シンデレラをさがせ!


    セクハラ    

<2>




「越前」
二人で並んでバスを待っていると、手塚が静かにリョーマの名を呼んだ。
「なんスか?」
「セクハラの言葉の意味、知っているだろう?」
「は?」
何を言い出すのかと怪訝に思って手塚を見上げると、手塚もリョーマを真っ直ぐ見つめていた。
「セクハラは単なる『嫌がらせ』じゃない。性的な意味合いを持った、嫌がらせだ」
「……そんなのわかってるっス。アンタがオレにやったみたいなのが、セクハラだって言いたいんでしょ?」
リョーマにそう言われて一瞬言葉に詰まったらしい手塚は、だがすぐに小さく溜息を吐いて、「そうだな」と頷いた。
「だから、なんスか?」
「ん?……だから、明日は『ちゃんとしたセクハラ』をするのかと思ってな」
「…っ」
ムッとしたリョーマは、きつく手塚を睨んでから、ぷいっと視線を逸らした。
「もちろんっス。アンタが泣くほど嫌がることするから、覚悟しといてね」
「ああ」
静かに笑われて、リョーマはさらに唇を尖らせた。
笑顔を見せる余裕などなくなるくらいに、手塚が嫌がることをしてやらなくてはと思う。
そうでないと、自分があの時、手塚にキスされそうになって感じた気持ちを、手塚は一生理解などしないだろうから。
(ホントに、泣かせてやる)
「だが明日からまた新しい練習メニューが加わるぞ。……身体は大丈夫か?」
「…大丈夫っス」
そう答えてから、リョーマはさっき手塚が言った言葉を思い出した。

『……今日のお前は、少し顔色が悪くて……心配していた……』

リョーマはそっと、手塚に気づかれないように視線を送る。
(部長……オレのこと全然見てないって思ってたけど、ホントはちゃんと、見ててくれたんだ…)
「ん?」
手塚を見つめていたことに気づかれてしまい、リョーマは慌てて目を逸らした。
「…なんでもないっス」
フッと、手塚が笑う気配がする。
(ムカツク…っ)
きつく眉を寄せながら、しかし、頬が熱いのはなぜなのだろうかと戸惑う。
はっきり言って、まだ手塚のことを全て許したわけではない。だから「セクハラ」をして、嫌がらせをしようと思っているくらいだ。
だが、久しぶりに話をして、やはり自分は手塚の「声」が好きだと、リョーマは思う。
(声だけね…)
声は好き。
声だけは、大好き。
(他は全部嫌いだ)
その端正な顔も、真っ直ぐ見つめてくる瞳も、真面目そうで不真面目な性格も、長い指も、しなやかで力強い腕も、全部、大嫌いだと思う。
(ぁ、でも…)
そう言えば、もうひとつ、好きなものがあった。
(部長のテニスは、好きかも)
手塚のテニスは、少しだけ、自分に近いと思う。うまく言えないが、テニスに対して抱いている根本的な何かが、近いように思えるのだ。
(いつか……戦ってみたいな…)
「…どうした?越前」
「え?」
「乗らないのか?」
「あ?」
いつの間にか目の前にバスが止まっていて、先にステップに足をかけた手塚が、怪訝そうにリョーマを見ていた。
「乗る」
憮然として手塚の後に続く。
ほとんど乗客のいない車内を後ろの方に向かって進み、横長のシートに並んで腰を下ろした。
手塚はいつもの癖なのか腕を組み、リョーマは手塚とは反対の方へ顔を向けて、両手をズボンのポケットに突っ込んで座っていた。
(長い脚…)
チラリと手塚の脚を盗み見て、リョーマは小さく溜息を吐く。
何もかもが自分と違う手塚に、小さな敗北感が込み上げる。
「越前」
「……なんスか」
ふて腐れたような声で返事をすると、手塚は少しだけ押し黙ってから、静かに口を開いた。
「…またこうして話が出来てよかった」
「………そっスか」
素っ気なく返事をすると、手塚は苦笑して溜息を吐いた。
「もう二度と俺の前では笑ってくれないかと思っていた」
「……べつに…」
リョーマはゆっくり瞬きをしてから、溜息を吐いた。
「部長って、今まで何人と付き合ったことあんの?」
「え?」
「ま、いいや」
「…………」
手塚は何か言いたげに口を開きかけ、だがぐっと唇をひき結んで黙り込んだ。
(言い訳とか、しないんだ…)
リョーマはまた手塚と反対側へ、顔を背けるように視線を逸らして口を閉ざす。
しばらくして、間もなく駅に到着するという頃になって、手塚が静かに口を開いた。
「…お前は、一日にどのくらい練習時間を取っている?」
「え…?」
「アメリカにいた時もそうだったのだろうが、今も、部活を終えて帰宅してからかなりの練習時間を取っているだろう?」
「まあ……」
何を言い出すのだろうかと眉を引き寄せながら返事をすると、手塚は小さく頷いた。
「俺も、情けないことだが今の生活はいっぱいいっぱいだ。本気で想う相手以外にはわざわざ時間を取ろうとは思わない」
「…そっスか」
カチンと来た。
それはつまり、本当はリョーマに付き合って「セクハラ」されている暇はないのだと、遠回しに言っているのか。
「そりゃ、お忙しいところスイマセンね。でもアンタが先にオレにあんなコトしたんだから、自業自得、ってヤツじゃないんスか?」
「そうじゃない、俺は…」
「駅、着きましたよ」
何か訴えかけてくるような手塚の言葉を遮り、リョーマは立ち上がった。
どうしてかわからないが、手塚の言葉をこれ以上聴いていたくなかった。
「越前…っ」
手塚から逃げるようにバスを降りて駅へ大股でズンズン歩いていると、手塚が後を追ってきた。
「越前っ」
ぐいっと腕を掴まれ、無理矢理手塚の方へ向かされそうになる。
「触んなっ!」
きっぱり言い放つと、手塚の腕からふっと力が抜けた。
「………じゃ、お疲れっした」
自分の腕を掴む手塚の手を振り解き、手塚の顔を見ずにそれだけ言って、さっさと改札を抜けた。
今度は、手塚は追ってこなかった。
(なんだよ)
階段を駆け上がってホームに出る。
(やっぱ、いるんじゃん…『本気で想う相手』)
だから、本当はリョーマに費やす時間が惜しいと。
リョーマの子供じみたセクハラに付き合うより、本気で想う相手と過ごす方が大切なのだと。
「………」
足下を見つめて歩いているうちにホームの端まで来てしまった。
「…」
溜息を吐き、また同じように足下を見つめながら、いつも電車に乗る位置まで戻る。
そこまで戻ってきて初めて、見慣れた男がそこにいることに気づいた。
「ぁ…乾先輩」
「ん?………やあ」
書店にでも寄っていたのか、片手にテニス雑誌を持ち、乾の方も今初めてリョーマに気づいたというように意外そうな顔をした。
「……どうかした?顔色がよくないようだが…」
「え?そっスか?何ともないっスけど」
「…軽い貧血かもしれないな。鉄分をなるべく多く摂るように心がけて、睡眠もたっぷりとって………試合も近いんだから、体調には気をつけた方がいい」
「アリガトございます」
やはり乾は優しい人だ、とリョーマは思う。
体調を気遣って、その対処法までさりげなく教えてくれる。
不二はあんなふうに言っていたが、何かを誤解しているのかもしれない。
「あの、乾先輩」
「ん?」
雑誌を見ながら乾が応える。
「この前、聞きそびれちゃったんスけど…乾先輩は、付き合っている人とか、好きな人とか、いるんスか?」
「え?」
乾の視線がリョーマに向けられる。
じっと見つめ返すと、乾の頬が薄く染まったように見えた。
(…え?)
「君に話さなければならない理由はないと思うけど」
「ぁ……そっスね。ちょっと…訊いてみたかっただけっス」
バッサリと拒絶されて、リョーマは乾から視線を逸らした。
(乾先輩、好きな人がいるんだ)
その声が、乾の微かな動揺をリョーマに伝えたからわかる。
(そのうち、付き合ったりとか、するんだろうな…)
ふぅと、乾に気づかれないようにそっと溜息を零す。
(乾先輩も、部長も…ちゃんと好きな人がいて、青春しちゃって……)
「…越前にはいないのか?好きな人とか、気になる人は」
「え……?」
逆に問われて、リョーマは目を丸くして乾を見上げる。
「好きな人…?」
「ま、『好きだ』という自覚がないかもしれないから、『気になる人』とかね」
「………いないっス」
少し考えてみて、乾の目を見て答えた。
嘘は言っていないが、乾の目が、ごつい眼鏡の向こうで微かに疑いの色を宿す。
「…ふぅん?」
「なんスか?」
「………いや」
含みのある「間」に、リョーマは小さく眉を寄せる。
「……ムカツクって意味で、気になる人はいますけど」
「ほう?ムカツク、ね…」
乾が小さく笑う。
リョーマの言う「ムカツク相手」が誰だか知られている気がして、リョーマは唇を尖らせる。
桃城が言っていた「丸裸にされる」という言葉が、リョーマの脳裏をチラリと過ぎった。
(言うんじゃなかった)
話題を変えなくてはと思い、リョーマは乾の持っている雑誌に目を向ける。
「ぁ、それ、今日発売のヤツっスか?」
「うん。今回の特集に興味があったから、早速手に入れたんだ」
「へぇ、特集って、なんでしたっけ?」
「ああ、今見ているところで…」
リョーマが雑誌を覗き込むと乾が見やすいようにと少しだけ雑誌を持つ手を下げてくれた。
「あー、このショットっスか。ちょっと難しそう」
「いや……『中学生には』かなり難しいショットだと思うけど」
話題が完全に変わったことに安堵しつつ、意外に話が弾んでいろいろと話しているところに電車が滑り込んできた。
「ぁ、電車来まし……」
顔を上げて電車が入ってくる方に目をやったリョーマは、階段を上りきる直前で立ち尽くしている手塚を見つけて目を見開いた。
手塚はこちらを見つめたまま、ひどく冷たい、感情のない人形のような表情をしていた。
「ぶちょ…」
「え?……ああ、手塚?」
乾が声を掛けると、手塚はゆっくりと動き、ホームに入ってきた電車の風圧に髪を乱しながらこちらに歩いてきた。
「お疲れ、手塚」
「ああ」
それきり黙り込んだ手塚は、電車に乗り込んでもずっと黙ったままだった。
(また…オレのこと見ないようにしてる…?)
窓の外をじっと見つめる手塚の横顔に、リョーマはきつい視線を注ぐ。やがてリョーマの視線に気づいた手塚は、リョーマを見て、小さく眉を寄せた。
「…じゃ、俺はここで。また明日」
唐突に告げられた乾の言葉に、リョーマはパッと視線を乾に向ける。
「え?もう降りるんスか?乾先輩」
「ああ。じゃ、お疲れ」
さっさと電車を降りてこちらに構わずに階段を下りてゆく乾を見送っていると、手塚が小さく溜息を吐くのが聞こえた。
「………」
じっと手塚を見つめると、手塚がまた眉を寄せる。
「…なんだ?」
「また無視した」
「え……」
「電車に乗ってからずっと、アンタこっち見なかったじゃん」
リョーマが唇を尖らせると、手塚は一瞬目を見開き、だがすぐにきつく眉を寄せた。
「…話の邪魔をしては悪いと思っていただけだ」
そう言って目を逸らす手塚に、リョーマもきつく眉を寄せる。
(だからって、そんな恐い顔してなくたっていいじゃん)
手塚は微笑んでいる方が綺麗なのに。
そう考えて、リョーマはふと、あることを思いついた。
「ねえ、部長。男なのに『綺麗』って言われるのって、どう思います?」
「綺麗?」
「うん。そう。『顔が綺麗』って」
「言われたのか?」
「だから、オレじゃなくて、部長がそう言われたらどう思うっスか?ってコト」
「………言われたことがないからわからないが……男に『綺麗』はどうかと思うが……」
「やっぱ、そうっスよね?」
ニヤッとリョーマが笑うと、手塚は怪訝そうに眉を寄せる。
「部長って、綺麗な顔してるなーって思って」
「………」
リョーマの言葉に、手塚が呆気にとられたような顔をする。
「うん、すごく綺麗」
じっと手塚を見つめてそう囁くと、心なしか手塚の頬が薄く色づいた気がした。
(お?いい反応?)
「部長みたいに、男なのに綺麗な顔した人って初めて見ました」
周りには聞こえないように、さらに手塚の方へ顔を近づけてそう言うと、手塚の瞳の奥でゆらりと炎が揺れたような気がした。
(………ホント…綺麗…)
その瞳の奥の揺らめく炎に、リョーマは魅入る。
沈着冷静に見える手塚が、本当は心の奥にとてつもなく熱いものを抱えているように思えてきて、心が騒ぐ。
この男の本当の姿を、見てみたいと、思う。
「…越前」
リョーマの大好きな声が、自分の名を呼ぶ。
手塚の瞳を見つめながら上の空で返事をすると、手塚の瞳の炎が、さらに大きく揺らめく。
「……お前こそ……そんなカオをして……」
手塚の声に、さらに艶がかかった気がした。
だが。
「…これも『セクハラ』というヤツか?」
その言葉に、リョーマはハッと我に返った。
「……ぁ……あー……、そうっスよ。男なのに綺麗っていわれるの、イヤなんスよね?」
手塚から目を逸らし、前髪を弄るフリをして表情を隠す。
(オレ……今……本気で見とれてた……?)
黙り込んでしまった手塚の表情をチラリと見遣ると、さっきまで揺れていた瞳の炎は、すっかり消えていた。
なぜだか零れた溜息を吐きながら車内の表示を見ると、次はリョーマの降りる駅だった。
(え、もう…?)
一人で電車に乗っていると長く感じる時間が、今日はあっという間に過ぎてしまったようだ。
「オレ、次で降りるっス。部長は?」
「あと二つ先だ」
「結構遠いんスね」
「…直線距離にすればそうでもないんだがな」
「ふーん」
お互いに、お互いの顔を見ずに会話する。
やがて電車が駅に到着し、リョーマはホームに降りたって手塚を振り返った。
「じゃ、部長、お疲れッした」
「ああ。気をつけて帰れよ」
「ういっス。……明日、楽しみにしてるっス」
リョーマがニッと笑うと、手塚が目を丸くした。
「お前、性格悪いな、越前」
「お互い様!」
ベーッと舌を出すと、手塚が小さく笑った。
(ぁ…笑った)
なぜだか嬉しくて堪らなくなり、リョーマもふわりと微笑みながら手塚に軽く手を振る。そんなリョーマに、手塚はさらに微笑み返してくれた。
やがて発車のメロディが流れ、二人の間のドアが静かに閉まってゆく。
ゆっくりと動き出す電車と反対の方へ歩き出しながら、リョーマはまたこっそり微笑んだ。
(明日はどんなセクハラしよっかな…)
心がウキウキする。
スキップしたくなるほど、足取りも軽い。
階段を駆け下り、改札を軽やかに通り抜け、家まで走って帰った。
逸る心に、身体が素直に反応しているようだった。
夕飯前に南次郎に付き合わされたコートでも、リョーマはずっと上機嫌だった。
「なんかいいことでもあったのか?青少年」
「べつに」
そう言いながらも、頬が緩む。
「なになになに?ヤラシイ顔しちゃって〜」
口調とは裏腹に鋭い打球を返しながら、南次郎が興味津々な素振りを見せる。
「親父には関係ないよ」
リョーマもまた鋭く打ち返しながら、そう言って笑う。
「ぁ、そうだ、親父。あの空港でオレのこと助けてくれた人、わかったよ」
「へぇ?」
意外そうに目を見開く南次郎に、リョーマは勝ち誇った気分になる。
「あの眼鏡かけてたからすぐにわかっちゃった。今度、ちゃんとお礼するつもり」
「ふーん。眼鏡、ねぇ」
ニヤニヤと笑う南次郎が不審に思えて、リョーマは小さく眉を寄せる。
「なに?」
「べぇ〜つにぃ〜」
戯けた口調と共に鋭い打球でコーナーを抜かれ、リョーマは「ちっ」と舌打ちする。
「……ま、お前はまだまだお子ちゃまだからしゃーねーけど…」
溜息混じりに南次郎が言う。
「お前の『人を見る目』は、まだまだの、まだだね!」
フン、と鼻で笑われ、リョーマはムッとする。
「なにそれ。…オレが自力ですぐ見つけちゃったから、負け惜しみ言ってンじゃない?」
「よーし、今日はもうおしまい。腹減ったなぁ〜。晩飯なにかな〜」
リョーマの不機嫌なオーラなど意に介さず、南次郎は鼻歌を歌いながら家の方へ戻ってゆく。
「なんだよ」
もう一度舌打ちしてからボールを回収し、ネットを緩めてからリョーマも家に向かう。
(人を見る目、って……)
なんのことだろうと、リョーマは思う。
青学に入学してから今日までの自分の行動に、なにか間違いがあったのだろうか。
「…………」
思い当たることはないのに、胸に、何かが引っかかる。
唇を噛み締めて、リョーマはそれから少しの間、自分の思考に沈んでいった。











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20070806