シンデレラをさがせ!


    生徒会室    

<3>





強ばるリョーマの身体に心臓の音が大きく響く。
「会長戻ってこないですね」
「あの人強豪テニス部の部長だからね。大会もそろそろ始まるし、掛け持ちは大変なんじゃないかな」
どうやらミーティングの途中で何かを取りに来たらしい二人が薄いドア一枚隔てた向こうで会話している。
「ぁ、あったあった。コレですよね?」
「ああ、そうそう。それを今日の放課後の委員会で各委員会の委員長たちに配ろうと思うんだけど…」
こちら側に人がいることなど全く気づく様子のない二人の会話に安堵し、リョーマが身体の力を抜いた途端、再び手塚にグッと抱き締められ、口づけられた。
「んっ」
身長差のために仰け反るように上向かされて開いた唇から、深く入り込んでくる手塚の舌にリョーマの舌は呆気なく絡め取られる。
「ん…んんっ」
呼吸すら奪われるように唇も身体も拘束されて、リョーマは苦しさに眉を顰め、小さく声を漏らす。
「あれ?今なんか声がしなかった?」
「!」
薄いドアの向こうにいる生徒の一人がこちらの気配に気づいたようだった。
「資料室かな?」
ガチャガチャとドアノブが回される。
「……っ」
鍵がかかっているとはいえ、何かの弾みでドアが開いてしまうのではないかと、リョーマの身体が再び強く強ばった。
こんなシーンを見られては、何も言い訳ができない。
すぐさま学校中に自分と手塚の噂が広まり、そして手塚は、一気に信頼や信用を失くしてしまうことだろう。
「………」
手塚が、ゆっくりと唇を離す。
「声を上げていいんだぞ。俺に襲われていると叫んで、助けを求めればいい。そうでもしないと、俺はお前を手放せない」
耳元で囁かれ、リョーマは無言のまま手塚を見上げてギッと睨みつける。
「…資料室の鍵って会長が持っているんだよな。じゃあ、開いてるわけないか。気のせいだな」
「うわ、もしかして昼間から幽霊、ですか?」
「まさか」
笑い声が遠ざかってゆく。
そうしてバタンと、向こう側のドアの閉まる音が聞こえた。
「………」
「………」
リョーマと手塚の周りに、静寂が戻る。
「……なぜ助けを求めなかったんだ?」
揶揄うでもなく、手塚が真っ直ぐな瞳を向けて問うてくる。
「………」
その真っ直ぐに向けられる手塚の瞳を、リョーマはきつい瞳で睨み返した。
「…やっぱ、アンタなんか大ッキライだ」
「…え」
「大ッキライ」
「………」
手塚は何も言わずに眉を寄せた。
真っ直ぐな手塚の瞳から、リョーマは目を逸らす。
「アンタのこと、ちゃんと考えようって思って、……考えた俺がバカだった」
「ちゃんと考える?」
「アンタのこと、好きかもしれないって思ったけど……やっぱ違う。大ッキライだ」
手塚が大きく目を見開く。
「えちぜ…」
「大ッキライ」
手塚の身体を押し退け、リョーマがドアに向かうのを手塚が腕を掴んで引き留める。
「待て」
「ヤダ」
「越前」
「離せよ」
藻掻くリョーマを手塚が強引に引き寄せる。
「お前が好きなんだ」
リョーマの動きがピタリと止まる。
「……………は?」
きつく眉を寄せて、リョーマはゆっくりと手塚を見上げた。
「初めて逢った時から、お前のことが気になって…いや、初めて出逢った時に、俺はお前に恋をした」
「なに、言って…」
「本当だ」
「そんなの………じゃあ、部長が今まででたった一人好きになった人って……」
「ああ。お前だ、越前」
射抜かれそうなほど強い瞳で見つめられ、リョーマは目を見開く。
「ウソ……」
「どうすれば信じてくれるんだ」
どこか悲しげに手塚の表情が曇り、リョーマは言葉を失くす。
(この目……見たことある…)
最初は部室でキスされそうになって動揺したリョーマが手塚を詰った時。それから、あの八重桜の樹の下でも、見た。
リョーマの胸を締め付ける、切なげな瞳。
「お前が『そう言うシュミはない』と言うから、諦めようかとも思った……だが、少しでも、俺のことを好きかもしれないと聞いてしまった以上、俺は全力でお前を振り向かせる」
切なく揺らいでいる手塚の瞳に、艶めく焔が仄かに灯る。
「………」
「俺と付き合ってくれ、越前。…俺を、好きになってくれ」
縋るように真っ直ぐ向けられる手塚の瞳は今、リョーマだけを映す。
その瞳を見ればわかる。
手塚は、嘘を言っていないと。
「だって……あんなふうに、軽く言うから……」
「………あの時、いきなり今みたいに本気で言ったら、お前は俺から距離をとってしまって、話すどころではなくなってしまうだろう?」
「まぁ……そう、だろうけど…」
「越前」
リョーマの腕を掴む手塚の手に、さらに力が込められる。
「セクハラだと言って、俺にさせていたこと、嫌じゃなかっただろう?」
「………」
薄く頬を染めて、リョーマは口を噤む。
「俺の肌に、触れてみたいと、思ってくれたんだろう?」
一気に頬が熱を持ち、リョーマは手塚から視線を逸らす。
「ならば、俺と付き合ってみないか。お前がセクハラだと言っていた以上のことはしないから、俺と、付き合ってみてくれ」
「………」
「付き合ってみて、俺をもっと知ってくれ。お前のその強い瞳で、強い心で、俺を見て、感じて、そうして俺のことを好きかどうか、答えを出してくれ」
「……アンタのこと知って、もっとキライになったら?」
上目遣いで手塚を睨みながらリョーマが問うと、手塚はふっと表情を和らげた。
「その時は、その時だ」
手塚は、口ではそう言いながら、その瞳には、仄かな自信が見えた。それがリョーマには悔しい。
まるで自分の心を見透かされているような気がしたから。
(だってオレはもう、アンタのこと、好きになってる……)
「越前」
先程までとは違う優しく穏やかな声で、リョーマの大好きな声で、手塚が尋ねる。
「俺と、付き合ってくれるか?」
「………」
手塚をじっと見つめたまま、リョーマはしばらく逡巡した。
だが答えはきっともう、決まっていた。
「………よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げると、顔を上げる前に手塚に抱き締められた。
「ありがとう、越前」
「ちょっ……苦し…」
ギュウギュウ抱き締められて、終いにはリョーマは小さく笑い出してしまった。
「やっぱ、アンタよくわかんない人っスね」
笑ってそう言いながら抱き締め返してやると、手塚の身体がピクリと揺れ、さらに深く抱き込まれた。
「俺を好きになってくれ……越前…」
祈るように手塚が呟く。
「ちゃんと、俺を……」
顎を掴まれ、口づけられる。
「ん…」
今までの口づけの比にならないくらい、甘く熱く舌を絡め取られ、リョーマの全身から力が奪われてゆく。
縋るように手塚にしがみつくと、そっと唇を解放され、優しく、こつんと額をぶつけられた。
「越前…」
甘い声で名を呼ばれ、心地よくて目を閉じるとまた口づけられた。
あまりの心地良さに蕩けてゆく思考の中で、リョーマはふと考える。
(……この人は『あの人』じゃない…)
なぜならば。
もしも手塚が、あの空港でリョーマを助けてくれた人物であるなら、今、その時のことを話すはずだからだ。そうすればリョーマの中で手塚の株が一気に上がるのだから。
なのにそれをしないと言うことは、手塚はあの時の『あの人』ではないのだろうと思える。
(でも……この感じ……)
リョーマは手塚の胸に頬を擦り寄せてみる。
(似てる、とは思うんだよな……)
あの空港で自分を抱き上げてくれた男の胸に頬を寄せた感触と、今こうして手塚の胸に頬を擦りつけている感触は、よく似ている。
(でも、じゃあなんで名乗らない……)
「ぁ…」
手塚の腕の中で、リョーマは急に閃いた。
「どうした?」
甘い空気に浸っていたらしい手塚が、怪訝そうにリョーマを覗き込む。
「………なんでもない」
(だから、シンデレラ、なんだ……)
漸く、一歩『あの人』に近づけた気がした。
「ねえ」
手塚の腕に包まれながら、リョーマは真っ直ぐに手塚を見上げた。
「やっぱ、シンデレラを見つけたら、そのあとでアンタに言うことができた」
「え…?」
「でも、シンデレラは、オレが、自分で、見つけるから」
「………」
どこか宣告でもするように、ひと言ひと言に想いを込めて言う。
そうして挑むような瞳で手塚を見つめると、手塚は一瞬黙り込んでから「わかった」と言って小さく笑った。
まだまだ謎はたくさんある。
残された眼鏡のこと。
コロンのこと。
そして何より『声』のこと。
それらを全て自分自身の手で解き明かした時、やっとリョーマは本物のシンデレラを捕まえられるのだろう。
(大丈夫。シンデレラが残した『ガラスの靴』の片方は、ちゃんとオレが持っているんだから)
見てくれは『ガラスの靴』とは全然違うが、あの残された黒縁の眼鏡が重要な手掛かりなのは間違いない。
物語の王子が彼女を見つけたように、自分もきっと、本物のシンデレラを見つけてみせる。
そうしてその時初めて、自分の想いを素直に手塚に告げようと、リョーマは思う。
(だからまだ今は、言わない)
手塚の指が優しくリョーマの髪を梳く。うっとりと目を閉じかけ、だがリョーマはふと目を開けた。
「ところでさ」
急に思い出して、リョーマは首を傾げる。
「チャイム、まだ鳴ってないよね?昼休み、すごく長く感じるんだけど……」
「ああ……」
手塚は頷いて腕時計を見、少し黙り込んでから溜息を吐いた。
「……ここにはスピーカーがついていないのを失念していた」
「え!」
「午後の授業が始まって5分ほど経つな」
「ウソッ!」
慌てて出ていこうとするリョーマを、手塚がそっと制止する。
「なに落ちついてんの?遅刻になっちゃったじゃんか」
「今から保健室に行く」
「は?」
落ち着き払っていきなりそんなことを言い出す手塚を、リョーマはマジマジと見つめた。
「……俺は、竜崎先生のところからここへ引き返す途中、気分の悪くなったらしい下級生を見つけ、介抱し、保健室に連れて行った、という設定はどうだ?」
「へ?」
手塚はクスッと笑うと、いきなりリョーマを抱き上げた。
「わっ」
「一石二鳥とはこういうことを言うんだ。お前も俺も、怪しまれることはない」
平然と言いのけ、器用にドアを開けて
さっさと歩き出す手塚を、リョーマは呆然と見つめる。
「………アンタ、優等生じゃないの?」
「これも俺の一面だ。嫌か?こういう俺は」
チラリと視線を向けられてリョーマは目を丸くした。だがすぐにプッと吹き出し、クスクスと笑う。
「べつに。いーんじゃない?」
手塚の首に腕を回してチュッと頬に口づけてやると、手塚が急に立ち止まった。
「……今日の練習のあとは、部室で待っていてくれるな?」
「え?」
じっと手塚に見つめられ、リョーマはまたクスッと笑った。
「いいよ。待っててあげる」
微笑みながらそう言うと、手塚も表情を和らげる。
「……このままお前を攫って学校を抜け出したい気分だ」
「ヤダよ。サボったのがバレたら母さんにぶっ飛ばされる」
「俺もだ」
溜息混じりに言う手塚と目を見合わせ、二人同時に小さく笑う。
「……焦ることはないのだろうな……一歩、お前に近づけたばかりなのだから」
ゆっくりと、手塚がまた歩き出す。
リョーマは手塚の胸に頬を寄せて、そっと目を閉じた。
(この感じ……やっぱり……)
コロンが違う。
声が違う。
でもリョーマの『感覚』は、「間違いない」と訴えてくる。
(『あの人』は、部長だ)
シンデレラは見つけた。
やっと、見つけた。
あとは、ガラスの靴という証拠を見つければいい。
(……それが厄介なんだけどね…)
小さく溜息を吐くと、手塚が眉を寄せてじっと覗き込んできた。
「…本当に気分が悪いのか?」
「ううん」
首を横に振って、手塚の胸に顔を埋める。
「絶対に、シンデレラを見つけなきゃって、思っただけ」
「………」
手塚は小さく「そうか」とだけ言い、それきり何も言わずに歩き続ける。
廊下の窓から柔らかな風が入り込んで、そっと二人の髪を揺らした。
空港で『あの人』と出逢い、抱きかかえられて始まった物語が、こうして手塚に抱きかかえられて新たなスタートを切るのだと、リョーマは思った。











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20071110