  縁側
  
  
      
  遠くでドアチャイムが鳴った気がして、手塚は深い眠りの底から急浮上させられた。 
      「………」 
      ゆっくりと目を開け、腕の中の温もりを見下ろせば、安らかな顔で眠りを貪る愛しい恋人がいる。 
      (夢では…なかった……) 
      込み上げてくる幸福感に微笑みながら、手塚はベッドヘッドに置いてある小さな目覚まし時計を手に取った。 
      午前八時半。 
      人が訪問しても、まあ、許される時間だろう。 
      手塚は溜息をつくと、小さく丸まって眠る恋人を起こさないように、そっとベッドを抜け出す。 
      足下に置きっぱなしにしてあったミネラルウォーターのペットボトルを拾い上げ、喉を潤そうとした時、またドアチャイムが数回続けて鳴らされた。
 
 
  「…どちら様ですか?」 
      「ぁ、手塚?僕だよ、開けて」 
      「…………」 
      手塚は、どうして自分は寝たフリを続けなかったのだろうかと、盛大に後悔した。 
      それでも追い返すわけにも行かず、手塚はもう一度深い溜息を吐く。 
      「…ちょっと待っていてくれるか?」 
      ドアの向こうの同級生が了承してくれたので、手塚は寝室に向かい、急いで床に落ちている服を拾い上げて適当に身につけた。そうしてリョーマがまだ深い眠りにあることを確認してから、寝室のドアをきちんと閉めて改めて玄関に向かった。 
      「待たせてすまない………」 
      言いながらドアを開けた手塚は、目を見開いて沈黙した。 
      「おはよう、手塚」 
      「ああ……おはよう」 
      ニッコリと笑う不二の横で大石が引きつった顔で笑い、菊丸が瞳を輝かせ、乾は口元の笑いを隠すように眼鏡を直し、その後ろで海堂が申し訳なさそうにして立っていた。 
      「こんな朝から、………どうかしたのか?」 
      努めて冷静を装って手塚がいつもの口調で言うと、不二が少し真面目な顔をした。 
      「手塚、まだ携帯充電してないでしょ。警察の人が手塚の方に繋がらないからって大石の方へ連絡があってね。今日の午前中に、昨日のこといろいろ聴きたいからみんなで署の方に来て欲しいって」 
      「ああ……そうだったのか。すまないな、大石」 
      手塚に謝られて大石がおずおずと口を開いた。 
      「い、いや、こっちこそごめん、手塚。その……越前のことも気になって。越前の家に電話したら、昨日は手塚のところに泊まっているって言うから、それなら警察に行くついでに直接顔を見ようかと…みんなで……」 
      「…………ああ」 
      「ちなみにぃ、タカさんは仕入れの手伝いがあるから現地で待ち合わせしててぇ、桃ちんは、織原兄妹のとこに寄ってからこっちに来るって言ってたにゃん」 
      頭痛がするほど明るい菊丸の口調に手塚は小さく溜息を吐いて「そうか」とだけ言った。 
      「で、越前は?」 
      「……まだ寝ている」 
      不二の問いかけに手塚が気まずそうに答えると、大石がハッとしたように身を乗り出した。 
      「もしかして、まだ具合が悪いのか?」 
      「あ、いや……そういうわけではないんだが……」 
      「ふぅん」 
      大石の言葉を即座に否定した手塚を、不二の瞳が探るように覗き込む。 
      「手塚も今まで寝ていたんだよね?」 
      「………え?…ああ、そうだ」 
      不二がクスッと、意味ありげな笑みを浮かべた。 
      「越前と一緒に、同じベッドで、服も着ないで、寝ていたわけ?」 
      「…………」 
      「え?」 
      「にゃ?」 
      「ほぅ?」 
      「へ…っ?」 
      表情に動揺を出す前に固まってしまった手塚を、不二以外の四人がそれぞれ様々な表情で凝視した。 
      真っ青なのか真っ赤なのかわからない顔色の大石。 
      興味津々でキラキラと瞳を輝かせる菊丸。 
      眼鏡を直しながら今にもノートを取り出しそうに微笑む乾。 
      そして、ユデダコのように真っ赤になって口をぱくぱくと動かしている海堂。 
      自分の後ろの四人をチラリと見遣った不二が、改めて手塚に視線を向けて、また含みのある笑みを浮かべた。 
      「そうなんでしょ?手塚」 
      「……何を、バカな……」 
      「そのシャツ、ボタンが掛け違ってる」 
      「え?」 
      指摘されて、手塚は自分のシャツを見下ろし、ボタンが段違いにかけられているのを見て愕然とした。慌ててボタンを嵌めたのと、少々寝ぼけていたのか、幼い頃にもしたことのないミスを、手塚は犯していた。 
      「慌てたにしても、一度ここまで来て僕に断りを入れてからから出てくるまでの短い時間でそこまで身支度が整っているということは、『着替えた』んじゃなくて、『服を着た』だけなんでしょ?しかもそれ、昨日着ていた制服?」 
      「さすが不二、なかなか鋭い推理だな」 
      乾がニヤリと笑いながら頷く。 
      「て……手塚……?」 
      大石が顔を引きつらせて縋るような目で見つめてくる。不二の言葉を否定しろと、その目が語っている。 
      「………」 
      どう対応したものかと逡巡していると、小さな声で名を呼ばれた気がして、手塚は寝室の方を振り返った。 
      「………っ!!!!!」 
      「国光………あ」 
      寝室からぽてぽてと歩いてきたリョーマを見て、リョーマ以外の全員が硬直した。 
      まだ半分寝ぼけていたリョーマも、玄関にいる先輩たちを見て、みるみる覚醒する。 
      「ぅ……うわぁっ!なんでっ、みんないるんスかっ!?」 
      少々ハスキーな声でそう叫ぶと、リョーマはまた寝室に駆け込んでいった。 
      「…………」 
      しばらくの間、何とも言えない沈黙が流れる。 
      その沈黙を破ったのは、やはり青学テニス部・部長の手塚国光。 
      「…みんな、上がって適当に座って待っていてくれ。すぐに支度する」 
      溜息混じりにそう言って寝室に向かう手塚を見送ってから、まず最初に正気を取り戻したのは青学ナンバー2と謳われる不二周助。 
      「あ……ああ。じゃあ、ちょっと上がらせてもらおう」 
      「そ、そうだな」 
      次に動いたのは乾。硬直したままの大石と海堂の背中を押してやりながら苦笑したのは菊丸だった。 
      「そういうのも……あるのかな……あの手塚が……」 
      菊丸に背中を押されて部屋に上がり、ガックリと脱力するように座った大石が、ポツリと、そんな言葉を零した。 
      「大石?」 
      困ったように眉を寄せて大石を覗き込む菊丸の横で、不二は何も言わずに小さく微笑んだ。
 
 
  「ごめん、国光……みんなに……」 
      「気にするな」 
      さすがのリョーマも動揺して、未だに何も纏わずにベッドに腰掛けている。 
      「いずれみんなも気付くだろうとは思っていた。それが少し早まっただけだ」 
      「………」 
      俯くリョーマの頭に、手塚はそっと手を置いた。 
      「自分から率先して話して回るようなことでもないが、俺は、お前との関係を恥ずかしいものだとは思っていない。むしろ、お前を一生のパートナーに出来たことを、誇らしく思うぞ」 
      「え………?」 
      リョーマは手塚の言葉の中に、大事なキーワードを見つけて顔を上げた。 
      「一生の、パートナー?」 
      「………違うのか?」 
      小さく眉を寄せる手塚に、リョーマは大きく見開いていた目を細めて嬉しそうに微笑んだ。 
      「違わないっス」 
      「……リョーマ」 
      ふわりと口づけられて、リョーマは頬を染める。 
      「…国光…」 
      リョーマは手塚の首に腕を回して甘い吐息を零した。 
      手塚が深く口づけてくる。 
      「ぁ………んっ」 
      舌を絡め合い、じゃれつくように互いの唇を甘噛みしあってからゆっくりと離れ、間近で見つめ合い微笑む。 
      「愛している、リョーマ」 
      「オレも愛してる、国光」 
      二人の心にたとえようもない幸福感が満ち溢れた。 
      「残念だが、今はここまでだ。支度をして出掛けなくてはならない」 
      「………うん」 
      「帰ってきたら……続きをしないか…?」 
      リョーマはクスッと笑ってから「うん」と答えた。 
      「……風呂に入るにはあいつらの目の前を通らないといけないな………」 
      独り言のように呟いてから眉をきつく寄せて考え込む手塚にリョーマは首を傾げる。 
      「…リョーマ、とりあえず今は、濡れタオルで体を拭くだけでは嫌か?」 
      「………ん、いいっスよ。でもなんで?」 
      ゆっくり立ち上がった手塚は、仄かに頬を染めて溜息を吐いた。 
      「これ以上、今のお前の姿をあいつらに見せるのは気が進まない」 
      「……………」 
      しばらく沈黙してから、リョーマは小さく「ぷっ」と吹き出した。 
      「笑うな」 
      「ごめん、なんか、嬉しいっス」 
      リョーマは立ち上がって、肩を揺らしながら手塚を後ろから抱き締めた。手塚が独占欲を剥き出しにしてくれるのが嬉しくて堪らない。 
      「国光、大好き」 
      「…………」 
      手塚は暫し硬直した後でゆっくりとリョーマを振り返り、ギュッと抱き締めた。 
      「…………くそっ」 
      小さく小さく呟かれた手塚の言葉に、リョーマは目を見開いた。 
      「え?」 
      「いや………タオルを持ってくる。ちょっと待っていてくれ」 
      「ういっス」 
      リョーマをドアから見えない位置に立たせ、手塚はタオルを取りに部屋から出て行った。 
      一人残されたリョーマは、身体に残る手塚の感触を思い出し、ほんのりと頬を染める。 
      きっと、先輩たちが隣の部屋にいなかったら、自分たちは今もベッドの中で互いを抱き締め合っていただろう。そう思うと、手塚が思わず漏らした忌々しげな台詞をリョーマも口にしたくなるが、リョーマは微笑んでその言葉を打ち消した。 
      (だって、オレたちは、一生のパートナーなんだ) 
      焦る必要はないのだ。 
      これからの長い人生を、手塚と二人で歩いてゆけるのだから。 
      きっと今日のことも、齢を重ねた自分たちが日当たりのいい縁側で話す懐かしい笑い話になるに違いない。 
      リョーマは窓際に歩いてゆき、カーテンを開けてよく晴れた空を見上げた。 
      突然始まった手塚との同居生活だったが、今ではそれは、どこか運命的なものだったのではないかとさえ思える。 
      なぜなら、手塚の存在は、それだけでリョーマを幸せに導くように思えるから。
 
  突然始まったラブストーリーは、この先、決して終わることなく手塚と二人で作り上げてゆく物語なのだと、リョーマは思った。
 
 
 
 
 
  
      終
 
 
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      20051008 
      
      
  
    
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