  お帰りなさい
   <3> 
      
  その夜、リョーマは早めにベッドに入った。 
      明日が試合であることが大きな理由だったが、昨夜『あの男』が自分に手を出さなかったことから見て、今夜もゆっくり寝られるのではないかという期待感があったからだ。 
      (しっかり身体を休めて、明日は最高のコンディションで戦うんだ) 
      『あの男』が青学テニス部員ならば、きっと今夜も手を出しては来ない。 
      リョーマはゆっくりと目を閉じた。 
      夢さえも見ないほど、ぐっすり眠れることを願いながら。
 
  だがやはり、夢を見た。 
      いつものように『あの男』がリョーマを抱き締めているところから、意識が浮上する。 
      しかし、「いつもの場所」ではない気がする。 
      (どこだろ、ここ…?) 
      風が、頬にあたった気がした。 
      (外…?) 
      相変わらず周りの音はリョーマの耳には届かない。 
      男の囁きも、聞こえない。 
      不鮮明な視界は、今日はさらに薄暗くて、だが、自分の横にベンチのような細長いイスがあるのはわかった。なぜならば、そこだけライトを浴びたように、少しだけ明るく見えたからだ。 
      (ベンチ……公園?) 
      それも、どこかで見たことのあるような形のベンチだった。 
      必死に記憶を探ろうとするが、男がまた急にきつく抱き締めてきたせいで、リョーマの思考は中断した。 
      (苦し……凄い力……) 
      男がまた溜息を吐いたようだった。 
      溜息を吐きながら、リョーマの髪を優しく何度も撫でているのがわかる。 
      音も匂いもわからないが、触覚だけは、微かに残っているのだとリョーマは気付いた。なぜなら、男が髪を撫でたり、クシャッと掻き回したりするのは「わかる」からだ。 
      (……気持ちいい……) 
      何度も髪を撫でる男の手の感触が、心から愛しい者にするように優しく優しく感じられて、リョーマはふいに切なくなった。 
      (この人は……オレのことを……好き、なのか……) 
      だからこんなふうに髪を撫でたり、きつく抱き締めたり、思い余って性行為に及んだりするのだろうか。 
      そういえば桃城も、好きでもない相手をどうこうしようとは思わないと言っていた。ならばこの男も、リョーマに熱い想いを抱いているために、夜な夜な、リョーマを好きに扱うのだろうか。 
      (でも……例えそうだとしても、オレはアンタのこと見つけ出して、絶対一発殴るから) 
      そんなことを考えていると、男が、そっと、リョーマの身体を解放した。そうして、昨夜のようにリョーマの手を引いて歩き始める。 
      (また……どこへ…?) 
      狭い視界の中をゆっくりと歩いていると、公園らしき場所を出て通りに出るのがわかった。 
      (あれ、ここ……) 
      暗くてよくはわからないが、今歩いている場所は自宅のすぐ近くのような気がする。 
      (やっぱそうだ、この角を曲がればオレの家が見えてくるはず……) 
      男の手が、ギュッと、リョーマの手を握り込む。 
      まるで「離したくない」と言っているようで、またリョーマの胸の奥が小さく軋んだ。 
      (アンタは……誰?) 
      そして、やはり意識が薄くなってくる。 
      完全に意識がなくなる寸前に、リョーマはなんとか男の背中を見上げることが出来た。 
      (この背中……オレは、知っている…?) 
      だが、その「知っている誰か」と重なろうとするイメージは、薄れてゆく意識と共に、また深く暗い淵へと沈んでいった。
 
 
 
 
  翌朝。 
      目覚ましが鳴る前に目を覚ましたリョーマは、前日よりもさらに体調がいいことにホッとした。 
      (やっぱり昨夜も何もしないでいてくれたんだ…) 
      ほんの少し、『あの男』へ感謝の気持ちが込み上げそうになり、だがリョーマはその思いを慌てて打ち消した。 
      「誰が感謝なんかするもんか…っ」 
      リョーマは勢いよく布団をはね除け、立ち上がった。 
      きっちりと閉ざされたカーテンを開くと、そこには生まれたての青空。 
      「………よし」 
      いよいよ全国大会だ、と思うリョーマの脳裏に、今まで戦ってきた相手の顔が浮かぶ。 
      そして、手塚の顔。 
      (全国にアンタより強いヤツがいるかどうか、この目で確かめてやるよ) 
      リョーマはふっと笑う。 
      「オレ以外にはいないだろうけど」 
      逸る心を宥めるようにゆっくりと深呼吸してから、リョーマはシャワーを浴びるために階下へと降りていった。
 
 
 
 
  集合場所に着き、先輩たちそれぞれの表情を見てリョーマは小さく微笑む。 
      (みんな気合い入ってるね) 
      表情や仕草はいつもと同じ。だが、瞳の輝きが、いつもとは全く違う。それぞれの胸の中で、それぞれの想いと共に、激しい闘志が燃えているのがわかる。 
      そして、リョーマは手塚を見た。 
      手塚は腕を組んで、黙ったまま目を閉じていた。 
      精神を集中させているのか、それともリラックスさせようとしているのか。 
      端正な顔が、さらに静かな闘志を秘め、彫刻とは違う『生きる者』としての美しさがそこにあると、リョーマは思う。 
      昨日、勝利を誓って手塚と拳をぶつけ合ってからは全く言葉を交わさなかった。練習が終わり、解散したあとも、手塚とは視線すら合わさなかった。 
      それなのに、リョーマは手塚と想いが繋がっている感覚がある。 
      『青学の勝利』 
      手塚と、自分の目指すものは同じ。 
      いや、手塚の見つめるものを、リョーマも見つめるようになったのだ。 
      自分の勝利が青学の勝利となるのなら、自分は自分で戦えばいいのだと、ずっと思っていた。だがそれは違うのだと、手塚が教えてくれた。 
      自分は自分のために戦う。今でも正直に言って、自分は青学のためだけに戦うのではない。 
      しかし、独りで戦っているのではないという心強さが、リョーマの心の中に生まれている。 
      ずっと独りで戦ってきたリョーマには、仲間というものの価値が、よく理解できていなかった。でも今なら少しわかってきたと思える。上手く言葉には出来ないが、例えば仲間がいるという心強さは、体力に限界が来た瞬間でも、一歩だけ前に踏み出す力を与えてくれるものだと、そうリョーマは思っている。 
      そしてそれは、今しか出来ない戦い方なのではないかとも思う。 
      同時に同じコートに立つことはなくとも、一緒に戦う仲間がいる。それはレギュラーだけを指すのではなく、テニス部全員、さらには応援してくれる人全員の思いが、自分を、自分たちを支えている。 
      (そういうのも、結構悪くないね) 
      仲間と共に戦う素晴らしさ。 
      そして、自分を高めるためには、上へと向ける闘志が必要であること。 
      そのことに気付かせてくれようとした手塚の想いを理解するのには少し時間がかかってしまったけれど、今は、手塚に感謝している。 
      あの高架下のコートでの戦いは、リョーマにとって、決して無駄な時間ではなかったと。 
      その手塚と同じ相手に立ち向かう、最後の大会。 
      (負けられない) 
      リョーマはじっと手塚を見つめた。 
      その視線を感じたかのように、手塚がゆっくりと目を開ける。 
      目が、合った。 
      手塚は静かな瞳をしていた。 
      他の誰よりも静かな、深い森の奥にひっそりと在る湖のように、音のない、澄み渡った静かな色。 
      だがリョーマは知っている。 
      その瞳の奥には、とてつもなく激しい情熱が秘められていることを。 
      その場にいる誰よりも、熱く、激しく燃え盛る炎が隠れていることを。 
      そしてリョーマは、その瞳を綺麗だと思った。 
      激しい闘志をそのまま映す瞳も嫌いではない。むしろ、好きだと思う。 
      だが、この手塚の瞳には、自分の心を捕らえて離さないほど、強く惹きつける美しさがある。 
      強く激しい闘志を秘めた、透明な瞳。 
      そこに、手塚の持つ自信を見た気がして、リョーマは心の奥が震えた。 
      (早く、アンタの本気のプレイを見たい……いや、オレと戦ってほしい) 
      祈るように願いながら見つめていた手塚の瞳に、一瞬、柔らかな風が吹いたように感じた。 
      (あ…) 
      手塚が、瞳だけで小さく微笑んだ。 
      きっと、ずっと手塚の瞳を見つめていなければわからないほどの変化だった。 
      だから、リョーマにだけは、その『微笑み』が伝わった。 
      ドキドキと、胸の鼓動がリョーマの全身に広がってゆく。 
      (部長…) 
      だが手塚は、隣にいた乾に何か話しかけられ、リョーマから視線を外した。ハッと我に返ったように、リョーマも手塚から視線を逸らす。 
      頬が、少し熱を持っている気がした。 
      逸らした視線の先を見つめながら、リョーマは眉を寄せる。 
      (ダメだ……) 
      唇を噛む。 
      (これ以上は、ダメだよ……) 
      目を閉じる。 
      (これ以上、部長のこと、好きになっちゃ、ダメだ……) 
      急ブレーキをかけたように、胸の鼓動が少しずつ収まってゆく。 
      手塚への好意が、違うものに変わろうとしているのを、リョーマは感じてしまった。 
      自分がこのまま手塚のことを好きになればなるほど、きっと手塚からは嫌われてゆくのだ。 
      なぜなら、自分は『あの男』に女のように扱われているからだ。 
      (こんなオレのこと、部長はきっと……) 
      きっと、まともだとは思ってくれない。 
      リョーマはさらにきつく眉を顰めてから、ゆっくりと目を開けた。 
      (今は、『あの男』のことは忘れよう……試合のことだけ、考えてればいいんだ) 
      これから戦う相手は、どれも雑念に囚われた状態では勝てない者たちばかりになるだろう。 
      もう一度、リョーマは手塚に視線を向けた。 
      乾や大石と話しながら、手塚もこちらに、ふと、視線を向けてきた。 
      (アンタの前で、醜態は晒さないよ) 
      瞳に、決意を込めて、手塚を見つめた。 
      手塚の瞳が小さく見開かれる。 
      そして今度はリョーマの方から視線を外した。 
      (誰にも、オレは負けない) 
      そう、例え正体のわからない『あの男』であっても、自分は負けない。
 
  顧問の竜崎が全員集まったことを確認し、青学テニス部は試合会場に向けて移動を開始した。 
      そうしていよいよ、全国大会の幕が切って落とされた。
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
  人は常に進化してゆくものなのだと、リョーマは実感した。 
      沖縄の比嘉中との戦いで、それぞれが着実にレベルアップしている先輩たちの姿を目の当たりにしたリョーマは、自分でも気づかぬうちに瞳を輝かせていた。 
      チラリと手塚に視線を向けると、手塚の瞳にも、それまでとは違う、穏やかな喜びのような光が見えた。 
      (アンタがいない間に、みんな頑張ったんスよ) 
      心の中で手塚に語りかけ、リョーマは小さく微笑む。 
      シングルスとダブルスを交互に行う今大会では、シングルス3のリョーマがまずコートに立った。 
      体格も、それに比例するようなパワーも、リョーマの相手の方が圧倒的に有利だったが、リョーマは負けなかった。タイブレークまでいき、巧妙にトラップを仕掛けて、最後は力でねじ伏せた。 
      勝利を手に、仲間のもとへ戻ってきたリョーマを出迎えたのは、みんなの笑顔。 
      そしてリョーマがさりげなく視線を向けた手塚も、仄かに笑んで、頷いてくれた。 
      (部長…) 
      よくやった、と、声に出さない手塚の言葉が、リョーマには聞こえた気がした。
 
 
 
 
 
 
 
  そして、青学は次々に勝利を収めてゆき、いよいよ手塚がコートに立った。 
      リョーマは奥歯を噛み締めるようにして、じっと手塚を見つめた。その些細な指先の動きまでも、見逃さないように、と。 
      テニスを愛し、青学を愛し、規律を重んじ、信念を貫く熱い男。 
      その情熱が、肘も肩も全快した手塚のプレイには、顕著に表れた。 
      卑怯な手段を用いてでも勝利しようとする相手に真っ向から立ち向かい、圧倒的な差を見せつけて、手塚は勝利した。 試合が終わっても、しばらくリョーマは放心状態にあった。 
      すぐに手塚の元に駆け寄って、そのプレイを褒め称えたかったのに、全身が痺れたようになって、しばらく動けなかったのだ。 
      見ているだけで興奮し、ゾクゾクと身震いするような試合は久しぶりに見た気がする。 
      (あれが、アンタの、本当の力……) 
      手塚と戦ってみたい。 
      戦って、勝ちたい。 
      リョーマの胸に、強い衝動が生まれる。 
      そして、その、強い強い手塚が全力で愛し、その情熱のすべてを傾けている青学が、妬ましくさえ思えてしまう。 
      だから、手塚に伝えておきたい言葉が、もうひとつ、リョーマの中に生まれた。
  リョーマは、勝利の喧噪から逃れて不二と二人で静かに語り合っている手塚を見つけた。 
      ふらりと近づくと、不二が先にリョーマに気付いた。 
      「…手塚」 
      不二の声に、手塚が肩越しにリョーマを振り返る。 
      「何だ、越前…?」 
      少し硬い声だと思った。そのせいか、リョーマの声も、少しだけ、いつもよりも硬くなる。 
      「いつか言いましたよね。青学の柱になれって」 
      「それがどうした」 
      訝しげに、だが穏やかにそう問われて、リョーマは顔を上げた。 
      手塚が、真っ直ぐに自分を見つめてくれている。 
      「奪い取るっス…」 
      手塚の瞳が、小さく見開かれた。 
      「アンタから奪い取ります。青学の柱って奴を!」 
      そうでなくては、それほどの強さと意気込みがなくては、手塚が情熱を捧げる『青学』を支える存在になどなれない。 
      いや、青学を支える『柱』は、譲り渡されるものではなく、より強い者が奪い取らなければ、その価値は失われるのだ。 
      そして、しっかりとその役目を果たすことが、手塚に匹敵する、あるいはそれ以上の強さの証明となる。 
      (だからオレは、オレの意志で、アンタを越えて青学の柱になるよ……) 
      手塚は黙ったまま何も言わなかった。 
      リョーマもそれ以上何も言わずにクルリと背を向ける。 
      だが、リョーマはもうひとつの大事な用事を思い出した。 
      「そーいや…言い忘れてる事が一つありました」 
      ずっとずっと言いたくて、言えなくて、胸にしまっておいた言葉。 
      本当はもっと早く言いたかった言葉。 
      でも、この目で手塚の完全なる復活を見届けるまでは言わないと、決めていた言葉。 
      (やっと言えるよ、部長)
  「お帰りなさーい、……部長」
  振り向いて、手塚の目を見て、照れ隠しに少し戯けた口調を装って、それだけ告げた。 
      手塚が一瞬目を見開き、そして穏やかに細めた。 
      今にも優しく微笑みかけてくれそうなほど柔らかな瞳に頬が熱くなりかけ、リョーマは慌ててまた背を向けた。 
      「……お帰り、部長……」 
      手塚から遠ざかりながら、もう一度、口の中でそう囁く。 
      指輪が、急速に熱を帯びた。 
      そして、心は、甘く軋んだ。
 
 
 
 
 
 
 
  *****
 
 
 
 
 
 
 
  激しく、熱い戦いを乗り越え、四日間続いた全国大会は幕を閉じた。 
      苦しい戦いの連続だった。 
      だが、学校という枠を越えて新たな友情も生まれた。
 
 
 
 
 
  そして、青学の名は、全国に轟いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  もう恒例となってしまった『かわむらずし』での祝勝会を終えて、リョーマは心地よい疲れと共に家に帰り着いた。 
      「ただいま」 
      「おかえりなさい」 
      母が、そして従姉の菜々子が、満面の笑顔で迎えてくれる。 
      「ご飯食べてきたのよね?」 
      「うん、もうお腹一杯。風呂入って寝たい」 
      「ちゃんと沸かしてあるわよ。ゆっくり入りなさいな」 
      労るような母の優しい笑顔に、リョーマはふっと身体の力が抜けるのを感じた。 
      (終わったんだ……全国大会……) 
      自分の力を最大限発揮して戦う事が出来たと、リョーマは思う。 
      だが、自分にはまだまだ、足らないものがあるという事実も痛感した。 
      全国レベルの入り口に立ったに過ぎない自分は、さらに磨きをかけ、そのずっと先にあるものを掴みたいと思う。 
      (オレは、もっともっと、強くなるんだ…) 
      誰も、何も、リョーマに文句などつけられないほど、強くなりたい。 
      (早くアンタに追いついて、追い越したい……) 
      部屋にバッグを置いて、着替えを持って降りてきたリョーマは、脱衣所で服を脱ぎながら手塚の事を考えていた。 
      いや、もうずっと、大会初日に手塚のプレイを見てから、リョーマの頭の中は手塚のプレイの事で一杯になっている。 
      技術的にはかなり近づいているとは思う。 
      なのに、何かが、リョーマには足りない気がする。 
      (経験?自信?……練習量とか?) 
      そう考えて、リョーマは小さく溜息を吐いた。 
      手塚が、部員たちの知らないところで過酷なトレーニングを積んでいるのは薄々知っている。そうでなければ、あの手塚のプレイの質を維持することなど出来はしない。 
      部活の朝練の前と、たぶん、放課後の部活のあとに、手塚はそれなりの距離のランニングをしているはずだ。あの脚の筋肉の付き方を見ればわかる。 
      細身に見えるが、ウェアを脱ぐと意外に厚い胸板をしていて、引き締まった腹筋と相俟って美しいとさえ思えるような体つきをしている。 
      部室で着替えている時にそのことに気付いたリョーマは、あの細身からとてつもなく強いショットが生まれる理由を、その時に漸く理解したように思った。 
      (オレももう少し、走り込みの距離、延ばそうかな……) 
      掛け湯をして身体の汗を流してから湯船に身を沈める。 
      「あー……気持ちイイ……」 
      深く息を吐き出して、リョーマは目を閉じた。 
      「心の違い………かな……」 
      ポツリと呟いて、苦笑する。 
      (人間的には、アンタには敵わないよ…) 
      リョーマは天井を見上げてまた溜息を吐いた。 
      「強くて、優しくて、頭良くて、顔もよくて、背高くて、服のセンスもよくて、仕草もカッコイイのにイヤミにならないし………テニス以外でアンタに勝てる可能性なんか、全然ないじゃん」 
      とぷんと、水音をさせてリョーマは湯の中に潜り、少ししてからザパッと勢いよく顔を出した。 
      「はーっ」 
      新鮮な空気を肺に送り込んでブルブルと頭を振って水気を乱暴に振り落とす。 
      (今頃何してるのかな……やっぱり風呂、入っていたりして…) 
      クスッと微笑んでから、リョーマは「ぁ」と言って右手を持ち上げた。 
      「熱い…?」 
      また、指輪が熱を帯びている。しかも、今日はいつものように「仄かに」熱を感じるのではなく、確実に「熱い」と感じられるほど熱を持っている。 
      「なんなんだよ……」 
      まさかこのままどんどん熱を持って、自分の指を焼き切るのではないかと考え、リョーマはゾッとした。何とかして指輪を外そうとするが、熱い指輪は、いつものように動かない。 
      (普段は熱を持ったりしないくせに、なんでオレが何か考え事すると熱くなるんだ、こいつ……) 
      リョーマは眉をきつく寄せてから、どうやら焼き切れはしないだろうと判断し、外すのは諦めて右手を湯の中に沈めた。 
      「そっか……全国大会が……試合が、終わっちゃったんだ………」 
      リョーマはふと気がついて、そう呟いた。 
      試合期間が終わったということは… 
      (もしかして……やっぱりまた『あの男』はオレのこと……) 
      リョーマの心は一気に奈落の底に突き落とされた。 
      大好きな風呂に入っているというのに、きっともう気分が浮上してくることはない。 
      しばらくリョーマに手を出さなかったことで、リョーマになど、もう興味を失っていてくれればいいのにと思うが、それはないだろうと自分で自分の考えを否定する。 
      この大会中の数日間も、リョーマは『あの男』と逢っていた。 
      だが男はリョーマをきつく抱き締めるだけで手を出しては来なかった。 
      『あの男』はきっとリョーマに恋情を抱いている。 
      あの、苦しいほどの抱き締め方を思い出せば、それがわかる。わかってしまう。 
      切なげな溜息も、髪を梳く優しい手指の感触も、単にリョーマのカラダが欲しいだけではないと告げていた。 
      「だけど……オレはイヤなんだ……」 
      リョーマはギュッと自分の身体を抱き締めた。 
      「オレのカラダはオレのものだ……誰だかわかんない奴に好きにされるのは、もう、嫌だ……」 
      そんなリョーマの想いなどお構いなしに、きっと今夜も、『あの男』はリョーマを待っているに違いない。 
      そして今夜は、『あの男』がリョーマを抱かない理由が、ない。 
      「くそ……っ」 
      どうすれば『あの男』に好き勝手に扱われずにすむのだろう。 
      リョーマは大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。 
      指輪の熱は、いつの間にかひいている。 
      そのことにすら気付かずに、リョーマはきつく眉を寄せて俯いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  そして、『夜』は唐突にやってきた。 
      抗えない強烈な眠気に、リョーマはベッドへ倒れ込み、投げやりに目を閉じる。 
      (またオレは…) 
      誰だかわからない男に好きに扱われるのかと思うだけで、悔しくて涙が出そうだった。 
      そうして、ギュッと閉じている瞼の裏に、なぜか、手塚の柔らかな微笑みが浮かぶ。 
      (部長……こんなオレ……嫌だよね……) 
      悔しさで一杯だったリョーマの心の中に、それを上回るほどの悲しみが湧き上がる。 
      コートでは誰も寄せ付けないほどの冷気を放つ手塚の瞳は、リョーマと二人でいる時には、柔らかく細められる。 
      その瞳を、向けてもらえなくなるのが、怖い。 
      「嫌だ…眠りたく、な…い……」 
      だがそれきり、リョーマの意識は途切れた。
 
 
 
 
  意識が再び浮上した時、やはりリョーマは『あの男』の部屋にいるようだった。 
      だが今日は、いつも見ている部屋のアングルと違う、と思う。 
      (…?) 
      すべてが、横に倒れて見える。 
      (ぁ…) 
      そしてリョーマは気付く。 
      部屋の家具が横に倒れているのではなく、リョーマが横に寝かされているのだ。 
      背中には柔らかなベッドの感触がある。そのベッドが静かに揺れ、誰かが自分に覆い被さるのがわかった。 
      (嫌だ……っ) 
      男が、リョーマのTシャツの中に手を滑り込ませてくる。 
      ゆっくりと、肌の感触を確かめるように腹を撫で回され、徐々に胸へと這い登り、突起を指先で転がされる。 
      「!」 
      乳首を摘まれて、リョーマの身体が跳ねた。 
      (なんで……やだっ) 
      視界はいつものように不鮮明だった。聴覚もない、嗅覚もほとんどない。 
      なのに。 
      今夜は、肌に触れてくる男の手の感触が、はっきりと感じ取れる。 
      手指だけではなく、乳首に吸い付いてくる唇の感触も、甘く噛まれる歯の硬さも、ねっとりと首筋に這わされる舌の動きも熱も、すべてが『わかる』のだ。 
      (いやだ、いやだ、いやだ!) 
      心の中でそう叫んでも、リョーマの身体は指一本さえ動かせない。目を見開いて相手を睨みつけることも出来ない。 
      何一つ自由に出来ない身体が、男に触れられ、ビクビクと反応を返している。 
      悔しくて、悲しくて、絶望に沈み込みそうになったリョーマの髪を、男が優しく撫でた。 
      (ぁ……) 
      何度も何度も、優しく愛しげに髪を梳かれて、リョーマの心が切なさに軋む。 
      (そんなに……オレのこと、好きなの……?) 
      男が、リョーマの唇に指先で触れる。そして、そこに自分の唇を重ねようとして、動きを止めた。 
      (?) 
      男は、口づけては来なかった。 
      リョーマの唇に吐息だけを残して、男はゆっくりと身体を起こす。 
      だが男は行為自体をやめる気はないらしく、リョーマのズボンに手を掛け、脱がせ始める。 
      (やだ…っ) 
      心で抵抗しても、身体は男に差し出されたかのように、ベッドに投げ出されたまま動かない。 
      男が、再びリョーマの髪を撫で、ゆっくりと覆い被さってくる。 
      身を屈めて、男はリョーマの臍の辺りに口づけて、そのまま唇を滑らせてリョーマの雄に辿り着く。 
      (ウソ……) 
      男の唇がリョーマの性器に触れる。 
      柔らかなままのリョーマの雄が男に手で持ち上げられたと思った次の瞬間、それはしっとりと熱いものに包まれた。 
      (うわっ) 
      途端に、リョーマの身体を快感が突き抜ける。 
      「ぁ……」 
      声が、出た。 
      自分の声ではないような、少し掠れた、高い声。 
      失われているはずの聴覚が、自分の声だけを鮮明に捉え始める。 
      男は口の中にリョーマをすべて招き入れ、舌を使って柔らかく愛撫している。口内で揉まれ、ゆるゆると出し入れされ、時折引っ張るように吸い上げられる。 
      「ぁ……ぁあ…」 
      自分の口から漏れる甘い声に、リョーマは耳を疑った。 
      (こんなの……オレの声じゃない…) 
      男の愛撫に反応し、素直に零れる自分の嬌声にリョーマは愕然とした。 
      だが、頭ではショックを受けているはずなのに、身体の方は次々にリョーマに快感を伝えてくる。 
      (いやなのに……気持ちいい……っ) 
      自分の身体が恨めしくなった。 
      誰だかわからない人間に愛撫されて悦ぶなど、信じられないことだった。 
      なのにリョーマが動揺している間にも、男はますます愛撫を濃くし、リョーマを翻弄していく。 
      いつの間にかリョーマの脚は大きく左右に開かれ、男の指が、その奥へと埋め込まれた。 
      「あぁ……っ」 
      指の付け根まで後孔に差し込まれ、リョーマの身体が撓る。 
      胎内の指が、まるで細長い生き物のように動き回り、奥へ奥へと藻掻くようにさらに深く捩り込まれる。 
      「ぁあんっ」 
      リョーマの心と身体が、初めて同時に反応した。 
      細長い生き物が触れた場所から、電流が背筋を駆け抜けたのだ。 
      「ああ、ぁん、あっ」 
      リョーマが声を上げ始めると男はさらにその場所を強く刺激してくる。 
      (なに、それ、なんで…) 
      リョーマは自分の腰がベッドから浮き上がり、男の指に合わせて揺れていることに気付いた。 
      (な、なにやってんだ、オレ…っ) 
      あまりの恥ずかしさに顔面から火が噴き出しそうだったが、リョーマの『カラダ』は、恥じらいつつも、さらに男に向かって綻んでゆく。 
      「ああ、あ……あっ、や、ぁ…」 
      (すごい……気持ちいい……っ) 
      カラダの暴走が、止まらない。 
      「ああ、やっ!」 
      ひときわ深くその場所を男に指で押し込まれて、リョーマはとうとう熱液を噴き上げてしまった。 
      熱い液体が自分の腹に降りかかるのがわかる。 
      (ウソだ……こんな…) 
      心地よく脱力してゆくカラダにつられるように、リョーマの意識が薄くなってくる。 
      (これは…オレのカラダじゃない…っ) 
      そうして意識が完全に途切れる寸前、男の優しい手が労るようにリョーマの頬を撫でるのを感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  翌朝は、今までで最悪の体調だった。 
      初めて男に抱かれた時よりも、たぶん、ダメージがひどい。 
      身体が、泥に埋まっているように、全く動かせないのだ。特に下腹部から下肢にかけては、感覚まで鈍くなっていて、まるで自分のものではないようにすら思えた。 
      それでも恐る恐る手を伸ばして、下着の上から後孔に触れてみて、リョーマは眉を顰める。 
      そこはひどく腫れて敏感になっていた。 
      粘膜が剥き出しになっているのかと思うほど、下着で僅かに擦れるのさえピリッと刺激が走る気がする。 
      「……今まで我慢してきた分、ってことか…」 
      リョーマはベッドヘッドの時計を手に取ろうとして、やめた。 
      そんな気力さえ、起きなかった。 
      深い溜息が零れる。 
      クタクタに疲れていた。身体も、そして心も。 
      「寝よう」 
      この時間ならば、あの男のもとへリョーマが向かうこともないだろう。なぜか、そんな確信がある。 
      だが、目を閉じても眠れなかった。 
      身体も、心も、疲れきっていて、すぐに再び深く眠れそうだと思うのに、目を閉じても静かな眠りは訪れてくれない。 
      何もかも忘れて寝てしまいたいのに。 
      今の自分の状況から目を逸らしたいのに。 
      (逃げることも許してくれないわけ?) 
      リョーマは唇を噛み締めた。血が出そうなほど、きつく。 
      『あの男』が憎らしい。 
      だがもっと許せないのは、自分自身だ。 
      (オレのカラダは、あいつのことを、きっと嫌がってないんだ……だから、あんなふうに…) 
      昨夜の自分の痴態を思い出し、リョーマは頬を真っ赤に染めた。 
      男に愛撫され、感じてしまった。 
      排泄器官であるはずの場所に指を埋め込まれ、よがり、その指をきつく締め付けたまま、吐精した。 
      きっとその後も、自分は男を受け入れ、何度も射精したのだろう。全身の怠さは、そのせいだ。 
      『夢』の間中自分の思い通りに動かない身体は、きっと自分のものではないのだ。だから男の愛撫に感じて勝手に弾けるのだろう。 
      そうでも思わないと、やっていられない。 
      「くそ……」 
      リョーマはまた、深い溜息を吐いた。
 
 
  歓迎できない日々が、また戻ってきてしまった。
 
 
 
 
 
  
      続
 
 
   ←前                              次→
 
  
      ***************************************** 
      ←という方はポチッと(^_^) つながりが悪い時は掲示板やお手紙でぜひ一言を! *****************************************
  掲示板はこちらから→  お手紙はこちらから→ 
 
  
  
      20051207 
      
      
  
    
  |