シンデレラをさがせ!


    風 邪    

<1>





確かめなければならないことがある。
結局五時間目の授業をサボってしまったリョーマは、手塚の名を出しただけで教師からは何も疑われることなく六時間目の授業に復帰していた。
教科書をボンヤリと眺めながら、リョーマの頭の中は授業とは全く違うことを考える。
(なんで乾先輩はあんなこと言ったんだろう)
部室でリョーマが乾に、あの空港での出来事を話した時、乾は確かに「覚えて」いた。
リョーマが言う前に「成田空港で」と具体的に場所まで口にした。
あの後のリョーマの体調のことまで心配してくれた。
(それに、眼鏡のことも…)
眼鏡、と言っただけで、乾にはそれが何のことかもわかっていた。
(でも、あの空港では『あの人』の傍には誰もいなかったよな……)
もしも連れ立って一緒にいたのなら、いくら体調が悪くてもリョーマにもわかったはずだし、リョーマを送ってくれたのは『あの人』一人だった。途中誰かに断りを入れる様子はなかったから、『あの人』は一人で空港に来ていただろうと思える。
(あれ……でも…待てよ…?)
そう言えば乾が奇妙なことを言っていたのを思い出した。
(アレって、どういう意味…)
「越前」
いきなり教師に指名された。
「はい」
「ここに入る前置詞は?」
「ぜんちし……ああ、えーと、『at』」
黒板にある英文を見て即答すると、教師は満足げに頷いた。『日本の英語の授業』にだいぶ慣れてきたリョーマは、細かい文法を訊かれても対応できるようになってきた。
(文法ばっか勉強したってあんまり意味ない気はするけど…)
ひとつ溜息を吐いて自分の思考に戻る。
(あの言葉……そっか……もしかしたら乾先輩は………)
だが、頭に浮かんだリョーマの考えが正しかったとしても、『声』と『コロン』の謎は残る。
(本人に訊いてみるしかないか……)
リョーマは小さく溜息を吐いて窓の外に視線を向けた。
(あ…)
グラウンドでは三年の体育の授業が行われていた。
(部長、だ…)
どこにいても手塚は目立つと思う。
だが、手塚の学校用のジャージ姿を見たことがなかったリョーマは、とてつもない違和感を覚えて眉を顰めた。
(ヘンなの)
それでも、頬が熱くなる。
手塚が着ていると、学校用のジャージもまんざら悪いデザインではないように見えてしまうのが悔しい。
(ああ、もう……っ)
どんどん熱くなる頬をクールダウンさせたくて、リョーマは無理矢理手塚から視線を外した。
ところが、頬の熱はクールダウンするどころか、頭の中に勝手に再生され始めた光景に、ますます熱くなってきた。
それは、先程の保健室での光景。
手塚に抱えられて向かった保健室で、養護教諭の許可を得てベッドに横になったリョーマは、教諭が席を外した途端に手塚に襲われたのだ。
もちろん、襲われたと言っても唇を奪われただけではあったが、あまりにも濃厚で熱っぽい口づけに、リョーマの身体は反応してしまい、下半身の昂ぶりを手塚に気づかれないように誤魔化すのに苦労した。
(あの人……手が早いっつーか……)
最初にリョーマが感じたように『軽い』わけではなかったが、リョーマが手塚の想いを受け入れた途端、手塚は甘い攻撃を始めた。
(オレが、『あの人』をちゃんと見つけるのが先か、部長に落とされちゃうのが先か……)
はぁ、と深い溜息を吐く。
何としても手塚に落とされる前に『あの人』の証拠を手塚に突きつけたい。
(そう簡単に落とされてたまるか)
これは男としてのプライド。
いや、もしかしたら手塚も、証拠を突きつけられる前にリョーマの全てを自分のものにしたいと考えているのかもしれない。
(とんだシンデレラ、だよな)
クスッと、小さな笑みが漏れる。
今のところ勝負は、たぶん、五分五分。
(タイブレークって感じ?)
その甘いタイブレークに勝利するべく、リョーマはやはり、まずは乾と話をしようと思った。





ところが。
「え?風邪っスか?」
放課後、部活に出てこない乾のことを短い休憩時間にそっと大石に尋ねると、苦笑しながら「風邪で体調不良だって」と言われた。
「体調管理もプレイのうちだって、自覚ないんスかね」
「きついなぁ、越前」
また大石が苦笑する。
「最近は乾が練習メニューを考えてくれているだろう?ここのところちょっと夜は冷えたから、風呂上がりに薄着でパソコンに向かっていたんだと思うよ」
「ぁ……」
リョーマがレギュラー入りしたことによって乾がレギュラー落ちをしてしまった。それ以来、乾がレギュラー達の練習メニューを組んだり、一人一人の分析をして、体調管理や食生活の改善に至るまで個別に指導などもしてくれている。
「大石先輩、後で乾先輩の住所、教えてくれません?」
「え?……まさか、越前が見舞い……?」
「…なんスか、その、スゴイ意外そうな顔は」
目を真ん丸くして言葉を失っている大石をチラリと睨んでから溜息を吐く。
「…ちょっと訊きたいことがあるんスよ」
「訊きたいこと?……そうか、何か練習メニューのこととかで訊きたいんだな?でも今日くらいは静かに寝かせてやった方がいいと思うぞ。練習メニューのことなら手塚に訊けばほとんどわかるし」
どこか説教をするように優しく話す大石に内心苦笑しながら、リョーマは素直に「わかりました」と言ってその場を離れた。
手塚はまだ来てはいない。
昼休みに準備室に入ってきた生徒会役員二人が言っていたように、今頃はきっと委員会を開いているのだろう。
(「俺を好きになってくれ」……か……)
手塚の真剣な熱い瞳を思い出し、リョーマの頬が熱を持つ。
(もう、すごく好きなんだけど……)
手塚のことが好きだと気づいた途端、恋情は加速しながらリョーマの心を占領してゆく。
そして今もその加速は続いていて、もう自分では抑えることができないほど膨れあがっている。
「はぁ……」
フェンスに寄りかかるようにして佇んでいると、深い溜息が出た。
それはとても甘くて熱い、恋情の欠片。
「ずいぶん色っぽい溜息だね」
ふいにすぐ近くから声を掛けられて、リョーマはビクリと身体を揺らした。
「誰のことを考えていたの?」
「ぇ……」
リョーマが視線を向けると、ニッコリと微笑む不二がいた。
「なんスか、色っぽいって。そんなんじゃないっス」
「ふぅん。……ま、いいけど」
「何か用っスか?」
少しキツイ視線を向けると、不二の笑顔がほんの少しだけ崩れる。
「…乾に何を訊きたいの?」
「え…」
リョーマが反応するより早く、不二が覆い被さるようにしてフェンスと自分の身体でリョーマを囲い込み、その切れ長の瞳でリョーマの瞳を覗き込んできた。
「乾の住所、大石に訊いていたでしょ?」
ギシ、と音がして、リョーマの両側で金網を掴む不二の手に力が込められたのがわかる。
「べつに」
臆せず、真っ直ぐ不二の瞳を見つめ返しながらリョーマが言うと、不二は微笑んだ。
「何か、わからないことがあるなら乾じゃなくて手塚に訊けばいいのに。……手塚に訊けないことは、僕でもいいけど」
「………はぁ」
あからさまに乾を遠ざけようとする不二の本意がわからなくて、リョーマが眉を寄せて曖昧に返事をすると、不二がまた笑った。
「僕が知っていることなら、何でも教えてあげるよ?」
「………」
「恋愛の始め方、とか」
「は?」
「不二!」
リョーマが顔を顰めるのと、きつい口調で不二の名が呼ばれるのはほぼ同時だった。
「何をしている。練習中だぞ」
「部長……」
リョーマと不二が同時に向けた視線の先に、手塚が無表情のままこちらに歩いてくるのが見えた。だがリョーマが少しホッとして小さく微笑むと、手塚の表情も微かに和らいだ。
「あれ?」
リョーマに覆い被さった体勢のまま、首だけを手塚の方へ向けて不二が首を傾げる。
「早かったね、手塚」
「………」
不二の注意が手塚に向いた隙を見て、リョーマは不二の腕を潜るようにしてその柔らかな檻から抜け出した。
小走りに手塚の方へ向かうと、手塚の表情がはっきりと和らぐ。
「……なに?もう、そういうことなの?手塚」
「そういうことだ」
「でも、まだ、でしょ?」
「………ああ」
わかるようなわからないような会話を交わして、手塚と不二が暫し睨み合う。
「部長?」
「……とにかく、今は部活中だろう。集中しろ」
見上げてくるリョーマに優しい視線を向け、不二には改めてもう一度きつい視線を送ってから、手塚はリョーマの頭をポンと叩き、大石のもとへと向かった。
「………ふぅん」
手塚の背中を見送っていた不二が、そう言ってからリョーマを振り返った。
「手塚と付き合うの?」
「ぇ……」
言葉で肯定するより先に頬が熱を持ってしまった。慌てて帽子の下に隠しても、不二の目は誤魔化せない。
「……でも越前は、まだ素直に手塚を全て受け入れているわけではない、ってところかい?」
「………」
今度は肯定の意味を込めて黙っていると、不二はいつもの微笑みを浮かべて頷いた。
「それなら、まだまだこれから、かな。……ねえ、越前」
微笑む不二の髪を、柔らかな風がふわりと揺らす。
「風邪には、注意してね」
「……は?」
「こじらせると大変だから、ね?」
「はぁ」
唐突に気遣われて、リョーマは首を傾げながらも小さく頷いた。
「だから、乾のところへは、今日のところは行かない方がいいんじゃない?風邪、うつるからね」
「………っス」
ペコリと頭を下げてリョーマは手塚の後を追いかけた。
(なんでそんなに乾先輩とオレが話すのを止めようとするんだろ…)
チラリと振り返ると、不二はこちらを向いてニコニコと笑っていた。
(なんか……何考えてんのかわかんなくて……苦手)
大石と話す手塚のすぐ傍まで来たリョーマは、だが、あと一歩近づけずに立ち止まり、近くのフェンスに寄りかかった。
「ぁ、越前、早速手塚に質問か?」
「ぇ……ぁ……いや、べつに…」
リョーマを見つけた大石がニコニコと微笑みかけてくる。
「質問?」
手塚が怪訝そうにリョーマを振り返る。
「ああ、何か練習メニューのことで乾に質問があるみたいなんだけど、今日は乾が休みだからさ。手塚に訊けばいいって、さっき話したところなんだ」
「乾に…?」
手塚の眉がピクリと上がるのがリョーマにはわかった。
「越前、その話は練習のあとで聞こう。それでいいか?」
「……ういっス」
コクンと頷くと、手塚も小さく頷いた。
「大石」
再び手塚がリョーマに背を向ける。
「ああ、こっちの話の続きだな」
大石が抱えていたバインダーを覗き込むようにして二人がまた練習についての打ち合わせを始める。
一人取り残された気分になったリョーマは、溜息を吐いて足下に視線を落とした。
(ホント……部長に訊けば、全部がわかるんだろうけど……それじゃぁ、意味ないし……)
リョーマの探す『あの人』は手塚だと思う。
数日前に、手塚とシンデレラの話をした時からその仮説はずっと心にあったが、「声が違うから」という理由で確信はなかった。
だが先程手塚に抱き締められ、抱き上げられ、その時感じた自分の「感覚」をリョーマは信じることにした。それは直感とも言うのかもしれないが、自分を包む手塚の腕の温かさは、『あの人』と同じだった。
(名乗らない理由は、「オレに、見つけて欲しいから」……だよな)
しかし手塚は、あのシンデレラの話をした時に、こうも言っていた。

『唐突で、一瞬にも思える短い出逢いであっても、人はその一瞬のうちに本気の恋に落ちることがあるのだと……信じたかったんだ』

シンデレラのこと、とは言っていたが、きっとあれは手塚の本心だろう。
先程も手塚は『初めて出逢った時に、俺はお前に恋をした』と言っていた。
(じゃあ、本当は部長自身も、最初は恋だって思っていなかったのかな…)
それが、あの八重桜の下で再会して、恋だと気づいた、と。
(いや、待てよ?)
もし今考えたような流れであるなら、あの眼鏡の意味がわからなくなる。
あの黒縁の眼鏡は『あの人』が置いていったものだ。そしてそれが、『あの人』を探す手掛かりだというなら、辻褄が合わない。
「…………」
リョーマは眉間にシワを寄せて考え込んだ。
(……これは、乾先輩よりも、あの眼鏡の方を先に調べた方がいいってことか……)
小さく溜息を零すと、いきなりペシッと頭を叩かれた。その叩き方だけで、それが誰であるかわかる。
「………っ」
「招集かかってんぞ、越前」
予想通り、見上げた先には桃城の笑顔。見渡せば近くにいたはずの手塚たちの姿はすでにない。
「お前、たまにボーッとしてるよな。歩く時はボーッとしないで、ちゃんと前見て歩けよ?」
「え…?」
「あ?だから、歩く時はボーッとすんなって……」
「ぁ……ういっス…」
ふいに、既視感に囚われる。
今と同じような場面を、どこかで体験した。
それはとても曖昧で、全体に霧がかかったようなボンヤリとした記憶。いや、記憶と言うにはあまりにも不鮮明で、その断片すら映像は浮かんでこない。
感覚のみの、記憶。
(なんだろう……)
よくある台詞かもしれない。
よくあるシーンかもしれない。
でも、心に刻まれた『何か』があった気がする。
今、このタイミングで既視感を感じたことに、何か繋がりがあるのかもしれない。
(考えすぎ、かな)
「ほれ、行くぜ、越前」
「ういっス」
桃城の後について歩き出しながら、リョーマは帽子を深く被り直す。
(さすがタイブレーク……手強いね…またわかんなくなってきた…)
このままでは手塚に一歩も二歩もリードされてしまいそうだ。
(アンタには負けたくない)
いや、負けてはいけない気が、する。
もしも、自分が『あの人』をつきとめないまま手塚のものになってしまったとしたら、手塚は、自分の恋が一方通行なのだと一生思い続けるかもしれない。
例えこの先リョーマがどんなに好きだと手塚に伝えても、きっと自分の方がリョーマのことを強く想っていると、手塚は心のどこかに落胆を抱えて生きるのだろう。
(そんなの対等な恋愛じゃない)
だから、負けられない。
負けるわけにはいかない。
手塚のためにも、自分のためにも。
「…っし!」
「ぉ、なんだよ越前、気合い入ってんなぁ」
前を歩いていた桃城が振り返って笑う。
「当然っス」
桃城が言ったのとは違う意味ではあるが、気合いを入れ直す。
とりあえずは部活の後で手塚と二人きりになった時に、流されないようにしなければならない。
(…あんまり自信はないけどね)
しかし手塚は、リョーマがセクハラだと言って手塚にさせていた以上のことはしないと言った。たぶん、リョーマの口から「好きだ」と言わない限り、「その先」へ進むつもりはないということなのだろう。
(好きって、言わないようにしないと……)
それは手塚にとっては酷なことのようではあるが、リョーマの本心を伝えるのは、今、このタイミングではない。
感情に流されて手塚を傷つける前に、ちゃんとシンデレラを見つけてやらなければならない。
部長で、生徒会長で、優等生かと思えば堂々と授業をサボる口実を作り上げる狡猾さまで持っている手塚。
冷静で、大胆で、だがその心の奥には、とてもデリケートな部分がある手塚。
そのアンバランスな危うさが、手塚を、ただの不遜な男に見せないでいるのだろう。
(オレ……もうアンタに結構ハマっちゃってる、みたい…)
招集場所に着き、練習メニューの説明を大石に任せて横で腕を組んで佇む手塚を、リョーマは帽子の影からそっと見つめる。
(待っててね、部長……絶対アンタに、好きだって、ちゃんと言うから……)

だが、手塚を想うが故の行動が、些細なすれ違いを生むことになるとは、リョーマは思ってもみなかった。







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20071118