  
        嵐 
          
         
<4> 
 
 
 
 練習を終え、手塚はベンチに腰を下ろして後片付けをする一年生部員達へ時折視線を送りながら、今日も日誌を書き始めた。 
「越前!」 
今日はボール拾いをしているリョーマのもとへ、桃城が駆け寄っていく。 
少し遠かったので会話の内容はわからなかったが、たぶん桃城は、大石からの頼まれごとを実行しているのだろう。 
「………」 
ジリ、と手塚の胸の奥が嫌な熱を持つ。 
じっと見つめているわけにもいかず、さりげなく日誌とリョーマたちとに交互に視線を向けていると、その視線の先で、リョーマがボールカゴを抱えたまま首を横に振ったり縦に振ったりしているのがわかった。 
(どんな話をしているのだろう…) 
リョーマはこちらに背を向けているので表情がわからないが、桃城の表情はよく見えた。桃城は終始笑顔で、時折手を腰に当ててリョーマの顔を覗き込んだりしながら、気さくに話しかけているようだった。 
大石と話している時は相手の顔を見ようともしなかったリョーマが、今は、しっかりと桃城の顔を見上げて話をしている。 
そう言えば、リョーマは桃城と一度コートで手合わせをしたと聞いた。そのことが、リョーマの警戒心を和らげているのかもしれない。 
しばらく話をしたあとで、桃城がガックリ肩を落とすようにして大きく溜息を吐いた。だがすぐに、あの太陽のような笑みを浮かべてリョーマの肩をポンポンと叩く。 
「じゃな、越前!」 
「お疲れッした」 
桃城が小走りにリョーマから離れてゆく。 
その桃城を少しだけ見送ってから、手塚はもう一度視線をリョーマに戻した。 
リョーマが此方を見ている。 
何か言いたげにしばらく此方を見つめてから、リョーマはまた球拾いを始めた。 
手塚は少し考え込んでから、足下にひとつボールを偶然見つけてそれを拾い上げ、ゆっくり立ち上がった。 
日誌をベンチに置き、ボールを持ったままリョーマのもとへ向かう。 
手塚が歩いてくるのに気づいたリョーマが、大きな瞳を輝かせた。 
「近くに落ちていた」 
ボールをリョーマの持つカゴに入れながら言い訳のように言うと、リョーマが「ありがとゴザイマス」と言ってふわりと微笑む。 
「あの………部長……」 
「………片づけが終わったら水飲み場に来い」 
リョーマだけに聞こえるように手塚がそう言うと、リョーマは頬を染めて頷いた。 
再びベンチに戻って日誌を書き始めた手塚は、どこかホッとしたように溜息を吐く。 
リョーマの態度に変化はない。 
桃城に何を言われていたのかは知らないが、その言葉は、リョーマの心にまでは届いていないのだろう。 
「…………っ」 
ふいに手塚は自分が情けなくなり、額に手を当てて俯いた。 
(何て心の狭い男なんだ、俺は…) 
誰とでもすぐにうち解ける桃城に、リョーマの心が動かされるかと思った。 
手塚だけに向ける笑顔を、桃城にも見せるのではないかと、思った。 
そんなふうに焦燥感を抱く自分が、情けない。 
むしろ、心を開いて他の人間にも接するように勧めねばならない立場の自分が、心を開かなかったリョーマの態度に安心するなんて。 
「………」 
額に置いていた手で少し乱暴に前髪を掻き上げ、空を仰ぐ。 
青かった空は徐々に黄みを帯び、白かった雲は散り散りになって残照に輝いている。 
(「変わる」ことで、違う美しさが引き出されることもある……か…) 
空を見上げたまま溜息を吐き、手塚は再び日誌に視線を戻す。 
殻に閉じこもるリョーマを外の世界に連れ出し、新鮮な空気を吸わせてやれば、彼の中でも何かが変わるかもしれない。そうすれば、リョーマの違う一面が現れて、さらなる進化を遂げるかもしれないのだ。 
本当にリョーマのことを想うなら、その未来のために、道を開いてやらなくてはならない。 
(それは、わかっているんだ…) 
今、リョーマは手塚だけに心を開き、手塚だけを受け入れてくれている。 
ならば。 
リョーマの心に入れた者にだけ出来ることを、やらなくてはと思う。 
(俺は……部長だからな……) 
愛しい者を自分だけのものにしたい。 
だが、愛しいからこそ自分に縛り付けるのではなく、未来へ、さらなる高みへと、導いてやらねばならない。 
それは、リョーマのためだけでなく、青学のためにもなるのだから。 
日誌を書こうとして手を止め、手塚は小さく苦笑する。 
(感情を…もっとしっかりコントロールしないとならなくなりそうだ……) 
頭でわかっている理屈も、感情では納得できない時がある。 
そんなとき、自分の感情に流されてしまわないように、しっかりとコントロールしなければならない。 
だが、『越前リョーマ』という名の嵐は、かなり、手強い。 
散漫になる意識をどうにか掻き集め、なんとか最後の一文を日誌に書き込んで、手塚はそっと日誌を閉じた。 
顔を上げると、ちょうど当番の二年生が「片づけ完了の報告」をしにこちらに向かって歩いてくるところだった。 
「部長、今日の片づけ、終わりました!」 
「ん。ご苦労。上がっていいぞ」 
「ありがとうございました!」 
二年生が手塚にペコリと頭を下げてから、一年に向かって解散を宣言する。 
ゾロゾロとコートを出る一年生に混じって歩くリョーマに、手塚はさりげなく視線を投げてから、ゆっくり立ち上がった。 
リョーマの視線が、チラリとこちらに動くのがわかる。 
手塚は手にしている日誌を軽く上げてリョーマにだけ見えるように軽く揺らした。「日誌を届けてくる」という意味を込めて。 
リョーマは「ぁ」という顔をして、すぐに小さく頷いた。手塚も小さく頷き返した。 
リョーマから視線を外して歩き出しながら、手塚はそっと微笑んだ。 
さりげない仕草だけで意志が通じるリョーマとの関係が、やはり、ひどく嬉しかった。 
         
         
         
         
         
         
         
         
         
 
         
         
「すまない、待たせたな」 
手塚がコートを離れてから、時間的にはそれほど経っていないとは思うが、水飲み場でぽつんと独り佇むリョーマを見た途端、手塚の心に申し訳なさが込み上げた。 
「べつに」 
そう言って微笑むリョーマに手塚も微笑み返してから、チラリと部室の方を見遣り、誰もこちらに来ないのを確認してから改めてリョーマに向き直った。 
「さっき、桃城と話をしていただろう。何か言われたか?」 
「べつに。もっと笑え、とか、一緒に帰らないか、とか」 
「………そうか」 
「クニミツと一緒に帰りたいから、あっちは断ったよ」 
そう言ってニッコリと笑うリョーマを、思わず抱き締めたくなる。 
だが何とかその衝動を堪えて、手塚は小さく苦笑した。 
「なあ、リョーマ」 
「なに?」 
「………『友達』は、本当に俺一人でいいのか?」 
「うん」 
間髪入れずに頷くリョーマに、手塚は歓喜する心を抑え込んで小さく笑ってみせる。 
「お前がそう思っているならそれで構わないが……もう少し…」 
「なんで?クニミツだけでいいって言ってんのに」 
いきなり問い返され、手塚は口を噤んだ。 
「他には友達なんていらない。どうせ友達になったって、いつかは…」 
「え?」 
「ぁ………なんでもない」 
珍しく少し動揺したように目を逸らして俯くリョーマに、手塚は小さく眉を寄せる。 
(「どうせ」「いつかは」…?) 
その言葉の意味を問うてみたかったが、手塚と目を合わそうとしない今のリョーマに訊いたところで、その答えは得られそうになかった。 
「……無理に友達を作れとは言わない。ただ、俺は少しお前が心配なんだ」 
「え…?」 
リョーマがふと、顔を上げる。 
「…俺は一年の頃、先輩から暴力を受けて負傷したことがある。……お前には俺と同じ思いをさせたくないんだ」 
「ケガ……させられたの?」 
「……ああ。……だが今は大丈夫だ」 
少しだけ嘘をつく。話したいのは、そのことではないから。 
「………」 
リョーマの大きな瞳が手塚を映して揺れた。 
「今は、うちの部にはそんなふうに暴力をふるうようなヤツはいないと思っているが、お前を見ていると、心配で堪らなくなる」 
「クニミツ……」 
リョーマの頬がほんのりと赤く染まる。 
「……わかったよ……クニミツがそんなふうに思っているなんて知らなかったんだ…」 
「リョーマ…」 
「…これからはもう少し他の人とも話すようにする。心配かけて…ごめん、クニミツ…」 
「いや」 
真っ直ぐ見つめてくるリョーマの瞳を見つめ返しながら、手塚はそっとリョーマの髪を撫でてやる。 
「……でも」 
「ん?」 
リョーマの瞳が、透明な強い光を宿す。 
「オレが一番大好きなのは、クニミツだけだから。それだけは、ずっと、変わらないから」 
「………」 
まるで愛の告白のようだ、と手塚は思った。 
だが間違えてはいけない。 
リョーマが言っているのは「友達として、一番大好き」なのだから。 
「………ありがとう」 
手塚が微笑むと、リョーマもホッとしたように微笑む。 
「ねえ、今日も一緒に帰ろ?」 
「ああ。……でも、桃城には見つからないようにしないとな」 
「ぁ、そっか。いつもは怖い手塚部長がオレにだけ優しいなんて知られたら、大問題?」 
悪戯っ子のように瞳を輝かせてクスクス笑うリョーマの頬を、手塚はそっと両手で挟み込んだ。 
「ぁ……」 
「そんなことは問題じゃない。言い訳ならいくらでも言える。…だが、桃城のプライドを傷つけることになるだろう?」 
「………ぅ…ん」 
間近で瞳を見つめるとリョーマの頬がみるみる熱を持つ。 
手塚だけを映すその瞳はしっとりと濡れていて、微かに揺らめいていた。 
その瞳に吸い寄せられるようにそのままリョーマに唇を寄せたくなったが、そんなことが出来るわけもなく、手塚はすんでの所でなんとか思い留まり、リョーマの額に自分の額をこつんとぶつけた。 
「…今度、俺の家に来ないか?」 
「いいの?」 
「大歓迎する」 
「うん。行きたい。クニミツの家…」 
リョーマは熱い頬で嬉しそうに微笑むと、スッと手塚の首に腕を回して抱きついてきた。途端にふわりと、あの甘い薫りに包まれる。 
「リョ……ッ」 
驚いた手塚は、しかし咄嗟にリョーマの身体をグッと抱き締め返す。 
(細い身体……) 
華奢に見えていた身体は本当に小さくて、手塚の腕の中にすっぽりと収まってしまう。だが小さくともその身体にはしなやかな筋肉が程良くついているのが、服の上からでもわかった。 
「…オレ、友達の家に行ったことないんだ。……っていうか、友達自体、いなかったけど。だから、すごく、嬉しい……クニミツ…」 
「……そうか?」 
「ん…」 
小さく頷いて、リョーマがさらにギュッとしがみついてくる。 
眩暈がしそうなほど歓喜する心を宥めて、手塚はそっとリョーマの身体を離した。 
「日本では『友達』でもあまりこんなふうに抱き合ったりしないぞ?」 
「え?そうなの?…ごめん、嬉しくって」 
「いや、俺も…」 
嬉しいと、そう言いそうになって手塚は口を噤んだ。 
抱きつかれて嬉しいなどと、アメリカ帰りのリョーマならともかく、日本では『友達』には言わない言葉だ。 
「……そろそろ部室も空いた頃だろう。先に行って着替えていてくれ」 
「クニミツは?」 
「顔を洗ってから行く」 
「うん」 
ニッコリと微笑んで頷き、リョーマは部室へ走っていった。 
リョーマの姿が視界から消えた途端、手塚は脱力したように深く息を吐き出す。 
(まいったな…) 
抱きつかれて急激に加速した鼓動を、リョーマには気づかれなかっただろうか。 
「………」 
手塚はそっと自分の両手を見つめる。そこに残るリョーマの感触に、溜息とは少し違う甘い吐息が零れた。 
張りのあるしなやかな薄い筋肉。 
熱い体温。 
そして、甘い薫り。 
どれもこれも、手塚の心を艶やかに掻き乱す。 
(やはり俺は…アイツを……) 
手塚は見つめていた両手をギュッと握り締めた。 
リョーマは紛れもなく男で、年下で。 
出逢ってまだ日の浅い自分を『友達』だと慕ってくれていて。 
そんなリョーマに、手塚の中の『雄』が反応し始めている。 
(俺は、そう言う嗜好の人間だったのか…?) 
そう考えて、だがすぐに「違う」と否定する。 
今まで、こんなふうに心の奥から揺さぶられるような感情の動きを経験したことはなかった。 
それは、男とか、女とか、そんなことは関係なくて、どんなに親しくなっても、話をするだけで心が浮き立ったり、ほんの少し触れただけで鼓動が加速したりすることなどなかった。 
越前リョーマは、今まで出逢った誰とも違う。 
(男だからじゃない、アイツが、『越前リョーマ』だからだ) 
リョーマだからこんなにも心が乱される。 
リョーマだから触れたいと思う。 
リョーマだから。 
手塚は眼鏡を外し、水道の蛇口を捻って勢いよく水を出した。 
両手で水を掬って顔に叩きつける。 
「……くそ…っ」 
出逢って間もない相手に、こんなにも心を奪われるとは思わなかった。 
今まで保ってきた自分のペースが、リョーマの前では呆気なく崩れ去り、『素』のままの自分でしかいられなくなってきている。 
もう一度顔に水を叩きつけ、手塚はまた溜息を吐いた。 
リョーマにとって唯一の『友達』である自分への好意を、他のものと勘違いしそうで怖い。 
勘違いして、勝手な妄想の中で、感情が暴走してしまうのではないか、と。 
滴り落ちる水滴に構わずに、手塚は顔を上げる。 
(暴走してアイツを壊す前に、俺の想いを告げておいた方がいいかもしれない…) 
想いを告げて疎まれるかもしれないが、想いを暴走させてリョーマを傷つけるよりは、その方がマシだと思う。 
(いや、だが、それよりも…) 
手塚はふと、さっきのリョーマの言葉を思い出した。 
『どうせ友達になったって、いつかは…』 
あの言葉はどういう意味なのだろう。 
リョーマの様子からいって、あの言葉と、リョーマの他人を寄せ付けないような行動には、何らかの関係があると見て間違いはない。 
(想いを告げて避けられる前に、アイツの心に引っかかっているものを取り除いてやらなくては…) 
手塚はもう一度溜息を吐いてから、ゆっくりと前髪を掻き上げた。 
眼鏡を手に取り、そのままゆっくりと部室に向かって歩き出す。 
(大丈夫。アイツのことを本当に想うなら、この感情、抑えてみせる) 
恋愛経験のない自分が考える『本物の愛情』などただの綺麗事なのかもしれないが、自分の恋情を押しつけるだけでは、本当に相手を愛しているとは言えないのだということだけはわかる。 
(アイツの心の棘を抜いてやれたなら、その時こそ、この想いを告げよう) 
リョーマの心に青空を取り戻してやれた時に、彼の本当の心で、自分の想いと向き合って欲しいから。 
(まずは、お前の心の中を、俺に見せてくれ…) 
部室のドアノブに手を掛けて、手塚はグッと奥歯を噛み締めた。 
(お前の中の嵐は、俺が鎮めてやる) 
ドアを開けると、目に見えぬ嵐を纏った愛しい少年が、嬉しそうに此方に笑顔を向けた。 
その笑顔に眩しげに目を細めながら、手塚もふわりと微笑み返した。 
         
         
         
         
         
         
         
 
         
         
         
この日を境に、リョーマの部員達への態度が少しずつ和らいでいった。 
特に、なんだかんだと理由をつけて声を掛ける桃城には時折笑顔まで見せている。 
校内ランキング戦を終えてレギュラーの座をもぎ取り、一層桃城と行動を共にすることの多くなったリョーマは手塚とは必然的に会話する時間も減ってゆき、いつしか一緒に帰ることもしなくなった。 
そうするように言ったのは自分ではあるが、桃城とうち解けてゆくリョーマを見ていると、手塚の心に今までとはまた違う凶悪な嵐が巻き起こった。 
(嫉妬か……醜い感情だな……) 
「最近、越前のヤツ、周りといい感じになってきたな」 
「ああ」 
ホッとしたように言う大石に、半ば上の空のような返事を返し、手塚はじっとリョーマを見つめる。 
「やっぱり桃に頼んで良かった。なあ、手塚」 
「…そうだな」 
それでも手塚は、ふとした瞬間にリョーマがつらそうな表情をするのを見逃してはいない。 
桃城や同級生と談笑しながら、時折リョーマの表情が悲しげに歪むのだ。 
それは仲間達とうち解ければうち解けるほど色濃く表れ、気がつけばやはりリョーマは仲間の輪から離れ、一人でぽつんと佇んでいるようになった。 
(やはり『棘』は抜けていないようだな…) 
じっと見つめる手塚の視線に気づいたらしいリョーマが、ふと顔を上げて此方を見た。 
「……」 
その瞳が縋りつくような色を浮かべたように見えた手塚は、組んでいた腕を解き、ゆっくりとリョーマのもとへ歩き出した。 
リョーマが小さく目を見開き、表情がふっと軟らかくなる。 
「越前」 
「なんスか」 
ぶっきらぼうに答えるその声に嬉しげな響きが混じっているのが、手塚にはわかる。 
手塚は瞳を和らげると、リョーマにだけ聞こえるように声を潜めた。 
「今週末、俺の家に来ないか?」 
「…っ!」 
リョーマが大きく目を見開く。 
「……いいの?」 
小さく答えるリョーマの声が震えているのは、嬉しさのせいか。 
「ああ」 
ふわりと微笑んでやると、リョーマの瞳が嬉しそうに揺れた。 
「うん。行く。行きたい」 
「じゃあ、詳しいことはまたあとでな。…楽しみにしている」 
短くそれだけを言い、リョーマから離れる。 
ひどく嬉しそうなリョーマの瞳に、手塚の心にずっと渦巻いていた凶悪な嵐が、一瞬、静まった。 
だがふと、手塚は表情を引き締める。 
(お前の心の『棘』、その正体を、そろそろ教えて貰わなくてはな…) 
どんなに仲間が増えてもリョーマの心から抜けない『棘』。 
リョーマが心から微笑むためには、その『棘』を完全に抜き取ってやらなければならないのだろう。 
(お前が俺にだけ本当に心を許してくれているのなら、俺だけがその『棘』を抜くことができるのかもしれない) 
リョーマの表情が少しでも曇ると手塚の心が締め付けられるように痛む。 
それに、リョーマには、苦しげな顔や、悲しげな瞳は似合わない。 
リョーマには、あの二年の荒井と戦った時のように、しなやかに、強かに、美しい野生の獣のような瞳でコートを駆けめぐる姿こそ似合う。 
(護ってやりたいんだ……俺の手で…) 
護りたいと思ったのは、かつて自分が受けたような『他人からの暴力』からだけではなく、その心の輝きをも、この手で護りたいのだと。 
自己満足だと言われてもいい。 
手塚がリョーマを想うのと同じ意味で、リョーマが自分を想ってくれなくてもいい。 
一方的に恋愛感情を持ったのは手塚の方なのだから。 
だが、だからこそ、自分が何とかしてやらなくてはならないと、手塚は思う 
例えリョーマの心の『棘』を抜く時に、手塚自身がその『棘』で血を流すことになってもいい。リョーマが苦しみ続けることを思えば、自分の血がいくら流れようが構わない。 
それほど、越前リョーマが愛おしい。 
出逢ってからの日数なんか関係ない。 
一瞬のうちに、生命を懸けてもいいほどの恋に落ちることだってあるはずだ。 
その出逢いが、こんなに早く、こんなにも唐突に、自分に訪れるとは思ってもみなかったけれど。 
(最初で最後の恋、か。……それもいいかもしれないな…) 
もと居た場所に戻り、手塚はいつものようにゆっくりと腕を組む。 
「手塚、越前と何を話していたんだ?」 
「大したことではない。大会が近いから、夜更かしをして体調を崩さないようにと言っただけだ」 
「ああ、そうか。越前のヤツ、今朝も朝練に遅刻してきたもんな。昨夜遅くまでゲームやりすぎたとか言って」 
困ったように笑う大石に曖昧に頷いてから、手塚はまたリョーマに視線を向けた。 
(大会前に『棘』を抜くことができればいいが……) 
手塚は微かに眉を寄せた。 
(いや、焦ってはいけない。まずはじっくりと、『棘』の正体を見極めよう…) 
週末、リョーマと二人で過ごす時間は、甘いだけのものにはならないだろうと、手塚は思った。 
         
         
 
         
         
         
         
         
         
        
続 
         
        
         
        
        
        
        
         
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        20061109 
         
         
        
        
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