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        時間に遅れることを、「彼」がなぜあんなに叱るのかを、リョーマは改めて理解した。 
      約束の時間はとうに過ぎている。 
      「忘れていたりして…」 
      呟いてみて、「そんなはずはない」と心の中で否定する。 
      (きっと何かあったんだ……) 
      見た目よりずっと優しい自分の恋人は、頼まれごとをされると自分がどんなに都合が悪くても引き受けてしまう。もちろん、確実に無理な場合ははっきりと断ることもできる男だが、たいていはどうにかこなしてしまうのだ。 
      「ふー……」 
      空に向けて息を吐いてみる。 
      暖冬だと言われている割には、今日の冷え込みはかなりきつい。リョーマの吐き出した息が1メートル先まで白く見えた。 
      「すごい、寒そう…」 
      自分の吐き出した白い息を見ながら、リョーマは他人事のように呟いた。 
      2学期の試験休みに入る前に、「彼」から連絡が入った。 
      長く逢っていないわけでもなかったが、部活を引退してしまった彼とは、必然的に顔を合わす機会が減ってしまった。 
      校内でも出逢うことはまずない。運が良ければ昼に学食で姿を遠くから見かけるくらいだ。 
      だから、「彼」からの電話は、何年もあっていない恋人からのコールのようで、リョーマは頬を上気させながら話をした。 
      『24日は、家族と予定があるのか?』 
      夜には母親の手作りのケーキを囲んでバースディ&クリスマスイヴを祝うのだが、昼の間は何も予定はない。 
      リョーマはそのことを彼に告げると、電話の向こうのやわらかな微笑みが見えるかのような優しい声で『ならば昼は俺と過ごそう』と言われた。 
      リョーマは嬉しさのあまり沈黙してしまい、彼を慌てさせたが、待ち合わせの時間を決めて電話を切った。 
      その約束の時刻は1時間ほど前に過ぎている。 
      彼がいつも自分を叱るのは、本当は心配の裏返しなのだろう。 
      そして、少しでも長く一緒にいたいという切ない想いも含まれているのかもしれない。 
      冬の間も凍結防止のために少しだけ水の湧き出ている噴水の前で、リョーマは左右のポケットに手を突っ込んだまま空を見上げた。 
      「降ってきそうだな……」 
      微かに灰色がかった低い雲が上空を覆っている。 
      降ってきそうなものは液体ではなく、間違いなく「結晶」だろう。 
      先程まで周りには自分と同じように誰かを待っているような人がたくさんいた。だがもう、ほとんどの人が迎えに来た恋人や家族と手を繋いでその場を去っていってしまった。 
      (こんなに長く待たされるのって初めてかも…) 
      そう考えてリョーマは、今まで自分がどんなに彼に想われていたかを実感した。 
      待ち合わせの場所には、たいてい彼が先にいた。 
      遠くから彼の姿を確認できたときに自分の胸に広がる嬉しさを、リョーマは素直に表現できなくて「何でそんなに早いの?」などと上目遣いで睨んでしまっていた。 
      そんなときに見せる彼のやわらかな瞳は、まるで何もかもすべて見通しているようで、リョーマが彼に『かなわない』と感じる瞬間のひとつでもあった。 
      深い深い海のような穏やかな瞳。二人でいるときはいつだって自分を映し込んでくれていた。 
      (今は誰を映しているんだろう……) 
      リョーマの胸にチリチリとした痛みが走る。 
      「ふぅー……」 
      胸の痛みを紛らわすために、もう一度息を吐き出してみる。 
      風が、白い吐息を浚った。 
      その瞬間、リョーマは自分の名を呼ばれたような気がして、彼が歩いてくるはずの道とは反対の方角を振り返った。 
      道の向こうに、走ってくる小さな人影が見えた。 
      小さすぎて、他の誰も分からなくてもリョーマにはわかる。 
      『彼』、だ。 
      リョーマは瞬きもせずに、その人影を見つめる。 
      彼も、リョーマから視線を外さずに真っ直ぐに走ってくる。 
      次第に大きくなる足音。彼の呼吸。 
      ジッと彼を見つめ続けるリョーマの瞳が、今頃切なさに揺れ始めた。 
      (こんなに………) 
      リョーマは彼を見つめていた瞳を一度だけそっと閉じる。 
      (アンタが………) 
      胸にこみ上げてくる熱い想いを、どうやって彼に伝えればいいのだろう。 
      ようやくリョーマの元に辿り着いた彼が息を切らしながら頭を下げた。 
      「…すまない」 
      リョーマは彼を見つめたまま動かない。いや、動けない。 
      「寒かったろう…?……本当にすまなかった…」 
      リョーマは少し微笑んで溜息をついた。 
      「あ」 
      「え?」 
      空を見上げたリョーマが短く声を発したので、彼もつられて空を見上げた。 
      「…やっぱり降ってきたね」 
      視線を彼に移して、リョーマが微笑んだ。 
      「……怒らないのか?」 
      「別に」 
      「…………」 
      「アンタ、運動不足じゃないっスか?そんなに息、切らしちゃって」 
      それだけ必死に走ってきたのだと言うことを承知で、リョーマは彼をからかう。 
      「ねえ」 
      リョーマがもう一度空を見上げる。 
      「一年前の今日、アンタは何してた?」 
      「…………覚えていない」 
      「なにそれ」 
      リョーマは空を見上げたままクスクス笑った。 
      「オレはね………友達の家でクリスマスパーティーしてた」 
      「…そうか…」 
      リョーマはまた視線を彼に戻すと、そのままゆっくりと彼の傍に歩み寄る。 
      そしてポケットにしまったままだった両手で、彼をそっと抱き締めた。 
      「…リョーマ…?」 
      「アンタが初めてだったよ………『今日』のこと『クリスマスイヴ』じゃなくて『24日』って言ってくれたのは」 
      「………」 
      彼の両腕がリョーマを包み込む。 
      「俺はクリスチャンじゃないからな」 
      彼の腕の中でリョーマがクスクスと笑う。 
      「今日はお前の生まれた大切な日だ。誰かの誕生日の前祝いになどするものか」 
      「……うん」 
      「……だが………」 
      「え?」 
      リョーマが彼を見上げた。彼がとびきり優しい瞳でリョーマを見下ろす。 
      「その『誰か』がお前をこの世に贈りだしてくれたのなら、俺は感謝する」 
      リョーマは一瞬目を見開いた。 
      そして再びこみ上げてくる想いに瞳を揺らしながら頷いた。 
      「オレも……感謝してる………この世に生まれて、アンタに出逢えたから…」 
      「リョーマ…」 
      強く強く、彼がリョーマを抱き締める。 
      リョーマも、強く強く、彼の身体を抱き締め返した。 
      以前彼が「ずっと繋がっていたい」と言った。その時リョーマは冗談半分にはぐらかしたが、今は、今だったら「オレも」と応えるのかもしれない。 
      「ねえ、………明日もずっと一緒にいられる?」 
      「日付が変わる前からずっと傍にいてやる」 
      「それって………」 
      リョーマの頬が熱くなる。 
      「こんな特別な日に、お前を離せと言う方が無理な話だ。俺にとっては、な」 
      少しだけ身体を離して彼が熱くリョーマを見つめてくる。 
      熱っぽい瞳を受け止めて、リョーマが婉然と微笑んだ。 
      「キスして」 
      いつもならそう言われて、一瞬戸惑い、周りに視線を走らせる彼が、今日に限っては躊躇わずにリョーマに口づけてくる。 
      「ん……」 
      「リョーマ……」 
      冷たい唇とは逆に、痺れるほど熱い口づけに応えながらリョーマは瞳を閉じて彼に縋り付く。 
      「愛してる…」 
      「オレも……」 
      口づけの合間に愛を囁かれ、掠める唇を追いかけてリョーマが背伸びをする。 
      背中にまわされた彼の腕がひどく暖かくて、リョーマはあまりの心地よさにうっとりとなった。 
      「……ばか……そんな顔をするな………堪らなくなる」 
      彼がリョーマの身体を深く抱き込んだ。いつもは穏やかな彼の鼓動が早くなっている。 
      「早くアンタを頂戴。もう待ちきれない………」 
      「お前の誕生日くらいは紳士でいさせろ」 
      「じゃあ、『明日』は野獣になるの?」 
      「…かもしれんな」 
      彼が溜息混じりに呟いた。冗談ではないのかもしれない。 
      「野獣のアンタも好きだよ」 
      「…………」 
      「アンタのこと、全部好き。大好き」 
      彼の胸に、リョーマは額をすりつける。彼の大きな手が、リョーマの髪を優しく撫でた。 
      「雪が………どこかに入ろう。風邪をひく」 
      「暖かくて、二人っきりになれるところがいい」 
      「………行くぞ」 
      歩き出した途端に雪がリョーマの顔めがけて落ちてくる。 
      「寒っ」 
      そう呟きながら、リョーマは思う。 
      (アンタがいれば、本当はどこだっていいんだけどね) 
      自分の手を引いて歩く彼の背中を見つめながら、リョーマは嬉しさに微笑んだ。 
      (アンタが傍にいるだけで……こんなに心が暖かくなる) 
      それでも、もう一度彼に振り向いて欲しくてリョーマは大好きな彼を呼ぶ。 
      「くにみつ」 
      振り返った彼の瞳がやわらかく細められた。 
      リョーマも微笑み返した。 
      幸せな二日間が始まった。 
      
      HAPPY ENDING !    
      
 
  
      
  
        
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