  呟き
  
 
  
      
  太陽が完全に地上から姿を消す頃になって、リョーマたちは手塚の家の近くにある小さな公園で乾たちと合流した。 
      「手塚」 
      リョーマたちが公園に姿を現すと、いつもは冷静な乾が、珍しく少し緊張したような声音で手塚に声をかけながら駆け寄ってくる。 
      「さっきも話したが、今度は手塚の家の周辺を狙っているようだ」 
      「ああ」 
      手塚は静かに頷くと全員の顔を見渡した。 
      乾を始めとしてテニス部のレギュラー全員がその場にいる。 
      「狙うとしたら、まさに俺の家は格好の標的かもしれない。夜になればリフォーム工事の方たちも帰ってしまうだろうから、俺の家には誰もいなくなる」 
      「そんな…」 
      大石がきつく眉を寄せる。 
      「でもそうとわかっているなら、最初から部長の家を見張ればいいんじゃないっスか」 
      海堂が身を乗り出すようにしてそう言うと、全員が頷いた。 
      「確かにそうだな、海堂。放火魔も、まさかそのリフォーム中の家の人間が自分を捕まえようとしているとは思わないだろう」 
      乾に力強く頷かれ、海堂は嬉しそうに目を輝かせて「はい!」と頷き返した。 
      「でも本当に手塚の家を狙ってくるかどうかはわからないよ?」 
      不二の冷静な意見に、全員が今度は項垂れた。 
      「予告のあった地域を全部見回るには人数が足りないにゃん…」 
      「…ったく、警察は何やってんだ」 
      忌々しそうに桃城が呟くと、その横でリョーマが「ぁ、そうだ」と何かを思い出したように手塚を見上げた。 
      「部長、ちょっと電話貸してください」 
      「ん?ああ…」 
      手塚がポケットから携帯電話を取り出してリョーマに渡すと、リョーマは何やら紙切れを自分のポケットから取り出して電話をかけ始めた。 
      「……ぁ、もしもし、市ヶ谷先輩?」 
      その場にいた全員がギョッとしてリョーマを見つめた。特に手塚はきつく眉を寄せてリョーマを見つめている。 
      「アンタのバンドのファンってどれくらいいるんスか?………ふーん、結構いるね。それって、まとめ役の人とかいる?……うん……じゃあすぐに掻き集めてくれないっスか。今度こそ気持ちいいこと、させてあげますよ」 
      「越前ッ!?」 
      桃城が驚いてリョーマの肩を掴んだ。 
      「何考えて…っ」 
      「待て」 
      電話で話を続けているリョーマを庇うように、手塚が桃城を宥めた。 
      「何か考えがあるのだろう。こいつが考え無しに行動するような男じゃないのは、お前も知っているはずだ」 
      「………」 
      桃城はじっと手塚を見つめると、小さく溜息を吐いてから小さく「はい」と答えた。 
      「とりあえず50人くらいは確保したっス」 
      「50人!」 
      大石が目を見開いた。 
      「堀尾が仕入れた情報によると、あの市ヶ谷先輩のバンドって青学の中ではあんまり有名じゃないけど、他の学校とか、女子高生とか、年上の女の人に人気があるそうで、ファンもそこそこついているらしいんスよ。その人たちをこの公園に呼んで、ここに来る道すがら、少し見回ってもらえれば、結構情報集めの戦力になると思って。もらったチケットの裏に携帯のナンバーが書いてあったのを思い出したんで手伝ってもらおうかな、って」 
      「あー、なるほど。でもここにファンを集めて何するんだい?」 
      不思議そうに尋ねてくる河村に、リョーマも首を傾げてみせる。 
      「さあ?ちょっとしたストリートライブでもやるんじゃないんスか?」 
      その場にいた誰もが唖然とし、リョーマに振り回されている市ヶ谷に微かな同情心を抱く中で、河村だけが感心したように頷きながら笑った。 
      「すごいな越前は。昨日の敵は今日の友、って感じなんだね」 
      「べつに友達じゃないっスけど」 
      心外そうに唇を尖らせて呟くリョーマに、緊張していた全員から小さな笑みが零れた。 
      「だがそれでも予告された地域は案外広範囲だ。やはり俺たちも手分けして見回ろう」 
      乾の言葉に、再び全員が同意した。 
      「そちらは織原さん、ですよね。あなた方は桃城と行動を共にしてください。タカさんは大石と、菊丸は不二と一緒に行動するんだ」 
      「頭脳を使うタイプと身体を使うタイプの組み合わせって感じかな」 
      不二の小さな呟きに菊丸が目を見開く。 
      「俺と不二じゃ、頭脳派同士にゃん?」 
      首を傾げる菊丸に、不二はニッコリと微笑んだだけで、敢えてその疑問には答えなかった。 
      そんな小さなやりとりの合間にも、テキパキと乾が参謀能力を発揮して段取りを決めてゆく。 
      「手塚と越前は手塚の家の周辺を。桃たちは家から少し離れた北側、タカさんと大石は南、不二と菊丸は東、俺と海堂は西側周辺を見回ろう。それで、先日の囮作戦の時と同じように不審な人物を見かけたら、携帯で俺に連絡を入れてくれ。追って全員に指示をする」 
      「わかった」 
      全員が同時に頷く。 
      「よし、じゃあ…」 
      「ひとつ言っておく」 
      乾が全員に散開を宣言しようとしたところを、手塚が凛とした声を上げて制した。 
      「決して無理をするな。不審な人物を見かけてもむやみに声をかけたり、煽ったりするな。俺たちの目的は、犯行を未然に防ぐことが第一だ。無理に相手を捉えようとはするな。相手は犯罪者なんだ。油断せずに行こう」 
      「了解ッ!」 
      大石が大きく頷くと、それにつられるように全員が頷いた。 
      「…やはり俺では役者不足、か…」 
      ボソッと呟いた乾の言葉は、傍にいた海堂だけが聞き取ることが出来た。 
      「…アンタにはアンタの役所があるだろう。それを完璧にやってのけるのがアンタのいいところじゃないんスか」 
      「……え」 
      「あ………いや、その……先に行きますっ」 
      クルリと背を向けて走り出す海堂の背中を見つめて、乾は小さく微笑んだ。 
      「俺たちも行こう!」 
      大石が試合前のような張りのある声を上げ、全員が担当の区域に向けて移動を開始した。
 
 
 
 
  「越前」 
      手塚の家がよく見える電柱の傍に佇みながら、手塚はリョーマを真っ直ぐに見つめた。 
      「なんスか」 
      リョーマも手塚を真っ直ぐに見つめ返す。 
      「なぜ…市ヶ谷の手を借りるんだ?あいつのしたことを、お前はもう、許せたのか?」 
      「………」 
      「お前を夢の中でまで苦しめる市ヶ谷を、なぜ、頼るんだ?」 
      リョーマはゆっくりと瞬きをしてから小さく溜息を吐いた。 
      「確かに……拉致られて、ヤバイ雰囲気になったあの時は、正直言って、あの市ヶ谷って人を絶対許すもんかって、思ってました」 
      手塚はグッと、眉を引き寄せた。ならばなぜ、今、市ヶ谷を頼ったのか、と。 
      「でも、今、オレはこうして無事な姿でアンタの傍にいるじゃないっスか」 
      「え…?」 
      穏やかなリョーマの声音に、手塚は怪訝そうな顔をした。 
      「二度とアンタに近寄れないようなコトされたんなら、オレは死んでもあの人のことを許さなかったと思う。だけど、オレは結果として無事に帰れたし、されたことの分くらいはちゃんとやり返してやった。だから、もう……」 
      「許す、というのか……?」 
      手塚の瞳を見つめながら、リョーマはこくりと小さく頷いた。 
      「夢で……嫌な思いをさせられているのに、か…?」 
      リョーマはスッと手塚から視線を外して、手塚の家を見上げた。 
      「嫌な夢を見ても、アンタが傍にいてくれたから……大丈夫だったじゃないっスか……」 
      いや、大丈夫どころか、むしろ市ヶ谷には感謝したいほどかもしれない、とリョーマは思う。市ヶ谷との一件を利用して、手塚と触れ合うことが出来たのだから。 
      「部長は、ちゃんと、オレのことを夢の中で護ってくれたっスよ」 
      手塚は目を見開いた。 
      ニッコリと微笑むリョーマに、手塚は思わず手を伸ばしてその頬に触れる。 
      「越前……」 
      「部長…?」 
      ほんのりと頬を染めて見上げてくるリョーマを、手塚はそっと引き寄せた。リョーマが愛おしすぎて胸が押し潰されそうだった。 
      「……だが……もう、俺はお前を護ってやれない……」 
      「……」 
      柔らかな布に包まれるように仄かに抱き締められて、リョーマは心を軋ませながら手塚の胸に顔を埋めた。 
      「ありがと、部長……ずっと…甘えてて、ごめん…」 
      「違うんだ、越前…、俺は……」 
      言いかけて、手塚が急に口を噤んだ。 
      「部長?」 
      「しっ」 
      見上げた手塚が見つめる先へリョーマが視線を向けると、通りの向こうから一台の自転車がゆっくりとこちらに近づいてくるのが見えた。 
      「…ずいぶんゆっくりと漕いでいるな…」 
      「なんかキョロキョロしてるし…」 
      「ああ」 
      手塚とリョーマは抱き合ったまま、近づいてくる自転車に乗った人物を観察した。 
      自転車に乗った人物は、年齢が20代から30代前半くらいの男で、黒っぽい上下のスウェットスーツを着込み、もう日が落ちたというのにキャップを目深に被っている。バックなどの持ち物は何もないようだった。 
      「…行くぞ、越前」 
      「え?」 
      「ここにつっ立っていたのでは向こうに不審がられる。通行人を装って移動しよう」 
      「ういっス」 
      二人は頷き合うと、さっと身体を離してバッグを担ぎ、さりげなく歩き始めた。 
      自転車に乗った男は手塚とリョーマに気づくと、目深に被っているキャップをさらに深く被り直して顔を隠すようにして二人と擦れ違った。 
      自転車が角を曲がって見えなくなったのを確認したリョーマは、立ち止まって勢いよく手塚を見上げる。 
      「部長…」 
      「ああ」 
      手塚とリョーマは互いの表情の中に「確信」を読みとって頷いた。 
      「乾に連絡を…」 
      携帯を取り出してそう言いかけた手塚は、携帯の画面を見つめたまま「しまった」と呟いた。 
      「部長?」 
      訝しげに覗き込んでくるリョーマに、手塚は困惑した瞳を向けた。 
      「充電切れだ」 
      「え」 
      手塚が溜息を吐く。 
      「ここのところ充電するのを忘れていた。昨日は充電をしなければと思っていたんだが…」 
      「あ、そっか、オレの家に泊まったから……」 
      手塚はリョーマに頷いてから、それでも着信履歴から乾の電話番号を呼び出した。 
      「あと一回くらいなら何とかなるか…」 
      そう呟きながら、祈るように携帯を耳に当てる。 
      呼び出し音が2回鳴った。 
      『もしもし手塚か?』 
      乾の低い声が聞こえた途端、電話は強制的にぷつりと途切れてしまった。 
      「だめだ…」 
      完全に電池の切れてしまった携帯を握り締めて手塚はまた深い溜息を吐いた。 
      「オレ、走って伝えてくるっス」 
      リョーマが強い瞳で手塚を見上げた。 
      「あの自転車の男、乾先輩たちのいる西側の方へ行ったから、反対の不二先輩たちの方に行った方がいいよね。すぐ戻ってくるから、部長はここで待ってて」 
      「…わかった。頼む」 
      「ういっス!」 
      「越前」 
      「え?」 
      走り出しかけたリョーマは、手塚に呼び止められて振り向いた途端、強く引き寄せられて口づけられた。 
      「ぶ、ちょ…?」 
      「すまない。………気をつけていけ」 
      「…ういっス」 
      頬を真っ赤に染めて走り出すリョーマの背中を見つめながら、手塚は小さく眉を寄せた。 
      こんなにも早く犯人を見かけるという偶然が、あっさりと訪れるものなのだろうか。 
      「考えすぎ、か…」 
      手塚の呟きは誰の耳に入ることもなく、その場に溶けるように消えてしまった。
 
 
 
 
  「切れたんスか?」 
      訝しげに携帯を見つめる乾を、海堂が眉を顰めて覗き込んだ。 
      「ああ、何も言わずにプツリと……」 
      「何かあったんじゃ…」 
      手塚の携帯に電話をかけ直した乾は、携帯が繋がらないことを確認すると、落ち着いた様子で海堂を見た。 
      「携帯に不慣れな手塚が電話をかける余裕があるということは緊急事態と言うよりも不審な人物を見かけたという連絡の可能性が高い。だが、何らかの事情で、今は携帯を使えないんだろう。手塚に限ってまさかとは思うが、充電切れ、とか…」 
      「………先輩、あれ」 
      乾の言葉を頷きながら聴いていた海堂は、その乾の後方から近づいてくる自転車を見つけて声を潜めた。 
      「あれ、か……」 
      自転車を目で確認した乾は眼鏡の位置をいつもの仕草で直すと、海堂の腕を掴んで歩き出した。 
      「せ、先輩?」 
      「あまり相手をジロジロ見るな。怪しまれる」 
      「あ、はい」 
      歩き出しながら乾は携帯のアドレス帳から不二の名前を選び出して通話ボタンを押した。 
      「………もしもし、乾だ。今ターゲットと擦れ違うところだ。ああ、そうだ……手塚のところにも姿を現したようだ。…いや、今はあまり周囲を見回していない。もう『決めた』のかもしれないな」 
      低い声で話す乾の言葉に、海堂は思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。 
      乾が電話している間にも、どんどん自転車が近づいてくる。 
      「……っ」 
      そしてとうとう自転車は海堂の横をすり抜けていった。 
      「海堂、追えるか?」 
      まだ電話を握ったまま乾が海堂を振り返った。 
      「!……はいっ」 
      大きく頷いて海堂が踵を返そうとすると、乾がふいに海堂の腕を掴んだ。 
      「?先輩?」 
      「手塚も言っていたが、無理はするなよ。ただ後をつけて、何かあったら俺に知らせてくれればいい」 
      「ういっス」 
      もう一度海堂が頷く。乾はふっと笑って海堂の肩に手を置いた。 
      「うまくこの件が片付いたら、夜のランニング、また今夜も一緒にやろう」 
      「え…」 
      「明日の自主練も付き合うぞ」 
      「………」 
      海堂は頬を真っ赤に染めたまま小さく頷いて、今度こそ踵を返して走り出した。
 
 
 
 
  「乾が犯人らしき男を見かけたみたい」 
      不二が携帯電話を胸のポケットにしまいながら菊丸に視線を向けた。 
      「ホント?」 
      「うん……どうも手塚の家の前も通ったみたいなんだけど、手塚の携帯が繋がらなくなっちゃったんだって」 
      「繋がらない?何かあったのかにゃ?」 
      心配そうに眉を寄せて首を傾げる菊丸に、不二も小さく眉を寄せて頷く。 
      「連絡が取れないのは、ちょっと不安だね」 
      「うん…」 
      「とりあえず僕たちはもう少しこちら方面の見回りを続行しろって乾が言っていたから、向こうの方にも行ってみようか。手塚や乾たちが見かけたのが本当に犯人かどうかわからないしね」 
      不二の冷静な意見に菊丸は大きく頷いた。 
      「でも、桃ちんや大石に連絡しなくていいにゃ?」 
      「それは乾が連絡するって」 
      「そっか。それなら……あれ?」 
      会話の途中で菊丸が目を丸くした。 
      「どうしたの?英二」 
      「ん?ん〜……そこの細い道に人が入っていったような……見間違いかにゃ〜?」 
      「あんな暗いところに人が?」 
      不二は眉を寄せて少し考え込んでから菊丸の腕を掴んだ。 
      「行ってみよう、英二」 
      「うん」 
      菊丸は少し緊張したような顔で小さく頷いた。
 
 
 
 
  「乾先輩が怪しいヤツを見かけたみたいっス」 
      桃城は通話を終えると、携帯を無造作にポケットへしまい込みながら、カメラを大事そうに抱えた男に向かってそう言った。 
      「怪しいヤツって?」 
      男の傍にいたその妹が身を乗り出す。 
      「自転車に乗っていて黒っぽい上下のスウェットに目深に被ったキャップ。なんか……『いかにも』って感じだよな…」 
      「黒っぽい上下のスウェットに目深に被ったキャップ……って、向こうから来る人みたいな感じ?」 
      織原妹、こと、真実が小声で桃城に囁く。桃城が言われた方に視線を向けると、さっき言った通りの風体の男が自転車に乗ってこちらに向かってやってくるのが見えた。 
      「ドンピシャってか。………あれ?でも待てよ?」 
      桃城は口元に手を当てて考え込んだ。 
      「あっちって東だよな。西はこっち……向こうから来るってことは、あの自転車のヤツは乾先輩が見た『怪しいヤツ』とは違うってことか?」 
      「そういえばそうだな。今電話で連絡があったばかりなのに、向こうの通りから現れるにはいくら自転車でも早すぎる……別人だな」 
      カメラを構えようとして手を止めた織原兄、こと、誠が小さく溜息を吐いた。 
      「…こりゃ、乾先輩に連絡しておいた方がよさそうだな」 
      口の中でそう呟くと、桃城は急いで携帯を手に持った。
 
 
 
 
  「怪しいヤツがたくさんいるって?」 
      携帯を耳に当てたまま、大石は大声を出しそうになり慌てて声を潜めた。 
      「どういうことなんだ?乾」 
      『みんなに連絡を入れたあとで桃城から電話がかかってきたんだが、それによると、どうも〈自転車に乗った黒いスウェットにキャップを被った怪しいヤツ〉は複数いるらしいんだ。もしかしたらそちらでも見かけるかもしれない」 
      「そんな……あっ」 
      電話を持った大石と河村の前を、まさに『自転車に乗った黒いスウェットにキャップを被った怪しいヤツ』が通り過ぎた。 
      「い、乾……っ」 
      『そっちでも見かけたようだな』 
      「ああ、たった今、目の前を…」 
      『妙だな』 
      電話の向こうで考え込む乾に、大石は、ふと思いついたことを告げた。 
      「みんな同じような格好しているってことは、なんか、ひとつの組織なのかな。自警団とか、もしくは警察が一般人を装って見回っている、とか…」 
      『……なるほど、そうか…そうかもしれないな』 
      「それに、そんなにたくさんいるのなら、それは犯人じゃないのかもしれないよ。放火犯って、たいていは単独行動だろ?」 
      『そうだな。…じゃあ、俺は手塚のところへ行ってこのことを伝えることにするよ。大石はそのまま、もう少し見回っていてくれ』 
      「わかった!」 
      大石が通話を終えると、河村が心配そうに覗き込んできた。 
      「手塚の携帯が使えないからって、越前が無理しなきゃいいけど」 
      「え?」 
      「ほら越前って、仲間のこととなると、すごく頑張るヤツだろ?愛想はよくない時の方が多いけど、中身はいい子だよね」 
      ニッコリと微笑む河村に、大石も微笑みながら頷いた。 
      「そうだよな……越前って、たぶん周りに誤解されやすいけど、本当はすごく……」 
      言いかけて口を噤んだ大石に、河村は怪訝そうな目を向けた。 
      「どうかした?大石」 
      少し考え込んでから、大石は真っ直ぐに河村を見つめた。 
      「外見と中身は、一致しないことって結構あるよな、タカさん」 
      「え?う、うん、そうだね」 
      「俺たちは、『自転車に乗った黒いスウェットにキャップを被った怪しいヤツ』じゃなくて、性別に関係なく、『普通なのにどこか行動が怪しい人』を見つけるんだ。いかにも怪しそうなヤツは他の連中に任せよう」 
      「ああ、そうか、そうだね、さすが大石!」 
      「敵の裏をかきたがるのは誰でも同じだもんな。だから俺たちは、裏をかいたつもりの犯人の、さらにその裏を読もう!」 
      「あ、ああ、わかった!」 
      背筋をピンと伸ばして歩き始める大石の後ろを、河村は慌てて追いかけていった。
 
 
 
 
  「手塚!」 
      家の前に一人で佇む手塚の元へ乾が小走りに駆け寄った。 
      「ん?越前は?」 
      「さっきの電話の用件を伝えに行ってくれている。怪しいヤツが乾のいる方へ向かったので、不二の方に」 
      「そうか、……その件なんだが、手塚…」 
      乾は手塚から電話があってからのみんなとのやりとりを整理して、簡潔に手塚へと伝えた。 
      「ではあの怪しい風体のヤツは他にもいるのか…急いで連絡に走らせることもなかったか……越前に悪いことをした…」 
      「うん……ところで手塚、越前とは…」 
      乾がそう言いかけところで、乾の携帯が鳴った。慣れた手つきで通話ボタンを押して話し始める。 
      「もしもし不二?」 
      手塚は会話に耳を傾けながら自分の家を見上げた。 
      「そうか……で、そいつは今どうしている?…え?…そうなのか……気になるな……」 
      「乾、越前はそちらと合流したか、確認してくれ」 
      会話の合間を狙って手塚が乾に言うと、乾は不二に相槌を打ちながらも、手塚に向かって頷いて見せた。 
      「じゃあ、引き続きそいつを捜してみてくれ。それから不二、そっちに越前は行ったか?……そうか、わかった。いや、そちらに向かったらしいんだ」 
      乾が軽く眉を寄せるのを見て、手塚もきつく眉を寄せた。 
      (不二たちと合流できていないのか…) 
      その後、二、三会話を交わしたあとで電話を切った乾が真っ直ぐ手塚の方を向いた。 
      「不二たちのところに越前は行っていないようだ」 
      「……そうか…」 
      手塚の心の中にふっと小さな不安が生まれる。 
      ただ不二たちを見つけられずに合流できていないならいい。だがもしも、別の理由で合流していないのなら、それは限りなくリョーマが危険にさらされているのではないかと、手塚には思えてしまう。 
      「手塚」 
      「え」 
      リョーマのことを考えていて、乾が何か自分に言ったらしいことに、手塚は全く気がつかなかった。 
      「………携帯は充電切れかと訊いたんだが」 
      「ああ…そうだ」 
      「じゃあこれを使え」 
      乾がバッグのポケットから電池の嵌め込まれた小さな箱を取り出した。 
      「これは?」 
      「非常用の電池式のバッテリー。これで少しは携帯が使える」 
      「いいのか?」 
      こくりと、小さく頷いて乾はバッテリーを手塚に手渡した。 
      「あった方がいいだろう。俺の携帯はまだだいぶ持つから大丈夫だ。それより、手塚が充電切れを起こさせるなんてどうかしたのか?」 
      「……昨日は越前の家に招かれて、そのまま一泊させてもらったんだ。いや、その前から電池が減っているのには気づいていたんだが……他のことに気を取られていた」 
      「他のこと、か…。まあ、いい。じゃあ、俺は一旦持ち場に戻るから、何かあったら連絡してくれ」 
      頷く手塚に背を向けて、乾は西側の持ち場に向かって走っていった。 
      手塚は手の中のバッテリーを見つめてから、ふと、空を見上げた。日が落ちてすでに空には星が瞬き始めている。 
      「越前…」 
      口にした名前はひどく甘い。だが今は、その声に不安が混じる。 
      「早く、戻ってこい……」 
      胸騒ぎが、する。 
      ここに居てはいけないと、何かが心の奥で騒ぐ。 
      今すぐにリョーマを探しに行きたい。 
      だがもしもリョーマが戻ってきた時に自分がいなかったら? 
      (どうする……) 
      手塚は眉を寄せて考え込んだ。いや、実際に考えたのは数秒だった。 
      乾にもらったバッテリーを装着して、手塚は桃城に電話をかける。 
      「桃城、今すぐ俺の家の前に来て、俺の代わりにここで張っていて欲しい。…いや、越前が戻らないんだ。探しに行きたい」 
      桃城が了承したのを確認すると、手塚は「すまない」とだけ言って電話を切り、とりあえず東の方へ走り出した。 
      市ヶ谷たちにリョーマが連れ去られた時感じたのと似たような不安が手塚の胸に急速に広がってきている。 
      (どこにいる……越前……っ!) 
      不二たちのもとへ向かうリョーマを引き寄せて口づけた時の感触が、手塚の唇に蘇る。 
      どうして咄嗟にあんなことをしたのか、手塚は自分でもわからなかった。ただあの時、どうしてもキスしておきたかった。 
      (あれが最後だなんてのはごめんだ) 
      走りながら、手塚は呟いた。 
      「まだお前に、好きだと言っていない……っ」
 
  どんどん濃さを増してゆく闇が、風景と一緒に探し出したい者の姿も包んでいってしまうような気が、した。
 
 
 
 
 
  
      続
 
 
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      20050828 
      
      
  
    
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