年の差


<2>


翌日。
空は分厚い雲に覆われ、天気予報でも午後からは雨の確率が高くなっていた。
リョーマの父・南次郎は、朝早くから出かけ、母も、一緒に住んでいる従姉の菜々子もそれぞれ用事があると言って出かけていった。
数日前から、今日は家族が皆それぞれの用事で出かけ、家にはリョーマ一人になることはわかっていたが、ガランとした家の中で、リョーマはソワソワと落ち着きがない。
いつもいる家族が誰もいなくなったせいではなく、誰にも干渉されない自由が嬉し過ぎるわけでもなく。
(もうすぐ部長が来る…!)
約束の時間まで、あと十数分。
打ち合わせ通りにリョーマは一旦家を出て、案の定ついてきた尾行を撒いて再び家に戻って来ていた。
(あと十分)
心臓がバクバクと音を立てている。
いくら深呼吸をしても治まる気配がない。
(試合の時だって、こんなにキンチョーしたことないのに)
思わず苦笑すると、念のためにと握り締めていた携帯電話が振動し、手塚からの着信を伝えてきた。
(え…部長…?)
「も、もしもし?」
すぐに通話ボタンを押すと、手塚の声がリョーマの耳に流れ込んできた。
『すまない、越前、少し遅れる』
「どうかしたんスか?」
『なかなか優秀なヤツが尾行についている。撒くにはもう少し時間がかかりそうなんだ』
「ぁ……そうっスか……」
『……そうがっかりした声を出すな。遅れると言っても数分だ。お前が変な心配をしないように連絡を入れただけだ』
「そ、そっスか。え…っと、じゃあ、部長、気をつけて」
『ああ、冷たい水でも用意しておいてくれ。今から走るから、喉が渇く』
「ぁ、わ、わかりました!」
電話の向こうで、手塚は小さく笑ったようだった。
『じゃあな』
「はい!」
プツリと通話が途切れ、リョーマは暫く呆けてから電話を切った。
「………ホントに……来るんだ、部長……」
プルプルと、微かに手が震えた。





数分後、また手塚から電話が入った。
「も、もしもし?」
『今着いた。ドアを開けてくれ』
「ぁ、はいっ」
携帯を握り締めたままリョーマが玄関のドアを勢いよく開けると、そこに手塚が立っていた。
ほんの少しだけ、息が乱れている。
「どうぞ、部長」
「ああ」
手塚はチラリと周囲に視線を向け、誰もいないことを確認してから入って来た。
「……いきなりすまないが、洗面所、借りていいか?」
「え?ぁ、はぁ、どうぞ。こっちです」
洗面所に手塚を案内すると、手塚はすぐに手を洗い、続いて眼鏡を外して顔を洗い始めた。
「……あの、これ、タオル…」
「ん」
顔を洗い終わった手塚にタオルを差し出すと、手塚は小さく「すまない」と言って受け取り、タオルを顔に押し当てて、はぁと、溜息のような息を吐いた。
「あぁ……すっきりした……すまなかったな、越前」
「え、いえ、べつに……」
眼鏡のない手塚に小さく微笑まれ、リョーマは真っ赤に頬を染めて首を横に振る。
「汗をかいたままにしておくのは苦手なんだ」
珍しく自分のことを語る手塚を、リョーマはじっと見つめる。
「シャワーも借りたい気分だ」
「ぁ、べつにいいっスよ、シャワー使っても」
きょとんと手塚を見つめるリョーマを、手塚もどこか不思議そうに見つめ返す。
「………いや、そこまではいい」
「そっか、着替えとかないっスもんね。脱いだヤツまた着るのって、あんま、いい気分じゃないっスよね」
「………まあな」
「じゃ、部長、こっち、居間の方に来て。ちゃんと冷たい飲み物用意してあるっスよ」
「ああ、すまない」
リョーマがニッコリ笑いながら言うと、手塚もまた小さく笑った。
それだけで、リョーマの心は幸せでいっぱいになった。









ミントがさりげなくブレンドされた冷たい緑茶で一息ついた手塚は、自分をじっと見つめているリョーマを見つめ返し、小さく苦笑した。
「そんなにじっと見られると落ち着かないんだが」
「あ…ぅわ、すみません……なんか、部長がウチにいるのが信じられなくて……」
頬を真っ赤に染めて視線を逸らすリョーマに、手塚は小さく溜息を吐いた。
リョーマの身体がビクリと震える。
手塚に呆れられてしまっただろうかと、恐る恐る視線を手塚に戻すと、手塚の表情は予想外に柔らかかった。
「ぁ……えっと、部長……その、今日、は、仕事、の、話……」
思うように唇が動かなくてリョーマはしどろもどろに言葉を綴る。
「あぁ…」
手塚はいつもの無表情に戻り、淡々と話を始めた。
「学校で所蔵している古い文献を見てみたんだが、表立って『埋蔵金』について書かれた書物はなかった」
「ぁ……やっぱないっスか……」
「ああ。表立って書かれた書物は、な」
「え?」
手塚の言葉にリョーマは小さく目を見開いた。
「じゃあ…それらしい事について書かれたヤツは見つけたってコトっスか?」
「………」
手塚は短く沈黙してから小さく頷いた。
「さすが部長…!」
リョーマが瞳を輝かせてそう言うと、手塚も一瞬、小さく目を見開いた。だが、前髪を掻き上げると、すぐにいつもの表情に戻った。
「そもそも青春学園は、1925年に中等部が創設されているんだが、その前は華族の屋敷、つまり古くは大名の屋敷があった場所だった」
「カゾク?……Family?」
「違う。The nobility……高貴な階級の事だ」
「あぁ…」
なるほど、とリョーマが頷くと、手塚は話を続けた。
「その大名は特に有名というわけではなかったが、将軍家からの信頼は厚く、将軍家から多くの恩賞が与えられている」
「おんしょう……ご褒美?」
「わかりやすく言えば、そうだ」
「……じゃあ、もしかして、その中の一部が、埋蔵金として敷地内に残っているかもしれないって言うことっスね」
手塚はしっかりと頷いた。
「褒美としてもらったもののほとんどは、屋敷が取り壊される時に博物館へ収められているんだが、いくつかは所在不明になっている」
「それが埋まってるかもしれないって……?」
「その可能性は充分にある」
「埋蔵金って言っても、お金とは限らないんスね」
「……まあ、そうなるな」
感心したようなリョーマにチラリと視線を向けてから、手塚は小さく頷いた。
「で?それが『表立って書かれていないこと』なんスか?」
ワクワクしながらリョーマがさらにその先を促すと、手塚は小さく溜息を吐いてから「いや」と言った。
「この青春学園の創設には、その元大名の流れを汲む者が関わっているんだが、その人物が病床において、自分の家族に意味深なことを言っているんだ」
「今度はFamily、っスよね?」
「ああ」
手塚は頷いてから、ほんの少しコップに残っていた緑茶を飲み干した。
「ぁ、おかわりいります?」
「いや、いい」
「…で、その人、家族になんて言っていたんスか?」
「……学びの庭に歌う鳥、共に鍛えしその身をば、勝利の栄冠輝きて、誓いし希望は世を照らす」
スラスラと手塚が口にした言葉に、リョーマは暫し沈黙したあとで、思い切り眉を顰めた。
「なにそれ」
「……聞いた事はないか?」
「ないっスよ、そんなお経みたいな言葉」
眉を顰めたまま唇を尖らせてリョーマが答えると、手塚は肩を竦めて深い溜息を吐いた。
「……確かに、これでは文章の意味は繋がらない。これは『抜粋』だからな」
「抜粋?」
「音楽の時間に習わなかったか?」
「は?」
「これは青学の校歌だ」
「あ……」
もう一度溜息を吐いてから、手塚は先を続けた。
「意味深なことというのは、青学の校歌になっている歌詞の、『覚えておくのはこの部分だけでいい』と、息子に何度も繰り返していたらしいということなんだ」
「この部分だけでいい…?」
「ああ」
手塚はポケットを探り、小さく折り畳んだ紙を取り出した。
「お前のために、一応全文を書き出しておいた」
「ぁ……アリガト、部長」
お前のために、という言葉にリョーマの頬が一気に紅く染まった。
(オレの、ために…わざわざ……)
たとえそれが「手のかかるヤツ」という認識であったとしても、手塚が自分の事を考え、自分のためにだけ行動してくれた事が、リョーマにはとても嬉しかったのだ。
カサッと小さな音を立てて手塚が紙を広げる。そこには綺麗な文字で、先程手塚が口にした歌詞が綴られていた。
「えーと……緑の丘に風そよぐ、青春台の学び舎は、学びの庭に歌う鳥……共に鍛えしその身を…ば?……」
モゴモゴと読み上げるリョーマを一瞥して、手塚はまた溜息を吐く。
「……ねえ、もしかして、この歌詞に『宝物の在処』が示してあるってことかな」
「そう考えるのが普通だな」
「うーん……じゃあ、学びの庭って、グラウンドの事?」
「たぶんな」
「グラウンドで歌う鳥?……スズメ?……共に鍛えしその身をば……うー……」
紙を握り締めて唸るリョーマを暫し見つめ、手塚は小さく小さく、「クッ」と笑ったようだった。
「……部長は何かわかったんスか?」
リョーマが上目遣いに手塚を小さく睨むと、手塚は笑みを消して前髪を掻き上げ、「いや」と短く答えた。
「なかなか難解だ」
「やっぱそーっスよね」
再び歌詞に視線を戻してリョーマは「うーん」と唸る。
そのまま暫し部屋には沈黙が流れた。
「越前」
「はい?」
歌詞を見つめたままリョーマが返事をすると、手塚は一瞬口籠ってから、ゆっくりと口を開いた。
「お前……ちゃんと考えておいたか?」
「………は?」
きょとんとしてリョーマが手塚に視線を向けると、手塚は小さく眉を寄せてふいっと視線を逸らした。
「考えるって……何かありましたっけ?」
「………」
チラリとリョーマを見遣ってから、手塚は、今日何回目になるのかわからない溜息を、吐いた。
「あ」
ふいに、リョーマは思い出した。
「え……あの……部長、もしかして、ご褒美の、こと……?」
「忘れていたのなら、もうその話は無効だ」
「え!ダメっスよ!くれるって約束したでしょ」
必死に食い下がるリョーマをまた一瞥し、手塚は額に手を当てて溜息を吐いてから、小さく笑った。
「………何が欲しいんだ?……言っておくが、あまり金のかかるものは却下だ」
「もちろん、べつにそんな高価なものが欲しいとか思ってないし……」
「じゃあ、何が欲しい?」
手塚が、じっと視線を向けてくる。その視線を真正面から受け止め、だがやはり受け止めきれず、リョーマは頬を染めて視線をずらした。
(オレのこと好きになって、とか、言ってみたいな……)
絶対に口に出来ない願いが浮かんでしまい、リョーマは思わず視線を落とす。
「越前?」
「ぁ……その……いっぱいあり過ぎて……ひとつには、なかなか決められなくて……」
「そんなにたくさんあるのか?」
手塚が呆れたように肩を竦める。
「だって…!」
そんな手塚を見て、思わずリョーマは顔を上げて語調を強めた。
「本当に欲しいものは絶対にもらえないからっ、他に欲しいものを探していたら、いろいろ、出て来ちゃって…っ!」
「本当に欲しいもの?」
「ぁ…」
内心「しまった」と思いながら、リョーマはどうにかして自分の言ってしまった言葉を誤摩化す方法を模索する。
そうして、リョーマは閃いた。
「ぇ、っと、だからその、本物の、こ、恋人とか、欲しいけど、部長が紹介してくれるわけじゃないでしょ?」
「………あぁ…なるほどな」
手塚はフイッとリョーマから視線を外し、そのまま黙り込んでしまった。
(ぇ……なんで部長が機嫌悪くなるんだろ…)
明らかに不機嫌そうな手塚をちらちら見遣りながら、リョーマは何を「おねだり」するのかを必死に考えた。
「あ」
とてもいい考えが浮かび、リョーマは思い切って「それ」を手塚に頼むことにした。
「部長、決めたっス!」
「…」
「今日一日、部長をください!」
「え…?」
リョーマの「おねだり」に、手塚はひどく驚いたように目を見開く。
「越前、……それは、どういう意味だ?」
不審そうにリョーマをジロリと睨み、手塚は仕事の話をする時よりも、さらに剣呑な瞳をリョーマに向けた。
「あ?あ、なんか…言い方マズッたかな……」
ぶつぶつと呟くリョーマを、手塚はじっと見つめたままでいる。
「だからね、部長」
言葉を区切って、リョーマはニッコリと手塚に微笑みかけた。
「今日一日、オレの本当のコイビトになってください」
「………え?」
リョーマの「願い」を聞いた手塚は、険しい表情を一変させた。
「恋人……?」
「そっスよ」
ニコニコと笑いながら頷くリョーマを困惑した瞳で見つめ、手塚は珍しく動揺している。
「恋人……とは………ならば俺は何をすればいいんだ?」
「べつに」
普段見たこともない手塚の表情を愉しげに見つめながら、リョーマは何でもないことのような口調で話す。
「これから街に出て、いろんな所で買い物したり、ぁ、あと、ゲーセン入ったり、なんか食べたりして遊ぶだけっス」
「………」
「今日だけは、仕事の話はナシで」
「………」
「ソーユーのは、ダメっスか?」
一か八かの大勝負に出るような心境で、リョーマは手塚に尋ねる。
我ながらいい考えだと、リョーマは思った。
これなら、ダメでも笑い話で軽く流せるし、もしも引き受けてくれたなら、今日は至福の時間を過ごせることになるのだ。
(オレって頭イイ!)
リョーマがキラキラ瞳を輝かせて手塚の反応を待っていると、手塚はチラリとリョーマを見、そして今日一番大きな溜息を吐いてから、しっかりと頷いた。
「わかった」
「やっ………ぁ、あー、えっと、じゃあ、よろしくお願いします!」
「ああ」
思わず「やったー!」と叫びそうになったリョーマは、寸での所でその歓声を抑え込み、普段通りにニッコリ笑うことに成功した。
「じゃ、出かけようよ、部長!」
「………」
手塚はまた小さく溜息を吐いてから、ゆっくり立ち上がった。
















まるで知らない街のようだとリョーマは思った。
隣に手塚がいるだけで、街並自体が輝いて見える。
「ね、部長、あの店入ってみません?」
「ああ」
最近出来たらしいショップには、シンプルで、だがとても個性的なデザインの服がおいてあるとクラスメイトが話しているのをさりげなく聞いていたリョーマは、手塚を促して早速その店に入ってみた。
「へえ」
この店には、レディスもおいてはあるものの、どちらかと言うと、メンズの方に重点を置いている品揃えだった。
「あ」
(これ、部長に似合いそう)
入ってすぐの所のディスプレイの前でリョーマは足を止めた。
黒のVネックのTシャツに、紺色のジャケット。ボトムスには黒ジーンズが合わせてあり、シューズには、最近流行の尖ったシルエットのカジュアルな革靴が添えられていた。
(トータルでいくらするんだろ………)
「うわ」
あまりに高額な値段に、リョーマはガックリと肩を落とす。
「ムリ……オレには買えない」
ぼそりとリョーマが呟くと、手塚がすぐ横で「ん?」と言った。
「お前にはこういう感じよりも、こっちの方が似合うぞ」
そう言って手塚は、別のコーナーの前に飾られているマネキンを指差す。
「え?」
そ れは、リョーマが手塚に似合いそうだと思ったデザインとはほど遠いイメージのもので、黒地に白で大きな英文字が無造作に書かれているTシャツに赤と黒の チェックの綿シャツが合わせてあり、ボトムにはカーキ色のハーフパンツ、シューズにはハイカットのスニーカーが添えられていた。
嫌いではない取り合わせだが、先程のコーディネートに比べると少々子どもっぽい気もする。実際には歳の差もそれほどないはずなのに、この違いは何だろうとリョーマは内心苦笑する。
「……部長から見ると、オレってこんなイメージなんスか?」
ふと気になって手塚に尋ねると、手塚は大真面目な顔で頷いた。
「お前は変にシックにまとめるよりも、このくらい、少し遊びを取り入れたコーディネートの方がいい」
「ぁ………ありがと………オレも、コーユーの、実は好きっス」
別段子ども扱いされているわけではなさそうだと感じたリョーマは、ジワジワと嬉しさが込み上げて来た。
「この組み合わせだったら、キャップはどんなのがいいっスか?」
「ん?そうだな………これなんかいいぞ」
そう言って手塚は、キャップのコーナーからひとつ選んでリョーマの頭にポスッと被せてくれた。
「わ、なるほど………いいっスね!」
ボトムと同じカーキ色のキャップは、ざっくりと切った布地でアルファベットのアクセントも入れられている。
「部長、センスいいんだ」
リョーマが感心したようにそう言って手塚を見上げると、手塚は一瞬ポカンとしてから、ムッとした表情になった。
「意外そうだな」
「え?いや、そーじゃなくて、アンタ、服とか関心なさそうだったから、ちょっとビックリしただけ」
「……それなりに身だしなみには気を遣っているつもりだが」
少し機嫌を直した手塚がボソリと言った言葉に、リョーマはニッコリと笑いながら頷いた。
「うん。今日の服も、すっごくカッコいいっスよ、部長」
「………バカもの。煽てるな」
手塚はいつものように溜息を吐いてリョーマに背を向ける。
だが、いつもの口調よりも、声が優しい気がして、リョーマの胸が甘く締め付けられた。
(部長……ホント、大好きだよ…)
声には出さずに心の中で甘く告げ、リョーマは手塚の横に並んで歩く。
「………この先にカフェがある、行くか?」
「うん」
嬉しくて嬉しくて、輝くような笑顔で手塚を見上げたリョーマを、手塚も、ひどく柔らかな瞳で見下ろしていた。
「……やっと元に戻ったな」
「え……」
「お前、最近、いろいろ考え込んでいただろう。…俺の顔をまともに見なかった」
「……」
ギクリと、リョーマの顔がほんの少し強ばった。
手塚の冷たい瞳を見るのがつらくて、無理矢理手塚を見ないようにしていたことが、手塚にはバレてしまっていたのだ。
「べ、べつに……」
「………まあいい。私情に左右されずに、仕事さえ完璧なら、な」
いつものように冷めた口調で言う手塚を、リョーマは小さく睨んだ。
「部長!今は仕事の話はナシ!」
「え…」
リョーマの反論が意外だったのか、手塚は目を見開いてリョーマを見下ろした。
「ぁ……あぁ……すまない…」
「次に仕事がどーのとか話したら、この店で、さっきのコーディネート、一式買わせるっスよ!」
「……」
きょとんと目を丸くする手塚に、リョーマはニヤッと笑ってみせる。
「冗談っス」
「……」
「カフェ行こ、部長」
スタスタと、手塚をおいて店を出ようとするリョーマを、手塚が小走りで追いかけてくる。
「カフェの場所、知っているのか?」
「知らないっス」
「ならば先に行くな」
「ういーっス」
間延びした返事をすると、手塚がまた溜息を吐いた。
「部長、そんなに溜息ばっか吐いてると、幸せが逃げちゃいますよ?」
「幸せが逃げる?」
「そ。知らないっスか?溜息吐くと幸せが逃げるとか、吐いた毒で天使が死んじゃうとか」
「毒……」
「……でも、部長に溜息吐かせてるのはオレだもんね。ごめんね、部長」
「……」
黙り込んだ手塚にまた溜息を吐かれるかと思ったが、聞こえては来なかった。恐る恐るリョーマが手塚に視線を向けると、手塚は困惑した瞳でリョーマを見つめていた。
「部長…?」
「……ぁ……いや……」
手塚は前髪を掻き上げると、いきなりリョーマの肩を抱いて歩き始めた。
(え???)
嬉しいサプライズを仕掛けられたようにリョーマが硬直すると、手塚はどこか戸惑ったようにリョーマに視線を向ける。
「……今日は恋人なんだろう?このくらいはした方がいいかと思ったんだが」
「ぁ……えっと……はい…」
自分の頬が一気に真っ赤に染まったのがリョーマにはわかった。きっと耳朶も真っ赤になって熱を帯びている。
「ぶちょう……」
「なんだ」
(好きです)
「……」
「……」
黙ったままリョーマが手塚の腰に手を回すと、手塚も黙ったまま、さらにグッとリョーマの身体を引き寄せた。
「…ねえ、人が見てる」
「見ていない。気にするな」
「………うん」
休日の街に人がいないはずがなかった。
こんなふうに身を寄せて歩く二人を、不思議そうに見る者もいないはずはなかった。
敵対組織の尾行も、すでに二人にべったり貼り付いているのを知っている。
それでも、リョーマは手塚から離れようとはしなかった。
離れられるはずがなかった。
(オレ、今、すっごい幸せだ……)
リョーマはそっと目を閉じて、手塚の胸に頬を押し付けて歩く。
柑橘系のコロンの香りと、微かに、手塚の甘い体臭を感じた。
(この先、何があってもオレはこの人を信じられる。この人以外は、信じない)
今までの想いが、さらに強く、リョーマの心の奥で美しい深紅の炎となって燃え上がった。
「部長」
「ん?」
「オレは、部長の言葉だけ信じる。部長の指示にだけ従う。どんな状況でも、絶対に、アンタのことだけは、疑わないから」
桃城に言われたことは気になる。だが、もしも、桃城が言ったことが真実であったとしても、自分の「真実」は手塚だけなのだ、と。
「………」
手塚の胸に頬を押し付けたままリョーマが呟くように言った言葉を、手塚は黙って聞き、そのあとも何も言わなかった。
だがふと、手塚が空を見上げて小さく溜息を吐いたのがリョーマにはわかった。
(大丈夫だよ、部長。何より、アンタの嫌がることはしないから……だから、やっぱりオレは、この仕事が終わったら、アンタの前から消えるよ)
手塚に鬱陶しい思いしかさせることが出来ない自分は、手塚の傍にはいない方がいいのだとリョーマは充分にわかっている。
だから、あとにも先にも、こんなふうに二人で寄り添って歩くことは二度とないし、今回の仕事が終わったら、きっと顔を合わせることもほとんどなくなるだろう。
(青龍との、最初で最後の仕事なんだ)
ギュッと、胸が締め付けられて涙が出そうになった。
だが泣いている時間が勿体ない。そんなことに費やすよりも、もっと、手塚との「恋人」の時間を楽しもうとリョーマは思う。
(ずっと、「今日」が終わらなければいいのに…)
叶うはずのない願いに、リョーマはそっと苦笑した。







※今回も敢えて「歳の差』という字を使っています※


TO BE CONTINUED...

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20090928