第十段
(人事を知るほどに〜おわり)

豊太郎の帰国



教材観

 豊太郎が倒れている数週間の間に、相沢がエリスに真実を伝え、エリスが発狂する。見舞いに来た相沢も豊太郎がエリスと別れていないことを知って驚いただろう。もしこの事実が大臣の耳にはいれば豊太郎の帰国がなくなるだけでなく自分の信用にも傷がつく。何とかしなければならないと思ってエリスに真実を伝えたのであろう。説得をして別れさせようとしたのであろう。しかし、相沢の判断は甘かった。この男は男女の愛については豊太郎同様に無知であったのだ。エリスは発狂してしまう。意識が戻った豊太郎は発狂したエリスを見て事情を聞く。豊太郎はエリスを抱きしめて涙を流す。そして、エリスと子どものことをエリスの母親に頼んで帰国する。発狂したエリスは捨てやすかった。もし正気ならエリスは泣きわめき、豊太郎の決断はまた大きく揺れたであろう。その意味でも豊太郎は相沢に感謝こそすれ恨みなど持てないはずである。すべては、豊太郎の優柔不断さから生じたものであり、相沢は勿論、立身出世を至上主義とする社会体制を責めることは出来ないはずである。



指導のポイント

 豊太郎とエリスの関係を知った相沢の行動の理由、エリス発狂の意味、相沢を憎む豊太郎の身勝手な心理について考える。もし、豊太郎とエリスと相沢が同じ場に居合わせたら……「舞姫」ロールプレイもする。



展開(板書は緑色)(質問は赤色)

1.「学習プリント第十段」を配布する。

2.「人事を知るほどに〜おわり」を口語訳し、舞姫チェックをさせる。

3.「25.相沢が来る
  ・見舞いではなく、ホテルに来ないので様子を見に来ると、豊太郎が病気であることがわかった。
 (1)豊太郎がエリスと別れていないことを知る。
  ・相沢は非常に驚いたと同時に、慌てたであろう。
  ・しかし考えれば、相沢はどのようにして豊太郎の家を知ったのか。エリスの家に同居しているのだから、豊太郎の居場所を知った段階で別れていないことはわかる。
 (2)エリスに真実を伝える。
  1)豊太郎が相沢に与えた約束。
   ・エリスと別れるという約束
  2)あの夕方大臣に申し上げた承諾
   ・大臣と一緒に帰国すること。
 (3)大臣へ病気のことだけを報告する。
 大問12 相沢がエリスに真実を話した理由は?
   ・豊太郎が意識を回復して、自分で話すのを待ってもよかったのではないか。
   ・豊太郎は運良く自分で説明する責任を免れる。
  ・エリスが豊太郎を諦め、豊太郎が帰国する方がよいと判断した。
   ・豊太郎の弱い性格から、エリスには話せないと思い、憎まれ役を買って出た。
  ・豊太郎がエリスを諦めなければ、大臣の自分への信用が落ちる。
  ・豊太郎への友情と保身。
   ・ここから先は、相沢と豊太郎は二人三脚である。
  ・恋愛を出世より軽く見ていた。
   ・エリスに真実を伝えれば、エリスは身を引くと思っていた。

4.「26.エリスが発狂する
 ・過激な心労(=豊太郎の裏切り)が原因。
 ・治癒の見込みなし。
   ↓
 ・豊太郎はエリスを抱いて涙を流す。
 大問13 豊太郎にとっての意味は?
  ・生ける屍となったエリスだからこそ、安心して抱ける。
   ・豊太郎はエリスに謝罪する責任を回避できた。
  ・最後までエリスを愛していたという思い出を残せる。
 大問14 エリスにとっての意味は?
  ・エリスの愛が立身出世に敗れた。
  ・豊太郎との愛の思い出の中に生きることができる。
   ・これは豊太郎中心の、男性中心の論理であり、女生徒からの反論を聞く。

5.「27.エリスを残して帰国する
 ・相沢を憎む心が今日まで残っている。=人知らぬ恨み
 大問15 豊太郎が相沢を憎んでいる理由は?
   ・教師の方から、いくつかの可能性を指摘する。
  ・エリスを発狂させたから。
   ・しかし、相沢が言わなければ、いずれ豊太郎が言わなければならなかった。相沢に自分の責任を転嫁していることになる。
  ・エリスと別れる約束をさせたから。
   ・しかし、どんな理由があろうと、約束したのは豊太郎自身である。
  ・再び出世の道を開いたから。
   ・しかし、エリスが妊娠した時に将来に不安を覚えたことから考えると、エリスとの破局はいずれやって来たはずである。
  ・(生徒からの意見)相沢が豊太郎を利用して出世しようとしていたことに気づいたから
 大問16 再び、第五段の「悪因」とは何か。?
  ・免官になったことだけでなく、
  ・自分と交際したばかりにエリスが発狂したこと。

6.まんが「舞姫」とハーレクインロマンス風「舞姫」を配布する。

.あらすじを60字以内でまとめる。
・1)相沢がエリスに真実を伝え、2)エリスが発狂する。3)豊太郎はエリスを残して帰国するが、4)相沢を憎む心が今日までも残っている。(57字)


8.「舞姫」ロールプレイをする。

 (1)場面設定
  ・相沢が来て戸を開けた時に、ちょうど豊太郎が目を覚ましたら、エリスと3人の間でどんなことが起こるか。その後の展開を考える。
  ・相沢には、エリスと別れていないという嘘をついていたことがばれる。
  ・エリスには、別れる約束や帰国の承諾など、隠していたことを話さなければならない。
  ・豊太郎が帰国を断念すれば、相沢の身分にも大きく影響する。
  ・豊太郎は、相沢の前では出世に、エリスの前では愛に傾く。両者が揃えばどうなる  か。
  ・それぞれ立場を考えてシナリオを作る。
 (2)進め方
  ・クラスの状況によって進め方を変えるを。
  a)各自が一人で書き込んでいく。
  b)3人組を作り、豊太郎とエリスと相沢の役を決め、順番に書き込んでいく。
  c)クラス全体で順番にセリフ(や仕種)を発言させて書き込んでいく。
  ・3つの方法を試してみたが、bは勿論、cも非常に盛り上がった。
 (3)すぐれた作品をプリントにして配布する。
  ・帰国を諦めてエリスと暮らす展開が多かった。
  ・エリスが豊太郎を殺してしまう暴力的な展開も多かった。




生徒の感想

▼豊太郎は臆病だとかいうけれど、自分を守ることだけはきっちりできるかも。▼相沢は自分の信用を守れたわけだからなんとも思っていないかもしれないが、エリスは最初から最後までかわいそうな役でした。豊太郎に振り回されっぱなしの生活だったと思います。一番最悪なのは豊太郎です。エリスとの愛を美しいまま残せて帰国もできるなんて豊にとってはいいかもしれないが、今の自分の性格だったら結果がどうなるのかということを身をもって感じてほしかった。
▼「人知らぬ恨み」を私が勝手に変えるなら「人になすりつけられない恨み」で、豊太郎自身自分が一番悪いことをわかっているんじゃないかと思います。でも、自分が悪いと思いたくなくって、「相沢が憎い」と書いてしまったんだと思います。
▼ビデオで見た流産よりも発狂して一生を終える方が悲しい結末だと思う。これもみんな豊太郎の優柔不断さが導いた結果だと思う。エリスもトヨからでなく、他人から真実を聞かされたことが発狂の原因の一つかもしれない。発狂した方が却って美しい思い出出終わるとは思わない。一人の女性を治癒の見込みのない病気に追い込んでおいて自分は帰国するなんて信じられない。トヨと相沢を恨むというよりこうした自分を憎んでいるものかもしれないと思った。
▼発狂して美しい思い出の中で生きられるかもしれないけど、やっぱりそれは本当のエリスではなくて病気になってしまった姿なんだし、そんなエリスを残して帰国するよりもどうせ帰るのだったら大喧嘩でもしたほうがお互いすっきりしていいのになと思った。
▼それにしても若い。エリスは若すぎる。「愛」というものを信じすぎ。結局愛なんてのは人の心。そして心は変わるもの。それを不変のものと信じているなんて、まったくもって若い。ところで、もともと豊太郎が自我に目覚めしなかったら彼は大した波風も立てずに出世できただろうし、その自我というのも結局大臣の手の中に入ってしまったし。その代償は一人の女を狂わせたことと、不幸な子どもの誕生、さらにエリスの母の受難。ただ一人、相沢だけが(大臣もか)「漁夫の利」的に得をした。
▼相沢も豊太郎を帰国させたいあまりエリスに露骨に真実を告げてしまったのだろうし、エリスも豊太郎を愛するあまり真実を知って発狂せずにはいられなかったのだと思う。二人とも豊太郎を思う気持ちは同じだろう。相沢が自分の立場を守るために無理矢理帰国させたとしても、初めに手を貸した時は純粋に豊太郎を助けたいと思っていたと思う。
▼相沢が自分のクビをかけてまで豊太郎を出世させようとしているが、結局自分の出世のためである。豊太郎の優柔不断な性格を知っているからこそ、その性格を利用しているように思われる。豊太郎は、相沢が本当に自分の出世のことを考えているのか、保身だけを考えているのかわからなくなって、なんとも憎む気持を持ち続けているのではないだろうか。それにしても、エリスは不幸である。豊太郎が教会で声さえかけなければ、これから長い人生楽しいこともたくさんあっただろうし、好きな人もできたに違いない。
▼豊太郎が相沢に対して恨む心が残ったのは、出世のためにいろいろしてくれた相沢に裏切られたこともあると思います。でも、それは豊太郎がエリスにしたことでもあるので皮肉だと思いました。この作品のテーマは裏切りのような気がします。
▼自分は最初エリスへの愛情の方が強く出世心はなかったのに、相沢に嫌と言えないように仕向けられて最後に出世を選んでしまった。そうなってしまったことで相沢を憎んだんだと思います。愛情といえばすごい美しいものだが、出世といえば悪いとは思わないが、人間の汚い部分のような気がするからです。
▼恋愛は人を幸せにするか不幸にするかは哲学者に任せておけばいい話で、この物語を読んで十代のうちに子供を作るのはあんまりよくないってことだけはわかった気がする。
▼きっと普通の小説なら必ず主人公はハッピーエンドになっていたんだと思う。そういう所でこの小説はとても現実的でいかにも実話のようだと思った。この本を読んでそういったことで理想と現実は違うなと思った。
▼なぜか『変身』を思い出した。ストーリーは全然違うが変わり果てた主人公が家族に見捨てられる姿が強く印象に残った。相沢は豊太郎のためを思って忠告してやったのに、自分に内緒でエリスと別れていないという事実を知ったときどう思っただろう。結局みんな他人のことを思って騙しあい傷つけ合うのだ。私が豊太郎なら、エリスが発狂してしまったことは辛いけど、逆に自分の愛する女性が幻想とはいえ豊太郎だけの世界に引きこもってしまったらいとおしくて、一生手放したくなくなるかもしれない。

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