  
        休日 
          
         
<1> 
        
         
         
穏やかな鼓動に包まれて、リョーマは目を覚ました。 
(あ……) 
リョーマの身体は手塚にしっかりと抱き締められていた。それは身動きも取れないほどで、リョーマはあまりの幸福感にもう一度目を閉じる。 
(身体が怠い……でも、いつもの朝とは、全然違う…) 
自分の身体のことだからよくわかるのだ。 
昨夜は、『あの男』に触れられてはいない。 
「……起きたか?」 
そっと、手塚に囁かれ、リョーマはふわりと目を開けた。 
「………」 
目が覚めて、これほどまでに寝床から出たくないと思ったのは初めてかもしれない。 
いや、「寝床」と言うよりも、「手塚の腕の中から」出たくないと、リョーマは強く思う。 
返事をしようかどうしようかと逡巡していると、手塚がクスッと笑った。 
「まだ寝ていていいぞ。俺もまだ、こうしていたい…」 
寝起きの掠れた、甘い声で手塚が囁く。 
リョーマの右手のリングが熱い。そしてカラダも、すでに熱かった。 
手塚に気付かれないように少しだけ下腹部を離そうとして、リョーマは自分がTシャツしか身につけていないことに気付いた。 
(うわ……なにこれ…オレの下に穿いていたヤツ、どこ…?) 
一気に耳まで赤くなったリョーマを、手塚は訝しげに覗き込んだ。 
「……どうした?」 
「ぁ……」 
手塚が動いた途端、敏感になっている先端が擦れ、リョーマは小さく声を発してギュッと目を閉じた。 
「…………」 
少し黙り込んでから、手塚が熱い吐息を漏らす。 
「……参ったな」 
「え……」 
リョーマが手塚を見上げるのと手塚がリョーマの雄に手を伸ばすのは、ほぼ同時だった。 
「ぁ……っ」 
優しく撫でられ、それだけでビクビクとリョーマの身体が揺れる。 
「ああ、あ…っ」 
きつく眉を寄せ、リョーマが縋るような瞳で手塚を見つめると、手塚も小さく眉を寄せて唇を噛んだ。 
(部長……?) 
「越前…」 
熱い囁きとともにグッと引き寄せられ、その胸にきつく抱き込まれた。 
手塚の鼓動が急速に加速していくのがわかる。 
同じ男だから、手塚が何を望んでいるかがリョーマにはわかりすぎるほどわかった。 
(オレも、このままアンタとしたいよ……でも…) 
激情に任せて、手塚に抱かれてしまうわけにはいかない。 
手塚に抱かれるのは、ちゃんと、『夢』の事実を手塚に話してからだ。そうでなければ、フェアじゃない。手塚の想いを裏切ることになりかねない。 
(アンタだけのオレでいたかったよ…) 
リョーマも手塚の背に腕を回してしがみついた。 
「…触って、部長……」 
「………」 
手塚がゴクリと喉を鳴らし、切なげな吐息を零す。 
リョーマは手塚の背に回していた手を前にずらし、手塚の雄に触れようとした。 
「だめだ」 
そのリョーマの手首を掴んで、手塚が低く呻くように言った。 
「だって、部長、一度も……」 
「…いいんだ。止まらなくなる」 
リョーマは揺れる瞳で手塚を見つめる。 
手塚は小さく微笑むと、リョーマに額をこつんとぶつけ、擦り合わせた。 
「早く……お前のすべてが欲しい……」 
「部長…」 
手塚が熱い吐息を零しながらリョーマの雄に触れる。 
「ぁあ……」 
腕枕をするように左腕でリョーマの頭を抱え込み、手塚は右手でリョーマを刺激し始める。緩く上下に扱かれ、先端を撫で回され、リョーマの雄はすぐに熱く形
を変えた。 
「昨夜もあんなに出したのに……敏感だな…」 
「………ぁっ」 
手塚から与えられる刺激に身体をくねらせながら、リョーマはギュッと目を閉じた。 
以前の自分は、こんなふうに熱くはならなかった。 
自慰すらもほとんどしたことがなかった。 
なのに、夜毎繰り返される行為に慣らされ、少しの刺激ですぐに快感を得ることが出来るようになってしまった。 
後孔に捩り込まれる男の熱塊をどんなふうに受け入れれば快感を得られるのかも、たぶん、もうわかっている。 
自分の身体をこんなにも淫猥に変えたのは『あの男』。 
リョーマが、想いを寄せる手塚では、ない。 
「ぶちょ……ぁあ、んっ」 
それに、何度達かされてもすぐに次を求めてしまう理由を、リョーマは知っている。 
「あっ、あ……ぁ、…っ」 
先走りの液体を先端から零しながら、リョーマは手塚の胸に顔を埋めるようにしがみついた。二人の身体の間でクチクチと、湿った粘着音が響く。 
(もっと……そこだけじゃ、ヤダ……) 
思わず零れそうになるそんな言葉を、リョーマは必死に飲み込む。 
足りないのだ。前をいじられるだけでは。 
(部長のが……) 
頭では『あの男』の行為を否定している。それは今も変わらない。 
だが、カラダは。 
『あの男』に組み敷かれ、何度も後孔に熱く滾る熱棒を捩り込まれたカラダは、前だけの刺激では物足りなくなってしまった。 
後孔を貫かれ、あの全身を突き抜ける強烈な快感がなければ、このカラダはもう満足しないのだろうか。 
(オレの、カラダ………やっぱりもう、汚いんだ……) 
手塚に触れられ、何度も達かされ、ついさっきまで悦びでいっぱいになっていたリョーマの心が、急に悔しさと悲しみに包まれた。 
         
         
         
         
         
***** 
         
         
         
         
         
「では、昨夜は例の夢は見なかったのか?」 
たっぷりと吐精したあと、手塚と離れたがらない身体を心の中で叱咤して布団から這い出たリョーマは、下着とハーフパンツを身につけながら昨夜は「夢」を見
なかったことを手塚に告げた。 
それを聞いた手塚はどこかホッとしたように微笑んでくれる。 
手塚が本気で自分を心配してくれるのが嬉しくてリョーマも微笑んだ。 
「……オレ、夜中に起きましたか?」 
「いや…寝返りもうたなかったぞ。…俺がしっかり押さえつけていたせいかもしれないな」 
少し冗談めかして言う手塚に、リョーマはまた微笑んだ。 
「ありがと、部長…」 
「ん?」 
「もっと早く…部長に話していればよかったのかな……」 
(そうしたら、こんなにオレのカラダが汚れる前に、部長と……) 
小さく溜息を吐くリョーマを見て、手塚は微かに眉を寄せる。 
「そう思うなら、これからはなんでもすぐに俺に話すことだ」 
穏やかに、諭されるように言われ、リョーマはふと、手塚の瞳を見つめた。 
(今、話してしまおうか……) 
リョーマは口を開きかけたが、やはり、最後の勇気が出せない。 
自分の穢れを罵られ、軽蔑されるのではないかと思うと、胸が潰されそうになる。 
「……これからは、そうします」 
「ん」 
布団の上に座っていた手塚がゆっくりと立ち上がり、リョーマの頭をポンポンと軽く叩いてから布団をたたみ始める。 
「今日は気晴らしに、どこか公営のコートで打つか」 
「ぁ……そっスね、どこがいいかな…」 
「明日からはテニス部の練習が再開するからな……今日くらいは二人で打ちたい」 
さらりとした口調で言われ、リョーマは一瞬間をおいてから頬を染めた。 
「………そっスね」 
微笑みながら手塚を見つめると、手塚も柔らかく微笑んでくれた。 
「……今日は、うちに泊まりに来るか?」 
「え……」 
「そうすれば、今夜も……」 
「………」 
確かに、手塚と一緒にいれば『あの男』のもとへ行かない気はする。 
だが、手塚の傍で眠るのも、今のリョーマにとってはつらいことのように思う。 
「今夜は……一人で寝てみます。またあの夢を見るかどうか……確かめてみるっス」 
「………そうか」 
「すみません」 
手塚は小さく微笑みながら溜息をつき、畳んだ布団を部屋の隅に移動させた。 
「越前」 
「はい」 
背を向けたまま名を呼ばれ、リョーマは手塚の背中を見つめる。 
「……本当に、俺に触れられるのは、嫌じゃないか?」 
「嫌じゃないっス」 
「俺に気兼ねしているのではないのか?」 
リョーマは小さく眉を寄せる。 
「オレは、そんなふうに相手に気を遣えるほど器用でも、お人好しでもないっス」 
クスッと手塚が笑った。 
「そうか」 
「そうっス」 
少しムッとしたままリョーマが答えると、笑んだままの手塚がやっと振り向いた。 
「ならば俺は、待っていればいいのだな?」 
「え?」 
「お前がすべてを話してくれるのを」 
手塚の静かな声音に、リョーマはドキリとした。 
(部長……) 
手塚も、心に葛藤を抱えているのがリョーマにはわかった。 
相手の想いが自分に向いていることは分かっているのに、最後の最後で心に壁を作るリョーマに、手塚は不安と切なさを感じているのだろう。 
(ごめん、部長……オレは、ズルイ……) 
すべてを話した時、手塚を失う可能性は高いだろう。 
だからこそ、少しでも長く、手塚に今のまま想われていたい。 
それは、とんでもない我が儘だというのはリョーマ自身、よくわかっている。 
わかってはいるが、わかっていても、心が、口止めをしたがるのだ。 
「……またあの店に行って、何かわかったら……真っ先に部長に話します」 
「………」 
手塚は黙ったまま溜息を吐き、ゆっくりリョーマに歩み寄った。 
「…意地っ張りめ」 
「え……」 
そっと、柔らかく手塚に抱き締められた。 
「部長……」 
「あの店には俺も一緒に行く。それくらいは、いいだろう?」 
「………うん」 
手塚の背に腕を回して、リョーマはその暖かな胸に顔を埋めた。 
「部長……」 
「ん?」 
「………」 
心の奥で「大好き」と呟いて、リョーマは目を閉じる。 
すべてを話して手塚に拒絶されるならば今のままでもいいかもしれないと、リョーマは思いそうになる。 
だが、そんな弱気になる自分の心を、リョーマはその度に叱咤するのだ。 
(このままでいいわけがない。絶対に……アイツをぶっ飛ばすんだ……) 
手塚の腕にグッと力が入り、リョーマの耳元で甘く囁く。 
「こうしている間は、俺のことだけを考えるようになって欲しいものだな」 
「…っ!」 
リョーマは頬を真っ赤に染めて、手塚の胸に顔を隠した。 
「部長……耳元で喋るの、なしだってば……」 
「ああ……すまない。ちゃんと聞こえているか不安になるんだ」 
クスッと笑いながら悪びれもせずに言う手塚に、リョーマもクスッと笑みを零す。 
「下でご飯食べようよ、部長」 
「………ああ」 
名残惜しげに身体を離し、二人は階下へと降りていった。 
         
         
         
         
         
***** 
         
         
         
         
         
リョーマの家の近くにある公営のテニスコートに行き、二人は時間を忘れるほどテニスに没頭した。 
いつも学校以外では南次郎とばかり打っているリョーマは、手塚を独占できることをひどく嬉しく感じた。それは恋心のせいだけではなく、中学テニス界屈指の
実力者である『手塚国光』を相手に出来ることが、本当に嬉しかったのだ。 
だから、手塚とコートに立っている間は『あの男』のことを忘れていられた。 
自分の身体が穢れていることも、その右手指に不可思議なリングが嵌っていて抜けないことも、一度も思い出さなかった。 
手塚とコートに立つ自分は、テニスの腕前が他とは違うだけの、普通の中学生でいられた。 
「少し休憩しよう、越前」 
ラリーが途切れたところで、手塚がネット際に歩み寄ってそう言った。 
「ういっス」 
リョーマも頷いて、いつものようにラケットを肩に担いでベンチに引き上げる。 
「調子は悪くなさそうだな。身体のキレもいい」 
「アンタが相手じゃ、気、抜けないからね」 
上目遣いでニッと笑うリョーマに、手塚は小さく目を見張ってから微笑んだ。 
「誰が相手でも気は抜くな」 
つん、と額を小突かれてリョーマは唇を尖らせる。 
「水分補給して少し休んだら、ワンセットマッチ、やるか?」 
「ういっス!」 
唇を尖らせていたリョーマが一変して嬉しそうに瞳を輝かせるのを見て、手塚もまた楽しげに微笑んだ。 
夏休みも終わりに近づいてはいるものの、まだまだ残暑は厳しく、そのせいかコートにはまばらにしか人がいない。 
この炎天下に延々とテニスをするなどと言う人種は、当然のことながら少ないようだった。 
そのおかげで二人はほとんど貸し切りのようなコートで、誰にも邪魔されずに存分に打ち合うことが出来る。 
それはさながら、久しぶりに与えられた休日のようで、リョーマの心は見上げる空のように晴れ晴れとしていた。 
だが、その少ないはずの人種に、顔見知りが、いた。 
「ありゃ?おチビと手塚だ!」 
その独特な口調が聞こえてきた方へ、手塚とリョーマは同時に視線を向ける。 
「ぁ、菊丸先輩」 
フェンスの向こう側から菊丸が声をかけてきたのだ。 
「手塚と越前?」 
その菊丸の後ろから現れたのは不二。 
「不二先輩!ちっス!」 
「やあ、越前。手塚と一緒なんだ。仲良いんだね」 
不二に微笑まれて、リョーマは頬を染めた。もちろん不二に微笑まれたからではなく、不二の言葉に対して。 
だが手塚はそんなリョーマを見て、小さく眉を寄せた。 
「お前たちこそこんなところまでどうしたんだ?」 
久しぶりに見た気がする手塚の仏頂面に、リョーマは小さく笑った。 
(さっきまでとは別人になっちゃった) 
横でクスクスと笑うリョーマをチラリと見遣ってから、手塚はまた小さく眉を寄せた。 
「気分転換にね。そっち、行ってもいい?」 
不二に笑顔で問われ、手塚には断る理由が見つからず、頷くしかなかった。 
入り口の方へ移動する不二たちを見送って、手塚は深い溜息を吐く。 
「どうしたんスか?部長」 
リョーマが怪訝そうに手塚を覗き込むと、手塚はもう一度溜息を吐いた。 
「……せっかくお前を独り占めできると思ったんだが……仕方ないな」 
ぼそりと呟かれて、リョーマは頬を染めた。 
「そうだ、不二にはどこまで話しているんだ?指輪のこと、何か不二も知っているのだろう?」 
「ぁ、はい……実は…」 
「おチビ〜!」 
「ぅわっ!」 
話の途中でいきなり菊丸に飛びつかれ、リョーマは二・三歩よろけたがなんとか踏ん張った。 
「お邪魔するよ、手塚」 
「隣のコートに変えてもらえたにゃ〜。あとでダブルスやろ?」 
「だ、ダブルス?」 
菊丸にのし掛かられたまま、リョーマが嫌そうな顔をする。 
不二と菊丸は、あらかじめ予約してあったコートがあったのだが、リョーマたちの隣のコートがちょうど空いていたので、変更してもらったようだった。 
「悪いっスけど、オレこれから部長と試合するんス。ダブルスはまた今度で」 
「えーっ」 
不満そうに菊丸が声を上げるが、リョーマも退くわけにはいかなかった。 
手塚にはまだまだ敵わない。だが少しずつ追いついている気もする。それを確かめたくて、リョーマは毎日でも手塚と試合したいくらいなのだ。 
だから、いくら気の合う先輩といえども、邪魔されるのはごめんだった。 
「ほらほら英二。邪魔しちゃダメだよ。ごめんね、越前、僕たちは隣でやらせてもらうだけだから、気にしないで手塚と試合して」 
「………ういっス」 
不二は、リョーマにべったり貼り付いていた菊丸を剥がし、隣のコートに連れてゆく。 
ふぅっと息を吐いてリョーマが手塚を見遣ると、手塚はどこか嬉しそうな表情をしていた。 
「越前」 
「……なんスか?」 
柔らかく名を呼ばれ、リョーマも柔らかく聞き返す。 
「あとで……また…触れてもいいか?」 
「え……あ……うん…」 
すぐ傍で囁かれ、リョーマは真っ赤になって俯いた。顔は帽子の中に隠せても、耳朶や首筋までは隠せない。その熱い首筋に、手塚がそっと触れた。 
「や……っ」 
くすぐったさにリョーマが首を竦めると、手塚がクスッと笑った。真っ赤な顔で、リョーマが軽く手塚を睨む。 
「もう始めるか?」 
「…ういっス!」 
「もしも、俺が3ゲーム差以上で勝ったら……」 
「え?」 
「…………」 
手塚がリョーマの耳に唇を近づけ、甘い声でそっと囁く。 
それを聞き終わったリョーマは、大きく目を見開いて、さらに頬を赤く染めた。 
「な、そんな……そんなことっ」 
「そうされたくなかったら、必死に食らいつくことだ。俺も最初から本気で行くぞ」 
「ぅ……」 
リョーマの頭を軽くポン、と叩き、手塚はコートに入った。 
「どうした、越前」 
「………今行きます」 
手塚から顔を隠すようにして、リョーマも向かいのコートに入った。 
(……そんな……部長にそんなコトされたら……) 
耳元で囁かれた手塚の甘い声を思い出し、リョーマはかなり動揺した。 
声だけでなく、その言葉の内容に。 
3ゲーム差で手塚が勝ったら。 
         
『後ろにも触れていいか?』 
         
そんな甘い誘惑の言葉を、手塚が囁いたのだ。 
(ダメだよ……後ろなんか触られたら、オレが慣れてるって、バレる…) 
そうなればなぜ慣れているのかと、きっと手塚に追及されるだろう。追及されたならば、正直に『夢』の内容を手塚に話さなければならなくなる。 
(それは、ヤダ……) 
いつかは本当のことを話すつもりはある。だがもう少し、このまま、優しい手塚とともに穏やかな甘い時間を過ごしていたい。 
だが。 
そう思うのと逆行するように、手塚に自分の身体のすべてを触れて欲しいと願うリョーマも存在する。 
手塚に後ろを弄られると想像しただけで、カラダが熱くなる。 
(ダメだ……そんなの…) 
振り払っても振り払っても、手塚に熱く甘く翻弄される自分の姿が頭の中にちらつく。 
「Which ?」 
「rough」 
リョーマが半分上の空で答える。ネット際で手塚が回したラケットは『rough』だった。 
「サーブ、もらいます」 
手塚は頷いてボールをリョーマに渡す。 
ボールを受け取りながら、リョーマはギュッと唇を噛み締めた。 
(やっぱり、なんとしても、4ゲーム以上はとってやる!) 
手塚に触れてもらいたい願望はあるが、それよりも手塚を失いたくない方の気持ちが勝った。 
そして何より、手塚に負けたくないと、リョーマは思う。 
(アンタには、…アンタだけには、オレを認めていて欲しいんだ…) 
このカラダがどんなに汚れていても、心は誰にも穢されてはいないのだと感じて欲しい。 
「行くよ、部長!」 
さっきまでの動揺は収まった。 
リョーマの瞳が、戦う者のそれに変わった。 
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
         
「ずいぶん白熱した試合だったね」 
途中から完全に観客と化していた不二と菊丸は、試合後、感心したようにリョーマと手塚の元に駆け寄った。 
試合結果は6−4で手塚の勝利。リョーマはなんとかギリギリで『危機』を乗り切った。 
「もう少しであと1ゲーム取れたのに……」 
リョーマがボソッと呟くと、手塚は汗に濡れた前髪を掻き上げながら小さく笑った。 
「…それは俺の台詞だ」 
「………っ」 
リョーマは赤くなった頬を隠すようにタオルで顔を拭く。拭きながら、リョーマは手塚の腕を引いて不二たちから少し離れた。 
「部長」 
「ん?」 
「べつに……アレがイヤだから勝ちたかったんじゃないっスよ?」 
「え?」 
リョーマは上目遣いに手塚を軽く睨んでから、そっぽを向いた。 
「オレは、ただ、アンタに勝ちたかったから………だから、4ゲーム取れても、まだまだ満足できないっス」 
「………」 
「………テニスで賭をするなって言ったのは、アンタでしょ?」 
手塚は小さく見開いた目を、柔らかく細めた。 
「俺も少し意地が悪かったな。すまない」 
「………べつに」 
赤いままの顔でチラリと手塚を見遣り、リョーマは帽子を取ってタオルを頭から被った。 
「ああ、部長としてひとつ言っておくが……リターンエースを狙う気持ちはわかるが、がむしゃらに打ち返しても俺からエースは取れないぞ」 
「…っ!」 
リョーマは悔しげに唇を噛み締め、手塚を見上げた。 
この男にはまだまだ届かない。 
手塚の実力は、今まで戦ってきた誰よりも「底なし」だとリョーマは思う。 
「…ありがとうございました!」 
手塚に向かって頭を下げるリョーマを見て、不二と菊丸は顔を見合わせた。 
「おチビにとって、手塚はやっぱ、特別なんだにゃ〜」 
「そうみたいだね」 
微笑みを浮かべて見守る不二と菊丸の視線の先で、リョーマはまた手塚を見上げ、小さく笑った。 
「そろそろ上がるか?」 
「ういっス」 
手塚とリョーマは頷き合って荷物を片づけ始める。 
そこへ、不二が歩み寄ってきた。 
「越前」 
「はい」 
振り返るリョーマに、不二は軽く手招きをする。 
「なんスか?」 
「指輪のこと。その後、何か変わったことは?」 
「あ……」 
「不二」 
二人の傍へ、手塚も歩み寄ってきた。 
「越前の指輪のことは俺も聴いた。だから俺に隠れて話をすることはない」 
不二は小さく目を見開いて手塚を見つめ、そのままの瞳でリョーマを覗き込んだ。 
「手塚にも見えるの?」 
「ぁ、いえ、部長には見えないらしいっス」 
「……そう」 
一瞬、視線を落として何か考え込んだ不二は、すぐにいつもの笑みを浮かべてリョーマに向き直った。 
「で、何かわかった?」 
「あ、この指輪、実は同じデザインのがあって、対になっているらしいんス。だから、これが外れないのには、そのもうひとつの指輪も関係しているんじゃない
かって…」 
「誰に聴いたの?」 
「お店の人に」 
「お店の人?…故郷に帰ったんじゃなかったの?」 
「結構頻繁に帰っているみたいで、長期間店を出していないわけじゃなかったみたいっス」 
「ふぅん」 
二人の会話を、手塚は黙ったまま聴く。 
「もう少し詳しい情報を仕入れてくれるって言ってくれたんで、またあのお店に行ってみます」 
「僕も行こうか?」 
「いや、越前には俺がついて行く」 
唐突に口を挟んだ手塚に、不二は少し驚いたような視線を向けた。 
「もともと、俺が新橋に誘ったせいで越前がこんな事態に巻き込まれてしまったんだ。不可解な謎がすべて解明するまで俺が越前に協力する」 
「部長…」 
瞳を揺らしながら手塚を見つめるリョーマを、不二はチラリと見遣ってから、また手塚に視線を戻した。 
「でも僕の協力もいると思うよ?ねえ、越前?」 
「え………ぁ……そっスね……」 
今のところ、リョーマ以外に例の『外せないリング』を見ることが出来るのは不二だけなのだから、不二にも何か協力してもらうことが出てくるかもしれない、
とリョーマは思った。 
「…………」 
手塚が微かに眉を寄せる。 
「人にはそれぞれ『役割』ってものがあるからね。きっと手塚には手塚の、僕には僕の、役割があるんじゃないかな」 
「………わかった。誰に協力を頼むのかは、越前の自由だ。そのことには俺は口を出さない」 
それだけ言って、手塚は口を閉ざす。 
不二はそっと溜息らしき吐息を吐いて、リョーマに向き直った。 
「僕に協力できそうなことが出来たらすぐに連絡して。……夜中でもいいからね」 
「はい、ありがとうございます」 
リョーマがペコリと頭を下げると、ニッコリ微笑んだ不二は、菊丸のもとへ戻っていった。 
不二がまた菊丸と打ち合いを始めるのを見届けてから、リョーマは手塚を振り仰いだ。 
「部長」 
「ん?」 
どこか不機嫌そうな手塚に、リョーマは内心首を傾げてから言葉を続ける。 
「昨日の今日であの店に行っても、何も収穫はないっスよね。部長はいつなら付き合ってもらえます?」 
手塚は一瞬目を見開き、そして、リョーマといる時にだけ見せる微笑みを浮かべる。 
「俺はいつでもいい。お前が俺を必要としてくれるなら、な」 
二人でいる時の『手塚国光』に戻った手塚を見て、リョーマは嬉しそうに微笑んだ。 
「じゃあ、今度新橋に行くのは、日曜に。付き合ってもらえますか?部長」 
「もちろんだ」 
手塚に頷かれ、リョーマはまた嬉しそうに微笑み、うっすらと頬を染める。 
「…もう帰るか」 
「ういっス」 
二人はバッグを担いで不二たちに軽く声をかけ、コートをあとにした。 
         
更衣室に入る前に、リョーマはチラリと空を振り仰いだ。 
雲ひとつない空を見ながら、早く自分の心の雨雲も消えてなくなればいいのにと、リョーマは思った。 
          
         
         
         
         
         
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        20060126 
         
         
          
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