なぁ




手塚が来るまでに何とか体調を回復 させたいリョーマは、南次郎や母・倫子に不審がられながらも風呂に入り、疲労した筋肉や関節を解した。
そうしてどうにか身体が動くようになった頃、タイミングよく手塚が訪ねてきた。
だが玄関先でリョーマの顔を見た手塚は、口を開く前に眉をきつく寄せた。
「…顔色、悪いっスか?」
手塚に言われる前にリョーマは小さく笑いながらそう言ってみた。
「あまり良いとは言えないな。……また寝不足か?」
だがよくよく見ると、手塚の方もあまり良い顔色ではなかった。
「部長も寝不足?なんか顔色良くないっスね」
「ん……昨夜はつい遅くまで本を読んでしまったんだ。続きが気になる内容だったんで、なかなか中断できなくてな」
「ふーん」
リョーマがクスッと笑うと手塚も表情を和らげた。
「とりあえず、オレの部屋に来ませんか?部長」
「……ああ、そうさせてもらう」
手塚は小さく溜息を吐いてシューズを脱ぎ、綺麗に揃えてからリョーマに続いて二階へと上がっていった。


「昨日、部長のおかげで寝不足解消できたんで、夕方ランニングとストレッチはやったんスよ」
「そうか」
バッグを下ろしながら手塚が穏やかに頷く。
「そしたらちょうど桃先輩が通りかかったんで、うちのコートで試合したんス」
「桃城と?」
小さく眉を寄せる手塚の表情が少し気になったが、リョーマは構わず続けた。
「朝もよく一緒になるんスけど、昨日もバッタリ会って、それで」
「………」
ベッドに座ったリョーマを少しの間じっと見つめてから、手塚も黙ったまま床に腰を下ろした。
「で、6ー3でオレが勝って、3ゲーム差だからチーズバーガー三個ゲットしたっス」
「テニスで賭をするな」
手塚が困ったように笑う。リョーマも笑った。
「……身体を動かしても…眠れなかったのか?」
小さく眉を寄せて見つめてくる手塚に、リョーマはまたニッコリと微笑んでみせる。
「…大丈夫っスよ。一息ついたら、コートに出ようよ、部長」
「………」
リョーマの誘いの言葉に返事をせず、手塚は目を伏せて溜息を吐いた。
「越前」
「はい?」
「練習は短めに切り上げよう」
「………」
リョーマは表情に出ないようにしながら、グッと奥歯を噛み締めた。
また手塚に心配をかけている自分が憎らしい。
拒絶しながらも、『あの男』から与えられる快感に理性を失うこのカラダが、恨めしい。
「……すみません、部長」
「ん?ああ、いや、実は昨日お前の家から帰る途中、母から電話があって銀座まで行ったんだが…」
「銀座??」
唐突な手塚の話にリョーマは目を丸くした。
「買った荷物が持ちきれなくなったと」
「部長が荷物持ち?」
リョーマはプッと吹き出してから声をたてて笑った。
「笑うな。結構大変だったんだぞ。一度家に帰ってバッグを置いてから銀座まで出て、母に会った途端、紙袋を五つも渡された」
「何をそんなに買ったんスか?」
「さあ。中身は見ていない」
またリョーマが肩を揺らして笑う。そのリョーマを見て手塚も眉を寄せながら笑った。
「まあ、その荷物持ちの話はどうでもいいんだ。俺が話したかったのはその続きだ」
「…え?」
「銀座と言ってもほとんど新橋に近かったから、以前お前と食事した店に母を連れて行ったんだ。そうしたら、その店の近くに、お前がリングを買った店がまた 出ていて…」
「えっ!」
目を見開き、リョーマは手塚の方へ身を乗り出した。
「ホント?、部長。昨日、あの店があったんスか?」
「…ああ、間違いないと思うが……」
怪訝そうに見つめてくる手塚に気付き、リョーマはベッドに座り直した。逸る心を手塚に悟られてはいけない。
「そ……っスか…」
「……もう一度あの店に行きたいか?」
「え?」
穏やかに問われて、リョーマは瞳を輝かせた。
「行きたいっス!今すぐにでも!」
「………」
手塚は目を丸くしてリョーマを見つめてから、ふわりと微笑んだ。
「わかった。行くか。練習は帰ってきてからだな」
「ういっス!ぁ、部長、よかったら部長のバッグ、ここに置いていっていいっスよ?」
「ん?…そうだな、そうさせてもらっていいか?」
「はい!…あ、じゃちょっと、下だけ履き替えるっス」
「ああ」
リョーマは勢いよく立ち上がり、無造作にハーフパンツを脱いで、イスに引っかけてあったジーンズを手に取った。
「つけてくれているのだな、リング」
「え?」
手塚の静かな問いかけに、リョーマは手塚にもらったリングを右手に嵌めたままでいたことを思い出した。
「うん……だって部長がくれたんだし……すごく気に入ったから…」
「ありがとう」
リョーマは頬を真っ赤に染めてジーンズに脚を通した。
手塚はゆっくりと立ち上がって自分のバッグから財布や携帯をズボンのポケットに詰め込む。
「……行くか」
「ういっス」
大きく頷いて、リョーマは右手を握り締めた。




*****





新橋に着いたリョーマは、手塚が店を見かけたという場所へ急いで向かった。
しかし、手塚の言う場所に店はなかった。
「………」
「今日は出ていないのか…?」
手塚の言葉に俯きかけ、しかしリョーマは諦めずに辺りをキョロキョロと見回しながら歩き始めた。手塚もリョーマの後に続く。
「越前」
リョーマの後ろからついてきてくれている手塚が、ポンとリョーマの肩を叩いた。
「?」
「あれ、違うか?」
手塚の指さす方を見ると、まさにリョーマの探している店が、あった。
「あの人っス!」
リョーマは左右を確認して道路を渡り、店を出す準備途中の男に声をかけた。
「あの、すみませんっ!」
「はい?」
振り返った男は怪訝そうにリョーマを見、そしてすぐにニッコリと微笑んだ。
「ああ、あなたは確か、前にうちで買ってくださった方ですね」
「え?覚えてるんスか?」
リョーマは大きく目を見開き、男を凝視した。日本人離れした彫りの深い顔立ちの男は、とても優しい瞳をしていた。
「覚えていますよ、あなたの声と、その瞳」
「声?」
「…ええ、私はあまり視力がよくないので、お客さんは声の印象で覚えているんですよ。あなたは間近で瞳を拝見したので、その大きな強い瞳もよく覚えていま す」
「はぁ…」
やわらかく微笑まれて、リョーマは少しだけ逸る心を静めることが出来た。
「それで、私に何か?」
「あ、その、オレが買ったリングについて、いろいろ訊きたいことがあって」
「ええと……どんなリングでしたっけ」
商品を売ったことは覚えていても「何を」売ったのかまでは覚えていないらしい。当然だと思いながら、リョーマは右手薬指に嵌ったままのリングを見た。
「この……」
そのリングを指さそうとして、リョーマは口を噤んだ。もともと視力の弱い男に、今は不二にしか見えないこのリングが見えるわけがないと思えた。
「…なんか、不思議な謂われのあるリングとか、よく売っているんですか?」
「はい?」
男はきょとんとしてリョーマをじっと見つめた。
「あのリング買ってから、不思議な夢を見るようになっちゃって……困っているんス」
後ろに立つ手塚にはあまり聞こえないように小さな声で男に言うと、男は少し考えてから「ああ」と言って深く頷いた。
「もしやあなたが買ったのは、そう、その………いや、それとは少し違いますね。その、今着けているリングによく似たリングではありませんでしたか?」
「あ、そ、そうです!これとよく似てるリングで…」
リョーマは手塚にもらったリングを男の目の前に差し出した。
「そうですか……あのリングはやはり……」
言葉を濁す男に、リョーマはきつく眉を寄せた。
「なんかあるんですか?」
「え?ああ、いえ、そんな恐ろしいものではないんですよ。ただ…」
「ただ?」
リョーマが身を乗り出すと、男は困ったように小さく微笑んだ。
「私もあなたにお売りしたあとから聴いたのですが、あのリングは『恋人たちの鎖』という別名があるそうなのです」
「恋人たちの鎖?」
「はい。あのリングは私が作ったのではなくて、知人から買い取ったものなんですが、同じデザインのものがもうひとつありまして、恋人とつけられるようにペ アで売るべきものだったのです。それを知らずに、私は片方だけをあなたに売ってしまったのです」
男の話を聴いて、リョーマは「ぁ」と思い出した。
確かに、リョーマが買ったリングと同じデザインのリングがあの場にあった。初めはそれを手に取り、サイズが合わないからと言って、手塚が見つけてくれた一 回り小さなリングを手に取ったのだ。
「それで、恋人同士が持たないとどうなるんスか?」
「それは私にもわかりませんが、もともとペアとして存在しているものですから、お互いを探し求め、引き合うかもしれません」
「じゃあ、オレのとペアの、もう片方はどこに?」
「それが……私の知らないうちに売れてしまっていて」
「は?」
男によれば、リョーマにリングを売ったあと、何人かの客がまとめて訪れ、慌ただしくしているうちに、いつの間にか売ってしまっていたらしい。
「じゃ、どんな人に売ったかわからないんスか?」
「ええ」
男はすまなさそうに頷いた。
「ただ、いらしてくださったお客さんは皆さん若い男性で、張りのある声の方、静かな落ち着いた声の方、柔らかな声の方、若そうな割にとても声の低い方がい らっしゃいました。それから、淡い髪の色の方がお二人か三人、短い髪を立てていらっしゃる方がお一人…いや、お二人ほどいらっしゃったかもしれませんね。 他の方はあまり印象に残らないような普通の髪型をしていらっしゃいました」
申し訳ないと思うらしく、男は必死に記憶を辿りながら細かくリョーマに説明をした。
「…そっスか…」
『あの男』の正体が、少しだけわかった気がした。『あの男』はきっと、リョーマのリングと対になるリングを持っているに違いない。
だから、呼び合い、引き合うのだ。
持ち主の意志を無視して。
だが、それはつまり、こういうことでもある。
(アイツからリングを取り返せば、もうあんな夢は見ないんじゃ…!)
微かな希望の光が見えてきて、リョーマの瞳に力が漲ってきた。
「いろいろ教えてくれて、ありがとうございます。…あの、このお店は、いつもこの辺に出ているんですか?」
「ええ。土曜日と日曜日はたいていここでやっています。若い人の町は、土日は人が多すぎて、ここくらいが私にはちょうどいいんですよ」
男が柔らかく微笑む。男の、自由な生き方をチラリと垣間見た気がした。
「平日は?今日も平日だけど…学校が夏休みだから?」
「いいえ、そう言うわけではなくて……平日はあまり店は出していないんですが、ここ数日はだいぶ商品数が増えたので調整も兼ねて店を出しているんですよ。 いつもは家でオリジナルのアクセサリーを作っているか、兄のいるチュルクの方へ仕入れに行っているか、ですね」
「チュルク?」
「インドネシアです」
「ああ……」
リョーマはふと、大会前に手塚が家を訪れてくれた時のことを思い出した。
店の男が「故郷に帰る」と聴いて、手塚も、そしてリョーマも、長期間店を出さないものだと思い込んでしまった。
(もしかしたらずっと、土日はここで店を……)
もしそうならば、もう少し早くリングの謎の欠片を手にすることができたかもしれないのに。
そう思うとリョーマは悔しさに唇を噛むしかなかった。
「あのリングを買った友人とは、近いうちにまた会う予定がありますから、もしも、もっと詳しいことをお知りになりたいのでしたら、またここへ来てくださ い。私も彼からいろいろ話を聴いておきます」
「あ……はい、お願いします!」
男に礼を言って振り返ると、手塚が眉を寄せてリョーマを見つめていた。
「…俺には何も話してくれないのか?」
「………」
「不二には何か話をしたんだろう?俺ではダメなのか?」
リョーマはグッと奥歯を噛み締めると、覚悟を決めて手塚を見上げた。
「オレの話、笑わないで聴いてくれますか?」
「もちろんだ」
しっかりと頷いてくれる手塚を見つめて、リョーマも小さく頷き返した。




どこかホッとするような、優しい木の香りのする店内で、リョーマと手塚は向き合って座っていた。
以前、一緒に試合観戦した日に見つけた雰囲気のいい店に、二人は来ている。
手塚の前にはアイスコーヒー。リョーマはジンジャエールを頼んだ。
「…前に、部長とあの店で買ったリング、本当は失くしてないんです」
「………」
「部長、オレの右手、リングはいくつに見える?」
「え?」
リョーマは手塚に右手を差し出した。
「俺がお前に贈ったリング……ひとつだけだが?」
静かに溜息をついて、リョーマは頷いた。
「本当はオレ、リングを二つ着けているんです。部長にもらったリングが中指で、あの時買ったリングが薬指」
手塚は何も言わずに目を見開いた。
「あの店で買ったこのリング、この指から外せなくなって、その上、誰にも見えなくなっちゃったんス」
「!」
手塚は息を飲んだように唇をひき結び、リョーマを凝視した。
「信じられない話っスよね。オレも信じられないもん…」
俯くリョーマを、手塚は痛々しげな瞳で見つめる。
「部長にも話した、あの変な夢…この指輪を買ってから見るようになったんス」
「え…」
「でも買ってすぐは、毎日見たりとかはしなかったんスけど……今は、毎晩……」
リョーマは俯いたままきつく眉を寄せた。
「でもそれ、夢じゃないみたいで……オレ、夜中になると勝手に身体が動いて、独りでに歩き回っているみたいなんス」
「独りでに?」
俯いたままリョーマは頷く。
「ちょっと前、夜に片づけたはずのシューズが朝になってオレのだけ玄関に出てて、それで気がついたんス」
「………そうだったのか……それで、夜はダメだと?」
チラリと手塚を見遣って、リョーマは小さく頷いた。
「なぜもっと早く俺に言わなかったんだ?」
静かに、手塚が言う。
「部長に……心配かけたくなかったから…」
「そんなことを……」
手塚はそっとリョーマの右手を取って両手で優しく包み込んだ。
「一人で考えるよりも二人で考えた方が解決の糸口は見つかりやすいものだぞ?」
「部長…」
リョーマが顔を上げると、慈しむような手塚の瞳に見つめられていた。
「今夜一晩、俺と一緒にいよう」
「え?」
「そうすれば、お前がどこかへ出掛けるかどうかわかるし、もし出掛けようとするなら、俺が止めてやるから」
リョーマは大きく目を見開いた。
「一人で解決しようと思うな。少しは俺を信用して頼ってこい」
「ぶちょ……っ」
零れそうになる涙を、リョーマは必死に堪えた。
涙を零すのは今じゃない、と。
手塚に話していない真実をすべて話して、それでも手塚が自分を受け入れてくれた時初めて、心から喜びの涙を流せるのだ。
そしてその時になったら、きっとこの想いを伝えよう。
(部長……アンタが好きだ…)
じっと手塚を見つめると手塚が柔らかく微笑んでくれた。
手塚には見えないリングが、切なく熱を帯びた。





*****






手塚と共に店から真っ直ぐ家に帰ってきたリョーマは、暫し、いろいろ雑多なことを忘れて手塚とコートで汗を流した。
それでもリョーマの体調を気遣う手塚の配慮で練習は早めに切り上げ、それぞれシャワーを浴びて、リョーマの部屋でひと休みすることになった。
「今日も少し寝るか?」
「ぁ、今日はいいっス。でも部長は少し寝る?」
「ん?いや、俺はいい」
微笑みを交わし合って、二人はどこかぎこちなく視線を逸らす。
ふいに訪れた会話のない時間に、リョーマはどうしたものかと視線だけで自分の部屋の中を見回した。
「……お前には見えているのか、そのリングは」
「え?」
手塚が、ベッドに座るリョーマの右手を見つめながら言う。
「……見えてますよ。他の人に見えないのがウソだと思えるほど、ちゃんと、はっきり、見えます」
「そうか…」
手塚は眉を寄せると、そっとリョーマの右手を取った。
ドキンと、リョーマの心臓が大きな音を立てる。
「すまなかったな……俺が新橋なんかに行こうと言わなければ、こんなことにはならなかっただろうに…」
「そんなことないっス!」
「越前…」
リョーマはベッドから降りて手塚のすぐ目の前に座った。
「オレはあの日、アンタと試合見て、新橋でご飯食べて、そしてこのリングを買って……すごく楽しい時間ばっかだったっスよ?」
手塚が小さく目を見開く。
「それまでアンタのこと、ちょっと苦手って言うか……いろんなこと、よくわかってなかった気がするっス。でもあの日から、少しずつ、アンタのことも、青学 のことも、違うふうに見えるようになって……」
必死に言葉を紡ごうとするがうまくいかず、リョーマはそのまま黙り込んで俯いた。
「…だがそのリングは、お前を苦しめているのだろう?」
「え…」
握ったままのリョーマの手を、手塚はさらに少し力を入れて握り込んだ。
「夢の中で、お前は何をされているんだ?」
「…っ」
リョーマは俯いたまま息を飲んだ。
それだけは、まだ手塚に知られたくない。
「お前は身体だけでなく、精神的にもストレスを感じているんだろう?一体何を……」
「それは……まだ……」
「俺には言えない、と?」
手塚を見ずにリョーマは頷く。
小さく溜息を吐いて、手塚はリョーマの右手を離した。
「ぶちょ…」
「越前」
手を離されて縋るような瞳を向けてくるリョーマを、手塚は真っ直ぐに見つめた。
「…俺は、自分の想いをお前に押しつけるつもりはない」
「え…」
「だがもしも、お前が俺の方を向いてくれるなら、そして、俺を頼ってくれるなら、なんでもしてやる。不可能なことも、可能なことに変えてやる」
「………」
全身を貫くような手塚の熱い視線に、リョーマの鼓動が加速する。
「全国が終わるまでは、ただお前を見つめるだけにしようと思っていた。俺の想いは、きっとお前の何かを変えるくらい強いという自覚があるからだ」
「オレを…変える?」
手塚はじっとリョーマを見つめる。
リョーマも手塚を見つめ返し、しかし、ふるりと瞳を揺らして視線を外す。
(でもきっと、本当のことを話したら、オレのことそんな目で見てくれなくなるんだ…)
リョーマはギュッと、膝の上で両手を握り締めた。
「越前」
柔らかく名を呼ばれて、リョーマはゆっくりと、手塚に視線を戻した。
「お前にもお前なりの事情や考えがあるのだろう?だから俺は無理強いはしない。急ぎもしない。お前のペースで考えて結論が出たら、俺に教えて欲しいん だ。…その結論が、どんなものであっても」
「部長…」
「それまでは、俺の想いを直接言葉にはしない。キスも…しない」
リョーマはほんのりと頬を染めて手塚を見つめる。
「だがこうして…」
言いながら、手塚はもう一度リョーマの手を握った。リョーマの身体が微かに震える。
「…触れるのは許してくれるか?」
切なげな手塚の表情に、リョーマの胸がきつく締め上げられ、苦しくなる。
「部長……オレ……」
俯くリョーマに、手塚は小さく眉を寄せる。
「嫌ならもう触れない」
「嫌じゃない!」
手塚が手を引きそうになるのを感じてリョーマは俯いたまま小さく叫んだ。
「…嫌じゃないっス。でも、オレの心には、まだ触れないでください…」
「………」
「この指輪のことが全部わかったら……その時に…オレの心の中を、部長に全部見せるから……」
手塚は黙ったままゆっくり瞬きをすると、深く頷いた。
「お前の心に引っかかっているのは指輪のことなのか?」
「………そうっス」
「わかった。俺に出来ることはなんでも言え。協力する」
「でも…」
「今、俺が協力すると言ったのはお前の『先輩』だからだ。だからお前も俺の『後輩』として、先輩の俺を頼ればいい。気楽に、な」
柔らかな手塚の声音に、少し迷ってからリョーマが顔を上げると、手塚は優しげに微笑んでくれた。
「……ういっス、部長」
小さくリョーマが微笑むと、手塚はさらに笑みを深くした。
手塚は『先輩として』と言うが、リョーマの先輩である『手塚部長』は、そんなふうには笑わない。いつだって眉間にシワを寄せ、静かに腕を組んで部員たちを 見守っているイメージがある。
目の前にいる男とは同一人物とは思えないほど、違う。
リョーマは小さく、クスッと笑った。
「……なんだ?」
「だって、部活ではそんな顔しないのに……」
クスクスと笑いながらリョーマが言うと、手塚は一瞬目を丸くしてから眉を寄せた。
「部活にいる時の俺の方がいいのか?」
「そんなことないっスよ。今の部長の方が何倍も……」
言いかけたが、リョーマは微笑んだだけでその先の言葉を飲み込んだ。
(何倍も、大好きだよ、部長…)
声には出さずに心の中でそう言って、リョーマは手塚を見つめる。
リョーマの手を握ったままの手塚の手に、クッと力が入った。
「……越前」
「はい」
「触れるのは……構わないのだったな」
「………うん」
リョーマが頷くと、ゆっくり引き寄せられ、手塚に抱き締められた。
「これも……いいのか?」
「………いいっス」
手塚の声が身体中に響き、あまりの心地よさに、リョーマはそっと目を閉じた。
「………」
熱い吐息が手塚の唇から零れる。
ぴったりと合わさった胸の鼓動たちが加速を始める。
そして、きっと手塚以上に、カラダが急速に熱くなるのをリョーマは感じてしまった。
毎晩『あの男』に慣らされてしまったリョーマの身体は、こうして好きな相手と抱き締め合えば、簡単に発情するようになってしまっていたのだ。
(ヤバ……っ)
反応している自分に気付かれる前に、リョーマは手塚から身体を離そうとした。
しかし、きつく抱き締められている身体は、手塚から離れるどころか、さらにグッと抱き込まれてしまった。
「ぁ……っ」
思わず漏れてしまったリョーマの声に手塚の身体が小さく揺れる。
「越前…?」
「ごめ……部長、離してください…」
「………」
「あ」
手塚の胸を手で押して離れようとするリョーマの腕を、手塚は掴んだ。そのまま引き寄せられ、クルリと身体を反転させられて、後ろから抱き込まれる。
「ぶちょ…?」
胡座をかいた手塚の脚の上に座らされる恰好になり、リョーマは逃れようと緩く抵抗する。
「…触れているだけだ」
「やっ」
耳元で囁かれてリョーマの身体がゾクリと震える。体温が上がってくる。
「越前?」
「み…耳元で、喋んないで…ください」
「………」
手塚は少しの間黙り込むと、また熱い吐息を零しながら、リョーマの身体をきつく抱き締めた。
「……っ」
手塚の吐息が耳にかかっただけでリョーマの身体が揺れる。それに気付いたらしい手塚が、クスッと小さく笑ってわざとリョーマの耳元で囁いた。
「越前…」
「ぁあ…っ」
ビクビクとリョーマの身体が揺れる。
手塚の声だけで、リョーマの雄は一気に熱く変化を遂げた。
リョーマを抱き締めていた手塚の手が、ゆっくりと滑り降りてハーフパンツの上からリョーマに触れた。
「やっ!」
「越前……お前…?」
リョーマの雄に手を置いたまま、その変化に驚いたように手塚は黙り込んだ。
「あっ、ぶちょ……ごめ…っ、離してくださ…っ」
慌てて手塚の腕を掴み、外させようとするが、うまく力が入らない。逆に、手塚の手を剥がそうと引っ張るたびに自身まで揺すられる形になってしまい、リョー マの呼吸が乱れ始めた。
「……いやだ」
呻くように手塚が小さく呟く。
「……え?」
「離さない」
「!」
手塚はコクリと小さく喉を鳴らして、リョーマに腕を掴まれたまま、ハーフパンツの中に左手を差し込んだ。
「やっ!ダメっス、そんなことしたら……っ」
「…触っていいと、言っただろう?」
呟くように言いながら手塚は優しくリョーマを直に握り込んだ。
「あぁっ」
手塚に直に触れられた途端、リョーマの思考はとろけ、カラダが熱く熟れ始める。
「ぁ……んッ、ぁ……」
柔らかく揉み込まれ、扱かれ始めると、リョーマはもう抵抗することは出来なかった。
自分に触れているのが手塚だと思うだけですぐにでも達きそうになっているのに、さらに快感を引き出すようにいじられ、頭の中が真っ白になる。
ジンジンと、右手薬指のリングが、指を焼き切りそうなほどに熱を持っているのを、リョーマは頭の隅で感じ取った。
(ああ……もっと……もっと……っ)
「ぶちょ……っと……し……っ」
無意識に強請りそうになり、リョーマはかろうじて唇をひき結んだ。だがすぐに薄く開き、熱い吐息が零れてしまう。
手塚が右手でリョーマのハーフパンツを下着ごとずり下げた。
下半身だけ露わにされた卑猥な恰好をしていることにも気付かず、リョーマは手塚に凭れて腰を揺らめかす。
「越前……」
首筋に顔を埋められ、手塚の髪がリョーマの頬をくすぐる。
(だめだ……もう……っ)
リョーマの身体が小さく痙攣を始めたのを感じ取った手塚は、これ以上ないほどの甘く熱い声でリョーマの耳元に囁いた。
「……リョーマ……」
「はっ……ああぁっ!」
ひとたまりもなかった。
リョーマは呆気なく弾け、噴き上がった熱液は手塚の左手ばかりか、自分の腹の上にも降り注いだ。
「………」
「………」
はぁはぁと、リョーマの息遣いだけが室内に響く。
「……すまない」
先に口を開いたのは手塚だった。
「嫌だったか?」
まだリョーマの雄に指を絡めながら、手塚がリョーマの肩に額を擦りつける。
息を乱したまま、リョーマは首を横に振った。
恥ずかしさと、罪悪感と、脱力感と、そして、何よりあまりの嬉しさに、リョーマは声すら出せなかった。
手塚に触れられて達した自分の身体が、今だけは少し愛しくなった。
「ごめん、ぶちょ……部長の手、汚しちゃった……」
綺麗な手塚の指が、自分の精でひどく穢れてしまったように、リョーマには思えた。
「ごめんなさい…ごめん……部長、ごめ…」
謝り続けるリョーマに、手塚は微かに眉を寄せた。
「嫌では、なかったんだな?」
確認するように手塚に問われ、リョーマは「うん」と小さく答えた。
ホッと、安堵したような吐息が手塚から漏れた。
「………ならば、…また、こうして触れてもいいか…?」
そう言いながら手塚は優しくリョーマの雄や身体を撫でさする。
「ぁ…っ」
途端に、再び感じ始めてしまう身体を疎ましくも愛しくも思いながら、リョーマは小さく頷いていた。
濡れたままの手塚の左手が、もう一度リョーマの雄を熱く変えてゆく。
「ぶちょ……っ」
そのまま二度目の射精を遂げたリョーマは、手塚の腕に崩れ落ちるように眠り込んでしまった。







リョーマが身体を優しく揺すられて目を覚ま すと、窓の外は日が落ちて暗くなり、時刻は七時になろうとしていた。
「そろそろ起きろ、越前」
いつの間にかベッドに寝かされていたリョーマは、知らないうちに身体も綺麗にされ、服も整えられていた。
(なんか、朝目が覚めた時に似てるけど……今は全然違うんだ…)
訳もわからずベッドに寝ているのではなく、今の自分をベッドに寝かしてくれたのは手塚で、それだけでなく、撒き散らした淫液を拭いてくれたのも、服を整え てくれたのも、目の前にいる手塚だとわかっているのが泣きたくなるほど嬉しい。
ベッドサイドの明かりだけが点けられた部屋で、リョーマはトロリとした瞳で手塚を見つめる。
「…寝惚けているのか?……よく眠っていたからな…」
優しく髪を撫でられ、リョーマは嬉しそうに微笑んだ。
手塚もそんなリョーマに目を細めて微笑み返すと、ゆっくり立ち上がった。
「電気、点けるぞ」
「…うん」
いきなり室内が明るくなり、その眩しさに目を細めながらリョーマはゆっくりと身体を起こす。
「……お腹空いたね」
「ああ」
クスッと笑う手塚に、リョーマは小さな幸せを感じてまた微笑む。
「リョーマ、ご飯出来たわよ!」
タイミングよく、階下から倫子の声が聞こえた。
「やった。ご飯だって」
急いでベッドから降りて立ち上がると、腰に力が入りきらずにリョーマはよろけた。
「わ」
「越前っ」
手塚に支えられて、リョーマは恥ずかしそうに頬を染める。
「ごめん、部長」
「いや。俺も悪い」
ふと手塚を見上げ、リョーマは頬を真っ赤に染め変える。
「そ、その、部長、……部長の家には連絡入れたんスか?」
「ああ。お前が寝ている間に連絡しておいた。ちゃんと許可も下りたぞ」
リョーマはホッとして溜息を吐いた。リョーマの母・倫子には手塚が今夜泊まることはすでに伝えてある。
「今夜は俺がお前を見ていてやるから、安心して眠ればいい」
「うん……ありがと、部長」
頬を染めたままリョーマが微笑むと、手塚も微笑み返してくれた。




夕飯と風呂をすませた二人は、とりとめのない話をしながら就寝までの時間を過ごし、十一時を回る頃、布団に入った。
部屋の電気を消し、だがリョーマはふと、目を見開いた。
(あれ?今日はあの強烈な眠気が来ない…?)
「おやすみ、越前」
「ぁ……おやすみ、部長」
客用の布団に身体を滑り込ませた手塚は、しかし、リョーマがまだ横になる気配がないのを見て、もう一度身体を起こした。
「越前?」
「部長……そっちに行ってもいい?」
「え?」
「ちゃんと……その、オレがどっか行こうとしても、すぐわかるように……」
「………そうだな」
手塚は微笑んで身体をずらし、薄い肌掛けを捲ってリョーマの入る場所を作った。
リョーマが小さく微笑みながら手塚の布団に入り込む。
窓の外には月があるようで、部屋の中がカーテン越しにうっすらと照らされて明るい。
「あの、オレ、こっち向くから…」
手塚に背を向けるようにリョーマが横になると、その背に寄り添うように手塚も横になった。
外せない指輪が急激に熱を持ち始める。
「越前」
熱を帯びた手塚の声がリョーマの耳をくすぐる。
「…また…触れてもいいか?」
「…………」
手塚はリョーマの耳に唇が触れそうなほど近くで、掠れた甘い声を出す。
「……なぁ…」
強い情欲を含んだ手塚の声を、リョーマは初めて聞いた気がした。
無言のままリョーマは腰に触れてきた手塚の手を掴み、自ら自身に導いて、堪らずに押しつけた。
「………リョーマ…」
手塚の甘い吐息が耳朶にかかり、リョーマの背中を快感が駆け上がる。

その夜、手塚に何度も達かされ、気を失うように眠りについたリョーマは、『あの男』のもとを訪れることはなかった。










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20060114