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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 141
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■■
■■ 今回は「井伊直弼」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。井伊直弼って小さいころどんな子だったのかな?
佳代:そうねぇ〜。あまり聞いたことがないわ。
三重:番長風かな?
佳代:う〜ん、確かに恐いってイメージはあるよね。
藤原:そんなに恐いかい(笑)
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:安政の大獄のイメージがあるからかな?
三重:ハイ、ちょっと恐い感じがします。そして、それで殺されたような
   気が・・・。
藤原:そうだね。前に、桜田門外の変を勉強したときも言ったけど、安政
   の大獄といわれる、強引な弾圧を行った。
三重:弾圧ですか?
藤原:まあね、今で言うと、抵抗勢力に屈しなかったということだ。
佳代:殺されるほど強行だったということですね。
藤原:そういうこと。その辺は、前も勉強しているから、今日は、直弼自
   身について考えてみよう。
三重:ハイ、まず、名前が難しいです。何ですか、弓、百、弓って。
藤原:う〜ん、確かに。なおすけって読むのは難しいよね。
三重:ホント、迷惑です。もっと易しい漢字を使ってほしいです(笑)
藤原:それは、ともかくとして、彼は、彦根藩主の子として生まれた。
佳代:御曹司ですね。
藤原:いや、とんでもない。彼は、14男として生まれたんだ。
三重:えー、14男!それじゃあ、藩主の子といっても、どうにもならない
   じゃないですか!
藤原:そうなんだ。歴史上では、絶望的なところから、運良く世に出た人
   が何人かいるけど、直弼も、その部類に入るだろう。
佳代:ああ、徳川吉宗とか毛利元就とか。
藤原:うん、これも、前に勉強したから、その辺を参考にしてほしいんだ
   けど、直弼は、本来ならば出世は絶望的な14男に生まれた。しかし、
   彦根藩を継いだ兄に子供がいなかった。
佳代:すると、兄の養子になったのですか?
藤原:そのとおり。14男というのが幸いしたのだろうね。親子ほど歳も離
   れているし。
三重:それは、ラッキーですね。
藤原:そうだね。他の兄たちは、他の大名などの養子になっていたし。人
   間、何が幸いするかわからない。
佳代:そして、大老になります。
藤原:うん、大老は、常に置かれるわけではない。普段は、老中が政治を
   執るのだけど、臨時に置かれる最高職。これも、彦根という譜代の
   大藩だからなれたということだ。
三重:運のいい人なのですね。
藤原:でも、大老になった後は、大変だったね。日米修好通商条約を結び、
   反対派を弾圧し、非難を浴びながらも、強い意志で臨んだ。
佳代:殺されてしまいましたが、本格的な開国に踏み切った決断は、結果
   的に良かったと思います。
藤原:そうだね。その功績は大きいと思うよ。もし、あそこでもたもたし
   ていたら、今の日本があるかどうかわからない。話し合いを重視す
   る日本的な手法から離れて、毅然として臨んだ態度は評価できるよ
   ね。
佳代:そうですね。やるときはやらなければ。
藤原:うん、そういう意味でも、井伊直弼の歴史的意義は大きい。そして、
   桜田門外の変を経て、一気に革命というべき明治維新へ突っ走るこ
   とになる。
佳代:天皇の勅許を得なかったり、いろいろありますから、評判はいまい
   ちですが、歴史的には大きな役割を果たした人物といえるのですね。
藤原:そのとおり。日本史上でも、有数の重要人物といえるね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:井伊直弼(いいなおすけ)
・時 代:江戸時代(1815〜1860年)
・性 別:男
・地 位:大老
・業 績:日米修好通商条約の締結
・その他:反対派の弾圧(安政の大獄)

参考 開国  http://www.pat.hi-ho.ne.jp/hirosilk/o6.htm#29
   桜田門外の変  http://www.pat.hi-ho.ne.jp/hirosilk/o81.htm#84


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 142
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■■
■■ 今回は「坂本龍馬」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。日本で一番最初に新婚旅行したのは、坂本龍馬だったよ
   ね。
佳代:そうよ。
三重:相手は、確か、お龍さんだったよね。
藤原:おう、よく覚えていたね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:確か、四択クイズでやったんだよね。
三重:そうです。龍馬にお龍さんですから印象に残っていたんです。
藤原:うん、確かにね。
佳代:それに、龍馬は、織田信長と並び、日本史史上の人気ランキングでト
   ップを争っています。
藤原:そのとおり。織田信長も人気があるけど、維新では、断然龍馬だね。
佳代:そう思います。
三重:ところで、龍馬のどこがすごいのですか?
藤原:まずは、生いたちからやろう。彼は、土佐藩の身分の低い武士の家に
   生まれた。
佳代:確か、郷士でしたね。
藤原:おう、よく知っているね。
三重:ゴウシ?何、それ?
藤原:うん、ちょっと難しいけど、これは、関ケ原までさかのぼらなければ
   ならない。
三重:関ケ原ですか?関ケ原って、あの家康と三成の戦いのことですか?
藤原:そう。
三重:それと龍馬がどう関係するのですか?
藤原:うん、戦国時代の土佐は、長曾我部氏の領地だったけど、関ケ原の戦
   いで、山内家がやってきた。
三重:ハイ。
藤原:そして、長曾我部の旧臣たちは、郷士身分になった。
佳代:つまり、山内家に仕える侍は、給料がもらえる正式の武士だけど、郷
   士は、侍だけど、自分で働いて食っていかなければならなかったので
   すね。
藤原:そういうこと。龍馬は、その郷士だったというわけだ。
三重:やですね。そういうのって。
藤原:仕方がないよ。その辺はね。だから、郷士は、農作業にも従事した。
   食い扶持は自分で稼がなければならなかったからね。
三重:そんな身分の低い田舎の武士が何故、そんな大ヒーローになれたので
   すか?
藤原:まず、彼は、江戸で剣術の修行に励んだ時期があった。有名な千葉道
   場だ。そのとき、ペリーがやってきたんだ。
三重:ペリーがですか。すると、その影響で開国を考えるようになったので
   すね?
藤原:いや、そのときは、龍馬も、まだ、外国船を打ち払えという考えをも
   っていた。そして、土佐藩を脱藩し、再び江戸に出たとき、運命的な
   出会いがあったんだ。
三重:そ、それは、いったい誰ですか?
藤原:勝海舟だ。
三重:あっ、名前だけは、聞いたことあります。まったく知らない人ですが。
藤原:龍馬は、勝海舟を殺そうと考えていたんだ。
三重:えっ、どうしてですか?
藤原:海舟は、幕府の海軍奉行でありながら開国を唱えていたからだ。
佳代:そこまでは、まだ、開国反対派だったんですね。
藤原:そう。でも、逆に海舟に説得されて、弟子になる。
三重:う〜ん、180度転換ですね。
藤原:そうだね。そこで、航海術を学ぶ。そして、貿易をはじめるようにな
   るんだ。
佳代:それが、有名な海援隊ですね。
藤原:いや、最初は、亀山社中と言った。のちに海援隊になる。そして、武
   器や艦船などを輸入して、薩摩や長州に売る仕事をしていたんだ。
三重:なるほど、その辺に、接点があったんですね。
藤原:そして、絶対に不可能といわれた薩摩と長州の同盟に尽力することに
   なる。
三重:その話は、どこかでしたような気がしますね。
藤原:そうだったかな?どちらにしても、幕末のさまざまないきさつから、
   薩摩と長州は仲が悪かった。だから、手を結ぶのが難しいと思われて
   いたわけだ。
佳代:それを結びつけたのが龍馬なのですね。
藤原:まあね。もちろん、本当に結びつけたのは、時代の流れだと思うけど、
   龍馬の果たした役割は大きいと考えていいだろう。
佳代:そして、有名な船中八策を考えます。
三重:せんちゅうはっさく・・・???
藤原:龍馬が、長崎から大坂に向かう船の中で考えた策だ。
三重:ああ、つまり、策を8つ考えたから八策というのですね。
藤原:そういうこと。龍馬は、政権を朝廷に返すことや、議会を作るなど、
   進歩的なことを書き記した。
佳代:つまり、アメリカやヨーロッパのような近代化を模索したのですね。
藤原:うん。そして、同じ土佐藩の後藤象二郎に見せ、象二郎は、土佐藩の
   前藩主山内豊信に伝え、15代将軍徳川慶喜に大政奉還をすすめること
   になる。
三重:つまり、大政奉還って、龍馬の考えなのですね。
藤原:そう言ってもいいだろう。しかし、大政奉還が行われた後、彼は、暗
   殺される。
佳代:そうでしたね。盟友の中岡慎太郎とともに、暗殺されることになりま
   す。
藤原:うん、龍馬のことは、語ったら、語りきれないけど、とにかく、時代
   を駆け抜けた魅力ある人物だったことは間違いない。人気投票で、ト
   ップを争うのもわかるね。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:坂本竜馬(さかもとりょうま)
・時 代:江戸時代(1835〜1867年)
・性 別:男
・地 位:海援隊隊長
・業 績:薩長同盟を成立させる
・その他:「船中八策」を書く(新しい政治のあり方を示す)


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 143
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■■
■■ 今回は「徳川慶喜」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。前に、水戸家は、将軍になれないっていっていたよね。
佳代:そうよ。御三家でも、将軍になれるのは、尾張家と紀伊家だけ。
三重:それじゃあ、おかしいねぇ〜、15代将軍の徳川慶喜って、水戸家出身
   だって聞いたよ。
佳代:そうよ。
三重:それじゃあ、何故・・・?
藤原:おう、三重ちゃんにしては、高度な話をしているねぇ。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:徳川慶喜の話だね。
三重:ハイ。どうして、慶喜は、水戸家出身なのに将軍になれたのですか?
藤原:それはね、佳代ちゃん、説明できるかな?
佳代:ハイ、たぶんですが、慶喜は、一橋家に養子に行ったからだと思いま
   す。
藤原:そのとおり。
三重:何、その一橋家って?
藤原:うん、これは、8代将軍吉宗が、御三家にならって、御三卿というの
   を設けていたんだ。
三重:ゴサンキョウ・・・ですか?
藤原:そう。吉宗の次男の田安家、三男の一橋家、後に、9代将軍、家重が
   立てた清水家の三家を言う。この時代は、御三家よりも、御三卿の方
   が将軍に近かったということだ。
三重:すると、慶喜は、水戸家うんぬんじゃなくて、御三卿の一橋家だった
   から将軍になれたということですね。
藤原:そういうこと。前置きが長くなったけど、今日は、徳川慶喜を勉強し
   よう。
三重:お願いします。
藤原:まずは、話題にも上がっていたように、慶喜は、水戸家に生まれた。
   小さいころから優秀な人物だったらしい。
佳代:父は、水戸斉昭でしたね。
藤原:そう。父は、慶喜に随分期待していたみたいだね。そして、11歳のと
   きに一橋家に養子に行くことになる。
三重:ここから、将軍への道を歩いていくわけですね。
藤原:そうだね。そして、13代将軍家定の後継ぎ候補になるわけだ。
三重:13代将軍?慶喜は、15代将軍ですよ。14代じゃないのですか?
藤原:結果的には、15代将軍になるわけだけど、最初は、13代将軍の後継ぎ
   候補だったんだ。
三重:すると、そのときはダメだったということですか?
藤原:そういうこと。
佳代:井伊直弼がからんでくるわけですよね。
藤原:そうなんだ。アメリカと条約を結んだ井伊直弼は、将軍の後継ぎも、
   慶喜ではなく、紀伊から慶福(よしとみ)、つまり、後の14代将軍家茂
   (いえもち)に決めた。そのとき、慶喜は、父とともに幕府から退けら
   れることになったんだ。
三重:そういえば、桜田門外の変では、水戸藩士が主力でしたね。
藤原:水戸家は、井伊直弼をかたきのように思っていたからね。
佳代:そして、桜田門外の変で直弼が死に、また、慶喜も復活することにな
   ります。
藤原:今度は、14代将軍の後見人として活躍する。そして、家茂が死ぬと、
   いよいよ将軍職を継ぐことになる。
佳代:しかし、いばらの道でした。
藤原:そうだね。幕府が倒れるかどうかという時期の将軍だから、非常に厳
   しい状況だった。でも、慶喜は、立て直しに努力した。
佳代:確か、フランス語もしゃべったのでしたね。
藤原:うん。彼は、フランス公使のロッシュの意見をよく聞いていた。慶喜
   って人は、写真をやったり、かなり先進的なところがあったみたいだ。
佳代:そうですね。生肉を食べ、外国語を話し、かなり先進的でした。
藤原:しかし、薩摩や長州の倒幕計画が進む中、彼は、大きな決断をすると
   きがやってくる。
三重:あっ、それならわかります。大政奉還ですね。
藤原:そのとおり。坂本龍馬のところでもやったように、政権を朝廷に返し
   てしまうという大政奉還を実行する。
三重:幕府を倒そうとするなら、幕府をなくしてしまえってことですね。
藤原:そうだね。そうすれば、倒幕はできない。そして、慶喜は、朝廷を中
   心としながらも、主導権を握って政治をしようと考えていたわけだ。
佳代:それを破ったのが、王政復古の大号令です。
藤原:うん。薩摩の陰謀だね。そして、慶喜は、排除されることになる。
三重:そこで、戊辰戦争が起こったわけですね。
藤原:そう。慶喜自身は、望んでいなかったようだけど、もう勢いだよね。
佳代:そして、戊辰戦争でも敗れ、慶喜は、江戸を去ります。
藤原:しかし、彼は、何と、大正時代まで生きたのだ。
三重:えっ!大正時代まで!
藤原:彼は、退屈を知らぬ男と言われた。絵を描いたり、写真をとったり、
   やりたいことがたくさんあったんだろうね。政治家としての命は短か
   ったけど、個人的な人生は、かなり満喫したんじゃないかな。
佳代:それは意外でした。
藤原:正に、激動の時代を生き抜き、その後の人生も生き抜いた、何とも表
   現のしようのない人物だね。
佳代:そうですね。先生、今日はありがとうございました。

□□
□□ 人物データファイル
□□

・人物名:徳川慶喜(とくがわよしのぶ)
・時 代:江戸〜大正時代(1837〜1913年)
・性 別:男
・地 位:征夷大将軍(江戸幕府15代将軍)
・業 績:大政奉還を行う


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■  ■ 大場佳代の            
□■■□                  
■  ■     楽しくヒストリー 144
■  ◆=================

■■
■■ 今回は「西郷隆盛」を勉強します!
■■

三重:ねぇ〜、佳代、佳代。
佳代:な〜に、そんなに慌てて。
三重:あのね、西郷隆盛って、教科書に出ている顔と違うんだって。
佳代:えー、何それ?
三重:何でも、隆盛って人は、写真を嫌い、いっさい撮らせなかったそうよ。
藤原:おお、誰に聞いたの?
三重:あっ、先生、こんばんは。友達に聞いたのです。
藤原:確かに、隆盛の銅像ができたとき、隆盛の妻が似ていないと言ったと
   いう話が伝わっている。また、天皇と一緒に写真を撮るのも遠慮した
   という話もある。
佳代:どうしてですか?
藤原:よくわからないけど、ときどきいるだろ、写真嫌いって人は。
三重:そう言えば、魂を取られるからヤダって言っている人がいました。
藤原:真意はわからないけど、肖像画が似ていないという話は、かなり信憑
   性があるようだね。
佳代:そうなんですか?それは、ともかく、今日は西郷隆盛をお願いします。
藤原:わかったよ。隆盛といえば、同じく明治維新に活躍した親友の大久保
   利通に比べて、ずっと人気があるね。
三重:そうですね。何か大人物という雰囲気があります。
藤原:うん、実際は、容量が測れないぐらいの大人物だったらしい。しかし、
   その人生は、波乱に富んだものだった。
佳代:確か、若いころは島流しにされたのですよね。
藤原:そう。彼は、貧しい下級武士の家に生まれたけど、進歩的藩主であっ
   た島津斉彬(なりあきら)に認められ、斉彬の側近として江戸で活躍し
   ていた。そこまではよかった。
佳代:しかし、斉彬が急死します。
藤原:うん、ここから、一気に歯車が狂うことになる。斉彬は、井伊直弼と
   対立していたから、鹿児島に戻った隆盛を奄美大島に流した。
佳代:ここでも、井伊大老がからんでくるのですね。
藤原:そう。薩摩藩としては、幕府の追及が恐かったんだろうね。しかし、
   3年後に許され、いったんは、鹿児島に戻るが、今度は、沖永良部島
   に流されることになる。
三重:またですか?
藤原:うん。今度は、薩摩藩の実権を握っていた斉彬の弟、島津久光を意見
   が合わず流されることになる。
佳代:あっ、何かで見たことがあります。隆盛が、久光を田舎者扱いしたの
   で、怒りをかって流されたという場面を。
藤原:そうだね。事実かどうかは別として、久光にとっては、隆盛を許せな
   い状態だったことは確かだ。
三重:これだけの人が、そんな人生を歩んでいるとは思いませんでした。
藤原:ホントだね。でも、時代が進み、隆盛の力が必要になって、許され、
   大久保利通とともに藩の実権を握るようになった。そして、仲の悪か
   った長州と連合を結ぶことによって幕府を倒す態勢を整えた。
三重:薩長連合ですね。坂本龍馬の仲裁で。
藤原:よく覚えていたね。
三重:まだやったばかりですから。
藤原:そして、大政奉還の後、新政府軍の司令官になった隆盛は、幕府側の
   勝海舟と会談し、江戸城の無血開城に成功する。
佳代:無血というのがすごいですね。
藤原:うん。世の中が、これだけ急展開しているときに、この決断は、評価
   できる。そして、隆盛は、いったん薩摩に帰るけど、また新政府の要
   請で上京し、陸軍大将になる。
三重:隆盛って、行ったり来たりが多いですね。
藤原:そうだね。その辺が、最終的に、西南戦争を起こす一因にもなる。
佳代:そう言えば、岩倉具視や大久保利通などが欧米から帰ってきたとき、
   征韓論で対立して、また鹿児島に戻っています。
藤原:うん、結局、彼が、不平士族の反乱の旗頭として担がれたのは、何度
   も鹿児島に戻っていたことも関係している。
三重:つまり、地元と密着していたということですか?
藤原:そんなところかな。そして、最後は、同志に命を預け、戦うことにな
   るわけだ。
三重:それは、前にもやりました。確か、最強の西郷軍に対して、明治政府
   は、火薬を撒き散らして、勝利したのですね。
藤原:そうだったね。国家予算に匹敵するぐらい金を使い、徴兵した農民で
   構成された素人軍団が、最強のプロ軍団を倒すことになる。武器の差
   が勝敗を決めたといっていいだろう。
佳代:そして、隆盛は、城山で自害しました。
藤原:うん、歴史上でも、これだけ波乱万丈の人生を送った人は少ないだろ
   う。新しい日本の成立過程で、最も重要な人物の一人だったと言える。
佳代:わかりました。先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
□□

・人物名:西郷隆盛(さいごうたかもり)
・時 代:江戸時代〜明治時代(1827〜1877年)
・性 別:男
・地 位:陸軍大将
・業 績:江戸城の無血開城に成功
・その他:西南戦争を起こす


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■  ■ 大場佳代の            
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■  ■     楽しくヒストリー 145
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■■
■■ 今回は「大久保利通」を勉強します!
■■

三重:ねぇ、佳代。大久保利通って、西郷隆盛の幼なじみだったのよね。
佳代:そうよ。隆盛の方が、3歳上。
三重:つまり、兄弟のようなものね。
佳代:そうね。そして、力を合わせて幕府を倒す原動力になったけど、最
   後は、戦うことになるわけ。
三重:う〜ん、悲しいねぇ。それは。
藤原:そうだね。
三重:あっ、先生、こんばんは。
藤原:前回は、西郷。今回は、大久保だね。
三重:ハイ。
藤原:それじゃあ、大久保利通について勉強するよ。
三重:お願いします。
藤原:今、話していたように、西郷隆盛と大久保利通は、同じ薩摩の下級
   武士の家に生まれた。そして、島津斉彬が藩主になると重く用いら
   れるようになった。
佳代:いわゆる盟友ってやつですね。
藤原:そうだね。そして、斉彬が死んだ後は、隆盛の方は、島流しにあっ
   たり、許されても、後に実権を握った島津久光に嫌われたりしたけ
   ど、利通は、久光にも重く用いられるようになった。
三重:う〜ん、その辺は複雑ですねぇ。
藤原:そうだね。とても、短くしゃべることはできないけど、そんな感じ
   だったと考えていい。そして、許された隆盛らとともに、長州と連
   合を組み幕府を倒すことになる。
佳代:そして、明治になり、それから一段と利通の活躍が目立つようにな
   るわけですね。
藤原:そういうこと。彼は、実質の宰相として活躍することになる。版籍
   奉還や廃藩置県などの初期の大改革には中心人物としてかかわって
   いる。
佳代:そう言えば、テレビで、島津久光が怒っているのを見たことがあり
   ます。
藤原:そうだね。自分の部下が、自分より上になってしまったわけだし、
   藩をなくすとは何事だ!ということで怒るのは無理もないね。
佳代:ハイ、確か、久光は、ヤケになって、一晩中、花火を打ち上げたと
   いうことです。
藤原:うん。そんな話が残っている。それから、利通は、岩倉具視らとと
   もに、欧米に視察に行っている。
三重:ああ、例の岩倉使節団ですね。
藤原:そう。そして、欧米を視察している間に留守を預かっていたのが隆
   盛だ。
佳代:この辺から、二人の間に亀裂が生じるというわけですね。
藤原:うん。不平士族の目を朝鮮開国に向かわせようとした隆盛に対し、
   国内の充実の必要性を学んだ利通との間に意見の相違が生まれる。
   そして、激しく対立し、最後は、利通の意見が通ることになる。
佳代:それで、隆盛は鹿児島に帰り、後に西南戦争を起こします。そして、
   大久保利通が、それを鎮圧するということですね。
藤原:そういうこと。幼友達で、ともに幕府を倒し、ともに新しい政府に
   参加してきた二人だけど、最後は、お互い代表者として戦わなけれ
   ばならなくなった。
三重:悲しいですねぇ。
藤原:そうだね。心の底では、両雄ともに悲しかったと思うけど、時代の
   流れに逆らうことはできなかったのだと思う。
佳代:それに、地租改正や、富岡製糸場の設立など、国内政治について独
   裁的な力を振るいました。
藤原:うん。西南戦争の前だけどね。そして、大久保は、国内が安定する
   までは独裁でいいと考えていたようだ。もちろん、人から憎まれる
   ことを覚悟でね。
佳代:そうですね。陸奥宗光が、自分を暗殺しようと計画しているのを知
   っているのにもかかわらず、能力があるので使ったという話も聞い
   たことがあります。
藤原:正に、このころの政治家は、暗殺覚悟でなければできなかった。そ
   れほど大改革には抵抗が大きいのだろう。
佳代:そうですね。そして、結果的には、紀尾井坂で、不平士族によって
   殺されることになります。西南戦争を鎮圧した翌年のことでした。
藤原:そうだね。この時代の中心人物は、暗殺された者が多い。坂本龍馬
   や大村益次郎、後に伊藤博文など、また、岩倉具視や板垣退助、大
   隈重信なども襲われている。本気で改革しようと思ったら、本当に
   命がけじゃないと無理のような気がするね。
佳代:そうですね。今の政治家も、そのぐらいの気迫でがんばってほしい
   と思います。
藤原:そのとおりだね。
佳代:先生、今日はありがとうございました。

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□□ 人物データファイル
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・人物名:大久保利通(おおくぼとしみち)
・時 代:江戸〜明治時代(1830〜1787年)
・性 別:男
・地 位:内務省長官(実質的な宰相)
・業 績:版籍奉還、廃藩置県、地租改正、殖産興業などの政策の中心人物


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