シンデレラをさがせ!


    コ コ ア    


<2>





青学に入って初めての公式大会で、リョーマは怪我を負った。
決勝戦でスポットと呼ばれる相手の技にかかり、一時的に筋肉の麻痺した腕で無理矢理ラケットを振ったため、手からすっぽ抜けたラケットがポールに当たって砕け、跳ね返ってきた破片で瞼を切った。
かなり出血し、試合の続行すら危ぶまれた。
だが手塚は、大石の強い反対を押し切り、リョーマを信頼して試合を続けさせてくれた。
選手として、いや、一人の男として、認めてくれたことが、リョーマにはひどく嬉しかった。





地区大会を優勝という形で突破し、早速その祝勝会を河村家が営む『かわむらすし』で行った青学メンバーは、夕方には解散し、それぞれの家へと帰ることになった。
その別れ際、リョーマはみんなにはわからぬように、そっと、手塚の袖を引いた。
手塚は少し驚いたようにリョーマを見つめ、そして、小さく小さく、微笑んだ。
「…来られたら、駅の北口改札に来てくれ」
そっと囁かれ、リョーマは小さく頷く。
普通みんなが使うのは南口改札だ。だから手塚は『北口改札』とわざわざ指定してきた。
二人で、二人だけで、逢うために。
リョーマは綻びそうになる口元を引き締め、何事もなかったかのように先輩たちとともに駅へと向かった。





なんとか誤魔化して先輩たちと別れると、リョーマは駅の中を横断して北口へと向かった。
手塚は「学校に用がある」と言って、すでに集団とは別行動をとっている。だから北口には、すでに手塚が待っているはずだ。
北口の改札を滑り抜けて足を止め、辺りを見回すと、少し離れた柱に寄りかかるようにして手塚が佇んでいるのを見つけた。
「部長」
小さく声を掛けてリョーマが走り寄る。
顔を上げた手塚は、リョーマを見てとても柔らかく微笑んだ。
(ぁ……久しぶりに綺麗な笑顔、見た…)
最近の手塚は眉間にシワを寄せてばかりだったので、もう何年も、そんな綺麗な微笑みを見ていないような気がした。
「お待たせ!」
嬉しくて、リョーマが満面の笑みでそう言うと、手塚もとても嬉しそうに笑ってくれた。
「連中、大丈夫だったか?」
「うん。ちょっと買いたい物があるからって、巧く誤魔化した」
「そうか」
手塚はほんの少しだけ眉を寄せて苦笑してから短く考え込み、リョーマを改めて見つめながら口を開いた。
「今から学校に寄ってもいいか?」
「え?学校?」
「部の備品を戻しに部室へ行きたいんだ」
「ぁ、うん」
たぶん試合のために部室から何かを持ち出していたのだろうと思い、リョーマは何も疑わずに頷いた。






駅をぐるりと回り込んで、学校方面へ向かうバスに乗り込む。
ほとんど乗客のいない車内の最後部座席に、二人は並んで座った。
「……傷は痛むか?」
「平気」
眼帯をしたリョーマの顔を覗き込むようにして手塚が眉を顰める。
「……今日は、ありがと」
「ん?」
「試合、続けさせてくれて。てっきり、アンタにも止められると思ってた」
「…お前なら出来ると思ったんだ」
「それって、オレの実力を認めてくれたって、こと?」
「………さあな」
手塚に小さく笑われ、リョーマは唇を尖らせる。
「なにそれ」
「お前の実力については、また後日、改めて話したいことがある。だが、今日はよくやった。いい試合だった」
「………うん」
自分の頬に熱が集まるのをリョーマは感じる。少し照れくさくなって手塚から視線を逸らすと、そっと手を握られた。
「ぶちょ…」
「少し……欠乏症なんだ」
「は?」
「お前が、足りなくて……」
「ぁ………」
リョーマを見ずにぼそりと言う手塚を暫し見つめ、それからリョーマも頬を真っ赤に染める。
「…アンタの方から、逢わないって、言ったんだからね。……無理しちゃってさ」
「………そうだな。だが、これで、俺はお前なしではいられないことがよくわかった」
そう言って、熱い瞳で見つめられ、リョーマの鼓動が加速する。
「ねえ……本当に、部室に備品、返しに行くだけ?」
「………さあな」
「………」
またはぐらかされて、リョーマもまた唇を尖らせて俯いた。
「あんまり意地悪すると、キライになるから」
「それは困るな」
手塚がクスッと笑う。
「だが、今の言葉からすると、お前が俺のことを好きになってくれたように聞こえるぞ」
「………キライなヤツと、こんなふうに一緒にいるような変なシュミしてないよ」
ボソボソとリョーマが言うと、手塚は少し黙り込んでから、リョーマの手をぐっと強く握ってきた。
リョーマも、ギュッと、握り返した。
「………」
「………」
それきり二人は学校に着くまで、何も話さなかった。













「本当に備品返しに来たんだ」
バッグから救急箱やバインダーなどを取り出してロッカーにしまう手塚を見て、リョーマは右目を丸くした。
「いつもは大石が持ち歩いてくれるんだが、今日は俺が預かった」
「……ふーん……」
「さて」
すべてをロッカーに戻した手塚がリョーマを振り返った。ドキリと、リョーマの心臓が脈打つ。
「………帰るか」
「えっ…?」
思い切りガッカリしたような声を出してしまい、リョーマは慌てて口を押さえた。しかし、その声はしっかりと、手塚に聞かれてしまっていた。
「まだ帰りたくないのか?」
「………」
「越前?」
手塚がゆっくりとリョーマの傍にやってくる。リョーマは頬を染めたまま、上目遣いに手塚を睨んだ。
「……アンタが言ったんじゃんか。欠乏症だ……って…」
文句を言うようにブツブツと言うと、手塚がクスッと笑った。
「あまり意地悪をすると嫌われるか…」
そう言いながら、手塚がそっとリョーマを抱き締める。
(ぁ………)
すっぽりと手塚の腕の中に収められ、リョーマはうっとりと目を閉じた。
(久しぶりだ……気持ちいい……)
おずおずと手塚の背中に腕を回してしがみつくと、手塚がさらにきつくリョーマを抱き締めてきた。
「越前……俺のことを…好きになったか?」
「………」
「まだ……ちゃんと好きになってくれていないのか?」
「………」
グッと唇を噛み締めてリョーマは迷った。
好きだと言ってしまいたい。
好きだと言って、もう手塚のものになってしまいたい。
もしも手塚が『あの人』だったら、今頃リョーマはすでに手塚のものになっていたかもしれない。
だが、不二の言葉を聴いてから、リョーマはすべてを曖昧にしたまま、前にも後ろにも進めなくなっている。
(このままじゃ、いけないんだろうな……)
今のままリョーマが動かなければ、きっと手塚も動けない。そして『あの人』も。
「……」
リョーマは手塚の腕の中で、そっと顔を上げた。
「……ん?」
もの言いたげに手塚を見つめるリョーマに、手塚はひどく優しく微笑みながら言葉を促してくる。
「オレ……」
「……」
「最初逢った時、アンタのこと、苦手だった。綺麗なのは外見と声だけで、中味はダメダメなヤツかと思ったから」
手塚から視線をずらしてリョーマが言うと、手塚は声を出さずに小さく笑う。
「…でも、そのうち、アンタは中味も格好いいんだってわかってきて………それで、オレは……アンタがシンデレラだったらいいなって、思うようになった……」
「………」
「だけど……オレが日本に着いた頃、アンタは寝込んでいて空港には来られないほど体調悪かったって聞いて……そんな身体で会ったこともない人の迎えなんか 来ないだろうし……だから、アンタはシンデレラじゃないんだって思ったら……どうしたらいいのかわかんなくなってきて……」
「俺が…シンデレラではない、と…?」
どこか驚いたように問われ、リョーマはチラリと手塚を見遣って頷いた。
「…ぁ、いや、……俺の体調が悪かったこと、誰から聞いたんだ?」
「不二先輩」
「………そうか」
手塚が深い溜息を吐く。
「確かにあの日はひどい熱があって……春休みで授業はなかったが午前中の部活に顔を出したら、不二や乾に空港に行くのを止められた」
(やっぱり………)
手塚の腕の中でリョーマは項垂れる。
「越前」
「………」
「前にお前が言った話は……」
「え……?」
口籠もる手塚を、リョーマは訝しげに見上げた。
「探していたシンデレラではなくて、他の人間を好きになったと言ったのは……」
「………」
リョーマは暫し沈黙してから、ギュッと手塚にしがみついた。
「………誰のことだと思ったんだよ…」
ボソッとリョーマが呟くと、手塚は黙り込んだ。
そして。
「俺が、好きなのか?」
探るように、確かめるように、手塚が問う。
リョーマはゆっくりと顔を上げた。
食い入るように見つめてくる手塚の瞳を、リョーマもじっと見つめ返す。
そうしてリョーマは、徐に口を開いた。
「やっぱ、まだ言わない」
手塚は一瞬、呆然としたような、複雑な表情をした。だがすぐにそれは苦笑に変わり、リョーマをギュッと抱き締めてきた。
「…お前の方が、意地が悪い」
「一番意地悪なのは、シンデレラだよ」
ククッと手塚が笑う。
「手掛かりもほとんど残してくれないで、探して欲しいって………見つけられるわけないじゃん」
手塚が優しくリョーマの髪を撫でる。
「だいたい、初めて会ったオレに、なんでそこまで────────」
言いかけた瞬間、心を掠めた「仮説」に、リョーマはハッとした。
(そう、か………それなら、まだ、可能性がある……)
リョーマは自分を落ち着けて、ゆっくりと手塚の身体を押し返す。
「越前…?」
「やっぱり、部長だ」
「え……?」
顔を上げて、手塚を真っ直ぐに見つめる。
「アンタがシンデレラだ」
「!」
手塚が、大きく目を見開いた。
「でもまだ証拠がないから、今は肯定しなくていいよ。アンタがシラを切れないほどしっかりとした証拠を掴んで、認めざるを得ない状況になったら、頷いてくれればいい」
「……大した自信だな」
「自信じゃないよ。これはオレの──────」
すべては言わずに、リョーマは口を閉ざした。
そう、自信ではない。
これは、願望だ。
手塚が『あの人』であって欲しいという、リョーマの願いだ。
(確かに矛盾とか謎とかはあるけど、そう考えるのが、一番、オレの心が納得する)
「絶対に証拠を見つけるから」
何も言わず、手塚は小さく笑った。そうしてリョーマを引き寄せ、髪に、そして額に口づける。
「……お前が証拠を見つけようが見つけまいが、俺はお前を手放すつもりはない。……この数日間、お前から離れてみて、一層強く決心したんだ」
「決心…?」
「運命の出逢いとか、奇蹟の再会とか、そんなことはどうでもいい。俺は、間違いなく、お前に、越前リョーマに恋をしているんだ。だから……」
「ぁ…」
手塚がそっとリョーマの頬を両手で包み込み、触れるだけの口づけをする。
「絶対に、お前を俺のものにする」
「……っ」
ゾクリと、リョーマの胸の奥が艶やかに震えた。
再び重なってきた手塚の唇は、優しく甘く、しかしとても熱っぽくリョーマの舌を絡め取り、下唇を愛おしげに吸い上げてくる。
「………ね…」
「ん……?」
二人の視線が、間近で甘く絡み合う。
「……その眼帯の落書き、………気が引けるな…」
「え?」
リョーマは眼帯を外して見つめ、そこに先輩たちからの派手な落書きを見つけて顔を引きつらせた。
「こんなの書いてあったんだ……知らなかった…」
ククッと手塚が笑う。
「河村の店でお前が眠り込んでいる時に書かれたんだろう。率先してやっていたのは桃城と菊丸だ」
「ムードぶち壊し」
リョーマが唇を尖らせると、手塚はリョーマの手の中の眼帯を取り上げて自分のポケットにしまった。
「ぁ……?」
「短時間なら、なくてもいいだろう?」
「………」
左目のガーゼは一応テープで留めてあるので外れることはない。
リョーマが薄く頬を染めて手塚を見つめると、手塚は笑みを消して真っ直ぐにリョーマを見つめた。
そうして見つめ合ったまま、手塚はリョーマの制服を乱してゆく。
やがて手塚の手がリョーマの肌に辿り着くと、リョーマは熱い吐息を零して手塚に身を預けた。
「ぁ……ぶちょ……っ」
下着の中に入り込んだ手で直に性器を撫でられ、リョーマの身体が崩れ落ちそうになる。
「ベンチへ…」
「うん…」
力の入らないリョーマの身体を手塚が支えながら、部室の窓際にある年代物のベンチに二人はゆっくりと腰を下ろして見つめ合う。
もう何度もこのベンチの上で手塚と触れ合った。
今では、このベンチの軋む音を聞くだけで、条件反射のようにリョーマのカラダが熱を帯びてしまうほどだ。
「ぶちょ…」
身体の奥が堪らなく疼いて、縋るように手塚を見つめると、手塚はふわりと微笑んでリョーマに軽く口づけ、いつものように跪いてリョーマの中心に顔を埋めた。
「ぁ………っ」
手塚の口内に先端を含まれただけでリョーマの身体がビクビクと痙攣を起こす。これから与えられる快感を思い出して、小さく腰が揺れる。
「ぁ、ん…っ」
期待通りに甘い刺激を与えられてリョーマは仰け反った。
全体をすっぽりと含まれ、きつく吸い上げられながら引き出され、再び熱い感触に包み込まれる。それを何度も繰り返されていくうち、リョーマの呼吸は喘ぐような不規則なものへと変わっていった。
「は…あっ、ぁ…っ」
先端を丁寧に舐め回され、幹を手で扱かれると、もうリョーマの思考は跡形もなく吹き飛んだ。
「ぶちょ……イクッ、出ちゃ…う…っ!」
だが、いつもはリョーマが限界まで来るとすぐに刺激を強めてイかせてくれる手塚が、今日は刺激を強めるどころか、口からリョーマを解放してしまった。
「や……っ」
身体の脇で両手をグッと握り締め、リョーマは縋るように手塚を見つめる。しかし手塚はチラリとリョーマを見遣ってから、今度はヤワヤワと袋を唇で刺激し始めた。
「ぁ……ぁ……っ」
もどかしい刺激にギュッと目を瞑って耐えていると、袋を滑り降りてゆく指の感触を感じ取り、リョーマは薄く目を開いた。
「な……」
手塚の指先が、後孔の淵をなぞる。
「そこは……や……っ」
手塚はまたチラリとリョーマを見遣り、いつの間にか濡らされている指先を、ゆっくりとリョーマの胎内へ埋め込んでゆく。
「あ……ぁ、ぁ……」
「痛いか?」
リョーマに目線を合わせて手塚が尋ねてくる。
「ぁ……」
リョーマは唇を震わせて手塚を見つめ、だが、小さく首を横に振った。
「越前…」
「ぁ、んっ」
手塚がしっとりと口づけながら、指の付け根までリョーマの胎内に入り込んでくる。
「んっ…ん、ぅ…」
奥まで入り込んでいた指は、今度はゆっくりと引き出され、そうしてまた再び深く埋め込まれてくる。ゆっくりゆっくり、何度か抜き差しを繰り返され、その異物感にリョーマが慣れ始めた頃、いきなり最奥を緩く掻き回された。
「…っ?」
手塚に口づけられながら、リョーマの身体がビクンと硬直する。
(なに、今の…っ?)
手塚の指先が一瞬、何かとてつもなく感じる場所を掠めた気がする。
「ぶちょ……なんか……」
違和感の正体を確かめたくて、手塚の身体を少しだけ押し返して見上げる。
「今の……なに…?」
「『今の』?」
「………」
リョーマが頬を染めて口を噤むと、手塚は小さく笑ってまたリョーマに口づけた。
「……いつかは、ここに、俺を受け入れてくれ」
「え……」
「身体の奥深くで、俺を感じて欲しい」
「ぁ……ひっ」
グッと深い場所を押し上げられ、リョーマは息を飲む。
「っう……あ……っ」
「越前…」
きつく抱きすくめられ、胎内の一番感じる場所を押し込まれた途端、リョーマはいきなり熱液を噴き上げた。
「ぅあっ!……はっ、んっ、あぁっ」
手塚に抱き縋り、胎内の手塚の指を思い切り締め付けながらリョーマは身体を痙攣させる。
やがてすべてを吐き出し終えると、手塚がリョーマの顔を覗き込んできた。
「越前…お前……後ろだけで…?」
「………え?」
はあはあと乱れた呼吸のままで手塚を見つめると、手塚が熱い吐息を零しながらリョーマにチュッと口づける。
「こんなに感じやすい身体だとは……」
「?」
手塚の言っていることはよくわからなかったが、リョーマは未だに胎内に留まっている手塚の指を締め付けて唇を震わせた。
「も……や、だ……抜いて…」
「あぁ…」
手塚が名残惜しげにリョーマの後孔から指を引き抜くと、その感触にリョーマは「んっ」と小さく呻いた。
「気持ちよかったか?」
「………よくわかんなかった」
正直に応えると手塚は小さく笑った。
「………もどかしいな…」
「え…?」
手塚がまたぐっとリョーマを深く胸に抱き込む。
「指なんかじゃなく、俺で、もっと感じさせたい……」
「………」
熱く熱く耳元に囁かれて、リョーマは軽い眩暈がした。
思わず手塚を求める言葉を言いそうになり、キュッと唇を噛む。
「越前……」
手塚に熱っぽく見つめられ、甘く口づけられる。
ここに来てからもう何度も口づけられているのに、手塚から唇を寄せられるたびにリョーマの心臓が跳ねる。
目を閉じ、薄く唇を開いて手塚を受け入れると、手塚が深く舌を絡めてきた。
(好き……)
胸の中に熱い想いが込み上げてきて、リョーマは自分からもそっと手塚の舌を吸ってやった。
手塚の口づけがさらに深く激しくなる。
(これ以上したら……)
自分の理性が揺らぐのを感じ、リョーマはそっと、手塚の身体を押して唇を離した。
リョーマの気持ちを察したのか、手塚は小さく溜息を吐き、リョーマの髪を撫でる。
「……帰るか?」
本当はまだ手塚とここに居たかったが、リョーマは小さく頷いた。
「ぁ……ごめん、汚した……」
手塚の袖に自分の放ったものがかかってしまっていたことに今さら気づき、リョーマが頬を染める。
「あぁ……」
手塚はポケットからハンカチを取り出して、袖にかかったリョーマの愛液を拭う。
「ごめん…痕、残る?」
「まだ乾いてないから大丈夫だ。……それに痕が残っても、お前が後ろだけでイった記念になる」
クスッと小さく笑われて、リョーマはグッと言葉に詰まった。
「お前も少し汚れてしまったな…」
そう言いながら手塚がリョーマの下腹部をハンカチで拭い、太股にまで飛んでいた飛沫も優しく拭き取ってくれた。
さらには服まできちんと直してくれ、優しく眼帯をつけてくれる手塚に、リョーマが小さく「過保護」と呟くと、手塚はどこか楽しげに笑った。
「でも、ありがと」
礼を言ってリョーマが頬を染めると、手塚がまたリョーマの髪を撫でる。
「………また…ココアを買っておく」
「え…」
ふわりと微笑んで手塚が立ち上がった。
「ぁ……うん……」
ココアを買っておくから、また生徒会室に来いと。
そうして、ココアよりももっと甘い時間を与えてやると、言われた気がした。
「今度は、アンタも一緒に飲もうよ…」
自分だけ、蕩けるような甘い想いを受け取るのは嫌だから。
本当は手塚も一緒に、この甘さを感じて欲しいから。
すぐにはまだ無理かもしれないが、絶対に、二人で甘さを分け合う日が来るから。
「一緒に、飲も…」
ぼそりと、呟くようにリョーマが言うと、手塚は「そうだな」と言って頷いた。













二人で部室を出て、いつものようにバス停に向かう。
「ぅ…」
「どうした?」
小さく呻いた声を聞き漏らさず、手塚がリョーマの顔を覗き込む。
「……ちょっと…」
「傷が痛み出したか?」
「ん…」
「少し熱いな」
リョーマの眼帯の周辺に手を当てた手塚が眉を顰める。
瞼の傷口が熱を持っているようだった。鼓動と同じリズムで傷が疼く。
「すまない。やはりすぐに帰した方がよかった」
「べつに。こんなの、なんでもない」
優しく髪を撫でられ、リョーマはニッコリと微笑んだ。
到着したバスに乗り込むと、乗客は数えるほどしかいなかった。
「なんかアンタとバスに乗ると、いつも乗ってる人、少ないよね」
最後部座席に座りながらリョーマが言うと、手塚も頷いた。
「その方がいいが、な」
そう言って手を握られ、リョーマも笑いながら握り返す。
「ホントに誰もいなかったら、ここでも襲われそう」
「ばか」
繋いでいない方の手で、優しく額を小突かれる。
「リクエストされたら襲いたくなるだろう」
「リクしてないってば」
軽い冗談を言い合い、二人でクスクスと密かに笑う。
こんなふうに優しい時間を取り戻せたことを、リョーマは心の底から嬉しいと感じる。
きっと手塚が『あの人』だと、そう、リョーマのシンデレラなんだと認めさせることが出来た時には、今よりももっと、優しく、甘く、そして狂おしい時間が待っているのだろう。
(だいたい見当はついたんだ……後は、オレ次第、かな…)
手塚にそっと身を寄せながら、リョーマはグッと唇をひき結ぶ。
リョーマの『仮説』が正しければ、自分と手塚は、とても強い絆で結ばれていると思える。
運命、などという言葉以上に、奇蹟のような繋がりだと。
だからこそ手塚は、その絆の深さに戸惑い、しかし、確かめたいのだろう。
この先もずっと、自分たちが世間では疎まれる同性同士の恋愛をしていくなら、尚更に。
自分の想いに疑いはない。
だが、自分だけが想っていても恋愛は成り立たない。
自分と同じくらい相手に想われなければ『恋愛』にはならないのだ。
そして、相手が自分と同じくらい自分を想ってくれないならば、手塚は、きっと身を引く覚悟すら、しているのだろう。
手塚はリョーマを手放さないと言った。いや、手放せないのだと。
だが、そう宣言はしていても、二人の関係が『恋愛』で在り続けられないならば、たぶん手塚は、いつかリョーマの前から姿を消す。
なぜなら、愛するということは、相手の幸せを願うということだから。
自分に縛り付けることによって、リョーマが、本当の幸せを得られないと悟ったならば、手塚はきっと、心で血を流しながら離れていくのだろう。
手塚国光は、そんな男だ。
だからこそ、リョーマは、そんな手塚が好きで堪らない。
(大丈夫。アンタには失望も、絶望も、させないからね)
すべての鍵は、きっと自分の中にあるとリョーマは思う。
だから、なんとしてでも、その『鍵』を、見つけ出してやる、と。
「……早くアンタと、甘いココアが飲みたい…」
そう言ってリョーマが手塚の肩に頭を乗せると、手塚は甘い吐息をそっと零した。
「だがココア自体は、甘くないのだと知っているか?」
「え…?」
「砂糖を入れないココアは、ひどく苦いんだ。昔は薬としても使われていたんだぞ」
「……ふーん…」
なぜ手塚が急にそんなことを言うのかわからなかったが、リョーマはその言葉にも、何か大切な手塚の想いが込められているのだろうと感じる。
「………傷が治ったら……」
「え?」
「いや…」
手塚が何かを言いかけ、言い淀んだのとほぼ同時に、間もなく駅に到着するというアナウンスが車内に響いた。
「傷の痛みは、ひどくなってきていないか?」
話題を変えられ、リョーマはそっと、手塚から身体を離す。
「病院で一応痛み止めもらってあるから、後で飲むよ」
「そうか……今日は早く寝るんだぞ」
「うん」
やがてバスが駅に到着すると、手塚はリョーマの手を引いたままバスから降りた。
「ちゃんと見えてるから大丈夫だってば。ホント過保護」
「怪我人は大人しくサポートされていろ」
「はーい」
戯けて返事をし、手塚を見てクスクス笑うリョーマを、手塚は愛おしげに見つめる。
「本当なら家まで送り届けたいところだ」
「部長も疲れてるんだから、そこまではしなくていいよ」
「そうだな。お前が無茶ばかりするから、精神的に疲れたようだ」
「なにそれ」
軽口を言い合いながらホームに上がり、すぐにやってきた電車に乗り込む。
他愛もない話をしているとすぐにリョーマの降りる駅に着いてしまい、二人は小さく苦笑しながら見つめ合った。
「じゃ、また明日ね、部長」
「ああ。気をつけて帰れよ」
「うん」
何度も交わした会話だったが、今日は特別に甘く感じた。
「越前」
「はい?」
「待っている」
静かに、穏やかにそう言う手塚を、リョーマは真っ直ぐに見つめた。
「…………うん」
しっかりと頷くリョーマの目の前で、ドアが静かに閉まってゆく。
このドアは、もう手塚と自分とを隔てるものではないのをリョーマは知っている。
なぜなら、手塚の心が、すぐ近くにあると感じるからだ。
そして、暫しの別れを惜しむより、やらねばならないことがわかったから。
リョーマはその場に佇んだまま、電車を見送った。
「待っててね、部長」
そっとそれだけ呟き、リョーマは加速してゆく電車に背を向けて階段を下りてゆく。

シンデレラを捕まえるために、リョーマの心も、加速を始めた。







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20080325