「蜘蛛の巣館探訪・後編」  




■ 勝 浦

勝浦は賑やかな漁港の街です。戦国の世の終りとともに、時の領主植村泰忠は、要塞であった勝浦城を廃城とし、穏やかな湾内に居城を移し、領民に市を開かせました。
今も受け継がれる「勝浦の朝市」の始まりです。
勝浦城跡、八幡岬までは徒歩で約30分、バスはありませんが、お天気が良ければ断崖続きの燈台へ向かう道の眺望が素晴らしいので、時間があれば足をのばしてみて下さい。
大きな魚市場の横を通り、トンネルをくぐって…、少し解り難い道ですが、坂道を登ってゆくと…鬱蒼とした緑の中に駐車場があります。その奥に何もない平らな広場。勝浦城跡です。どうでしょう、樹々に囲まれて静かですが、ここは三方海に囲まれた「まるで侵入を拒むが如き立地」、この広場いっぱいに建物を建てれば、それは立派な館が出来ます。
ここに戦国の城−そうですね、例えば、真黒く塗られ、攻撃のための銃眼が外に向かって開いている堅固な松本城−のような館を、建てるのです。
傍らの崖上の神社にお参りして歴代のお殿様のお許しを得て、周囲の常緑樹を全て切り払い、桜の樹を植えましょう。
岬の先端は整備されたばかりの芝生広場になっていて、お万の方様の立像が、水平線から昇る朝日を望んでいます。
ここは何一つ視界を遮る物がありません。ごらんのように、東・南・西、全て見えるものは空と海…え、何ですか、私の手?ああ、きっとこの指輪に光が反射したのですね。
雲間からきれぎれに薄日が落ちて来ています。
いい色でしょう?私の誕生石です。祖母から譲られたものですが、このレトロなデザインが気に入っているんですよ。

ここに…本館から廊下で継いで、書斎を造りましょう。墓所はこの綺麗な像の所に。
一面に桜を、植えましょう。
桜…、おかしいとは思いませんか、こんな所に桜を植えるなんて。
こんな、容赦のない海風が断崖を吹き上げ吹き戻す過酷な地に。潮にその枝は傷められ、風にその芽をもぎ取られ、花は…開かぬ前に散らされる、これではまるで此花(このはな)を…憎んでいる様ではありませんか。
いいえ、それとも、愛して止まなかったのでしょう、常に身近に置いておきたかったのでしょう、けれどそんな主の専横に、花はどれほど耐え難い思いをしてきたことでしょう。
それでも城に桜は無くてはならぬ。いえ。城ではありませんでした、館です。

広場との高低差が気になりますか。土台を造れば良いのです。堅い岩盤の上に直には建物は載せられません、お城も高い塁を築きますでしょう。土を盛れば全体が嵩上げされて、海風から建物を守る岸壁は埋まってしまいますが、もともと蜘蛛の巣館には背景が無かったのです。

岬の突端の黒い館を目にし、「絵画のようだ」と表現したり、それまで細やかな観察を怠り無かった伊佐間君は、ふいに立体的な描写を放棄してしまいます。二次元の「絵の表面に止まった蝿」のように、彼はその中へは入って行けなくなったのです。
そこで「城」という言葉が、おそらく鍵が、傍らの今川君によって発せられ、−明神岬の険しい岩の嶺に立つ館の影は“扉”となり、するり、と奥へ二人を招き入れます。
この八幡岬の先に建つ、三次元の奥行きを持つ蜘蛛の巣館へと。


狐に摘(つま)まれた様な顔をなさっていますね。もう暫く、お附き合い下さい。


ところで、「立体視」はお得意ですか?
一頃ブームになった「3Dアート」、あの一見無意味なパターンや、同一モチーフの繰り返しを焦点をずらして見詰めると、中空にそれまで見ていた物とは全く異なった形が浮き上がって来る、あるいは昔ながらの「立体写真」、二枚の微妙に視点の異なった写真から、被写体がふいにこちらに立ち上がって来る、あれ。
勝浦周辺は、厳しく入り組んだリアス式海岸です。
地図の上から、あるいは天空の高みから、この典型的フラクタル図形の続く海岸線を見詰めていると、二つの岬に挟まれた勝浦湾のただ中に、これまで見えなかった異様な館が、突然ふっと立ち上がって見えるのではないでしょうか。


そんな事あるはずがない、とおっしゃるのですか。
その通りです。そんな事、あるはずがないのです。
日本全国津々浦々、“岩が動く”あるいは“泣く”説話・伝説は数多くありますが、毎日何千の人々が見て暮らしているあの大きな岬が、広い勝浦湾の両脇から寄って来て重なるようなスペクタクルが起こったら、“諏訪の御神渡”や“富山の蜃気楼”など足元にも及ばない観光の目玉になりますよ。そんな凄いアトラクションは、残念ながら無いのです。
「次元トンネル」もありません。時々、都会からの観光客が消えてしまう事はありますが。

では、どうして館の位置に“ねじれ”が起きたのでしょう。
事件を記した「本」の記述が、事実と異なっているのでしょうか。


そうですね、たとえば…証言された方の記憶違いがあったとか。
なにせ45年も前の話です。館は、本当は、山間の旅館のように斜面に沿って細長く、岬の凹凸に合わせて高く近く連なっていたのかもしれません。でもこれですと「蜘蛛足館」、ですよね。

それとも、全ては作家の方の創作であったのかもしれません。


織作家に纏わる凄惨な事件、そんなものはまったくのつくりごとなのでしょう。
蜘蛛の巣館など、存在しないのです。明神岬など、ないのです。勝浦など、架空の土地に過ぎません。房総など、どこにあるというのです。そんな所に住んでいる私など、存在しないに決まっています。
その私と会っているあなたなんて、居るはずがないのです。
みんな、とある誰かの脳の中で、生み出された一瞬の幻影(イリュージョン)に過ぎないのです。

「君を取り囲む凡ての世界が幽霊のようにまやかしである可能性はそうでない可能性と全く同じにあるんだ。」

…というのは冗談で、いえ冗談事ではないのかもしれませんが、これでは哲学の分野かアンチ・ミステリの一部になってしまうので、自分では検証仕様がないですよね、他の場合を考えましょう。

では、作家の方が、意図的に事実を変更して記した、というのはどうでしょう。

たとえば、効果的なイメージを表現するための文学的手法として。
あるいは、事実そのままだと何か“差し障り”がある。
観光地ですしね、地元の方々に配慮したのかもしれません。
前述の「八つ墓村」は実際の事件を作中に取り入れていますが、さすがに地名・人名は架空のものにしてあります。

それとも。織作家の遺族に遠慮した、とか。

織作家は絶えた、とおっしゃるのですか。
確かに、神代以来の織作の血は伊兵衛氏によって絶たれ、織作家の呪いは京極堂によって解かれました。しかし、例えば生前の紫さんについては詳しい事は何も知られていませんし、東京に居た間の茜さんの生活も、正確には誰も知り得ませんでしょう。葵さんの告白すら、真実かどうかは誰にも知らされてはいないのです。


…あの。私の顔に何かついていますか。急にどうなさったのです。
え、私の祖母、ですか?はあ、ええ、お蔭様で元気にしておりますが。

今度は何お笑いになってるんです。はい?ええ、祖母は優しい人ですよ、とても。
なにせ、戦後すぐの焼け跡の東京で、行き暮れていた若い女性から、生れたばかりの赤ちゃんを預かって、ずっと育てて来たくらいです。

…本当に気分がお悪そう。
え、さっきのお弁当のせいですか?唐揚げが悪かった?まさか、それは、ご心配なく。
だって。だからこそ、鳶に毒味をさせたのですもの。

ああ、お気をつけて。そんなに後ずさると、崖から落ちてしまいます。


「私は思わず目を下へやった。すると体全体がぐらぐらし、足がとめどもなく慄えた。 その深淵へその奈落の美しい海へ、いきなり磁力に似た力が私を引き寄せるようであった。」 (三島由起夫「岬にての物語」より)

聞いていただけますか



1998年08月



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