「で、言い訳しないの?」
リョーマと手塚はとりあえず、以前二人で入ったことのある小さな喫茶店に寒さをしのぎに入っていた。
大通りから少し入ったところにあるこの喫茶店は、手塚好みの落ち着いた雰囲気に加えてリョーマ好みのメニューが揃い、何よりも、いつ入っても人があまりいないことが「お気に入りの場所」の指定に繋がった。
40代くらいのマスターが一人カウンターの奥で新聞を読んでいたり本を読んでいたり、声をかけない限りこちらに干渉してくることはない。また、たまに現れる大学生くらいのアルバイトも愛想はいいが無駄なお喋りはしない。手塚にとっては、まさに理想的な喫茶店だった。
今日はいつにも増して人が少ない…と言うより、客は手塚とリョーマしかいなかった。
店内には、多分マスターの好みなのであろうジャズが小さく流れているが、あまり大きな声で話すと確実にカウンターにまで聞こえてしまうだろう。
手塚はチラッとカウンターの方を見やったが、マスターの姿が見えなかったので、溜息をひとつついてからリョーマを真っ直ぐに見た。
「もしかしてクソ親父が何かしなかった?」
「なぜわかる?」
驚いたように目を見開いた手塚を見て、リョーマは溜息を吐いた。
「やっぱりな………朝から姿が見えなかったから、何か嫌な予感がしたんだ…」
「いや、しかし、あの人の用事は大したことではなかったんだ」
「へ?」
今度はリョーマが目を見開いた。
「『あの人は』?……ってことは他にも誰か………まさか……」
「多分、今お前が頭に浮かべたヤツらだ」
「………なるほどね」
二人は同時に溜息をついた。
「しかもそいつらがさらに最強のダッグを組んできたぞ」
「『最凶』じゃないの?」
「……うまいことを言うようになったな」
「今日から13ですんで」
手塚がふっと笑った。
それだけでリョーマの鼓動が大きく鳴る。
「お前との待ち合わせの時間より早めに着くように家を出たんだ。そうしたら駅前でまず南次郎さんに会った」
「…待ち伏せしてたんだ、きっと…」
リョーマが苦々しく呟いた。
「『いいところに会った、バカ息子の誕生日プレゼントを選びたいから付き合え』と有無を言わさず駅ビルに連れ込まれた」
「クソ親父」
「まあ、多少の時間の余裕はあったからな…付き合うことにしたんだが…プレゼントを選ぶのは俺も苦手でな……」
リョーマがキョトンと手塚を見た。
「ホントにプレゼント選んだんスか?」
「買うところまでは見ていないが……たぶん」
「………ふーん」
そう返事しながら、リョーマは「あのクソ親父は絶対にプレゼントなんか買っていない」と確信していた。
「選びながらいろいろ聞かれたんじゃないっスか?」
「いや、そうでもないぞ。お前が好きそうなものは何だとか、お前に関することばかり話していた」
「………たとえば?」
「お前の好きそうな服とか、シルバーのアクセサリーとか、好きな食べ物や飲み物…スポーツグッズのブランドとか…」
「それを何で『親』が知らないんだ、とか思わなかった?」
「男親は何も知らないんだ、と言っていたぞ」
「ふーん」
リョーマはその時の南次郎の表情を思い浮かべた。きっと手塚に向ける顔は真面目に『親』の顔をしてみせて、後ろを向いて舌を出していたに違いない。
「で、それから?」
「ああ、だいたい決まったからと解放されて、待ち合わせに遅れそうなんで急ごうと思った矢先に…」
「不二先輩?」
「いや、大石に会った」
「大石先輩?」
意外な名前が出てきてリョーマは驚いた。
「大石が、彼の母親と買い物に来ていてな……つかまった」
プッと、リョーマが吹き出した。大石のことをそんな風に言う手塚を初めて見た気がした。
手塚は、何も知らない大石に対しては「越前と会うから」という理由は言えなかったのだろう。その時の、引きつりかけた手塚の表情がリョーマの脳裏に浮かぶ。
「大石の母親と俺の母は、結構仲が良くてよく電話をしているのだが…そのノリで高校のこととか、将来のこととかをいろいろ聞かれて参った」
「大石先輩のお母さんて、話好きなんスね」
笑いを堪えながらリョーマが言った。
「明るくていい人なんだがな……」
手塚が今日何度目かの溜息をつく。
「それで、その後は不二先輩に会った?」
「いや、駅で乾にあった」
「乾先輩???」
またしても意外な名前が出てきてリョーマは目を見開く。
「乾も待ち合わせをしていたらしいのだが、相手が現れないので電話をかけに行くから、代わりにここで待っていて欲しいと頼まれた」
「待ち合わせ?…もしかして……」
手塚がふっと微笑んだ。
「あいつらも、なんだかんだ言って二人でいることが多くなったようだ」
「ふーん」
リョーマも少し微笑んだ。
乾には『データを取るために』いろいろと恥ずかしい思いもさせられたが、どうにも憎めない乾と、不器用な優しさを持つあの先輩が幸せになってくれるのなら、それはそれで嬉しい気がする。
「似た者夫婦って感じっスね」
手塚が「そうだな」と言ってクスッと笑った。
「で、結局会えたんスか?その二人」
「たぶん…会えたんじゃないか?」
「ふーん」
ここまで来て、リョーマの頭の中にひとつの仮説が生まれつつあった。
(まさか、ね……)
いくら何でもそこまではしないだろうとその『仮説』を否定してみるが、手塚の話の続きを聞くまではまだ『その可能性』がある。
「桃先輩とかにも会ったりした?」
「いや、あいつとは直接は会っていない」
「直接は、って?」
「あいつの弟妹に会った」
「駅で迷っていたとか?」
「よくわかるな」
「…………」
リョーマはまた溜息をつく。やはりどうも話の具合が『アヤシイ』。
「待ち合わせているという場所に連れていってやってから、やっとホームに入れた」
「不二先輩は?」
手塚はチラッとリョーマを見ると、今までで一番大きな溜息をつきながら答えた。
「電車の中で会った」
リョーマは驚かなかった。「やっぱりね」と呟くと、手塚も「ああ」と頷いた。
「途中まではとりとめのない話をしていたんだ。だが、俺が降りる駅の間近になって不二がこう言ったんだ…」
『南次郎さんと大石と乾と、それから桃の兄弟にもあったでしょ?』
二人はしばらく無言になった。
「迂闊だった……その言葉に心を囚われているうちに、電車から降り損なった」
「…ここから次の駅までって、この路線の中で一番間隔が長いんスよね」
「乗ったのが準急で……この駅から先は駅を3つ飛ばすんだ。しかも降りた駅は準急しか止まらないから次の電車が来るまで12分待った」
「………お疲れサマっス。でも、あれ?不二先輩は?」
「ああ、まだ終わりじゃなかった」
忌々しそうに手塚が続ける。
「不二も『あ、降り損なっちゃった』と言うから、一緒に引き返してきたんだが…」
「ねえ、もしかして、こっちの階段上がった方が早いよ、とか言われて東口に行ったんじゃない?」
「………」
手塚は眉間にしわを寄せてリョーマを見つめてから、小さく頷いた。
「あーあ、東口って、逆方向に行くには近いんだよね……『全部謀られた』って感じ?」
「すまなかった」
手塚はもう一度リョーマに頭を下げた。
引き返す電車の中で手塚が不二に問いただすと、不二はあっさり『犯行』を認めたという。
偶然駅ビルで会った大石に、『向こうに手塚がいたよ』と吹き込み、乾と待ち合わせていた海堂には『少し遅れた方が乾のデータを狂わせて面白いよ』と吹き込み、桃城とその弟妹とは、全部打ち合わせの上で手塚の足を止めたのだと。
「何でそんなことするんスか?あの人は……」
呆れてそう言うリョーマに、手塚は疲れたように言った。
「暇だったから、だそうだ」
「…………」
聞けば菊丸がどうしても家族との約束を外せなくて、夕方まで会えなくなってしまったのだそうだ。暇を持て余して駅ビルにいたところで、南次郎につかまっていた手塚を見つけ、今回の『犯行』を思いついたらしい。
「本当に『偶然』大石先輩とか海堂先輩とか、桃先輩に会ったのかな……」
リョーマがずっと考えていた『仮説』を手塚にほのめかすと手塚の顔がひきつった。
「まさか」
「……そこまではない、よね?」
「…………」
「…………」
「もう忘れよう。せっかくお前との時間を過ごしているのに、これ以上不二に時間をとられてたまるか」
リョーマはクスッと笑った。
「それもそっスね」
「…左腕を出せ」
「え?こう?」
リョーマが差し出した左の手首に、手塚が手際よくブレスレットをつけた。
「誕生日おめでとう」
「あ………ありがと」
「ラッピングした箱で渡す方が良かったか?」
やわらかな瞳で手塚が問いかけると、リョーマは首を横に振った。
「こうしてアンタにつけて貰った方が嬉しい」
恥ずかしそうに微笑むリョーマを見て、手塚も更に優しく微笑んだ。
「オレさ、もう遅刻しないように気をつける」
「え?」
ターコイズの小さなチャームのついたシルバーのブレスレットを見つめながら、いきなりそう言いだしたリョーマを、手塚は訝しげに見つめた。
「待たされるのが嫌とかじゃないんだ。そうじゃなくて、アンタの気持ちが少し分かったから……今までゴメン」
手塚は少し目を見開くと、瞬きを二、三度してからふっと微笑んだ。
「それはいい心がけだ」
二人がクスクスと笑いあったところでマスターがこちらにゆっくりと歩いてきた。
「…ちょっと失礼、お二人さん。こちらの彼にささやかなプレゼント」
マスターが小さなケーキをテーブルに置いてくれた。ケーキには『HAPPY BIRTHDAY』と書かれている。
「クリスマス用のデコレーションで悪いね。でもちゃんとバースディケーキだからね」
ナイフとフォークを置きながら、マスターがリョーマに向かって小さくウインクした。
「ありがとうゴザイマス……何でオレの誕生日だってわかったんですか?」
マスターはニッコリと笑った。
「『今日から13』って言うところだけ聞こえちゃったから」
「あ」
リョーマが冗談めかして少し声高に言ったのでマスターにも聞こえてしまったのだろう。
「ありがとうゴザイマス」
「お心遣い、感謝します」
リョーマと手塚は心から礼を言った。
「うちの数少ない常連さんだからね。明日も良かったらおいで。今度はクリスマスケーキを出すよ」
そう言ってマスターはカウンターの方へ戻っていった。
思いがけないプレゼントを貰ってリョーマは嬉しそうに微笑んでいる。
そんなリョーマを見つめながら、手塚もやわらかく目を細めた。
リョーマは『HAPPY BIRTHDAY』と書かれているチョコレートのプレートを手に取るとパキッとふたつに割った。
そして半分を手塚に差し出した。
「アンタに幸せをあげるよ」
ふたつに割られたプレートの半分にはちょうど『HAPPY』の文字が書かれている。
「ありがとう。後でお前に幸せの味を分けてやる」
「…うん……楽しみにしてる」
リョーマが頬を染めながらクスッと笑う。
「雪……止みそうにないな……」
「見事にホワイトクリスマスになったね」
白く染まってゆく窓の外の街並みを、二人は少しの間見つめた。
「駅の反対側に大きなツリーがあった。知っていたか?」
ふと、思い出したように手塚がリョーマに視線を戻す。
「ううん。そんなのがあったんだ、へえ」
「10メートルくらいはある大きなヤツがあったぞ。帰る前に見ていくか?」
「うん」
雪の中も、手塚となら楽しいだろうとリョーマは思った。
「………まさか不二のヤツ……お詫びのつもりで反対側にわざと俺を行かせたのか…?」
不二の『策略』に引っかからなければあの大きなツリーの存在には気づかなかっただろう。もしかしたら、最後の『策略』は不二流の『お詫び』だったのかもしれない。
「そーゆーことにしておきますか」
「…だな」
寒い寒い外の空気も、人の心の暖かみをより一層感じさせる演出になる。
二人は微笑み合うと、小さなバースディケーキを有り難く頂くことにした。
HAPPYな二日間はまだまだ始まったばかり。
HAPPY ENDING !
2003.1.3
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