天使


<1>


翌日。
練習の合間にフェンスに寄りかかって溜息をついたリョーマのもとへ、不二がゆっくりと近づいてきた。
「……調子よくないの?越前」
「べつに。絶好調じゃないっスけど、大丈夫っスよ」
「ならいいけど」
そう言って微笑むと、不二もリョーマの横のフェンスに、同じようにして寄りかかった。
昨夜も『あの男』に逢い、抵抗できぬままにカラダを奪われたリョーマだったが、一昨日と同様に、『貪られる』というよりは『慈しまれる』ようなSEXだった。
身体を繋げるまで丁寧に扱われ、解され、認めたくはないが『気持ちいい』と感じた。
身体を深く繋げている間も、何度も髪を撫でられ、額や頬にキスされ、聞こえない甘い言葉を耳元に囁かれてカラダの深いところが震えた気がする。
さすがに男が絶頂に向かう際は激しく揺さぶられ、深く何度も突き上げられたが、それ以外は愛し合う者同士のような穏やかなSEXだった。
なぜ『あの男』の抱き方が変わったのかはわからないが、そのおかげで今日の体調もそれほど悪くはない。
「………なんスか?」
ただ横にいるだけで何も話そうとはしない不二を不審そうに見遣って、リョーマがまた溜息を吐いた。
「…越前が見るようになった『リアルな夢』って、どんな夢?」
「え」
リョーマはギクリとして不二を見つめ、すぐに目を逸らした。
「どんな、って………なんか…知らない人が、オレに話しかけてくるんスよ」
「知らない人が?」
「あー、いや、知ってるのかもしれないけど、誰だかわかんない人、かな」
「………ふぅん」
小さく返事をしたまま、また不二が何も言わなくなってしまったので、リョーマは視線を帽子の下に隠しながら不二を窺った。
「……なんでそんなこと訊くんスか?」
「ん?」
不二はコートの方を見つめたまま口を開いた。
「その指輪の別名、確か『恋人たちの鎖』だったよね?」
「え?……ああ、……そっスけど……」
「うちの姉さん、趣味と実益を兼ねて占いとか、ちょっとした霊象を扱ったりしているんだけど……」
「はぁ…」
いきなりサラッと明かされた不二の姉の『実益を兼ねた趣味』に、リョーマはどう反応していいかわからず、曖昧に相槌を打つ。
「姉さんに昨日、『恋人たちの鎖』という名前の『何か』を知らないかって、訊いてみたんだ。そうしたら……」
「そ…そうしたら?」
身を乗り出すリョーマをチラリと見て、不二は溜息を吐いた。
「すぐに『確か対になってる指輪のことね』って言ったんだ。しかもそれ、呪物の一種じゃないかって。何かの本で見た気がするって言ってた」
「じゅぶつ?」
「つまり、呪力や霊験があるとされる物のこと」
「?」
きょとんと見つめてくるリョーマを見つめ返して、不二はまた小さく溜息を吐いた。
「『恋人たち』なんてつくから甘いもののように聞こえるけど、『鎖』っていうのが僕もちょっと気になっていたんだ」
「はぁ…」
「どんな呪力があるのかはわからないけど、それを身につけたからには、何らかのリスクがあるんじゃないかってこと」
「………」
だんだんと、不二の言わんとすることがわかってきたリョーマは、次第に表情を固くしていった。
「脅すわけじゃないけど………その指輪、何とかして出来るだけ早く外した方がいいんじゃないかな」
「………」
リョーマはきつく眉を寄せて右手のリングを見つめた。
「………でも、じゃあ、この指輪と対になるヤツを嵌めてる人も、何かリスクがあるかもしれないってことっスよね?」
「………そうなるね」
「………」
グッと右手を握り締め、リョーマは唇を噛んだ。
恋人たちの鎖。
『鎖』とは、「繋ぐもの」ではなく「縛るもの」だったとしたら。
この指輪が外せない限り、リョーマは『あの男』に抱かれ続けなければならないというのだろうか。
「そんなの……冗談じゃない…っ」
「越前?」
唸るように呟いたリョーマに、不二が小さく目を見開く。
「どうすれば……」
「練習中だぞ、二人とも」
唐突に掛けられた硬い声に、リョーマと不二は同時に顔を上げ、声のした方へ視線を向けた。
「部長…」
「ああ、すまない、手塚。…手塚にも、話しておいた方がいいね」
「…今は練習中だと言っただろう」
感情を抑えたような、冷たくさえ思える静かな声で、手塚が言う。
「すみませんでした、部長」
リョーマが帽子を取ってペコリと頭を下げると、手塚は何も言わずに小さく頷いて背を向けた。
(部長にも、あとで話さなきゃ…)
じっと手塚の背中を見つめていると、不二が深い溜息を吐くのが聞こえて、リョーマは視線を不二へと向けた。
「…どうか、したんスか?」
珍しく笑みを消して険しい表情をしている不二に、リョーマは不思議そうに尋ねる。
「……手塚は越前のことを恋愛対象として見ているみたいだけど、越前はどうするの?」
「え……」
「べつにからかっているわけじゃないよ。僕はそういうことに偏見は持っていないからね」
「ぁ……の……オレは………」
じっと不二に見つめられて、リョーマは微かに動揺した。
「べつに……部長も、オレに好きだって言ってくれたわけじゃないし……だから、まだ、どうするかなんて…」
少しだけ嘘をついた。
本当は自分がどうしたいか、そして、そう願ってもどうにもならないことを、リョーマはもう知っているのに。
「告白はされていないの?」
「そんなの……されてないっス」
「ふぅん」
そう言ったまま、不二がラケットを持って歩き出した。
「不二先輩?」
「練習、しようよ、越前」
ニッコリといつものように微笑まれて、リョーマは少し拍子抜けした。
だが確かに、はっきりとした証拠がないままあれこれ考えても無駄かもしれないとは思う。
「ういっス」
(昼間までアイツのことで頭ン中いっぱいなのもムカツクし)
とはいえ、日曜に手塚と約束している新橋行きの件は、明日の土曜に変更してもらおうと思う。
少しでも早く、どんなに小さくても手掛かりが欲しかった。
(でもまずは今日、桃先輩のこと、探ってみないと…)
リョーマはぐいっと帽子を深く被り直し、ラケットを手に取った。








「ありがとうございました!」
練習を終え、コート整備にかかるリョーマの傍へ、桃城が歩み寄ってきた。
「越前!」
「なんスか?」
「とりあえず、部室で待ってるぜ?」
「ういっス。あ、そだ、桃先輩……」
手塚も一緒に行くことを言いかけたリョーマの視界に、桃城の背後に忍び寄る菊丸の姿が目に入った。
リョーマのポカンとした表情に気付き、その視線を追いかけて後ろを振り向こうとした桃城は、その正体を確認する前に後ろから羽交い締めにされた。
「ぅわっ、なんスか?あれ?菊丸先輩???」
「こ〜らぁ〜桃ち〜ん」
ギュウギュウと締め上げられて桃城は「ぐあ」だか「ぐえ」だかと、奇妙な声を発する。
「ギブギブッ!…もー、何するんスか!菊丸先輩!」
「桃ちん、新しいゲーム買ったんだってぇ?しかも俺の欲しがってるヤツ〜」
「え…」
「何で早くそれを言わないのだ〜?内緒にしておチビと遊ぶつもりだったにゃぁ〜?」
「う……それは……」
呆気にとられたように傍らに突っ立ているリョーマに、桃城が恨みがましい視線を送る。
「え?オレ、菊丸先輩には何も言ってないっスよ?」
「そうそう、越前じゃないよ。僕がちょっと小耳に挟んだだけ」
クスクスと笑いながら、不二が歩いてきた。
「不二先輩が?」
桃城が怪訝そうに小さく眉を寄せる。
「昨日、練習前に越前のこと誘っていたでしょ?桃の声はよく通るから聞こえちゃったんだ」
「あー……そっスか」
桃城が「参ったな」というふうに苦笑する。
リョーマは小さく首を傾げた。
(でもソフトの名前言ってないし…それにあの時不二先輩って、部長たちと話していたんじゃ……)
少し考えてから、リョーマは不二の前では内緒話はしないでおこうと心に決めた。
「俺もおチビと一緒に行く〜!いいよね?桃ちん?」
「え?あ……も、もちろんいいっスよ」
背後から抱きつかれたまま、桃城は引きつった笑顔を浮かべる。
「ぁ、じゃあ、僕も行っていい?お菓子とか持ち込みで、僕が奢るから」
「あ…う……もちろんっ、不二先輩も大歓迎っス!」
桃城の表情が、引きつりを通り越して半泣きになってきたようにリョーマには見える。だが、最後のとどめのように追い打ちをかけたのはリョーマだった。
「桃先輩、部長も、いいっスか?」
「は……………?」
後ろから羽交い締めにされ、横からニコニコと見つめられ、正面のリョーマに子犬のように見上げられて、桃城はただ、コクコクと頷くことしかできなかった。






校門で手塚を待ちながら、リョーマは不二を見上げた。
桃城と菊丸は、先程からリョーマにはよくわからないアイドルの話で盛り上がっているようなので、放っておくことにする。
「なに?越前」
「ぁ……いえ、その……どうして、かなって」
「ん?」
優しげに聞き返されて、リョーマは却って言いづらくなってしまい、視線を彷徨わせる。
「…どうして僕も越前について行くことにしたか、ってこと?」
「………」
チラリと不二を見遣って、リョーマは小さく頷いた。
不二は一瞬苦笑してから、いつもの微笑みを浮かべる。
「ちょっと心配になったから、だよ」
「………」
リョーマは小さく目を見開いてから、足下に視線を落とした。
「すみません…」
「いや、それにね、僕も知りたいんだよ。どうして僕には越前の指輪が見えるのか。僕の『役目』は何なのか、ってね」
「役目……」
そっとリョーマが見上げた不二は、何か考え込むように口元に手を当てていた。
「待たせたな」
日誌を届けに行っていた手塚がやっと現れたので、五人は桃城の家に向かって移動を始めた。






途中でお菓子や飲み物を仕入れ、ゾロゾロと桃城の家に上がり込む。
早速部屋の中を見回したリョーマは、ベッドの位置を確認して表情を曇らせた。
「どう、越前?」
ワイワイとゲームをやり始めた桃城と菊丸に聞こえないように、不二がそっと尋ねてくる。
リョーマは不二を見上げ、眉を寄せて頷いた。
「ベッドの位置は…同じっス。でも……なんか、違うような……」
そう言ってもう一度じっくりと部屋の中を見回す。
入り口すぐに置いてあるベッドは西側の壁際に置いてあり、『あの男』の部屋と思われる場所にあるベッドと同じような向きになっている。
だが。
(本棚って…?)
桃城が本棚に青いものを立てかけてあると言っていたが、その『本棚』が見あたらない。
(ぁ……あれか?)
漸く見つけた本棚は、ベッドから一番遠い部屋の隅にあった。
だが本棚とは言っても、CDと漫画本が無造作に収まっている小さな棚のことで、桃城が言っていた『青いジャケット』もベッドからでは印象に残るほどよくは見えない。
「違う……」
小さく呟かれたリョーマの言葉に、不二と、そして手塚が視線を向けてきた。
(ここじゃない……アイツの部屋は、ここじゃない……)
リョーマはふぅっと息を吐いて、少し身体の力を抜いた。
桃城が『あの男』である可能性はかなり低くなったことに、心底安堵した。
リョーマが連れ込まれる部屋が『あの男』の部屋だと断定できない以上、桃城にしろ、不二にしろ、まだ完全に疑いを晴らせたわけではないが、身近な親しい人物が高い確率で『あの男』でないだろうと思えることが嬉しい。
だが嬉しい反面、また根本的な問題が頭を擡げてくる。
(でも………じゃあ、誰が……)
再び眉間にシワを寄せて考え込み始めたリョーマを見つめながら、不二も微かに眉を寄せた。手塚もじっとリョーマを見つめる。
「おチビ〜!タッチタッチ〜っ!!!」
「え?うわっ」
深刻な思考を吹き飛ばすような賑やかな声で呼ばれて顔を上げると、いきなり菊丸にぐいっと腕を引っ張られた。
「なっ、なんスかっ!」
「おチビ、この続きやって!バトンタッチ!」
「は!?」
いきなりコントローラーを渡されて、リョーマは慌てて操作し始める。
「うわっ、なにこれ、どーすりゃいいんスか、桃先輩!」
「だ、だから、あれを……おわっ、あちゃー…、おおっと、復活かぁっ!?」
「だからって言われても……あれ?…わわわっ?…なんだ?…なにがどうなって………にゃろうっ!」
わけがわからず巻き込まれたリョーマも、いつの間にか本気モードでゲームの世界にのめり込んでいく。
「ぃよっしゃーっ!」
桃城と声を合わせて叫び、パチンとハイタッチする。
「さっすが越前、このステージ結構難しいんだぜ」
「へえ、そうなんスか?次、行きましょうよ、次!」
「おうっ!」
リョーマは久しぶりに頭を空っぽにしてゲームに熱中することが出来た。
ここに来るまでの重苦しい気分がすっかり吹き飛んでいた。
それからしばらくして気がつけば外は暗くなり、部屋を見回すと手塚の姿がなかった。
「部長は?」
慌ててリョーマが不二に尋ねると、ニッコリと微笑まれた。
「少し前に先に帰っちゃったよ。越前に声掛けないのって訊いたら、楽しそうだからいいって。今夜電話するって伝えておいてくれって言われたよ」
「………そっスか……」
「なんだよ越前、部長が俺に声掛けてたのに、お前気がつかなかったのか?」
しょんぼりするリョーマを見て桃城が楽しげに笑う。
「お前、最近ストレス溜まり過ぎなんだよ。たまにはいいだろ、こうやってバカ騒ぎすんのもさ!」
「桃先輩……」
リョーマは桃城の心遣いが嬉しくなり、小さく微笑んだ。
(やっぱり、先輩たちを疑うなんて、しちゃいけなかったんだ)
こんなに思いやりのある桃城や不二を、一瞬でも疑った自分が情けなくなった。
「…ありがと、桃先輩」
素直に礼を言うと、桃城が頬を真っ赤に染めた。
「なっ、なんだよ越前、お前が素直だとなんか変だぜ?」
「……なにそれ」
ムッとして桃城を睨み、すぐにクスッと笑ってみる。
「あ〜お腹空いたにゃ〜」
買い込んだお菓子をすべて食べ尽くしてしまったようで、菊丸がぐしゃぐしゃとスナック菓子の袋を丸めながら溜息をついた。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「そっスね」
不二の言葉に頷き、リョーマはテキパキと片づけ始める。
「ああ、いいぜ、そのまんまで。どうせ、もとからそんなに綺麗な部屋じゃねぇし」
笑いながら言う桃城にリョーマも笑い返してから立ち上がった。
「お邪魔しました、桃先輩!」
「おう、楽しかったか?越前」
「ういっス!」
リョーマがニッコリと微笑み返すと、桃城も嬉しそうに笑った。
「桃ちん、ありがとにゃ〜」
「長々と悪かったね、桃」
「先輩たちも、また来てくださいよ。そん時はもっと部屋綺麗にしときますから」
それぞれ挨拶を交わして、リョーマたちは桃城の家をあとにした。
まだ仄かに夕陽の名残を見せる西の空を見つめながら、リョーマはひどく気分がいい自分に気付いた。
(たまには…いっか)
ずっと塞いでいた心が、だいぶ軽くなっている。
また難題に真正面から立ち向かう気力が漲ってきた。
「ありがと、不二先輩」
「え?」
「なんでもないっス!」
きっとムードメーカーの菊丸がいなかったら、こんなふうに心の底から楽しめていなかっただろうとリョーマは思う。
何となくギクシャクとした中で、余計に心も重くなっていたかもしれない。
不二が菊丸をそれとなく煽ってくれたおかげで、久しぶりに楽しい時間が持てたのだ。
(この人たちは、信じられる…)
ヒンヤリとしてきた空気を、リョーマは胸一杯に吸い込んだ。
(負けるもんか……!)
ぐいっとバッグを担ぎ直し、リョーマは目の前に広がる薄闇色の空を強い瞳で見つめた。







*****







家に帰り、夕飯をすませ、リョーマは風呂に入る前に手塚に電話をかけてみた。
『今日は先に帰って悪かったな。楽しかったか?』
「ういっス!すごく!」
気分の良さが声に出てしまったらしく、電話の向こうで手塚がクスッと笑った。
「でも……部長と一緒に帰りたかったっス」
自分に何も言わずに帰ってしまった手塚を、ほんの少しだけ非難してみる。
電話の向こうの手塚は短い沈黙の後で「すまない」と呟き、微かに溜息を吐いた。
「その代わり、明日と明後日は、オレに付き合ってくださいね?部長」
『もちろん、そのつもりだ』
即座に同意してもらえて、リョーマは嬉しそうに微笑む。
「それから部長、新橋行くの、明日でもいいっスか?」
『ん?ああ、べつに構わないぞ。時間はどうする?』
「明日はオバサンの都合で部活ないんスよね」
『ああ』
「だったら……」
『だったら、朝、迎えに行っても、いいか?』
「え…?」
唐突な手塚の申し出に、リョーマは目を見開いた。
「でも部長……遠回りになるんじゃ…?」
『俺は構わない。いや、むしろそうさせて欲しい。…その方がお前と長く逢っていられる』
「…………」
リョーマは頬を真っ赤に染めて言葉を失くした。
「好きだ」という直接的な言葉は聴かされていないものの、最近の手塚の言葉はすべて愛の告白めいているし、行動はまさに熱烈な求愛行動だと思う。
もちろんそれらが嫌だということは全くなく、むしろリョーマは手塚に逢うたびに聴かされる甘い言葉に酔い、熱い触れ合いに心を躍らせている。
なのに。
なぜだろう、何かがリョーマの心の中で小さな不安を訴えてくる。
手塚にばかり気をとられていないで、早く『あの男』を見つけ出さなければ取り返しのつかないことが起こる、とでもいうような。
だが、それでも。
こうして手塚の声を聴いたり、見つめ合ったりすれば、リョーマの感覚器官すべてが手塚を感じたがる。
触覚も視覚も、嗅覚も聴覚も味覚でさえも、すべてが手塚を求めるのだ。
全身で、手塚を感じていたくなる。
「迎えに、来てくれますか?部長………オレの部屋まで……」
リョーマの言葉に、手塚は一瞬だけ押し黙り、すぐに少し低めの声で「ああ」と答えてくれた。
本当は今すぐ逢いたい。
逢って抱き締めていて欲しい。
『あの男』のもとへ行かなくてもすむように、その力強い腕でこの身体を縛り付けていて欲しい。
「部長…」
『ん?』
その低めの、大好きな声で、「好きだ」と言って欲しい。
そう言ってもらえる資格が自分にないのはわかっているが、一度だけでも、そう囁かれたい。
「部長……明日も、オレの家に、泊まってください……」
『…………』
「だめっスか?」
『………いいのか?』
「部長がいないと、もう眠れないっス」
『…………』
手塚が黙ってしまったので、リョーマは眉を寄せて目を閉じた。
我が儘なことを言って、手塚を困らせている気がした。
『越前?』
「はい」
唐突に名を呼ばれ、リョーマは少しビックリして目を開けた。
『……聞こえているか?』
「え?」
受話器の向こうで、手塚が溜息を吐く。
『ちゃんと親御さんの了承もとっておいてくれと言ったんだ』
「え?……あ、じゃあ、泊まりに来てくれるんスか?」
『………ああ』
「ありがと…部長…」
『課題を見てやると、約束もしたしな』
「ういっス!」
リョーマが嬉しそうに返事を返すと、手塚も小さく笑い声を立ててくれた。
『じゃあ……明日、な』
「はい。また、明日……」
少し間があって、電話が切れた。
微笑みながら受話器を置き、リョーマは甘い吐息を零す。
(また泊まりに来てくれるんだ…)
手塚に逢いたくて堪らない想いはまだ消えていないが、明日になれば二人の時間をたっぷり過ごすことが出来るのだと思うと、少し我慢ができる。
「よし、風呂に入ろう」
そして、明日の朝は、手塚が来る前に起きて身体を綺麗にするのだ。
部屋に戻り、風呂の用意をしながらリョーマは考えた。
(もう少し、アイツ自身の情報を集めないと…)
今までは動揺しているだけで、自分に飛び込んできた情報を覚えているのがやっとだった。
だが、もっと冷静になって、少しずつでも、『あの男』自身の情報を集めなくてはならないだろうと思う。
日々、男にもたらされる快感が増してきているのは、あの夢の中での自分の『五感』が戻ってきているからかもしれないとも思える。
ならば、もっと積極的に男と向き合おうと思えば、より多くの情報を得られる気がするのだ。
(逃げるだけじゃだめだ。拒絶するだけじゃ、だめなんだ)
男の行為を受け入れるつもりはないが、『現実』から目を逸らしてはいけないのだと思う。
すでに手塚に想いを打ち明ける資格を失くした穢れきったカラダなら、そんなものは『あの男』にくれてやろうと思う。
だが、男はリョーマのカラダを手に入れると同時に、きっと大きな『しっぺ返し』を食らうのだ。
(オレに触れたこと、絶対後悔させてやる…!)
強い相手と戦う前のような高揚感がリョーマの胸に湧き上がってきた。
この夜、初めてリョーマは、『あの男』に自分から抱かれようと、思った。





















髪を、撫でられている。
何度も何度も。
愛しくてならないものを優しく労るように、その手は、指は、リョーマの髪を撫で続けている。
(いつの間に……)
手塚との電話のあとで風呂に入ったのは覚えている。だが、風呂から出たあとの記憶が、ない。
(すぐに寝ちゃったのか、オレ…)
そんなことを考えている間も、男の優しい手はリョーマの髪を撫で続けている。
今日はまだベッドに寝かされておらず、ベッドの上で男の腕の中に深く抱き込まれているらしい。遠くに、青い四角形がぼんやりと見える。
「      」
男が、何か囁いている。
相変わらず何を言っているのかわからないが、なぜか、胸が締め付けられるほど切なくなった。
男が、ギュッと強く抱き締めてきた。リョーマも抱き締め返したいと思うと、すんなりと腕が動いた。
「      」
男がまた何か囁きながら、さらにきつく抱き締めてくる。
(気持ちいい……)
手塚に抱き締められた時のような安心感はないが、この男に抱き締められている今も、心地よさを感じる。
(絆されちゃったのかな……)
もっと深く温もりを感じたいと思うと、また自然に身体が動き、男の胸に頬を擦り寄せることが出来た。
「   」
男がクスッと笑った気がした。
身体を密着させているせいで、小さく揺れた振動がそれを伝えてくるのだ。
「       」
耳元で囁かれ、今度はカラダが熱を持った。
男に跨るようにして向かい合い、抱き締められていることに気付いたリョーマは、熱い吐息を零しながら腰を押しつけてみた。
「   」
男の身体がピクッと揺れ、擦れ合う中心に芯が通ってくるのがわかる。
「ぁ、ん……」
ゆるゆると腰を擦りつけてやると、男が熱い吐息を吐きながらリョーマをベッドに押し倒した。
首筋に口づけられ、一枚一枚服を丁寧に脱がされゆく。
「はやく…」
男を煽る言葉も、すんなりと口から出た。
男の手が一瞬止まり、じっと覗き込まれるのがわかる。
「         …?」
何か、問いかけられた気がした。だがその内容がわからないので、リョーマは何も答えずに男の首に腕を回して引き寄せる。
それが合図になったかのように、リョーマはまた今夜もすべてを奪い尽くされていった。


男に与えられる快感のみを追いかけそうになる意識を必死に押さえつけ、リョーマは無防備に自分を抱く男の身体を手で確かめてゆく。
どこかに傷はないか。
何か特徴はないか。
時折強く深く突き上げられて嬌声を発しながら、リョーマは男の身体を撫で回す。それが却って男を刺激するようで、男は何度も熱い吐息を零してはリョーマのカラダを同じように撫で回してくる。
正面から挿入していた熱塊をゆっくり引き抜き、リョーマの身体を俯せにさせて男は後ろから再び熱い凶器を深く捩り込んできた。
「ああぁ、あっ、ああっ……ひっ」
繋がれたまま後ろから抱き込まれ、苦しいほど抱き締められた次の瞬間、リョーマのカラダは男に引き起こされ、男の上に抱え上げられる恰好になった。
「やっ、深…いっ」
「     …っ」
リョーマにきつく締め上げられた男が、甘い苦痛に低く呻いた気がした。
男とはかなり体格差があるようで、リョーマのカラダは軽々と抱き上げられ、男の熱塊の上に勢いよく落とされる。
「ひ、いや…っあっ」
自分の膝裏を強く掴む男の腕を、リョーマは掴んだ。固い筋肉に覆われた腕だった。
たぶん、毎日トレーニングは欠かさないのだろう。
そしてもうひとつ、微かな違和感がリョーマの手に伝わってきた。
(あれ……?)
しかし、それをしっかりと確認する前に、リョーマは男のもたらす快感の波に攫われてしまった。
「やっ、すご……っ、ああぁっ!」
突き上げられ、抉り回され、あまりの快感にリョーマの思考はあっさりと活動を停止する。
「も、イク、……だめっ、出るっ……!」
とどめのように奥深くでグリグリと腰を回され、リョーマは熱液を勢いよく噴き上げた。
リョーマがすべて吐き出し終えると、すぐにベッドに押さえつけられ、背後で男が力むのがわかった。
何度も強く抉り上げられているうちに後孔の奥に熱を感じる。
深く息を吐き出した男はすぐにリョーマから自身を引き抜き、リョーマの身体をそっと仰向けにさせる。
はあはあと息を乱し、激しく上下する胸を、男の指がそっと撫でる。
「…ぁ、あっん…」
乳首を摘まれ、弾かれて、リョーマは甘えるような声を出す。
男は小さく溜息を吐きながらリョーマに覆い被さった。

『…お前は天使なのか、それとも………』

(え……?)
苦しげな男の呟きが、耳元で聞こえた気がした。
だが、耳の奥に何枚も膜がかかっているように、その声音まではよくわからない。
(もっと……何か喋って……)
しかし、男の言葉はそれ以上はわからず、リョーマにタイムリミットが来た。
意識が闇に沈む寸前、男の優しい手が、自分の髪を愛おしげに撫でるのを、リョーマは感じた。



















朝になり、カーテンの隙間から柔らかな光が頬に射す頃、部屋のドアがノックされて開かれるのが小さく聞こえた。
「越前?」
(あ………部長の声……)
ドアが静かに閉まり、声をかけたその人がリョーマの傍まで来るのがわかった。
「まだ寝ているのか?」
手塚がクスクスと笑いながら、優しく髪を撫でてくれるのを感じる。
どうやら手塚が来る前にシャワーを浴びておこうというリョーマの計画は実行出来なかったらしい。
(部長…)
早く起きて手塚に抱き締めてもらいたいのに、全身が怠くて目を開けることさえなかなか出来ない。
「まったく……」
手塚が静かにベッドに腰掛けてくる。
「……寝顔はまるで天使だな……」
そう言ってまたクスッと笑う手塚の声を聴きながら、リョーマはゆっくりと目を開けた。
「ぶちょ……」
「おはよう、越前。迎えに来たぞ」
「うん…」
ふわりと微笑むリョーマに、手塚はそっと口づけてくれる。
「だめ………もっと……」
夢うつつのままもう一度目を閉じてリョーマが強請ると、手塚は小さく溜息を吐いた。
「朝から煽ってくれるな…」
そう言いながらも手塚はリョーマが望むように深く口づけてくれる。手塚の首に腕を回すと、口づけながら優しく髪を撫でてくれた。
「ぁ……ぶちょ…」
「少しだけ……いいか…?」
言いながら、手塚の手がリョーマの身体に沿って滑り降り、パジャマの上からリョーマの雄を撫でさする。
「ぁ……あ、やっ……」
「リョーマ…」
吐息混じりに名を呼ばれ、また口づけられた。
甘く舌を絡め合ううちに、リョーマの意識も、カラダも、ゆっくりと覚醒してゆく。
だが手塚の手が下着の中に滑り込もうとした途端、リョーマはギクリとして思わずその手首を掴んだ。
「リョーマ?」
「待って…」
まだシャワーを浴びていない自分の身体は、もしかしたら一目でわかるほど昨夜の情交の痕跡が残っているかもしれないのだ。
直に触れられたり、見られたりしたら、手塚に気付かれてしまうだろう。
「寝てて…いっぱい汗かいたから……」
「構わない」
「でもっ、あっ………ん」
口づけられ、手塚の手を掴む力が一瞬緩む。それを狙っていたかのように、少し強引に手塚の手が下着の中に入り込んできた。
「あっ!」
「………リョーマ…」
手塚が熱い吐息を零しながらリョーマを優しく撫で上げる。
「ぁ……ぶちょ……っ」
「…もう先が濡れている…」
クスッと笑われ、耳元で甘く囁かれて、どうしようもないほどリョーマの雄が高ぶり始める。
「ゃ……っ」
湿った音が立ち、リョーマの身体が小さく痙攣を起こす。
「あっ……あ、ぶちょ……は、あっ」
「リョーマ……」
優しく名を囁かれ、頬に、瞼に、額に、そっと口づけられる。頬を紅潮させ、うっとりと目を閉じていたリョーマは、しかし、上衣のボタンが外されてゆくのを感じてハッと目を開けた。
「だめ……っ」
「…どうした?」
「だって……」
もしも昨夜『あの男』がリョーマの肌に赤い痕を残していたらと思うとゾッとする。
(部長に……嫌われる……っ)
「だ……だから、……その…」
「………?」
「で、出掛けるのが……遅くなる…から……」
「まだ8時前だ。どの店も開いていない時間だぞ?」
クスッと笑いながら手塚が囁く。
「あ…っ」
拒む間もなく、リョーマの上衣のボタンが外されてしまった。するりと入り込む熱い手塚の手に、リョーマはゾクリと身体を震わせる。
「あぁ…んんっ」
口づけられている今なら、まだ肌を見られずにすむ。リョーマは離れそうになる手塚に縋りつき、口づけを強請る。
「ぶちょ……ずっと、キス……しててくださ……あっ、んっ」
「……リョーマ…」
深く口づけられながらカラダをまさぐられ、雄も優しく扱かれてリョーマの腰が揺れる。
「ん、ん……、ぁあ……」
口づけながら手塚がふっと微笑む。
「んっ……ぶちょ……?」
「やはりお前は……だ……俺にとっては……」
「なに…言って……っ、あっ」
手塚の言葉が聞き取りきれず、リョーマは小さく眉を寄せた。
だが手塚は答えずにリョーマの首筋から鎖骨に口づけてゆく。
「あ……やっ!」
胸の突起を強く吸い上げられ、リョーマの身体を電流のような快感が走り抜けた。
「ぶちょ…っ、ぁ……見…ちゃ……」
だめだと言いたいのに、手塚がもたらす快感に息が上がり、言葉が途切れてしまう。
「…イっていいぞ……我慢しなくていい…」
胸元で優しく言われ、リョーマはビクビクと身体を揺らす。
「ほら…」
「んっ、あぁ……っ!」
蕾に軽く歯を立てられ、熱塊を強く扱かれて、堪らずにリョーマは嬌声を上げた。
そのまま追い上げられ、熱い飛沫を噴き上げる。
「………ぁ……あ…」
喘ぐように呼吸しながら、リョーマは急いで上衣をかき合わせて肌を隠した。
手塚に背を向けるように身体を丸めると、手塚が小さく笑った。
「……どうしたんだ?」
「も……これ以上弄ったらだめっス!」
「わかった。もうしないから、こっちを向いてくれ」
微かに溜息を吐きながら言う手塚を、リョーマはそっと振り返る。
「……嫌だったのか?…すまない」
「ちが…っ、嫌じゃないっス!……ただ……」
「ただ?」
穏やかに聞き返されてリョーマは口を噤んだ。
じっと見つめてくる手塚の瞳を真っ直ぐに見つめ返せなくて、ふっと視線を逸らす。
「オレは……汚いから……」
「え…?」
「あ、あの……シャワー浴びてくるから、待ってて、部長」
そう言うと、リョーマは急いでタオルと着替えを手に持ち、部屋を飛び出した。
階段を駆け下り、廊下を駆け抜け、洗面所に飛び込んでドアを閉める。
はぁはぁと肩を揺らし、リョーマは恐る恐る鏡の前で上衣を脱ぎ落とした。
「……っ!」
日に焼けていない白い肌の上に、たった今つけられた紅い痕がひとつ。
そして。
「あ……」
手塚がつけた紅い刻印の反対側の脇腹に、紫がかった痣を見つけた。
(やっぱり……つけられてた……)
だが幸いなことに手塚が唇で愛撫してくれた場所とは離れていたせいか、手塚には気付かれなかったらしい。
「よかった……」
全身から力が抜け、リョーマはその場に座り込んだ。
(でも……そろそろ…限界、かな……)
いつまでも今日のように運良く見つからずにすむとは限らない。むしろ、見つからない方がおかしい状況になってくるだろう。
(部長が気付く前に…)
何としても『あの男』をつきとめ、指輪の謎を解きたい。
そしてそのあとで、自分からすべてを手塚に打ち明けたい。
何もわからないまま、手塚も失うことになったなら、心が壊れてしまう気がする。
「新橋に……行かなきゃ……」
リョーマはゆっくりと立ち上がった。
少しでも多くの手掛かりを得なくてはならない。
そのためには、早くあの店の男に会って、話をしなければ。
そして、夢の中ではもっと冷静に、『あの男』の特徴を探さなければ。
そう思ったところで、リョーマはふと、昨夜感じた男の身体の違和感を思い出した。
「あの感じは……」
リョーマは自分の両手をじっと見つめ、男の感触を必死に思い出そうとする。
(でも……もし、そうだとしたら……)
見つめていた両手をギュッと握り締め、リョーマは唇を噛んだ。
(そんなこと、あるわけない……)
ブンブンと首を横に振って、微かに湧き出した不信感を振り払う。
「シャワー、浴びよう…」
すべてを脱ぎ落とし、リョーマは浴室に入った。
コックを捻って熱めの湯を勢いよく浴びても、先程湧き上がった不信感が、未だ拭えずに胸の奥で燻っている。
(違う……絶対、違う……)
「部長がアイツだなんて、有り得ない……」

リョーマの呟きは、熱いシャワーの音に掻き消された。
















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20060212