  お土産
  
  
      
 
  警察署の中の会議室のようなところでいろいろと話を訊かれた手塚たちは小一時間ほどで解放された。 
      「なんか、腹空きません?」 
      警察署を出た途端、桃城が溜息をつきながら腹を撫でてみんなに同意を求めるように視線を向ける。 
      結局桃城も河村と同じく「現地集合」になったせいで、今朝の、手塚のマンションでの一件はまだ知らない。 
      「うんにゃ。確かに腹ぺこにゃん。早起きしたからにゃ〜」 
      「でも早起きしていいことあったでしょ?英二」 
      不二にニッコリと笑いかけられて、菊丸は頬を染めて気まずそうにリョーマをチラリと見た。 
      視線を向けられたリョーマも頬を染め、さりげなく視線を手塚に向ける。 
      「………ここに来る途中にファミレスがあったろう。そこでいいか?桃城」 
      「ぁ、ういっス!」 
      リョーマの困ったような瞳を見て、手塚は咄嗟に話題を変えてみた。 
      「………ありがと、部長」 
      手塚にだけ聞こえるような小さな声で言うリョーマに、手塚は柔らかく微笑み、そのまま誰も見ていないことをさっと確認してからリョーマの耳に口を寄せて囁いた。 
      「俺たちだけ早めに抜けないか?お前のオムライスの方がいい」 
      「……うん」 
      嬉しそうな微笑みに目を奪われ、手塚が微笑みながらじっとリョーマを見つめていると、その手塚のすぐ後ろで不二が咳払いをした。 
      「全員分、手塚が奢ってくれるなら、見逃してあげるけど?」 
      「!」 
      珍しくギョッとして手塚が振り向くと、不二が人の悪そうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。 
      「…悪いがそれほど持ち合わせはない」 
      すぐにいつもの落ち着きを取り戻した手塚は、小さく溜息を吐きながら不二を睨んだ。 
      「まったく……昨日までの僕たちの焦れったさをどうしてくれるのかな。奢ってもらうくらいしないと、何だか納得できないよ」 
      「それも一理あるな、不二」 
      乾が横から乱入してきた。 
      「昨日も言ったが、手塚と越前の鈍さに、俺たちのストレスは溜まる一方だったんだ。ひと月くらい俺の特製ドリンクの試飲役をやってもらっても罰は当たらないと思うが」 
      「げ」 
      堪らず、思いっきり嫌そうな顔をしたリョーマに、大石と河村は引きつった笑いを向ける。 
      「故意にそうしていたわけじゃない」 
      「そうっスよ!そう言うなら誰か教えてくれればいいのに…オレも部長も、お互い違う人が好きだと思って………そうだ、不二先輩のせい!」 
      「え?僕?」 
      いきなり矛先を自分に向けられた不二は、きょとんと目を丸くしてリョーマを見つめた。 
      「不二先輩が思わせぶりにいろいろ言うから!……だから、オレも部長も……お互いに、それぞれが不二先輩のことを好きなのかと思って……その…」 
      「ふぅん」 
      不二がどこか楽しげに微笑んだ。 
      「そういうことだったんだ」 
      「こいつ、俺も部長のこと好きなんじゃないかとか言ったんスよ………って、あれ?」 
      一緒になって笑っていた桃城が、今さらながら何かに気付いたように目を見開いた。 
      「……え?あれ?まさか、越前、……と、部長……くっついちまったんスか…?」 
      愕然と目を見開いて不二や乾たちに視線を向ける桃城に、不二はニッコリと微笑み、乾はニヤリと笑い、そして海堂は…… 
      「いちいち口に出して確認してんじゃねえよ、このタコ野郎っ!」 
      真っ赤になって声を張り上げた。 
      「なんだぁ、このマムシがぁ!やるのか、てめぇ!」 
      対する桃城はどこか青ざめていて、声にいつもの迫力がない。 
      「こら、お前ら、警察署の前で喧嘩するな!」 
      「そうそう、公務執行妨害とかで、現行犯逮捕されちゃうよ?」 
      怒る大石に、苦笑してなんとか宥めようとする河村。 
      「桃ちん、動揺してる?」 
      「そうみたい」 
      面白そうに見守る菊丸に、一緒に笑いながら頷く不二。その横で乾は相変わらず何を考えているのかわからない風情で眼鏡の位置を直していた。 
      「ね、部長」 
      桃城と海堂の言い争いを横目でチラリと見て、リョーマがそっと手塚に耳打ちする。 
      「逃げようよ」 
      「え…」 
      リョーマは手塚の腕を掴んで、そろりそろりと後退りし始めた。そのまま、すぐ近くの角まで行き、さっと身を隠す。 
      「よし、走ろ、国光!」 
      手塚もふっと笑うと頷いた。 
      「……ああ」 
      手塚とリョーマは、しっかりと手を繋ぎ合って、その場から逃げ出した。 
      「逃げちゃったよ、不二ぃ」 
      菊丸が二人が逃げ去った方を見遣りながら唇を尖らす。 
      「今日のところは見逃してあげようか。やっと両想いになったんだし」 
      「でもさ、昨日俺たちが散々手塚に言ったから、やっと手塚もおチビの気持ちに気付いたにゃ?俺たちってば、恋のキューピッドにゃん!」 
      「うん、だから、『今日のところは』だよ」 
      「うにゃー…」 
      ニッコリ笑う不二に引きつった顔で笑い返しながら、菊丸は昨夜のことを思い出していた。
 
  昨夜、リョーマを炎の中から助け出した手塚はあとから駆けつけたメンバーたちに、心配と、安堵と、今までのもどかしさをすべてぶつけられてしまった。 
      「大丈夫っスか、部長!」 
      桃城の問いかけに、リョーマをしっかりと抱き締めたまま手塚は頷いた。 
      「越前は!?」 
      不二が手塚の腕の中を覗き込むと、手塚は愛しげにリョーマを見つめながら「薬で眠らされているだけだ」と言った。 
      桃城が状況の補足説明をすると、不二がきつく眉を寄せた。 
      「無茶なことを…」 
      だが手塚は穏やかな瞳で小さく笑った。 
      「どのみち、こいつに何かあったら、俺も普通ではいられない」 
      「…だったら、なんでそれを早く越前に伝えなかったんだい?」 
      「え?」 
      手塚が驚いたように目を見開いた。 
      「それは……」 
      「だいたい手塚は鈍すぎるよ。他人と一緒に行動するのが得意じゃないキミが、越前と何日も同じ部屋で生活して、それどころか同じベッドで寝て、終いには我慢できなくなったくせに、なんでちゃんと越前に気持ちを伝えない?今回は無事だったからいいけど、何も言わないまま無茶してキミに何かあったら、苦しむのは何も知らされなかった越前でしょ?」 
      「………だが越前の想う相手は…俺じゃない…」 
      「はぁっ!?」 
      菊丸と桃城と、後ろの方で控えめにしていた海堂までもが声を揃えて素っ頓狂な声を出した。 
      訝しげに手塚は顔を上げる。 
      「乾、この天然記念物の部長に、キミの分析を聴かせてあげてくれないかな」 
      珍しく苛立ちに目をつり上げた不二が、まさに魔界を制するもののような鋭い瞳で乾を見た。 
      「……そうだな」 
      そう言って頷くと、乾はこんな時でも持ち歩いていたらしいノートを徐に取り出して、ペラペラとページを捲り始めた。 
      「まず、不二も言ったが、手塚はプライベートでは一人を好む性格だ。なのに、越前を傍に置いても抵抗はなかった。その理由として考えられるのは二つ。手塚が越前に好意を持っているということと、越前の方も手塚に懐いていたから。そうだろう?」 
      眉を寄せる手塚の両脇で菊丸と桃城が大きく頷く。ちなみに大石と河村は駆けつけた警官と何やら話をしていて、こちらの騒ぎには気付いていない。 
      「そこで重要なのは、『越前が手塚に懐いている』という点だ。越前は入部して以来、学年・性別を問わず、常に一定の距離を置いて接している。…まあ、桃城とは比較的親しくはしていたようだが、じゃれついていくのは一方的に桃城の方だった。そうだな?桃城」 
      乾に確認されて、桃城は渋々と言った表情で頷く。 
      「その越前が、止むに止まれぬ事情があったからとはいえ、普段滅多に話しもしない手塚と一緒に暮らしていけたと言うことは、越前の中で手塚が特別な存在であったことが窺える」 
      手塚はふっと表情を和らげてリョーマを見つめる。 
      「越前にとって手塚が特別であったと思われる点は、まず、同じベッドで寝ていたのは、まあ、仕方がないとして、他にいくつか挙げられるがいちいち挙げるとキリがないほどだ」 
      手塚が不思議そうに乾を見上げた。 
      「そんな素振りはなかったぞ?」 
      「……………」 
      「乾、続けて」 
      絶句する乾に、不二の、地を這うような声が響いた。 
      「…まず第一に『恋人同士だ』と騒がれても、騒がれたこと自体に対しては、二人とも怒っていなかったこと。二人は自分自身ではなく、お互い相手の名誉を傷つけたことに対して、つまり、手塚は越前の名誉が傷つけられたことに、越前は手塚の名誉が傷つけられたことに、それぞれ犯人へ怒りを覚えていた。そうだろう?」 
      「………ああ」 
      曖昧に頷く手塚に、乾はチラリと視線を向けて眼鏡の位置を直す。 
      「その他、細かく言えば、いくら男同士とはいえ、頻繁に抱き締めあったりはしないものだが、手塚と越前は、ごく自然に相手と触れ合い、時には抱き締めてもいた。そうだろう?」 
      「………」 
      「付け加えるなら、いくら脅されていても、ディープキスなんかしないよ、普通は」 
      不二が腕を組んで、溜息混じりに呟く。 
      「それは………俺はともかく、越前は仕方なく俺の言うなりにしていただけだろう。それに、あの時あいつは、初めてではないと言っていたから俺が調子に乗って……」 
      「でも気持ち悪いとか言って怒らなかったでしょう?」 
      「………ああ」 
      頷きつつも、何か言いたそうに眉を寄せる手塚を見て、不二が視線を菊丸と桃城に向けた。 
      「英二と桃ならどう?脅されたからって、今ここで、相手にディープキスできる?」 
      「無理」 
      菊丸と桃城は声を揃えてきっぱり言った。 
      「それから、ちょっと越前から聴いたことなんだけど、二人して互いに相手のアイスの味見をしたんだってね。相手に食べさせてもらって。普通はしないよ、そう言う『ラブラブな恋人同士』みたいな真似は」 
      「うんにゃ、しないしない!」 
      菊丸が大きく頷いて断言する。 
      「データでは計り知れないことも、手塚はして見せたしな。市ヶ谷たちに越前が捕らえられた時、手塚は『越前の声を聴いた気がして』駆けつけたんだろう?なんでもない先輩と後輩の間に、そんな奇跡のようなことは起きない」 
      「………」 
      乾に言われて、手塚はどう答えていいものかわからず、困惑して眉を寄せる。 
      「あー、それにっスね、部長、さっき、越前のヤツ薬嗅がされて気ィ失う前に部長のこと呼んだじゃないっスか。あんなふうに呼ばれて、あいつに想われていないって思う方が、俺は不思議っスよ」 
      手塚はぐっと唇を噛み締め、腕の中のリョーマを見つめた。 
      「とにかく」 
      不二が組んでいた腕を解いて腰に当てる。 
      「越前の意識が戻ったら、確認してみるといいよ。それでもし、越前が手塚のことを恋愛対象として見ていないと言ったら、一ヶ月間、部室の掃除を僕たちがやるよ」 
      「不二……?」 
      眉を寄せる手塚に不二はニッコリ笑って言った。 
      「明日、結果を聞くからね。今夜中に、ちゃんと想いを伝え合ってね」 
      「…………」 
      手塚は深く溜息をついてから、小さく頷いた。 
      「じゃあ、今日はもう帰りなよ。桃、タクシー捕まえてきて」 
      「ういっス!」 
      通りの方へ走っていく桃城の後ろ姿を見送ってから、不二はまた口を開いた。 
      「越前は、見た目も中身も人の目を惹きつけるものがあるんだ。市ヶ谷の時も、今回の放火魔も、何もなかったからいいけど、この先越前に近づくヤツはきっと増えるよ。だから手塚が、公私ともに越前をしっかり護ってやらなくちゃ」 
      「………不二…」 
      それでもまだ戸惑う手塚は、じっとリョーマの顔を見つめながら黙り込んだ。 
      「タクシー捕まえたっス。部長!」 
      「ああ、すまない」 
      手塚は一度目を閉じ、リョーマを抱えたままゆっくりと立ち上がった。 
      そして、また開いた瞳を見て、不二が小さく目を見張った。乾も、菊丸も、海堂も、そして桃城も、手塚の、その表情を見て、小さく微笑む。 
      手塚の瞳は穏やかだった。それでいて、どこか揺るがぬ決意のもとに戦いに挑む時の手塚の瞳のように、みんなの目には映った。 
      「ありがとう、みんな」 
      「気をつけて、手塚」 
      「ああ」 
      「越前を頼みます、部長。あ、そうだ、これ」 
      桃城がポケットから紙を取り出して手塚に手渡した。 
      「…織原のヤツに、それ、見せられたんスよ。そんなの見せられたらもう、俺は部長と越前のこと認めないわけにいかねぇっつーか……」 
      「これは……」 
      「そんな目で越前に見つめられてて気付かないなんて、やっぱ部長、鈍すぎっスよ!」 
      笑いながら言う桃城に、手塚も小さく微笑み返した。 
      「ありがとう」 
      背を向けてタクシーに乗り込む手塚を見送って、ぼそりと乾が呟く。 
      「ああいう目をした時の手塚の勝率は、100%だ」 
      「確かに」 
      隣で不二も笑った。 
      「あれ、手塚と越前は、もう帰ったのか?」 
      「先に帰したよ。一緒に」 
      警察との話を終えて戻ってきた大石と河村に、乾が眼鏡の位置を直しながら答える。 
      「救急車呼ばなくてよかったのか?」 
      心配そうに眉を寄せる大石に、不二がニッコリ笑いかけた。 
      「手塚が世界で一番効く薬を持っているから、大丈夫だよ」 
      「そうそう、おチビ限定の薬にゃん」 
      「はぁ……?」 
      首を傾げる大石の横で、河村は柔らかく笑っていた。
 
  「ああは言ったけど、くっつくだけじゃなくて、一気に進んじゃうとは思わなかったな」 
      そう言いながらも楽しそうに笑っている不二に、菊丸もクスクスと笑い出した。 
      「今朝、おチビが出てきた時の手塚の顔はみものだったにゃ。手塚のあんな顔、初めて見たにゃん」 
      「だから、早起きして得したって言ったでしょ?」 
      「あー、あれ、手塚のことだったにゃん?てっきりおチビの『すっぽんぽん』かと思ったにゃ」 
      にゃはは、と笑う菊丸に、不二はきょとんとした瞳を向けた。 
      「男同士でハダカ見ても、別に何も感じないでしょ?好きな相手のハダカは別だけど」 
      「………う……うん」 
      真っ赤に頬を染める菊丸に微笑みかけてから、不二は空を見上げた。 
      何もかもすっきりとした自分の心のように、澄みきった青空だと、不二は思った。
 
 
 
 
 
  なんとか逃げ出すことに成功した手塚とリョーマは、真っ直ぐに手塚のマンションに戻ってきた。 
      駅前はさすがに人が多くて繋げなかった手を、マンションの前からはしっかりと繋いで、エレベーターに乗り込んだ。 
      「今日はオレ、具合悪くないけど?」 
      「部屋まで待てなかった」 
      エレベーターのドアが閉まると同時に、手塚がリョーマを抱き寄せて口づける。 
      「あ……っ、ふ」 
      ゆっくりゆっくり上ってゆくエレベーターの中で、二人は深く甘い口づけを交わす。舌を絡め合い、唇を甘噛みし、微笑み合って、チュッと音をさせながら何度も啄む。 
      「あれ、もうついちゃった?」 
      軽い衝撃とともにドアも開き、顔を上げたリョーマはエレベーターが自分たちの部屋の階に到着したのを確認して目を丸くした。 
      「続きは部屋で……」 
      「うん…」 
      頬を染めるリョーマがそっと手塚に身を寄せる。 
      見つめ合って微笑み合って、二人が部屋の方へ視線を向けると、そこに立っている人物を見つけて、二人はビクリと身体を揺らした。 
      「国光!」 
      「リョーマ!」 
      ドアの前に立っていたのは、手塚の母・彩菜と、リョーマの母・倫子。二人はホッとしたように表情を緩めて、手塚とリョーマの方へ駆け寄ってきた。 
      「何度も電話したのに繋がらないから心配になって来てみたのよ。そしたら越前さんもいらしていて」 
      「昨日夜になっていきなり泊まるなんて言うからちょっと心配になって…電話の声、元気なかったから…」 
      手塚とリョーマは、それぞれの母に心配をかけたと知り、申し訳なさそうに眉を寄せた。 
      「すみませんでした。お二人とも、どうぞ中へ」 
      手塚は二人の母親に、部屋の中に入るように勧めた。
 
 
  手塚とリョーマは、自分たちの母親に、昨日の出来事を、それまでの経緯も含めて話して聞かせた。 
      リョーマが危険に晒されたことは曖昧にぼやかして話したが、それでもその捕り物騒ぎのせいでリョーマは少し具合が悪くなったのだと言うと、倫子は眉を顰めた。 
      「ご迷惑をおかけしました。ありがとう、手塚くん」 
      「いえ、こちらこそきちんと説明もせずにご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」 
      「ああそんな、手塚くん、そんなことしないで」 
      深く頭を下げる手塚に、倫子は慌てて顔を上げるように言う。 
      「でも今日が休日でよかったわ。リョーマ、具合はもういいの?」 
      「うん」 
      頷く息子を見て、倫子は心底安堵したように柔らかく微笑んだ。 
      「それで、あなたの携帯が繋がらなかった理由はわかったけど、どうして昨夜充電しなかったの?」 
      「それは……うっかり忘れました」 
      彩菜に指摘されて、手塚はさりげなく嘘をついた。 
      本当は、リョーマとの時間を誰にも邪魔されたくなくて、携帯に充電をしなかった。そんなことを、自分の母親には言えない。 
      「私はてっきりリョーマくんとの時間を邪魔されたくなくて携帯の電源を切っているのかと思ったわ」 
      「は………?」 
      ドキッとして手塚の表情が引きつった。そんな手塚をリョーマはチラリと見遣ってから溜息をつく。 
      「でもオバサン、なんか用があったから部長の電話にかけたんでしょ?その用事は言わなくていいんスか?」 
      「ああ、そうそう、そうだったわ。それもあってここに来たの」 
      彩菜が思い出したというように、ポンと手を打ってリョーマにニッコリと笑いかけた。 
      「お勝手のドアが焼けちゃったでしょ?だからリフォームに修理の期間が追加しちゃったから、なんだかんだであとひと月半くらい、ここに居てくれるかしらって言おうと思って」 
      「俺は構いませんが、父さんはどうするんですか?」 
      「ああ、いいの。お父さんは何とかなるわ」 
      「はぁ…」 
      手塚と彩菜の会話を聞きながら、リョーマは、ある考えを思いついた。 
      それを言おうと顔を上げると、真正面から倫子と目があった。 
      「…なぁに?リョーマ」 
      「え、あの………母さん、オバサン、オレも部長と一緒に、ここに居たい」 
      「え?」 
      一番驚いたのは手塚だった。ほんのりと頬を染めてリョーマを見つめる。リョーマも手塚を見、そしてふわりと微笑んだ。 
      「国光がいいなら、それでうちは構いませんよ?越前さんのご判断で」 
      「え?それは……でも、どうして?リョーマ」 
      倫子に尋ねられて、リョーマはほんの少し躊躇ってから口を開いた。 
      「ここの方が学校に近いし……朝、ちゃんと部長が起こしてくれるし……勉強もたまに見てくれるし……それから……その……」 
      じっとリョーマを見つめる倫子の目を、リョーマは真っ直ぐに見つめ返した。 
      「部長の目玉焼きが最高に美味しいから!」 
      「え?」 
      目を丸くする倫子と手塚の横で、彩菜が「ぷっ」と吹き出した。 
      「あ、あら、ごめんなさい。リョーマくんが、あんまり可愛らしいことを理由にするから」 
      「え?…あ、でも、ホントに部長の目玉焼きはオレの好みの味って言うか、………最高なんス!」 
      「越前…」 
      力説するリョーマを見て手塚は目を細めた。ゆっくり息を吐いて、徐に倫子に向き直る。 
      「俺の方は全く問題はありません。むしろ、彼が一緒にいてくれると、俺も楽しい時間が過ごせます。もちろん、今まで同様きちんとした学校生活を送るつもりですし、食生活についても二人いればちゃんとした自炊も出来ます。ぜひ、ここにいる間、越前と一緒にいさせてください」 
      手塚は、倫子に向かって頭を下げた。 
      「手塚くん…」 
      「私からもお願いします。国光がこんなに誰かと一緒にいたいと言うのは初めてなんですよ。親バカと思われるかもしれませんけど、国光は一度約束したことはきちんと守る子です。この子たちの自由にさせてやって頂けないでしょうか」 
      彩菜に縋るような瞳で見つめられ、倫子はクスッと笑った。 
      「越前さん…?」 
      「私は大賛成ですよ。この子、家にいる時よりもちゃんと生活しているんですもの。ゴミ出ししたり、お風呂の掃除をしたり、食器を片づけたり。一緒にいるのが手塚くんだからでしょうね」 
      リョーマの瞳が輝きだした。 
      「じゃあ、いいの?母さん」 
      「少しでも手塚くんに迷惑をかけたら、首に縄付けてでも連れ戻すからね?」 
      「うん!」 
      大きく頷いて、リョーマは嬉しそうな瞳で手塚を見た。手塚も微笑みながら頷いてみせる。 
      「ホントにラブラブなんだからこの子たちは…」 
      彩菜がぽそりと呟いた言葉に手塚とリョーマは内心ビクリと緊張した。自分たちの関係を、彩菜には気付かれているのだろうか、と。 
      「リフォームが終わったら、うちでホームパーティでもやりましょうよ、越前さん」 
      「あ、いいですね、お料理は持ち寄りってことで。楽しそう、ぜひ!」 
      二人の母親たちは、やはり話が合うらしく、キャッキャッとはしゃぎながらホームパーティーの計画を話し合い始めた。 
      盛り上がる母親たちを半ば呆然と見つめていた手塚は、ふと、我に返ったようにリョーマに視線を向けた。 
      「…リョーマ、いいのか、俺とここにいるなどと…」 
      「そう言うこと訊くわけ?」 
      ふて腐れたように唇を尖らしてから、ふわりとリョーマが笑う。その笑顔に、手塚も優しく微笑み返した。 
      「また卵を買っておかないとな」 
      「アイスもね」 
      「わかっている」 
      とろけそうに熱い瞳で見つめ合う二人を、いつの間にか二人の母親たちがじっと見つめていた。 
      「……え?ぁ、なんですか、母さん?」 
      その母親たちの視線にいち早く気付いた手塚が、微かな動揺を悟られないように気をつけながら二人の母親へ交互に視線を向けてみる。 
      「……じゃあ、もう行くわね、国光。お邪魔みたいだし」 
      「彩菜さん、手塚くん、不束な息子ですけれど、末永くよろしくお願い致します」 
      倫子が軽く頭を上げるのを見て、手塚は珍しく頬を染めた。 
      「こちらこそ不器用な息子ですけれど、よろしくお願いします」 
      二人の母親が互いに頭を下げ合うのを見て、その息子たちは顔を見合わせてそっと微笑んだ。
 
 
 
 
  倫子の運転する車でリョーマは一旦家に帰り、家に送ったばかりの荷物をまた詰め直して手塚のマンションへ持っていくことにした。 
      「カル、ごめん、しばらくはあんまり会えないけど、ちゃんと会いに帰ってくるからな」 
      円らな蒼い瞳にじっと見つめられ、リョーマは困ったように微笑んだ。 
      「今まではお前が一番だったけど、……いや、今も一番の友達だけどさ……『友達』じゃない、大切な人が出来たんだ…」 
      黙ったままじっとリョーマを見つめていたカルピンは、ふいっとそっぽを向くと、リョーマのベッドに上がり、丸くなって目を閉じる。 
      「しばらくはそのベッド、お前が使っていていいよ」 
      リョーマがそっと声をかけると、カルピンは片目だけを開けて小さく鳴いた。
 
  「母さん、じゃあ、もう行くね」 
      大きなバッグを抱えて階段を下りたリョーマは、キッチンに向かって声をかけてから靴を履き始める。 
      「ぁ、送っていくわよ、リョーマ」 
      「サンキュ」 
      「ついでに寄るところがあるから、付き合いなさい」 
      「?」 
      倫子にニッコリと微笑まれ、リョーマは訝しげに小さく眉を寄せた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  玄関のチャイムが鳴ると、手塚は相手を確認もせずにドアを開けた。 
      「あ……ただいま、国光」 
      どこか恥ずかしそうに頬を染めて上目遣いでそう言ったリョーマに、手塚は柔らかく微笑んだ。 
      「おかえり、リョーマ」 
      ドアを閉め、手塚がチュッと音をさせてリョーマに口づける。 
      「国光、はい、これ、お土産」 
      「ん?」 
      リョーマが手に提げているスーパーの袋を覗くと、そこには卵の十個入りのパックがいくつか入っていた。 
      「………どうしたんだ、こんなに」 
      「ん、母さんが車で送ってくれるついでに、近くのスーパーで卵の安売りがあるからって連れて行かれて、一緒にウチの分も買ってくれた」 
      手塚はリョーマが自然に『ウチ』と言ったことに、内心ひどく感動した。 
      「そうか……ありがたいな」 
      「でも冷蔵庫の中、卵だらけになりそう」 
      「そうだな」 
      手塚はリョーマから卵の入ったスーパーの袋を受け取り、キッチンの方へ持っていった。 
      「それから、これ」 
      「ん?」 
      リョーマがズボンのポケットをあさり、取り出したものを見て手塚は小さく目を見開いた。 
      「携帯、買ってもらった」 
      「ああ…」 
      「でも、オレが携帯持っているのは、他の先輩には内緒にするっス」 
      「え?」 
      リョーマはテーブルの上に携帯を置くと、手塚を振り返って微笑んだ。 
      「オレが携帯持っているなんて先輩たちに知れたら、いろいろ妨害が入りそうでしょ?」 
      手塚は一瞬目を丸くしてから、ふわりと微笑んだ。 
      「確かに、な」 
      「アドレス帳も、登録するのはアンタの携帯だけでいいや……」 
      「そうしてくれ」 
      手塚が小さく溜息をつきながら、リョーマの傍に立った。 
      「たとえ携帯でも、他のヤツの名前があるのは、気分が悪い」 
      「うわ、それ、すごいヤキモチ?」 
      「俺は独占欲が強いんだ。覚悟しておいてくれ」 
      手塚がリョーマの瞳を覗き込むと、リョーマはクスッと小さく笑った。 
      「なんか、それ、すごい嬉しい……オレはアンタだけのもの、って感じで」 
      「お前は俺だけのものだろう?」 
      「うん」 
      二人は見つめ合い、微笑み合って唇を重ねる。 
      「ぁ、そうだ、国光……もうひとつ、お土産があるんだけど」 
      「ん?」 
      手塚の首に腕を回して、リョーマは幸せそうに微笑んだ。 
      「『アンタに早く抱き締めて欲しいオレ』、っていうの持って帰ってきたんだけど、いらない?」 
      「リョーマ…」 
      悪戯っ子のような瞳で見上げてくるリョーマを、手塚は微笑みながら抱き締める。 
      「味わうのが楽しみだ」 
      「………えっち」 
      吐息だけで微笑んで、手塚はリョーマに口づける。 
      「大好き……国光……」 
      「ああ……愛してる、リョーマ…」 
      二人は深く口づけあい、点々と服を脱ぎ落としながらベッドへ潜り込む。すぐにリョーマの甘い喘ぎが漏れ始め、寝室は艶めいた空気に満たされていった。
 
 
 
 
  誰にも邪魔されない二人だけの部屋で、手塚とリョーマは思う様互いのすべてを貪り合う。 
      「ね……これからも毎日、こういうお土産、持って帰ってほしい……?」 
      何度目かの吐精のあとで、リョーマが自分を貫いたまま離れない手塚を抱き締めて言った。 
      深く繋いだ身体をさらにぐっと密着させて、唇が触れ合うほど近くで手塚が囁く。 
      「そうだな……ぜひ頼む。…だがたまには俺からも土産を用意しよう」 
      「どんなお土産?」 
      上気した頬の熱に瞳を潤ませてリョーマが手塚を見つめる。 
      「そうだな……お前の好きなアイスよりも甘くて、とろけそうに熱くて、お前のためだけの……」 
      最後の言葉はリョーマの耳元でそっと囁く。 
      リョーマはゆっくり瞼を閉じると、恥ずかしそうに、だがひどく嬉しそうに微笑んだ。 
      「……やっぱり、アンタ、最高……」
 
 
  最初は偶然始まった二人の生活だった。 
      だが今日からは、自分たちの意志で始める二人だけの生活。 
      偶然が必然に変わる瞬間、受け止めるだけだった運命は、自分たちの手で切り開く未来へと変わってゆく。
  周りの人々の優しい想いに包まれて、二人が自分たちで選んだ新たな生活が、今、始まった。
 
 
 
 
 
  
      完
 
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      20051030 
      
      
  
    
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