計結果にうんちくを言いながら、飲み会を開く。(白井、趙、舟山、倉田)

2月22日 結局この日までに61通集まり、集計結果の分析を進める。

2月28日 第2回歌集編集委員会が開かれる。アンケートの結果から、載せる曲目(100+1曲)を決定した。(白井、趙、北爪)

ちば山3月号にて、、「うたごえ2001」ただいま準備中、、、を寄稿

3月25日 ちば山総会にて、特選版歌集(6曲入り)を配布して、歌集の大きさ、文字の大きさなどを検討する(そして歌う)。結局、サイズはA6に決定する。歌詞の打ち込みがそろそろスタートする(全部、趙さん)。

4月12日 例会にてイラストを書いていただける人を募集!!

5月9日 挿し絵締め切り(間に合わない人も勿論いる)

5月18日 表紙、裏表紙を含めて、原稿はほぼ完成した。

5月19日 「ちば山ソングブック完成記念の夕べ」と言うことで、石原邸にて、(最終)拡大歌集編集委員会&打ち上げ が開かれる。飲みまくりの歌いまくりだった。(石原、東郷、柴田、趙、今西、富田、倉田、白井)

5月26〜27日 ボリビアに行ってしまう倉田君の送別会山行(谷川岳)用にしおり兼歌集を作る。本当の歌集からは漏れてしまった「青年は荒野をめざす」が表紙の曲だった。夜の宴会は、倉田くんのギターで歌いまくった。掲載曲は「青年は荒野をめざす」「岳人の歌」「コンドルは飛んでいく」「むかしむかし」「谷川小唄」「いい日旅立ち」「惜別の歌」「遙かな友に」「わすれな草をあなたに」「今日の日はさようなら(倉田バージョン)」

5月31日 原稿の締切はとっくに過ぎていて、打ち上げも終わっているのに、やっと最後の原稿(挿し絵)が「I」さんより届いた。

6月11日 製作部数や、表紙の色を印刷屋に打診しはじめると、ホントにできるんだなって気がしてくる。

6月15日 印刷完了の連絡が入る。

6月22日 できあがった歌集を見る。相談した結果、新人歓迎会の時に配ることにした。それまでは封印!!

8月25日 新人歓迎会にてみんなに配布。

10月13、14日 35周年記念山行にて、OBの方にも配布。

12月末 配布が済んでいない方に郵送。