  
        体育館 
          
         
        
         
 
        
        月曜日は雨だった。 
青学では、夏休み中は雨の日でもトレーニングが出来るよう、各部活に所属する生徒には、希望者に体育館の一部が開放されている。 
朝早くに手塚から電話をもらって体育館でのトレーニングに誘われたリョーマは、いつものようにバッグを担いで学校へと向かった。 
傘を差して歩きながら、リョーマは大きく溜息を吐く。 
昨夜もリョーマは『あの男』の元へ行った。 
雨は明け方頃から、つまり、リョーマが目覚める少し前頃から降り始めたのだが、朝、ベッドの中で目覚めたリョーマは着衣も髪も濡れてはおらず、雨が降る前
に帰ってきたのか、それとも無意識でも傘を持って『あの男』のもとへ向かったのかと思い、なんだか情けなくて溜息が零れた。 
(そうまでして行きたかったのかな……まあ、前の晩は行かなかったし…) 
そうしてリョーマは、その前の晩、一晩中寝ずに自分を引き留めていてくれた手塚のことを想った。 
(好きって……言っちゃったんだ…) 
ほわりと頬を染め、リョーマは俯く。 
暴発のような告白だったけれども、手塚も好きだと言ってくれた。 
相手を想っていることを言葉で確認した二人は、今までよりもさらに濃厚な疑似SEXをした。ただ身体を繋げていないというだけで、相手のすべてに触れ合った。 
耳元で甘く囁く手塚の声を思い出して、リョーマはゾクリと小さく震える。 
手塚の声が大好きだった。 
それは、甘い場面で耳元に囁かれる時の声音だけでなく、普段会話している時の声も、部活の時の厳しい声も、何気なく「ん?」と言って聞き返された声でさえも、リョーマは大好きだった。 
その大好きな声に優しく名を呼ばれると、深い安心感と、甘い恋情と、どうしてか苦しいほどの切なさが胸に込み上げてくる。 
(大好きなんだ……声だけじゃなく、部長の全部が……) 
瞳を揺らしながらリョーマは顔を上げた。 
指輪の謎を解いて、すべてを話した時の手塚の反応が怖い。怖いが、『あの男』との間にあった事実を話さずに付き合えるような浅い関係を、手塚との間に築くつもりはない。 
偽りの上に成り立つ関係など、浜辺に作った砂の城のようなものだ。押し寄せる波に怯え、いずれは波に壊されてゆく城など、作りたくもない。 
それよりも、例え見た目は見窄らしくとも、嘘も見栄もない、暖かでしっかりとした二人だけの城を築きたい。そういう関係でありたいのだ。 
(強がったり取り繕ったりしないで、本当のことを言おう…) 
越前リョーマは、手塚国光が大好きなのだと。心から、愛しているのだと、伝えよう。 
時間がかかってもいい。 
手塚に受け入れてもらえるまで、リョーマは諦めるつもりはない。 
(そのためにもまず、この指輪のことを、どうにかしなきゃ) 
リョーマは右手薬指のリングをじっと見つめた。指輪は朝からずっと、仄かに熱を持っている。 
(そういえば……なんで部長と一緒にいる時は熱くならなかったんだろう……) 
手塚を想う心の熱さに連動して指輪も熱を帯びるのだと思っていた。なのに、ずっと手塚と一緒にいた土日は、一度も熱を持たなかった。 
(傍にいすぎて、反応しなかったのかな) 
小さく溜息を吐いて、リョーマはまた視線を前方に戻した。 
雨が、少し強くなった。 
         
         
         
         
         
部室で着替えを終え、体育館に向かう途中で不二に会った。 
「ちーっス、不二先輩」 
「ぁ、おはよう越前」 
いつものように微笑みながら傘を揺らして不二が歩いてくる。 
「珍しいね、越前が雨の日に学校まで来て練習するなんて」 
「あー…いや、今日は誘われたんで」 
「ふぅん?誰に?」 
「や、あの……」 
ニッコリと微笑まれ、リョーマは少し言いづらくて口籠もった。 
「……なるほど、手塚に誘われたんだ」 
「………」 
言い当てられ、だが、あまり驚きもせずにリョーマは頷いた。 
「両想いになった?」 
「え?なんでそんなことまで……………ぁ…」 
不二にさらに深く微笑まれ、リョーマは頬を真っ赤に染めた。 
「よかったね、越前」 
リョーマが俯いて小さく頷くと、不二は「じゃ」と言って通り過ぎようとした。 
「ぁ、あの、不二先輩!」 
「ん?なんだい?」 
不二に会ったらすぐに尋ねようと思っていたことを思い出し、リョーマは慌てて不二を引き留めた。 
「あの、変なこと訊きますけど、不二先輩って、なんかシルバーのアクセサリーとか、外国製の変わったものを、最近買いませんでしたか?」 
「外国製の変わったもの?シルバーのアクセ?」 
「はい」 
大きく頷くリョーマを少しじっと見つめてから、怪訝そうに不二は首を傾げた。 
「………指輪に関係あること?」 
「あ、はい、実は……」 
リョーマは店で男に聞いた話を不二にも話した。 
「封印の道具、か……」 
「それがないと、本当に終わりにすることが出来ないらしいって…」 
「…なぜそれを僕が持っていると?指輪が見えるから?」 
「はい」 
確信を持ったように頷くリョーマに、不二も頷き返した。 
「今すぐは心当たりがないんだけど………そうだね、わかった、少し考えてみるよ」 
「お願いします」 
ペコリと頭を下げるリョーマに、不二は小さく微笑んだ。 
「もしも僕が持っていなくても、協力は惜しまないから。……諦めないでね」 
「はい。ありがとうございます!」 
「じゃ、着替えたら行くよ」 
「ういっス、お先に!」 
体育館に向かって走り出すリョーマを見送って、不二は小さく溜息を吐いた。 
         
         
         
         
         
リョーマが体育館に入ると、片隅にいる青学テニス部の連中をすぐ見つけた。手塚の他にもすでに十数人の部員がいて、それぞれにストレッチなどをして身体を解している。 
「ちーっス」 
リョーマが声を掛けると、大石と何か話していた手塚がすぐに振り向いてくれた。 
「おはよう、越前」 
リョーマの大好きな声が、柔らかく耳に届く。 
「ちーっス、部長」 
手塚の元へ駆け寄ると、手塚が部長の顔を保ちつつも、瞳だけは柔らかな光を灯して迎え入れてくれた。 
「おはよう越前」 
「はよっス、大石先輩」 
いつも爽やかな大石の笑顔に、ほんの少し憂いを見つけてリョーマは首を傾げた。 
「…どうかしたんスか?」 
「うん……今日は体育館の端っこも使えそうにないなって、今、手塚と話していたんだ」 
「え?」 
視線を手塚に移すと、手塚も頷いた。 
「今日の体育館の練習の割り当てはバスケ部なんだが、試合形式で練習をするらしくてな」 
「ふーん、そうなんスか」 
「上で走り込みをするしかなさそうだ」 
手塚の言う『上』とは、体育館の上方に設置されているランニングコースのことで、体育館内部を見下ろすようにして二人ほど並んで走れる幅のコースがぐるりと設えてある。 
「雨を気にせず走れるんだから、いいんじゃないっスか?」 
「ああ。そうだな」 
小さく手塚に微笑まれて、リョーマも微笑み返す。二人の横で、大石も大きく頷いていた。 
「よし、じゃあ、各自自分のペースでランニングを始めることにしよう。それでいいよな、手塚」 
「ああ」 
大石の提案に頷き、手塚はさりげなくリョーマの肩に手を置いた。 
「行くぞ、越前」 
「ういっス」 
満面の笑みになってしまわないように気をつけながら手塚を見上げると、手塚は無言でリョーマを見つめてから、徐に腕を掴んできた。 
「大石、すまない、みんなと先に走り始めていてくれ。少し、越前と話がある」 
「ああ、わかったよ、手塚」 
手塚の行動を少しも不自然とは思わないらしく、大石は手際よく部員たちをまとめてランニングコースへと向かった。 
その大石をチラリと見遣ってから、手塚はリョーマの腕を引いて体育館を出て、人気のない体育館裏に向かって歩き出す。 
「部長?」 
「………」 
不思議そうにリョーマが尋ねても手塚は何も言わない。リョーマは諦めて、黙って手塚に腕を引かれるままに歩いた。 
体育館裏に出ると、手塚はリョーマの腕をそっと離した。屋外ではあるが、張り出した屋根のおかげで二人が雨に濡れることはない。 
「……昨夜は…」 
微かに眉を寄せて手塚が尋ねてくるのへ、リョーマは「やっぱりそのことか」と内心思いながら小さく頷いた。 
「うん………昨夜も…夜中に出歩いたみたいっス」 
俯き加減に答えるリョーマに、手塚はさらに眉を寄せた。 
「体調はどうなんだ?大丈夫なのか?」 
「大丈夫っス」 
リョーマが微笑むと手塚も少し表情を和らげた。 
実際リョーマは『あの男』の元へ行ってSEXをしたようだが、いつものように束の間覚醒している意識の元でもひどく丁寧に抱かれていたし、身体のどこにも痛みは残っていない。 
むしろ痛むのは、心の方だった。 
『あの男』の熱を求めて毎夜出歩く自分が、リョーマは情けなくて堪らないのだ。 
「だが顔色が……やはり今日もあまりよくはないな…」 
「大丈夫っス。アンタに逢えたから、もう、それだけで元気いっぱい」 
少し戯けたように言ってみるが、手塚は困ったように微笑むだけで小さく溜息をついた。 
「走り込みではつらいんじゃないのか?」 
「あー………ヤバそうになったらあがるっス」 
「………」 
苦笑するリョーマをじっと見つめてから、手塚はまた短く溜息を吐き出した。 
「今日はずっと俺と一緒に走れ」 
「え?」 
「少しでも体調が悪そうなら、すぐにやめさせる。いいな?」 
「ぁ………はい!」 
手塚に心配を掛けているのは申し訳ないとは思うが、一緒に走れることが嬉しくて、思わず輝くような笑みで返事をしてしまい、また手塚に苦笑された。 
「まったくお前は……」 
不意に引き寄せられ、チュッと口づけられた。 
「ぶちょ……っ」 
「好きだ、リョーマ」 
「ぁ………」 
唇に吐息がかかるほど近くで囁かれ、もう一度口づけられる。今度は深く、甘く。 
「今日も……部活のあとで……一緒にいられるか?」 
深く抱き締められながら睦言のように囁かれて、リョーマはうっとりと瞳を閉じてコクと小さく頷く。 
今日は雨天のこともあり、部活は午前中で終わるだろう。そうなれば、午後はずっと手塚と一緒にいられる。リョーマは込み上げる嬉しさを、素直に表情に出した。 
「…部活中は、もう少し顔を引き締めておくんだぞ?」 
小さく笑いながら手塚に注意され、リョーマは「う…」と言って頬を染めた。 
         
         
         
         
         
結局、ランニングコースを各自のペースで二時間ほどランニングし、体育館と校舎との渡り廊下などを利用してストレッチを行い、部活は終了した。 
「ありがとうございました!」 
今日はコート整備がないため、部活に出てきていた全員が一斉に部室へと向かう。 
リョーマも他の部員たちと共に部室に向かおうとしたところで、そっと、腕を掴まれた。 
「?」 
振り返ると、手塚が小さく微笑みながらリョーマを見下ろしていて、「少し待ってから行かないか」と小声で言った。 
確かに、今日は参加人数が少ないとはいえ、あの狭い部室は今頃かなりごった返した状況になっていることだろう。 
「そっスね……アンタは日誌、書くんじゃないんスか?」 
「ああ。部室が空くのを待ちながら、書くつもりではいたが…」 
「ぁ、じゃ、その辺の教室入ります?どうせ誰もいないし」 
「そうするか…」 
二人は頷き合うと、さりげなく部員たちと離れ、校舎に入って一番近い教室に入った。 
「でもさっきはビックリしたっス。いきなり腕掴むから、誰かと思った」 
適当に座りながらリョーマが言うと、手塚は一瞬小さく眉を寄せ、だがすぐに微かな溜息と共に微笑んだ。 
「……声は掛けたんだが……ちょうどバスケ部の試合で得点された瞬間と重なったか何かで聞こえなかったんだな。驚かせてすまなかった」 
「べつに」 
リョーマが微笑みかけると手塚も柔らかく微笑む。そのままずっと見つめ合っていたかったが、そうするわけにもいかず、手塚は徐に日誌を机に広げた。 
「部長」 
「ん?」 
日誌から目を上げずに手塚が返事をすると、リョーマはほんのりと頬を染める。 
「部長…」 
大好きな手塚の声をもう一度聞きたくて、リョーマはまた手塚を呼ぶ。 
「なんだ?」 
日誌から顔を上げた手塚が怪訝そうにリョーマを見つめる。 
「………なんでもないっス」 
机に頬杖を付いて答えるリョーマに、手塚は不思議そうな視線を向けていたが、困ったように小さく笑ってまた日誌を書き始めた。 
雨の音のする静かな空間に、手塚の走らせるシャーペンの音が微かに響く。 
心地いい時間だ、とリョーマは思う。 
何をしているわけでもないのに、手塚が傍にいるだけで心が満たされている。 
(触れ合えたらもっと嬉しいけど…) 
そう考えてふわりと染まった頬を隠すように、リョーマは机に突っ伏した。 
「疲れたのか?」 
「ううん………なんか、アンタの傍にいると、気持ちよくて……」 
伏したままそう答えると、手塚がクスッと笑った。 
「もう少しだから。…寝るなよ?」 
そう言って手塚がリョーマの髪をクシャッと掻き回す。 
「!」 
ビクリと、リョーマの身体が揺れた。顔を伏せたまま、リョーマは大きく目を見開く。 
(今の感じ……アイツに触られた時に、すごく似てる……) 
桃城や不二にも髪をクシャクシャと掻き回されたが、『あの男』の手の感触と、どこか、何かが、微妙に違うように思えた。だからその感覚は、確信には至らなかったのだ。 
だが、今の手塚の触れ方は、『あの男』そのものだとでも言わんばかりに、リョーマの「触覚の記憶」に訴えてきた。 
(でも、違う……だって部長は、オレを一晩中引き留めていてくれたんだ) 
手塚が『あの男』なら、手塚を置き去りにしてどこかへ行こうとするのはおかしい。 
(気のせいだ………きっと、気のせいなんだ……) 
だが、少しずつ、手塚が『あの男』である材料が増えてきている気がする。 
青学テニス部に所属する、比類なきほどに鍛え上げられた左腕を持つ男。 
たぶん誰よりも深く、リョーマに愛情を抱いている男。 
そしてその想いが溢れるような、髪への触れ方。 
(そういえば……) 
不意にリョーマは思い出した。 
手塚が青学を離れている時には『あの男』の夢は見ていない。そして、手塚の帰還と共に、リョーマは『あの男』に抱かれるようになった。 
(でも……違う……部長は、あんな卑怯なヤツじゃない…) 
意識のはっきりしない人間に自分の欲望をぶつけるなど、手塚は絶対にしない。相手の同意もなく、自分勝手なSEXをするような男ではない。 
リョーマはそう信じている。 
(絶対に、アイツが部長だなんて有り得ない。…信じない!) 
雨音が、また少し強くなった。 
「………雨、止まないっスね……」 
「ん?なんだ、起きていたのか」 
「ずっと起きてましたけど?」 
リョーマが顔を上げると、少しきつく眉を寄せた手塚と目が合った。手塚はすでに日誌を書き上げ、立ち上がったところのようだった。 
「……声を掛けても反応しないから、やはり眠ってしまったのかと思ったぞ」 
表情を緩め、手塚が小さく苦笑する。 
「え………ぁ、そ…っスか?…じゃ、やっぱ、ちょっと寝ちゃっていたかも……」 
口ではそう言ったものの、リョーマは違和感に気づいた。 
自分の耳には手塚の声が一切聞こえてこなかった。リョーマが完全に寝入っているわけでもないのに、大好きな手塚の声を聞き逃すはずがない。 
それどころか、手塚が立ち上がるイスの音さえも、リョーマには聞こえていなかった。 
(なんで?こんなに近くにいたのに……) 
「日誌は書き終えた。そろそろ部室も空いてきた頃だろう。行くか?」 
「ぁ、ういっス」 
リョーマが立ち上がると、右手の指輪が急激に熱を持った。 
「…部長……」 
「ん?」 
「ぁ…の…」 
口籠もって俯くと、手塚が微かに微笑んでリョーマを引き寄せた。 
「リョーマ」 
「ぁ………」 
甘い声で名を囁かれ、優しく口づけられる。 
決して激しくはなく、静かに、だが深く、甘く、手塚の舌がリョーマのそれに絡まってくる。 
穏やかに唇を愛撫され、リョーマの身体から力が抜けてゆく。立っていられなくなりそうになり、ギュッと手塚のウエアにしがみつくと、そっと唇を解放された。 
「もっと触れていたい……お前の部屋で……いいか?」 
「うん………早く帰ろ……」 
うっとりと甘い吐息を零しながらリョーマがそう言うと、指輪も一層熱を持った。 
手塚はリョーマの額にチュッと音をさせて口づけ、リョーマの肩を抱いて歩き出す。 
「……もう……夏…………終………だな……」 
「え?」 
小さく呟かれた手塚の言葉が聞き取れずリョーマが手塚を見上げると、手塚は窓の向こうの、遠い雨雲を見つめていた。 
「部長?」 
「……帰ろう。リョーマ」 
「うん」 
穏やかな手塚の微笑みに、リョーマの心の奥がきつく締め付けられた。 
よくわからない、だが確かに生まれた小さな不安がリョーマの表情を曇らせる。 
「そう言えば、課題は少しは進んだか?」 
「え?まあ、感想文以外は、それなりに」 
「夏休みももう終わるんだ。ちゃんと本腰入れて、新学期が始まる前に終わらせるんだぞ」 
「ういーっス」 
現実的な話題にうんざりしたように返事をすると、手塚がまたリョーマの髪をクシャッと掻き回した。またリョーマの顔が微かに強ばる。 
「前にも言ったが、感想文は手伝ってやれない。だが、俺が前に読んだ本でいいなら、貸してやるが、どうする?」 
「ぁ!お願いします!貸してください、部長」 
勢いよくリョーマが手塚を見上げると、手塚は楽しそうに笑っていた。 
「わかった。明日持ってきてやる」 
「ありがと、部長!」 
「そのかわり、貸出料は、高いかもしれないぞ?」 
腰を引き寄せられ、耳元に甘く囁かれて、リョーマは頬を真っ赤に染めた。 
「感想文、書き終わったら、支払います」 
「………その言葉、ちゃんと覚えておいてくれよ?…期待している」 
「……部長、その言い方、なんかヤラシイ」 
リョーマが唇を尖らせて上目遣いに手塚を睨むと、手塚はまた楽しそうに笑った。 
その手塚の笑顔に、リョーマは心の奥に生まれた不安を忘れることが出来た。 
         
         
低く垂れ込めた雨雲が青空を完全に隠している。 
そして雨は、より一層強さを増して降り続いていた。 
         
         
         
         
         
         
         
         
手塚が帰ったあと、リョーマは自室のベッドの上でボンヤリと天井を見つめていた。 
つい先程まで、このベッドの上で手塚と疑似SEXをしていた。 
カラダがまだ熱い。 
たまたま家に誰もいないことがわかると、二人は大胆に衣服をすべて脱ぎ落とし、互いの身体に触れ合った。 
手塚にすべてを晒し、すべてを預け、快感を感じているのだとすべて隠さず伝えた。 
いつにも増して、手塚の触れ方が熱かった。 
家族の誰かが帰ってくるまでの時間、リョーマが吐き出しても吐き出しても、もっと感じて欲しいと囁き、息をつく間もなく全身を愛撫された。 
後孔も、浅くだが弄られ、もしかしたらこのまま身体を繋げてくれるのではないかと、リョーマは心の奥で期待した。 
だが、手塚は最後まで、身体を繋げようとはしなかった。 
むしろ、それだけはしないと強く決意しているように、時折堪えきれなくなる自身の熱を、リョーマの身体に浴びせかけることで宥めていたようだった。 
(どうして……) 
きちんとけじめをつけようとするのは手塚の性分であるのだろうとは思う。だが、あんなにも熱く触れ合っている時間の中で、ただ「けじめだから」という理由だけで身体を繋げないのだとは思えない。 
愛する相手が自分にすべてを預け、晒し、拒むことなど決してないというのに、激情に流されることなく理性を保っているには、よほどの忍耐力が必要だとリョーマは思う。同じ男だからこそ、わかるのだ。 
手塚が身体を繋げないのには、何か別の理由があるのではないか。 
リョーマには、そう思えて仕方がない。 
(ちゃんと、部長に訊いてみようかな……) 
すべてが解決するまで待っていてくれと言ったのはリョーマの方だ。だから、なぜ身体を繋げないのかと尋ねることはおかしいかもしれない。 
だがもしも、リョーマの言葉以外にも、手塚が躊躇う理由があるなら、それは聞きたいと思う。 
(明日……部活のあとで訊いてみようかな……) 
リョーマは気怠い身体を起こし、ベッドを降りてカーテンの隙間から外を見てみた。 
多少小降りにはなったようだが、まだ雨は降り続いている。 
(明日は……止むのかな……) 
いや、雨でもいい、とリョーマは思う。 
また体育館での自主練になるなら、手塚と一緒にいられる時間も長くなる。 
「あっ」 
急激に、指輪が熱を持った。今までにないほどの熱を感じて、リョーマは指輪を凝視した。 
(なんか…いつもと違う…?) 
「リョーマ、ご飯よ!」 
階下から母に呼ばれ、思考が中断したが、何かイヤな予感がしてきた。 
夕飯の席に着くなり掻き込むようにして食事を終え、また自室に駆け込んでベッドの上で膝を抱えて蹲った。 
だがそのまま、時間だけがゆるゆると過ぎてゆく。いつも眠気に襲われる時刻になっても一向に眠くならない。 
(やっぱりなんか変だ…) 
リョーマはきつく眉を寄せて時計を睨む。 
しかし、家中が寝静まった頃、いきなり強烈な眠気がリョーマを襲った。 
「な……っ」 
いつもの比でないほど急速で強い眠気に、リョーマは恐怖さえ感じる。 
闇の淵に吸い込まれると言うよりは、ストンと落とされたように意識が途切れた気がした。 
         
         
そして、リョーマの意識が浮上する。 
         
         
いつも以上に、視界が悪い。部屋自体が真っ暗なのかもしれない。 
(暗い……それに、なんか……) 
直感的にいつもの『あの男』の部屋ではない、とリョーマは思った。 
窓から入る薄い光が、いつもとは違う角度で部屋に入り込んでいる。それに、『青い四角形』が、まったく見あたらない。 
(そうだよ、あいつの部屋じゃなくて、ここは……) 
「んっ」 
強く抱き締められ、一瞬息ができなくてリョーマは呻いた。 
「      」 
男が、吐息混じりにリョーマに何かを囁く。囁きながら、さらに強く抱き締められた。 
「ぁ………っ」 
すでにリョーマの胎内に男の楔が深く埋め込まれているのを感じる。だが男は腰を揺することはなく、ただじっとリョーマを抱き締めていた。 
「      」 
男がまた吐息を零す。呟かれた言葉はわからないが、リョーマの心を痛いくらいに締め付けた。 
「あ…」 
「    」 
何かを熱く囁きかけ、リョーマの首筋に顔を埋めながら、男がゆっくりと動き始める。 
「ぁ……あっ、あ、ああ」 
根元まで埋め込まれていた楔が先端を残してゆっくり引き抜かれ、またゆっくり埋め込まれる。 
リョーマが男の背に腕を回すと、しっかりとついた筋肉が男の動きに合わせて艶めかしく蠢き、後孔の奥に感じる快感と連動してリョーマの雄を勃ち上がらせた。 
「あぁ……あ、は、あ…ん……いい……」 
感じ入ったようにリョーマが喘ぐと、男の雄がまた一回り大きく変形した。 
今夜はいつもよりも摩擦感が強く、それが苦痛と言うよりむしろ気持ちよくて、リョーマは甘い声を漏らし続ける。 
「あ、あ、あっ、は、ああ、んっ」 
男の動きが加速し始める。 
リョーマが仰け反ると、男が喉元に口づけてくる。甘く歯を立てられ、リョーマの背筋を快感が走り抜けた。 
「あ………んっ、や、あっ」 
「     」 
男の吐息が喉元にかかり、揺すり上げるように這い上がってきた唇が、リョーマの唇を掠めて、離れた。 
「あ…あ………」 
身体を起こして、男が大きく腰を使い始める。 
ひと突きしては奥を抉り、リョーマの胎内を味わうように腰をうねらせる。 
「やっ、あっ、ああ、んっ」 
奥深くで腰を回されるたびにリョーマのスイートスポットが強く刺激され、リョーマは何度もビクビクと身体を揺らしながら喘ぎ続ける。 
しばらく奥を掻き回してから勢いよく熱塊が引き出され、その倍の強さで突き込まれて深く抉り回される。それを何度も何度も繰り返されるうちに、リョーマの先端から透明な蜜が零れ出し、淡い茂みや男と繋がる部分をしっとりと濡らしていった。 
「       」 
男がリョーマの耳元で熱く何か囁く。 
リョーマのカラダは小さく頷いた。 
「ああっ!」 
男の動きが変わる。 
激しく腰を打ち付け、固く尖った雄の切っ先でリョーマの最奥を付き荒らし始める。 
「ああっ、あっ、あっ、あっ、やっ、いやっ…だっ、ああっ!」 
激しく突き込まれる反動でリョーマの身体がベッドの上で跳ねる。その身体を押さえつけるように男がのし掛かり、抱え込んだリョーマの腰に痣が出来そうなほど強く腰を叩きつけてくる。 
「うあっ、あぁっ、あ、ひっ!」 
いつもより男の雄が熱い。 
大きさも、太さも、固さも、胎内を出入りする感触でさえも、いつもと違ってその質感がひどくリアルにリョーマの腸壁に伝わってくる。 
(どうしよう……すごく…気持ちいい……っ) 
意識が落ちる時の感触とは違う感覚でリョーマの頭の中が真っ白に塗り替えられてゆく。 
「すごい、いいっ!いいっ………イク、もう、イク……ッ!!!」 
リョーマの身体が硬直し、その固い身体を男に揺すられながら、絶頂に達する。 
「あっ、あ………っ!」 
男の熱塊が押し込まれるたびにリョーマの雄から熱液が噴き上がる。 
そうしてリョーマが最後の熱液を噴き上げる頃、男もリョーマの奥深くで動きを止めた。 
「   っ、……っ」 
鋭く揺すり上げては、最奥で男が力む。 
「ぁ………」 
下腹部の奥に、熱いものが広がるのをリョーマは感じた。 
すべてを出し切ったらしい男は、しかし、またすぐに腰を揺すりだした。 
(え…) 
いつもは達するとすぐに雄を引き抜き、少しだけ間を開けてから再び入ってくる男が、今夜に限っては続けてリョーマの胎内を貪り始める。 
(やっぱり……なんか、違う……) 
再び内側から情欲の火を灯され、喘がされながらリョーマは男の行動を不審に思う。 
(なにか……あるのかな……) 
大きく脚を開かされ、後孔深く男の熱塊を受け入れ、再び全身を侵し始めた快感にリョーマは激しく悶える。 
「ああ、いいっ、もっと……もっと深く……っ」 
リョーマが強請ると、男はそれに応えて激しく抉ってくる。腰が回されると、グチャグチャと艶めかしい粘着音が、いつもよりも大きく聞こえた。 
「ああ、すごい……気持ちいい……」 
少しずつ体位を変え、しばらく抉り続けていた男がまた腰の動きを加速する。 
「やっ、また出る……イク……や、ああっ、う、あっ」 
絶妙な角度でスイートスポットが突き上げられ、堪らずにリョーマが二度目の射精を始めると、それに合わせたように男も再びリョーマの胎内でビクビクと痙攣し始めた。 
「      …マ…っ」 
男が、たぶん、リョーマの名を呼びながら射精している。深く密着させた腰をさらに奥へ捩り込むように蠢かせながら男は何度も力んだ。 
最後の一滴まで搾り出すかのようにしばらくリョーマの奥深くで動きを止めていた男が、漸くリョーマから己の雄をゆっくりと引き抜く。 
ぐったりと手足を投げ出していたリョーマは、軽い排泄感を催し、慌てて後孔を引き締めた。しかし、男にいきなり身体を裏返され、緩んだ穴から熱い液体が溢れ出すのがわかった。 
(え………まさか……) 
リョーマは強い衝撃を受けた。 
(まさか、中で……?) 
あまりの衝撃にリョーマの思考が止まる。だが男はそんなリョーマに気づくはずもなく、背後から再びいきり立つ雄を捩り込んできた。 
「ああぁっ」 
リョーマのカラダは歓喜の声を上げる。 
後孔に押し込まれた熱塊に押し出されるようにリョーマの奥からまた液体が溢れ出し、内股を伝って流れ落ちた。 
(そんな……いやだ……っ) 
「いやだ……」 
リョーマの心の思いが素直に言葉になった。 
男の動きが一瞬、止まる。 
「やだ……出さな…で……」 
自分の頬を涙が伝うのをリョーマは感じた。 
男はゆっくりとリョーマの顔を背後から覗き込み、左手で涙を拭った。 
だが拭っても拭っても零れ落ちるリョーマの涙に、男は小さく溜息を吐いた。 
         
『……もう……これで…最後だ……』 
         
(え……?) 
男の言葉が、初めてはっきりとリョーマの心に伝わってきた。 
やはりその声音は明瞭ではなく、どんな声なのか、誰の声に似ているのか、まったく判別はつかないが、語りかけられた言葉だけは、なぜかはっきりとリョーマにも理解できた。 
(最後……って……) 
男が、クシャッとリョーマの髪を掻き回し、行為を再開した。 
「あ……あ、ああ……っ」 
背後で粘着音が聞こえるたびに、リョーマの内股を熱い液体が流れ落ちる。その感触に、リョーマは再び絶望感を感じた。 
(とうとう……中に………誰だかわからないヤツのを……っ!) 
本当に自分の身体が男に犯されたのだと感じた。 
今までも散々情交の痕跡は残されていたが、胎内に男の精液が残っていないことだけが、唯一の救いだったのに。 
(本当に……全部……汚れちゃった………) 
喘ぎながら、リョーマは涙を零し続けた。 
カラダは快感に悦び、男に合わせて腰を振ったが、心は粉々に砕かれたようだった。 
(こんなカラダ……部長にあげられない……) 
リョーマだけを想ってくれている手塚に、相手もわからずに犯されて悦ぶカラダを差し出すなんて出来ないと思った。 
男に扱かれてリョーマが三度目の絶頂を迎える。 
リョーマの腰を鷲掴みながら、男も三度目の絶頂をリョーマの直腸の奥で迎えた。 
男の精液で満たされているリョーマの直腸は、新たに注ぎ込まれた精液を飲み込みきれずに接合部分から零れさせた。 
「ぁ………っ」 
男が引き抜かれると、派手な音を立てて精液が溢れ出す。 
解放され、ベッドに崩れ落ちたリョーマは、そのまま徐々に意識がなくなっていくのを感じた。 
         
『リョーマ…』 
         
意識が途切れる直前、切なく名を呼ばれ、口づけられた。 
男と交わす、初めての口づけだった。 
(ぁ………このキス……似てる……部長…の……) 
口づけられたまま、リョーマの意識は、ゆっくりゆっくり、フェードアウトしていった。 
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
朝が来る。 
静かに目覚めたリョーマは、開けづらい瞼を、やっと少しだけ開いた。 
(雨の音だ………今日も雨なんだ……じゃあ、また体育館でランニングだな……) 
身体が怠い。 
そして、その怠さに、だんだんと昨夜のことを思い出してきたリョーマは、腫れた瞼を目一杯開いてきつく眉を寄せた。 
(オレ………昨夜……っ) 
身体が、カタカタと震えだした。 
リョーマは何も纏わずに自分のベッドにいる。 
(そうだ……昨夜はアイツの部屋じゃなくて、この部屋で……) 
いつもの不鮮明な視界の隅に、微かに映ったトロフィーの影を覚えている。 
あれは間違いなく、部屋に無造作に置いている自分が取ったトロフィーだ。 
そう、つまり、昨夜『あの男』は確かにここに、いた。 
(でも…今までだって、中で出されたと思っても、朝になったら何も残ってなかったりしたし……) 
最後の希望に縋るように、リョーマはゆっくりと身体を起こした。 
「………ぁっ」 
未だ閉じきれていないのか、身体の動きで緩んだ後孔からドロリと熱いものが流れ出てきた。 
「!」 
そのまま、リョーマはしばらく呼吸を忘れた。 
夢ではなかった。 
本当に自分は『あの男』に犯され、悦び、悶え、そして自分の胎内で男にも快楽を与えたという証を残されたのだ。改めて、自分の身体が男に抱かれていたという事実を目の前に叩きつけられた気がした。 
「ああ………」 
絶望に目を見開き、両手で顔を覆おうとして、リョーマは自分の右手が何かを握り締めていることに気がついた。 
「?」 
ゆっくりと右手を開き、自分が握っているものを見て、リョーマはあまりの驚きに一瞬声も出せなかった。 
「これ………な…んで………」 
リョーマの右手には、同じデザインのリングが二つ。 
「なんで……」 
自分のリングが外されただけではなく、『あの男』が持っていただろう片割れのリングも手の中にある。 
「どうして……」 
そうしてリョーマは、『あの男』が言っていた言葉を思い出した。 
         
『……もう……これで…最後だ……』 
         
その時は、行為がそれで終わりなのかと思っていた。その言葉よりも、胎内に射精されたことがショックで、その言葉の重要な意味を考えずにいた。 
「最後って………この関係を、終わりにするって、意味………?」 
瞬間、様々な感情がリョーマの中に込み上げた。 
指輪を外せたという安堵感 
解放されたという喜び 
謎が解けていないことへの戸惑い 
だが、最後に残ったのは。 
「ち………くしょ……っ」 
二つのリングを握り締め、リョーマはその手をベッドに叩きつけた。何度も何度も。 
「何が最後だって!?散々オレのことヤりまくって、いきなり勝手に終わるのかよ!」 
激しい怒りだった。 
十数年生きてきて、これほど怒ったことがあるだろうかと思うほど、どうしようもない怒りだった。 
いきなり犯され、唐突に始まった関係から解き放たれて嬉しいはずなのに、それよりも、自分勝手な男への怒りが勝った。 
「これで終わっただなんて……冗談じゃない」 
リョーマはゆっくりと右手を開いて二つのリングを睨みつけた。 
「絶対に許さない……」 
自分を好き勝手に弄んだ男を許さない。 
最後まで名乗り出なかった男を許さない。 
勝手に関係を断ち切ろうとする男が許せない。 
「見つけてやる」 
必ず見つけ出して、この怒りをぶつけてやりたい。自分が心に受けた痛みの分だけ、殴りつけてやりたい。 
「絶対……っ」 
手の中の、冷たいリングをしっかりと握り締める。 
タオルケットをはね除け、ベッドから降りたリョーマは、情交の名残を残すシーツを一瞥してきつく眉を寄せた。 
今は、絶望して蹲っている時ではないと思った。 
(新橋の店に……行ってみようか…) 
その前に、不二にもこのことを知らせて意見を聞いてみようかと思う。 
なぜか時間が経てば経つほどに、『あの男』の手掛かりが消えていくように思えてならない。 
焦っているつもりはないが、心の中で、何かがリョーマを急かしているようだった。 
(落ち着いて、まずは部活に行こう) 
さっきまでリョーマの心を占めていた絶望感は完全に吹き飛んでいた。 
そして、絶望の代わりに胸に込み上げる怒りが、自分を動かすエネルギーに変換されていく気がした。 
         
だが本当の意味で自分の身に起きている『変化』に、未だリョーマは気づいてはいなかった。 
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         続 
         
         
        
         
         
         
         ←前                              次→ 
         
        
         
        ***************************************** 
         ←という方はポチッと(^_^) 
        つながりが悪い時は掲示板やお手紙でぜひ一言を! 
        ***************************************** 
         
        掲示板はこちらから→  
お手紙はこちらから→  
         
          
         
        
        20060323 
         
         
          
         |